縛 1  身体が、動かなかった。  自分では渾身の力を振り絞っているつもりなのに、指一本ぴくりとも動いてくれない。  真っ暗だった。  そこは、何も見えない真っ暗な空間だった。  ……いや。  本当にそうだろうか。  頬に陽射しの暖かさを感じる。  それでも、ここが暗闇であって欲しいと願った。自分の目が見えなくなっているのだとは思いたくなかった。  全身に脂汗が滲んでくる。  叫ぼうとした。助けを呼ぼうとした。  だけど、声を出すことすらできなかった。  助けて。  誰か、助けて。  悲鳴を上げようとする。  身体を動かそうとする。  それらはすべて、まったく無駄な努力でしかなかった。私は何もできずにいた。  それでもまだ、ひとつだけ残されたものがある。 「……紗耶」  どこからか、私を呼ぶ声がする。まだ、聴く力だけは残されていた。 「紗耶……紗耶」  私の名を呼ぶ声。それで、自分が一人きりではないという安心感を得ることができた。 「紗耶!」  声が大きくなる。  すぐ耳元で叫んでいるような気がする。 「紗耶! 起きろって!」  ザッ!  カーテンを開ける音。  同時に、真白い光が弾けた * * *  目を開けて最初に視界に入ったのは、どことなく不機嫌そうな弟の顔だった。  ひとつ年下の弟、宏樹。  愛想のない表情で、こちらを見おろしている。  私は、小さく首を巡らして周囲を見た。  いつもと同じ、自分の部屋。  厚いカーテンが開け放たれ、朝陽が室内に満ちている。 「う……ヤな夢、見た」 「さっさと起きろよ。遅刻するぞ」  乱暴な口調だが、今朝がことさら不機嫌というわけではない。私に対してはいつもこんな調子だ。  枕元の時計を見る。宏樹の言う通り、学校へ行くつもりならぎりぎりの時刻だった。もちろん、宏樹はもう制服に着替えている。  どうやら、無意識のうちに目覚ましを止めていたらしい。普段は思うように動いてくれない手なのに、寝ている時は妙に器用なものだ。  身体を起こそうとして、顔をしかめる。  左腕が痺れたようになって、感覚がほとんどなかった。まるで力が入らない。左脚も同じだ。  なるほど、あんな夢を見る道理だ。  右腕一本で身体を支えて、のろのろと起き上がる。そんな様子に宏樹が気づかないわけがない。 「調子、悪いのか?」 「ん、ちょっと……ね」  ベッドの端に座って小さく溜息をついた。こんな日は、ほんの少し身体を動かすのもひと苦労だ。 「休むか?」 「……ううん、行く」  一日寝ていた方が楽なのはわかっているけれど、ようやく入学できた高校、できればあまり休みたくはない。  右手だけでパジャマを脱ごうと悪戦苦闘していると、焦れったくなったのか宏樹が手を出してきた。さっさとボタンを外してパジャマを剥ぎ取って、サイドテーブルに置いておいた着替えの上からブラジャーを放って寄越す。 「……悪い、手伝って」  上半身裸のまま、胸を隠そうともせずに私は言った。  片手でブラジャーを着けるのは、パジャマを脱ぐよりも重労働だ。それがたとえフロントホックであっても。  宏樹は慣れた手つきで私の腕をストラップに通し、胸の前でホックを留めた。仕上げはさすがに自分の手で、小さなカップの中に収められた乳房の形を微妙に整える。  下着だけ着けたところで、私は立ち上がった。片脚を引きずるようにして廊下を歩き、用を足して顔を洗う。  その間に宏樹は私の制服や鞄の用意をしてくれていて、部屋に戻るとすぐにブラウスを着せられた。  ボタンを留められ、リボンを結ばれ、スカートをはかされる間、私はただ立っていただけだ。こうしたことを自分でやっていたら、今日は間違いなく遅刻してしまう。宏樹がもう少し早めに起こしてくれればいいのだが、いつも、ぎりぎりにならないと起こしに来てくれない。  椅子に座らされてソックスをはかされる。宏樹はさらに、長い髪にブラシを通し、慣れた手つきで器用に三つ編みにまとめていく。  その時間を無駄にせず、私は宏樹が持ってきてくれたサンドイッチとカフェ・オ・レで軽く朝食を摂る。  それでなんとか、ぎりぎり間に合いそうな時刻に家を出ることができた。  自分の鞄と私の鞄、ふたつを担いで宏樹は前を歩いていく。  その大きな背中を見ながら、私は一歩遅れてついていく。  私たちが通う高校まで、宏樹の脚なら十分とかからずに着くが、杖をついてのろのろと歩く私のペースに合わせれば、倍以上の時間がかかってしまう。  宏樹は黙って歩いている。決して文句を言うことはないが、笑みを見せることもない。  いつもと同じように、ただ、一歩前を黙って歩いているだけ。  だけど。  こちらを見ることもないのに、その歩調はぴったり私のペースだった。 * * *  私、三島紗耶は、小学生の時に交通事故に遭った。  その事故で父を亡くし、私は重傷を負った。  手脚が不自由なのはその後遺症だ。脊髄を損傷し、左腕と左脚に麻痺が残っている。  それでも今はずいぶんとよくなった方だ。事故直後は本当に寝たきりで、動くこともできなかったのだから。  数度の手術と気の遠くなるようなリハビリの結果、今では不自由ながらも日常生活を送ることができるようになっている。  仕事に追われている母に代わってそんな私の世話をしてくれているのが、ひとつ下の弟の宏樹だった。  この春、私はようやく高校に入学することができた。事故の後しばらくの間はろくに学校に通うこともできなかったので、普通よりも二年遅れである。  そのため、年下の宏樹の方が学年ではひとつ上という奇妙な状況になっていた。  通うのは同じ学校だった。家からもっとも近く、健康な人ならば徒歩数分の距離にある。私がこの学校を選んだのはそれが理由だが、宏樹の方はよくわからない。  もしかしたら、私のためなのかもしれない。宏樹が志望校を選んでいた頃、まだ中二だった私は、この高校に行くつもりだと言ったような記憶がある。もっとも、本人に訊いたら否定するだろう。  宏樹がどんなつもりなのか、いちばん身近にいる私にもよくわからない。私の前では決して楽しそうな顔はしないが、それでも遊びたい盛りの年頃の男の子が、文句ひとつ言わずに手間のかかる姉の世話をしてくれている。  それは、いくら感謝してもいいことのはずだった。 * * *  学校には予鈴ぎりぎりに着くことができた。  今日もまたなんとかセーフだ。  人影もまばらになった一階の廊下で、私たちを、否、宏樹を待っていた人影があった。 「ああ、やっと来た。三島くん、遅ーい。待ってたのよ」  明るい声の主は、宏樹のクラスメイトの垣崎由香里。  可愛い、というよりも綺麗な子だ。背が高く、挑発的なほどに短いスカートから、長く健康的な脚が伸びている。胸のふくらみは、発育の悪い私と比べたら何倍もの体積がありそうだ。 「ねぇ、今日の数学、あたし当てられるのよ。教えてくれない?」 「ああ、ちょっと待って。姉貴を教室に送ってくるから」 「数学は一時限目だよぉ。遅れちゃう!」  拗ねたような表情で、上手に甘える仕草。宏樹に向けられていた柿崎の視線が、ほんの一瞬、私を捉えた。 「……私は大丈夫だから。宏樹、行ってあげて」  垣崎の視線に強要されるように、私は言った。この状況では、弟に迷惑をかけている姉としてはそう言う以外の選択肢はない。 「……ああ」  宏樹は担いでいた鞄のひとつを、私に背負わせる。間髪入れず、垣崎が宏樹の腕を取る。 「ごめんなさい、お姉さん。ね、早く早く」  形だけ私に頭を下げた垣崎は、俊樹の腕を引っ張って階段を昇っていく。まるで、少しでも早く私から離れようとするかのように。  その姿が踊り場の向こうに消えるまで見送ってから、私は小さく溜息をついて、階段を一段一段ゆっくりと昇り始めた。  一年生の教室は四階、ちょっと憂鬱だ。もっとも、憂鬱なのはそのためだけではない。  一瞬だけ私に向けられた、垣崎の視線。  微かなものとはいえ、敵意のこもった視線を向けられるのは気持ちのいいものではない。  見ていれば一目瞭然だが、あの垣崎という子、宏樹のことが好きらしい。宏樹の方もまんざらではなさそうである。  当然だろう。垣崎は美人でスタイルもよく、性格も明るくて人懐っこい。男子には人気がありそうだ。  二人が正式に付き合っているのかどうかは知らないが、それに近い関係であることは間違いないだろう。  宏樹も、女の子にはそこそこ人気があるらしい。一八○センチ近い長身は、まあ、格好いいといえなくもない。意外と女の子受けはいいようで、私のクラスメイトからも紹介して欲しいと頼まれたことがある。いつも一緒にいるせいか、私の目にはさほどいい男とは映らないのだけれど。  そう。  それが、問題だった。  いつも一緒にいるということが。  私に対しては無愛想な宏樹だけれど、それでも私の世話を最優先してくれる。  自分の好きな男の子が、四六時中他の女の世話を焼いていたら、女の子としては面白くないだろう。その相手が実の姉で、身体に障害を負っているというもっともな理由があったとしても、感情が納得してくれるとは限らない。  それが、垣崎の視線の意味。  気持ちはわからなくもない。  私自身、宏樹に頼りすぎていると感じている。そうまでしなくてもいいのではないか、と思うことはある。  ろくに歩くこともできなかった頃と違い、今はその気になれば、多少不自由ながらも一人で日常生活を送ることはできるのだ。  それでも、人間はどうしても楽な方へと流されてしまう。  思い通りに動かない脚に鞭打って汗を流しながら階段を昇るよりも、宏樹に抱きかかえられて運んでもらった方が楽に決まっている。  垣崎のような女の子に睨まれるのがわかっていても、つい頼ってしまう。宏樹が不平ひとつ口にせずに世話を焼いてくれるのをいいことに、こっちは身体が不自由なのだから仕方がない、と自分を正当化してしまう。  ようやく二階まで昇ったところで、大きく息をついた。あと二階分の階段を前にうんざりしていると、後ろから来た大きな影が、私を追い越したところで止まった。 「相変わらずグズだな。遅刻するぜ」  私を馬鹿にしたような、乱暴な声。杖を軽く蹴られて、バランスを崩してよろけてしまう。一応、転ばないように腕を掴んでくれてはいたが、気遣いの感じられない、痛いほどの乱暴な掴み方だ。 「グズじゃないわよ。急いでもこれが精一杯なんだから仕方ないでしょ」  こっちも乱暴に言い返した。遠慮が必要な相手ではない。中三の時から同じクラスの竹上雄一だ。 「コーヒー一缶で、教室まで運んでやろーか?」 「……」  私は黙って、目の前の相手を睨みつけた。  向こうは一八○センチを超える長身、三○センチ以上の身長差で、間近で見上げていると首が痛くなる。  しかも、がっしりとした体格に頬に傷のある強面の顔。気の弱い人間なら視線を合わせることすらできないような凄みのある容貌だ。彼を間近から睨むことのできる人間なんて、この学校で私だけかも知れない。 「私に対価を要求するわけ? さんざん人の世話になっておいて」 「その借りは十分に返したと思うが? つか、むしろ俺の方が支出超過じゃねーか?」  にやにやと、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて応える竹上。そんな表情さえ、飢えた獣のような迫力がある。 「全然足りないって。あんた、自分がなにしたかわかってんの?」 「未遂だろうが」 「竹上ぃ?」  私は視線に力を込めた。  竹上は、クラスメイトの大半が恐れて近寄らないような奴だけど、私に対してだけはちょっと立場が弱い。  私もあえて、竹上には必要以上に強気に接するように心がけていた。こいつは野生の獣と同じだ。少しでも気弱なところを見せれば襲いかかってくる。視線を逸らしてはいけない。 「……ちぇ、わーったよ。ったく、人使いの荒い女だ」 「きゃっ……!」  吐き捨てるように言うと、竹上はいきなり私を担ぎ上げた。四○キロに満たない体重など存在しないかのように、軽い足取りで階段を昇っていく。  なにしろ恵まれた体格で、体力はありあまっている男だ。もっとも、その体力と腕力を正しい方向に使っているとは言い難い。過去、幾度となく暴力事件を起こしてきた結果、現在のクラスメイトでは唯一、私と同い年である。  本来ならば、あまりお近付きにはなりたくない人間だ。  中三の時、クラスメイトを病院送りにした場面は私も間近で見ていたし、暴力団とつながりがあるという噂も聞く。  しかし同い年で、理由はまるで違うけれどクラスで浮いた存在であるという共通点があり、そして一年くらい前に二人の間にちょっとした事件があって、以来話す機会は比較的多い相手だった。  もちろん、仲良しというわけではない。普通の男は、仲がいい女の子をこんな運び方はしないだろう。まるでセメント袋か米俵のように肩に担がれているのだ。もちろん私としても、その状況をおとなしく受け入れはしない。 「ちょっと! 竹上!」 「なんだよ。この方が楽なんだよ。てめーの弟じゃあるまいし、お姫様抱っこなんかやってられるか」 「だからって、も少し人間らしい扱いしてよね。スカートの中、見えるじゃない!」 「見られて困るようなパンツはいてんのか? 去年の今頃は、色気のかけらもないパンツだったな。あれはちょっと萎えるぞ」 「……マジで死にたい?」  声を一オクターブ低くする。竹上の軽口がぴたりと止まる。 「っとに、怖い女だよな。お前なんかに優しくする弟の気が知れねーよ」 「別に、優しくなんかないよ」  四階に着くと、教室の前で乱暴に下ろされた。膝から太腿にかけて走った痛みに顔をしかめる。 「……宏樹は家族の義務として、仕方なくやってくれてるだけだって」  私は素っ気ない口調で言って、教室に入った。 * * *  放課後。  帰る前に図書室に寄って、本を何冊か借りてきた。自由に身体を動かせない私にとって、読書は一番の楽しみである。  顔馴染みの図書委員と話し込んで少し遅くなってしまったので、玄関のところで宏樹の姿を見つけた時には意外な気がした。てっきり、先に帰ったと思っていたのに。  垣崎と一緒にいる。  なにを話しているのだろう。会話の内容までは聞こえないが、宏樹は珍しく笑みさえ浮かべている。しかし、間もなく垣崎は拗ねたような表情を残して、宏樹をおいて先に帰っていった。  垣崎の姿が見えなくなったところで、私はゆっくりと進んでいった。宏樹はすぐにこちらに気づき、つまらなそうな顔を向けてくる。 「遅いぞ」  いつも通りのぶっきらぼうな口調。垣崎の前の楽しそうな表情とは大違いだ。  しかし、文句を言われるのは筋違いだった。今日は別に、一緒に帰る約束をしていたわけではない。 「……よかったの?」 「なにが」 「垣崎さんと、デートじゃないの?」  皮肉っぽい口調にならないように気をつけて訊いた。あくまでも、弟をからかう姉という態度で。  先刻の二人の会話、表情から察するに、垣崎が遊びに行こうと誘って宏樹がそれを断ったのだろう。似たような光景を目にするのは初めてではない。  宏樹はなにも答えずに、私が背負っていた鞄をひったくった。そのまま自分の鞄と一緒に担いで先に歩き出す。  私は急いで靴を履き替えて後を追った。宏樹は追いつける程度に、ゆっくりと歩いてくれている。  いつも、んな調子だ。  楽しそうな顔なんか絶対にしないくせに。  必要最低限のこと以外、自分から話しかけてくることもほとんどないくせに。  なにか特別な用事がない限りは、約束しなくてもこうして私と一緒に帰ってくれる。  過保護すぎるくらいに、私の世話を焼いてくれる。  だから。  甘えすぎだとわかっていても。  垣崎に恨まれるのがわかっていても。  つい宏樹を頼ってしまうのだ。 2 「風呂、入るのか?」  夕食の後片付けを終えた宏樹が訊いてくる。  雑誌編集者の母は仕事で毎日遅いため、夕食の支度も後片付けも、ほとんどが宏樹の仕事だった。  私にできる家事なんてほとんどない。  私が片手で包丁を扱うというのは現実的ではないし、感覚の鈍い左手を無理に使えば気づかないうちに怪我をしてしまう。食器を洗ったり片付けたりすることも、燃えないゴミを増やすだけの結果に終わる可能性が高い。 「風呂、どうする?」 「……ん」  あまり体調が良くなくてソファに横になっていた私は、曖昧にうなずいた。  宏樹は軽々と私を抱き上げ、バスルームへと運んでいく。  入浴も、もっぱら宏樹の助けを借りている。もちろん一人でも不可能ではないが、長い髪や背中を片手で洗うのは簡単ではない。今日のように、立つのも億劫なくらい調子の悪い日はなおさらだ。  脱衣所で、Tシャツとスカート、そしてショーツが手早く剥ぎ取られていく。  全裸にされた私は、先にバスルームへ入る。  背後で、宏樹が服を脱ぐ衣擦れの音がする。  知らない人が見たら奇異な光景かもしれない。高校生の姉弟が一緒に入浴しているなんて。  だけど、それが小学生の時からの習慣だった。私たちにとっては特別なことではない。  普段から着替えを手伝ってもらっているし、ほとんど寝たきりだった頃には下の世話までされたこともあるのだ。今さら一緒に入浴して裸を見られることを意識する方がおかしい。  確かに、十八歳の女子高生としては、弟とはいえ同世代の男の子に身体を洗ってもらうことに戸惑いがないわけではない。障害があるとはいっても、時間さえかければ自分一人で入浴くらいはできるのだから。  しかし宏樹に任せていた方が楽なのは事実である。それに、今までずっと手伝ってもらっていたものを急に断るのも、それこそ変に意識しているみたいで不自然だ。  洗い場の小さな椅子に座ると、服を脱いだ宏樹が入ってくる。  シャワーの湯温を確かめ、私の頭からたっぷりとお湯をかけると、プロの美容師並みの手際の良さでシャンプーしてくれる。  長い髪だから慣れないと大変だろう。一人でも洗髪やセットがやりやすいようにと、短く切ろうと思ったことは何度かある。しかし宏樹が反対していた。 「女は本当に美人でない限り、長くて綺麗な髪の方がいくらかマシに見えるもんだぞ」  ――と。  失礼な台詞である。しかし垣崎などと比べれば、私の容姿が見劣りするのは事実だ。  女の子の心理として、並以下とは思いたくないけれど、人より優れてはいないことだけは認めざるを得ない。  弟の立場としても、少しでも見栄えのいい姉の方がいいのだろうか。まあ、髪を洗うのも、ドライヤーで乾かすのも、ブラッシングも、そして登校前に三つ編みにするのも、全部宏樹の仕事である。それが面倒でないというのなら私は構わない。  念入りな洗髪が終わると、濡れた髪をタオルでまとめ、身体を洗い始める。たっぷりとボディソープを含ませた大きなスポンジで、背中を撫でていく。  背中全体を隅々まで洗い終えると、スポンジは首筋へと移動する。それから肩、腕、脇腹と、順に洗っていく。  他人に身体を洗ってもらうというのは気持ちのいいものだ。これだけ念入りに、丁寧に洗ってもらえばなおさらのこと。私は目を閉じて、柔らかなスポンジが身体を撫でる感触を楽しんでいた。  やがて宏樹の手は、お腹の上へと移動してくる。お臍を中心に円を描いていく。  そして、胸。  お世辞にも発育の良くない乳房が、大きなスポンジに覆われる。宏樹は背後から腕を回して、胸を入念に洗っていく。  私の胸はあまり大きくはない。もっと正直に言うとかなり小振りである。そもそも胸に限らず無駄な脂肪がほとんどない身体なのだ。  あまり身体を動かさないから、食べ過ぎると太ってしまう。そこで小食主義を貫いてきた結果、身長もあまり伸びなかったし、女の子にとっては「無駄な脂肪」ではない胸についても中学生レベルのまま、あまり発育してくれない。  それなのに。  その小さな胸を洗うのに、宏樹は必要以上に長い時間をかけていた。  ささやかな膨らみの上で、スポンジが円を描く。  乳首を始点とする螺旋が、すそ野の方へと広がっていく。そこからまた頂へと登ってくる。  何度も、何度も。  右の胸から、左の胸に移動する。  やがてまた、右の胸に戻ってくる。  何度も、何度も往復する。  それはもう『愛撫』と呼んでもいい行為だった。  ゆっくりとした動きで、下から上へと乳首を擦り上げられると、ぴりぴりとした快感が生じる。  刺激を与えられた乳首が、固くなってくるのがわかる。  固さを増して突き出た乳首は、さらに刺激に敏感になってしまう。  顔が、そして下半身が熱くなってくる。  他の部分すべてに費やしたのよりも長い時間をかけて小さな胸を洗い終えた宏樹は、ようやくスポンジを離して身体の位置を変えた。  だけど、これで終わったわけではない。  まだ、脚が残っている。  爪先に始まり、ふくらはぎ、膝、太腿と、徐々に上へ移動してくる。上に来るに従って少しずつ進行速度が遅くなり、胸と同じように時間をかけて洗っていく。、  かなりきわどいぎりぎりのところまで来ると、宏樹は私の腰に腕を回して、身体を少しだけ持ち上げた。  椅子から浮いたお尻を、スポンジが撫でていく。  割れ目の中まで念入りに洗われてしまう。  そして、最後に。  ボディソープを補充したスポンジが、両脚の間へと入ってくる。  女の子の部分。  一番大切な、一番恥ずかしい、そして一番気持ちのいい部分。  触れられた瞬間、身体がぴくっと震えた。  胸や太腿を念入りに洗われていたせいで、身体が敏感に、感じやすくなってしまっている。  スポンジが前後に動きはじめると、本当に声が出そうになった。それは自慰よりもずっと気持ちのいい行為だった。  ぎゅっと唇を噛んで、声を漏らさないように堪える。  甘ったるい、いやらしい声なんて上げてはいけない。  私はただ、宏樹にお風呂に入れてもらっているだけ。身体を洗ってもらっているだけ。  ただ、それだけなのだ。  そうでなければいけない。  ここで、快感を覚えていることをはっきりと態度に表してしまったら、この行為がまるで別のものになってしまう。  着替えや入浴を助けてもらうことは恥ずかしくはない。たとえ裸を見られたとしても。  それはあくまでも『介護』なのだ。  しかし、そこに性的な意志が介在するとなると事情はまるで違ってしまう。  そんなことは、あってはならない。  だから私は、声を漏らさないように唇を噛んでいる。  宏樹の行為について、なにも言わない。  なにも特別なことはない。ただお風呂に入れてもらっているだけ。  そう、自分に言い聞かせる。  私の葛藤を知っているのかいないのか、宏樹は執拗にスポンジを動かし続ける。  身体が痺れてくる。頭の中がクリームのようにとろけてくる。  身体の芯が熱い。  女の子の部分が、熱を帯びてとろけはじめる。  発育が良くないとはいえ、もう十八歳なのだ。その身体は『少女』というよりも『女』に近づきつつある。性的な刺激を加えられれば、意志とは関係なしに反応してしまう。  執拗に続く性器への刺激。  泡まみれのスポンジが、股間で往復運動を繰り返している。 「……っ、…………っ!」  身体が震える。  いったい、どのくらい続いたのだろう。  頭の中が真っ白になって気が遠くなりかけたところで、不意にその刺激は消えた。  全身にシャワーが浴びせられ、身体を覆う泡が流れていく。  私は大きく息をついた。  今日も今まで通りに終わったという安堵の息。  そして――  わずかなところで満たされなかった女の切ない溜息。  まだ朦朧とした意識の中で、肌を叩く湯滴の刺激に身体を委ねる。  シャワーを止めた宏樹は、私を持ち上げて浴槽へ沈めた。  お湯の中では浮力が働いて、少し身体が楽になる。  お湯は熱めだけれど、量は不自然に少ない。決して広くはない浴槽に宏樹も一緒に入ってくる。それでちょうど、お湯の量は浴槽いっぱいになった。  宏樹の手が左腕に触れてくる。  もちろん特別な意味があるわけではない。肘の上あたりを、少し強めに揉み始める。  揉みながら、ゆっくりと肘を曲げ伸ばしする。  今日のように調子が悪い時、こうして熱いお湯の中でマッサージしてもらうと、いくらか楽になって手や脚が動かせるようになるのだ。 「……ん」  宏樹の指にはかなり力が込められている。徐々に腕の感覚が戻ってきて、痛みを感じるようになってくる。  左腕へのマッサージは、十数分続けられた。その間何度も、宏樹の腕が私の胸に触れていった。  それはきっとマッサージの際の偶然。偶然にしては少し回数が多すぎることを私は無視する。  腕の次は当然、脚のマッサージが始まる。  ふくらはぎ、膝、腿のあたりを強く揉みながら、何度も膝を曲げ伸ばしする。  脚の調子も良くなってくるに従って、太腿を揉む位置が上に移ってくる。脚の付け根の、かなりきわどい部分まで揉まれてしまう。  確かに、こうすると股関節の動きが楽になる。  だけど。  たまに、手の甲が茂みや秘所に触れる。  あくまでも偶然。たまたま触れただけ。  たとえそれが、不自然なほど頻繁に起こる偶然だとしても。  いったい、いつからだろう。  宏樹の接触に、性的な意図が感じられるようになってきたのは。  ここ一、二年のことだとは思うけれど、正確なところは思い出せない。そのくらいさりげなく、少しずつ、事態は進行してきたのだ。  着替えの時、入浴の時、身体を拭いてもらう時、階段で抱き上げてもらう時、髪をセットしてもらう時。  表情ひとつ変えずに。  何もなかったかのように。  普通ならば触れないように気をつけるべき部分に、さりげなく触れていく。  仕方のないこと……なのかもしれない。  宏樹も高校二年生。性的なことに強い関心を持つ年頃だ。  実の姉で、さほど魅力的でもない身体とはいえ、全裸で一緒に入浴していては無関心でいられないのかもしれない。  私は、このことについてなにも言わない。  宏樹本人にも、もちろん母親にも。  言うことはできない。  宏樹がしているのは入浴の手伝いとマッサージ。それだけなのだ。  偶然を装って触れる、それ以上のことはしてこない。  もっとも、たとえそれ以上のことをされたとしても、文句を言う権利はないのではないかと思う。  手のかかる姉の世話にこれだけ時間を割かれなければ、垣崎のような魅力的な女の子と好きなだけデートして、その気になればエッチなことだってできるだろう。宏樹の前での垣崎なんて、私にもわかるくらいに全身から「いつでも食べて」というオーラを発しているではないか。  私は宏樹に甘えて、頼って、そんな楽しい時間を奪っている。  だから宏樹のすることに文句を言うことはできないし、言う気もさらさらない。  触りたければ、触ればいい。それで私がなにか困るわけではない。  今のところはそれでいいと思う。  そもそも、今さら文句を言うのもおかしい気がする。ずっと前から、いつの間にか既成事実になっていたことなのだから。  とりあえずは、今のままでいい。  このままの生活が続けば、それでいい。  だけど、もしも宏樹がもっと直接的な行動に出てきた場合、自分がどんな反応をするのかは予想できなかった。 * * *  お風呂から上がっても、それで終わりというわけではない。  宏樹は大きなバスタオルで私を包んで部屋まで運び、濡れた身体を拭いてくれる。  タオルの上から全身を撫で回す。決して直に触れては来ないが、それでも胸を念入りに拭いていく。  これは、スポンジよりもずっと「宏樹の手に触れられている」という感覚が強い行為だった。  また乳首が固くなってくる。  それが宏樹にも気づかれてしまうのではないかと不安になってしまう。  多分、気づいているだろう。いくら小さな胸、小さな乳首とはいえ、タオル生地一枚だけを隔てて触れているのだから、触れはじめた時と今とで感触が違うことは一目瞭然だ。  しかし宏樹はなにも言わずにバスタオルを剥ぎ取ると、私の足下にしゃがみ込んだ。バスタオルで脚を包んで、下から上へと拭き上げてくる。  バスタオルが何度も、女の子の部分に触れてくる。宏樹の手が、タオルを押しつけてくる。  表向きは湯上がりの身体を拭くための行為だが、その一部分だけはむしろ湿り気が増していくようだった。  さりげない性的な悪戯。  少しだけ、性的な快感。  お互い、そのことには触れない。口に出してはなにも言わない。  それが暗黙の了解だった。  私はただ、声が出そうになるのを堪え、微かに身体を震わせながら、宏樹に掴まっているだけだ。  それからショーツをはかせてもらい、パジャマを着せてもらう。  濡れた髪をドライヤーで乾かしながら、ブラッシングしてもらう。  宏樹は乾き具合を確かめるように髪に触れ、指で梳いていく。その時、指がうなじや耳に触れる。  最後に、パジャマの襟の乱れを直すふりをして、さりげなく胸に触れていく。タオルよりも薄い生地を通しての接触に、私は小さく痙攣する。パジャマの上からでも、固くなった小さな二つの突起の存在ははっきりと見て取れた。  宏樹は自分の部屋へと戻っていく。  私はベッドにもぐり込んで灯りを消す。  そうして一日が終わる。  だけど私の身体は、まだ熱く火照ったままだった。 3  ベッドに入っても、身体の火照りは治まる気配を見せなかった。  無理に眠ろうと目を閉じても効果はない。むしろ、先刻のお風呂場の光景が瞼の裏に甦ってくる。  このままでは治まらない。とても眠ることなんてできはしない。  宏樹の手で執拗に刺激を加えられた身体は、眠ることを拒否している。  私は息を殺して耳を澄ました。  家の中はしんと静まりかえっている。なんの物音もしない。  宏樹も、もうベッドに入ったのだろうか。  たとえ起きていてテレビを見たり音楽を聴いたりしていたとしても、ヴォリュームを抑えていればここまでは聞こえてこない。  それはつまり、こちらの物音も向こうには届かないということだ。  私は右手を胸へ運んだ。 「……あっ!」  固く張った乳房を軽く押さえただけで、声が漏れた。  一瞬の痛みの後、じんわりと痺れるような快感が広がっていく。  つんと尖った乳首を、薄いパジャマの生地の上から手のひらで擦る。乳房全体を押さえた時よりも、鋭い刺激が走る。 「あ……はぁ……、ぁ……んっ」  右手を動かすたびに声が漏れる。宏樹と一緒の時には発することのできない声も、今なら少しくらいは平気だ。  私の声は、少しずつ大きくなっていった。  パジャマのボタンを外し、手を中に入れる。  うっすらと汗ばんだ肌に、直に触れる。  固くなった乳首を二本の指で挟む。軽く引っ張る。  刺激を与えられた小さな突起は、さらに硬度と感度を上げていく。  もう止まらなくなっていた。  脚を閉じて太腿を摺り合わせる。その奥は熱く火照って、潤いを増して、胸以上にさらなる刺激を求めていた。  ぎこちない動きで左手を下半身に運んでいく。お風呂の中でのマッサージのおかげで、身体はいくらか楽に動かせるようになっていた。  着替えの手間を減らすため、普段、パジャマの下は着けていない。左手を下着の中に滑らせる。  熱い。  そこは、むっとした熱気がこもっていた。  ぬめりを帯びた液体を滲ませている割れ目の中に、指をもぐり込ませる。 「あぁっ、んっ……くふっ、うぅん……」  身体に電流が走る。  全身に鳥肌が立つ。  深い泉の奥から熱い蜜が湧き出してくる。 「あっ……あっ、あっ、んんっ!」  戸惑いがちに指が奥へと進んでいく。  右手に比べて感覚が鈍くて思い通りに動かない指のせいでやや焦れったさも覚えるが、しかしそれ故に、まるで他人に触れられているような気がしていっそう興奮してしまう。  手を、前後に滑らせる。  中指が第二関節までもぐり込み、また引き抜かれる。  その度に、クリトリスが擦られる。  気持ちよかった。  とても、気持ちよかった。  溢れ出した蜜が手を濡らし、お尻の方へと流れていく。  胸を揉む右手に、力が込められる。  無意識のうちに腰がくねり、指をより深く迎え入れようとしてしまう。  声が一段と高くなっていく。  荒い、熱い息をしながら、夢中で手を動かし続けた。  こうした一人遊びを覚えたのは、何年くらい前のことだったろうか。  自由に動き回ることができず、ベッドの中にいる時間の長い私にとって、こうした行為が習慣となるのは必然だったかもしれない。いつの間にか始めた自慰行為は徐々に回数が増え、経験と年齢を重ねる毎に、より強い快感が得られるようになっていた。  その日によって時間も内容も違うが、最近ではなにもしない日の方が少ないのではないだろうか。今日のように寝る前に宏樹から性的な刺激を受けた夜は、欲求を満たさなければ身体が火照って眠ることもできない。  いけないことだ。  これは、いけないことだ。  自慰行為それ自体は構わないと思う。大っぴらにすることではなくとも、思春期であれば男女問わずに経験することだろう。  しかし、いま私がしているのはいけないことだ。  私のスイッチを入れたのは、弟の宏樹だった。  実の弟の手で呼び起こされた興奮を静めるために、自分を慰めている。  宏樹の手の感触を思い出しながら、自分の性感帯を刺激し続けているのだ。 「いィ……気持ちイイ……っ、はぁっ、あんっ!」  どうしても、声が漏れてしまう。  宏樹に触れられている時には声を出せなかった分、その枷がなくなると抑えが効かなくなってしまう。  本当は、いけないことだ。  私たちは、血のつながった実の姉弟。  姉の裸に欲情するのも。  弟に触れられて欲情するのも。  それは、あってはならないことなのだ。  なのに身体が火照ってしまう。  宏樹に触れられると、私の『女』の部分にスイッチが入ってしまう。  身体の疼きを、自分の指で慰めずにはいられない。 「はっ……あ、んんっ、くっ……ぅんっ」  私の女性器は、クリームのようにとろけていた。  泥濘の中に、指が沈んでいく。  身体の中で、指が動いている。  不器用な指が必死に動いて、身体の一番深い部分から快楽という名の蜜を汲み上げ、私を狂わせていく。  脳裏に、様々な光景が浮かんでくる。  バスタオルでくるんだ私の身体を撫で回している手。  お風呂の中で、マッサージしながら胸に触れてくる手。  胸を、そして女性器を、スポンジで執拗に愛撫する手。  階段で私を抱き上げ、さりげなくお尻や胸に触れる手。  髪を編みながら、耳やうなじに触れてくる手。  それはすべて宏樹の手だ。  これは、いけないことだ。  弟の手に触れられたことを思い出しながらの自慰なんて。  それで、今にも頂を極めそうなほどに感じてしまうなんて。  だけど手は止まらない。止めたくもない。  このまま絶頂を迎えなければ治まらない。  宏樹のことを考えながらの自慰は、ある意味仕方のないことだった。  これまで異性と付き合ったことはない。そもそも学校を休みがちで、自由に身体を動かすこともできず、しかもクラスメイトと年齢が違う私は、性別を問わず親しい友人が少ない。  異性に身体を触れられる経験なんて、宏樹の他はかかりつけの医師くらいのものだ。つまりは、性的な意志を持って私に触れてくるのは宏樹しかいない。  宏樹以外の異性のことを考えて自らを慰めようにも、思い浮かぶ相手もいない。お気に入りの俳優やアイドルではリアリティに欠ける。  そもそも、宏樹によって呼び起こされた性欲なのだ。それを静められるのも宏樹しかいない。  いっそ、宏樹がちゃんと最後までいかせてくれればいいのに。  一瞬浮かんだそんな考えを、慌てて振り払う。  それは、いけないことなのだ。  宏樹はいったいどういうつもりなのだろう。  どうして私に性的な悪戯をしてくるのだろう。  しかもその行為は、あくまでも偶然を装っている。  偶然を装って何気なく触れてくる。それだけで宏樹は満足なのだろうか。  もしも宏樹にその気があれば、私を最後まで犯すことも造作ないはずだ。私にはそれを止める術はない。  なのに、ただ触れる以上のことはしてこない。  男性経験のない私には、男の生理について本で読んだ以上の知識はないが、あの程度の接触だけで満足できるとは思えない。  高校生の男の子なんて、ちゃんと最後まで……射精に至らなければ、性欲は満たされないのではないだろうか。  私が宏樹に触れられて性的な興奮を覚えているのと同様に、宏樹だって全裸の私に触れて性欲を膨らませているはずだ。  それは間違いない。  あえて意識を向けないようにしているけれど、それでも目に入ってしまう。お風呂場で私に触れている時、宏樹の男性器は大きく勃起しているのだ。男性経験のない私にとっては怖いくらいに大きくなっている。  男の子というのは、あんな状態になっても最後まで達せずに済ませられるものなのだろうか。  そうは思えない。  それとも、いま私が自慰に耽っているように、今ごろ宏樹も自分でしているのだろうか。  あの無愛想な宏樹が、どんな顔をしてオナニーしているのだろう。その光景を想像すると、よりいっそう興奮してしまう。  本当に、宏樹はどんなつもりなのだろう。  いつも一緒にいる実の弟なのに、なにを考えているのかわからない。  私に、道ならぬ恋愛感情を抱いているのだろうか。だから性的な接触を望むのだろうか。  それは違う気がする。  はっきりとした根拠はないけれど、恋愛感情とは違う気がする。第一、好きな女の子が相手なら、もっと愛想よくしてくれるはずではないか。  だとすると、単に性欲を持て余しているだけのことなのだろうか。  それも疑問だ。  だったら垣崎に手を出せばいい。  あの子なら喜んでそれを受け入れるだろう。実の姉と性的関係を持つなんて、ややこしいことをするまでもない。なにより、垣崎は私よりも、顔もスタイルもずっと魅力的な女の子ではないか。  なのに、どうして私なのだろう。垣崎の態度からすると、二人の間にはまだ肉体関係はないように思う。どうして手を出さないのだろう。  それとも、実はもう関係を持っているのだろうか。  垣崎と最後までしているけれど、単に遊び半分で私にも悪戯しているだけなのだろうか。  私の目から見ても、二人はお似合いだ。  女子としてはやや長身の垣崎だけれど、宏樹はそれ以上に長身だから、釣り合いという点ではなんの問題もない。  意外と面倒見のいい宏樹と、甘え上手の垣崎。いいカップルではないか。  二人は、どんな風にセックスするのだろう。  私を入浴させる時のように、優しく愛撫するのだろうか。  それとも健康な垣崎が相手となると、荒々しい野獣のように犯すのだろうか。  四つん這いにした垣崎を、後ろから貫いている宏樹の姿を思い浮かべた。  垣崎の丸いお尻を掴んで、乱暴に腰を打ちつける宏樹。ひと突きごとに悲鳴を上げて悶える垣崎。  あるいは垣崎の方が積極的で、激しく燃え上がるタイプなのかもしれない。  仰向けになった宏樹の上にまたがって、自ら腰を振っている垣崎。髪を振り乱し、大きな胸が弾む。その胸を宏樹の手が鷲掴みにして、下から腰を突き上げる。  そんな想像をしていると、私自身もいっそう燃え上がってしまう。  掛け布団の下から、ぐちゅぐちゅという湿った音が聞こえてくる。  いつの間にか、右手も下着の中にもぐり込んでいた。  左手の中指で膣内をかき混ぜながら、右手はクリトリスを重点的に刺激する。 「ひっ、あぁっ! あんっ! んっ、あぁんっ!」  鋭い快感が身体を突き抜ける。  あまりの気持ちよさにおかしくなってしまいそうで、怖くなってくる。  両脚がぎゅっと手を挟み込んで、その動きを封じようとする。それでも中にある指は動きを止めようとしないばかりか、さらに激しく暴れ出してしまう。  全身が痙攣した。 「あぁんっ! あんっ! あぁぁっ……んぁぁっ、あっぁぁぁ――っ!」  頭の中が真っ白になる。  身体から力が抜けていく。  達する瞬間の声は、宏樹の部屋まで聞こえるのではないかと不安になるほどだった。 * * *  ことが終わると、急に虚しさが押し寄せてくるのが常だった。  身体はベッドの上で荒い呼吸を繰り返しているけれど、心はどんどん醒めていく。  まだ入ったままの指も、もう私を燃え上がらせはしない。むしろ、体内にある異物に嫌悪感さえ覚えてしまう。  いつも、こうなる。  宏樹を「オカズ」にしてしまった時は、いつもこう。  自慰は擬似的な性行為だ。  だから、虚しさ、後ろめたさを感じてしまう。  恋愛感情のない性行為に耽った自分が、ひどくいやらしい存在に思えてしまう。  宏樹のことは、好きだ。  だけどその感情は、家族に対するもの。親身に介護してくる人に対するもの。  決して、異性に対する恋愛感情ではない。なのに性的興奮を覚えてしまったことに罪悪感を抱いてしまうのだ。  溜息をつきながら指を引き抜いた。  愛液で濡れた中指が、ひどく汚らわしいものに思えた。  ティッシュを取って指を拭く。もう一枚取って、性器から流れ出た蜜を拭き取る。  下着も濡れてしまったようで、お尻が冷たい。  嫌な冷たさだった。  自分がしていたことを思い知らされてしまう。  かといって、絶頂を迎えた後の倦怠感の中、起き上がって下着を買えるのも億劫だった。それに宏樹が洗濯をする時、私の下着が一枚多いことに気づかれるのも嫌だ。  小さく溜息をつくと、寝返りをうって目を閉じる。  身体の火照りは治まったのだから、眠ってしまおう。  呼吸も落ち着いて、静寂が室内を満たしていく。  その時、ふと気がついた。  部屋の扉の外に、人の気配がする。  ……ような気がする。  気のせいだろうか。  物音はしない。ただ、息を殺して立っている気配を感じるだけだ。  宏樹だろうか。今夜も母は帰りが遅く、いま家にいるのは宏樹と私の二人だけだ。  自慰に耽っている時の声が、宏樹に聞こえていたのだろうか。  快楽の波に包まれていた時なら、足音がしても気づかなかったはずだ。  私は、枕元にあるインターホンに手を伸ばしかけた。  宏樹の部屋に直通のインターホン。  いま呼び出し音を鳴らしたら、宏樹はすぐに出るだろうか。  それとも、部屋の外にある気配が動くだろうか。  数秒間、手を宙に浮かせていて。  結局、その手を布団の中に戻した。  もう一度寝返りをうつと、両手で耳を塞いだ。  なにも、なかった。  部屋の外の気配なんて、気のせいだ。  自慰に耽る私の喘ぎ声を宏樹が盗み聞きしていたなんて、あるはずがない。  そう思い込んで、私は耳を塞いだまま眠ることにした。 4  期末試験も終わり、もうすぐ夏休みというある金曜の夜。  居間で新聞を読んでいた私は、観たかった映画が封切りされていることに気がついた。以前から楽しみにしていたのに、試験勉強のごたごたで失念していたのだ。  明日は休みだから、観に行こうか。  とはいえ、この身体でバスと地下鉄を乗り継いで街の中心部まで出るのも億劫ではある。身体が不自由だと、ついつい出不精になってしまう。服や本やCDなどの買物も、通販を利用することが多い。  ちらりと、テレビを観ている宏樹の顔を見た。  頼んで連れていってもらおうか。いや、それは迷惑だろう。  こんな時、つい宏樹に頼りそうになるのは私の悪い癖だ。本当は自分の力で出歩くべきなのだ。  通学は仕方がないとしても、個人的な理由の外出まで宏樹の手を煩わせるのは悪い。それに明日はデートかもしれない。先刻、垣崎から電話があったみたいだから。 「なにか?」  視線に気づいた宏樹がこちらを向いた。 「……ううん、なんでもない」  私は曖昧に首を振った。宏樹の視線が私の手元に向けられる。 「その映画、観たがってたな」 「ん、まあね」  ずいぶんと目ざといものだ。いくらか驚きつつうなずいた。 「明日、朝十時でいいか?」  宏樹はなんの前振りもなく、そう切り出してくる。 「映画観てから昼メシの方が、のんびりできるだろ」 「……連れていってくれるの?」 「どうせ、明日は買物に行こうと思ってたからな。ついでだよ」 「いいの? 他になにか用事があったんじゃないの?」 「いや、別に」 「……じゃ、お願い」  結局、甘えてしまうのだ。  宏樹が嘘をついているとわかっていても。  その少し後、垣崎に断りの電話をしているを聞いてしまった。だけど、聞かなかったふりをした。なにも言わない方がいいのだろうと思った。  たまに、思わなくもない。  無愛想を装っているくせに、宏樹は私に気を遣いすぎではないだろうか。  決して喜んでやっているようには見えない。  垣崎に対するような、愛想のいい表情なんて見せない。  なのにいつだって私のことを最優先してくれる。  もしかしたら、宏樹なりの贖罪のつもりなのだろうか。  父と私が事故に遭ったことには、宏樹が関わっていた。あの日私たちは、熱を出した宏樹のために近くのドラッグストアへ薬を買いに行くところだったのだ。  あるいは、私に性的な悪戯をしていることに対する後ろめたさがあるのかもしれない。  真相はわからない。  理由はどうでもいい。  誰が見ても魅力的な女の子である垣崎よりも、私のことを優先してくれる。そのことにささやかな優越感を覚えていた。 * * *  翌日はいい天気だった。  ありがたいことだ。普段から杖という余分な荷物を抱えている私にとって、それに傘が加わるのは憂鬱以外のなにものでもない。それに好天で暖かい日の方が身体の調子もいい。  簡単に朝食を済ませて宏樹に着替えを手伝ってもらう。いや正確にいえば、ほとんど宏樹に着替えさせてもらっている。  パジャマが脱がされブラジャーを着けてもらう。弟に下着を着けてもらう姉というのもどうかと思うけれど、器用な宏樹に任せた方が形が綺麗なので、私服で外出する時は頼ってしまうことが多い。  宏樹の手が、乳房とその周辺を撫で回す。周囲の肉を集めてカップに収め、綺麗に形を整える。お世辞にも豊かとはいえない私の胸が一回り大きくなっていた。 「どうだ?」  黙って鏡を見ていた私に宏樹が訊く。  弟の手で着けられたブラについてのコメントを求められると、さすがに恥ずかしい。平静を装うのには少なからぬ精神力を必要とする。 「……ん、いいよ。相変わらず上手だね」 「慣れてるからな」  年頃の女の子の胸を触っていたというのに、普段となにも変わりない素っ気ない口調。弟と性的な関係を持つことに抵抗はあっても、こんな態度を取られると女としてのプライドが傷ついてしまうのも事実だ。  だから、ちょっとからかってやろうか……なんて思ってしまう。 「ひょっとして、垣崎さんにもこーゆーことしてあげてるの?」  微かな表情の変化を私は見逃さなかった。私の口から垣崎の名前が出ると宏樹は不機嫌になる。ガールフレンドとのことをからかわれることを恥ずかしがっている、照れ隠しに見えないこともない。 「……あいつに、そんな必要があると思うか?」  少し間を置いて宏樹は言った。垣崎の名前を出す前に比べて明らかに声のトーンが低くなっていた。  それがたとえ怒りであっても、宏樹が感情を露わにしてくれると私は安心する。なにを考えているのかまるでわからない無表情で私に触れている時よりも、この方がずっと可愛いげがある。 「確かに必要ないか。あの子が思いっきり寄せてあげたら、凄いだろうねー」  もともと長身で巨乳の垣崎は、底上げに使える脂肪も私より多い。 「紗耶と比べたら、昭和新山と富士山くらいの差になるか」 「ひどぉい。そこまで言う?」  三七七六メートルの富士山に対し、昭和新山の標高は四○○メートル程度。いくらなんでもそこまでの差はない……と思いたい。 「せめて、羊蹄山くらい言ってくれない?」  別名、蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山の標高は、富士山の半分ほどだ。 「そりゃいくらなんでも、北海道を代表する名山に失礼だろ。天保山と言われないだけありがたいと思え」  女性の胸のサイズに対する比喩としてはおそらく日本一失礼な固有名詞を口にしながら、宏樹はせっかく着けたブラジャーのホックを外してしまった。 「なんか、気に入らないな。やり直し」 「え?」  意外な言葉だった。十分すぎるほどに綺麗に整っていたのに。  宏樹の手が、胸を裾野の方から持ち上げるようにして包み込んだ。周囲の肉を集めて膨らんだ乳房を、何度も揉みほぐしてから手を離す。  何度も何度も、その動作を繰り返す。  リズミカルに揺れる膨らみ。  頂には触れないものの、それは明らかに胸に対する愛撫だった。入浴時よりもずっと直接的な、性的な愛撫。それでもブラの形を整えるためという言い訳はある。  先刻の倍以上の時間をかけてブラジャーが着けられた。その仕上げは一度目同様に完璧だ。  それでも鏡に映る私の姿は、今の方がいくぶん綺麗に見えた。性的快感を覚えるほどに触れられたせいで身体が火照り、肌に赤みが差している。その分だけ、女性としての色気が増しているのかもしれない。 「どうだ?」  また宏樹が訊く。 「……完璧、文句なし」  もちろん、そう答えた。ここで「もう一度やり直し」なんて言われたら、今度はショーツを変えなければならなくなってしまう。今だって、むず痒いような疼きを覚えているのだ。  さすがに宏樹もそれ以上のことをしようとはせず、Tシャツを着せてくれた。ぴったりとしたTシャツは、いつもより大きめの胸の形がはっきりとわかってしまって少し恥ずかしい。  そしてジーンズ。普段はロングスカートが多い私だけれど、今日は動きやすい服装でなければならない。着替えが面倒なのでジーンズは好きではないのだが、太腿に大きな傷痕が残っているので、ミニスカートや短パンというわけにはいかないのだ。  太股を撫でるようにしながら、ジーンズを履かされる。その行為は、胸への愛撫で生じた疼きにいっそうの拍車をかけた。  しかも、それで終わりではない。  着替えが済むと、今度はお化粧。  それほどお洒落には気を遣う方ではないけれど、私だって今どきの女子高生。外出時には最低限のお化粧くらいはする。  これも宏樹の仕事だった。  椅子に座った私の顔に宏樹の手が触れる。軽く上を向かせて、慣れた手つきで彩ってゆく。  少し緊張してしまう。緊張の度合いという点では、お風呂で身体を現われている時よりも強い。特に、仕上げに口紅を塗られる時には、鼓動が宏樹の耳に届きそうなほどに大きくなった。  宏樹の顔が至近距離にある。真っ直ぐに私を見つめている。その真剣な表情は、小芥子に顔を描き入れる職人を思わせた。  細い筆が唇の上を滑っていく。一塗りごとに、唇が鮮やかさを増していく。それに比例するように、私の鼓動も速く激しくなっていく。  お風呂で全裸になって身体を洗われている時、性器を触れられる快感はあっても、ここまで緊張することはない。なのに口紅を塗ってもらうだけのことをこれだけ意識してしまうというのもおかしなものだ。  その理由はわからなくもない。  女性のお化粧は、本来、異性の気を惹くためのもの。  そして唇は、キスとか口淫といった性的な行為にも用いられる部位。  異性にお化粧してもらうこと。唇を触れられること。その行為にはどうしても「性」を意識させられてしまう。  優しく触れていく紅筆。それは唇への愛撫だった。  決して派手ではない、しかし丁寧なお化粧が終わった時、私の頭はすっかりピンク色に染まってしまっていた。  だから、家を出る前にお手洗いに入った。  このまま出かけるわけにはいかない。この後しばらくの間、宏樹と身体を密着させなければならないのだ。こんな火照った身体のままでは、嫌でも宏樹を「男性」として意識してしまう。  せっかく履かせてもらったジーンズを下着と一緒に下ろし、便器に腰掛けた。  最初は、濡れた局部を拭くだけのつもりだった。しかし一度そこに触れてしまうと、もう堪えきれなかった。  濡れて熱くなっている割れ目の中に、中指を埋める。びくっと身体が震える。声が漏れそうになるのを手で口を押さえて堪えながら、指を前後に滑らせた。  そこはもう、滴るほどに濡れている。  どうして、こんなに感じやすいのだろう。怪我をした手脚の感覚が鈍いのとは対照的に、胸や性器は自分でも嫌になるくらいに敏感だ。  私にも一応、人並みの慎みというものはある。不感症では困るだろうが、あまりに感じやすいのも、それはそれではしたないように思えて嬉しくない。  それとも、この年頃の女の子はこれが普通なのだろうか。ちょっと異性に触れられただけで、誰でもこんなになってしまうのだろうか。  これから外出だというのにトイレで自慰に耽っている自分が、汚らわしい存在に感じた。なのに指は止まらない。 「んっ……く……、ん……んふっ……ぅん」  額に汗を滲ませながら、必死に指を動かした。あまり時間をかけることはできない。早く終わらせなければ、待っている宏樹が訝しむだろう。  だけど焦れば焦るほど、目前に迫っているゴールまでの距離がなかなか縮まらなくなってしまう。気持ちいいのは間違いないのに、焦燥感のために快楽に意識を集中することができない。  私はがむしゃらに指を動かした。手を小刻みに震わせるようにして、指先でクリトリスを擦る。 「ふっ……ぅんっ、……んっ、んっ!」  唇を噛む歯の隙間から息が漏れる。普段の、自分のベッドでの自慰のような声を出すわけにはいかない。間違いなく宏樹に聞かれてしまう。 「うぅ……んっ、んんっ、んぅぅーっ」  指の動きが加速する。左手の中指を中に挿入する。  もう少し。  もう少しで、達することができそうだ。  もう少し…… 「んんっ、んん――っ! ん、うぅぅっ!」  ぶるぶるっと全身が震えた。  局部の小さな肉芽から発した快感が、電流のように身体を貫く。 「あぁ……はぁぁ……」  身体を小さく痙攣させながら、大きく息を吐きだした。頭の中にピンク色の靄がかかっている。  全身から力が抜けていく。緊張の極限から一気に脱力したせいか、少量の小水が漏れて手を汚した。  その生暖かい感触で我に返り、慌ててトイレットペーパーで手を拭う。  気怠さに包まれる。本当ならしばらく余韻に浸っていたいところだ。だけど、そんな時間はない。  ビデで洗浄してからトイレットペーパーで念入りに拭き、水を流して手をきれいに洗う。  できるだけ急いだつもりだったけれど、お手洗いを出ると、自分も外出の支度を終えた宏樹が待ちくたびれたような表情を見せていた。  宏樹の手を借りて靴を履く。  小さなバッグと、伸縮式で軽いアルミ製の杖を肩にかけてもらって玄関を出る。  家の前には宏樹のオートバイが出してあった。玄関の鍵を閉めた宏樹は、私にヘルメットをかぶせてからそれにまたがる。私はその後ろに乗る。 「いいか?」 「ん」  大きな背中に胸を押しつけ、宏樹の身体に腕を回す。  宏樹が私の手に触れる。  ふわふわした毛の感触と、金属製の鎖の冷たさ。  両手首が固定される。  また少し鼓動が速くなる。  私の手には、手錠というか、手枷が填められていた。短い鎖でつながれた腕輪だ。  麻痺の残る左腕は、たまに、意志に反してふっと力が抜けることがある。こうして繋いでいないと危険なのだ。これなら少しくらい力が抜けても落ちる心配はない。  以前、十六歳になった宏樹が免許を取った直後は、紐で縛っていた。しかしそれでは、頻繁に乗り降りする場合に面倒だ。そこで、宏樹がネットでこれを見つけてきた。  手枷といっても手首に填める部分は金属や皮ではなく、柔らかなピンクのフェイクファーで覆われていて痛くはない。いうまでもなく、やや特殊な性癖の人たちが使う小道具のひとつである。アダルトグッズをネット通販しているお店で買ったものだ。  そんなものを着けて公道を走ることが、恥ずかしくないといえば嘘になる。しかし杖に頼って歩き公共交通機関を利用する手間を考えると、オートバイでどこでも自由に移動できた方が楽に決まっている。  私は羞恥心を捨てた。それにオートバイで疾走している時に、私の手首にまで注目している人はそういないだろう。以前ツーリング中に検問で停められた時は、不審人物を見るような目の警官に事情を説明するのが少しばかり手間だったけれど。 「行くぞ。しっかり掴まってろよ」 「……ん」  手首を拘束されたまま、腕に力を込める。宏樹にぎゅっとしがみつく。  鼓動が速くなっていく。  顔が火照ってくる。  出かける直前にひとり遊びなんかしてしまったためだろう。考えないようにしてもやっぱり意識せずにはいられない。  そう。  いま宏樹と私を繋いでいるものは、性行為のための道具なのだ。 * * * 「……で、宏樹の買物って?」  JRタワーのシネマフロンティアで映画を観て、人気のオムライスの店で昼食を終えたところで私は訊いた。 「ん? ああ、水着」 「そっか、もうそんな季節か。あんた、この一年でずいぶん大きくなったもんね。去年のは入らないか」 「紗耶は全然成長しないよな。でも水着くらいは毎年新調しろよ。一応仮にも女なんだから」 「ん……まあ、そうね」  一応仮にも、とは失礼な台詞だ。しかしその指摘はかなりの部分真実ではある。この一年間での身長の伸びは一センチに満たないし、胸や腰も言うに及ばずだ。  それに私の場合、学校の授業以外で泳ぎに行くなんて年に何回もあるわけではない。去年買った水着はまだ新品同様で、サイズ的にも問題ない。  だけど確かに、年頃の女の子なら水着は毎年変えるものかもしれない。どうせ宏樹の買物に付き合うついでだ。私は一緒に、同じビルの中にあるスポーツ用品店へと向かった。 * * *  わざわざ手間暇かけて街中まで出てきたのに、宏樹の買物はあっという間だった。  男の子の水着なんてそんなものだろう。それに買物が口実であることも知っている。ついでのふりをして、私を映画に連れてきてくれたのだ。  水着は以前から考えていた買物ではなく、昨夜急に必要になったもののはずだ。宏樹は今日の垣崎とのデートをキャンセルする見返りに、今度一緒にプールへ行く約束をさせられたのだ。こっそり盗み聞きした電話で、そんなことを話していた。  自分の買物を終えた宏樹は、私を女性用水着のコーナーへ連れて行った。さすがに夏休み直前ということで、色も形も様々な水着が所狭しと並んでいる。 「これなんか、いいんじゃないか」  できるだけ目立たない地味なデザインの水着を探していた私に宏樹が指し示したのは、鮮やかな朱色を基調とした、やたらと露出度の高いビキニだった。 「なに考えてんのよ。そんなの似合うわけないじゃない」 「紗耶みたいに体型が地味なやつは、かえって派手な水着の方がいいらしいぞ」 「た……」  一瞬、絶句してしまった。  体型が地味とは。  いくら事実とはいえ、つくづく失礼な奴だ。姉弟だから遠慮する必要などないのかもしれないが、もう少し乙女心というものを考えてくれてもいいだろう。  本当に可愛いげがない。  第一、姉のことを呼び捨てにするというのもどうかと思う。昔はちゃんと「お姉ちゃん」と呼んでくれていたのに、いつからこうなったのだろう。  まあ、仕方ないといえば仕方がない。姉とはいえ、年上とはいえ、世話になっているのはこちらの方だ。  それにしても、この派手な水着はどうかと思う。どう考えても私に似合うとは思えない。悔しいが宏樹の言う通り、女性的魅力には乏しい地味な体型なのだ。これはむしろ、垣崎のような女の子向きではないかと思う。 「でもほら、私の場合、傷が……」  太腿と背中にある大きな傷痕。他にも数カ所、小さな傷痕が残っている。ビキニなんて着たら丸見えだ。 「どうせワンピースでも隠しきれない傷だろ。大正時代みたいな水着でも着るのか?」 「それは……そう、だけど」  やっぱり女心がわかっていない。  家族やお医者さんに裸を見られるのは平気でも、醜い傷痕の残る身体を海水浴場なんかで人目に曝したくはない。 「隠したって仕方ねーだろ。一生残る傷なんだし」 「そんな気楽なものじゃないわよ。宏樹にはわかんないだろうけど」 「ああ、わかんねぇ。それでも、人の少ない海岸まで連れてってやることくらいはできるぞ?」 「……」  これだ。  ぶっきらぼうで、無愛想で、失礼なことばかり言って、性的な悪戯をするくせに。  それでもやっぱり、本質的な部分では私に優しい。  だから宏樹には逆らえない。 「……わかった。じゃあ、試着してみる」  私は水着を受け取って試着室に入った。  さすがに、水着売場の試着室に宏樹と一緒に入るわけにはいかない。かなり手こずって、なんとか一人で水着に着替える。  鏡に映してみても、露出の多い派手な水着はやっぱり似合っているようには見えなかった。それにどうしても、水着よりも傷痕に目が行ってしまう。  それでも一応、カーテンから上半身だけを出して宏樹の意見を聞いてみる。 「…………どぉ?」 「まあ、いいんじゃない? つか、なに着たってこれ以上よくなるわけでもなし」 「悪かったわね!」  少しは気休めになる台詞を期待していたので、これはさすがに癇に障った。こんな水着さっさと脱いでしまおうと試着室に戻りかけた時、 「へぇ、珍しいもん見た」  聞き覚えのある声が耳に入った。毎日のように耳にしている声だ。  嫌なところで嫌な奴に会った、と思いながら顔を向ける。視線の先には、クラスメイトの竹上雄一がからかうような笑みを浮かべて立っていた。 「三島の水着姿なんか初めて見た。去年の夏、水泳の授業はずっと見学だったもんな」 「……そもそもあんた、水泳の授業なんかサボって出て来ないじゃない」  正確にいえば、竹上は体育に限らず他の授業もよくさぼる。それでも高校に入れたのは、入試で私がカンニングの手助けをしてやったからだ。 「だいたい、こんなとこで何やってんのよ」 「何って、買物に決まってるだろ。……それにしても」  手に持っていた、この店のロゴが入った袋を掲げてみせた竹上は、どこかいやらしい印象を受ける目つきで私の身体をじろじろと睨めまわした。 「これっぽちも期待はしていなかったが、これほどとは……」  わざとらしく大きな溜息をつくと、諦めたような素振りで肩をすくめて首を振る。私の水着姿について、心の中でかなり失礼な評価を下したことは間違いない。 「もっと彼氏に揉んでもらえよ。少しは成長するかもしれねーぞ」 「うるさい、馬鹿!」  馬鹿にしたような笑を残して去っていく竹上の背中に、きつい言葉を投げつける。 「なにが彼氏よ! 弟の宏樹よ、知ってるでしょ」  もちろん知っているはずだ。  身体の不自由な姉と、甲斐甲斐しく(?)その世話をする弟。私たち姉弟は学校内ではそれなりに有名人である。宏樹と直接の面識はないはずだが、中学時代から私とクラスメイトの竹上が知らないわけがない。知っていてからかっているのだ。  竹上の姿が見えなくなったところで、宏樹の方を見た。なにか言いたげな様子だ。 「なに?」 「誰?」  竹上が去っていった方を親指で指して訊く。 「クラスメイトの竹上……聞いたことない?」  宏樹が微かに眉をひそめる。おそらく、竹上の悪い噂は二年生の間にも広まっているのだろう。 「仲いいのか?」 「まさかっ、あいつは天敵よ」  複雑な表情をしている宏樹に向かって、わざと大げさに答えた。 5  夏休みに入ったばかりの、暑い日だった。  宏樹は垣崎に誘われてプールへ出かけたので、私は珍しく一人で家にいた。しんとした家の中でパソコンの前に座っている。  小説を書くことは、私の数少ない趣味のひとつだ。昔から、頭の中でいろいろな「お話」を考えることが好きだった。ろくに身体を動かすことができなかった頃、自由になるのは思考だけだったのだ。  将来は作家になるのが夢だ。某少女小説の新人賞で、最終選考まで残ったこともある。もう少し頑張れば夢を現実にできるかもしれない。  一応、私なりに自分の将来を考えている。文筆業なら自宅で座ってできる仕事。不自由な身体で満員の通勤電車に揺られることもない。  それにしても、今日は暑い日だ。  ただ黙って座っているだけでも汗ばんでくる。手や顔がべたべたして気持ち悪い。  部屋にエアコンはあるけれど、普段スイッチは入れていない。冷房は私の身体によくないのだ。  しかし、そろそろ限界だ。外は雲ひとつない快晴で、風はそよとも吹いていない。家中の窓という窓を全開にしても、なんの気休めにもなっていなかった。  やっぱりエアコンのスイッチを入れようか。  今は夏休みだし、多少体調を崩しても問題はない。それに体調のよくない時の方がある意味気楽である。具合が悪いという口実があれば、宏樹に頼りきりであっても後ろめたさを感じずに済む。  いやいや。  その考えがいけない。  そうやって甘えるくせは直すべきだ。  いつまでも宏樹にべったりというわけにはいかない。宏樹だって彼女とのデートを優先したいだろうし、私もこんな調子では彼氏も作れやしない。  もっとも、私の方は半ば諦めている。  いったい誰が、さほど魅力的でもない、手間ばかりかかる女の子を親身になって世話してくれるだろう。肉親の宏樹しかいない。宏樹が一番に決まっている。 「……」  私は部屋の窓を閉めると、エアコンのスイッチを入れた。  設定温度を最低にする。  冷たい風が吹き出してくる。正面から風が当たる位置に椅子を動かして座った。  徐々に室内が冷えてくる。  涼しくて気持ちいい、と思っていられたのは最初の一、二分だけだった。すぐに肌寒くなって、左手の感覚がなくなってくる。関節の奥の部分に、鈍い痛みに似た違和感が生じる。 「……なにやってるんだろ、私」  これ以上冷風に当たっていたら、歩くのにも支障が出てしまう。また、宏樹に念入りにマッサージをしてもらわなければならなくなる。  小さく溜息をつきながらエアコンのスイッチを切った。  馬鹿みたいだ。  なにを考えていたのだろう。  体調を崩せば宏樹が家にいてくれる、なんて。  私は立ち上がると、足を引きずってバスルームへと向かった。汗でべたついて気持ち悪いから、妙なことを考えてしまうのだ。シャワーでも浴びてさっぱりしよう。  脱いだ服と下着を洗濯機に放り込み、バスルームに入る。給湯器の設定温度を普段よりもかなりぬるめに変更する。  夕立のような水音。  全身を叩く湯滴の刺激が心地よい。べたべたとまとわりついていた汗が流れ落ちていく。  全身にたっぷりとお湯を浴びてから、シャワーを止めてボディソープを手に取った。汗を洗い流すだけが目的だから、スポンジは使わない。手のひらで、ボディソープを腕や首筋に塗り広げていく。  ぬるぬるとした手で肌に触れるのは、妙な気持ちよさがあった。つい、エッチな妄想をしてしまう。これはある意味、条件反射みたいなものかもしれない。バスルームに来ると、いつもここで宏樹にされていることを考えずにはいられない。  身体の奥の方が不自然に暖かくなってくる。触れているのは胸なのに、下腹部がむずむずしてくる。  例えばこれが宏樹の手だったら……。  そんなことを考えながら、手の平で胸を包み込んだ。  そういえば、一人でシャワーを浴びるのも久しぶりだ。入浴はほとんど毎日、宏樹の手を借りている。一人で入浴するのは母が早い時刻から家にいる日だけで、せいぜい月に二、三日しかない。  そう。  母がいる時は、宏樹と一緒に入浴なんてしない。もちろん、身体を拭いたり下着を着けるのを手伝ってもらったりもしない。  宏樹が手伝うのは階段の上り下りとか、重い荷物を運んだりとか、外出時に上着を着せてくれたりする程度、普通に姉弟でしていていてもおかしくないことだけだ。  母には隠している。  私たちがしていることは、母に知られてはならないこと。  大っぴらにはできないこと。  少なくとも、実の姉弟でしていてはいけないこと。  なのに。  私はその行為を黙認している。  行為に興奮してしまっている。  泡だらけの指で触れている乳首が、固く突き出してきた。  乳房が張ってくる。  胸の上で円を描くように手を滑らせる。  手のひらで転がされる小さな突起から、ぴりぴりとした快感が生まれてくる。  唇の隙間から熱い吐息が漏れる。  こんな真っ昼間から……という自制心よりも、快楽を求める欲求の方が勝っていた。今は家に一人きりなのだ。バスルームで自慰に耽っていてもなんの問題もない。むしろ宏樹や母が家にいる夜よりも、秘め事には適した時間かもしれない。 「……んっ、は……ぁ」  ぎこちない動きで、左手が下腹部へと滑っていく。  淡い茂みを指で梳き、その奥にある女の子の部分に触れる。  柔らかな粘膜が、もう熱く潤いはじめている。  指先で軽く触れただけで身体が震え、脚に力が入らなくなる。  立っているのが辛くなって、マットの上に座り込んだ。  左手の指先が、小さな割れ目の中にもぐり込んでいく。  もう止まらない。  そこは熱くなっていて、蜜を滲ませて、より強い刺激を与えられることを望んでいた。 「ぅんっ、んんっ! あ、ぁ……あんっ」  狭い割れ目の中を、指が前後に往復する。一往復ごとに、漏れる声のボリュームが上がっていく。  触れはじめてまだいくらも時間は経っていないのに、すごい昂りようだ。ベッドでの自慰よりもずっと興奮してしまっている。  やっぱり、この場所のせいだろうか。  家のバスルーム。  毎日のように、宏樹に全身を愛撫される場所。  私はいつしか、自分に触れているのが宏樹の指だと想像していた。  普段は決して、こんな風に直に触れては来ない。スポンジやタオル越しの接触でしかない。  もしもいちばん敏感な部分に直接触れられたら、どんな風に感じるのだろう。 「あっ、ぁっ……だめ、宏樹……そんな……ぁっ」  宏樹が背後から私を抱きしめ、胸と下腹部を愛撫している。そんな光景を脳裏に思い浮かべる。  両脚の間にもぐり込んだ宏樹の手が、私の秘所を弄び、胎内に侵入してこようとする。 「だめ……ぇ、あっ、あぁっ、そんな……だめよ宏樹、やめ……ひろっあぁっ!」 『どうして? 姉さんだって感じてるじゃない』  妄想の中の宏樹が耳元で囁く。  私の中で指が蠢いている。 「だって……姉弟でこんな、あぁっ……あ、あぅんっ! やめ、て……」 『本当に止めていいの? 本当は、もっとして欲しいんじゃないの? こんなに濡れて……』 「あっ……」  いきなり、指が引き抜かれた。その指が鼻先に突きつけられる。  微かに白濁した、愛液にまみれた指。 『正直に言いなよ。触られると気持ちいいんだろ? もっとして欲しいんだろ?』 「そん、な……」  認めたくはない。認めたくはないが、事実だった。  指が引き抜かれた後の秘所は、えもいわれぬ空虚さを覚えていた。指が再び膣腔を満たし、あのめくるめく快感を与えてくれることを望んでいた。 「……そうよ」  私は、現実では決して口にしない台詞を口にした。妄想の中でなら言うことができた。 「すごく……気持ちいいの。宏樹にエッチなことされるの、すごく気持ちいいの。だから……ねぇ、お願い」 『どうして欲しい?』 「もっと触って。私の……あそこに……指、入れて」 『こう?』 「んっ……、あぁっ!」  また、指が入ってくる。絡みつく粘膜をゆっくりとかき分けていく。私は上体を仰け反らせて嬌声を上げた。 「い……いぃっ、気持ち……イイの。そこ……あぁっ、あんっ、そう、そこ……あぁんっ!」  膣内に、すごく感じる一点があった。無意識のうちに腰が動いて、指先がそこに当たるように誘導する。やがて宏樹も勝手がつかめたのか、重点的にその部分を刺激しはじめる。 「あぁっ! あんっ! あんっ! いいっ、イイぃっ! 宏樹ぃそこぉっ、か、感じちゃうっ!」  甲高い声が、バスルームの壁に反響する。  現実には、宏樹の前では絶対に出せない声。寝室での自慰でもこんなに大きな声は出せないし、万が一聞かれてしまう可能性を考えれば宏樹の名を呼ぶこともありえない。  だけど今はなんの制約もない。  どんなに大きな声を出しても、どんなにはしたないことを口にしても、誰にも聞かれる心配はない。  エッチの時は、うんと声出した方がより興奮する――以前、経験豊富なクラスメイトの一人がそんなことを言っていた。  確かにその通りだと思った。  タイルに反響する自分の声を聞きながら、私はいつも以上に昂っていた。 「ひろきぃっ、気持ちいぃ……宏樹の指、気持ちイイのっ。もっと、もっとぉ!」  普段は言えないこと。  言っちゃいけないこと。  だからこそ、より興奮する。  羞恥心と背徳感は、快感を高めるスパイスだった。  身体の中で指が暴れている。これまで経験したことがないくらい、深く挿入されている。  まだ男性を受け入れたことのないそこは、細い自分の指一本でもわずかに痛みを感じる。しかし今は、その痛みすら気持ちいい。 「あぁーっ! いいっ、宏樹……イイっ! イ……いくっ、イ、くぅぅ――っ!」  視界がフラッシュする。  頭の中が真っ白になる。  全身に電流が流されたみたいに痙攣する。  身体の中で爆発でも起きたような、激しい衝撃だった。 * * *  どのくらいの時間、呆けていたのだろう。  マットの上に座って壁にもたれた姿勢のまま、かなり長い時間余韻に浸っていたように思う。  突然バスルームの扉がノックされて、びくっと我に返った。 「紗耶、シャワー浴びてるのか?」  宏樹の声だった。 「う、うんっ、あ……暑かったから」  心臓が破裂するほどにびっくりした。いったいいつの間に帰ってきたのだろう。  扉が開けられ、ジーンズにTシャツ姿の宏樹が入ってくる。まだ泡だらけのまま座っていた私を見ると、シャワーを手にとってお湯をかけてくれた。 「い、いつ帰ってきたの?」 「ん、つい先刻」  外はまだ明るい。夕方というにもやや早い時刻で、高校生のカップルがデートをお開きにするには早すぎる。垣崎の性格を考えれば、好きな男の子とは一分一秒でも長く一緒にいたがるだろうに。 「ずいぶん早かったのね」 「由香里が、疲れたって言うからさ」  それは嘘だろう、と思った。  あるいは、あの子がプールで「疲れた」というのであれば、その後「どこか(二人きりになれるところ)で休んでいこう」という展開を期待していたのだろう。  宏樹はそれを無視して、さっさと帰ってきたというわけだ。  まさか、とは思うけれど。  私のため、だろうか。宏樹がこんなに早く帰ってきたのは。  今日の暑さであれば、エアコンをつけられない私がへばっているのは宏樹もわかっているはず。それで心配して、早く帰ってきてくれたのだろうか。  だからといって、彼女とのデートを切り上げてくるというのはどうだろう。いくらなんでも過保護すぎる。  それとも、実は宏樹は垣崎のことが好きではないのだろうか。好きでもない女の子につきまとわれて、意に添わぬデートをさっさと切り上げるために、私をダシにしているのだろうか。  そうとは思えない。  宏樹は垣崎には愛想がいいし、一緒にいる時はそれなりに楽しそうにしている。傍目にはお似合いのカップルにしか見えない。  本当に、宏樹がなにを考えているのかさっぱりわからない。  しかし今は垣崎のことよりも重要な問題があった。  宏樹が帰ってきたのは何分ぐらい前のことなのだろう。  ひょっとして、聞かれていたのだろうか。  夢中になっていたのでよく覚えていないけれど、相当に大きな声を出していたような気がする。行為が終わる前に帰ってきたのなら、居間にいても聞こえていたに違いない。  扉をノックしたタイミングがあまりにもよすぎる。行為の真っ最中に帰ってきて、終わるのを待っていたのではないだろうか。  宏樹の顔を見ても、相変わらずの無表情で考えていることは読み取れない。もちろん、聞こえていたのだとしても何も言わないだろう。  頬が朱くなるのを感じていた。  いくらなんでも恥ずかしすぎる。  真っ昼間からお風呂場で自慰に耽っていて、大声で喘いでいたのを聞かれるなんて。  いや、それどころではない。  曖昧な記憶ではあるが、達する瞬間、宏樹の名前を叫んでいたのではなかっただろうか。宏樹に愛撫されていることを想像しながらの行為だったのだ。  もしも、それを聞かれていたのだとしたら。  それはいろいろと問題がある。普段、宏樹に触れられて感じていることを認めることになってしまう。  恥ずかしいけれど、もう一度宏樹の顔を見た。  特に、なんの表情も浮かんでいない。 「なにか?」  目が合うと、不思議そうに訊いてくる。 「ううん、なにも」  私は慌てて視線を逸らす。 「ところで紗耶、明日ヒマか?」 「え? ……うん、特に予定はないけど」 「明日も天気いいらしいし、海にでも行くか?」 「え?」  いきなりどうしたのだろう。  先日、新しい水着を買わせたのだから、海に連れていってくれるつもりはあったのだろうが、今日はプールで明日は海とはずいぶんと元気なことだ。  それとも明日の体力を残すために、今日は早く帰ってきたのだろうか。天気予報では明日も好天で暑くなるが、明後日くらいから天気は下り坂になるらしいから。 「行ける時に行った方がいいだろ。延ばし延ばしにしてると、また海に行かないうちに夏が終わるぞ」 「……う、ん。そうだね。でも、迷惑じゃない?」 「別に」  素っ気ない返事。  だけどやっぱり、これが宏樹の優しさなのだろう。  宏樹が強引に連れ出してくれなければ、私は家に籠もりっきりになってしまうのだ。 「じゃ、決まりな」  宏樹はシャワーを止めると、私を抱えてバスルームを出た。 6  海へ行くとなると、女の子の場合にはいろいろと準備が必要になる。  例えば体毛の処理もそのひとつ。  たかだか腋を剃ってもらうだけのことが、こんなにも恥ずかしいのはどうしてだろう。  お風呂場で宏樹に全裸を見られたり、身体を洗われたりすることよりもよほど恥ずかしい。我ながら不思議な話である。  シャワーから上がった後、自分の部屋のベッドに全裸のまま座らされた。隣に座った宏樹が腕を持ち上げ、腋の下で剃刀を滑らせていく。  その間、私の血液は沸騰しっぱなしだった。多分、宏樹にお化粧してもらう時と似た心理なのだろう。着替えや入浴といった日常生活に必要不可欠なことではなく、プラスαの部分を男の子に手伝ってもらっている。しかも、否応にも自分の『女』を意識してしまう行為を。  私は顔を真っ赤にして、黙ってうつむいていた。シャワーを浴びてさっぱりしたはずの身体がまた火照ってくる。  発育のよくない身体は、髪の毛以外の体毛もかなり薄く、さほど時間をかけずに処理し終わることだけが救いだった。  ただしそれは、事が腋だけで終われば――の話。 「ついでに、下も処理した方がいいな」 「え、えぇぇっ?」  まったく不意打ちの台詞に、さすがに大声を上げてしまった。  下――下の毛、つまり陰毛。  私と宏樹の関係が、既に普通の姉弟の範疇を超えているのは事実だが、弟にヘアの処理をしてもらうだなんていくらなんでも異常すぎる。 「この前買った水着着るんなら、処理した方がいいだろ?」  確かにその意見は正しい。先日、宏樹の勧めで買った水着は、ややハイレグ気味のかなり露出度が高いビキニである。ヘアは薄い私だけれど面積はそこそこ広めなので、お手入れした方がいいのは間違いない。  しかし、いくらなんでもこれは恥ずかしすぎる。いや、恥ずかしいなんて生やさしいものではない。あまりにも異常すぎる。  剃毛プレイなどという言葉があるのは知っているが、まっとうな恋人同士の間でも、それはあまり普通の行為ではないはずだ。  腋の処理は、これまでも宏樹に手伝ってもらっていた。障害のある左手で剃刀を使うのは危険なのだから仕方がない。だけど、アンダーヘアの処理をしてもらうなんて初めてだ。その気になれば、腋と違って右手一本でもなんとかなる部分。宏樹の手を煩わす必要はない。  これで宏樹がエッチな笑みでも浮かべてくれていれば、むしろこっちもふざけた調子で断ることができる。すべてを冗談で済ませることができる。だけど宏樹はいつも通り、愛想のない真面目な表情だ。まるで、純粋に善意で言ってくれてるみたいではないか。  もちろんそんなはずはない。普段の行いを考えれば、性的な接触を望んでのことに決まっている。もしかしたら、露出の多い水着を勧めたのもこの展開を期待してのことだったのではないかと勘ぐってしまう。 「い……いいよ、それは自分で……」 「いいから」 「……っ!」  有無をいわさず強引に脚を掴まれた。宏樹は私の背後に大きなクッションを置いて寄りかからせると、脚を持ち上げてベッドの上で大きくMの字の形に開かせた。  まるで、男性向け雑誌のエッチなグラビアのようなポーズである。その前に宏樹が屈み込む。  恥ずかしいどころの騒ぎではなかった。  全裸を見られることは日常茶飯事。胸や性器に触れられることも日常の一部。だけど脚を開いて女性器をまともに曝すとなると話が違う。  これはいくらなんでも精神的な負担が大きすぎた。入浴時のように平静を装うことができない。意識せずとも脚を閉じようとしてしまうが、宏樹に押さえつけられていてどうにもならない。  私は耳まで真っ赤にして、ぎゅっと目を閉じた。  しかしこれは失敗だったかもしれない。見えない分、次の瞬間なにをされるのかわからなくて、よりいっそう緊張してしまう。かといって目を開くと宏樹に股間を凝視されている光景が目に入ってしまい、それはそれで心理的抵抗が大きい。 「――っ!」  シェービングクリームの、冷たく柔らかな感触。  限りなくきわどい部分に指が触れ、剃刀が当てられる。  ゆっくりと、肌の上を滑っていく。  腋を処理した後に交換した新品の刃が、音もなく薄い毛を剃り落としていく。  目を閉じていても、はっきりと感じることができた。  宏樹の視線。  見られている。  女の子のいちばん恥ずかしい部分を、見られている。  痛いくらいに質感のある視線が、敏感な粘膜に突き刺さっている。  指も触れている。  軽く引っ張って皮膚を伸ばし、剃刀を滑らせていく。  すごく、すごく、きわどい部分。敏感な粘膜から、ほんの数ミリしか離れていない部分。  宏樹の体温を感じる。  宏樹の呼吸を感じる。  いつもよりほんの少しだけ呼吸が荒いように感じるのは気のせいだろうか。  いったい、宏樹はどんな表情でその行為を続けているのだろう。どんな表情で、私の性器を見つめているのだろう。気にはなったが目を開く勇気はなかった。  普通の姉弟なら絶対に触れない部分。絶対に曝さない部分。恋人以外の男性に見せたり触れられたりしてはいけない部分。  そこを、宏樹に凝視されている。触れられている。あまつさえ体毛の処理をされている。  これだけ異常な状況下で、性器周辺に刺激を加えられて、身体が無反応でいられるわけはなかった。  自分で見なくても、触れなくても、はっきりと感じることができる。  私は性的な興奮を覚えていた。  乳首やクリトリスといった敏感な突起が、ぴりぴりと痺れている。お腹の奥の方が疼いてくる。  そして宏樹の目に曝されている小さな割れ目は、熱い蜜を滲ませている。  こればっかりは意志の力ではどうにもならない。女としての生理的な反応だ。  たとえ相手が血を分けた弟だったとしても、間近で見つめられて、触れられて、なにも感じないわけがない。  今日は嫌というほど恥ずかしい思いをしてきたけれど、これは極めつけだった。  いやらしい蜜を滲ませ、潤んでくるる秘所。そこを見られている。間近で見ている宏樹がその変化に気づかないわけがない。  時々、指がかすめるように触れる。濡れた粘膜は普段の何倍も敏感になって、反射的に脚を閉じようとしてしまう。その度に宏樹の手に押さえつけられる。 「動くなよ、怪我するぞ」  抑揚のない声。  だったらエッチなところに触らないで――ただそれだけの台詞が言えなかった。本当は言うべきだったのだ。軽いノリで、冗談めかして「宏樹のエッチ、どこ触ってるのよ」って。  それだけで、私たちの関係はまるで変わっていたはずなのに。  だけど言えなかった。  この期に及んでも認めることはできなかった。血のつながった姉弟の間に『性』なんてものは介在してはいけない。  これは単に、水着を着るために体毛処理を手伝ってもらっているだけなのだ。たとえそれが、性的にどれほど気持ちのいいものであったとしても。  全身の体温が上がっていく。  私はただ唇を噛んで、どんどん高まっていく快感に耐えていた。  処理が終わるまでの数分間は、まるで拷問だった。 * * *  ようやく剃刀が離れていったところで、私は大きく息を吐きだした。  溢れ出た愛液はお尻の方まで滴り落ちている。  もう、絶頂を迎える寸前だった。それでもなんとか切り抜けたのだ――と。  そう、思った。  だけど、まだ終わってはいなかった。  宏樹は何枚かのティッシュペーパーを取って、私の下腹部に手を伸ばしてきた。肌に残ったシェービングクリームや毛の切れ端を拭い取っていく。  それは、直に触れられるのと大差ない刺激だった。薄いティッシュペーパーだけを隔てて、宏樹の指が女の子の部分に触れている。割れ目の中に指先がもぐり込んでくる。 「……っ、ぅ……」  その刺激を無視することは不可能だった。夜、ベッドの中でオナニーする時よりも、先刻、お風呂場でオナニーした時よりも、はるかに強い快感が襲ってきた。  宏樹はただ、剃ったあとを拭いてくれているだけ。いくらそう言い聞かせてもなんの慰めにもならない。そんな欺瞞に意味はない。  この全身を貫くような快感は、紛れもない現実なのだ。  血が滲むほどに唇を噛みしめる。  宏樹のTシャツを、指がくい込むほどに強く握りしめる。  もう限界だった。きわどい部分に触れられ、ヘアを剃られていた数分間は、十分すぎるほどの前戯だった。  乱暴に押しつけられる指。溢れ出た蜜を吸収して濡れたティッシュがその圧力に屈して破れてしまう。  指が直に触れる。  私の女の部分。いちばん敏感な部分。熱く濡れた粘膜に。 「あっ、ああぁ――――っ!」  瞬間、私は宏樹にしがみついて絶叫していた。全身が痙攣する。  たった一枚のティッシュペーパーの有無で、これほど感じ方が変わるなんて思いもしなかった。突然襲ってきた鋭い快感に、あえなく絶頂を迎えてしまった。  宏樹の手が止まる。ぬかるんだ秘所に触れたまま。  私も動きを止める。宏樹にしがみついて、胸のあたりに顔を埋めたまま。  顔を上げて、宏樹の顔を見ることはできなかった。ただ宏樹のTシャツを握りしめて小さく震えていた。  ついに。  ついに、してはいけないことをしてしまった。  宏樹に触れられて、最後まで達してしまった。  宏樹の前で、宏樹によって与えられる性的な快感を声に出して認めてしまった。  なにかが壊れてしまった気がした。二人の間にあったなにか、二人の関係を護り続けてきたなにかが。  どうすればいいのだろう。  私はこの後、どうすればいいのだろう。  宏樹はどうするのだろう。どんなリアクションを見せるのだろう。  しかしその結果は、予想とはかなり異なっていた。  しばらく動きを止めていた宏樹は、やがて新しいティッシュを取ると、なにも言わずに流れ出した蜜を拭き取った。最後にウェットティッシュで綺麗に仕上げをする。  ただ、それだけだった。  普段通りの愛想のない顔で剃刀やシェービングクリームなんかを片付ける。私にショーツを穿かせ、Tシャツを着せる。  私が見せてしまった普段とは違う反応についてはなにも触れず「晩メシできたら呼ぶから」とだけ言って部屋を出ていった。  拍子抜だった。  私にとっては二人の関係が根本的に変わってしまうような衝撃だったのに、宏樹にとってはなんでもないことなのだろうか。姉の陰毛を処理し、性器を間近で見て、あまつさえ自分の指で絶頂を迎えさせたというのに。  しばらくベッドの上で呆けていた。横になって夕食の時間まで休もうかとも思ったけれど、神経が昂っていてとても眠れそうにはなかった。昼寝どころか今夜眠れるかどうかも怪しいほどだ。  まだ、身体の奥に残り火がある。  一人になると、今日の出来事が次々と脳裏に甦ってきた。  バスルームで宏樹の名を呼びながらオナニーしてしまったこと。  おそらくはそれを宏樹に聞かれてしまったこと。  宏樹の眼前に女性器を曝して、陰毛を剃られてしまったこと。  初めて直に触れられて、達してしまったこと。  思い出すほどに、顔が、身体が火照ってくる。  ショーツの中に手を滑り込ませてみた。  今までとは違うつるりとした感触。その奥はまた潤いを増しつつある。  恥ずかしかったけれど、ショーツを下ろして姿見に映る位置で脚を開いてみた。  そこにあった薄い茂みは完全に姿を消していて、子供のようにつるんとした下腹部に淡いピンク色がかった割れ目が口を開いて、愛液に濡れて光っていた。  いくら発育がよくないとはいえ、まったくの子供の身体ではない。なのに無毛で女性器がさらけ出されている光景は、妙に艶めかしくいやらしく感じた。  こんな姿を見られていたのかと思うと、顔から火が出そうになる。と同時に、少し傷ついてもいた。  高校生の男の子が、密室で二人きりでこんな光景を見せられて、あれほど冷静でいられるものだろうか。衝動的に襲いかかったりしたくはならないのだろうか。  肉親をまったく性の対象として見られないならともかく、宏樹は毎日のように私に性的な接触をしているのだ。それなのに、自分自身の性欲を満たすことなくこの場を立ち去った。  もちろん、宏樹に襲われたかったわけではない。しかしこれでは、いかに女としての魅力が乏しいかを宣告されたようでやっぱり傷ついてしまう。  本当に宏樹は平気なのだろうか。  いくら魅力には欠けるとはいえ、同世代の女の子を全裸にしてヘアの処理までして、性器に触れてエッチな声を上げさせて。  なのに自分は射精に至ることなく、我慢できるものなのだろうか。  信じられない。  男の子の生理なんて本やインターネットで得た知識しかないけれど、とても信じられない。  男の性欲は女よりもずっと強いはずではないか。  女の私が我慢できずにいるというのに。  鏡に映った自分のいやらしい姿を見ているうちに、また昂ってきていた。無防備な割れ目にそっと触れてみる。身体に電流が流れる。一度触れてしまったら、もう本当に我慢ができなくなった。  中指を割れ目の中に沈めていく。熱い吐息が漏れる。  シャワーを浴びながら一度、宏樹の指で一度、今日はもう二度も頂を極めているというのに、身体はまだ快感を求めていた。  女の私がこんな状態だというのに、宏樹は平気なのだろうか。それとも今ごろ自分の部屋で、自慰に耽っているのだろうか。私の痴態を思い浮かべながら。 「あ、はぁ……ン、ぅン……だめぇ……あ、ん」  こんなこといけない。そう思いつつも膣内で動く指を止めることができない。  性欲が、女の本能が、理性を完全に凌駕している。  結局、宏樹が夕食の支度を終えて呼びに来るまで、私の自慰は続いたのだった。 7  海はけっこう好きだった。  こんな身体でも一応は泳ぐことができる。水泳や水中ウォーキングはリハビリの一環として散々やらされた。水中では浮力が働いて脚に体重がかからなくなる分、むしろ陸の上にいるよりも楽なのだ。  水泳は、私にもできる数少ない運動だった。やっぱり、たまには身体を動かすことも気持ちいい。  海は綺麗だし、天気もいいし、人は少ないし。  札幌近郊の海水浴場ではこうはいかないだろう。宏樹のオートバイで三時間近くかけてやってきた島牧の海岸は、正式な海水浴場ではないところで、夏休み中とはいえ平日なのであまり人はいない。一番近くても百メートル以上向こうにいる大学生くらいのカップルだ。  人目がなければ大きな傷痕も気にしなくてすむ。気兼ねなくビキニで肌をさらすこともできる。お洒落で露出の多い水着は多少恥ずかしいけれど、年頃の女の子としてはやっぱり嬉しくもある。  私は波打ち際近くの浅いところで、密生した昆布にまとわりつかれながらたゆたっていた。  家を出た時刻が遅いので、もう夕方近い。その方が陽射しは和らぐし波は穏やかになるし、水温はむしろ正午頃よりも高くなる。どうせ長い時間泳ぐ体力はないのだから、一番いい時間帯を楽しんだ方がいい。  とろとろとした波に揺られながら宏樹の姿を探した。少し沖の方で潜水を繰り返している。アワビかウニでも獲っているのだろうか。  宏樹の様子はなにも変わっていない。昨日あんなことがあったというのに、今朝はやっぱり普段通りの宏樹だった。  私の方はというと、今日になっても平静ではいられなかった。着替えやお化粧のために触れられている時、どうしても鼓動が速くなってしまう。オートバイに乗って宏樹に密着している時、押しつけた胸が固く張ってしまう。  途中のコンビニで休憩した時には、暑さが原因ではない汗をかいていて、パンツの中が湿っていた。  海に着いて、日焼け止めを塗ってもらった時はもっと大変だった。  ビキニのブラを外されて胸を直に触れられた時、先端の小さな突起はいつもより硬く突き出ていた。本当は断りたかったのだが、宏樹の方から「日焼け止め塗ってやろうか?」などと言ってきたということは、つまり私に触れたかったということなのだろう、無下に断ることもできなかった。  久しぶりに身体を動かした上にそうした精神的負担もあって、さすがに疲れてしまった。温かな海水に浸かって波に揺られていると、眠くなってしまう。  実際、少しうとうとしていたのかもしれない。気がつくと宏樹が傍に来ていた。 「疲れたのか?」 「……ちょっとね」 「身体の調子は?」 「いいよ」 「長く水に浸かって、冷えてないか?」  水の中で、宏樹の手が触れてくる。腕に。脚に。  いつもお風呂でしているようにマッサージしてくれる。 「ん、平気。水も温かいし」  そう応えても、宏樹は私に寄り添っていた。背後から抱かれるような体勢になる。少しだけ体重を後ろにかけた。 「……新しい水着、どうかな?」  なんとなく、そんなことを訊いてみた。それに対する宏樹の答えに少し興味があった。 「ん? まあまあ、いいんじゃない」  半ば予想できていたことだけれど、返ってきたのは相変わらず素っ気ない言葉だった。自分で勧めた水着なのだから、もう少し違った反応があってもいいだろうに。 「そりゃあね、私は垣崎さんみたいにスタイルよくないし」  少し傷ついて、拗ねたように言った。宏樹は昨日、スタイル抜群の垣崎とプールへ行っているのだ。あの子のことだから、きっと宏樹を誘惑するために露出の多いセクシーな水着だったに違いない。それを見ていたのなら、私の水着姿なんて面白くもなんともないだろう。 「あの子、水着になったらすごいでしょ?」 「……つか、同世代の女子で、紗耶より色気ない奴を捜す方が難しいだろ」  これには、さすがにむっとした。発育がいい方ではないとはいえ、いくらなんでもそこまでひどくはないと思いたい。  言い返してやろうと思ったが、筋肉のほとんどない不自然に細い脚を見たらなにも言えなくなった。これでは確かに色気のかけらも感じられない。  それでも口の中でぶつぶつ言っていると、宏樹の手が胸に触れてきた。 「……!」  いつものような、偶然を装っての軽く接触ではなかった。大きな手のひらで水着の上から私の胸を包み込んでいる。 「紗耶の胸は、全然成長しないな」  抑揚のない口調で言いながら、胸を揉んでくる。指先で、先端の突起をつついている。  びっくりして、なにも反応できなかった。初めてのことだったのだ。偶然を装わない性的な接触なんて。  昨日のあれでさえ、体毛の処理という口実があった。今日だって日焼け止めを塗るという大義名分で胸に触れていた。  胸の小ささをからかっての、ふざけての行為……ではない。介護を装って接触することはあっても、私たちの間にそうしたスキンシップはないのだ。宏樹にふざけた様子はない。ただ黙って、私の胸を弄んでいる。 「……あ」  ブラのカップがずらされた。水の中で、胸のふくらみが露わにされる。  これはもう、姉弟であっても冗談で済まされる行為ではない。指先で乳首を摘みながら、手のひらで乳房全体に刺激を加えている。 「ひ、ろ……、や……」  声が出なかった。宏樹、やめて――ただそれだけの台詞を口にすることができなかった。片手が、下半身へと移動していった時でさえ。 「……っ、あっ」  下も脱がされてしまった。ビキニのパンツが太腿の中ほどまで下ろされ、局部が海水に洗われる。  宏樹の手が脚の間に入ってくる。ヘアを剃られて無毛になった丘の上を滑り、さらに奥へと進んでくる。 「……ぁっ、っ……んっ」  指が敏感な粘膜に触れた瞬間、身体に電流が走った。こんな状況下でも私の身体は反応していた。  胎内へと通じる小さな割れ目に指先がもぐり込む。狭い膣口を探り当てて、ゆっくりと中に入ってくる。第一関節の少し先まで挿入された指が小刻みに震える。 「ん……く、ぅ……ん……んっ、ぁ……」  私はか細い嗚咽を洩らしながら、宏樹の愛撫を享受していた。 『いったい、どういうつもり?』 『どうしてこんなことするの?』 『だめ、やめて』 『私たち姉弟なんだから』  そんな、意味のある台詞はひとつも出てこなかった。  どうしてだろう。  どうして、なにも言えないのだろう。  私はただ微か肩を震わせ、小さな声で喘ぎながら、その愛撫に身を委ねていた。  少しずつ奥に進んでくる指。微かな痛みと、その何倍もの快感が湧き起こる。  宏樹のもう一方の手は、小さな胸を愛撫し続けている。 「あっ……ぅ、ぅん……っ」  指が、一番奥の行き止まりまで届いた。子宮の入口を指先でくすぐり、膣の一番深い部分をゆっくりとかき混ぜる。  私の中で、私の身体の一番深い部分で、宏樹の指が動いている。生まれて初めて、他人の身体の一部をそこへ受け入れている。  それは、これまで経験した中で一番、セックスに近い行為。  血のつながった姉弟がしてはいけないこと。  指が動いている。私の中を探るように。一番感じる部分を探るように。  少しだけ焦れったさを覚える。どこが気持ちいいのか知り尽くしている自分の指とは違い、いま私の中にある指は、なかなか急所を見つけてくれない。 「ン……、は……ぁ……ぅんんっ!」  そこは痛いの、とか。  もうちょっと奥、とか。  そこをもう少し強く、とか。  声に出してしまいそうだ。  唇を噛みしめる。間違ってもそんなことを口にしてはいけない。  たまに、偶然に指が急所に触れる。一瞬身体が痙攣し、オクターブの高い声が漏れてしまう。  そんなことを繰り返すうちに、だんだん、感じる部分を刺激される頻度が高くなってきた。私の反応を見て、宏樹も学習しているのだろう。  身体の奥で、炎が燃え上る。  快感の度合いが指数関数的に上昇していく。  声が大きくなってくる。胸を愛撫していた手が離れて口を押さえる。  体内の指はさらに動きを速めていく。 「あっ……ぃ……、んく……うぅ……ぅうっ! ぅぅうっ!」  口を押さえられていても、くぐもった声が漏れてしまう。  私ってば、何をやっているのだろう。  屋外で、海の中で、ひとつ間違えば他人に見られかねない場所で、実の弟の指で犯されて悶えている。  宏樹ってば、何をやっているのだろう。  こんな場所で、こんな、今までしたことのない過激な、直接的な行為を。  私の貧相な水着姿に、欲情したとでもいうのだろうか。それとも海へ連れてきた代償のつもりだろうか。 「うぅぅ……っ、ぅんっ! う……ぁ、うぅっ!」  大きな声で喘ぎたいのに、口を押さえられてそれもできない。苦しくて涙が出てきた。  苦しくて、だけど気が遠くなるほどに気持ちいい。  もう、今にも達してしまいそうだ。わずかに残った理性がそれを押し止めている。  こんなところで、こんな状況で、快楽の極みに達してはいけない。  宏樹が私を触りたいのなら触ればいい。犯したいのなら犯せばいい。  何をされても文句を言えない。宏樹にはそうする権利がある。  姉の介護に追われて、彼女を相手に性欲を発散する暇もないのというのなら、私でそれをすればいい。宏樹にそうした意志があるのなら受け入れるしかない。  だけど私はその行為を悦んではいけない。  宏樹は男だ。性欲を持て余すこともあるだろう。実の姉とはいえ、貧相な身体とはいえ、女の子の裸に欲情したからといって責められない。  だけど、私はいけない。  実の弟との性行為。恋愛感情のない性行為。そんなことで感じてはいけない。  私は宏樹の姉なのだ。本来、弟が間違ったことをしたら諫める立場だ。  だから、この行為を悦んではならない。  しかし宏樹が私にしてくれてきたことを考えると、拒絶することもできない。  だから、私はただ黙っているべきなのだ。  拒絶せず、受け入れず。宏樹の気が済むまで、ただ人形のように黙っているべきなのだ。  なのに、身体は心を裏切っている。  宏樹の愛撫に反応してしまう。誤魔化しようのないくらい、激しく反応してしまう。  思うように動かない身体のくせに、発育もよくない身体のくせに、こんなところだけは一人前の女なのだ。  私の中を執拗に攻めたてている指の動きが、大きくなってくる。一番深い部分から入口まで引き抜かれる。入口から一番奥まで一気に突き入れられる。 「は、あぁ……あっ、はぁっ……あっ、あぁんっ」  自分の指では経験したことのない、激しい刺激。全身を貫く快感。  もう……  もう……だめ。 「い……いィ……」  だめ。  それは……だめ。  それは、いけないこと。 「あぁっ、あっ……い、いぃ……ク……」  もう二度と、宏樹の前でこんな姿を見せてはいけない。そう思っていたはずなのに。  だ……め。  もう……限界。  細い、細い、理性の糸の最後の一本が、胎内で燃えさかる炎に灼き切られる。 「あぁぁっ! い、いっ……イっ! あぁぁ――っ!」  気が遠くなるほどの絶頂感。  理性の束縛から解き放たれた肉体は、宏樹が与えてくれる快楽を、一滴残らず貪っていた。 8  宏樹の指で迎えさせられた、二度目の絶頂。  全身が倦怠感に包まれていた。  私は水着を脱がされた状態のまま、海の中で宏樹に抱きしめられていた。動きを止めた指はまだ中に入ったままだ。時折、小さなうねりに身体が揺れる。  どのくらいそうしていたのだろう。眠くなってきた頃、宏樹が耳元で囁いた。 「……帰るか」  いつの間にか、夕陽は水平線の下に沈んでいた。周囲は薄暗くなりはじめている。そろそろ帰らなければならない。  小さくうなずくと、指が引き抜かれた。何十分間も体内にあったものが急になくなって、逆に違和感を覚える。  裸のまま水から抱き上げられ、乾いた玉石の上に降ろされた。もう、見える範囲の海岸に人の姿はない。  そのまま水着を脱がされる。一糸まとわぬ身体にバスタオルが巻かれ、濡れた肌を拭かれる。パンツと、ジーンズと、Tシャツを着けられる。  私はその間、ただ黙ってなすがままにされていた。まるで着せ替え人形のように。  まだ海の中でのことのショックが残っていて、どう反応すればいいのかわからなかった。  宏樹も服を着る。濡れた水着とタオルをバッグに詰め、私に背負わせる。その私を抱えてオートバイの後ろに座らせる。  いつも同じ手順。だけど私は平静ではいられない。  来る前とは、なにかが決定的に違っている。  固くなった乳首が、薄い生地を持ち上げている。そんな状態で宏樹の背にしがみつくことには少なからぬ抵抗がある。  手首を固定される時には、反射的に腕を引っ込めそうになった。 * * *  私はひどく疲れていた。  久しぶりに遠出をして運動をしたせいもあるが、それ以上に精神的な疲労が大きい。初めての直接的な性行動による驚きと緊張によって、体力と精神力をごっそりと削り取られていた。  まぶたが重い。周囲が暗くなっていることもあって、眠くなってきた。くっつきそうになるまぶたを意志の力でこじ開けているのももう限界だ。  このままでは危険だろう。いくら手枷を填めているとはいえ、オートバイの後席で眠ってしまったら転倒は避けられない。  だけど家まではまだ遠い。一時間以上かかるだろうか。 「宏樹!」  信号待ちで停まった時、エンジン音に負けないように大きな声を出した。 「ごめん、眠くてもう限界。どこかで停まって」 「…………わかった。あと五分我慢しろ」 「ん」  この場合の「どこかで」とは、ファミレスとかハンバーガーショップとかの意味。だけどまだ街に入っていない。周囲にはそうした店はおろか、民家もろくに見当たらない。  数分後、宏樹がオートバイを停めたのは、街外れにぽつんと建つラブホテルの駐車場だった。 「……ここ?」  予想外の展開に、さすがに躊躇してしまう。ここなら確かに椅子もベッドもあるだろう。休憩するにはもってこいだ。  しかしこれは「ゆっくり休む」ための施設ではない。ある、ただひとつの目的のための場所だ。  そんなところに姉弟で入るだなんて。  生まれて初めてのラブホに姉弟で入るだなんて。  とはいえ付近には他に適当な場所もない。この季節に屋外で休んでいては、蚊の大空襲を受けることになる。  それでもやっぱり抵抗がある。  ただでさえ、血のつながった姉弟でラブホテルに入るなんて簡単にできることではない。それが、海であんなことがあった直後ではなおさらだ。  する気、なのだろうか。  宏樹はここで、私とセックスするつもりなのだろうか。  まさか。  いや、でも。  昨日までなら、そんなことはないと言うことができた。だけど今日は自信がない。宏樹がなにを考えているのか、なにをする気なのか、まるで予想ができない。  まさか私の方から「セックスするの?」なんて訊けるはずもない。  途方に暮れた私は、手枷を外されてオートバイから降りても、その場で動けずにいた。  手が肩に触れてくる。 「我慢できないくらい眠い時は、短い時間でもちゃんと眠った方がいいだろ」 「……そ、そう……だね」  嘘だ。  そんなの言い訳に過ぎない。また私に、なんらかの性的な行為をするつもりに決まっている。  それでも反論できなかった。  宏樹に促され、ゆっくりと歩き出す。腕に掴まって歩く姿が、まるで腕を組む恋人同士のように思えた。  建物に入って、無人のフロントに安堵した。  人に見られたくはない。まるで似ていない姉弟、たとえ見られても血のつながりがあるなんてわかるはずはないのだが、それでも見られたくはない。  部屋はほとんど空いているようだった。宏樹は鍵を取って、その番号が示す部屋へと私を連れていった。  なんとなく余裕を感じる動作だった。初めてじゃない、という雰囲気だ。あるいは垣崎と経験しているのかもしれないが、普段からあまり感情を表に出さないから本当のところはわからない。  もちろん私はラブホテルなんて初めてだった。セックスはもとより、男の子と付き合ったこともないのだから当然だ。  ラブホテル初体験が実の弟となんて、人としてどうかと思う。いや、ラブホどころではない。これから実の弟相手に、正真正銘の初体験をするかもしれないのだ。  そう思うと、ただでさえ力の入らない脚が震えた。立っているのも辛くて、宏樹に寄りかかるようにして室内に入る。  予想通りというか、室内で一番広い面積を占めているのは大きなベッドだった。周囲の壁は鏡の部分が妙に多く、そのベッドが眠るためのものではないことを思い知らされた。  あとはテレビと、小さなテーブルとソファ、飲物とスナック菓子の自販機、目についたものはそれくらいだ。  宏樹から手を離し、ソファに腰を下ろす。  鼓動が激しい。  どくん、どくん。  身体を通してではなく、直に耳に聞こえるほどに大きく脈打っている。  眠気なんてすっかり吹き飛んでしまっていた。  ここで、するのだろうか。  セックスするのだろうか。  宏樹に、血のつながった実の弟に、バージンを奪われるのだろうか。  どくん、どくん。  心臓が破裂しそうだ。  宏樹とセックスする、私はそのことをどう思っているのだろう。  嫌か、といわれると違う気がする。倫理的によくないことだとは思っているが、嫌悪感は感じない。  しかし、それを期待しているわけではないことも事実だ。宏樹とセックスしたいわけではない。  せずに済むならその方がいい、普段と同じ程度の接触だけにして欲しい、というのが本音だと思う。  姉弟で肉体関係を持ってはいけない。  恋愛感情を持っていない相手と肉体関係を持ってはいけない。  ごくありきたりの、私の倫理観。しかし宏樹が同じ考えとは限らない。  もしも宏樹がセックスすることを望むのなら、私はそれを拒めない。受け入れるしかない。  宏樹が要求することを拒むという選択肢は、私には与えられていない。  ……そうだ。  今さらのように気がついた。  私には選択権がない。宏樹が望むことはすべて受け入れるしかない。  選択の余地がないのなら、悩む必要もないのだ。  これまでと同じでいればいい。なにも言わず、なにもせず、ただされるままになっていればいい。  そうするしかない。  どくん、どくん。  心を決めても激しい鼓動は治まらなかった。こればっかりは、これから初体験を迎えようとしている女の子としては仕方のないところだろう。 「……喉、乾いた」  緊張のためだろう、ひどく喉が渇いていた。宏樹が自販機を覗き込む。 「何がいい?」 「何があるの?」 「スポーツドリンク、烏龍茶、コーヒー、ビール、チューハイ、ワイン」  まあ、どこにでもありそうなメニューである。 「……ビール」  こんな異常な状況、しらふではとても神経がもたない。酔うことができれば少しは楽になるかもしれない。  普段、アルコールを口にすることはほとんどない。クリスマスのシャンパンとか、お正月のお屠蘇とか、あとはせいぜいごく希に甘口のワインか果汁入りのチューハイを悪戯するくらいのものだ。  そんな私がビールを要求するというのは異例のことなのだが、宏樹はなにも言わずに缶を開けて渡してくれた。  缶の上に細かな泡が盛り上がってくる。私は小さく深呼吸すると、一気に喉へ流し込んだ。  苦い液体。  痛いくらいの炭酸の刺激。  反射的に咳き込みそうになるのを堪える。慣れないビールに、喉が、そして胃が、熱くなっていく。  一缶を一気に飲み干して、空いた缶を宏樹に返した。そしてお代わりを要求する。  二本目も一気に半分近くを流し込んだものの、さすがにそれ以上は勢いが続かなかった。あとは一口ずつ、ゆっくりと飲んでいく。  宏樹もビールを飲み始める。 「あんた、運転は?」 「ビール一缶くらい、少し休めば醒めるって」  何気ない口調。しかし私は缶を持つ手に力が入った。  少なくとも、酔いが醒めるくらいの時間はここにいるつもりなのだ。その間、何をするつもりなのだろう。姉弟でビールを飲んで一眠りして終わり、の可能性は限りなく低い。  二本目のビールも空になる。さすがに顔が火照って胃がむかむかしていたけれど、さらにお代わりを頼んだ。ビールの苦い味はやっぱり苦手なので、今度はチューハイをもらう。宏樹も二本目はチューハイに手を伸ばした。  三本目が空になる頃には、私はかなり酔っていた。  もとよりアルコールに強い体質ではない。飲み慣れてもいない。鏡に映る顔は火がついたように真っ赤で、それはもちろん日焼けのためではない。宏樹の顔もいくぶん赤くなっているように感じる。  本当は、何もわからなくなるまで酔い潰れてしまいたかった。しかしその前に胃の方が限界だった。  空腹時に慣れないビールを一気に流し込んだせいか具合が悪い。吐き気すら覚える。  その上、アルコールで緊張が解けてきたせいで、再び睡魔が襲ってきた。具合が悪いのに眠くて仕方がない。眠いのに具合が悪いせいでなかなか眠りに落ちることができない。ぐったりとソファにもたれかかる。 「寝る前に、シャワーでも浴びた方がいいんじゃないか?」 「……ん……そだね」  半分寝ながら応える。遠ざかる宏樹の足音を聞きながら、大きなげっぷをする。バスルームから水音が聞こえてくる。  意識が眠りの淵に落ちかけた時、宏樹が戻ってきて私に触れた。  Tシャツを脱がされる。水着を脱いだ後、ブラジャーは着けていない。裸の上半身が露わになる。 「少し、日に焼けたか?」  胸の間の浅い谷間を指が滑る。  いくら日焼け止めを塗っていても、まったく焼けないというわけにはいかない。かすかに水着の跡が残っている。  手が下へと移動していく。手のひらでお腹を撫でる。 「腹、減ってないか?」 「……平気」  夕食は食べていないけれど、三缶の炭酸飲料のせいで胃はぱんぱんに膨らんでいた。  宏樹の指はそのままジーンズのボタンを外し、ファスナーを下ろしていく。ゆっくりと焦らすように、ジーンズが脱がされていく。そしてパンツも同じように。  ちょうど正面の壁に鏡があった。全裸でソファに座る自分の姿が映し出されている。改めて無毛の下腹部に気がついて、さらに顔が熱くなった。  宏樹もシャツを脱ぐ。日に焼けたせいか、普段よりより逞しさを感じる。ジーンズを脱ぎはじめたところで慌てて視線を逸らした。  全裸になった宏樹に触れられた時、びくっと身体が震えた。そのまま犯されてしまうかと思った。  しかし宏樹はなにもせず、私を抱き上げてバスルームへと連れて行く。  お湯を張った浴槽に下ろされる。日焼けで少し赤くなった肌にお湯がしみる。宏樹も入ってきて、海でしていたように背後から抱かれる体勢になった。  大きな手が、胸を包み込む。少し乱暴に揉まれる。 「……んっ、……」  指先が乳房にめり込む。痛いくらいにこね回される。  それでも私は感じていた。普段なら痛みを感じるような愛撫に、乳首が固くなってくる。アルコールのせいで痛覚が鈍くなっているのかもしれない。 「あっ……、んっ」  下も、触られた。割れ目の上を指が滑る。いちばん敏感な小さな突起を抓まれる。  その強い刺激に、堪えようとしても声が漏れてしまう。腰は無意識のうちに、指を受け入れようと動いてしまう。私の身体は知らず知らずのうちに、あの、海で感じたえもいわれぬ快楽を欲していた。  しかし、愛撫は長くは続かなかった。急に立ち上がった宏樹が、私の前へと移動してくる。  ちょうど目の前に宏樹の下半身があった。隆々とそそり立つ男性器を、初めて正面から直視してしまった。  今までも入浴時にはそれに気がついていたけれど、あえて見ないふりをしてきたのだ。これほど間近で、これほどはっきりと見るのは初めてだ。  それはびっくりするくらいに長く、太かった。本来は女性器に挿入するための器官であるが、しかし、そんなことが可能とは信じられなかった。  私の膣が今までに受け入れたことががあるのは、自分の指と先刻の宏樹の指だけ。  宏樹の股間にそそり立つものはその何倍も太くて長い。私の手首くらいの太さはありそうな気がする。これが私の膣に収まるとはとても信じられない。  あまり、見ていて気持ちのいいものとも思えなかった。まっすぐに上を向き、青い血管が浮き出て、鼓動に合わせるように小さく脈打っている姿は、グロテスクですらあった。  本能的な恐怖を覚える。全身の筋肉が緊張する。  いきなり、宏樹の手が私の頭を鷲掴みにした。髪を掴まれ乱暴に引き寄せられる。 「――っ!」  次の瞬間、驚いて悲鳴を上げようとした口に、大きく勃起した男性器が押し込まれていた。  ぐいぐいとねじ込まれてくる。  喉の奥を乱暴に突かれ、咳き込みそうになる。  最初に感じたのは、その熱さ。  それはまるで焼きたてのステーキ……いや、硬さを考えればスペアリブの方が近いかもしれない。  次に太さ。  けっして大きくはない私の口を、無理やり、いっぱいにこじ開けている。  そして長さ。  先端は喉に達しているのに、根元はまだ口の外にある。  私ってば、なにをさせられているのだろう。  宏樹ってば、私になにをさせているのだろう。  なにが起こったのか、しばらく理解できずにいた。  口の中に押し込まれている。  大きくて。  固くて。  熱くて。  太いもの。  それは、宏樹の男性器。  ペニス。  陰茎。  それが、口の中にねじ込まれている。  フェラチオ。  その単語を思い出したのは、私の頭を掴んだままの宏樹が、腰を乱暴に前後しはじめた後のことだった。  愕然とした。  フェラチオ。  口淫。  私は今、宏樹に口を犯されているのだ。  もちろん知識としては知っている。  今ではごくありきたりな性行為のひとつ。口を女性器に見立てて、男性のペニスを舐めさせたり、くわえさせたりする行為。  それは頭で考えていたよりもずっと難しい、苦しい行為だった。  私が無理なくくわえるには、宏樹のそれは少しばかり太く、長すぎた。似た形状で普通に口に入れるものといえばバナナやフランクフルトが思い浮かぶが、それよりも太くてずっと硬い。  人間の男性器に骨はないはずだが、それが事実とは信じられなかった。堅い木の棒に、薄い皮膚をかぶせたような印象を受ける。  歯を立ててはいけない、ということは知っている。しかし実戦するのは難しかった。口をいっぱいに開いていないとどうしても歯が当たってしまう。それでも宏樹は行為を続けている。  太さばかりではなく長さも、私の口には釣り合っていないように感じた。宏樹は私の頭を掴んで乱暴に腰を突き出してくる。喉の奥まで押し込まれ、息が詰まる。それでもまだ全体が口中に収まってはいない。口の外にはみ出ている部分がある。  何度も喉を突かれる。吐き気が込み上げてくる。具合の悪い時に、口に指を入れてわざと吐くようなものだ。一気飲みしたビールが逆流しそうになる。  激しく腰を前後させる宏樹。  乱暴に揺すられる私の頭。  すごい勢いで口の中を往復する肉棒。  息が苦しい。  掴まれ、引っ張られている髪が痛い。  苦しくて涙が滲んでくる。私は泣きそうになりながら、この陵辱に耐えていた。  こんなこと初めてだった。フェラチオが初めてなのは当然だが、問題はそこではない。宏樹に、こんな乱暴な扱いをされたのが初めてだった。  口を犯されていることはもちろんショックだけど、それよりも、宏樹に乱暴に犯されているということがショックだった。  そのショックの大きさにどうしていいのかわからず、ただなすがままにされていた。  熱い、固い弾力のある肉の塊が、舌を、内頬を擦っていく。  喉の奥まで押し込まれようとする。  息が苦しい。乱暴に揺すられて首が痛い。  気を失ってしまいそうだ。いっそその方が楽かもしれない。  視界が暗くなって、意識が遠くなりかけた瞬間。  頭を掴む手に、さらに力が込められた。  口の中のものが大きく脈打つ。  熱い液体が、一瞬で口の中いっぱいに溢れる。  射精。  簡単なその単語を思い出すのにも、やっぱり少しの時間が必要だった。  その間、口の中では固いペニスが二度、三度と脈打ち、その度に精を吐き出していた。  それは想像していたよりもずっと量が多くて、ずっと粘性が強かった。どろりとした液体が喉の奥に流れ込み、私は激しく咳き込んだ。  口から吐きだされた肉棒が、最後の飛沫を顔にかけてくる。生臭い臭いが鼻腔を満たす。  栗の花の臭いに似ていると聞いたことがある。確かに似ている。だけど本物の栗の花よりもずっと生臭い。それは植物と動物の差だと思った。  顔の上を、ぬるぬるとした粘液が滑り落ちていく。口中にどろりとした嫌な感触が残っている。  無意識のうちにそれを飲み下そうとする。しかしその瞬間、激しい吐き気に襲われた。  手で口を押さえる間もなく、胃の内容物が噴き出してくる。私は浴槽から上体を乗り出して嘔吐した。  タイルを叩く水音。  夕食を食べていないので固形物はほとんど含まれていない。飲んだばかりのビールとチューハイに胃液が混じった、苦酸っぱい液体が口から溢れ出す。  その中に生卵のカラザに似た白い物体を認めて、それがなにか理解したところで、さらに吐き気が増した。  止まらない。胃の中が空になって胃液さえ出なくなっても吐き気が治まらない。  涙と涎が滴り落ちる。私は浴槽から身を乗り出したまま、荒い呼吸を繰り返していた。  顔を上げて、宏樹を見ることはできなかった。ただうつむいて、床のタイルを汚す濁った吐瀉物を見おろしていた。  なにも考えられなかった。  なにも言えなかった。  唇の端から胃液の混じった涎を滴らせながら、頬の上を生臭い粘液が流れ落ちるのを感じながら、ただ呆然としていた。  背後で宏樹が動く気配がする。手を伸ばしてシャワーを掴むと、タイルの上の汚物を洗い流しはじめた。  濁った液体が渦を巻いて排水口に吸い込まれていく。  床が綺麗になると、シャワーのノズルは私に向けられた。  顔を汚していた精液と吐瀉物が流れ落ちる。  それから私を抱え上げて椅子に座らせると、宏樹はいつもと同じようにシャンプーをはじめた。  いつもと同じ?  いいや、違う。  髪を洗ってくれる宏樹の手つきは、いつもより少しだけ乱暴だった。 * * *  バスルームを出ると、ベッドの上に放り出された。  身体が弾んでバランスを崩した一瞬、宏樹と目が合う。  怒っているような、思い詰めているような、ひどく恐い目をして私を見ていた。  あれは獣の目だ。  獣の欲望に支配された牡の目だ。  同じような目を中学時代に見たことがある。  気に入らないクラスメイトを、血まみれになるまで殴っていた時の竹上の目。  その事件の少し後、誰もいない屋上で私を襲おうとした時の竹上の目。  今の宏樹はそれと同じ目で私を見ていた。  股間の男性器は、大量の射精にもまるで勢いを失わずにそそり立っている。  これから犯されるんだな――と、ぼんやりと考えた。  宏樹とセックスする。バージンを奪われる。  私の意志とは無関係に、力ずくで。  嫌だ、とか。  怖い、とか。  不思議と、そんな感情はほとんど感じなかった。  口を犯されただけで十分だった。すっかり感覚が麻痺していた。宏樹に初めて乱暴な扱いをされただけでもう十分だ。最後までしようがしまいが大差はなかった。  どうにでもなれ、という心境。少しばかり自棄になっているのかもしれない。  私にはどうすることもできない。宏樹にされるまま、すべてを受け入れるしかない。  こうしてベッドに横になって、宏樹の好きにさせればいい。  それでも、少しだけがっかりしていたのは事実だ。  私だって年頃の女の子。一応、初体験には憧れもある。素敵な経験であって欲しいと思う。  それなのに弟となんて。  しかもレイプだなんて。  いつかは宏樹と肉体関係を持つ日が来るだろうと、予想はしていた。宏樹の接触に性的な意志が感じられるようになった頃から、漠然と思っていた。  それを望むわけではないが、初めての相手が宏樹になる可能性は考えていた。それでもこんな乱暴な陵辱はまったくの予想外だった。  そう、例えば。  ある日、宏樹が恥ずかしそうに告白するのだ。「俺……沙耶のことが好きなんだ。姉じゃなくて、女として……さ」と。そんな場面を想像したことがないといえば嘘になる。  そうした状況なら、私は戸惑いつつも素直にうなずいていたことだろう。  だけど、こんな初体験はまったく期待はずれだ。全然、素敵な経験なんかじゃない。きっと一生残る苦い思い出だ。  今なら……まだ。  やめて。  お願いだから、やめて。  乱暴なことはしないで。  いま謝れば、許してあげる。  そんな想いを口にすれば、今ならまだ間に合うのかもしれない。  はっきりと拒絶すれば、宏樹は諦めてくれるのかもしれない。  だけど声が出てこない。  私には、宏樹が望むことを拒絶することはできない。宏樹を失う危険は冒せない。  全裸のまま、宏樹がベッドに上がってくる。  ああ、いよいよだ。  とうとう犯されてしまう。  せめて、あまり痛くないといいな……と思いながら、目を閉じようとした。  しかし宏樹の行動は、また私の予想を裏切った。  仰向けになった私の顔の上にまたがってくる。目の前に、大きな肉棒が突きつけられる。 「……あ」  それが、口の中に押し込まれる。 「んっ……んんっ、んぅんっ、んっ!」  宏樹の腰が上下する。  熱い肉棒が私の喉を貫き、一気に引き抜かれ、また奥まで突き入れられる。  激しい動きが何度も何度も繰り返される。  宏樹は私の口を相手にセックスしていた。お風呂での行為よりもさらに激しく、私の口を陵辱していた。  荒い息づかい。  私のくぐもった呻き声。  ベッドのスプリングが軋む音。  乱暴な抽送が繰り返される。いきり立った男性器がピストンのように往復する。  また吐き気が込み上げてくる。胃の中に吐くものが少しでも残っていたら堪えることはできなかっただろう。 「んっ……ぐ、ぅぐ……んっ、ぅうっ……」  私は吐き気を堪え、溢れそうになる涙を堪えながら、この陵辱に耐えていた。  だんだん動きが大きく、激しくなってくる。  口の中をめちゃくちゃに犯している。  もう限界だ、と思った時、口の中で小さな爆発が起こった。 「うぅっ……くっ」  嫌な味の、生臭い液体が口いっぱいに広がる。唇の隙間から溢れてくる。  激しい嘔吐感。胃が絞り上げられるようだ。  咳き込み、吐きだしそうになるけれど、大きなペニスに口を塞がれていてそれも叶わない。  宏樹の分身、欲望で膨らんだ肉棒は、まだ私の口中を占拠していた。  勃起した男性器は、射精すると小さくなるのではなかっただろうか。口の中にあるそれは、大きさも硬さもさしたる変化を見せていない。  射精を終えて動きを止めていたのは、ほんの短い時間だったろう。宏樹がまた動きはじめる。  二度の射精にも萎えることなく、宏樹は私の口を犯し続けていた。 9  夢を見ていた。  何年前だろう。まだ、私も宏樹も中学生だった頃の夢だ。 『……宏樹、宏樹!』  ベッドの中で、私は悲痛な表情で宏樹を呼んでいた。  身体がほとんど動かなかった。  腕に、脚に、そして背中に、骨の髄から染み出してくるような痛みがある。昨夜、寝る前にはなかったはずの痛み。その時は左腕も左脚もそれなりに動いていたのに、朝、目が覚めたらこうなっていた。  朝はあまり体調がよくないのはいつものことだが、こんなにひどいことはしばらくなかった。 『宏樹っ!』 『どうしたの、姉さん』  部屋の扉が開き、パジャマ姿で眠たそうな顔の宏樹が顔を出す。 『まだ、起きるには早いよ』 『どうしよう、宏樹。動かないの、手も、脚も!』  切羽詰まった声で訴えると、宏樹の顔から眠気が消えた。 『動かないの、ぜんぜん動かないの!』  怪我は、徐々によくなってきていた。少しずつ動けるようになってきていた。それでも私には常に不安があった。脊髄に致命的な傷が残っていて、ある日突然、身体が動かなくなってしまうのではないか――と。  その不安が現実となったのだろうか。 『落ち着いて、姉さん。大丈夫だから』  宏樹が腕に触れてくる。手のひらで強く擦ってくれる。微かな温もりを感じる。 『今日、外はひどい雨で気温も低いんだ。そのせいだよ。今までも天気の悪い日は調子悪かったろ? 天気がよくなれば治るよ』 『……ホントに?』  そういえば、屋根を叩く激しい雨音が聞こえている。 『ああ、大丈夫。……痛みはない?』 『……痛い。腕も、脚も、背中も、すごく痛い』  動かないのに、皮膚の感覚もほとんどないのに、痛みだけを感じる。骨の中心から生まれてくるような痛み。筋肉の傷みと違って、意志の力だけで簡単に耐えることはできない。 『今日は学校休みなよ。薬飲んで、温かくしてゆっくり眠れば、明日には治ってるよ。俺も休んで、ついていてあげるから』 『ホントに? ……いいの?』 『ああ。……ほら、薬』  宏樹は私の背中に手を入れて上体を起こさせると、部屋に常備してある鎮痛剤を飲ませてくれた。飲んだ瞬間から効くはずもないが、精神的な理由からか少し楽になったように感じる。いくらか落ち着いて深呼吸をする。  横になると、宏樹は脚のマッサージをはじめた。 『……ね、宏樹。このまま動けなくなったらどうしよう』  一瞬、手が止まる。 『……ばか、そんなことあるわけないだろ。医者も言ってたじゃないか。時間はかかるけど、ほとんど普通に歩けるようになるって』 『だけど……もしも』 『大丈夫』  脚に触れている手に、少し力が入る。 『たとえそうなっても、俺が傍にいるから。困ったことがあればすぐに言いなよ。なんでも手伝ってやるから』 『……』  嬉しかった。  その場しのぎの口だけの約束だとしても、涙が出そうなほどに嬉しかった。  たとえ動けなくなっても一人きりにはならない。それだけで安心できた。 『……』  たった一言「ありがとう」の言葉が出てこない。それを口にしてしまうと、そのまま泣き出してしまいそうだった。 『……ね、宏樹』  代わりに、いつもより少しだけ甘えることにする。 『おトイレ……行きたいの。連れてって』 『え? あ、ああ』  身体の下に手を入れて私を抱え上げる宏樹。いつの間にこんなに大きく、力強くなったのだろう。私が怪我をする以前の、小さな小学生の宏樹とは別人だ。多少ふらつきながらも私を抱きかかえてお手洗いへと歩いていく。 『……脱がせて』  トイレに着いたところで頼んだ。宏樹はちょっと躊躇った後、パジャマの下を脱がせてくれた。その続きは右手一本でもなんとかなりそうだったけれど、私は思いっきり甘えたい気分になっていた。 『……下も』  宏樹の顔が真っ赤になる。それでも、おずおずとパンツを下げてくれる。もちろん、見ないように顔は横に向けている。  そうして私を便座に座らせると、宏樹は慌てた動きで外に出て扉を閉めた。そんな様子が可笑しくて、込み上げてくる笑いを噛み殺しながら用を足した。  右手でビデのスイッチを操作して、局部を洗ったところで宏樹を呼ぶ。 『宏樹』  躊躇いがちにドアが開く。 『……拭いて、くれる?』 『……』  パンツを脱がせた時の何倍も真っ赤になって、それでも宏樹はなにも言わず、トイレットペーパーを取って優しく拭いてくれた。腫れ物に触れるような、かなりおっかなびっくりの手つきではあったが。  小学生の頃の、まるで動けなかった時期を除けば、こんなことをしてもらうのは初めてだった。  あるいは試したかったのかもしれない。宏樹が私のためになんでもしてくれるということを。  宏樹は丁寧に拭き終えると、水を流し、パンツとパジャマを穿かせてまた部屋へと連れて行ってくれた。  ベッドに寝かせ、掛け布団の上から予備の毛布も掛けてくれる。  トイレに行っていた短い時間で、痛みはずいぶん和らいでいた。薬の効果か、あるいは精神的な要因も大きいのかもしれない。  それでもまだ、脚の痛みが煩わしい。頼んでマッサージしてもらう。  優しく触れる温かな手が気持ちいい。  鎮痛剤が効いてきたせいか、眠たくなってきた。  宏樹の手の温もりを感じながら、私は静かに眠りについた。 * * *  目を覚まして、少しびっくりした。  ここはどこだろう。  自分の寝室ではない。そして私は全裸だった。  一瞬遅れて記憶が甦ってくる。同時に、顔が熱くなる。  ここは、海水浴の帰りに入ったラブホテルの一室だ。  そして……  そう、昨日。  海の中で宏樹に指姦された。  ここで口を犯された。  何度も何度も口の中に出された。そのまま、気を失うように眠ってしまったのだ。  だけど。  だけど結局、最後の一線だけは越えなかったようだ。そんな記憶はないし、下半身に違和感もない。  いったい、どういうつもりだったのだろう。  昨夜の宏樹は、いつもとは違っていた。すごく怖かった。弟ではなく男の、いや牡の顔をしていた。  そして私を犯したのだ。 「……目、覚めたか?」  突然の声に驚いて、小さく飛び上がった。宏樹は小さなソファに座って、ちゃんと服も着ていた。 「あ、……えっと」  こんな時、なにを言えばいいのだろう。  宏樹は落ち着いているようだ。昨夜の怖い宏樹ではなく、普段の、単に無愛想な宏樹に近い。多少後ろめたそうな表情が混じっているように見えなくもないが、気のせいかもしれない。 「まだ六時前だけど、このまま帰るか? それとももう少し寝てく?」  私は少しも眠くなかった。昨日はいろいろとあって消耗したのは事実だが、眠った時刻も普段に比べればずっと早いし、疲れていた分ぐっすりと眠っていた。  だけど宏樹は赤い目をしていた。ひょっとして眠っていないのではないだろうか。そういえば私はベッドの真ん中で寝ていたし、ベッドに他の温もりは残っていなかった。ソファで寝たにしては、宏樹は服も乱れていない。 「……宏樹は? 眠くない?」 「まだ少し、眠いかな」 「……じゃあ、寝ていきなよ。運転手が寝不足じゃ恐いもの」 「……悪い」  私はベッドから降りて、宏樹のために場所を空けた。  一緒に寝るという選択肢はなかった。根拠はないが、今日の宏樹は絶対に私と同じベッドには入ってこないのではないかという気がした。それに私の方も、昨日の今日で宏樹と添い寝する勇気はない。  宏樹がベッドに横になる。私は裸のままお手洗いへ行った。用を足していて、ふと先刻の夢を思い出した。どうして今頃あんな夢を見たのだろう。  それはおそらく、私が、宏樹を信頼できなくなりかけているからだ。  夢に出てきたあの朝以来、宏樹を無条件で信頼し、甘えてきた。性的な行為に対してなにも言えなかったのもそのためだ。  だけど昨夜の宏樹は違う。ずっと頼って甘えてきた宏樹ではない。私が本気で嫌がること、本気で苦しがることを強要してきた。こんなことは初めてだ。  お手洗いから出て、そのままバスルームに入った。シャワーを浴びながら念入りに口を濯いだ。口の中に、まだ、あの生臭い粘液が残っているように感じた。  昨夜の記憶が甦ってくる。  ここで、させられたのだ。  宏樹のペニスを無理やりくわえさせられた。  乱暴に動かれて、口の中に射精された。顔にもかけられた。  唇に、下に、内頬に、硬くて熱い肉棒の感触が残っている。  私は激しく頭を振って、その記憶を振り払おうとした。  ボディソープをたっぷりと手にとって身体中を洗い、それから念入りに歯を磨いた。  部屋に戻ると、宏樹はベッドで寝息を立てていた。 「……宏樹」  小さな声で呼んでみる。反応はない。熟睡しているようだ。  しばらくこのまま寝かせておこう。  お腹が空いていることに気がついて、自販機の烏龍茶とスナック菓子で空腹を紛らわすことにした。  宏樹の寝顔を見ながら。  いったい、いつ以来だろう。宏樹の寝顔を見るなんて。  いつもは逆。ほとんど毎朝、私が寝顔を見られる側だ。  ベッドの脇に座って、間近から宏樹を見おろす。  うっすらと無精ひげの生えた顔。厚い胸板。太い腕。  いつの間にこんなに逞しくなったのだろう。  徐々に移動する視線が、ジーンズの股間のところで止まった。  この下に、あれが隠されている。昨夜、くわえさせられたものが。  とっても大きくて、太くて、硬くて、熱くて、すごくグロテスクなもの。  私を陵辱したもの。  私に痛いこと、苦しいこと、すごくいやらしいことを強要したもの。  また、その行為の記憶が甦ってくる。吐き気が込み上げてくる。  苦酸っぱい胃液を強引に押し戻し、烏龍茶で流し込んだ。  いやだ。  あんなこと、もう二度としたくない。させられたくない。  だけど、そういうわけにはいかないのだろう。  先刻の宏樹は、普段となにも変わっていないように見えた。昨夜のことについてもなにも触れなかった。宏樹の方からなにか言わない限り、私もなにもなかったふりをするしかない。  それでも――  私と宏樹の関係は、もう、以前とは違うのだ。 10  今日は、夏休み中に一度だけの登校日だった。  特にすることがあるわけではない。短い朝礼と、クラス担任からのちょっとした連絡だけで解散。学校にいた時間は実質一時間もない。  学校側にとっても、それほど意味のある行事ではないのだろう。長い休みで遊び呆けている生徒に学校の存在を思い出させるため、といったところだろうか。  H・Rが終わって解散した後も、私はすぐに帰らなかった。図書室は開いていないので、屋上で時間を潰していた。  宏樹と一緒に帰りたくなかったのだ。  暗い気分で空を見上げる。  よく晴れた青い空、真白い入道雲、気持ちのいい夏の空。  だけど私の精神状態はその対極にあり、何度も溜息が漏れた。  あの海へ行った日以来、宏樹と二人でいるのが少し苦痛になっていた。  以前とは違う関係。以前とは違う生活。もう元には戻れない。  今日までに二度、入浴中に同じことをされた。  強引に口に押し込まれて、乱暴に動かされて、一方的に口の中に射精された。  その度に私は嘔吐した。そして、入浴の時間が夕食の前に変わった。  それ以外の点では、宏樹はこれまでと同じように私の世話をしてくれるけれど、以前にも増して無愛想になったような気がする。  そして私は、バナナとフランクフルトが食べられなくなった。口に入れるどころか、見ただけで吐き気をもよおしてしまう。  憂鬱だった。  性的な悪戯はこれまでもされてきたこと。宏樹がそうしたいなら、私で性欲を満たしたいなら、それは仕方がない。受け入れるしかない。  ずっとそう思っていた。いや、今だって思っている。  だけど。  あの行為は苦しいのだ。  大きな男性器を口に押し込まれ、喉の奥まで突かれる。頭を掴まれ、髪を引っ張られる。乱暴に揺すられる。  顎がだるくなって、吐き気が込み上げてくる。  食道に流し込まれる精液は、お世辞にも美味しいものではない。顔にかけられた時のべたべたした感触はもっと気持ち悪い。  私は毎回、条件反射のように吐き続けた。  それでも宏樹は止めてくれない。  実際にするまで、フェラチオがこんなに辛い行為だとは知らなかった。何度か観たことのあるアダルトビデオの女優は、笑って、さも美味しそうに頬張っていたのに、自分でするとなると大違いだ。  宏樹が私を性欲の捌け口とすることは構わない……というか、仕方がない。そう思ってきた。  だけどこれほど苦しいものであると、その行為を嫌いになってしまいそうだ。いや、実際のところ大嫌いだ。  少しも気持ちよくない。楽しくない。ただただ苦しいだけでしかない。  そうした行為を強要され続けることで、宏樹を嫌いになってしまうかもしれない。  それが怖かった。 * * * 「お前、珍しく海にでも行ってきたのか?」 「……!」  考え事をしている時に不意打ちで声をかけられてびっくりした。いつの間にか竹上の大きな身体が隣にあった。 「……意外だね。あんたが登校日に来てるなんて」  普段の授業だってよくさぼる奴なのに。よほど暇だったのだろうか。 「それで、どうしてわかったの? 海に行ったって」  訊いた後で馬鹿な質問だと気がついた。わかって当然だ。いくら日焼け止めを塗ったとしても夏の陽射しの下でまったく焼けないということはない。普段が病的なほどに色白なだけに、少し焼けただけでも変化は目に見える。 「で、なんでそんな不景気なツラしてんだ? まるでレイプでもされたみたいな顔だな」 「な……」  なにを馬鹿なことを。  そう言って、笑って誤魔化そうとした。だけどこの不意打ちに、私の表情は強ばったまま固まってしまった。 「図星か。相手はやっぱり弟か?」 「な……なに言ってんのよ! あんたじゃあるまいし、レイプだなんて……口でさせられただけよ!」  勢いで言ってしまってから、しまったと思った。竹上の口元が歪む。爬虫類を思わせる笑みが浮かぶ。 「それはそれは……しばらく会わないうちに、なんか楽しそうなことになってんな」  どう見ても面白がっているような表情。不思議と驚いた様子はない。宏樹に着替えまで手伝ってもらっていることは話したことがあるが、それ以上の性的な関係については一言も口にしてはいないのに。 「で、なにをそんなに落ち込んでンだ?」 「いや、普通は落ち込むでしょ?」  普通は。しかし竹上の基準はあまり普通ではなさそうだ。  彼の悪行は同性への暴力だけではない。校内で女子を暴行したという噂もひとつならず聞いたことがある。どれも被害者からの訴えがなかったので噂どまりで終わったが、私はそれが単なる噂でないことを知っている。ひとつ間違えば自分もその被害者になっていたかもしれないのだ。  繁華街で派手な女の子といちゃついているのを見かけたこともある。  そんな竹上にとっては、実の姉弟だろうとなんだろうとセックスなんて特別なことではないのかもしれない。そもそもこの男にとって、女なんてセックスの対象でしかないのだ。 「普段、世話になりっぱなしなんだから、フェラぐらい喜んでしてやってもバチは当たらんだろ? 減るもんじゃなし」 「そう……思ってたんだけどね」  また溜息が出た。  どうして竹上なんかにこんな話をしているのだろう。だけど、こんなことを話せる相手はこの男しかいないのも事実だった。相手が宏樹である以上、クラスの女子とかには絶対に話せない。 「これまでもさ、胸とか……アソコ、とか、触られたりしたことはあるんだ。そのくらいは仕方ないと思ってた。だけど、その……口でするのって、すごく苦しいんだよね。無理やりくわえさせられて、乱暴に喉の奥まで突き入れられて……」 「そりゃ、お前がヘタだからだろ」  竹上はあっさりと断言する。 「フェラがヘタな相手だと、こっちが動かなきゃ気持ちよくならないからな。どうしても女の方は苦しい目に遭うってわけだ。まあ、苦しそうに涙ぐんでる顔に欲情するってのもあるかもしれないが」 「ヘタって……それは仕方ないでしょ。したことないんだし、そもそも自分から進んでしてるわけじゃないんだし」 「コーチ、紹介してやろうか?」 「は?」  一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。 「知り合いの風俗嬢に、すっげーフェラのうまい奴がいるんだ。小学校ン時のクラスメイトなんだけどな。そいつに、コーチしてもらうように頼んでやるよ」 「……」  冗談、だと思った。竹上の顔をまじまじと見る。いつでも軽薄な笑いを浮かべている奴なので、本気なのか冗談なのかさっぱり判断できない。 「お前、知らねーだろ? フェラは慣れれば、される方だけじゃなくする方も気持ちいいんだぜ。無理やりやられてるだけなんてもったいないって」  呆れてしまった、というのが本音だった。  プロの風俗嬢にフェラチオの仕方をコーチしてもらう?  いったい、どこからそんな考えが浮かぶのだろう。 「……バカじゃないの。なに考えてンのよ」  私は肩をすくめて言うと、杖を掴み、立ち上がって屋上を後にした。 11  垣崎が家に遊びに来た。  初めてのことだった。これまで外では時々デートしていたらしい二人だが、家に来たことはない。  プール以来ほとんど会っていなかったみたいだから、業を煮やしたのかもしれない。宏樹の反応を見るに、どうやら約束もなしにいきなり押し掛けてきたという雰囲気だ。  やや困惑したような表情を浮かべながらも、宏樹は垣崎を自室へ通す。  一瞬だけ、私と目が合う。  敵意のこもった挑戦的な視線と、そしてどことなく勝ち誇ったような表情を残して、垣崎は宏樹の部屋へと消えていった。  私も自室に戻ってパソコンの前に座ったが、どうにも執筆に集中することができなかった。  胸の奥に、なにかもやもやとしたものがある。  はっきり言ってしまえば不愉快だった。  垣崎が宏樹の恋人であることは構わない。外でいくらデートしようと好きにすればいい。  だけど家には来て欲しくない。  あまり出歩けない私にとって、ここは数少ない縄張り、私のテリトリーなのだ。  それを他人に侵されたくはない。家にいる時の宏樹は、全部私のものでなくてはいけない。  勝手な言い分と自覚しつつも、不快な気持ちを消し去ることはできなかった。考えないようにしても二人の様子が気になってしまう。  なにを話しているのだろう。  なにをしているのだろう。  いつの間にか耳をそばだてていた。息を殺して、聴覚に全神経を集中してしまう。  すると――  微かに、垣崎の声が聞こえた。 『……ぁ……ん、あぁん……はぁ……』  瞬間、身体が硬直した。腕に鳥肌が立つ。  甘ったるい、鼻にかかった声。  泣いているような、それでいてとても嬉しそうな声。  なんの声か考えるまでもない。  エッチ、しているのだ。  宏樹の部屋で。  宏樹と垣崎が、エッチしている。  立ち上がって、部屋のドアをそっと開けて顔を出した。不明瞭だった声が、少しだけはっきりと聞こえるようになる。 『ん、……あはぁ……ぅん…………気持ちイ……イイのぉ』  間違いない。  エッチ、している。  宏樹と、垣崎が。  直線距離ならほんの数メートルしか離れていない場所で。  私はドアノブを握りしめたまま固まっていた。身体が動かない。  ショックを受けている自分に気がついて、少しだけ驚いた。  こんなの十分に予想できていたことではないか。  健康な高校生の男女。しかも女の子は胸が大きくて色っぽくて、なにより宏樹のことが大好きなのだ。  なにもない方がおかしい。  だけど、私はひどく傷ついていた。  どうして、なのだろう。  垣崎とエッチしているなら、どうして宏樹は私にあんなことをするのだろう。  私は嫌なのに。したくないのに。  どうして無理やりさせるのだろう。  垣崎にしてもらえばいいではないか。  例えば、彼女がエッチさせてくれなくて性欲を持て余しているというのならまだ話はわかる。だけど、ちゃんとエッチさせてくれる可愛い彼女がいるのに。  単なる気まぐれなのだろうか。思い通りにできる女が身近にいるから、という理由だけで私を犯しているのだろうか。たまのつまみ喰い感覚で。  そんなの我慢できない。  実の姉に対して禁断の恋愛感情を抱いているから、とか。  本命の彼女がさせてくれなくて性欲を持て余しているから、とか。  そんな理由があると思っていたからこそ、苦しいことも、痛いことも、なんとか我慢してきたのだ。  なのに。  宏樹はその気になれば、垣崎と好きなだけエッチできる。あの子ならきっとフェラチオだって喜んでするだろう。お喋りな彼女の舌は私よりもずっと器用そうでもある。 『くっ……はぁん、あぁっ……あんっ! ……やぁぁ……すごい……はあぁっかっ、感じちゃう……』  だんだん声が大きくなってくる。わざと私に聞かせようとしているかのように……というのは考えすぎだろうか。  その声を聞いているうちに、涙が滲んできた。  大好きな彼氏に気持ちのいいエッチをしてもらって幸せそうな垣崎。  実の弟に乱暴に犯されている私。  おまけに、たったひとつの小さな縄張りまで奪われようとしている。  あてつけのように、いやらしい、気持ちよさそうな、幸せそうな声を聞かされている。  両手で耳を塞ぐ。それでも大きな声は完全には遮断できない。  いやだ。  いやだ。  聞きたくない。  聞きたくない。  こんなところにいたくない。  私は回れ右すると、財布と携帯電話と杖を持って部屋を出た。  出かけよう。どこでもいい。この家以外の場所なら、あの声が聞こえない場所ならどこでもいい。  精一杯の早足で廊下を歩く。宏樹の部屋の前を通り過ぎる時には両手で耳を塞いでいた。  ただでさえ足元がおぼつかないのにそんな歩き方をしたためだろう、よりによって部屋のドアの前で大きな音を立てて転んでしまった。  人の足音に驚いた鈴虫のように、垣崎の声が止む。ドアが開いて宏樹が顔を出す。 「……出かけるのか」  廊下にうずくまっている私を見て、いつもと変わらぬ愛想のない声で訊いてくる。私は黙って、ただ小さくうなずいた。  ひどく惨めな気分だった。 「送ってってやるよ。駅でいいのか?」 「いい、いらない!」  腕を取って立ち上がらせようとする宏樹。その手を振り払おうとしたが、太い腕に有無を言わさず抱えられてしまう。 「悪い。姉貴送ってくるからちょっと待ってて」  宏樹は軽々と私を抱き上げて、背後を振り返って言う。  ドアの隙間から部屋の中が少しだけ見えた。下着姿でベッドに座っている垣崎が、鬼のような形相で私を睨んでいた。 * * *  地下鉄駅近くにあるコーヒースタンドで、アイス・カフェ・ラテのグラスを前にぼんやりとしていた。  これからどうしよう。  なにも考えていなかった。ただ垣崎の声を聞きたくなくて家から逃げ出してきただけなのだ。  私を駅まで送って、宏樹は急いで帰っていった。  今頃、邪魔者のいなくなった家で先刻の続きをしているのだろうか。  垣崎を放って私を送った代償に、うんとサービスしてあげてるのかもしれない。  むしゃくしゃする。  垣崎に、私の聖域を土足で汚されてしまった気分だ。  嫉妬、なのだろうか。  そうかもしれない。  宏樹に対して恋愛感情はないとはいえ、これは一種の嫉妬だ。  あそこは私の居場所だ。  宏樹は私のものだ。  そうでなければいけない。  私にとって、私が生きていく上で、宏樹は不可欠な存在なのだから。  垣崎に盗られたくはない。それも、私のテリトリーの中で。  今ごろ二人は何をしているのだろう。  考えまいとしても、そのことが頭から離れない。  口でしてあげてる?  もう挿入している?  ベッドの上で二人の身体が絡み合っている?  悔しい。  悔しい。  悔しい。  悔しい。  悔しい。  悔しい。  悔しい。  唇を噛む。血が滲むほどに。  どうして宏樹は、私には乱暴なことをするのだろう。  私じゃなくてもいいのに。  ちゃんと、合意の上でエッチする相手がいるのに。  憂鬱だ。  家に帰るのが憂鬱。  次にさせられる時のことを考えると憂鬱。  だって宏樹には、喜んでしてあげる女の子がいる。  積極的に違いない垣崎に比べたら、私の口なんて気持ちよくないだろう。無理やりさせられた上に他の女の子と比べられて下に見られるなんてことになったら、あまりにも惨めすぎる。 『そりゃ、お前がヘタだからだろ』  ふと、竹上の言葉を思い出した。 『コーチ、紹介してやろうか? 知り合いの風俗嬢に、すっげーフェラのうまい奴がいるんだ』  ……できるの、だろうか。  プロの風俗嬢の手ほどきを受ければ、私でも宏樹を気持ちよくさせてあげられるのだろうか。  垣崎よりも?  ……  ……バカ?  思わず苦笑する。  私ってば、バカなことを考えている。  わかっている。そんなこと頭ではわかっている。理性ではわかっている。  だけど手は勝手に携帯電話を取りだして、アドレス帳から竹上の名を選んでいた。 12 「遅かったな」  家に帰った私を出迎えたのは、相変わらず素っ気ない宏樹の声。それでも微かに心配していたニュアンスが含まれているように感じるのは自惚れだろうか。  時刻は午後十時過ぎ。女の子とはいえ今どきの十八歳にとっては特に遅いともいえないが、私が一人で出かけたにしては異例の遅さだ。 「晩メシは?」 「……食べてきた」  宏樹と目を合わせずに答える。 「風呂、入るか?」 「…………えっと」 「迷うんだったら、入れよ」  疲れているしなんだか気恥ずかしいし、どうしようか……と悩んでいると、有無をいわさず抱え上げられてしまった。そのままバスルームへと運ばれる。  宏樹としては、私に入浴させたいのだろうか。そしてエッチなことをしたいのだろうか。  そう思うと逆らうこともできない。  服を脱がされていく。背後から腕を回されて胸を愛撫される。うなじに唇が押しつけられる。  声を抑えるには、かなりの精神力を必要とした。自分でも驚くくらいに全身が敏感になっていた。 「どこ行ってたんだ?」 「……ん、いろいろ」  耳たぶを噛むようにして囁かれる当然の質問を曖昧にはぐらかす。  まさか正直に言えるわけがない。  竹上に、フェラチオの手ほどきを受けていた……なんて。 * * *  竹上の家へ連れて行かれ、そこで紹介されたのは、山野美春さんという同い年の女の子だった。 『紗耶ちゃんっていったっけ? フェラがヘタだって彼氏に怒られてるんだって? 大変だね〜』  金色の髪を揺らしてけらけらと笑う美春さんは、竹上の幼なじみで、高校を中退して風俗店で働いているのだそうだ。  そのせいだろうか。同い年のはずなのに、私よりもずっと大人っぽい雰囲気を漂わせている。背はあまり高くないけれど、胸が大きくて、目が大きくて、すごく艶っぽい。お化粧も濃いけれど、美人というよりは愛嬌のある可愛らしい顔立ちだった。  美春さんにコーチをお願いするに当たって、竹上は適当な作り話をでっち上げていた。曰く、フェラが下手なためにいつも彼氏に怒られているのでなんとかしたい……と。まさか実の弟に行為を強要されているなんて言うことはできない。 『じゃ、時間もないしさっそく始めようか。あたしがユウ相手にお手本を見せるから、紗耶ちゃんは、まずはこれで真似してね』 『え……これ……って』  有無をいわさず手渡されたものを見て、顔が真っ赤になった。それは男性器を模した、いわゆる「大人のオモチャ」。妙にリアルなその形状に、いやな記憶が甦ってくる。  たかがオモチャひとつで顔色を変えている私とは対照的に、美春さんはなんの躊躇もなく竹上の股間に手を伸ばしてファスナーを下ろしていった。 * * *  宏樹はいつものように、私の身体を洗ってくれている。  視界の隅に男性器が映る。  これもいつものように大きく勃起して反り返っている。そのグロテスクな姿が数時間前の記憶を呼び起こした。  竹上にフェラチオしている美春さんの姿。  手でしごいたり。  舌を絡ませたり。  根元までくわえたり。  首を振るようにして内頬に擦りつけたり。  頬をすぼめて強く吸ったり。  どこをどうすると男は気持ちよくなるのか、どうすると自分はあまり苦しい思いをしないのか、ひとつひとつ説明してくれながら竹上のものをしゃぶっている。  私はそれを真似て手の中のオモチャを舐めたり、ちょっとだけくわえてみたりした。たとえ無機物が相手でも、美春さんのような大胆な真似は恥ずかしくてできない。  美春さんは対照的に、楽しそうに、美味しそうに、そして気持ちよさそうに頬張っている。嫌々、無理やりくわえさせられている普段の私とは大違いだ。  その光景に目が釘付けになってしまう。  考えてみれば初めてのことだった。  宏樹以外の男性のものを直視するのも、男女のこうした行為をビデオや写真じゃなくて実際に目の当たりにするのも。  不思議と嫌悪感はなかった。自分がさせられているのではないからだろうか。それとも美春さんが楽しそうに、気持ちよさそうにしていたからだろうか。  私はむしろ興奮してさえいた。顔が火照ってくるのがわかる。下着の中が熱く潤ってきている。脚を閉じてそっと太腿をすり合わせながら何度も生唾を呑み込んだ。  だんだん美春さんの手や頭の動きが速くなってくる。竹上の息が荒くなり、身体を小さく震わせている。  そろそろ終わりが近いのだろうか――そんなことを思うのと同時に、竹上は短い呻き声を上げて美春さんの頭を掴んだ。  びくっと痙攣する。美春さんが口をすぼめて吸う。  射精したんだな……熱っぽい頭でぼんやりと思う。 『ほら……ね?』  竹上から離れた美春さんが、私に向かって舌を出してみせる。  どろりとした白濁液にまみれた舌。栗の花に似た生ぐさい臭いが鼻をつく。 『え……?』  顔が近づいてくる。その意図を悟った時には手遅れだった。美春さんに腕を掴まれると同時に唇が重ねられていた。 『ん……んんっ?』  美春さんは意外と力が強く、もがいても逃れることがはきなかった。唇を割って舌が侵入してくる。生臭い粘液が流し込まれる。  すぐに、抵抗する気力もなくしてしまった。  予想外の出来事に頭がショートしてしまい、どう反応すればいいのかわからなかったせいもある。  美春さんの唇の感触が気持ちよかったせいもある。  そしてなにより、竹上の精液を口中に流し込まれているというのに、不思議とそれが嫌ではなかったという理由が大きい。  そうすることが当然であるかのように、口の中の粘液を飲み下した。喉に絡みつくような感覚を残して粘液の塊が食道を下っていく。 『ね、意外とイヤなものじゃないでしょ? 慣れるとね、これも美味しく思えてくるんだよ。それに……』 『――っ』  美春さんの手がスカートの中に潜り込んできた。その不意打ちになんの抵抗をすることもできなかった。 『沙耶ちゃん、興奮してるでしょ? 当然だよね、傍で見ててなにも感じない方がおかしいって。女の子の本能は、ザーメンの味や臭いに反応するんだよ』  私は顔を真っ赤にして、無言で首を振った。だけど誤魔化しきれない。ショーツの上から触れてもわかるくらい、そこは熱くなっているはずだ。  微妙な部分に触れている指が小刻みに震える。さすがはプロの技、堪えようとしても切なげな声が漏れてしまう。 『じゃ、今度は紗耶ちゃんがやってみようか』 『……え?』 『気分も昂ってきたところで、実践練習よ』  美春さんは竹上を指さして笑う。つい先刻射精したばかりのそれは萎える様子も見せず、相変わらず反り返って天井を向いていた。 『実践、って……』 『やっぱり本物で練習しなきゃ。数をこなさなきゃ上達しないよ。ま、ユウを満足させられるようになれば大抵の男はイチコロだから、頑張って』 『頑張って、って……』  実践?  竹上を相手に?  それってつまり、竹上にフェラチオするってこと?  竹上の顔を見る。いつものようににやにやと、どことなくいやらしい笑みを浮かべていた。私の反応を面白がっているようにも見える。 『ほら、ぐずぐずしない』  美春さんは私の手を取って、有無をいわさず竹上のものを握らせた。  初めて、だった。  宏樹相手に口での行為は何度も経験しているが、それは無理やりくわえさせられたもので、手でそこに触れたことはない。  それは固くて、熱かった。心臓の鼓動に合わせるように小さく脈打っていた。 『はい、まずはキスからね〜』  美春さんに頭を押さえられる。竹上の股間が近づいてくる。 『あっ、あのっ!』  抗議の言葉を発するために開きかけた唇に、熱い肉の塊が押しつけられた。 * * *  今日も、させられるんだな……。  浴槽の中で身体を愛撫されながらぼんやりと思った。  宏樹がそれを要求してくる時は、なんとなく気配でわかるようになっていた。浴室の空気が張りつめている。言葉にできない緊張感が満ちている。  背後から抱きしめられているので、宏樹のものがお尻に押しつけられる形になっていた。それは固く、大きく、勃起していた。  昼間、垣崎ともしていたのだろうに元気なものだ。そもそも、彼女としたその夜に実の姉に性的行為を強要するというのはどういうことだろう。  宏樹はいったい何を考えているのだろう。ひとつだけわかっているのは、これから私に欲望をぶつけようとしているということだけだ。  ほら、来た。  浴槽の中で宏樹が立ち上がる。  私の前に立って頭を押さえつける。  口をこじ開けさせて固い肉棒を強引に押し込もうとする。  だけど今日、私は初めてそれに抵抗した。  細い腕に精一杯の力を込めて宏樹の身体を押し返す。 「ら、乱暴なことしないでよね」  言いながら、一瞬だけ宏樹の顔を見上げる。微かな驚きと戸惑いの表情を浮かべていたように思うが、はっきりとはわからない。まっすぐに顔を見る勇気がなくてすぐにうつむいてしまったから。  ここからは、面と向かっては言えない台詞だった。 「乱暴にされなければ……」  腕を伸ばす。宏樹のお腹に触れる。  そこからゆっくりと手を下へ滑らせていく。  固くて熱い、男の欲望の象徴に触れる。そっと握ってみる。 「……べ、別に、どうしても嫌ってわけじゃないんだから」  顔を近づけていく。至近距離で直視するのはやっぱり抵抗があって、ギュッと目をつぶってその先端に唇を押しつけた。 * * * 『そう、その調子。唇をすぼめてカリの部分に引っ掛かるようにね。そのまま首を左右に振るように……』  美春さんの指導に従って、私は竹上相手の口戯を続けていた。  ひとつひとつ、どうすすればいいのか指示してくれる美春さん。  言われた通りに指を、唇を、舌を、頭を動かす私。 『時々、上目遣いに相手を見上げるの。その表情がそそるんだから』  そう言われて視線を上に向けると、にやにやと笑っている竹上と目が合った。 『まだまだ、そんなもんじゃイケねーぞ。もっと頑張れよ』  竹上はからかうように言うと、私の頭を乱暴に撫で、何度か腰を突き出してきた。  恥ずかしいのと悔しいのとで、顔を真っ赤にして固く目を閉じる。  全神経を口に集中する。無我夢中で頭を動かす。  固い男性器が口の中で暴れている。  舌を、上顎を、内頬を擦っていく。  それに指を、そして舌を絡める。  強く吸う。  相手が竹上だなんて考えないことにした。先刻の、バイブ相手の練習の延長と自分に言い聞かせる。  だけどやっぱり意識せずにはいられない。  今くわえているのは作り物ではない。  熱い脈動を感じる。これは血の通った男、弟ですらない『男』なのだ。  生まれて初めて、自分の意志で男性に奉仕している。それも、恋人でもなんでもない相手に。  なのに私は興奮していた。  顔が、胸が、そして下半身が熱くなっていた。  半分は美春さんのせいだ。耳元であれこれと指示を出しながら、手を私のスカートの仲にもぐり込ませている。下着の上から敏感な部分を刺激している。  頭の中が真っ白になって、なにも考えられなくなってくる。  気が遠くなりそうだ。  意識をつなぎ止めるため、私はただ、口での愛撫に全神経を集中していた。 * * *  美春さんに教えられたこと。  竹上相手に練習したこと。  ひとつひとつ思い出しながら、宏樹への奉仕を続けていた。  宏樹はなにも言わず、ただ黙って愛撫に身を委ねていた。  それでも感じていることは間違いない。  口の中のものははち切れそうなほどに大きく、固くなっている。時折、押し殺したような荒い息を漏らしている。  宏樹の顔を見ることはできなかった。この状況に宏樹がどう感じているのか、なにを考えているのか、知るのが怖かった。  なにも考えず、ただ口と手を動かすことだけに集中する。  竹上相手の練習で心身ともに疲れ切っていたけれど、それでもいつもよりは楽だった。自分がリードしていると、無理やり奥まで押し込まれるのと違って苦しくない位置を保つことができる。  宏樹の手は私の頭に乗せられている。いつものように乱暴に掴んだり、揺すったり、髪を引っ張ったりすることもない。  時々、頭をそっと撫でてくれる。  それがなんだか嬉しくて、疲れているのに頑張ってしまう。動きを加速する。  続けているうちに、自分の身体も熱くなってくるのを感じていた。  下半身が痺れて、唇が、舌が、勝手に動いてしまう。  気持ち、よかった。  熱い肉棒に擦られている口の中が気持ちよかった。  行為を続けながらそっと下腹部に触れてみると、そこは熱い蜜でぬかるんでいた。  私は興奮していた。宏樹にフェラチオしながら、今までのような嫌悪感を覚えることもなく興奮していた。  そしておそらくは、宏樹の興奮度も高まってきているはずだ。微かな声が漏れ、手に力が入ってくる。腰がゆっくりと動き出す。  そろそろ達しそうなのだろうか。竹上をいかせるのにかかった時間に比べるとずいぶん短いけれど、終わりが近い気配が感じ取れた。  手の動きを精一杯速くする。口をすぼめて強く吸う。 「う……、あ」  一瞬、宏樹の身体が強張る。手に力が込められる。  そして。  口の中で限界まで膨らんでいたものが大きく脈打って爆発した。 * * *  一度目の練習の時は、あまりうまくはいかなかった。  いくぞ、と予告されていたにも関わらず、その勢いにびっくりして途中で咳き込んで吐きだしてしまった。  当然の結果として、残りは顔で受けとめることになってしまった。  竹上の精液を顔に浴びて、だけど宏樹相手の時のような吐き気が襲ってこないことに自分で驚いていた。  私の顔を拭った美春さんの指が、顔の前に差し出される。  白い粘液にまみれた指。  そうすることが当然のように、私はそれを口に含んでいた。 * * *  今度はうまくいった。  口中に噴き出してきたものは竹上の時よりもずっと量が多く感じたけれど、一滴残らず受け止めることができた。  口の中をいっぱいに満たした粘液を、一気にごくんと飲み下す。ゼリーの塊を思わせる感触が喉を下っていく。  さすがに「美味しい」とは思えなかったけれど、吐くほど気持ちの悪いものでもないと思った。  疲れはしたけれど、行為を強要されていたこれまでのような苦しさとか辛さとかがなくて、比較的上手にできたことに軽い満足感すら覚えていた。  宏樹も満足してくれただろうか。  いつもこんな調子なら時々してあげるくらいはいいかな……と思いながら、私は口を離そうとした。  ところが。  宏樹の手は、私の頭を押さえたままだった。  離れることを許してくれない。  そして、口の中のものはまだ勢いを失っていない。  ちらりと宏樹の顔を見る。 「…………もう、一回」  微かに呻くような声で、宏樹はそれだけを言った。 * * *  竹上も、一度では解放してくれなかった。  一度終わって、肉体的にも精神的にも消耗しきってしばらく呆けていた私が我に返ると、美春さんの姿は見当たらなくて、隣に座った竹上が服の上から私の身体を撫で回しているところだった。 『……なに、してるの?』  怒っている声を出したつもりだったけど、身体はベッドに横たわったままで、呆けた力のない声ではまるで迫力がない。 『無防備に寝てる女が隣にいたら、とりあえず触るだろ。男としては』 『……』  言いたいことはたくさんあったが、この男になにを言っても無駄という気がする。心底呆れているぞ、という意思表示のために大きく溜息をついて話題を変えた。 『美春さんは?』 『仕事』 『仕事って……』  風俗嬢、っていっていた。窓の外はもう暗い。仕事の時間なのだろう。今頃はどこかの男相手に、先刻、手本を見せてくれたようなことをしているのだろうか。その光景を想像して、少し顔が熱くなった。 『ところで竹上、彼女とどういう関係なの? 幼なじみってだけで、口でするのが上手なんて知ってたはずないよね?』  なんとなくなりゆきでここまで来たけれど、考えてみれば不自然ではないだろうか。 『……元彼女だよ』  元、の部分に少しだけ力を込めて竹上が答える。 『『元』彼女が、どうしてなんの躊躇もなく、いまさら口でしてくれたりするの?』 『今は……ま、簡単に言えばセフレ、かな』 『セフ……』  絶句してしまう。いまだバージンの身としては、そうした関係っていまいち実感が持てない。  そんな会話の間も、竹上はずっと私の身体に触れていた。あえてなにも言わずにいたのは疲れてそんな気力もなかったせいもあるが、一番の理由は、それに嫌悪感を覚えるどころかむしろかなり気持ちよかったからだ。  服の上から胸を揉まれる。宏樹に触れるのとはまた違った快感が湧き上がってくる。  女性経験豊富な竹上のこと、私が感じていることはわかっているのだろう。だんだん触り方が大胆になってくる。自分でも不思議なくらい、その愛撫をおとなしく受け入れていた。  シャツの下に手を入れて、ブラの上から胸を愛撫してくる。もう一方の手が、私の顔に触れる。  指先が唇の上を滑り、口の中へともぐり込んでくる。私は指にフェラチオするようにそれを吸い、舌を絡めた。 『わかってきたじゃん?』  竹上が微かな笑みを浮かべる。 『……そりゃあね。こんなハードなトレーニングさせられたら』 『な、もう一回してくれよ』 『なに言ってんのよ、バカ』 『一回くらいで、マスターしたつもりか? 先刻は美春の言う通りにしただけだろ? 一度、自分の力だけで全部やっておいた方がいいんじゃないのか?』  一応は説得力のある台詞だが、竹上の真意はそんなことではあるまい。 『とかなんとか言って、ただ私にさせたいだけでしょ?』 『その通りだけどな。な、いいだろ』 『もう疲れた。遅くなるし……』 『俺が家まで送ってやるよ。ついでに、晩メシおごってやるから』  言いながら、もうズボンを脱いでいる。二度も射精した後なのに股間のものは反り返って上を向いていた。  腕を掴まれてそれを握らされる。それでもまだ私は首を縦には振らなかった。 『……別に私にさせなくたって、美春さんがしてくれるでしょ。私なんて、その……ぜんぜんよくなかったんじゃない?』  美春さんの流れるような動きに比べれば、ぎこちなかったのが自分でもわかる。なんとかいかせはしたものの、経験豊富な竹上が納得できるレベルとは思えない。 『いや、マジな話、思ってたよりずっと興奮したな。だから、なあ、頼むよ』  手の中のものの固い弾力を感じながら、私は小さく溜息をついた。  疲れているし、早く家に帰ってゆっくりと休みたい。第一、どうして竹上のものを二度もくわえなければならないのだろう。  だけど確かにまだ練習不足ではある。まだ一人でちゃんとできる自信はない。  それに。  今の台詞、ちょっと効いた。  女の子を力ずくで犯すことくらいなんとも思わないはずの竹上が『頼む』だなんて。  ちょっと愉快でさえある。  だから。 『……ひとつ、貸しだからね』  いかにも渋々という風を装いながら、手の中のものにチュッとキスをした。 * * *  今日一日で、竹上相手に二度。宏樹相手に二度。  宏樹の二度目の射精を口で受けとめた時には、本当に体力の限界だった。  精液の味って相手によって微妙に違うんだな……なんて馬鹿なことを考えながら、私は浴槽の中で眠りに落ちていった。 13  二学期が始まって、少し経った頃。  私はいつものように体育の授業をさぼって、屋上でひとり時間を潰していた。  転落防止用の金網に寄りかかって文庫本を開いていたけれど、実際のところそれはポーズだけで頭の中ではまったく関係ないことを考えている。  それはもちろん宏樹のこと。  あの日以来、宏樹との関係は比較的うまくいっているように思う。  ほとんど毎日、口でしている。以前のように無理やり強要されるのではなく、自分の意志で「してあげて」いるのだ。  入浴の終わりに宏樹が黙って私の前に立つ。それが合図。  私もなにも言わずに宏樹の股間に手を伸ばす。それは既に大きく固くなっていて、手の中でぴくぴくと震えている。  しばらく手で握ったり、擦ったり、その固い弾力を楽しんでから口に含む。  口の中いっぱいに膨らんでいる男性器を強く吸い、舌を絡め、内頬を擦りつける。  自分にできる精一杯のテクニックを動員して奉仕する。  ずいぶん慣れてきたと思う。  最初の頃のように気持ち悪くなることもない。  自分の意志で、かつ自分でコントロールできる体勢ですると、根元までくわえるのもさほど辛くはなかった。  やがて宏樹は射精に至る。  それを口で受けとめ、一滴残らず飲み下す。もう吐いたりしない。美味しいと思っているわけではないが、宏樹が気持ちよくなってくれた証を飲み込むことで、ひとつの仕事をやり遂げたという達成感を覚えるのだ。  実の弟に対する口での奉仕。  その行為が好きかといわれると疑問が残るが、かといって嫌々しているというわけでもない。これまで一方的に負担をかけていた私が宏樹に対してしてあげられることがある。宏樹を悦ばせることができる。その満足感は、姉弟で性的な行為をすることへの抵抗感よりも強かった。  もちろん昨夜もした。  思い出すと感覚が甦ってくる。固い弾力のある、口の中で脈打っている熱い肉の塊。それに舌を絡める。口全体で包み込む。内頬を滑る男性器の感触は心地よくさえあった。  目を閉じて記憶を反芻する。淫猥な記憶に身体の芯が熱くなってくる。その行為を再現するように、口の中で舌が動く。呼吸が速くなってくる。  邪魔が入らなければ、学校の屋上で自慰行為に及んでいたかもしれない。危ないところだった。妄想に夢中になっていて、近づく足音を聞き逃していた。  不意に日が陰ったように感じて目を開く。  こうして屋上でくつろいでいる時間を邪魔するのは、大抵は竹上である。しかし今回は違った。意外な顔を目にして、二度、三度、瞬きを繰り返した。  垣崎だった。どうしたのだろう、向こうだって今は授業中だろうに。  予想外の展開に戸惑っていると、垣崎の方から口を開いた。 「……ちょっと、お話ししてもいいですか?」  固い表情。なにか怒っているようにも見える。 「……なに?」  やっぱり意外だった。普段はあえて私の存在を無視しているような垣崎の方から話しかけてくるなんて。  見おろされるのは好きではないので、立て掛けておいた杖に掴まって立ち上がった。それでもまだ垣崎の方が頭半分以上も背が高い。  不機嫌そうな顔の垣崎。怒っているような、あるいはなにか思い詰めているような。 「宏樹のこと?」  垣崎の用なんて他にあり得ない。 「その……あたしがこんなこと言うのもどうかと思うけど」 「……うん?」 「お姉さん、宏樹くんに甘えすぎじゃないですか?」  責めるような口調だった。 「だって、ちょっと杖をつくくらいで、外出だって普通にできるんでしょう? それなのに宏樹くんに……」  なるほど。  だいたい予想した通りの内容だ。  先日のあの一件、垣崎はかなりおかんむりのようである。当然だ。自分とエッチしている最中の彼氏が姉の送り迎えのために中座なんて、普通の女の子なら我慢がならないだろう。  どうしても、絶対、の事情ではない。垣崎の言う通り、私だってその気になればちょっとした外出くらいは一人でもさほど不自由なくできる。  宏樹が過保護なのだ。  それが心地よいために、私もつい甘えてしまうのだ。  二人きりの時に行われている行為を知らなくても、他人から見たら私たち姉弟はちょっと不自然かもしれない。少なくとも、彼女が嫉妬するくらいには。  垣崎の言い分はもっともだった。その気持ち、理解はできる。  宏樹は必要以上に私を甘やかしている。  私は必要以上に宏樹に甘えている。  どちらにとってもいいことではない。  自分のことはできるだけ自力でするべきなのだ。その方が身体のためにもいい。  宏樹も必要以上に私と接触するから、姉弟で性的関係を持ってしまうのではないだろうか。入浴や着替えを手伝っていては、健康な高校生男子としては欲情してしまっても仕方がない。  だから。  もっと距離を置くべきなのだ。宏樹と私は。  もっと普通の姉弟になるべきだ。少なくとも、恋人よりも姉を優先するようではいけない。  だけど……  だけど。  不愉快、だった。  目の前では垣崎がまだなにやらまくし立てているが、私はもう聞いてはいなかった。  不愉快、だった。  垣崎に言われたくはない。  それが正論であり、垣崎には言う権利があるとしても。  垣崎には言われたくない。ううん、他の誰であっても。  理屈なんかどうでもいい。  私には宏樹が必要なのだ。  傍にいて欲しい。  他の誰よりも私を大切にして欲しい。  私のものであって欲しい。  それは決して恋愛感情ではないが、それでも独占欲は存在する。何年もの間、宏樹に頼り切って生きてきたのだ。いまさら宏樹なしの生活なんて考えられない。  多分、垣崎の言うことはもっともだ。『彼女』の言い分としては。  だからこそ、面と向かって言われると不愉快だった。  垣崎にそれを言う権利があったとしても、私には聞いてやる義理はない。  だから、いつまでも黙ってはいなかった。 「……そうね。あなたの言うことももっともだと思う」  皮肉っぽい笑みを浮かべて私は言った。 「でも、あなたに言われる筋合いはないんじゃないかな?」 「え?」 「他人のあなたには関係ないことでしょ? これは、私と宏樹の問題」  一語一語、力を込めて言った。「他人」と「関係ない」の部分を特に強調して。  垣崎は言葉を失っていた。驚いて目を見開いている。  多分、言い返されるなんて思っていなかったのだろう。  小柄で、華奢で、見るからにひ弱そうな私。垣崎のような連中はみんなそうだ。自分より弱い者にだけ強い態度をとれる。 「な……」  口をぱくぱくとさせている垣崎。しかし言葉が出てこない。 「確かに、私は必要以上に宏樹に甘えてるかもしれない。だけどあなたには関係ない」  私は言葉を続ける。 「第一、私が強要してるわけじゃないもの。私に言うのは筋違いじゃない? なにも言わなくても、宏樹が自主的にしてくれてることなんだから」  もう止まらなくなっていた。今までなにも言わずにいたけれど、垣崎の存在は本当に目障りだったのだ。家にまで押し掛けてきて、私も腹に据えかねていた。 「私はなにも強要していない。お願いする必要すらないんだから。宏樹がなんでも自分から進んでやってくれるのよ? 身の回りのことはなんでも。出かける時は必ず送り迎えしてくれるし、身の回りのことも全部やってくれる。髪のセットも、お化粧も、それに着替えの手伝いも……ね」  垣崎の顔色が変わる。送り迎えなどはともかく着替えというのは初耳だろう。『彼女』としては聞き流せることではない。 「それだけじゃない。お風呂だって毎晩、宏樹に入れてもらうの」  これは決定的だった。垣崎の身体が強張る。表情が引きつる。 「身体中、隅々まで、宏樹が洗ってくれる。でも宏樹ってば、エッチな部分にばかり時間かけるんだよねー」  意図的に笑いながら言った。「仕方ないんだから……」と年上の余裕を見せて。  垣崎はもう顔面蒼白だった。今にも貧血で倒れそうな様子である。 「宏樹の洗い方って、エッチだけど気持ちイイんだー。私もヘンな気分になっちゃう。もちろん宏樹もね。私を洗いながら、アレが大きくなってるの。だから洗ってくれたお礼に……ね?」  その先はあえてはっきりとは言わず、なにかをくわえて舐める仕草をして見せた。  多少の脚色はあるが嘘ではない。入浴時にエッチな部分を触られることも、それが気持ちいいことも、宏樹にフェラチオしていることもすべて事実なのだ。 「……う……うそ」  呻くような声。垣崎の脚はがくがくと震えている。 「嘘じゃないよ。宏樹に訊いてみたら? あ、言えないか。実の姉に毎晩口でしてもらってるだなんて『彼女』には言えないよねー」  彼女、の部分にわざとアクセントをつける。垣崎が宏樹の彼女であっても、自分だけが特別と思うなという意味を込めて。 「第一、最初は宏樹の方から無理やり襲ってきたんだもの、言えるわけないよねぇ。ま、今じゃ私も喜んでしてあげてるんだけど。とっても気持ちよさそうにしてくれるから嬉しくって。口の中いっぱいに出されたものを、一滴残らず飲んであげるの。で、お風呂から上がったら寝室に連れていかれて……ねぇ?」  嘘はついていない。たとえそれが、意図的に誤解させようとした発言であったとしても。  実際には、寝室に戻ったら身体を拭いてもらって、髪を乾かしてもらって、パジャマを着せてもらうだけ。寝室でエッチしてると勘違いするのは聞く者の勝手だ。 「う、うそよっ! そんなこと、あるわけないじゃないっ!」  垣崎は顔をくしゃくしゃにして叫んだ。涙が溢れ出している。 「どうして?」  私は平然と応える。 「どうして、あるわけないって? 実の姉弟だから? 近親相姦なんて、そんなに珍しいことでもないんじゃない? 親が留守がちの家で、年頃の男女が二人きりなんだもの」 「だ、だって! ……嘘よっ! そんなの嘘! 嘘つきっ!」  ガシャン!  背後で金網が大きな音を立てる。垣崎にいきなり胸ぐらを掴まれ、力いっぱい金網に押しつけられたのだ。もしもこの金網がなかったら、そのまま屋上から突き落とされていたほどの勢いだった。 「嘘っ! 嘘っ! 嘘っ! 宏樹くんがそんなことできるはずがない! この嘘つきっ!」  頬を殴られる。よろけて倒れそうになるところを、金網に掴まってなんとか踏みとどまった。  垣崎を挑発し始めた時から、こうした展開はある程度予想していたことだった。一、二発、殴られてやってもいい。垣崎が怒れば怒るほど、私に暴力を振るうほど、状況は私に有利になるのだから。 「あんたなんか……あんたなんか……、いなけりゃいい。事故で死んじゃえばよかったのにっ!」  また襟を掴まれる。頸動脈が絞められる形になって、息が苦しくなってきた。  私を睨みつける垣崎の目が尋常ではなかった。正気を失った、血走った目。 「……死ねばいいのよ! あんたなんかっ! あんたなんかっ!」  両手で首を絞められる。  これはちょっと危険かもしれない。挑発しすぎただろうか。  だけど私の頭は冷静だった。まだ余裕があった。垣崎なんかに殺されるはずがない、という確信から生まれる余裕が。 「あんたが死ねば、宏樹くんは……」  手に力が込められる。視界が暗くなってくる。 「……殺人は……リスクが大きすぎる……と思うけど?」  一応言ってはみたが、そんな正論が通じる精神状態ではあるまい。 「平気よ。ここから突き落として、障害を苦にしての自殺って遺書でも残しておけば。ワープロ打ちなら筆跡もばれない」  まずい、かもしれない。これだけ逆上しているのに、変なところで冷静だ。  私は書き物の時、たいていパソコンを使う。元が左利きで、怪我の直後はまともに字を書くこともできなかったので、授業中でもノートパソコンの使用を認められているくらいだ。遺書がワープロ打ちでも、私を知っている者なら特に不自然とは思わないだろう。  もしかすると、垣崎は以前にも考えたことがあるのかもしれない。  ……私の存在を排除することを。  実行する気はなくても、単なる妄想としてくらいなら。  本気、なのかもしれない。秘かに望んでいたことを、実行するきっかけを与えてしまったのかもしれない。  視界が暗くなってきた。  このままではまずい。垣崎なんかにいつまでも好きにさせておくのも癪だ。  だから――  右手をポケットの中に滑り込ませる。  取り出したものを垣崎の身体に押しつけ、スイッチを押す。  小さな破裂音。  垣崎の身体がびくっと痙攣する。首を絞めていた手が離れ、崩れるようにその場に倒れた。 「……あ……ぁ、う……」  言葉にならない呻き声を洩らし、小刻みに震えている。  私が握っていたのは小さなスタンガンだった。一年ちょっと前だろうか、護身用にと宏樹が買ってくれたものだ。なにかあった時に「走って逃げる」という選択肢を選べない私にとっては心強い味方だった。  屋上のコンクリートに横たわって痙攣している垣崎を見おろしながら、呼吸を整える。 「……障害者相手なら、力ずくで簡単に言うことを聞かせられると思った? あんまり舐めないでよね。こっちはハンデがある分いろいろ考えてるんだから」  用の済んだ武器をポケットにしまい、代わりにもうひとつの武器を取り出す。  ポケットや鞄に容易に隠せる程度には細身だけれど、人を傷つけるには充分な刃渡りと鋭さを持ったナイフ。  たたんである刃を口にくわえて開く。午後の強い陽射しを反射して輝くナイフを、垣崎の鼻先に突きつける。 「ねえ? あなたが私を殺すよりもずっと簡単に、私はあなたを殺せるの。わかってる?」  涙ぐんだ、怯えた瞳が向けられる。逃げようにも、身体は痙攣するばかりでいうことをきかないようだ。 「はっきり言う。あなた目障りなの。私の……私と宏樹の前から消えて。口で言うより、二度と宏樹の前に出られないような顔にする方が早い?」  刃を立てて、動けない垣崎の頬に押しつける。このままナイフを前後どちらかに軽く動かすだけで顔に大きな傷が残るだろう。  思うように身体が動かない中で、自分の生命を他人に握られる恐怖。  私が何度も感じてきた屈辱。  少しは思い知ればいい。  実際のところ、垣崎を傷つけるつもりはなかった。物的証拠が残ればこちらに不利になる。垣崎ごとき、ちょっと脅してやれば充分だと思っていた。そうすればこの先、少しは目障りではなくなるだろう、と。  だけど―― 「相変わらず怖いヤツだな、オマエは」  背後から不意に声をかけられて、びっくりして振り向いた。驚くのは当然だ。垣崎のことに夢中になっていて、第三の人間が傍にいることなどまったく気づいてはいなかった。そもそも今は授業中である。  しかし声の主は竹上だった。私なんか比べものにならないくらい、授業中に教室以外の場所にいることが多い人物だ。  校舎の中に通じる扉の前に立って、いつものようにニヤニヤと笑いながらこの光景を面白そうに眺めている。 「な……なにやってんのよ、こんなところで」  ナイフをポケットに隠しながら言った。普段「おとなしくて目立たない」存在である私が動けない女の子にナイフを突きつけている姿を見られるなんて、ちょっとどころではなく気まずい。  竹上に対しては今さら隠しても意味はないのだが、女の子としてのたしなみである。 「なにやってんの、か。それは俺のセリフだと思うが?」 「……あんた、最初から見てたんでしょ?」  あまりにも絶妙なタイミングでの登場。そうでなければ説明がつかない。 「や、途中から。お前が首絞められてたあたりかな」 「見てたんなら助けなさいよ!」 「知ってるからな。助ける必要はないって」 「……」  そこで言葉を失った。竹上の言う通りだ。宏樹を除けば、私が隠し持っている『武器』の存在を知っている唯一の人間なのだ。  無言で竹上を睨みつける。もう少しなにか言い返したかったが、うまい言葉が見つからなかった。  だからそのまま立ち去ろうとした。落ちている杖を拾う。 「で、これ、どうすんだ?」  竹上が、まだ動けずにいる垣崎を指差す。 「知らない。放っておけば?」 「それもどうかと思うが」 「知らない。私には関係ない」  竹上がなにを言わんとしているのか、もちろんわかっていた。だけど、そのことにはあえて触れなかった。  垣崎がひどい目に遭えばいいという気持ちはもちろんあるが、女としてはその行為を推奨する気にもなれない。だから「私には関係ない。竹上が勝手にやったこと」というスタンスを取るしかなかった。 「じゃ、好きにさせてもらうか。こんな美味しいシチュエーション、放っておく手はねーよな」  竹上の大きな身体が垣崎の上に覆い被さる。セーラー服をまくり上げ、仰向けになっていてさえ存在感を失っていない大きな胸を乱暴に掴んだ。 14 「……ゃ……ぁっ、ぅ……くっ……」  授業中の静かな屋上で、くぐもった嗚咽の声だけが聞こえてくる。  声の主は、宏樹の彼女である垣崎由香里。  それが私の目の前で、竹上に犯されている。  セーラー服はまくり上げられ、ブラジャーは剥ぎ取られ、大きな胸が露わにされている。  竹上は垣崎の両脚を掴んで大きく開かせて、その間で腰を乱暴に前後させている。その動きに合わせて、仰向けになっても存在感のある胸が大きなプリンのように揺れている。  相手のことなど気遣う様子は微塵もなく、ただ自分の欲望をぶつける竹上。ひと突きごとに、破れた下着を詰め込まれた口からか細い嗚咽が漏れる。  その声に力はない。もう、泣く気力すら残っていないのだろう。涸れるほど流した涙で頬はぐっしょりと濡れている。  残忍な笑みを浮かべてた竹上が、動けない獲物を陵辱している。以前一度だけ……いや二度だけ口にしたことのある大きな男性器が、垣崎を深々と貫いている。  竹上は気持ちいいのだろうか。だんだん動きが速く、大きくなってくる。それに比例して嗚咽も少しだけ大きくなる。  そして私は……  不思議と、なんの感慨も湧かなかった。  いい気味だ、とか。  さすがに可哀想だ、とか。  当然感じるはずのそうした思いが心に浮かばない。  ただぼんやりと、目の前で繰り広げられている陵辱の光景を見つめていた。  いや。ただ目に映していただけだ。  その時、私の意識は目の前の行為よりも、一年前の記憶に向けられていた。 * * *  一年前、まだ中学生だった頃。  あの時も天気のいい暑い夏の日だった。  私はいつものように、保健室で休んでいるという口実で体育の授業をさぼり、ひとり屋上でたたずんでいた。  蝉の声がうるさい。  なのに不思議と眠くなってくる。鳴き声が単調なためだろうか。  少しうとうととしていたのだろう。近づいてくる足音ではっと我に返った。  大きな身体が陽射しを遮って陰を作る。  それがクラスメイトの竹上雄一であることはすぐにわかった。ほとんど言葉も交わしたことのない相手だが、目立つ外見をしているし、なにより有名人だ。それは主として悪い噂のためであるが。 「三島、か? なにやってンだ、こんなとこで?」  竹上は身体が大きく、よくいえば野性的、悪くいえば粗野な雰囲気の持ち主だった。獲物を前にして舌なめずりする肉食獣を思わせる笑みに本能的な恐怖を覚える。 「べ、別に……」 「お前もサボリか。マジメそうな顔して」  お前も、と言うからには竹上もさぼりなのだろう。普段から授業態度は最悪、遅刻や無断欠席は日常茶飯事だ。  ここにいては危険だ、と本能がささやく。すぐに立ち去らなければ。  しかし、その判断は一瞬遅かった。 「ちょうどいい。暇つぶしの相手しろよ」  巨体に似合わぬ素速さで、竹上は私を押し倒した。まったく反応できなかった。  大きな掌に口を塞がれる。  もう一方の手が乱暴に胸を掴む。  筋力も体重もすべてが桁違いの相手。小柄な上に障害を抱えている私では、いくら暴れてもびくともしない。そもそもろくに暴れることさえできなかった。 「――っ!」  セーラー服が中のブラジャーごとまくり上げられる。痩せた胸が露わにされる。 「なんだ、貧っ相なカラダだな。小学生にも負けるじゃねーか」  そんなことよりももっと目立つであろう傷痕のことには触れずに、侮蔑の言葉を吐く。 「しかしここまでガキっぽいと、犯罪くさくてかえってそそるか」  スカートがまくり上げられる。下着の上から太い指が割れ目をまさぐる。  痛い。  愛撫とも呼べない乱暴な接触。未熟な身体にとっては激しすぎる刺激。  ぐいっと押しつけられる指の先端が、ショーツの生地ごと中にもぐり込む。  それは自慰の時に触れる自分の指の何倍も大きそうで、骨張った感触だった。  痛い。  犯される。  その恐怖が身体を貫く。  竹上についての悪い噂は山ほど聞いている。校内で女の子をレイプしたなどという、にわかには信じがたいものまで含めて。  今、それが現実になろうとしている。  強引に脚を開かされる。すごい力だ。か細い私の脚ではその腕力に太刀打ちできない。  情けなく開かれた脚の間に身体を入れてくる。ズボンのファスナーを下ろす。  このままでは犯される。  その時、天啓のように閃いた。  そう。あれは、こんな時のために宏樹が持たせてくれたのではないか。  慌ててスカートのポケットに手を入れる。  実際に使ったことはなかったが、いつも持ち歩いていたその武器の硬い手触りは心強かった。ポケットから取り出し、竹上の脇腹に押しつけてスイッチを――  ……押そうと、した。  しかしそれより早く、大きな手が私の手首を掴んでいた。  骨が軋むほどに強く握られる。本気で力を入れられたら、簡単に折れてしまうかもしれない。  私は短い悲鳴を上げ、力の抜けた手から小型のスタンガンが落ちた。 「……怖いもん持ってるな、危ない危ない」  竹上はからかうように言って、コンクリートの上に転がったスタンガンを弾き飛ばした。大きな身体が覆い被さってくる。 「惜しかったな。次はもうちょっとうまくやるこった」 「……い、痛っ!」  胸を噛まれた。反撃しようとしたことに対する罰なのか、歯が喰い込むほどにきつく。  滲み出た血を舐め回す。やがてその舌が下へ移動してくる。 「……やっ、やぁっ、いやっ!」  身体を捩って逃れようにも、私の倍以上ありそうな体重で押さえられたら何もできない。  このままでは犯される。  為す術もなく犯されてしまう。  いや、そんなの。  絶対にいや。  認めない。  絶対に認めない。  不自由な身体だからこそ、陵辱されることは我慢がならない。  だから。  もうひとつの武器を取り出そうとした。  スタンガンを奪って油断しているはず、今度はきっとうまくいく、と。  そう思っていたのに、ナイフを掴んだ手をポケットから出すよりも先に手首を掴まれてしまった。 「へぇ、いいもん持ってんな」  竹上は奪ったナイフを開いた。夏の陽射しを反射した刃が光る。  口元に残忍な笑みを浮かべ、刃を私に近づける。 「ひっ」  化繊の生地が裂ける音。切られたのは下着だった。  下半身が露わにされる。  ナイフを突きつけたまま、竹上は片手で携帯を取りだして私の写真を撮った。 「まだガキみたいなマンコだな」  二度、三度。シャッター音が鳴る。 「ま、これはこれで楽しみもあるか。怪我したくなければおとなしくしてろ」 「…………いやよ」  声が震えないようにするには少なからぬ精神力を必要とした。竹上が怪訝そうな表情を浮かべる。 「誰が、あんたなんかに好きにさせるもんか」 「怪我するぞ?」 「……それがなんだっていうの」  最初の一言さえ口にしてしまえば、あとの言葉はずいぶん楽に発することができた。開き直ったといってもいい。 「傷なんか、いやというほどあるもの。そんな小さなナイフの傷がなんだっていうのよ!」  金切り声で叫ぶ。 「刺したいなら刺せばいい。犯したいなら犯せばいい。だけど絶対に許さない! たとえ写真をばらまかれたって警察に訴える。ううん、人を雇ってでも絶対に復讐してやる!」  竹上は不思議そうに首を傾げた。こんな風に抵抗されたことはないのだろう。写真を撮られたせいで泣き寝入りした子がいるという噂は聞いたことがある。だけど私には通用しない。 「こっちは一度死にかけて、やっとの思いで生きてきたんだから。怖いものなんてない。写真をばらまかれたからってなによ。一人じゃトイレにも行けなくて全部人に処理してもらっていた時もあるんだから、今さら恥ずかしくなんかない。あんたの脅しは私には通じない。耐えられないのは他人に陵辱されることだけよ。絶対に許さない。絶対に復讐してやる! それが嫌なら犯した後で私を殺しなよ! その覚悟があるなら好きにすれば!?」  言いながら涙が溢れてきたけれど、口調だけは強いままだった。  ハンデを抱えた身体だからこそ心は強くなければならない。そう言い聞かせて今日までなんとか生きてきたのだ。  私を押さえつけたまま、竹上が幾分戸惑ったように見おろしている。その目をまっすぐに睨めつける。  怖いのは事実だ。身体は微かに震えている。  それでも絶対に目を逸らしてはいけない。その瞬間、こちらの負けが確定してしまう。私を陵辱するためには少なからぬ代償を支払わなければならない――その事実を突きつける必要がある。  数秒間の沈黙。  やがて竹上は唇の端を歪め「くっ」と微かな笑い声を漏らした。 「……本気かよ、怖い女だな」  ナイフを放り投げ、ゆっくりと立ち上がる。 「その色気のかけらもない身体のためにコレじゃ、割あわねーよ。貧相な身体でよかったな」  背を向けて立ち去ろうとする。  私は大きく息を吐き出した。強張っていた身体から力が抜けそうになる。  だけど。  これで終わってはいけない。このままで済ませてはいけない。  力を振り絞って立ちあがる。傍らに落ちていたスタンガンを拾うと、残った力のすべてを右脚に注ぎ込んで大きく跳んだ。  竹上の背中に体当たりするような体勢で、そのままスタンガンを押しつける。  乾いた破裂音。  小さく弾んで倒れる竹上の巨体。  私もバランスを崩してその場に座り込んだ。  這うようにしてナイフを拾い、鼻先に突きつける。  竹上は全身を痙攣させながら、信じられないといった表情で私を見上げていた。 「……好き勝手、やって、くれたじゃない?」  肩で息をしながら竹上にナイフを突きつける。これだけのことでも私にとっては重労働だった。もちろん精神的な負担も大きい。 「思うように動かない身体を、好き勝手に陵辱される気持ち……これで少しはわかる?」  強面の顔にはっきりと恐怖の色が浮かぶ。  この時、私の精神状態も普通ではなかった。  これまで、この身体のせいで苛められたり馬鹿にされたりしたことは少なからずある。だけど、これほどの陵辱は初めてだ。形勢が逆転しても、いや、だからこそ冷静ではいられなかった。  両手で握りしめたナイフを、感情の昂りにまかせて躊躇なく振りおろす。  刃は太い腕の肩に近い部分に刺さったが、思っていたほど深くは入らなかった。私が非力すぎたか、竹上の筋肉が固すぎたか、恐らくはその両方だろう。  それでも与えた恐怖は充分だった。竹上の顔が歪む。だけどこれでやめるつもりはない。 「……言ったでしょ、絶対に許さないって。大丈夫、私があんたみたいな大男を殺したなんて、誰も思わない」 「…………おい、……冗談だろ? 待てよ、おいっ!」  もう一度ナイフを振りおろす。  やっぱりあまり深くは刺さらない。非力な私と小さなナイフでは、致命傷を与えるのは簡単ではないようだ。 「……ちょっと待て! おいっ! 悪かった! 謝るからっ!」  本物の殺意を感じ取ったのだろう。竹上が血相を変えてわめき散らす。目には涙さえ浮かべている。  いい気味だ。  もっともっと惨めな姿になればいい。為す術もなく陵辱された私よりも惨めな姿に。  より無防備な部分を狙ってもう一度ナイフを振りおろした。  短い悲鳴が上がる。  竹上が顔を傾けたせいで、目に突き立てるつもりだった刃は頬を剔っただけでコンクリートに当たった。甲高い音を立てて刃先が折れる。  竹上は恐怖のあまり引きつっている。失禁したのかズボンの前が濡れていた。 「……ゴメン、……ゴメン! 許してくれよ…………」  すすり泣きながら、思うように動かない腕で必死に顔を庇おうとしている。深く剔られた頬の傷から鮮血が滴る。  私はぼんやりと、折れた刃先を見つめていた。  力が抜けていく。  気力が萎えていく。  精神的には、今の一撃で竹上を殺したつもりだったのだ。あの一撃のために残った気力と体力をすべて使い果たしていた。  昂った感情が急に醒めていく。  ナイフが折れたことで、少しだけ冷静さを取り戻したようだ。さすがに校内で殺人はリスクが大きすぎる。  私はもう立ち上がる気力もなくて、そのまま屋上に座り込んだ。 * * *  以来、竹上は私に一目置くようになったのだ。  あの事件の後、しばらくは復讐されることを警戒していたのだが、そんな様子もなく、竹上はむしろ親しげに話しかけてくるようになった。  けっして私の言いなりになるわけではないが、ちょっとした肉体労働くらいは言いつけることができた。  これは、他のクラスメイトには驚きだったようだ。それまで誰も竹上に対等な口をきける者すらいなかったのに、クラスでもっとも非力な私が偉そうな命令口調で接しているのだから当然だろう。  身体のことや年齢の違いもあって私はクラスで多少浮いた存在だったため、ちょっとした苛めの対象とされたこともある。たまに竹上が傍にいるということだけで、それがぱったりとなくなった。確かに用心棒にはうってつけかもしれない。  もともとクラスメイトからは距離を置かれていたので、竹上の存在はマイナスになるものではなかった。むしろプラスになる面の方が多いように思えた。だから高校入試の時、カンニングの手伝いをしてやったのだ。  そんなこんなで一年ちょっとの付き合いになる。  久々にそんなことを思い出しながら、目の前の光景を見つめていた。  垣崎をレイプしている竹上。  大きな身体で垣崎を押さえつけ、乱暴に腰を動かしている。  激しく打ちつけるたびに小さな悲鳴が上がる。  だんだん動きが加速していく。  そろそろかな……と思っていると、竹上はひときわ強く腰を打ちつけて動きを止めた。身体が小さく痙攣する。  しばらくそのままでいて、やがて息を吐き出しながら垣崎の中にあったものを引き抜いた。  そこで一瞬、不思議そうな表情を見せる。続く言葉は私にとっても本当に驚きだった。 「へぇ、驚いた。こいつ初めてだぜ?」 「え?」  竹上は放心している垣崎を背後から抱きかかえるようにして、私に向けて脚を広げてみせた。  濃いめの茂みの下に口を開いた、赤く充血した女性器。  そこから滴るどろりとした液体は、少なからぬ血が混じって紅く染まっていた。  破瓜の血。  初めての証。  滴り落ちて、コンクリートに黒ずんだ染みを作る。 「……っ!」  私は驚きに目を見開いた。なにかの間違いではないのか。  例えば、たまたま今日が生理だったとか。  いや、ナプキンやタンポンをつけていた様子はなかったし、女性経験豊富すぎるほどの竹上が間違えるとも思えない。  垣崎はバージンだったのだ。 「……どうして…………」  そんな馬鹿な。  垣崎は宏樹とエッチしていたのではなかったか。  先日、宏樹の部屋から聞こえていた声。それ間違いなく性行為にともなう喘ぎ声だった。  もしかすると、まだ最後まではしていなかったのだろうか。私にしているように、指や口だけの関係だったのだろうか。  それも意外な気がする。  垣崎は性格的に、躊躇せずに最後までしてしまいそうに思える。それとも、いざとなると怖じ気づくタイプなのだろうか。 「……」 「せっかくだから、もう少し楽しむか」  混乱している私をよそに、竹上は再び垣崎を犯しはじめた。 * * *  結局、竹上が垣崎を解放したのは、三度目の射精をした後だった。  陵辱されている写真を何枚も撮り、いやというほど脅して、もう泣く気力もなくしている垣崎を残して屋上を後にした。  呆けていた私を乱暴に引っ張っていく。抱えられて階段を下りる時、微かな汗の匂いに混じって女の子の匂いがした。  垣崎の匂い。  少し不愉快な気持ちになる。 「……ところであの女、お前の弟の彼女だろ?」 「わかっていてレイプなんかしたわけ?」  半ば呆れて応えた。それにしても、宏樹はともかく垣崎との面識なんてないだろうによく知っているものだ。  そう。竹上は時々、驚くくらいに私のことをよく知っている。 「わかっていたからこそ、だろ」  意味深な笑みを浮かべる竹上。なにを言わんとしているのかはすぐに理解できた。 「私が喜ぶとでも思った?」 「嬉しくないのか?」 「……」  正直なところ、もう少しいい気分になるかと思っていた。  目障りな垣崎が目の前で他の男に犯されているのだ。  しかし予想に反して、さほど気分は晴れなかった。  いい気味だ、という気持ちは当然あったはずだ。それでもやはり女の身としては、自分のことでなくても現実にレイプされている姿を目の当たりにすることはあまり気持ちのいいものではなかった。結果、相殺されてプラスマイナスゼロというところだろうか。  それでも、これで垣崎が私の目の前をうろちょろすることもなくなるだろう。それだけは収穫と言っていい。  それにしても解せないのは垣崎が処女だったことだ。竹上も意外そうにしている。彼にとっては女なんてセックスの対象でしかないだろうから、垣崎のような魅力的な女子が、彼氏もいるのに処女というのは理解しがたいのだろう。 「あの女、けっこういい身体してたけどな。手ぇ出してないなんて、お前の弟はインポか?」 「ばか」  そうだったら私も苦労はない。ほとんど毎晩、宏樹のものはこれでもかというくらいに大きく硬くなって私の口を犯し、たっぷりと精を放っているのだ。むしろ人並み以上に元気なのではないかと思うくらいだ。 「手は出してたと思うよ? 最後まではしてないってだけ」 「手出したらそのまま最後まで、だろ。普通は?」 「あんたの普通と宏樹の普通は違うの」  少なくとも、竹上の基準が世間一般の普通と思ってはいけない。  たぶん宏樹は垣崎のことを大切にして、少しずつ関係を深めていこうと思っていたのだろう。だからといって満たされない欲求を姉で処理するというのはどうかと思うが、宏樹に世話になっていることを考えると私は文句も言えないのだ。 * * *  その後しばらく、校内で垣崎の姿を見かけることはなくなった。  転校したという噂を聞いたのは、二週間くらいが過ぎた頃だ。  もちろん、宏樹の口からその話題が出ることはなかった。 15  いつも宏樹におんぶに抱っこの生活を送っている私にとって、たとえ一週間とはいえ、自分のことはすべて自分でやらなければならない生活というのはかなりの負担に思えた。  だけど仕方がない。  宏樹は明日から修学旅行で、帰ってくるのは次の週末だ。ちょうど同じ時期に母も海外出張ということで、月曜から金曜まで家には私ひとりだった。  母も宏樹も心配している。特に宏樹は修学旅行をやめてもいいと言っていたが、高校の修学旅行は一生に一度、私のために行かないなんてばかげている。  一週間くらい、一人でも多分なんとかなる。  食事はレトルトでもコンビニ弁当でも外食でもいい。  掃除や洗濯は一週間くらい適当にやっても死にはしない。  きちんとやらなければならないのは入浴くらいのものだ。それなら時間をかければ一人でもなんとかなるだろう。風呂掃除はスプレーしてシャワーで洗い流すだけの洗剤がある。  そう考えれば大きな問題はないはずだった。  もちろん不安はある。  ずっと宏樹に頼りっきりだったのだ。  以前は、自分のことはできるだけ自分でやろうと頑張っていた時期もある。だけどいつの間にかすっかり宏樹に甘えるようになっていた。  いいことじゃない。  それはいいことじゃない。  宏樹に頼りすぎること。  宏樹と親密すぎること。  実の姉弟としてはけっして褒められたことではない。  垣崎がいなくなってからおよそひと月。  表向き大きな変化はないが、やはり私たちの関係は以前とまったく同じではなかった。  以前より少しだけ、宏樹が優しくなった気がする。  以前より少しだけ、接触が増えた気がする。  垣崎のことと関係があるのかどうかもわからないし、ほんの微かな変化ではあるけれど、違いは確かに存在する。  昨日、久々に宏樹と一緒に街へ出かけた時。  ショーウィンドウに映った自分たちの姿を見て少し愕然とした。  杖を使わず宏樹の腕につかまって歩く私の姿。それはまるで腕を組んで歩く恋人同士のように見えた。  宏樹も以前ほどには仏頂面ではなく、私も楽しそうに笑っていた。  いけない。  こんなのいいことじゃない。  接触しすぎ。  甘えすぎ。  あの日垣崎が指摘した通り、私は確かに甘えすぎだ。  それは多分、宏樹が性的な接触をするようになってきた頃からだろう。無意識のうちに、その代償としていくら甘えてもいいつもりになっていたのだ。  この機会に少し自立しなければいけない。  そんなことを考えながらも、私はいつものように口での奉仕を続けていた。  浴槽に浸かって、前に立った宏樹のペニスをくわえている。  今夜の宏樹は少し強引だった。  両手で私の頭を押さえ、固く反り返った男性器で口を貫き、腰を前後に動かしている。  それでも初めての時のような一方的な陵辱ではない。一応は私が苦しくないように気を遣っている。私の方もあの頃よりはずっと慣れて、多少の動きには対応できるようになっていた。  腰の動きに合わせて舌を絡め、強く吸い、あるいは内頬を押しつける。  手で根本をしごく。  一度深く打ち込まれた後、口から引き抜かれる肉棒。白い飛沫が顔に降り注ぐ。  ぬるっとした粘液が頬を流れ落ちていく感触。鼻先で脈打っているものに唇を寄せ、中に残った精液をちゅっと吸い出した。  宏樹の手は、まだ頭を掴んでいる。そのまま腰を突き出してくる。固さを失っていない男性器が喉まで押し込まれる。  もう一度させたいのだろうか。いつもはたいてい一回、多くて二回なのに、今夜はもう三回目だ。  明日からしばらくできない分、今夜まとめてしておこうとでもいうのだろうか。  さすがに疲れてだるかったけれど、宏樹の手は頭をしっかりと掴んだままで解放してくれる様子はない。  他にどうしようもなくて、私は四回目の奉仕を始めた。  本当はいいことじゃない。  姉弟で、こうして毎晩当たり前のように性的な関係を持つなんて。  まだ最後の一線は越えていないとはいえ、その事にたいした意味があるとも思えなかった。  いけない。  こんなのいいことじゃない。  宏樹がいないこの機会に少し自立しなければ。  ……そう思っていたはずなのに。 16  朝。  目を覚ましても、身体がだるくて起きあがることができなかった。  頭がぼんやりする。手脚がうまく動かない。  原因のひとつは疲労だろう。  昨夜は結局五回もさせられて疲れきっていた。  五回……一晩一回として五日分。修学旅行で五日間留守にするから、ということだろうか。  そしてもうひとつの原因は天候。  カーテンを開けなくても天気が悪いのはわかった。屋根を叩く雨音が聞こえている。  雨の日はいつも体調が悪い。気温が低ければなおさらのこと。最近は秋の気配も濃くなって、ひと雨ごとに涼しさを増している。  今朝は起こしにくる者はいない。修学旅行は朝早くに駅集合ということだから、宏樹はもう出かけただろう。  私はいつまでもベッドの中でごろごろしていた。  面倒だ。  億劫だ。  ただでさえ調子の悪い雨の日なのに、ひとりで傘をさして荷物も自分で持って学校まで歩くなんて。  よりによって宏樹のいない日に雨だなんて。  サボってしまおうか。  今日一日くらいいいだろう。  もし明日も雨だったら……それはその時に考えればいい。  そう決めて、毛布にくるまって眠りについた。 * * *  翌日も雨だった。  昨日ほどではないが、やっぱり体調はあまりよくない。  今日も休んでしまおうか。  いやいや、こんなことではいけない。宏樹に頼らずに自立すると決めたのではないか。このままではなし崩しに、宏樹が帰ってくるまでさぼり続けてしまいそうだ。  なんとか意を決してのろのろと起きあがる。  朝食は牛乳をかけたコーンフレークとヨーグルトで簡単に済ませる。洗顔も着替えも髪のセットも、普段の倍以上の時間がかかった。登校の準備を終えただけで気力も体力も尽きてしまいそうだった。  しかも、このまま登校しても私の足では遅刻は確実で、学校へ行こうという気力がさらに萎えてしまう。  家を出る決心ができずにいると、不意に携帯の着メロが鳴った。表示された名前は竹上だ。 「……なに? こんな朝っぱらから」 『文句言うほど朝早くもないだろ。今日もサボリか? 学校行くなら送ってやるぞ』 「……え?」  外から聞こえてくるクラクションの音。ドアを開けると見覚えのある黒い車が家の前でエンジン音を響かせていた。  前にも一度乗せてもらったことのある竹上の車だ。竹上は私と同い年、高校一年生だけれど十八歳だから無免許運転ではない。もっとも免許とりたてにしては妙に慣れた運転ではあったけれど、竹上相手にそれを言うのは野暮というものだろう。  慌てて鞄を取ってきて外に出た。助手席のドアが中から開けられる。 「竹上……どうして?」 「その前に、「迎えに来てくれてありがとう。お礼に私のこと好きにしていいわ」くらい言えないのかね」 「言うか、ばか」  シートベルトを締めるのも待たずに、タイヤを鳴らして車が発進する。  私の足ではそれなりに疲れる道のりも車だとあっという間だった。竹上の乱暴な運転であればなおさらのこと。  さすがに学校に車で乗りつけるわけにはいかないので、校門から少し離れた、駐車禁止の標識のない路地に車を停める。  降りる時になって傘を忘れたことに気がついた。家を出る時に慌てていたせいだ。 「竹上、あんた傘は?」 「もちろん持ってる」 「貸して」 「で、俺はどうなる?」 「濡れていくっていうのがオススメだけど?」 「犯すぞ、コラ」  大きな手に首を絞められる。もちろん冗談で軽く。  私の台詞も冗談だ。いくら相手が竹上でも、車で送ってくれた相手から傘を奪い取ったりはしない。  失敗だった。早くに気づいていればコンビニにでも寄ってもらうこともできたのに。  こうなると選択肢はひとつだけ。非常に不本意ではあるが、竹上の傘に入れてもらうしかない。  あまり気は進まなかった。竹上と相合い傘で校門を歩いりしたら、いったい周囲からどう思われるだろう。できれば考えたくはない。 「……少し、遅れていかない?」  せめて予鈴が鳴るまで。それだけで目撃者の数はぐっと減るはずだ。 「いいぜ。二時間くらいか?」  首を絞めていた手が移動する。胸の上でゆっくりと円を描く。セーラー服の脇のファスナーを上げようとする。 「……死にたい?」  にっこりと微笑んで、わざとらしい動作でポケットに手を入れた。竹上は苦笑して手を放すと、後部座席に置いてあった傘をとって車を降りた。大きな紳士用傘を開いて助手席のドアを開ける。  私も杖をとって車を降りる。  雨の中、二人並んで歩き出した。  竹上は、宏樹のように鞄を持ってはくれない。  宏樹のように私に合わせてゆっくり歩いてもくれない。  いちおう本人はペースを落としているつもりなのかもしれないが、私にとってはかなり頑張らなければついていけない速度だった。  普段宏樹に頼りっきりで、体育の実技をさぼり続けているツケがこんな時に出るのだろう。体力のなさを実感してしまう。車から校門までのほんの二百メートルほどの距離で、制服の下はもう汗ばんでいた。  校舎に入る直前、何気なく空を見た。  どんよりと暗い空。静かに降り続ける雨がやむ気配はない。思わず溜息が出る。 「……帰りも送ってくれる?」  こんな天気の中、ひとりで歩いて帰るなんてごめんだ。傘も調達しなければならないし。 「見返りは?」 「…………次の試験のカンペ、とか?」 「そーゆー意味で言ったんじゃねーんだけどな」  建物の中に入り、傘をたたみながら竹上は肩をすくめた。 「帰りといえば、お前、晩メシは?」 「ん……コンビニのお弁当かなぁ」 「作らねーの?」 「包丁、うまく使えないもの」  左手を軽く持ち上げてみせると、それだけで竹上は「なるほど」とでもいうように小さくうなずいた。 「んじゃ、帰りになんか食ってくか? お前のおごりで」 「なんでよ!?」 「送迎代と思えば安いもんだろ」 「あんた、バカみたいに食べそうだもの」 「ファーストフードでいいぜ?」  今度は私が肩をすくめる番だった。  まあ、夕食をご馳走するくらいは仕方がない。竹上にあまり借りを作るのもどうかと思うし、食費は余分にもらってある。 「その代わり、明日も迎えに来てよね」  意識的に、渋々といった風を強調して言った。  どうせ予鈴が鳴るまで待つのだったら、その時間で家まで傘を取りに戻ることもできたと気づいたのは教室に入ってからのことだった。 * * *  そうして水曜日、木曜日と、同じように竹上に送り迎えしてもらった。 「明日の夜には弟が帰ってくるな。嬉しいか?」  木曜日の帰り。車を降りて家の鍵を開けていた時、いきなりそんなことを言われる。 「え? ……っ」  振り返った表紙に、バランスを崩して転んでしまった。見ていた竹上がぷっと吹き出す。 「痛ぁ……」 「鈍くさいとは思ってたけど、そこまでとは……」 「うるさい! いきなり変なこと訊くからじゃない。笑ってるヒマがあったら手くらい貸しなさいよ!」  意外なことに、竹上は素直に車から降りてきた。軽々と私を抱き上げる。 「え、ちょ、ちょっと!」  これまでにも時々されていたような乱暴な抱え方ではない。宏樹ほど丁寧ではないとはいえ、一応はお姫様抱っこ。  予想外の展開に鼓動が速くなる。  竹上は私を抱えて家の中に入り、リビングのソファに座らせた。 「足、痛むか?」  足下にしゃがんだ竹上が、足をつかんで軽くひねる。一瞬、足首から突き上げてくるような痛みが走った。 「挫いたみたいだな。薬はあるか?」  痛みに顔をしかめながら棚の上を指さす。薬箱を取ってきた竹上は、ソックスを脱がせて足首に湿布を貼ってくれた。  意外と手際がいい。ケンカとかで生傷の絶えない奴だから怪我の手当は慣れているのかもしれない。 「これでいいだろ。今夜は安静にしてろ。……言われるまでもなく、普段からほとんど動かないんだろうけど」 「……ありがと」  ひんやりとした湿布が気持ちいい。気分的にも少し楽になる。 「…………で、あんたは何やってんの?」  竹上の手は、手当を終えてもまだ私に脚に触れていた。  優しく撫でるようにしながら、ゆっくりと移動してくる。  足首からふくらはぎへ。  ふくらはぎから膝へ。  そして、膝から太腿へ。 「ちょっ……竹……」 「このくらいの役得、いいだろ?」  足下に膝をついた体勢で、こちらを見上げてにやっと笑う。不思議と普段の笑みほどいやらしい印象がなくて、むしろ軽い冗談でも言ってるような雰囲気だった。  だけどその手はセクハラとしか言いようのない行為を続けている。私の反応を窺いながら、内腿をくすぐるように撫でている。  全身に鳥肌が立つ。  くすぐったい。  くすぐったくて、……そして少し気持ちいい。 「やっ……だめっ!」  手がスカートの奥へ移動してきたところで、さすがに慌てて押さえようとした。だけど向こうの方が早い。 「……っ」  下着の上から触れられてしまう。  いちばん敏感な部分。いちばんエッチな部分。  薄いナイロンの生地一枚隔てただけで触れられてしまう。  割れ目に沿って指先が滑る。びりびりと痺れるような感覚が走る。 「バ、カ……死にたい、の」 「最後まではしねーよ。だから、イイだろ?」  言いながら、指はエッチな動きを止めない。  ポケットに滑り込ませようとした右手は、何故か途中で止まってしまった。スタンガンの代わりに竹上の髪をぎゅっと掴んでいた。 「……んっ……や、ぁ……あっ!」  震えるように小刻みに前後する指。いちばん敏感な部分を的確に執拗に刺激してくる。  やばい。  ヤバイ。  私、感じてる。  感じて、濡れてしまっている。  下着が湿ってくるのがわかる。 「や……だ、ぁっ……んっ、……くっ、んっ……んっ」  堪えようにも声が漏れる。ぎゅっと唇を噛む。  お腹の奥の方が熱くなって、とろとろにとろけてくる。  さすがは女性経験豊富な竹上、その指には宏樹のような躊躇いも遠慮もない。いっさいの手加減なしに私の弱点を執拗に攻撃してくる。 「ばか……あっ、い……やっ、あっ、ば……かっ!」  隙間から下着の中へもぐり込んだ指が、濡れそぼった粘膜の上をつるつると滑る。  そして…… 「やっ……あぁっ!」  中に入ってきた。  愛液にまみれた指は意外なくらいにすんなり入ってしまったけれど、自分の指よりもずっと太い異物の感覚に身体が強張った。 「だ、め……やめっ……あっ、あっ、あ……」  強張った括約筋が指を締めつける。それでも侵入を妨げることはできない。  奥の奥まで進んで、一気に引き抜かれて、そしてまた突き入れられる。  往復運動に合わせてくちゅくちゅと湿った音がする。それがだんだん大きくなってくるように感じるのは気のせいだろうか。  中で、指が曲げられる。膣壁が受ける刺激はさらに強くなる。  痛いほどの刺激。それは実際には痛みではなく、快感だった。  気持ち、いい。  これが経験の差だろうか。けっして優しい愛撫ではないのに、自分の指よりも宏樹の指よりも感じてしまう。いくら心が抵抗しても、無理やりに快感を引きずり出されてしまうような気がした。 「やぁっ……あぁっあっあっ、あぁっ、あっあぁっ……!」  加速していく指の動き。快楽の頂がすごい勢いで迫ってくる。  いけない。  こんなこと、いけない。  竹上に弄られて本気で感じてしまうなんて。  ……だけど実の弟に弄られて感じてしまうことと、どっちがいけないことなのだろう。  止められない。  巧すぎる指使い。私はもう臨界点を超えている。  あとはもう、為す術もなく。 「……っあぅ、あぁっっ!」  竹上の髪をぎゅっとつかんで。  脚を痙攣させて。  涙を溢れさせて。 「あぁぁ――っっ!」  頂に達してしまった。  視界が真っ白になる。  息ができなくなる。  意識が遠くなる。  これまででいちばんの、激しい絶頂。  痙攣が治まっても、まだ余韻が続いていた。下半身に電流でも流れているみたいに力が入らなくて、びりびりと痺れるような感覚がある。  私は心地よい倦怠感に包まれてソファーに寄りかかった。 「感じやすいんだな」 「……うるさい、ばか」 「もっと気持ちよくしてやろうか?」  認めたくはないけれど、一瞬迷った。それを期待する想いがあったのは事実だ。慌てて頭を振る。 「…………い、いらない」 「いいから、遠慮すんなって」 「遠慮じゃない! ……ばかっ!」 「じゃあ、今度は俺にしてくれよ」 「……え?」  濡れた人差し指が私の唇に当てられる。それで理解できた。竹上がなにを望んでいるのか。  さて、どうしたものだろう。  正直なところ、その行為自体にさほど抵抗はない。宏樹相手には毎晩させられていることだし、竹上とだって前に一度している。  だからといって簡単に承諾していいものなのだろうか。竹上は恋人でもなんでもない。ちょっと仲のいいクラスメイトでしかないはずだ。 「……な、いいだろ?」  耳元でささやかれる。人差し指が唇をくすぐる。私の唇は条件反射のように開いて、その指先を口に含んだ。  吸う。  舌先でくすぐる。  指を相手にした擬似的な口戯。  毎晩のようにしていることの感覚がよみがえってくる。私の中のスイッチが入ってしまう。  ちょっとくらいいいかな、なんて気になってくる。 「……して、欲しいんだ?」 「ああ。頼む、してくれよ」  しばらく悩んで、それでも私は小さくうなずいていた。 「………………、ん」  断る理由を見つけられなかった。  すごく気持ちいいことをされたんだから、少しくらいお返ししてもいいかと思った。  毎晩していたことがこの三日間はなくて、なんとなく物足りない気分だった。  前にした時よりも格段に巧くなっているはずだから、それを見て欲しいとも思った……かもしれない。 「明日の晩ゴハンはあんたのおごりね」  恩着せがましく言ってソファから降りた。竹上の足下に座る。  ズボンの上から股間に触れると、そこはもう大きく膨らんでいた。  ちらり、と竹上の顔を見上げる。微かにうなずいたような気がした。  ファスナーを下ろす。  既に大きく固くなっていたものを引っ張り出すには、少し手こずってしまった。  もう充分すぎるほどに勃起したものが、私の鼻先で脈打っている。  前回はまともに見る余裕もなかったわけだが、こうして多少冷静に観察してみると、人によって大きさばかりではなく形も微妙に違うものだと気がついた。  根元をそっと握ると、熱い体温が伝わってくる。手の中でびくんびくんと脈動している。  自分にない器官だからだろうか、何度見ても不思議に感じる。人体の一部というよりも、後から付け加えられたもののような気がしてしまう。  右手を上下に動かす。固い弾力が返ってくる。  手での愛撫を続けながら、口の中に唾液をためる。  唇を押しつける。  ゆっくりと唇を開いて、少しずつ口に含んでいく。  やっぱり宏樹のとは微妙に感じが違うな、と思った。あるいは精神的なものかもしれない。  唇に力を入れて締めつける。  強く吸う。  舌を絡ませる。  口の中で感じる固い弾力。正直なところこの感覚は嫌いではない。口戯はする側にとっても、それなりに気持ちのいい行為だった。 「巧くなったな、お前」 「…………そりゃ、毎晩してるもの」 「毎晩、かよ」  呆れたような声が返ってくる。 「うん、ほとんど毎晩。……そんなに上達した?」  まあ、竹上が女の子にお世辞を言うような性格とは思えないが。 「ああ、すぐにでもフーゾクで働けるぞ」 「ばか」  亀頭の部分を軽く噛む。もちろん痛くない程度に、ほどよい加減で。そんな真似ができるくらいの経験は積んでいる。  軽く頭を叩かれた。こちらも冗談で、本当に軽く。 「ふざけてないで、ちゃんとイカせてくれよ」 「……ん」  また、舌を絡ませる。根元を握った手の動きを速くする。それに合わせて頭も動かす。  口の中のものははちきれそうなほどに膨らんで、脈動が舌に伝わってくる。 「う……くっ」  竹上の口から微かな呻き声が漏れる。  頭を鷲掴みにされる。  下腹に力が入る。  深々と突き入れられる。  びくん!  口の中のものがひときわ大きく脈打って、舌に絡みつくような濃い粘液を噴き出した。  だけどもう咳き込んだりしない。  射精が終わるまで口の中にためておいて、まとめて飲み下す。  尿道に残った分をちゅっと吸い出す。  口の中の苦い味が消えてから、ようやく口を離した。 「…………ふぁ」  さすがに疲労感があった。時間的には短かったけれど、最後の方は少し頑張りすぎてしまったかもしれない。  だけど達成感もあった。竹上が満足そうな表情を浮かべている。 「………………どぉ?」  まだ固さを失っていないものに軽くキスする。 「……最高」  竹上の手が乱暴に頭を撫でてくれた。 * * *  その夜はなかなか寝付けなかった。  いつまでも興奮が治まらない。口での奉仕は毎日のこととはいえ、竹上が相手となるとそれは特別なことなのだ。  私はベッドの中で何度も寝返りを打った。  眠れない。火照りが治まらない。  いつまでも、口の中に感覚が残っている。 「ん……あっ……」  下着の中で指が動く。  感覚を憶えているのは口だけではなかった。竹上にそこを触れられた記憶はまだ鮮明に残っている。  すごく気持ちよかった。  気が遠くなるほどに。  自分でするよりもずっと。  竹上が与えてくれた快感を反芻しながら自分を慰める。そうすることで普段の何倍も気持ちよくなれた。  まったく、今日の私はどうしてしまったのだろう。  竹上を相手にあんなことを。  取り返しのつかないことをしてしまった気がする。  ……だけど。  イヤじゃ、なかった。  されることも。  してあげることも。  あまり認めたくはないが、私はその行為を楽しんでいた。  宏樹が相手の場合と違って、罪悪感や義務感なしにその行為を楽しむことができたのだ。 「……っ、たく……竹上のバカ! ……あっ、ん」  そういえば、明日は夕食をご馳走してくれると言っていた。  うんと高いものをおごらせてやろう……そんなことを考えながら、いつまでも指を動かし続けていた。 17  その再会は、まったくの偶然だった。  金曜日。  今夜は宏樹が帰って来るという日。  放課後、竹上に夕食をおごらせた後、よくわからないうちにカラオケに連れて行かれた。  そこを出る前にお手洗いに寄った時のこと。  用を足して出ようとしたところで入れ違いに入ってきた女の子を見て、私もその子も固まってしまった。  なんという偶然だろう。それは垣崎だったのだ。  向こうは複雑な表情を浮かべている。驚き、怒り、恐怖、戸惑い。そんな感情が入り混じった、やや引きつった表情。  多分、私も同じような顔をしていたことだろう。  さすがに気まずい。  垣崎がレイプされたのも、転校したのも、私が原因といえなくもない。自分に責任があるとは思ってはいないが、無関係を装うこともできなかった。  何を言えばいいのか、どう対応すればいいのか、皆目見当がつかない。  だから垣崎が無言で固まっているのをいいことに、そのまま通り過ぎようとした。 「…………一人?」  背後から、棘のある低い声が追ってくる。 「……ううん」  仕方なく、立ち止まって振り返った。  垣崎の表情がいっそう強張っていた。一人ではない――それだけで誰と一緒なのか思い当たったのだろう。  少し安心する。  そう、私は一人ではない。竹上が一緒なら垣崎は私に手出しできない。 「…………あれ、嘘でしょ?」  しばらく沈黙が続いた後、垣崎はようやく聞き取れるような声で言った。すぐにはその問いの意味が理解できなかった。 「嘘、って?」 「…………宏樹君と、……その、エッチ、してるって」 「……嘘じゃないわ」  嘘ではない。最後まではしていないというだけで、宏樹と性的な関係を持っていることは紛れもない事実だ。  だけど垣崎は首を振る。 「……嘘」 「……嘘じゃない。あまり大きな声で言いたくはないけれど」 「…………嘘、そんなことあり得ない」  こうなると私の方が疑問だった。垣崎はどうしてそこまでこだわるのだろう。  思い返せばあの時もそうだ。「嘘」「あるはずがない」と連呼して逆上していた。 「……私の方が訊きたいな。どうして宏樹とあなたは最後までしてなかったの? 夏休みに家に来た時、エッチしてたんじゃないの?」  垣崎は一瞬口ごもった。何度か口をきかけては閉じるという動作を繰り返した後、肩を震わせながらつぶやいた。 「…………してない。だって…………できないんだもの」 「え?」  それに続く垣崎の言葉は、まったく想像もしたことのないものだった。  宏樹は性的不能……ぶっちゃけて言えばインポなのだ、と。 * * * 「どうした? さっきからヘンな顔して」  帰りの車の中で竹上が訊いてくる。  あの後ずっと垣崎の言葉の意味を考えていて、竹上の言うこともろくに聞いていなかったのだから、様子がおかしいと気づくのは当然だ。 「えっと……その」  さて、どう説明したものだろう。  私自身、まだ理解しきれていないことなのだ。  頭の中で何度も何度も垣崎が言ったことを反芻していた。  宏樹と垣崎は、やっぱり『恋人』として付き合っていたらしい。  だけどセックスはしていない。  理由は、宏樹が――性的不能――だから。  自分の身体の問題については、宏樹自身が垣崎に話したようだ。  垣崎もいろいろと頑張ったらしい。手や、口や、あの大きな胸で。それでも宏樹の身体はなんの反応も示さなかったというのだ。  信じられない。  私が知っている宏樹の男性器は、いつもこれ以上はないくらいに大きく勃起して、私の口を犯しているものだった。  口でするようになる以前だって、入浴時に私に触れながら勃起していたことを憶えている。  信じられない。むしろ宏樹は平均的な男子高校生よりも性欲が強いのではないかと思うくらいだ。  だけど垣崎の反応を見る限り事実なのだろう。自分ではまったく反応しないものが、私では反応する。『彼女』としては受け入れがたいことだったに違いない。  そう考えれば、あの時屋上で逆上した理由も理解できる。  しかし、宏樹の身体の問題はどういうことだろう。 「…………ねぇ、竹上?」  気は進まないが、こんなことを訊ける相手は他にいなかった。そしてセックスに関することなら、竹上は私よりもずっと詳しい。 「男って……その……、好きな女の子以外の子に……その、口とか……でしてもらっても、反応しないもの?」 「なんだ、いきなり?」  私が思いついた仮説はそれだった。実は宏樹は私のことが好きで好きで、だから他の女の子相手ではその気になれないのだ、と。 「……どう?」 「ありえねーな。ま、よっぽど人外魔境なツラした女ならともかく」 「可愛くて胸が大きくて、自分のことを心底愛してくれている子」 「……に、口でされて大きくならない? 他に好きな女がいるから? ありえねーよ。男の下半身は恋愛感情とは別物だぜ?」 「言っとくけど、あんたの基準じゃなくて世間一般の高校男子の場合ね?」 「もちろん。まあ、恋愛感情持ってる相手の方が反応がいいということはあり得るけど、それは別問題。いい女に直に触れられて、なんも反応しなかったらそりゃインポだって」  インポ、の単語に反応して肩がびくっと震える。 「じゃなきゃ、雑誌に裸同然のグラビアがあったり、風俗店が繁盛してる理由が説明できねーだろ?」 「……そっか」  竹上の言葉ではあっても一応は説得力があった。私の仮説はどうやら間違いらしい。  では、いったいどういうことだろう。 「じゃあ、さ。現実にそんなことがあるとしたら、それってどうしてだと思う?」 「……お前の弟のことか?」 「……」  誤魔化そうとしても無理だった。動揺がはっきりと顔に出てしまった。 「…………なるほどね。それであの女が未使用だったんだ」  竹上の口元に笑みが浮かぶ。納得顔でうなずく。 「……でもお前相手にはしっかり勃って、毎晩口でさせてる、と?」 「………………うん」  今さら誤魔化すこともできず、仕方なく小さくうなずいた。 「そりゃやっぱりインポの一種だろ? 心因性の」 「心因性?」 「肉体的な要因なら、誰が相手でも勃たねーだろうからな。トラウマとかなんとか精神的な原因なら、特定の条件下でのみ勃つということもありうるだろ」 「……どんな?」 「んなもん他人にわかるか。弟に直接訊いてみろよ」 「訊けるわけないじゃない、そんなこと」  そう言ったところで車は家に着いた。だけどそのまましばらく助手席に座っていた。  家には明かりはついていない。 「弟は何時頃帰ってくるんだ?」 「多分、八時過ぎ。……なんで?」 「いや、念のため、な」 「……?」  意味不明の台詞に首を傾げながら、私はのろのろと車を降りた。 18  家に帰った私は制服のまま着替えもせずに、ただぼんやりとベッドに転がっていた。  そうして宏樹のことを考えていた。  だけど、いくら考えても答えは出てこない。  垣崎も原因は知らないようだった。知っている者がいるとしたらそれは宏樹本人だけだろう。  答えの出ない疑問が頭の中でぐるぐると回っていた。  部屋が急に明るくなる。 「なにやってんだ、灯りもつけないで」 「……あ、おかえり」  顔を上げると、部屋の入口に宏樹が立っていた。蛍光灯のスイッチに手を置いている。  ぼんやりしていて、帰ってきた時の物音を聞き逃していたようだ。  宏樹は帰ってくると、荷物を置いてすぐに私の部屋に来たのだろう。まだ着替えてもいない。 「調子、悪いのか?」  夜になって灯りもつけずにベッドに横になっていては、そう思われても仕方がない。 「あ……ううん。ちょっと疲れただけ」  久しぶりに見る宏樹の顔。だけどどういうわけか直視することができなかった。視線を逸らしてうつむく。 「……えっと、……修学旅行、楽しかった?」  違う。  違う。  本当に訊きたいのはそんなことじゃない。 「ああ、まあな。……沙耶、晩メシは?」 「……食べてきた」 「風呂は?」 「…………まだ」  それだけ訊くと、宏樹は部屋を出て行った。お風呂の仕度をしに行ったのだろう。すぐに戻ってきて私の服を脱がしはじめた。  ソックス。  スカート。  セーラー服。  ブラジャー。  そしてショーツ。  全裸で抱き上げられてバスルームへと連れて行かれる。  久しぶりに宏樹と一緒に入浴する。  久しぶりに宏樹に身体を洗ってもらう。  久しぶりに宏樹に触れられる。  やっぱり竹上に触れられるのとは感覚が違う。それはおそらく、介護を装って触れる宏樹と、ただ私を感じさせるために触れる竹上との違いだった。どちらが気持ちいいとかいう問題ではなく行為の質が違うのだ。  身体を洗ってもらって浴槽に浸かる。  宏樹が前に立つ。  股間のものは固く反り返っている。五日ぶりだからだろうか、怖いくらいに元気だ。  垣崎の言ったことが本当なら、私の前でだけこうなる。  私だけが溜まった欲望を解放してあげられる。 「……」  ……だから。  だから宏樹は私の世話をしてくれる。私だけが宏樹の性欲を処理してあげられるから。  ……愛しているから、じゃない。ただ性欲を処理するために。 「……沙耶?」  私が無言でいると、宏樹は催促するように頭に手を置いた。  もし、このまま何もしなかったらどうなるのだろう。  ……決まっている。  初めての時のように無理やり犯されるのだ。  ゆっくりと手を伸ばす。  唇を近づける。  口に含む。  そうしなきゃならないから。  そうしなきゃ解放してもらえないから。  苦痛、だった。  最近では楽しい、気持ちいいとさえ思えるようになっていたはずの行為が、今夜は苦痛だった。  しばらく忘れていた吐き気が込み上げてくる。  嫌悪感による鳥肌が立つ。  それでも手と口は動かし続ける。  この苦しみを終わらせるために。  口の中に放出された大量の精液をうまく受け止めることができず、激しく咳き込んでしまう。  それでもまだ解放してもらえない。宏樹の手は私の頭を掴んだままだった。二回目の行為を催促するかのように。  股間のものは少しも衰えていない。  だけど今夜は無理だった。  これ以上続けたら本当に吐いてしまいそうだ。  精液にまみれた顔のまま、涙ぐんで首を左右に振る。 「……」  しばらく無言でいた宏樹は、いきなり私を抱え上げるとバスルームを出た。  寝室へ運ばれ、ベッドの上へ放り出される。  宏樹は怖い目で私を見おろしている。  その目を見た瞬間、直感した。  犯される――と。  これは獣の目だ。  以前、私をレイプしようとした時の竹上よりもずっと恐ろしい目をしている。  ただ性欲を処理する目的のために、私を犯そうとしている。  もう口だけでは満足できないのだ。  ぎゅっと唇を噛んで、宏樹がベッドに上がってくる。私の脚に手をかけて開かせ、その間に身体を入れてくる。  ごくり……唾を飲み込む音がやたらと大きく聞こえた。  もしも。  もしも、ここで拒絶したらどうなるのだろう。  その結果はふたつにひとつ。  無理やり犯されて、それが日常になるか。  宏樹を失うか。 「…………」  なにも言えなかった。  私にはどちらも選べない。  どちらも私が望む未来ではない。しかし宏樹の望むことはまた別だろう。  どことなくぎくしゃくした動きで宏樹が身体を重ねてくる。  内腿に熱いものが触れる。それが、まだ受け入れる準備のできていない女性器に押しつけられる。 「や……」  本能的に「やめて」と叫びそうになった時、場違いな軽い音楽が流れ出した。  私の携帯の着信音。  宏樹の身体が一瞬強張る。はっと我に返ったような表情で離れていく。  ベッドから降りて、机の上にあった携帯を私に放る。  受け取って開く。  ぽたり。  お風呂で顔にかけられた白濁液が液晶の上に落ちた。  そこには竹上の名が表示されている。  なんだろう、今頃。  つい先刻まで一緒にいたのに。  訝しみながらも着信ボタンを押して耳に当てる。 『よぉ、今なにしてる?』 「えっと……まあ……、いろいろと取り込み中」  答えながら、ちらりと宏樹の方を見る。  しかしそこにはもう宏樹の姿はなくて、部屋の扉が開けっ放しになっていた。 19  翌日はいい天気で、久しぶりに暖かな日だった。  昨夜以来、宏樹の姿は見ていない。自室に閉じこもったままのようだ。  自力で着替えてヨーグルトとフルーツジュースだけの簡単な朝食を摂り、出かける仕度をする。  ちょうど準備ができたところで、覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。同時に携帯が鳴り、着信ボタンを押す前に切れる。  表示された名前を確認して玄関に向かう。靴を履いて外に出る。  家の前では、見慣れた車が助手席のドアを開けて待っていた。  昨夜の竹上の電話は、私をドライブに誘うためのものだったのだ。 * * * 「……で?」  私はジト目で隣の竹上を睨んだ。 「なんでこうなるわけ?」  夕方、というにはまだ少し早い時刻。  場所は――とあるラブホテルの駐車場。  ここまではごく普通のドライブだった。  景色のいい海岸線を走り、私のリクエストで水族館を見物して、食事して。  問題はその後だ。 「なんで、当たり前のようにこーゆーところに来るのよっ?」 「当たり前だろ、デートなんだから」 「……デート?」  間抜けな話だが、言われて初めて気がついた。  確かに、今日のこれはデートといえないこともない。ちょっとだけとはいえ性的関係のある男女が、休日に二人きりでドライブしているのだ。客観的に見ればデート以外のなにものでもない。  だけど、冷静に考えてみれば。  どうして私は竹上とドライブなんてしているのだろう。  どうして竹上は私を誘ったのだろう。  特に断る理由がなかったことと、宏樹のいる家にいたくなかったことが私の側の理由だけれど、竹上の意図はわからない。  その疑問を素直にぶつける。返ってきたのは心底呆れたような表情だった。 「……やっぱり気づいてなかったのか」 「なにが?」 「…………俺が、お前に惚れてるって」 「……っ!?」  確かに、そう考えればつじつまは合う。しかしそれは真っ先に除外した可能性だった。 「あ……えーと、それって、恋愛感情……ってこと?」 「他になにがあると?」 「……」  意外というか、なんというか。  自分が竹上に好かれるようなタイプとは思えない。とりたてて美人でもないし、美春さんや垣崎のような色気もない。 「……竹上にとって、女の子なんて性欲のはけ口でしかないものだと思ってた」 「ま、大抵の女はそうだけどな。ヤレればそれでいい。でもお前は違う。一年前、殺されそうになってそう思った」 「……」  殺されそうになった相手に惚れたのだとしたら、竹上もずいぶん変わっている。 「あんな真似できる女、他にいない。お前は特別だよ。こんな女、他にいない。そこらのくだらない女とは違う。ヤルだけの相手じゃない」 「……褒められてるのかどうか、微妙だわね」  わざと冗談めかして応える。だけど鼓動が速くなっていた。  ムードもなにもあったものではないけれど、一応これは愛の告白ではないだろうか。初めての経験だった。 「顔、赤いぞ?」 「――っ!」  図星を指されてさらに赤みが増してしまう。免疫がないから、やっぱり告白されたら嬉しいと感じてしまう。 「……な、いいだろ?」  頭を抱えるように抱き寄せられ、耳元でささやかれる。指がうなじをくすぐる。  頭の中がぐちゃぐちゃだった。混乱していて考えがまとまらない。  竹上が実は私のことが好きで、ホテルに連れ込もうとしている。  ほんの数分前までは考えもしなかった展開だ。  不思議と、竹上の言葉を信じていた。ただ私とセックスしたいがために嘘をついているとは微塵も思わなかった。  嘘をつく必要はない。その気になれば力ずくで襲うことだって簡単にできる。単に性欲を処理したいだけなら、美春さんのようなもっと手軽な相手がいくらでもいる。  竹上は私のことが好き。  だからセックスしたがっている。  じゃあ私は?  竹上のことが好き?  竹上とセックスしたい?  よくわからない――それが自問の答え。  そのことが意外だった。これが何ヶ月か前であれば、考えるまでもなく「死んでも嫌」と答えただろう。  しかし今は「嫌」と即答できずに迷っている私がいる。 「竹上……」  まっすぐに竹上の顔を見た。間近で視線がぶつかる。 「……キス、して?」  まったく、どうしてしまったのだろう。私はそう言って瞼を閉じた。  唇に軽く触れる、柔らかな感触。  そしてしっかりと押しつけられる。  竹上の舌が唇をくすぐる。かすかに口を開いてそれを受け入れる。  口の中に侵入してくる竹上の舌。私も躊躇いがちに舌を伸ばしてみる。  これが私のファーストキスだった。  さんざん口での奉仕を繰り返していながら、宏樹とキスなんてしたことはない。もちろん竹上とだって。美春さんに口移しで竹上の精液を飲まされたことはあるけれど、あれは数に入れなくてもいいだろう。  竹上とファーストキス、しかもディープキス。  なのに。  半ば予想はしていたことだけど。  なのに嫌悪感はまったくない。むしろ心地よく感じてさえいる。  もうだめだ。  拒む理由が見つからない。 「竹上……」 「ん?」 「私のこと……好きなの?」 「……ああ」 「……本気?」 「ああ」 「私と、セックスしたい?」 「したい」  ……もうだめだ。  拒む理由が見つからない。  だけど受け入れる理由なら思いつく。 「…………ん、いいよ」  ついに私はうなずいてしまった。 * * *  本当に、いいの?  シャワーを浴びながら自分に問う。  ……いいんじゃない?  いろいろと葛藤しながらも、そう答える。  人生二度目のラブホテル。その浴室。  さすがに、いきなり竹上と一緒にお風呂に入る度胸はなかった。一人でシャワーを浴びながら心を決める。  私ってば、なにやっているんだろう。  これから竹上とセックスする。  竹上にバージンをあげてしまう。  いいの、それで?  もう一度問う。  なにか間違っているような気もするが、じゃあ嫌なのかというと不思議とそうでもない。  竹上とセックスしたいのか?  それもよくわからない。  竹上に対して恋愛感情を持っているのだろうか?  やっぱりよくわからない。これまで一度も考えたことがないから。  ろくでもない奴だとは思っているが、意外なことにそれほど嫌いでもない。ある種の連帯感を持っているのは事実だ。  初めてが竹上……いいの?  いいんじゃない?  そうつぶやく自分がいる。  少なくとも、初めてが宏樹であるよりはいいはずだ。  私はおそらく近いうちに宏樹に犯される。早ければ今夜にも。  それだけは避けたい。  初めてが宏樹であってはいけない。それだけは間違いない。  取り返しのつかないことだ。  もしも初めての相手が宏樹だったら、私はもう宏樹から離れられなくなってしまう。宏樹なしでは生きられなくなってしまう。  自立したいのなら、これが最後のチャンスなのだ。  シャワーを止め、バスタオルを身体に巻いてバスルームを出る。  入れ違いに竹上がシャワーを浴びに行く。  私は身体と髪を簡単に拭いて、ベッドの中に潜り込んだ。  シャワーの水音が聞こえてくる。  聞こえるものといえば、その水音と自分の心臓の鼓動だけ。  ついに。  ついに初体験してしまう。  それもまったく想定外の相手と。  だけど、それもありかもしれない。少なくとも、初めて私に告白してくれた相手なのだ。 「……いいじゃん、別に。そんなに深刻に考えなくたって」  声に出してつぶやいてみる。迷いを振り切るために。  相手はあの竹上なのだ。深刻に悩まずに軽い気持ちでセックスしてもいいではないか。イマドキの女子高生、経験のない方が少数派だ。  ……そう言い聞かせる。  それでも激しい動悸は治まらない。竹上がバスルームから出てきたことで鼓動はさらに速くなった。 「お待たせ」 「……もっとゆっくりしててもよかったけどね」 「こっちが待てねーって」  いきなり掛け布団が剥ぎ取られる。  ベッドの上に無防備な裸体がさらけ出される。  反射的に胸や下腹部を隠そうとした手を掴まれた。  大きな身体が覆い被さってくる。  ベッドの上で押さえ込まれてしまう。  手を押さえた体勢のままキスされた。 「……するのは、いいけど……、……優しく、してよね」 「ヤダね」  初体験の女の子にとっては当然の台詞を、竹上はあっさりと否定してくれた。 「お前のこと、めちゃめちゃにしたいんだ」 「ちょ……ばっ……」  またキスされる。舌が唇を割ってくる。  私の両手首を重ねて片手で掴む。  もう一方の手が胸を乱暴に弄び、お腹や脇腹を撫でまわす。 「……んっ!」  その手が下へ移動してくる。  淡い茂みをくすぐり、さらにその下へと。  割れ目に沿って指が滑り、中に潜り込んでくる。入口のところで指先をねじ込むように小さな円を描く。 「ん……ぅふ……」  強い刺激に声が漏れてしまう。  少し痛くて。  でも気持ちよくて。  くちゅくちゅと湿った音がする。「シャワーで濡れていたせい」なんて言い訳は通用しない。単なる水よりもぬめりの感じられるいやらしい音だ。 「ふっ……んっ、……ぁんっ……」  否応なしに感じてしまう。やっぱり竹上は上手だった。  先日よりも強く感じているように思う。それは、二人とも裸であることが少なからぬ影響を及ぼしているように思えた。  直に肌を触れ合わせ、身体を重ねている。服を着て竹上と接触したことは何度かあるが今は全裸なのだ。宏樹との入浴を除けば初めての体験だった。  直に感じる相手の体温。  頭に血が昇ってしまう。  頬が熱くて、頭が風船のように膨らんでいくような気がする。  竹上の頭が下へ移動していく。  胸に舌を這わせる。  膨らみの頂点を強く吸う。  軽く噛む。  そうした刺激のひとつひとつに、身体は理性を無視して勝手に反応してしまう。  竹上の攻撃目標がさらに下へと移っていく。  お臍。  下腹部。  そして……脚の間に。 「……っ! やっ……あぁっ!」  女の子の部分を舌で愛撫されるのは、初めての経験だった。  指とは全然違う、湿っていて、柔らかくて、優しい刺激。 「――っっ!」  割れ目全体を舌で舐め上げられる。そこから全身に電流が走る。 「やぁっ、……あっ、あぁっ、あっ!」  舌は震えるように小刻みに動き、剥き出しにされた敏感な突起の上を往復する。  びりびりと痺れるような感覚。シャワーを浴びる前にお手洗いへ行ったのに、なにかが漏れ出てしまいそうな感覚。  なにもかもが初めてだった。  舌が中に入ってくる。身体の内側から舐められる。  子犬がミルクを飲むようなピチャピチャという音が、甲高い喘ぎ声にかき消される。 「や……だっ、めぇ……やぁぁっ! だめぇっ!」  頭の中が真っ白になる快感。  おかしくなりそう。  どんどん動きを速めていく舌。  これ以上されたらおかしくなってしまう。  絶え間なく喘ぎ続けて息が苦しい。 「ちょ……だ、め、やぁぁっ! ……っ、す、ストップ!」  私は竹上の髪を掴むと涙声で叫んだ。 「……こっからがいいところなんだがな」 「だめっ! タイム! ちょっと休憩!」  これ以上続けられたら、冗談ではなく本当におかしくなってしまいそうだ。理性が快楽の海に溶けてなくなってしまう。  竹上が顔を上げた隙に、私はぎゅっと脚を閉じた。 「じゃ、今度はお前がしてくれよ」 「え? …………あ、……うん」  うなずくと、竹上は頭の方へと移動してきた。宏樹に何度かされたような、顔の上にまたがる体勢になる。  反り返ったものを手で押さえて、私の唇に押しつけてくる。  唇に触れる熱い感触。  舌を伸ばしてぺろっと舐めてから、口の中に受け入れた。  舌を押しつける。  内頬で締めつけて強く吸う。  口全体で竹上を感じる。  熱い。  固い。  大きい。  間もなく、これが私を貫くのだ。  その事を今さらのように再確認して、少し怖くなってしまう。  こんなに固いものが。  こんなに太いものが。  こんなに長いものが。  私の中に入るなんて信じられない。  だけど、現実だった。  もう秒読み段階だ。  竹上は無言で私を見おろし、口から男性器を引き抜いた。唾液で濡れたものが鼻先で小さく脈打っている。 「……挿れるぞ」 「………………ん」  やっぱり怖い。  竹上が嫌いとか信じていないとかじゃない。異物を胎内に受け入れることに対する、女としての本能的な恐怖心。  だけど今さら逃げられない。いつかは通る道、覚悟を決めて受け入れるしかない。  脚を大きく開かされる。二人の下半身が接近する。竹上の指が女の子の部分を広げる。 「あ…………」  その中心に熱いものが触れる。  熱くて。  固い弾力があって。  とても大きくて太いもの。  私を犯したいという、竹上の欲望の象徴。  ごくり、と唾を飲み込む。  竹上がにやっと笑い、下半身を押しつけてくる。 「う、ん……ぅ、あぁ…………っ、あんっ!」  中に、入ってくる。  竹上が。  狭い膣口を押し広げて。  やっぱり、かなりきつい。  内側から広げられる痛みに顔をしかめる。  それでも溢れるほどに濡れていたためか、竹上のものも唾液まみれだったためか、ぬるり……という感触とともに奥へ進んでくる。 「っ! あぁぁっ! う……っ、はぁぁぁっっ!」  入っ……った。  外側から押しつけられる感覚とは違う。  竹上が私の中に在った。  未熟な女性器を深々と貫いて、引き裂かんばかりに膣を内側から押し広げていた。 「うぅ……く、ぅぅ……」  無我夢中で竹上にしがみついた。爪を立てていたかもしれないけれど、気を遣う余裕なんてなかった。  もう、奥まで届いていた。先端はいちばん深い部分に押しつけられている。身体の内側から内蔵を突き上げられるような感覚だった。 「……入ったぞ。痛いか?」 「…………ん、ちょっ……と」  ちょっとというか、実際にはかなり痛かった。  だけどそれは想像していたような、引き裂かれる痛みではなかった。狭い口をいっぱいに広げられ粘膜が限界まで引き延ばされる痛み。  確かに痛いけれど。  涙が滲んでいるけれど。  それは不思議と辛い痛みではなく、むしろ、どこか甘さを感じる痛みだった。 「うぁっ……んんっ!」  私の中で竹上が動く。 「あぁっ! うぁっ、あっぁんっ!」  途中まで引き抜かれ、また奥まで打ち込まれる男性器。体内で圧倒的な存在感を主張し、膣全体を激しく摩擦する。  私の太腿を抱えた体勢で、竹上が腰を前後に動かす。最初はゆっくり、そしてだんだんと速く。 「あぁっ! やぁっ……あぁんっ! あぁっ! あぁぁっ!」  引き抜かれるたびに、打ち込まれるたびに、悲鳴に似た声が上がる。  異性を受け入れた経験のない女性器が広げられ、擦られる痛み。そして痛みとは微妙に違う性的な刺激。  その二つが絡み合って私に悲鳴を上げさせる。  少し。  少し……だけ。  少しだけ……気持ちイイ、ような気がする。  痛みのせいか快感のせいか、とにかく声を上げずにいられない。  悲鳴に混じって湿った音が響いてくる。くちゅくちゅ、ぬちゃぬちゃというそのいやらしい音が、だんだん大きくなってくるように感じるのは気のせいだろうか。 「……どうだ?」  腰を前後に揺すりながら竹上が訊く。  動きを止めてくれないので、まともに答えることも難しい。 「あぁっ……あんっ! んっ……よく……わかんな……っ」  痛いんだけれど、それだけじゃなくて。  じゃあ気持ちよくて喘いでいるのかというと、そこまで感じているのかどうかもよくわからない。 「あっ……、た……け……は?」  私は自分の容姿について、これっぽっちも幻想は持っていない。  顔は十人並みで、ちびで痩せぎすで色気に欠ける身体。自分の身体が異性を悦ばせられるものかどうか、正直なところとても不安だった。  自分に自信は持っていないが、幻滅されるのもそれはそれで悲しい。 「……すっげーイイぞ」  ぐいっと腰を突き出しながら竹上は答える。内蔵を押し潰されるような感覚に、私はまた悲鳴を上げる。 「正直、さほど期待してなかったんだが……お前の、意外とイイな。なかなか……いや、かなり名器だ」 「ほん……と……?」 「ああ、いいマンコしてるぞ」  二度、三度、いちばん深い部分を貫かれる。意識が飛びそうになる。 「――ッ!」  やばい。  ヤバイ。  私ってば悦んでいる。  気持いいって言われて悦んでいる。  初めてのことだから。  身体のことを異性に褒められるなんて初めてのことだから。  嬉しい。  嬉しくて堪らない。きつくて苦しくて少し痛い下腹部。その痛みすら嬉しく思えてしまう。  身体の中で竹上が激しく動いている。固い、太い肉の塊が、私の中を擦っている。  私の身体で感じてくれている。  私の身体に欲情してくれている。  何人もの女の子を経験しているはずの竹上が、私の身体をいいと言ってくれている。  お世辞や社交辞令だとしてもやっぱり嬉しい。女として褒められるなんて初めてのことだから。 「あぁっ、……ねっ……ホント? んっ、あんっ……ホントに、気持ちイイの?」 「……ああ、いいぞ」  腰の動きが加速していく。激しい摩擦に火傷しそうなほどの熱さを感じる。  涙が溢れてくる。それは多分、痛みのためではない涙だ。 「あっ、あぁっ! あっ、あぁんっ! あんっあぁっあっあぁぁっ、あぁっあぁぁ――っ!」 「いい、すっげぇイイ……う、くっ!」 「っっ、…………っっ!」  内側から突き破られそうなほどに激しく突き上げられる。  お腹の中のいちばん深い部分で、爆発が起こった。 * * *  事が終わった後、私はしばらく呆けていた。  胎内で荒れ狂っていた嵐が去って、全身から力が抜けてしまった。  上に覆いかぶさっている竹上の身体。息苦しいはずのその重みが、だけどそこはかとなく心地よい。  竹上の身体は汗に濡れていた。それは先ほどまでの激しい運動の名残だ。  まだ、竹上は私の中に入ったままだった。だけど動きを止めているので、少し苦しいだけで痛みは感じない。むしろ、はっきりと「気持ちいい」とまでは言えなくても、悪くない感覚だった。  私を見下ろしていた竹上が、指で涙の痕を拭う。その指で頬をつついてくる。 「ところで……中で出したけど、イイよな?」 「…………って、普通、出す前に訊かない?」  悪びれない口調に、私は呆れ顔で応える。だけど竹上らしいといえばらしい話だ。妊娠の危険などお構いなしに陵辱された垣崎のことを思えば、事後承諾でも竹上なりに気を遣っているのだといえなくもない。 「中出しても大丈夫だと思ってたからな。いつ弟にヤられるかわからん状態で、お前が無策でいるとは思えんし」 「や……そうなんだけどさ。一応、礼儀というかマナーというか……ねぇ?」  竹上の言う通りだ。  宏樹に初めて口を犯された直後から、私は経口避妊薬を飲んでいた。遠からず、宏樹と最後までしてしまうことを覚悟していたから。  こんな時、医師や看護師の知り合いが多いことは便利だ。馴染みの看護師に相談して、あまり苦労せずにピルを処方してもらうことができた。 「ほら、見てみろよ」  竹上が身体を離す。私の中にあったものが抜け出る。  背後から抱えられるような体勢で、ベッド脇の鏡に向かって脚を開かされた。 「……!」  赤く充血した割れ目から、糸を引いて滴り落ちる白濁液。シーツに染みが広がっていく。  ひどく淫猥な光景だった。それが自分の姿だなんて信じられない。 「……あ、や……」  竹上が私を軽々と持ち上げる。まだ固く反り返っているものを下からあてがう。 「ちょ……待……んあぁぁっ!」  軽く腰を突き上げると同時に、私を持ち上げていた腕の力を抜く。私は真下から貫かれた。  流れ出てくる精液が潤滑液になったのか、意外なほどスムーズな挿入だった。収縮していた膣が一気に拡げられる。 「あっ……っっ!」 「せっかくだから、よく見ておけよ」 「やっ……あぁっ、ば、かぁっ!」  信じられない。  鏡に映っている。  竹上に貫かれている私の姿が。  背後から抱きかかえられて、脚を一杯に開かされて、下から貫かれている。竹上の股間に生えた太いものが、私の中心に突き刺さっている。  まるで無修正のアダルトビデオのような光景。だけどそれは現実の、自分自身の姿だった。  恥ずかしくて見ていられない。目を逸らしたいはずなのに、どうしても視線が動かせない。  私は鏡を凝視していた。  竹上に犯されている。  竹上とセックスしている。  私を貫いている男性器。自分の体内に受け入れられる事が信じられないような大きなものが往復運動をしている。いやらしい粘液にまみれてぬめぬめと光っている。  いやらしい。  恥ずかしい。  苦しい。  少し痛い。  だけど……  だけど不思議とその行為が嫌ではなくて、むしろもっとこうしていたいと思っていた。 * * *  ずいぶん遅くなってしまった帰りの車の中で、後ろへ流れていく外の風景をぼんやりと見つめていた。  精神的にも肉体的にも疲れ果てていた。下半身がだるくて、女の子の部分が少しひりひりする。  あの後、いったい何度したのだろう。  記憶も曖昧だった。  竹上は何度も何度も私を求めた。何度も何度も犯された。私はそれを拒まなかった。  けっして、ものすごく気持ちよかったというわけではない。初めてだったし、小柄な私には竹上のものは大きすぎるように感じたし。  多少は気持ちよかったけれど、やっぱり痛くて苦しかった。  それでも嫌ではなかった。  膣内いっぱいに男性を受け入れることには、不思議な、独特の充実感があった。  行為が終わってベッドで肌を寄せ合っていることには、なんともいえない心地よさがあった。  そこで囁かれた言葉を、記憶の中で反芻する。 『なあ、これからちゃんと付き合おうぜ』 『……だから順序が違うって。普通そういうこと、ヤル前に訊かない?』  苦笑しながらそう答える。  それだけを。  そう。  否定はしなかった。  竹上のこと。……嫌い、ではない。  多分、少しは好き。  他に恋愛とかセックスとかを意識する異性はいない。  そして、自分を飾らずに接することのできる相手だ。それは多分、宏樹に対する以上に。  しかしだからといって、それが竹上に対する恋愛感情に直結するとは限らない。遠慮なしに本音を吐けるのは、失うことが怖くないからなのかもしれないのだ。  よくわからない。  考えてみれば、これまでちゃんとした恋愛経験など皆無だった。十八年も生きてきて情けない話ではあるが、私にとっては毎日を生きることだけでも一大事で、恋愛などにかまけている余裕もなかったのだから仕方がない。  恋愛経験皆無。だから自分の気持ちがわからない。どうしてよいのかわからない。  だったら……。  あまり深く考えなくてもいいのかもしれない。  相手はあの竹上だ。軽い気持ちで付き合ってもいいのではないだろうか。  結婚とか将来のこととか、今から考えることでもない。いまどき高校生にもなって男女交際の経験もない方がおかしい。  試しにちょっと付き合ってみる――それでいいのかもしれない。なにしろ、もう肉体関係を持ってしまった相手なのだ。 『まあ……考えてみる』  恥ずかしさもあって曖昧に答える。 『でも……』  問題がないわけでもない。 『あんたと付き合うとして……。宏樹と、今まで通りの関係を続けてても平気?』  正確には「今まで通り」ではない。多分、そう遠くない未来、宏樹とも最後の一線を越えてしまう。  竹上にとっては些細な問題かも知れないが、一応は確認しておかなければならない。 『んー、まあ俺は構わんが、弟の方はどうかな? たぶん嫌がるぜ? 独占したがるんじゃないか?』  そうだろうか。  宏樹にとって私は、性欲処理の道具なのだ。誰と付き合おうと、自分の欲望さえ満たせられればいいのではないだろうか。 『どうしてそう思う?』 『同じ、男だからな』  私にはよくわからない回答だった。 * * *  車を降ろしてもらったのは家の前ではなく、一○○メートルちょっと離れたところだった。  少し、一人で歩きたかった。  少し、一人で考えたかった。  心の準備も必要だった。  頬を撫でる風が涼しい。  胸一杯に新鮮な空気を吸い込む。  脚に力が入らなかった。  あの部分に、鈍い痛みと異物感が残っている。  それが、今日の出来事が夢ではないと物語っている。  初体験、してしまった。  セックス、してしまった。  それも竹上と。  今さらのように実感が湧いてくる。  恥ずかしい。顔が火照る。  そして……なんとなく気まずい。  罪悪感、だろうか。  後ろめたさを感じる必要はないはずなのだが、平常心ではいられない。  宏樹と顔を合わせることに抵抗を感じる。  これから、宏樹とはどうなるのだろう。  竹上との関係を知ったら、宏樹はどう思うのだろう。  隠すことは不可能だった。首筋や胸やお腹、あるいは太腿に、数え切れないほどのキスマークが残っている。竹上が遠慮なしにつけまくったのだ。  私は小さく溜息をついて、躊躇いがちに家に入った。 「……遅かったな」  低い声が出迎える。  私の目に映るのは宏樹の足だけだった。目を合わせることに抵抗があって、うつむいて靴を脱いだ。 「……あいつと一緒だったのか?」  早足で自室に向かおうとする私の背後から、宏樹の声が追ってくる。  一瞬、身体が強張った。  小さく深呼吸して、宏樹に背中を向けたまま答える。 「…………、宏樹には関係ない」  多分、こんな言い方をするべきではなかった。それはわかっていたが、他に言うべき言葉も思いつかなかった。  その直後、なんの前触れもなしに激しい衝撃が頭部を襲う。  暗くなる視界。  遠くなる意識。  殴られたのだ、と理解したところで完全に意識を失った。 20  夢を見ていた。  何年前だろう。まだ、私も宏樹も中学生だった頃の夢だ。 『……宏樹、宏樹!』  ベッドの中で、私は悲痛な表情で宏樹を呼んでいた。  身体がほとんど動かなかった。  腕に、脚に、そして背中に、骨の髄から染み出してくるような痛みがある。昨夜、寝る前にはなかったはずの痛み。その時は左腕も左脚もそれなりに動いていたのに、朝、目が覚めたらこうなっていた。  朝はあまり体調がよくないのはいつものことだが、こんなにひどいことはしばらくなかった。 『宏樹っ!』 『どうしたの、姉さん』  部屋の扉が開き、パジャマ姿で眠たそうな顔の宏樹が顔を出す。 『まだ、起きるには早いよ』 『どうしよう、宏樹。動かないの、手も、脚も!』  切羽詰まった声で訴えると、宏樹の顔から眠気が消えた。 『動かないの、ぜんぜん動かないの!』  怪我は、徐々によくなってきていた。少しずつ動けるようになってきていた。それでも私には常に不安があった。脊髄に致命的な傷が残っていて、ある日突然、身体が動かなくなってしまうのではないか――と。  その不安が現実となったのだろうか。 『落ち着いて、姉さん。大丈夫だから』  宏樹が腕に触れてくる。手のひらで強く擦ってくれる。微かな温もりを感じる。 『今日、外はひどい雨で気温も低いんだ。そのせいだよ。今までも天気の悪い日は調子悪かったろ? 天気がよくなれば治るよ』 『……ホントに?』  そういえば、屋根を叩く激しい雨音が聞こえている。 『ああ、大丈夫。……痛みはない?』 『……痛い。腕も、脚も、背中も、すごく痛い』  動かないのに、皮膚の感覚もほとんどないのに、痛みだけを感じる。骨の中心から生まれてくるような痛み。筋肉の傷みと違って、意志の力だけで簡単に耐えることはできない。 『今日は学校休みなよ。薬飲んで、温かくしてゆっくり眠れば、明日には治ってるよ。俺も休んで、ついていてあげるから』 『ホントに? ……いいの?』 『ああ。……ほら、薬』  宏樹は私の背中に手を入れて上体を起こさせると、部屋に常備してある鎮痛剤を飲ませてくれた。飲んだ瞬間から効くはずもないが、精神的な理由からか少し楽になったように感じる。いくらか落ち着いて深呼吸をする。  横になると、宏樹は脚のマッサージをはじめた。 『……ね、宏樹。このまま動けなくなったらどうしよう』  一瞬、手が止まる。 『……ばか、そんなことあるわけないだろ。医者も言ってたじゃないか。時間はかかるけど、ほとんど普通に歩けるようになるって』 『だけど……もしも』 『大丈夫』  脚に触れている手に、少し力が入る。 『たとえそうなっても、俺が傍にいるから。困ったことがあればすぐに言いなよ。なんでも手伝ってやるから』 『……』  嬉しかった。  その場しのぎの口だけの約束だとしても、涙が出そうなほどに嬉しかった。  たとえ動けなくなっても一人きりにはならない。それだけで安心できた。 『……』  たった一言「ありがとう」の言葉が出てこない。それを口にしてしまうと、そのまま泣き出してしまいそうだった。 『……ね、宏樹』  代わりに、いつもより少しだけ甘えることにする。 『おトイレ……行きたいの。連れてって』 『え? あ、ああ』  身体の下に手を入れて私を抱え上げる宏樹。いつの間にこんなに大きく、力強くなったのだろう。私が怪我をする以前の、小さな小学生の宏樹とは別人だ。多少ふらつきながらも私を抱きかかえてお手洗いへと歩いていく。 『……脱がせて』  トイレに着いたところで頼んだ。宏樹はちょっと躊躇った後、パジャマの下を脱がせてくれた。その続きは右手一本でもなんとかなりそうだったけれど、私は思いっきり甘えたい気分になっていた。 『……下も』  宏樹の顔が真っ赤になる。それでも、おずおずとパンツを下げてくれる。もちろん、見ないように顔は横に向けている。  そうして私を便座に座らせると、宏樹は慌てた動きで外に出て扉を閉めた。そんな様子が可笑しくて、込み上げてくる笑いを噛み殺しながら用を足した。  右手でビデのスイッチを操作して、局部を洗ったところで宏樹を呼ぶ。 『宏樹』  躊躇いがちにドアが開く。 『……拭いて、くれる?』 『……』  パンツを脱がせた時の何倍も真っ赤になって、それでも宏樹はなにも言わず、トイレットペーパーを取って優しく拭いてくれた。腫れ物に触れるような、かなりおっかなびっくりの手つきではあったが。  小学生の頃の、まるで動けなかった時期を除けば、こんなことをしてもらうのは初めてだった。  あるいは試したかったのかもしれない。宏樹が私のためになんでもしてくれるということを。  宏樹は丁寧に拭き終えると、水を流し、パンツとパジャマを穿かせてまた部屋へと連れて行ってくれた。  ベッドに寝かせ、掛け布団の上から予備の毛布も掛けてくれる。  トイレに行っていた短い時間で、痛みはずいぶん和らいでいた。薬の効果か、あるいは精神的な要因も大きいのかもしれない。  それでもまだ、脚の痛みが煩わしい。頼んでマッサージしてもらう。  優しく触れる温かな手が気持ちいい。  鎮痛剤が効いてきたせいか、眠たくなってきた。  宏樹の手の温もりを感じながら、私は静かに眠りについた。 * * *  薬が効いて、私はぐっすりと眠っている。  様子を見に来た宏樹は、私がひどく寝汗をかいていることに気づいた。  濡らしたタオルを持ってきて、顔や手を拭いてくれる。  そして。  タオルを持ったまま、しばらく考えていて。  やがて躊躇いがちにパジャマのボタンを外していった。  上半身が露わにされる。  首筋、お腹、そしてささやかな胸の膨らみをタオルで拭いていく。  特に、胸の部分に時間をかけて。  それでも私は眠っている。  緊張した面持ちで宏樹が唾を飲み込む。  パジャマの下を脱がし、脚を拭く。  つま先から、だんだん上に移ってくる。下着に触れたところで手が止まった。  じっと私の顔を観察している。  私は眠っている。  恐る恐る、下着に手をかける。身に着けていたものの最後の一枚を脱がしていく。  宏樹の顔は緊張で強張っている。  全裸で眠っている私。見下ろす宏樹の、ズボンの前が固く膨らんでいた。 『……姉さん』  耳元でささやく声。  それは私を起こすためではなく、眠っていること、目を覚まさないことを確かめるためのもの。  なにも反応しないことを確認して、宏樹はズボンのファスナーを下ろした。  固く勃起した男性器を引っ張り出し、手で握ってしごき始める。  呼吸が荒い。  全裸で眠っている私を凝視しながら右手を動かしている。  歯を食いしばって射精を我慢している。  やがて宏樹は私の手を取った。  はち切れんばかりに勃起した自分を握らせる。手を添えて前後に動かす。  ビクンッ!  大きく脈打つ。  先端から白濁した粘液が噴き出して、私の顔に降りそそいだ。  白い飛沫に汚される顔。私はなにも知らずに眠っている。  宏樹はまだ手を動かしている。  股間のものは大量の精を放ったにもかかわらず、まだ勢いを失っていない。  荒い呼吸を繰り返す宏樹。興奮は治まるどころかさらに昂っているようだった。  私の脚に手を伸ばす。  大きく開かせて間に身体を入れる。  ぎこちない動きで、その中心に固く反り返ったものをあてがう。  一瞬動きを止めて、私の様子を窺う。  そして、腰を前後に動かし始めた。  擦りつけるように。  押しつけるように。  だんだん動きが速くなってくる。  大きく、ぐいっと腰を突き出す。私の身体がびくっと震える。 『うぁっ!』  下半身を密着させた状態で、ぶるぶると震える宏樹の身体。  大きく息を吐き出して動きを止める。  しばらくそのままでいて、やがて怖々と身体を離した。  宏樹の表情が凍りつく。  開かれた脚の間から、鮮血の混じった白濁液が流れ出してシーツを汚していた。  宏樹の顔からは血の気が失せて、真っ青になっていた。いま初めて、自分のしたことの重大さに気づいたかのように。  先刻までの勢いはどこへ行ったのやら。私を犯した宏樹の分身は、すっかり縮み上がっていた。 * * *  意識を取り戻してしばらくの間、夢と現実の区別がつかなかった。  夢の中で、宏樹は眠っている私を犯していた。  目を覚ました私は、やっぱり宏樹に犯されていた。  宏樹は泣いていた。  泣きながら私を陵辱していた。  泣きながらの、途切れ途切れの告白。  要領を得ない言葉の断片をつなぎ合わせて、足りない部分をこれまでに得た状況証拠と想像力で補って。  あの日、眠っている私に宏樹がなにをしたのか。  宏樹が不能になった原因である、心の傷がなんだったのか。  私はようやく答えに辿り着いた。  宏樹が私を犯している。  激しく。  竹上よりも激しく。  竹上はあれでも、私を気持ちよくさせよう、そして自分も気持ちよくなろうとしていた。  だけど宏樹は違う。  なにも考えず、どうすればいいのかわからず、ただ欲望をぶつけている。  私はなにも言わず、なにも抵抗せず、ぼんやりとしたまま陵辱されていた。  頭が痛い。  失神するほど強く殴られたせいだろうか。それとも精神的なショックのせいだろうか。  激しく叩きつけられる腰。それは痛みを伴う行為のはずなのに、頭痛の陰に隠れてなにも感じない。  宏樹の精が胎内に注ぎ込まれる。  それでも宏樹は離れない。  私を犯し続ける。  私の中に射精する。  何度も。  何度も。  私は無言でそれを受け止めていた。  行為が終わるまでに、いったいどのくらいの時間が過ぎたのだろう。  カーテンの隙間からぼんやりとした光が射し込んでいる。  宏樹はこちらに背を向けて、ベッドの端に座っている。  お尻の下のシーツがひんやりと冷たい。まだ、胎内に注ぎ込まれたものが流れ出している。  私はぼんやりと横になっていた。なにも言うべきことは思いつかなかった。  ついに、宏樹と最後までしてしまった。  いや、「ついに」ではない。私が知らなかっただけで、まだ中学生だった私のバージンを奪ったのは宏樹だったのだ。  私の初めての相手は、竹上ではなくて宏樹。  これまでの常識、信じてきたことが根底から覆された衝撃。  前提条件がまるで変わってしまった。  これからどうなるのだろう。  私はどうすればいいのだろう。  わからない。  なにも思いつかない。  特に考えもないまま身体を起こそうとする。そこで初めて、身体がほとんど動かないことに気がついた。  まるで、あの朝のように。  どうしたことだろう。これまで普通に動いていた右腕さえほとんど感覚がない。  殴られた衝撃で脊髄にダメージを負ったのだろうか。  それとも単に、昨日から今朝までの数え切れないセックスで疲労しきっているためだろうか。  外から雨音が聞こえている。天候が悪いせいもあるのかもしれない。  一時的なものなのか、継続的なものなのか。今の段階ではそれすらわからない。 「……宏樹」  声をかけると、宏樹は無表情に振り向いた。 「身体……動かないの」 「……それで、なにか不都合があるか?」  宏樹の口元に引きつった笑みが浮かぶ。手を伸ばして私の身体の上に置く。  それは撫でるというよりも、上から押さえつけるような動作だった。  起きなくていい。  動かなくていい。  ただそこにいればいい。  ――そう言うかのように。  ぎこちない表情の宏樹。だけどどことなく満足げな気配を感じるのは気のせいだろうか。 「…………」  ようやく、理解できたような気がする。  なにを考えているのか。なにを望んでいるのか。  宏樹は私を失うことを怖れていた。  私が宏樹を必要としているように、あるいはそれ以上に、宏樹は私を必要としている。  私の介助なら他の人でもできる。だけど宏樹の性欲を満たすことができるのは、世界中にたった一人。  私だけ。  だから宏樹は、絶対に私を失うわけにはいかない。  好意がなくても。  恋愛感情がなくても。  私を失うわけにはいかない。つなぎ止めておかなければならない。  だから、この表情。  私が動けずにいるというのに、嬉しそうな満足そうな表情。  思えば、いつだってそうだった。  私の体調が悪い時の方が宏樹は優しかった。  けっして私の自立を促そうとはしなかった。  常に不安だったのだろう。  私が自由に動けたら、一人で行動していたら、他に彼氏を作ってしまうかもしれない。宏樹から離れていてしまうかもしれない。  生きた人間の心を永遠に縛り続けることはできない。そこに『絶対』はない。  宏樹が必要としていたものは『姉』でも『彼女』でもない。私に求めていたのは、他に行き場のない欲望を満たすことのできる、血の通った性処理人形であることだ。  そして今、望んでいたものを手に入れた。 「……沙耶は動けなくなっていいんだよ。ずっと前に言ったろ。俺が傍にいるって。なんでもしてやるって」  だから、この表情。  狂気を孕んだ悦びの表情。  私を押さえている手。  勝手に動くことは許さない。  自分から離れていくことは許さない。  そう言っている。 「……そう、だね」  自分でも意外なことに、私は素直にうなずいていた。  ただここに寝ていればいい。  必要なことはなんでも宏樹がしてくれる。  私の上に置かれている手。  それだけでいい。  私が必要としている手。  私を必要としている手。  そう。この手があればそれでいい。  多分、竹上と付き合っていた方が、私は普通の女の子になれる。自立したいのならその方がいい。  竹上のこと、多分、少しは好き。セックスしたことを後悔しないくらいには。  だけど。  だけど……。  だけど、どちらかひとつしか選べないのなら。  私は。  私は……。  どちらを選ばなければならないか、考えるまでもない。  竹上は本気で私のことが好きなのかもしれない。だけど、私が『必要』なわけではない。彼の隣にいるのは他の女の子でも問題ない。  だけど、宏樹は違う。  宏樹には私が必要。  宏樹にとって私は唯一無二の存在。  他の誰も、私の代わりにはならない。  そして――  宏樹がこうなったのには、私にも責任がある。  私は宏樹に対して償いをしなければならない。  宏樹は、私の初めてを奪った相手。  宏樹は私に対して償いをしなければならない。  理由はいくらでもつけられる。  いや、理由なんかいらない。  ――ただ、宏樹に傍にいて欲しいのだ。 「……宏樹」 「ん?」 「オナカ空いた」 「なに食べたい?」  なんでもいい――これまでならそう言ったはずだ。一方的に世話になっている立場、わがままは言えない――と。  だけどこれからは違う。 「カマンベールチーズのオムレツ。ふわっふわの半熟のやつ。ちょっとでも焦げてたら食べないからね」  私はわがままを言うことにした。なにも遠慮はしない。思うままに宏樹に甘える。なんの後ろめたさもなしに。  その代わりに宏樹が求めているものを、私だけがあげられるものを望むままに与える。 「……わかった、まかせとけ」  納得した顔でうなずくと、宏樹は私の頭を優しく叩いて立ち上がった。