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2012年5月12日 (土)

歴史は事実の積み重ねでは決してない

304821_252520098117285_100000778898 前にも書いたことがあるのだけれど、今日MSNニュースに載っていた河村たかし名古屋市長の南京虐殺事件に対する発言への意見広告の問題を見て、書いておきたくなった。長文にて失礼します。
 「歴史は必ずしも事実の積み重ねではない」私が報道写真を辞めた一番の理由はそこにある。この写真は私が天安門事件で撮った写真で、私が撮った報道写真の中で最も国際的に評価された一枚だ。LIFE誌のThe Best of LIFEにも選ばれている。
 ただこの写真が伝えたものは私の意図と違って伝わっている。
 これは「戦車を止めている学生たち」ではなく、「学生リーダーたちが、興奮した学生たちが戦車に向かうのを止めている写真」なのだ。
 天安門広場はすぐに軍に包囲されて、ほとんどの外国人ジャーナリストはホテルに戻っていたため、外からの取材となった。また多くの市民が天安門広場に向かってきて暴徒とかし、かなりの数の人民解放軍兵士も犠牲になった。それら広場の外から中に向かおうとする市民に対しては、軍は間違いなく攻撃していた。
 しかし、天安門広場の中では、私は軍の銃口が広場のスピーカーと地面に向いていたのを確認している。もし水平に撃っていたら最前線にいた私など何度も死んでいただろう。日本人の週刊誌のカメラマンが一人、脚に被弾したが、軍が並んでいる直前でストロボをたいて撮影した者で、興奮した兵士が地面に撃った弾の跳弾だと私は思っている。同様のけが人はもう1人私は見ている。
 当夜、学生たちは広場の一カ所開けられていた道路から平和に撤退した。それがこの写真だ。
 手をつないだのは、最後まで「非暴力」という彼らのスローガンを貫くためであった。
 天安門広場に当夜残っていたジャーナリストはたしか13名ほど。それらの者の中で「天安門広場で大虐殺があった」と主張していたのは、日本人の若い(当時)カメラマン一人だけだった。しかも彼は学生の撤退直前に広場に入ってきた者で、それ以前の軍と兵士たちの静かなにらみ合いの時間を知らない。
 その彼が色々な編集部で机に上がって、大立ち回りをして、大虐殺の中いかに自分が凄い写真を撮って来たかと、誇張して話したという逸話はあちこちから聞いている。そして彼が撮影した戦車の前で人が横たわっているように見える写真はTIME誌などで大きく扱われ、戦車が学生を引いていく写真として使われた。
 私は彼がそれを撮影したそばにいたが、私は間違いなく横たわっている人間なぞ見ていない。それに戦車は時速100mぐらいで本当にゆっくり、ゆっくり前進してきたので、もし人が横たわっていても、学生やそれを撮った写真家がそれをひっぱってくる余裕があった。
 その若いカメラマンはベンツが2台ぐらい買えるお金を稼いだと当時どこかで語っていた。私はせいぜい中古の軽自動車1台ぐらいだった。
 その後広場に残っていたジャーナリスト達がそれぞれの国で検証番組や検証記事を書き、天安門広場の中での死者はいなかったということが伝えられているが、ほとんどの人はそんな歴史観を持っていないだろう。なんせ一時は数万人の学生が広場の中で死んだと伝えられ、広場では何日も学生たちの死体を燃やす煙が上がったと言われていたくらいだ。
 撤退した学生たちとともに広場を出て、車をヒッチハイクしてホテルに戻って、フィルムを隠し、すぐ付けたVoice of Americaの短波放送で、「天安門広場で大虐殺があって、数千人が死亡したもようと」と伝えていたのだ。広場の外にいたジャーナリストたちがどんどん推測で書いて送った記事が先に一人歩きしていた。もうこうなってしまうと事実より、伝聞の大きな数字をマスメディアは止めることができない。
 ほとんどの虐殺事件で被害者側がいう数字と、加害者側がいう数字は100倍ぐらい違うという。真実はそのどこにあるのだろうか。少なくとも私は広場で死体を一つも見ていない。
 その後の葬儀の数などから、ある程度の死者が広場の外での衝突で出たことは間違いないが、何千人、何万人という数ではありえないと思っている。それだけの死体を移動して処分するのがどれほど大変か。
 私が一番評価された報道写真は、私にとって事実を伝えることができなかった一枚でもある。LIFE誌の編集者が私に「たぶん事実はその場にいたあなたが見た通りだろう。しかし、私たちは会社として、その場にいなかったTIMEの北京支局長の取材を優先しないといけないという立場にある。あなたは私たちが書く記事に不満かも知れないが、この写真はどうしても使いたいので使わせてくれないか」そのように国際電話で語ったのを今でも思い返す。
 天安門事件は中国政府が学生たちを弾圧した事件として史実として伝わっている。しかし、あの広場に集った学生たちが当時何を主張し、何を思って広場を去ったか、それらが語られる機会は失われてしまった。最後の最後まで「民主主義、報道の自由、非暴力」という3つのスローガンに忠実だった、純粋な彼らの想いを歴史に残す事ができなかった私は、その後報道写真家から動物写真に転身する。
(ライカM3 ズミクロン35mm/2 F2開放 1/8 RHP増感)

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コメント

写真展によく行きますが、写真は撮影者のテキストがないと真意が読み取れないことが多いです。その撮影の背景にあるものがなんなのか、どうとでも読み取れることがあります。
私は南京虐殺事件も天安門事件の現場にもいたわけではないので、なんとも言えませんが、いろいろな角度からコメントができないと読む人や聞く人が片方に寄ってしまう気がします。双方ともに異論はあって当然ではありますが、議論すらできなくなるのはどうかと思う次第です。

投稿: こうじ | 2012年5月15日 (火) 12時42分

こうじさん
コメントありがとうございます。
そうなんです。一番大事なのは自由な議論です。

投稿: 小原玲 | 2012年5月15日 (火) 13時37分

tomocaさんからいただいたメールで小原さんのお名前をご紹介いただきました。アザラシのメッセージスライドも拝見しました。

日本では議論好きは敬遠されがちですけれど、自由な議論の風土を育てないと世界の中で声をあげられる日本人は育ちませんね。

誰かが議論の場を設定するとしたら誰がするべきなのでしょう。学校の先生でしょうか、テレビ人でしょうか。音楽家でしょうか。

天安門に向かうと告げればタクシーは私たちを無料で西安から北京まで送り届けてくれた・・・他にも当時メディアの伝えない中国人の声をたくさん聞きました。学生たちの言ったことを私はあらゆる機会をとらえて日本人に話してきました。何かを見た者、聞いた者の責任として。

投稿: J-archive 理世 | 2012年5月17日 (木) 22時13分

J-archive 理世さま
 そうですね。あの時に学生達、市民がどんな国の未来を思っていたか、それが事件を気に語られなくなり、単に虐殺事件としか語られなくなったことが残念です。
 自由な意見をいいあうことが一番大事かなと思っています。

投稿: 小原玲 | 2012年5月17日 (木) 22時24分

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