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2012年9月26日 (水)

国を守り、国民を守る

 9月17日の産経新聞「正論」欄に妻、中山恭子の「母の写真見つめたヘギョンさん」の記事が出ている。金正恩体制に変わった今が拉致問題の解決に向けたチャンスであり、政府の最重要課題として取り組むよう求めている。

 その中に、1999年の8月にキリギスで起きた、日本人の鉱山技師4名がイスラム原理主義グループに拉致された時のことが書いてある。その記事を見て当時のことを思い出した。 

 その年の6月、ウズベキスタン兼タジキスタンの特命全権大使に任命された妻をウズベキスタンの首都、タシケントまで送っていった。それから2ヶ月も経たない8月のある日、宮崎の自宅で熟睡中の私に午前2時ごろ電話が掛った。何事だろうかと受話器を取ると、妻の声で、「キリギスで起きた鉱山技師4名が、隣のタジキスタンに連行されている。日本の外務省は発生地のキリギス政府に任せてあるから、現地の大使は動くなという指令を受けているが、犯人側は、日本政府が交渉の正面に出てこなければ明日から1人づつ殺すと言っている。どうしたらいいだろうか」という内容であった。

 とっさの事で、私は事件の内容はよく分らなかったが、「外務本省が何と言おうと、外国にいる日本人の命を守るのは任地の大使の仕事ではないか、1%でも救出の可能性があるのなら、最後までやってみるべきだ」と答えた。いつもは冷静、沈着な妻だが、その時の電話の声はさすがに必死な響きで苦しい立場にあることが察せられた。

 それから約2ヶ月、本省の指令に背いて辞表を懐にした中山大使と数少ないウズベキスタン大使館員の不眠不休の必死の救出活動が続いた。ウズベキスタンと日本は4時間の時差があり、仕事から帰宅した妻が電話する時間は日本では真夜中で私は睡眠不足になりそうだった。しかし、大使のことを考えればそんなことはいっておれない心境で、外務省や官房副長官に面会を求めて大使の行動に理解と協力をお願いした。幸い、犯人達に強い
影響力を持つウズベキスタンのカリモフ大統領の強い支援等により解放に結びつけることが出来た。

 当時はまだ、タリバンという言葉も世に知られていない頃であったが、犯人達はタリバンの過激派の一派であった。最後に、中山大使が犯人側と直接交渉に出かけるという電話を聞いて私は大変心配した。ヌルという司令官に会うために、山を登り、洞窟のような場所に上って行ったという。何百人というひげ面の男達が銃をかまえて立っている中で、一緒に行った男性達は途中で足がすくんで前に歩けなくなったのに、中山大使は通訳と2人、司令官の前に進んで行って直談判したという。いざとなると女性の方が度胸があるのかなと思ったりした。

 ヌルは日本の丹前のような服を着ていて、肥満のせいか体の前がはだけそうになるのを(女性の前だったせいか)一生懸命かき合せようとしておかしかったと妻は後で話してくれた。会談の最初にヌルが「自分はアフガニスタンにいたとき、日本の「おしん」のビデオを見たことがある」という話から始まり、空気がなごんだという。

 この「おしん」は30年前のNHKの朝の連ドラであったが、妻が国際交流基金の常務理事をしていた時、CDを作って世界各国に発送したものであった。そういう人達まで目にしていたのかと国際交流の大切さを思った。尚、このヌル司令官はその後の戦いで死亡したと伝えられている。

 そして、2ヶ月後、人質はやっと解放されることになったが、外務省はキリギスで解放されたことにするために、長い拘束で疲れ切っている人質を歩かせたり、飛行機に乗せたりしてキリギスまで運び、キリギス国内で釈放されたようにつくろった。人の命や健康よりも最後まで面子にこだわる外務官僚の体質に愕然とした思いが今も残る。

 その恭子がウズベキスタンから帰国早々、当時の福田官房長官から、「ギクシャクしている外務省と拉致被害者家族との中に入って融和を図って欲しい」という話が飛び込んだ。妻は福田赳夫元総理大臣に若い頃からお世話になっていたこともあり、福田康夫長官と面識があった。私は福田長官はいい人物に目を付けたなと感心した。私はキリギスの人質事件の時の外務省の対応を知っていたので、中に入ると苦労することも分っていたが、逆に外務省の体質をよく知っている者として、「最後まで拉致被害者の側に立って仕事をするように」とアドバイスして、参与の就任を後押しした。

 その後のことはマスコミに報道されたようなことであったが、政府内で最初は孤立したが、「拉致はテロだ」と断言し、絶対に北朝鮮には返すべきでないと主張する妻に安倍官房副長官が同調し、政府もようやく覚悟を決めて日本国として5人を返さないと発表した。

 その後、曽我ひとみさんが北朝鮮に残してきた家族と何処で会うかが問題になったことがあった。それこそ、たまたま宮崎の自宅でいつもはそんなに早く目覚めることはない私が、朝5時のNHKニュースのスイッチを入れたら、「曽我ひとみさんが北京で会うのに反対しているのは中山参与だけだ」というニュースが流れた。これは大変だと「起きてくれ」と祈るような思いで東京の妻に電話したら、出てくれた。「大変なことになっている。北京で会ったら睡眠薬を飲ましてでも強引に北朝鮮へ連れて行かれる。そして、私達は家族で相談して北朝鮮で住むことを決めたと記者会見させられ、一件落着となってしまうのが落ちだ。早く何とかしなければ」と話し合った。早速、妻は曽我ひとみさんに連絡をとり、曽我さんも北京以外で会いたいというメッセージを出し、最終的にジャカルタで会うことになった。

 ジャカルタでもいろいろなことがあったが、安倍官房副長官は常に曽我さん側に立って尽力され、家族全員が日本に来ることができた。ジャカルタでもスリルの連続であったという。後日ブログに書く時があると思う。

 中山恭子は、大蔵省入省以来、仏留学からワシントン勤務、国際交流基金、そしてウズベキスタン大使と国際的な経験を積んできた。特にソ連邦から独立したばかりのウズベキスタンに勤務し、一党独裁の国家は盗聴器や隠しカメラが設置されるなど厳しい監視体制が敷かれていることを体験した事が、北朝鮮を相手にした時に役に立った。人材を育てることの重要さを思う。

 今、竹島や尖閣の問題等で日本は難しい状況にあるが、国土を守り、国民を守るのは政府の最重要問題である。外交や防衛は素人には出来ない。外交官や防衛に当る者はもちろん、国政に携わる者は全てその使命をしっかり認識した、愛国者であり、国士であって欲しいと切に願っている。

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コメント

中山夫妻の素晴らしい連携で様々ご活躍をなさっておられることが良く理解出来ました。表に出ないこのような話を多くの国民に知らせ、本物の日本人を覚醒させて下さい。
今後の更なるご活躍を祈念致します。

投稿: 石本和彦 | 2012年9月26日 (水) 10時51分

縁があり、ウズベキスタン特使のときの名刺の印刷を奥様の知らないルートでさせてもらっていた時、まさかこんな事情が起こっていたとは…ご夫婦で愛国心に満ちた正義の強い人であった事は日本にとって、宮崎にとって「まだ救いの道の光がある」と身が引き締まる思いです。ネットを見ていると民自公の三党合意で消費税増税を可決した事は相当反発されているようです。中央は国民の気持ちなど別世界のようです。そんな中、中山先生はこの宮崎の苦しさを把握されていらっしゃるようで驚きであり、まだ救いがあると周囲の人に知らせる毎日です。先生の本気がよ~く伝わります。

投稿: 中城洋子 | 2012年9月27日 (木) 04時21分

野田首相が文科相に、アノ悪評高い田中真紀子サンさんを選任したのには仰天した。
真紀子サンは小泉自民党内閣の時外相の座にありついて、醜態に次ぐ醜態で巷では「左巻き子」と仇名された人物。
巻き子サンのご亭主は同じ野田内閣の防衛相に就任してその無能ぶりでさんざん不評を買った。
つまり政治家としてこの夫婦は落第生なのだ。
(と言っても民主党政権では優等生なのかも・・)
野田サンの頭の構造はどうなっているのだろうか。野田がいくら閣僚人形のすげ替えをしても野田の余命は幾ばくも無い。
野田のやけくそ人事で国民は相変わらず無駄飯喰いを養うことになる。
どうせ2,3か月で民主党政権はお払い箱になるからいいけれど、この民主党の閣僚たちは、鳩山、菅、野田共々勲章をもらうつもりなのだろう。
日本の勲章の価値台無しは間違いない。
(もっとも東京大空襲で10万人の非戦闘員を虐殺したカーチスルメイに自民党が勲一等を献上して以来既に勲章の価値は大暴落している。
<もう勲章制度なんかやめっちまえ。>)
話がすっかり脱線してしまったが民主党政権の三年間は日本にとって悪夢としか言いようがない。
民主党はこう言っちゃなんだがまるでクズ政権だった。
そのクズを生んだのがマスゴミである。
クズ政権は民意によって永田町から退場させられる。これが民主主義である。
ところがマスゴミには民主主義の機能がまるで働ない。ゴミに対して民意が届かないのだ。
3年前ゴミたちは民主党が政権をとれるよう麻生政権を徹底的に叩いた。まさに狂気の沙汰である。前段で田母神幕僚長や中山成彬国交大臣を集団リンチにかけた。
ゴミたちの偏向報道の狂気に気付かない選挙民は自民党に「お灸をすえた」つもりで民主党に投票した。
その結果日本国民はゴミとクズに3年間お灸をすえられてしまった。
しかし間抜けな(失礼)有権者もようやく気が付いた。
民主党が全く不勉強な無能政権であり、偏向マスゴミに騙されたと・・
民主党同様、頭がいかれているマスゴミ左翼は本来民意によって民主党とともに消え去るべきだがそうはなっていない。
「愛国者」は悪党の最後の隠れ蓑だそうだがゴミたちの隠れ蓑は「言論の自由」である。
ゴミたちは「言論の自由」を盾に責任逃れをした。
そして安倍氏が総裁に選ばれるやゴミ朝日など反日左翼メディアは過去を反省することなく相変わらず安倍叩きに狂奔している。

投稿: 新鮮組 | 2012年10月 1日 (月) 15時50分

先月、中山恭子先生の講演会を大阪護国神社で拝聴いたしました。そしてご本にサインもして頂き、光栄でした。
その前に動画でウズベキスタンのことを見て、日本兵の方々のご苦労を知り、暖かい交流を知って涙しました。
このエントリーはもっとくわしく中山先生ご夫妻のお仕事を知ることができ、感動しました。
私はgooに「ベッラ・カンタービレ」というブログを持っていますが、ぜひ転載させて下さい。よろしくお願い申し上げます。
私は「たちあがれ日本」を支持している音楽家でイタリアオペラを専門とするソプラノ歌手です。

投稿: ベッラ・カンタービレ | 2012年10月 2日 (火) 22時08分

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