死について
テーマ:ブログ野田聖子です。
今朝も朗母親孝行。
しゃれた店で、モーニング。
おそらく、生まれてはじめてのこと。
重い口を開く朗母。
・・・・死にたくないから、気持ちが落ち込むのよ。
70代もそろそろ終わる・・・人生、
「死」を日々、意識してしまうんだそうだ。
「死にたくない」というネガティブな思いが「うつ」を引き起こし「死にたい」ということになる。
じっくり話した。
近々、老人性うつの診察に行く決意をしておりました。
フレ~ フレ~ 朗母ちゃん!
ノダも、「死」に対しては無防備だった。
幸いなことに、身内が元気だから、「死」の実感がなかった。
だけど、ムスコが、去年の秋、逝きそうになったときから、にわかに、「死」がノダの暮らしの中で、
伴走者のように、寄り添っている。
あのときのように、いつ「死」がムスコのもとにやってくるのか・・・
毎日、病室に入るたび、心の底で、
今日も生きていてくれて、ありがとう、とつぶやいておる。
最近は、自分の「死」についても真剣に想定する。
正直、身動きとれないムスコをおいては、死ねない、死にたくない・・・
でも、こればかりは、どうにもならん。
ちょっと、びびりになったノダ。
移動中、事故がないことを、祈っているし・・・
でもそれは、
「死」が怖いのではない、
ムスコをひとりきりにするのが、忍びないだけだ。
このムスコには、たくさんのことを教えてもらっている。
例えば、私達は、死ぬために生まれてきたこと、とか・・・
つまり、その日が来るのを、おびえるのではなく・・・
その日が来た時には、なんも悔いなく、生き切っておりたい。
だから、やな人たちとは、ぜ~ったい付き合わないことにするわ。
時間、もったいないし、ね。
本日も、全力で生きていまっせ!