米メディア、ファンからも惜しむ声続々 「野球の神様は松井を決して忘れない」

2012.12.28


引退表明の記者会見を終え、メディア関係者から贈られた花束を持つ松井秀喜外野手=27日、ニューヨーク(共同)【拡大】

 

 米メディアは27日(日本時間28日)、松井が記者会見を開く前から引退を速報。ファンが即座に反応して功績を称えるなど、米国でも「ゴジラ」の愛称で親しまれた松井の引退を惜しんだ。

 ニューヨーク・デーリー・ニューズ(電子版)は2009年のワールドシリーズでMVPを獲得した際の松井の写真を大きく掲載。「元ヤンキースの強打者で2009年ワールドシリーズMVPが引退」と見出しを躍らせた。

 スポーツ紙の老舗「スポーティング・ニュース」も「ヤンキースの元ワールドシリーズMVPがニューヨークのホテルで会見。引退か」という見出しで報道すると、読者の書き込みが次々と寄せられた。

 「野球の神様はワールドシリーズでMVPに輝いた松井を決して忘れることはないだろう。勝負強さではあのミッキー・マントル級だった」

 「過大評価され、給料ばかりが高い選手が多い中、松井は本当にチャンスに強い男だった」

 「ヤンキースに素晴らしい一時期をもたらした」

 「何とグレートな男だったか」

 記録的には目を見張るものが少なく、将来、松井がメジャーの野球殿堂入りを果たすことはないとされるが、ニューヨークのファンの記憶に最も残る日本人選手だったことを改めて証明する大々的な報道だった。

 ■まつい・ひでき 1974年6月12日、石川県生まれ。星稜時代は甲子園に4度出場(1年夏、2年夏、3年春夏)。3年夏の明徳義塾戦では5打席連続敬遠され社会問題になった。高校通算60本塁打(甲子園4本)。92年秋のドラフト会議で4球団に1位指名され、競合の末、巨人に入団。96、2000、02年セ・リーグMVP。本塁打王3回、打点王3回、首位打者1回を獲得した。02年終了後、FAでヤンキースに移籍。09年ワールドシリーズでは3本塁打の活躍で日本選手初のMVPに輝いた。10年にエンゼルスへ移籍、11年にはアスレチックスでプレーした。今季はシーズン開幕後、レイズとマイナー契約し、メジャーに昇格したものの、7月に戦力外通告された。巨人での通算成績は1268試合、332本塁打、889打点、打率・304。大リーグ通算成績は1236試合に出場し、175本塁打、760打点、打率・282。186センチ、103キロ、右投げ左打ち。家族は夫人。