オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー 1/4

BLOGOS編集部

2012年07月11日 09:27

オウム真理教のコミューンの一つであった上九一色村(AP/アフロ)
オウム真理教のコミューンの一つであった上九一色村(AP/アフロ) 写真一覧

先月、最後の特別手配犯である高橋克也容疑者が逮捕され、一つの節目を迎えたオウム真理教をめぐる一連の事件。日本のアカデミズムは、オウム真理教をどのように扱ってきたのか。オウム真理教は、どのような社会的背景から生まれたのか。『オウム真理教の精神史』の著者である宗教学者、大田俊寛氏に聞きました(取材・執筆:永田 正行【BLOGOS編集部】)

※本シリーズは、毎月第2水曜日にSYNODOSに寄稿している論者のインタビュー記事を掲載し、その記事への疑問や異論・反論に対する回答記事を第4水曜に掲載するという方式を採用しています。記事へのご意見は、コメントフォームにお寄せください。締め切りは7月17日(火)正午とさせていただきます。次回の記事掲載日は25日(水)を予定しております。

宗教学者が“主観的”に宗教に向き合ってきた経緯


―まず最初に、「宗教学」とはどのような学問なのかをお聞かせください。

大田俊寛氏(以下、大田氏):宗教学は、19世紀の後半に成立した、まだ歴史の浅い学問です。宗教自体は、人類の歴史そのものと同じくらい古いものですので、宗教学も古い学問だろうと思われる方が多いのですが、実はまだ、200年に満たない歴史しかない。試行錯誤の段階にある若い学問です。

初期の代表的な研究者としては、『リグ・ヴェーダ』というインドの古典を研究したことで知られるマックス・ミュラー(1823-1900)、『セム族の宗教』を著したロバートソン・スミス(1846-1894)、『金枝篇』を著したジェームズ・フレイザー(1854-1941)、『宗教的経験の諸相』を著したウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)などの名前が挙げられます。

宗教学が成立するまでには、いくつかの段階がありました。歴史を遡って説明すると、まず中世ヨーロッパにおいては、キリスト教カトリックによる一元的な宗教支配が確立しており、その他の宗教は、「異教」や「異端」として退けられていました。しかし16世紀に起こった宗教改革により、ルター派やカルヴァン派といったプロテスタント諸派が乱立するようになり、カトリックの一元支配の構図が崩れました。キリスト教カトリックが相対化されたわけです。

さらに17~18世紀には、ガリレオやデカルト、ニュートンといった自然科学者たちの活動によって、科学的な世界観が急速に発展・普及していきます。その結果、天上界に神様が住んでいて地上界を見下ろしているといった、素朴なキリスト教信仰を維持するのが難しくなってきました。世界というのは、どうも聖書やキリスト教神学で説かれているような仕方では成り立っていないようだということが分かり、従来のキリスト教的な世界観や信仰形態が動揺し始めたのです。

そして19世紀には、欧米列強の帝国主義による植民地政策が進み、宗教に関する知見を含め、世界各地の詳細な情報が集められるようになりました。世界にはきわめて多種多様な宗教が存在しており、それぞれの方法で人々の生活を成り立たせているということを、欧米人たちが初めて肌身に触れて知るようになったわけです。

こうした状況を受け、キリスト教を唯一の正しい宗教とみなすのではなく、世界に存在するさまざまな宗教を比較分析し、宗教のあり方や機能を客観的に把握しようということから成立してきたのが、宗教学という学問です。

―多くの宗教を客観的に比較・考察することを目的に生まれた学問ということですね。

大田氏:はい。もちろんそこには、先ほど述べた植民地政策において、現地の宗教とどのように対峙するか、それをどのように利用するかという、実践的で政治的な動機も含まれていたわけですが、一つの学の理念としては、あくまで対象を客観的に把握することにその目的が置かれていました。

ただ、宗教学の歴史を振り返ってみると、宗教学者が本当に「客観的」な分析に徹することができたのかということには、疑問を呈さざるを得ないところがあります。実際には、研究者にとってどのような宗教が魅力的に見えるかといった、きわめて主観的な態度から対象を評価していたケースも少なくありませんでした。後でお話しするように、私は宗教学のそうした傾向性から、日本の宗教学者がオウム真理教を称賛・擁護するという現象が生まれたのではないかと思っています。

宗教学が誕生した19世紀以降の欧米社会は、キリスト教信仰の自明性・絶対性が失われ、何を信じればよいのか分からない「宗教の空白」が現出した時代でもあったわけです。また、近代化が進んだ結果、物質的には徐々に豊かになるのだけれど、「心の空虚感」に苛まれて精神的な病を抱えるといった現象も、この頃から目立ち始めました。生活が豊かになって、物質的な心配がなくなればなくなるほど、心のなかの空虚さが浮き彫りになってくる状態、現在の言い方では「メンタルヘルスを損なう」というような症状が生まれてくる。こうした現象が、近代以降の欧米社会で目立つようになったのです。

そうした状況にあって、宗教学者は、一見したところ宗教を客観的に分析しているように振る舞いながらも、本音の部分では、自分の心を癒やしてくれるような、あるいは、キリスト教が救ってくれなかった自分の魂を救済してくれるような宗教を探すといった、主観的態度から研究を進めることが多かったのも事実だと思います。

―具体的には、どのようなことでしょうか?

大田氏:一例として、先ほど名前を出したウィリアム・ジェイムズの場合を見てみましょう。彼は、プラグマティズムと呼ばれる哲学の創始者の一人であり、脳科学の先駆となるような心理学的業績も残した偉大な学者なのですが、彼自身が若い頃から、うつ病のような症状に苦しめられ続けてました。ジェイムズはある時期から、本格的に宗教の研究を始めるのですが、その動機としては、さまざまな宗教における救済経験のあり方を検討することによって、自らの精神的な病を癒やすための方法を見出したい、という思いがあったのです。

ジェイムズの著作である『宗教的経験の諸相』には、宗教的回心の体験によって、病み衰えていた人間が精神的健康を取り戻すという事例が数多く紹介されているのですが、そのなかの「宗教的憂うつ」の一例として、ジェイムズ自身の体験が挿入されています。研究者である自分の経験が研究上のデータの一つとして扱われ、また実は、自分自身がいかにして精神的健康を回復するか、癒やされるかということが、著作全体を貫く隠れたバックボーンともなっている。もちろん私は、こうしたある意味で「主体的」な研究方法や叙述方法のすべてを否定しようとは思いません。しかし、そこには多くの陥穽や弊害があるということを自覚しておく必要があります。批判的に言えば、宗教学者には往々にして、研究者と研究対象が厳密に区別できていないということがあるのです。

―宗教学成立時点からのそうした問題点が、オウム事件の際に宗教学者が、その教義を肯定したり、存在を擁護するような結果につながったのでしょうか?

大田氏:はい。そのことを否定するのは難しいのではないかと、私は思っています。

大学における宗教学という学問分野のあり方を考えてみた場合、それが実際にどのような役割を果たしていたのかというと、「心の空白」や「生きる意味の喪失」に苦悩する現代の若者たちに対する一つの受け皿になってきたということがあります。大学には研究の他に、学生の教育という役割もありますから、もちろんそのこと自体は、一概に否定的に捉えられるべきことではありません。私自身も少なからず、自分の生き方に思い悩んだところから、宗教学を学び始めたという面はあります。

しかしながら他方、宗教に対するそうした主観的な態度、すなわち、人生の意味を自分に教えてくれる宗教はどれか、自分の心を癒してくれる宗教はどれかという態度が、いつまでも許されて良いということもありません。一人の学生から研究者へと成長する過程のどこかの段階で、研究対象に客観的に向き合う態度をきちんと身につけなければいけない。そのような、宗教を客観的に分析することができるようになるための学問的訓練(ディシプリン)の手法や理論を練り上げるべきだったのですが、日本の宗教学は、その努力を怠ったところがあります。「私はこういう宗教によって成長しました、心を癒やされました」という主観的な態度を、いつまでも容認してきてしまったということがある。

宗教学者の中沢新一氏や島田裕巳氏は、90年代に、「オウムは聖なる狂気によって現代社会の価値観を根底から相対化する」「オウムのイニシエーションは、現代の若者を大人へと成長させるものだ」という理屈で、オウムを礼賛しました。今から考えれば彼らは、ネパールでの密教修行やヤマギシ会というコミューンでの個人的な体験から、宗教とはこういうものだと早合点し、同時に、オウムの教義とはどのようなものか、教団内で実際に何が行われているのかを正確に把握しないまま、オウムを評価してしまったわけです。私はオウム事件とは、日本の宗教学が当初から抱えていた欠点が、顕著に露呈してしまった出来事であると考えています。

―大田さん自身は、宗教をどのようなものだと考えているのでしょうか?

大田氏:私は現在のところ宗教を、「虚構の人格」を中心として社会を組織すること、そしてそれによって、生死を超えた人間同士の「つながり」を確保すること、と規定しています(『オウム真理教の精神史』三二頁)。宗教の本質規定の方法は、個々人の心理的次元に着目するものと、社会的機能に着目するものの二つに大別されますが、私の立場は後者に当たります。学問的には、『宗教生活の原初形態』という著作を書いた社会学者のエミール・デュルケム(1858-1917)から大きな影響を受けました。

しかしながら、宗教学者の全体を見渡してみると、心理的次元を重視するという研究者の方が数が多いかもしれない。さらには、より実践的に、宗教学の本領というのは現代人の「心のケア」を行うことにあると主張する研究者も少なくありません。先ほど述べたように、近現代の社会とは、多くの人々が精神的な悩みや病を抱えるような環境にありますので、そういうことを主張したくなる気持ちも分からなくはない。しかし、宗教学が自らの理論的基盤を明らかにしないまま、ズルズルと実践領域に踏み込んでいくことになると、一つの学としての立場をかえって危うくしてしまうのではないかと、私は危惧しています。

―ご著書の中でも、土地所有の正当性を示すための社会的機能として、祖先崇拝という宗教があったという主張をされていますね。

大田氏:はい。その見解は主に、デュルケムにも影響を与えた歴史学者フュステル・ド・クーランジュ(1830-1889)の著作『古代都市』に依拠したものです。社会とは、一人の人間の生死を超えて、知識や財産が継承されることによって成り立つものですので、そこには必ず、それらの究極的な所有者である「永続的な人格」が必要とされます。具体的には、「祖先の魂」や「神」などですね。仰るように、原始的な社会において家族や氏族といった共同体は、自分たちの住んでいる土地の所有者は「祖先の魂」であると主張することによって、土地支配の正当性や永続性を確保していました。

大学の講義で私はしばしば、現代の社会において、宗教としてのもっとも中心的な機能を果たしているのは「法人」である、と説明しています。法人というのは英語で「Corporation」と言い、その語源をたどれば、「corpus christi(キリストの身体)」というラテン語に由来します。キリスト教には、聖餐礼という儀礼において、一つのパンが「キリストの身体」として表象され、信徒たちがそれを分かち合って食べることによって、一つの体になる=共同体を結成する、という考え方があります。人間の社会は常に、こうした永続的な「虚構の人格」を中心に据えることによって成り立っているわけです。

宗教と言えば、神や仏や魂など、本当は存在しないものを存在すると信じ込んでいる古くさい迷信だと思っている人もいますが、それでは、「国家」や「会社」や「法人」は本当に存在していると言えるのでしょうか。一見して自明で世俗的にさえ思われるそれらの存在も、その根拠をたどっていけば、必ず宗教的な次元を内包しているものなのです。

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