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蛙食文化 −法龍寺「食用蛙供養塔」−

 ※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。

■ ながーーーい前振り ■



コックさん  高級フランス料理屋に座っているところを想像してみてください。シェフのおまかせコースで、メニューには、オードブルに「ドンブ産グルヌイユの香草焼プロバンス風」と書いてあります。
 食前酒も済んで、ワインに手をつけ始めたところで、何だか手羽先のような格好をした物体が皿の上にのって出てきました。さあなんの肉でしょう?
 わがかえるクラブでこのような話題を出すからには、答えは決まっています。当然「かえる」です。
 ヨーロッパで蛙を食べる習慣は、ローマ時代にすでにあったようですが、その正統な後継者かどうか、現在は何といってもフランスが「蛙喰い」のメッカになっているようです。(ドイツ、イタリア、イギリスなどでも食べることは食べるようなのですが。)
 イギリス人が、フランス人を蔑んで言うときに、「Frog eater」もしくは単に「Frog」と言ったりするところから見ても、フランスの蛙喰いが他の国よりも目立つことがうかがえます。
 グルヌイユは、いわゆる食用蛙(ウシガエル)より小ぶりの蛙らしいですが、ブルゴーニュ地方のドンブ湿原で捕獲されるものが最も美味いんだとか。食べる所は後ろ足。もちろん、冷凍のウシガエルを使う場合もあるんでしょうけど。アメリカやキューバの輸出品目だし。



 世界3大料理の一角を見たところで、もうひとつの雄、中国料理をみてみましょう。(しかし、3つ目は何だろう?トルコ料理だと聞いたことはありますが、イメージ湧かない。)
 中国でも、よく蛙を食べます。その味のせいなのか、「鶏」の字を使うようで、「田鶏」(デンチー)などが有名。やっぱり、食用蛙より小さい蛙らしいですが、実物を見てみないとなんともいえませんね。

DVDジャケ  そういえば、サモ・ハン・キンポーの「燃えよデブゴン」シリーズってあったじゃないですか。日本で勝手に「デブゴン」シリーズにしてしまった感のある作品群ですが、その中に、「燃えよデブゴン カエル拳対カニ拳」ていう作品があります。何と日本語字幕つきでDVD化されていたりするので、世の中いろいろなニーズがあるものだと感心しながらありがたく購入して見てしまいました。
 この映画でもっともショックだったのは、何といっても題名にある「カエル拳」が、影も形も現れない、というところにつきます。カニ拳はきちんとカニだったのに。カエル拳というのは、“使い手の名前が「クレージー・フロッグ」”なだけという、見掛け倒し(何を倒してんだかよくわかりませんが)的作品。しかも、唯一の拠り所である主人公の名前は、字幕の中に一度として現れることなく、デブゴンシリーズであることの悲しさ、すべて「デブ」と訳されているっ!無念。というより金返せ。カエル拳を見るために買ったのに・・・・。
 あ、愚痴はこれくらいにして、この作品の原題は「老虎田鶏」。ダーティ・タイガーとクレージー・フロッグの2人組が親玉と対決する本編の内容を実にストレートに表しています。いや、蛙を「田鶏」と書く例を挙げてみただけです。
 
 その他、カジカガエルの一種「雪蛤」(スウコウ)のわき腹の脂肪を干して、それをもどしてデザートに使ったりもするんだとか。これは漫画「美味しんぼ」からのうけうり。 



 日本ではどうでしょうか。居酒屋に「すずめ焼」とかいって串焼きが出ている場合もありますが、一般的に食べるものにはなっていないようです。江戸時代の儒学者、貝原益軒の「大和本草」には、「蝦蟇」の項で、

中華ノ人ハ蝦蟇ヲ食ス本草にミヱタリ 本邦ニモ古ハ吉野ノ河上國栖ト云邑ノ人煮蝦蟇為上味名曰毛瀰ト日本紀應~紀ニ記セリ今モ関東ノ土民ハ食ト云
と書いています。吉野の河上国栖という村の人は、蛙を煮て毛瀰(モミ)という美味しいものを作った、ということが日本紀応神紀にあるということは、古代まで遡れば結構食べていたのかもしれません。江戸時代でも関東の者は食べているということだし。
 本文中に「蝦蟇」とあるのは、どちらかというとトードではなくフロッグな蛙を指しています。ヒキガエルは別項を設けて「蟾蜍」として載っており、ヒキガエルのようないわゆる「ガマ」を食べたというわけではありません。



 ヒキガエルは、食べるというのとはちょっと違いますが、薬として服用することはあるようです。  寺島良安「和漢三才図会」には、
陽明経(人体をめぐっている十二経絡の一つ)に入って虚熱を退け、湿気をめぐらして虫を殺す。疳病(小児の疳)・癰疸・諸瘡の要薬となる。五月五日に東へ向かって歩くものを取り、これを陰干しにして用いる、と。
とあります。なぜ5月5日?なぜ東?疑問は尽きません。でも、よくわかりません。また、「土檳榔」と言って、ヒキガエルの糞を薬として使うこともあるとか。

 ヒキガエルには毒があります。耳腺や皮膚にある分泌腺から白い液をだし、目なんかに入った日には眼科に行かなきゃなりません(前掲の「和漢三才図会」には「そのときは紫草汁で洗眼すれば消える」としてますが本当でしょうか?)。この毒を集めて小麦粉と混ぜて陰干ししたものが、漢方薬の「蟾酥」(センソ)。強心、鎮痛、消炎などに効くといわれています。筑波名物「ガマの油」にもこの成分が含まれているのでしょう。たぶん。実際の毒の成分は、幻覚作用を引き起こす「ブフォテニン」と、強心作用を持った「ブフォタリン」。
 ヒキガエルの毒をしつこく言ってみたのは、「ヒキガエルは食べちゃやばいでしょ。」ということを強調したかったから。でも、日本でしっかりそれを実践した人がいます。
 「美味しんぼ」の海原雄山のモデルで、本物の「美食倶楽部」を設立した美食家で陶芸家の北大路魯山人、その人であります。
 「魯山人味道」(中公文庫 平野雅章編)という食に関する魯山人のエッセイを集めた本に「蝦蟇(ひきがえる)を食べた話」というのが載っています。

 上海で田鶏を食べ、蛙が美味いことを知った魯山人は、ヒキガエルも食えるはずだ、ということで、捕まえて食べることにします。 冬眠中の5匹を捕まえ(どうでもいいことですが、蛙の“旬”は、冬眠前から冬眠中の秋冬。春先は不味いんだそうです。)、料理します。

 皮を剥いでもらい、身だけになったものを、ふつうのさかなのすき焼きでもやるように刻んで、ねぎといっしょに煮て、薄葛をかけた。これは、上海式をそのままやってみただけのことである。こうして晩餐に食ってみると、やはり美味い。肉はキメが細かく、シャキシャキとしていて、かしわの抱き身などより美味い。ただし、どういうものか、少し苦味がある。

 (中略)

 ともかく、苦いものに毒はないから、そのまま食ってしまった。その翌日も食って、二日ばかりで五匹食ってしまった。
 その後も幾度か食ったが、やはり苦味があった。人の話では(うそかほんとかわからないが、)
 「調理する時、皮を剥いだ手で肉をいじると苦くなる。苦味は皮にあるので、皮から出る汁を肉に移さなければよいので、水の中で剥いだらいいでしょう」ということであった。

「苦いものには毒がない」という理屈がよくわかりませんが、とりあえず中毒しなかったようですね。これを読んでヒキガエルを食べてみようと思った方は、「水の中で皮を剥ぐ」ことをお忘れずに。




ウシガエル  さて、日本において「蛙を食う」場合には、まさに人にとっての用途がそのまま呼び名になっている「食用蛙」を外すわけにはいきません。
 日本では、ウシガエル(学名Rana catesbeiana)のことを「食用蛙」と呼んでいますが、「ウシガエルは食べるもの」というコンセンサスが出来あがっているようにも思われません。じゃあなぜ“食用”蛙と呼ぶのでしょうか?これは、もともと北米の大型種で日本にはいなかったものを、食料にするため輸入したことによります。

 大正7年(1918年)、東京帝国大学の渡瀬庄三郎教授が19匹を輸入して、大学付属の伝染病研究所の池に放して飼育したのがそもそもの始まり。その後、国の指導もあり、各地の水産試験場で育てられるようになり、農家の副業として養蛙が広がっていき、大正9年(1920年)、鎌倉に民間初の「鎌倉食用蛙養殖場」が設立されるなど、ウシガエルは全国に広がっていきました。
 養殖場から逃げたり、養殖場が潰れたりして野生化したのが、現在日本で見られるウシガエルというわけ。ちなみに、ザリガニは、食用蛙飼育のための餌として輸入したものが野生化したものです。



 前述の「魯山人味道」の「蝦蟇を食べた話」は昭和10年に書かれたものなので、このときにはかなり食用蛙がひろがっていることになります。魯山人は食用蛙について、

  「食用蛙はやわらかいが、なにか繊維のないような感じで、味に含みがない。」

と言っています。
 また、現在では、動いているものなら何でも食べるその習性もあり、既存の生態系を破壊する“悪者”というレッテルまで貼られています。
 勝手に輸入しておいて、不味いから(?)邪魔者扱いというのはウシガエルに失礼というものです。人間の蛋白源になって昇天していった夥しい数のウシガエルを供養しようという人はいないのか・・・。

 しかし、世の中捨てたものではありません。この食用蛙を“供養”する塔が、東京は江戸川区にあります。この長い長い前振りは、その紹介をするためのものだったのです!その名も「食用蛙供養塔」!!



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