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【東京】

いか八朗さん 4月に引退寄席 “演芸界の奇人” 55年で一区切り 

スクリーンで見せた笑顔は今も健在。来年4月引退公演を行ういか八朗さん=台東区浅草で

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 独特の存在感がある俳優で漫談家のいか八朗さん(78)が芸能生活五十五周年を機に引退することになり、来年四月に記念の引退寄席を豊島区で開く。銭湯をテーマにした今年のヒット映画「テルマエ・ロマエ」にも出演したが、長年住んでいたアパートを追われ、生活保護を受けながら豊島区の施設で暮らす。引退寄席は、苦境にあるいかさんを励まそうと芸人仲間が企画した。 (丹治早智子)

 あのビートたけしさんをして「演芸界の三奇人」と言わしめたいかさん。高知県出身で、特技はウッドベースやサックス演奏だ。一九五七年に作曲家として日本マーキュリーレコードに入社。後に俳優に転身し、渥美清さん出演の映画「拝啓天皇陛下様」などに出演。三十四歳からコントや漫談で浅草や名古屋の演芸場に出るようになった。

 ブレークしたのは八〇年代半ば。大人気だったコメディアンのたこ八郎さんに似ていたことから「そっくりさん」としてCMや雑誌が取り上げ、芸名も本名の「近藤覚悟」から「いか八朗」に変えた。

 約二十五年前、演芸プロデュース「人喰企画」代表で俳優の高土新太郎さんと出会い、高土さん主宰の宴会芸などを指導するイベントに参加した。とはいえ、生活できるほどの収入はなく、廃品回収や親の年金でしのいだ。名古屋の演芸場へ軽トラックを運転して移動途中の一カ月、落ちている段ボールを売りガソリン代を工面した逸話も残る。

 ある年、来日した外国人俳優が都内のある町を「汚い」と言ったと聞き、ごみを拾うようになった。ついでに落ちているたばこを拾って吸う。そんな姿を町の人は温かく見守る。「憎めない不思議な人」。いかさんを知る人は口をそろえる。

 アパートを追われたのは一昨年。「部屋が汚いって大家と大げんかになってね」と接着剤でつけた前歯を見せて笑う。気掛かりは一つ。「十数年前に亡くなったおふくろの骨を知り合いの店の倉庫に預けたままなのよ」

 ここ数年、脳血栓やヘルニアなど大病が続いた。「死ぬときが引退」と言ういかさんに、引退寄席を企画した高土さんは「ここらで一息ついて、元気になったらまた好きなことをやればいい」とエールを送る。

 引退寄席は四月十三日午後六時半から、豊島区の巣鴨スタジオフォーで。木戸銭二千円。四月十日には「テルマエ・ロマエ」の撮影にも使われた北区滝野川の銭湯「稲荷湯」でトークショーを開く。問い合わせは、人喰企画=電090(3680)2015=へ。

 

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