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2012年12月26日(水) 00時01分13秒

【母子避難】都立高受験と離婚の決意と自責の念~私さえ放射能を気にしなければ家族は壊れなかった…

テーマ:被曝

離婚するために郡山から東京に来たわけではなかった。夫には待っていて欲しかった。すべてはわが子を守るため。そしてついに、妻は離婚を決意する。その時、夫は離婚に応じないと言い出した─。中学2年生の娘とともに母子避難しているA子さんに、3カ月ぶりに話を聴いた。来年3月までに避難を中止しなければ離婚すると夫に迫られていたA子さん。離婚を決意した背景には、郡山に残った息子の高校受験があった。理不尽な受験制度を乗り越え、息子は都立高校の合格を目指す。独り郡山に残されることになる夫。A子さんは「私が被曝を気にしなければ、家族がバラバラにならずに済んだ」と自分を責める。しかし、全ての原因は原発事故だ。


【都立高受験に「一家転住」の壁】

都教委職員の言葉に、A子さんは一瞬、耳を疑った。

「受験資格が無いってどういうこと?」

郡山市内の中学校に通い続ける息子が、11月に行われた担任との三者面談で、都立高校の受験、母妹との同居を希望していると口にした。被曝に関しては常々「放射能はお化けみたいなもの。僕にはちっとも怖くない」と話しているが、やはり母や妹が心配な様子だったという。

所属する運動部には、部長は例年、特定の福島県立高校に進学する〝伝統〟があるが、そんなしがらみも捨てての決意。しかし、都教委は理不尽な原則論で応じた。

受験資格は当然あるだろうと都教委に電話をしたA子さんに突き付けられたのは「一家転住」の原則だった。受験をする段階で、息子の父親は郡山市に、母親は都内に分かれて暮らしていることがネックになるという。いくらA子さんが住民票を移しても、駄目。都教委の発行する「平成25年度東京都立高等学校に入学を希望する皆さんへ」の中で、このように記されている。

「全日制都立高校への応募は、都内に保護者(本人に対し親権を行う者であって、原則として父母)と同居し、入学後も引き続き都内から通学することが確実であることが条件になります。父母が共に保護者である場合は、家族全員で都内に転入しなければ、応募することはできません」

入学を希望する都立高校の校長など、何人かが都教委に照会したが、やはり回答は同じ。「一家転住」をせずに都立高校に入学するには①定時制への入学②いったん、福島の県立高校に入学し、夏休み前に都立高校への編入試験を受験し合格する③郡山市立中学校を卒業せずに都内の中学校に編入する─。現行制度では、この3通りの方法しかない。

「原則はあくまで原則のはず。年内にも住民票を移す予定だけれど、それでも駄目。夫と別居していることがこんな場面でネックになるなんて。好きで避難しているわけでは無いのに…」。A子さんは悔しそうな表情で語る。

願書の提出期限が迫り、息子は考えた末に③を選んだ。既に撮影や制作が済んでいる卒業アルバムや文集から削除されることはないが、卒業生名簿には載らない。郡山に生まれ育ち、運動部の部長としても活躍した中学校から自分の名前が消えてしまう。それでも「お母さんや妹と一緒に暮らしたい」と転校を決めた。そんな息子の気持ちを踏みにじるような都教委の対応にA子さんの怒りは募る。

都立高校の入学試験は2月23日。試験に備えて2月に入ったら都内の中学校へ転校する予定だ。
民の声新聞-都教委①
民の声新聞-都教委②
民の声新聞-都教委③
東京都教委が発行する手引きには「一家転住」が
大原則だと明記されている(上、中)

11月下旬、福島の地元紙には都教委の対応を批

判する読者の声が掲載された(下)


【離婚に応じると告げた時、夫は…】

中学2年生の娘との同居は正直、生活は楽ではない。仕事も派遣で不安定。何年先まで雇用が保障されるか分からない。現在の住まいは「応急仮設扱いの公営住宅」だが、1年間の延長が決まったとはいえ、2014年4月には退去しなければならない。家賃を自己負担する道もなく、民間アパートを探すしかない。当然、家賃も水道光熱費もすべて、自己負担になる。

夫から渡されるお金は、増えるどころか減るばかり。ようやく念願かなう息子との同居だが、生活費への不安は小さくない。そこで、A子さんは決意した。「子どもたちとの生活を成り立たせるために離婚をしよう」。法的に離婚をして母子家庭になれば、公的支援が受けられる。都営住宅へ入居できる可能性も広がる。苦渋の選択だった。

来年3月末までに避難を中止して郡山に戻らなければ離婚だ、と言い続けてきた夫。

医師も心配するほどの暴力をふるってきた夫。

しかし、郡山の自宅で離婚に応じることを告げると、夫の反応は意外なものだった。離婚しないと言うのだ。

「夫と離婚をしたくて東京に避難したわけではありません。何とかして子どもたちを守りたかった。でも、夫はそれを許さず、ずっと離婚を口にしてきた。それなのに…」。このまま離婚が成立しなければ、母子家庭の公的支援は受けられない。頼りになるはずの福島県は、期待に反して「福島に帰ろうキャンペーン」を精力的に展開している。県外避難者への住宅支援も、今月で新規受け付けを終了する有様。これまで月給の中から少しずつ貯金をしてきたが、それとて決して大きな金額ではない。

「兵糧攻めなんですよ」

家族3人での生活が安定するまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
民の声新聞-開成山①
民の声新聞-開成山②
郡山市の〝ホットスポット〟開成山公園。除染に
よって放射線量が低減したと市はPRするが、そ

れでも0.5μSV前後。県外避難者が安心して帰れ

る状況ではない


【自分を責めるA子さん。「被曝に無関心だったら…」】

「夫が怒る気持ちも分かります。私が家族をバラバラにさせてしまったんです」

A子さんは自分を責めるように言う。

脱サラし、自営業を始めた夫。両親と同居するために家も建てた。2人の子どもたちの成長を楽しみにしていた。暴力をふるうこともなかった。地震の揺れだけだったら、こんなことにはならなかったはずだ。福島原発が爆発しなければ。放射性物質さえ飛来しなければ…。

福島原発事故から21カ月。人生は大きく変化した。娘を引き連れての母子避難。息子の転校と都立高受験。そして夫の離婚話…。「もしも、私が被曝に無関心だったら、私さえ放射能を気にしなかったら、震災前のように暮らせたかな」。

原因を作ったのは私、と責め続けるA子さん。

しかし、すべての原因を作ったのは原発の存在であり、爆発事故に伴う放射性物質の拡散だ。

中学生の娘をできるだけ遠くに逃がそうと考えるのは親として当然だし、息子を東京に呼びたいと思うのも、被曝回避の意味で自然なことだ。それを夫は最後まで理解してくれなかった。その夫との離婚を決意したのもやむを得ない。A子さん一人が責めを負う問題ではない。

まずは、都立高合格を祈願したい。そして、一日も早く、家族3人での生活が落ち着くことを。


(了)

2012年12月20日(木) 06時30分34秒

【21カ月目の福島はいま】高線量続く福島市の神社には初詣するな~信夫山周辺を歩く

テーマ:被曝

福島市内の神社や寺院には、依然として放射線量の高い所が少なくない。1.0μSV超の信夫山・羽黒神社をはじめ、曽根田天満宮や福島稲荷神社も、「放射線管理区域」となる0.6μSVを軽く超える。もうすぐ新年。多くの子どもたちが初詣に訪れるだろう。被曝をしながら1年の健康や受験合格を祈願するのは、あまりにも哀しく、危険だ


【1.0μSVを超す羽黒神社】

路線バスを「県立美術館入口」で降りる。東北新幹線高架下の「森合緑地公園」では、地元業者による除染作業が行われている。

お地蔵さんに見守られながら、前夜の雨でぬかるんだ階段を上る。冷たい風が痛い。この辺りは南向山と呼ばれており、落ち葉を踏みしめながら登ると、手元の線量計は0.7μSV前後。福島市内は除染が進んだ、安全性が高まっていると言われているが、実情は必ずしも行政の発表とは異なることが、これだけでも十分に分かる。

舗装された道路に出ると右へ。福島第四中学校の裏手を歩く。アスファルトの両脇には落ち葉が山積み状態。手元の線量計が激しく反応する。1.0μSVを超える頻度が高くなった。こんなに高線量地域で中学生たちが学んでいる。

福島市営御山墓地を横目にさらに坂道を上る。第二展望台では、シルバー人材センターの男性たちが、落ち葉をかき集めている。途中、民家で除染作業が行われていた。庭の一角に、真っ黒いフレコンバッグがいくつも並べられている。仮置き場が確保できない福島市では、除染で生じた汚染土などは、敷地内に仮置きするのがルール。だが将来、別の中間貯蔵施設に移動できるなど、誰も信じていない。

再びぬかるんだ山道を登ると、ようやく羽黒神社に着いた。大わらじが奉納されている境内で、線量計は再び1.0μSVを超した。途中の道も0.6-0.9μSVと高線量だったが、神社境内はさらに高い。わずかな時間とはいえ、こんな高線量の神社に子どもたちが参拝をしたら被曝をする。
民の声新聞-羽黒神社
民の声新聞-信夫山
民の声新聞-信夫山の除染
「大わらじ」で知られる信夫山の羽黒神社。境内は

依然として1.0μSVを超す(上)

信夫山は、各所で1.0μSVを上回る高線量(中)

中腹の民家は除染作業中。汚染土は自分の庭に

仮置きされる(下)


【〝学業の神様〟も0.7μSV】

羽黒神社の参道を下り、薬王寺裏の峯の薬師展望デッキで一服。東北新幹線や飯坂温泉が一望できる。放射性物質さえ無ければ、本当に素晴らしい眺めだ。しかし、薬王寺周辺も、0.8-1.3μSVと高い放射線量を計測した。

再び市営墓地に戻り、黒沼神社(0.46μSV)を通り過ぎると護国神社。大きな鳥居の前で0.4μSV前後。隣接する信夫山天満宮も同程度で、他の地点と比べると低い放射線量だが、単純換算で年間3.2mSVに達する値。決して安全だと楽観できない。

駒山公園に設置されたモニタリングポストの値は1.3μSV超。さすがに真冬では子どもを遊ばせる親もいないが、あまりの高線量にため息が出る。何度か訪れている信夫山だが、春になれば福島原発事故から丸2年。しかし、高線量は何も変わっていないことが分かった。

混雑しているハローワークを横に見ながら、福島地方検察庁、浪江町の仮設住宅を過ぎると国道13号へ出る。ここから、受験生の参拝が多い曽根田天満宮へ向かう。
福島中央郵便局に隣接する福島市保健福祉センターには、「ここの公園は除染が終了しました」と誇らしげな看板が設置されているが、手元の線量計は0.39μSV。除染=即安全ではない。

センターの裏道を突き当たると、曽根田天満宮。さすがに、第一志望の学校に合格できるよう祈願した絵馬が数多く奉納されている。絵馬周辺で0.7μSV。単純換算で年間5mSVを超すほどの放射線量だ。

市内でも初詣客の多い福島稲荷神社(福島市宮町)でも、0.6μSVを上回る高い放射線量が計測された。境内では、業者がお守りや破魔矢などを販売する小屋を建設していた。正月準備が着々と進む稲荷神社。福島駅から近い中心部にあるだけに、子どもたちの参拝も多い。
民の声新聞-福島県護国神社
民の声新聞-曽根田神社
民の声新聞-福島稲荷神社
信夫山の護国神社は0.4μSV前後。決して安心

してはいけない放射線量(上)

学業の神様・曽根田天満宮は0.7μSV(中)

初詣客の受け入れ準備が進む福島稲荷神社も

0.6μSVを超す(中)


【福島駅近くで売られる防護服】

福島駅東口のショッピングセンター「AXC(アックス)」1階で、防護服を販売している男性がいた。

ワゴンには「0.59μSV以上は放射線管理区域です」と書かれた紙も貼られている。

かつて医療関連の仕事に従事していたという男性は「ちっとも売れないよ。こんなに放射線量が高いのに、子どもたちはマスクもせず平然と歩いている。異常だよな」と嘆いた。
このビルでは、ゲームコーナーとして利用されていたフロアが閉鎖中だが、近く福島県立医大の甲状腺検査などの拠点として使われる計画があるという。

「東京理科大の封筒を持った人などを頻繁に見かけるよ」と男性。高線量の街と医大の研究拠点。安全安心キャンペーンの裏で進められる研究体制の充実化。現在の福島市の一つの現実だ。
民の声新聞-防護服
民の声新聞-防護服②
1500円で販売されている防護服。マスクすら着用

されないなか、防護服など売れない


(了)

2012年12月18日(火) 10時15分06秒

「安全なお米を学校給食に使わない理由が無い」~福島市が1月から、地元産コシヒカリの使用を再開へ

テーマ:食品汚染

福島市は1月から、学校給食への市内産コシヒカリの使用を1年ぶりに再開する。わが子の内部被曝の危険性が払しょくされないことから使用の中止や保護者アンケートの実施、検査の厳格化を求める保護者に対し、市教委はあくまで「安全が確認された米を使わない理由が見当たらない」との構え。アンケートも行わず弁当持参の自由も公言しない。保護者の不安は無視されたまま、間もなく「地産地消」が復活する


【「福島市の給食は日本全国で1番安全」】

議長に促されて起立した議員はまばらだった。

請願の不採択が決まると、傍聴席で見守っていた母親の1人は思わず声を出して膝を叩いた。

17日に開かれた福島市議会の「東日本大震災復旧復興対策並びに原子力発電所事故対策調査特別委員会」。継続審査中の3件も含め、市民から提出された請願や陳情が次々と葬られていく。

「子どもたちへの線量計配布」も、「国に原発ゼロの政治決断を求めること」も、「政府の『原発事故収束宣言』の撤回を求めること」も不採択。「40歳未満の市民と妊婦の寝場所を0.23μSV未満にすること」も、「原子力規制委員を決め直すことを求めること」も、軒並み不採択。この中に、361人の署名が添えられた請願「福島市の学校給食に関することについて」と陳情「学校給食用米穀に福島市産を使わないことを求める」も含まれていた。

請願を仲介した若手市議が市教委を質した。

「『不検出』ではなく、具体的な数値を公表するべきだ」

保健体育課長

「測定器が20ベクレル未満だと『不検出』と表示される仕様になっており、できない」

市議

「保護者アンケートを実施するべきだ」

課長

「アンケートの結果によって判断されるものではない」

市議

「米が『安全だ』と言う根拠は何か」

課長

「県の全袋検査も含め、5回の検査を通過する。福島市の学校給食は日本全国で一番安全だ」

保守系会派からは「現在の検査体制で十分、安全は担保されている」「市当局の安全宣言を聞いて安心した」と市教委を後押しする意見が相次いだ。JAの密接な関係にあるとされる市議からは「安全な米を子どもたちに食べさせないことの弊害、地元の子どもたちに食べさせないで他県に売ることの道義的責任を考えると、賛成できない」との意見も出された。革新系会派は「保護者に慎重に説明するべきだった」と市教委を批判したが、古参市議の発した野次が、議会の雰囲気を如実に表していた。

「信じる者は救われるんだよっ」
民の声新聞-福島市議会①
学校給食に福島市産コシヒカリを使わないよう求

めた請願・陳情を採択しなかった福島市議会

【「福島市産を使わない理由が見当たらない」】

福島市教育委員会によると、福島市内で収穫されたコシヒカリは県の全袋検査で放射性物質が検出されていないため「安全だが保護者の安心のため」に郡山市内の精米工場「JAパールライン福島」でも玄米と白米で二度、抽出検査。さらに福島県学校給食会でも抽出検査をし、最終的に市内に4カ所ある給食センターでも抽出検査をするという。

市議会では、抽出検査ではなく全量検査を求める声も出たが、「市内の学校で消費される米は年間250㌧(25万kg)。検査は1kgごとに行うため、全量検査となると25万回やらなければならない。それだけの検査体制を敷くにはかなりの労力と費用がかかる」。市教委としては県が実施している米の全袋検査に全幅の信頼を置いており「本来は、それだけで十分安全」との考え。給食センターでは、その日使う食材はすべて検査をしているが、来年度も継続するという。

「元々、地産地消の観点から福島市産のコシヒカリを学校給食に使ってきたわけです。昨年12月から1年間は中止してきましたが、安全性が確認できたのだから元に戻すのが自然でしょう。安全な米を使わない理由が見当たらない」と市教委幹部。「請願・陳情も不採択となったわけですし、計画通り、実施していきます」
民の声新聞-食べて応援
農水省が推進する「食べて応援しようキャンペーン」。

学校給食の現場でも、地産地消の名の下に地元産の

米が使われる


【「弁当持参の自由を公に認めて欲しい」】

小中学生の子どもがいる40代の母親は「できれば福島市産の米は使って欲しくない。それでも使うというなら、やはり全量検査と可能な限りのゼロベクレル。福島市では一週間のうち7割が米飯給食です。親として心配するのは当然です」と話した。

保護者の不安を無視するかのような市教委の進め方に怒りがおさまらない。

「二本松市でも地元産の米を使うことが決まりました。でも、教育長名の文書が配られたんです。給食費を返金することはできないが、どうしても不安な方は弁当を持参させてください。担任の許可も手続きも不要です、と。福島市も最低限、そのくらいはやってほしいですよ。説明会もなくプリント1枚だけ。心配するお母さんはどうしたら良いのでしょうか」

弁当持参について、市教委は「さまざまな問い合わせがあるが、給食を強制はしていない。個々に学校と相談してほしい」と話す。各学校長には「米の安全性を十分に説明したうえで、保護者の意向も尊重するように」と指導しているという。

しかし、実際には学校長の判断に委ねられており、これまでもミネラルウォーターの持参や屋外プール授業への参加など、様々な場面で多くの親たちが辛い思いを強いられてきた。学校側が弁当持参に難色を示せば、母親はわが子に気兼ねなく弁当を持たせることができない。本来は、給食か弁当か選択の自由があることを、市教委が公に示すべきなのだ。

「今回配ったプリントは、市教委として安全性を確信して出した文書です。市が責任をもって確実に安全であるという通知を出すのに、一方で保護者の不安に触れるのは矛盾が生じる。それはできません」(福島市教委)。

保護者の不安は置き去りのまま。不安を唱える者は異端という風潮だけが拡がるなか、学校給食の「地産地消」が進む。


(了)

2012年12月17日(月) 10時27分56秒

地域を荒らすだけ荒らした「特定避難勧奨地点」制度~高線量は変わらぬ伊達市霊山町下小国地区

テーマ:被曝

依然として放射線量の高い状態が続いている伊達市霊山町の下小国地区。昨年6月、突然舞い込んだ「特定避難勧奨地点」の指定は、地域を荒らしに荒らした挙げ句、14日にまたしても突然、1年半ぶりに解除された。住民説明会もなし。高線量は変わらないのに、指定を受けられる住宅と受けられない住宅が生まれる制度の不備。避難をしていた人には地区への帰還が促され、賠償金も打ち切られる。指定を受けられなかった人は被曝を強いられたまま、感情的なしこりも消えない。福島原発事故の招いた〝愚策〟を強行した国や市の責任は重い。


【解除されても破壊された地域は戻らない】

「勝手に指定して、解除はまた突然。われわれをモノ扱いしているのか」

土木建築業を営む男性(68)は、怒りとも苦笑ともつかない表情で話した。

ある日帰宅すると、自宅周辺の放射線量を測定した結果が残されていた。家主の立ち会いもなく、きちんと測定したのかとの疑問は、2日後、指定解除の報道で解消された。「解除ありきの測定だったのでしょう。シナリオは出来上がっていたんですよ」

下小国地区に「特定避難勧奨地点」という聞き慣れない言葉が舞い込んだのは昨年6月。地区の全世帯ではなく、年間積算放射線量が20mSVを上回ると判断された世帯ごとに指定され、「避難するかどうかは住民の判断によることとなりますが、特に妊産婦、乳児などに避難を勧めるもの」(だて市政だより、2011年6月23日号より)。

指定の判断基準は「雨樋の下や側溝など居住区域のごく一部の個所の放射線量が高いとの理由だけで指定するのではなく、除染や近づかないなどの対応では対処が容易ではない地点で、地区の生活やコミュニティの実態を考慮しながら、世帯ごとに指定する」とされ、さらに仁志田昇司伊達市長は当時「避難勧奨地点に指定された後において除染活動などにより放射線量が下がった場合には、国・県に対して速やかに解除の要請を行ってまいりますのでご安心ください」(同)と説明している。

市長は「すぐに解除要請するから大丈夫ですよ」と言うばかりで、避難への助成や賠償金の説明は無し。住民説明会も開かれなかった。そのため、下小国地区の人々は指定の意味が理解できず、拒否をする人もいたという。男性は指定を受けたが、「当初は気の毒がられるような言葉が多かった」。勧奨地点に指定されることで不利益を被ると考えた人は少なくなかったのだ。

だが、お金の話が浮上すると地区の雰囲気が一変する。

指定を受けた世帯は固定資産税が減免され、避難費用の助成に加えて1人あたり月10万円の賠償金が支払われた。祖父母、息子夫婦に子どもがいるような3世帯同居の場合には、結果として年間の賠償金が1000万円近くに達する家庭もあり、「原発長者」などとや揶揄されることも少なくなかった。男性も、マイカーの買い替えを予定していたが、周囲に気を遣って中止。知人に中古車を5万円で譲ってもらった経緯がある。わが子の被曝回避に役立てようとキャンピングカーを購入したところ、指定を受けられなかった人々から激しいバッシングを受けた人もいたという。

「解除されても、壊れたものは元に戻らないですよ」。並び立つ住宅の片方は指定され、片方は指定を受けられない「世帯ごとの指定」の理不尽さ。勧奨地点指定の先に待っていたものは、指定制度と賠償金に対する怒りや妬みから来る、地域の分断と対立。そして、被曝はいまも、日々続いているのだ。
民の声新聞-下小国①
民の声新聞-下小国②
国道115号沿いの農地では、市の測定でも

1.4μSVを超す(上)

小国小学校に接する用水路では、依然として

55μSVを上回る高線量が計測される(下)

【勧奨地点など初めから無ければ良かった】

勧奨地点への指定にかかわらず変わらぬ地域の高線量。解除が大きく報じられるなか、指定を受けられなかった人は怒りを抱えたまま、地区での生活を続けている。

小国小学校では、校庭の一角に設置されたモニタリングポストは約0.37μSV。しかし、総選挙のポスターが貼られた校門周辺は0.6-0.7μSV。敷地に接する用水路では、雑草の真上で55μSVを超す高濃度汚染が続いている。やはり、全市民を強制的にでも避難させるべきだったのだ。一部には、市の破壊を恐れた仁志田市長が全避難を回避したとの情報もある。JA再度からの圧力があったとの見方も。場所によっては飯舘村よりもひどい汚染のなか、子どもたちの命が優先して守られなかったのは確かだ。

両親と50頭の乳牛を育てている酪農家の男性(29)は「勧奨地点は何だったのか、こっちが聞きたいですよ。何も変わらない。勧奨地点など初めから無ければ良かった」と話した。

放射性物質の飛来は、酪農を直撃した。搾った乳は毎日、捨てた。自家製の牧草は汚染で使えず、北海道の牧草を買い付けている。月のコストは3割増しになった。エサを満足に与えられず、死んだ乳牛は5頭に上った。損害賠償は、昨年は請求額の9割が振り込まれたものの、今年は半分しか振り込まれなかった。「残りは年末に振り込んでもらえるのかな」。自嘲気味に笑う表情が哀しい。
この1年半で良かったことといえば「除染をしてもらって、家の周りが片付いたことくらいかな」と苦笑する男性。この日、実施された総選挙では、一票を投じることはなかった。「誰が政治家になっても一緒でしょ?」。年間20mSVに達しないと判断されただけで区別された怒りはそのまま、政治不信につながっている。

何も変わらない、まま迎える2度目の正月。午前6時から牛舎で働く生活サイクルも変わらない。春が来れば再び、アスパラガスの栽培も始まる。
民の声新聞-下小国③
民の声新聞-下小国④
試験的に稲作が行われた水田では、依然として

空間線量が1.1μSVに達する。小国小学校の校

門周辺では、0.7μSV超。子どもたちは通学する

たびに被曝を強いられている

【不平等解消へ東電に損害賠償請求】

下小国と上小国を合わせた小国地区では、住民らでつくる「復興委員会」が中心となって東電への直接請求が続いている。これまで、指定を受けられなかった家庭を救済しようと伊達市に固定資産税の減免措置の拡大適用を働きかけてきた。だが、出された結論は減免措置の打ち切り。「不平等なら全員から徴取しよう」との趣旨だった。委員の一人は「市長は宇宙人だ」と呆れる。そこで、勧奨地点の指定を受けた人を除く住民約900人で、精神的苦痛を受けたとして東電に損害賠償を請求している。弁護士の力を借り、書類が出来上がった人から順次、東電に書類を送付しているという。

「被曝の条件は同じなのに、片やお金がもらえて片やもらえない不平等。お金の問題は結局、お金でしか解決できないんです。それで、少しでも分断の修復に寄与できればいいのだけれど」と同委員は話す。


勧奨地点の指定解除を受け、帰還キャンペーンがますます盛んになる。「こんな年の瀬に戻って来いと言ったってできないだろうに。まだ線量の高いし」とは住民の一人。住民の被曝回避と破壊された地域の修復。国や行政の残した爪痕はあまりにも深い。


(了)

2012年12月01日(土) 21時02分14秒

母の願いは「保養」でわが子の被曝低減~郡山市で避難・保養相談会

テーマ:被曝

福島県内で今も続いている被曝からわが子を守ろうと、母親たちの〝頼みの綱〟となっているものの一つに全国の支援団体が実施している短期間の保養プログラムがある。国や行政の「安全安心キャンペーン」の下、福島県内からは被曝への危機感は薄くなるばかり。被曝を口にすれば地元で「神経質」「変わり者」と揶揄されることも少なくない。一方で県外避難も難しい…。そんな母親らが、週末や冬休みを利用して子どもを放射線量の低い土地に連れて行こうと、郡山市内で開かれた避難・保養相談会に集った。


【3カ月間で1mSV超の積算被曝量】

本宮市の母親(35)は、被曝が2人のわが子を直撃していることに心を痛めていた。

今夏、市の実施したガラスバッチによる被曝量調査で、小学校6年生の息子の3カ月間(7-9月)の積算放射線量が1.14mSVもの高い数値を示したのだ。これは、同時期に調査した本宮市の子どもの中で最も高い値だった。単純換算で年4mSVを超す被曝量。市職員が改めて測定したところ、自宅周辺の放射線量が高く、室内でも0.5μSVに達することが分かった。県外避難が頭をよぎったが、夫婦共働きであることが足かせとなった。逃げたくても逃げられない苦悩…。せめて被曝の軽減になれば、とこれまでも息子を一人で何度か保養プログラムに何度か参加させたが、今回は今年5歳になる娘も同行できる保養先を求めて相談会場に足を運んだ。

「週末だけでも私と2人の子どもで保養に参加すれば、自宅にいて被曝することを避けられます。今回、山形県に行かれそうな場所が見つかったので良かったです」と、母親は支援団体から受け取った多くのチラシを手に笑顔を見せた。現在、同じ本宮市内で放射線量の低い地域への転居を夫と検討中だ。

福島市の30代の母親は、原発事故直後から兵庫県の「宝塚保養キャンプ」に小学生の子どもを参加させている。クラスで唯一、給食の牛乳を拒否して水筒を持参させるなどして、わが子の被曝回避に努めてきた。それでも時間の経過とともに、被曝に関する話題を口にしづらくなっているという。

「文科省からの圧力なのか分かりませんが、『子どもたちの健康に影響はない』との姿勢は校長が替わっても同じですね。前例のない事故で、この先どうなるか分からないのだから、危険性はあるというスタンスで臨むのが自然でしょう?健康被害が生じる可能性はあるわけですから。どうしてそれができないのでしょうか」

1歳の息子とともに来場した本宮市の別の母親(35)は、妊娠初期に見た放射線量の数値が忘れられない。

「自宅アパートの雨どい直下で90μSVもあったんです。もはや不安を通り越して恐怖でした。つわりがひどくて県外避難もできないし、この子の身に何かあったらどうしようって悩みました。原発事故は私の責任ではないんですけどね。やっぱりやれることは全てやってあげないといけませんから、せめて保養に参加したいのですが、子どもが小さいと受け入れてもらえる保養プログラムも限られてしまって…。難しいですね」。内部被曝検査の際、問診した医師は、90μSVという数値について「線量計の故障だろう」と軽く一蹴したという。
民の声新聞-さくら通り①
民の声新聞-さくら通り②
郡山駅から市役所へ向かう「さくら通り」には、依然

として0.7-0.9μSVもの高い放射線量を計測する

ポットが点在する。県外避難が難しいのなら、短

間の県外保養でも被曝低減になる


【保養先から郡山に戻れば被曝回避は〝少数派〟】

保養先から福島に戻ってきた際の苦悩について明かしたのは、郡山市で小学校3年生と5年生を育てる母親。

「保養先では、郡山の汚染や被曝の危険性について気兼ねなく話せるし、客観的に福島の現状を見られる。だから自宅に戻りたくないけど、再び戻って住まなきゃいけないのが現実。郡山に戻れば被曝を意識して回避しようとするなんて少数派です。保養に参加してリフレッシュして戻ってストレスを感じる。いつもその繰り返しなんです」

原発事故など無かったかのような街の光景。「屋外活動3時間ルール」の撤廃された学校の校庭では、子どもたちが落ち葉や土に触れながら遊んでいる。子どもの被曝回避のために声をかけたいが、無関心な母親を前にすると躊躇してしまうという。

「安全だと信じきっている人に対していたずらに不安を煽ることにならないか、余計なことなのではないかと考えてしまい危ないとは言いにくい」と表情を曇らせる。一方で、子どもたちの被曝を低減するためには、そのような無関心層にも保養プログラムの存在を知ってもらい、参加してもらう必要がると話す。

「関心がなければインターネットで検索することもないだろうし、情報にたどり着かない。そもそも『保養』という言葉を聞いただけで被曝とイメージが重なり敬遠してしまう母親もいます。どうやって保養の裾野を広げていくかが課題です」。他の母親たちと頻繁に議論を重ねているが、妙案はないという。
民の声新聞-相談会①
民の声新聞-相談会②
幼い子どもを連れた母親らの熱気があふれた相談

会場(上)

参加した各地の支援団体は、これまでの受け入れ

実績を写真などでアピールした。写真は「福島こども

保養プロジェクト@練馬」(下)


【国の責任で代替の住まいを用意するべき】

相談会を主催したのは、被曝を避けるために避難した人々と全国の支援団体で構成する「311受入全国協議会」(略称・うけいれ全国)。共同代表の一人、早尾貴紀さんは山梨県で福島の子どもたちを受け入れている。参加した親子の5組に1組ほどは県外避難を検討しているものの、仕事の都合や親の反対などから実際に動ける人は多くないという。

「最近は、首都圏からの避難に関する相談が増えてきた。今後は、千葉県の松戸市や東京都葛飾区など首都圏でも相談会を開きたい」

新潟県から参加した「福島サポートネット佐渡」はこの夏も、佐渡島で2週間の保養キャンプを実施した。メンバーは「これだけ保養プログラムへの関心が高いのか」と驚いた表情。相談に訪れた人の中には、ほとんど自宅に戻らずに保養プログラムを利用しながら各地を転々としている人もいたという。「本来なら、国が責任をもって子どもたちの被曝回避のために代替の住まいを用意するべきだ」と話した。

相談会は12月2日も、会場を伊達市の「りょうぜん里山がっこう」(伊達市霊山町大石細倉17)に移して開かれる。10時-14時。

問い合わせは共同代表の早尾さん☎070(6615)2989まで。


(了)

2012年11月27日(火) 10時08分59秒

司法は福島の子どもたちを見殺しにするのか~収穫無き「ふくしま集団疎開裁判」控訴審

テーマ:被曝

またしても司法は郡山の子どもたちの県外避難に前向きな姿勢を示さなかった。「ふくしま集団疎開裁判」控訴審の第二回審尋は26日、仙台高裁で非公開で開かれ、高裁は山下俊一氏の参考人招致を再度拒否。弁護団は保養先で福島の子どもたちの甲状腺から無数ののう胞が見つかった検査結果を新たに意見書として提出する構えだが、収穫を得られないまま時間だけが経過していく状況に、関係者の焦燥感は募るばかりだ。次回の審尋は年が明けて1月21日14時。来春にも高裁の決定が下される見通しだが、子どもたちに寄り添った決定になる可能性は低い。


【山下俊一氏の参考人招致を再度、拒否】

弁護団によると、審尋は約20分で終了。今回も郡山市側からの反論は何も無かったという。

弁護団は前回(10月1日)の審尋に続き、再度、山下俊一福島県立医大副学長の参考人招致を要求。しかし、「書面で読んでばかりでは理解できないだろうから専門家に来てもらって直接、話を聴いてほしいと矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授も含めた招致を求めたが、今回も拒否された」(光前幸一弁護士)。

井戸謙一弁護士は「裁判所は、低線量被曝について本格的に検証する意思が無いようで落胆した」。郡山市側の代理人に関しては「全く反論してこないのはけしからん態度。必要に応じて反論するという煮え切らない反応だった。このまま黙っていれば裁判所が良いようにしてくれるだろうという目論見なのだろうか」と批判した。

郡山市の子どもたちが昨年6月、市を相手取って安全な環境での学習を求めて訴訟を起こして以降、福島地裁郡山支部は福島原発由来の放射性物質による被曝論争に応じないまま、野田首相が「冷温停止宣言」をした昨年12月16日に申し立てを却下。仙台高裁での審尋も、芳しい反応のないまま次回審尋で終了。3月にも下される見込みの決定は、期待されるような内容になる可能性は低い。

会見で、井戸弁護士は原発問題と司法の独立性について、「裁判官の多くが周囲の空気を読みながら仕事をする傾向がある。枠からなかなかはみ出せないのは事実」としながらも「一人一人が正しいと思ったことを判決としたいという思いを抱いて裁判官を目指したはずで、そこをどう刺激するかにかかっている。決して崩せない壁ではない」と〝裁判官の良心〟に期待を込めた。
民の声新聞-弁護団

厳しい表情で記者会見に臨んだ弁護団。「司法の

壁は厚いが決して崩せない壁ではない」と勝利を

誓った


【保養先での検査で甲状腺から無数ののう胞】

新たに提出された書面には、福島の子どもたちの深刻な健康被害を示すものがあった。

弁護団によると、7月から8月にかけて約3週間、滋賀県の琵琶湖周辺に保養にでかけた福島の小・中学生の健康調査を行ったところ、甲状腺からのう胞が見つかったという。

健康調査は滋賀県の医師ら10人のチームによって行われ、血液検査や甲状腺のエコー検査などを実施。29人のうち19人からのう胞が発見され(うち1人は、二次検査を要するB判定)、17人は両葉性多発性のう胞だったという。29人の子どもたちは南相馬市など警戒区域外から参加していた。

井戸弁護士は「来日しているヘレン・カルディコット博士(オーストラリアの小児科医)が京都で講演を開いた際に検査結果を伝えたところ『聞いたことが無い』と驚き『あり得ない。オーストラリアで言えばニワトリの歯だ』と表現していた。そのくらい、われわれは前例の無い事態に直面しているということだ」と話した。見つかったのう胞は、一つ二つではなく、「無数にあった」(井戸弁護士)という。弁護団は、検査を実施した医師から意見書として結果をまとめてもらい、エコー検査の写真を添えて仙台高裁に提出する構えだ。

茨城県土浦市から裁判支援に駆け付けた生井兵治さん(元筑波大学教授)は「植物も人間も、あらゆる生物は仕組みは同じ。人間の被曝や突然変異だけみないことにしている科学者は、科学者ではない」と訴えた。

「空気中の放射性物質を植物が吸い込むと、1㎤あたりの濃度は260万倍に濃縮される。それを牧草に置き換えたらどうか。乳牛が汚染された牧草を食べればさらに濃縮が進み、その牛の乳を人間が飲むとさらに濃度が高くなる。とんでもない濃色の連鎖になるんだ」と、生井さんは内部被曝の危険性を語り、子どもたちの被曝回避を求めた。
民の声新聞-安積黎明高校
民の声新聞-生井兵治
郡山市内の安積黎明高校前では0.6μSV前後

(上=11/17撮影)

土浦市から駆け付けた、元筑波大学教授の生井兵治さん。

「弱い放射線量でも植物は突然変異を起こすことは学会

でも常識だ。あらゆる生物は仕組みが同じ。人間も低線量

被曝の危険を直視するべきだ」と訴えた(下)

=仙台弁護士会館


【地元・宮城からも「福島の子どもを守れ」の声】

審尋に先立ち、郡山市や東京から駆け付けた支援者らが、地元・宮城県の支援者とともにデモ行進。10月1日の初回審尋時同様、市心部を練り歩き「子どもを守れ」「きれいな大地で学びたい」「みんなで疎開、子どもはすぐに」と声をあげた。

デモ行進に参加した仙台市若林区の女性(31)は、「宮城県も女川原発を抱えているのに人々の関心が低い」と表情を曇らせた。震災後、市の緊急雇用で避難所の管理人を努めたが、放射線被曝を口にするのは難しかったという。「地震や津波の被害が大きく、それどころではなかったのも事実ですが、行政から送られてくるモニタリングポストの数値を張り出すのが精いっぱいでした。お母さんたちが子どもたちの被曝についてようやく口にするようになったのは、夏になってからでした」。

現在、北海道か西日本に移住するべく貯金を続けているという。

「女川原発が事故を起こしたら、宮城県の人々は大変な被害を受ける。だからこそ、福島の子どもたちの被曝は他人事ではないのです」

しかし、支援者の想いとは裏腹に、1年半にわたる法廷闘争も何ら収穫を得られないまま年を越そうとしている。

「原告の中には、裁判所の決定を待ちきれずに母子避難をしている人もいる。大変な苦労をして子どもを守っている。忸怩たる思いで郡山市に残り、生活を続けている人もいる」と柳原敏夫弁護士。井戸弁護士は「いつまで裁判を続けるのか」との指摘に「おっしゃる通りだ。何とかしてもう一度、裁判官の認識を変えたい」と答えた。光前弁護士は「裁判所というところは、はっきりとした健康被害が出ないと理解しない側面がある。しかし、健康被害は発生してほしくない。非常につらい」と苦しい胸の内を明かした。

高裁の決定が下される頃には原発事故から丸2年。司法がのらりくらりと被曝から目を逸らしている間に、時間だけが過ぎていく。
民の声新聞-デモ行進
民の声新聞-ヘルプキッズ
仙台駅周辺を練り歩いたデモ行進(上)。参加者は

藻い思いの表現で、子どもたちの被曝回避・疎開

実現を訴えた(下)

(了)

2012年11月24日(土) 08時42分47秒

先の見えない避難生活への怒りと失望と希望と~なみえ十日市祭で聴いた浪江町民の本音

テーマ:被曝

「元気だった?」。友との再会に肩を叩き、涙を流しながら抱擁をした。浪江町の秋の風物詩・十日市。今年も、避難者の多い二本松市内で開催された。地震と津波と放射性物質に襲われた浪江町民は、ふるさとに帰りたいという願いと、帰れないのかもしれないというあきらめの中で葛藤を続ける。会場を歩き、浪江町民の本音を聴いた。先の見えない避難生活、膨らむ政治への失望感、福島原発で成り立っていた商店街の現実…。避難生活は間もなく、21カ月を数える。

【町の再生に欠かせない「脱原発」後の経済基盤】

「浪江町に帰りたい。でも正直、帰れないような気もします」

ステージの真ん中で、浪江小6年生の女子児童は言った。

町の中心部で理髪店を経営していた60代の女性は、大きくうなずいた。「辛うじて建物は残ったけれど室内はめちゃくちゃ。後片付けもできていない。帰ったところで何もできないよね…」。町内でもひと際放射線量の高い津島地区に住んでいた女性も「除染なんて本当にできるのでしょうかね。東電から多額のお金をもらっているかのように思われているのかもしれないけれど、補償も進んでいないのですよ」と話した。

二本松駅前で引き続き居酒屋を営んでいる男性は「戻りたいけど無理だろうな。戻ったとしても商売が成り立つかどうか」と苦笑した。男性の店だけでなく、周囲の商店も一様に福島原発があったことで成り立っていた一面も否定できないからだ。「原発の〝恩恵〟を受けていたのは事実でね、それが無くなってしまったら…」。商工会の関係者も「町の経済は東電に頼ってきた。原発を失って今後、どうやって経済基盤を作っていくのか。それもないのに町民を戻しても駄目ですよ」と話す。

相馬市に避難している漁師の男性(29)は「船籍は請戸港だし、生まれ育ったふるさとは捨てられない。必ず町に戻りますよ」と力強く話した。

200以上あった仲間の漁船のうち、無事だったのはわずか7隻。自身も先日、港から300m離れた場所でスクリューを発見した。本来ならばシラス漁が終わり、正月用のマコガレイを水揚げしている時期。避難先では日当12000円のがれき撤去作業に従事し、生計を立てている。「前向きにがんばらないと何も始まらない」と自分を奮い立たせながら、「その日」を目指す。「海が好きでこの仕事に就きましたから、あきらめられないんですよ」と笑った。
民の声新聞-なみえカルタ①
民の声新聞-なみえカルタ③
民の声新聞-なみえカルタ②
浪江小学校6年生が作った「なみえカルタ」。

すべて過去形になっているのが哀しい


【コミュニティを分断しない代替地を】

浪江町出身の歌手・牛来(ごらい)美佳さん(27)は、娘(7)と共に避難している群馬県から駆け付けて「浪江町で生まれ育った。」などを披露した。国の示した3分割案には「何年かかっても全員が一緒に帰れるようにして欲しい。全部で浪江町ですから。3分割なんて納得できません」。

鉄工所を経営していた男性(44)は、会場の一角で仲間と「なみえ焼きそば」を販売した。太麺が特徴の焼きそばは、常磐道の開通や浪江インターチェンジ完成を前に町への集客の目玉になるはずだった。自身は南相馬市で溶接の仕事を続けているが、収入は1/4に落ち込んだ。「借金をするなら年齢的に今しかない」と家族のためにいわき市内に家を購入した。

「浪江のような田舎はコミュニティの結びつきが強いんですよ。それを分断しての再生などあり得ません。3分割案は人のつながりまで分割してしまいます。早い段階で政治の力で町ごと移転できるような代替地を用意して欲しかった」

一方で、「最近は『前向きに頑張っている』という報道が増えている。被曝は依然として存在するのに…」と不満も漏らした。避難先の二本松市も放射線量が低いわけではなく、十日市祭の会場となった二本松市市民交流センターは0.5μSV超。近くを流れる川べりの芝生では1.0μSVを超す。避難しても被曝が続く現実。「本来なら二本松市民だって県外に逃げなきゃいけない状態でしょう。国の〝安心安全〟発表なんて信じていません。大丈夫と言いながら、決まって後から影響が出てくる。今までずっとそうだったじゃないですか」。
大堀地区から本宮市内に避難している男性(52)も、原発事故など無かったかのような東京の雰囲気に驚いたという。

「新聞もテレビも何でもないことになっちゃってるもんな…。忘れるのが人の常だけれど、こうやって福島の被曝は忘れられていくんだね。でも、政治がそれでは困るな」
民の声新聞-ステージ②
民の声新聞-ステージ④
民の声新聞-ステージ③
浪江町出身の歌手・牛来美佳さん。群馬県に母子

避難している(上)

歌などを披露した浪江小の子どもたち(中)

原発事故後につくられた民謡「ふるさと浪江」

帰りたいけど帰れない町民の想いを表現した(下)


【民を守れない政治への失望と怒り】

震災後、初の総選挙が12/16に実施される。しかし、政治に対して募るのは失望感ばかりだ。

20代男性は「復興予算もあんな状態で…。政治家にはまったく期待していない」と言い切る。「東京でフカフカの椅子に座っては、被災者がどのような思いで汗水流して頑張っているか、分かるわけがないよね」。

50代の男性も「どこもあてになる政党も無いしね…。民主党は除染を進めてきたけれど、10μSVが仮に10分の1になったとして、それでもまだ1.0μSVある。年間1mSVなんてどうやって実現できるのかね。20年後?30年後?その頃、俺は80歳だよ。下の世代は戻らないだろうから年寄ばかりの町さ。でもね、期待はできないけれど政治に頼るしかないもんな」とあきらめ顔だ。

「ふくしまの再生なくして…と言い切った野田首相はなぜ衆院を解散してしまったのか。言葉を貫いて欲しかった」と批判したのは、先の鉄工所経営者。「〝第三極〟なんてもてはやされているけれど、被災地に目が向いていないでしょ。被曝とか復興とか、そういう言葉が橋下さんや石原さんの口から聞かれました?こうして私たちは忘れられていくんですよ」と怒る。

二本松市内に仮の工房を設けて活動を継続させている「大堀相馬焼」の組合。浪江は陶芸の町でもあった。「一番ひどい時に比べて放射線量は半分になった」と関係者が話す町内の工房は、依然として15μSVもの高線量。帰還のめどは全く立っていない。「300年以上の歴史を絶やすわけにはいかないです。でも、組合員もバラバラになってしまい、避難生活も先が見えない。これからどうなってしまうのか分かりません」。
冒頭の女子児童は「未来の浪江町の希望の光になりたい」とスピーチを締めくくった。彼女たちの被曝を回避して光を灯すのはわれわれ、大人の責務だ。

民の声新聞-十日市祭①
民の声新聞-十日市祭②
会場の「二本松市市民交流センター」に設置された

モニタリングポストの数値は0.5μSV超(上)。

会場横の六角川。芝生上では1.0μSVを超した(下)

(了)

2012年11月17日(土) 10時58分45秒

【20カ月目の福島はいま】~高線量の郡山カルチャーパークと開成山公園

テーマ:被曝

福島県・中通りでも特に放射線量の高い郡山市。遊園地や開成山公園のように子どもが多く出入りする施設も、依然として高線量が続いている。除染は進めど緩やかにしか低減されない放射線量。しかし、ここで暮らす人々の間には、あきらめにも似た空気がさらに広がっている印象を受けた。県外避難がひと段落し、「福島へ戻ろうキャンペーン」の大合唱。郡山の子どもたちは今日も、被曝を強いられている。


【放射線量を意識したら郡山では暮らせない】

須賀川市から来たという母親は、遊園地入口で私の線量計が0.6μSVを超したことを告げると驚いた表情を見せた。「そんなに高いんですか…。そこまで調べていなかった」。それでも、幼い2人の息子に促されるように、園内へと消えて行った。子どもたちは無邪気に歓声をあげている。管理事務所前に掲示された放射線量は0.52μSVだった。

JR東北本線・安積永盛駅の西、東北自動車道・郡山西インターチェンジから3分の場所にある「郡山カルチャーパーク」。市の外郭団体・観光交流振興公社の運営する施設で、遊園地や屋外プール、体育館や会議室などを備えている。園内への入場自体は無料。遊具を利用する場合でも100~300円と安価で、震災前までは山形県からも幼稚園児の団体が訪れるなど、一定の人気はあったという。

「震災でめっきり、利用者は減ってしまったね。ここの放射線量が高いことはうちらでも良く分かっている。被曝の危険を抱えながら遊ばせに来る人はいないわな」。閑散とし、秋色の落ち葉ばかりが目立つ「ドリームランド」園内で、初老の男性スタッフは苦笑した。

園内に入らずとも、広大な駐車場で1.2μSVを超す。園内も、0.5-0.6μSV。木枯らしのような寒風のためか、園内に子どもの姿がほとんど見られなかったのは幸いだった。「でもね、家でテレビを見させていても、子どもだってストレスたまるしね…」。郡山市内に住む30代の父親は、1歳と3歳の息子を遊ばせながら力なく笑った。

「原発が爆発した直後は山形県に避難していましたよ。でも、帰ってきました。放射線量が高いのは分かっているけれど、数値を気にしていたら郡山はどこも暮らせないですよ。それに、県外に逃げたところで、宮城や栃木、茨城だって汚染されているわけでしょ?どこに行っても同じです。モニタリングポストもあてにならないしね」
民の声新聞-ドリームランド①
民の声新聞-ドリームランド②
高線量の「郡山カルチャーパーク」。駐車場では

地上1㍍の高さで1.2μSV超。ドリームランド園内

でも0.6μSVを超した。来年3月の再開園までに

放射線量は下がるだろうか…=郡山市安積町


【駐車場の落ち葉は12μSV超】

管理事務所の職員によると、同パークは全ての芝生をはがすなど除染は行ったという。それにもかかわらず、施設内は依然として高線量。駐車場には大量の落ち葉がたまっているが、線量計を近づけると12μSVを超した。幼い子どもが落ち葉に触れたら…。考えただけでも恐ろしい。敷地の端に設置されたモニタリングポストが表示している数値は0.3μSV程度。公式な数字だけでは分からない深刻な汚染がここにはある。

事務所裏には緑色のコケや落ち葉が詰め込まれた透明なごみ袋が放置されていた。線量計の数値は36μSVを突破した。揺らぐ「除染をしたから安全」という除染神話。取り除いても処分できない汚染物質が放置されている実態。同パークは11月末で今シーズンの営業を終え、来年3月16日の再開園まで子どもたちが立ち入ることはないのがせめてもの救いだ。果たして、来春までに放射線量は低減されるのだろうか。

今月23日には、閉園を前に「ドリームランド感謝祭」が開催される。これだけ汚染されている遊園地に、あきらめ顔の親たちがわが子を連れて集うのか。子どもの命を守るなら、感謝祭に行ってはいけない。
民の声新聞-カルチャーパーク②
民の声新聞-カルチャーパーク
「カルチャーパーク」駐車場にたまった落ち葉に線

量計を近づけると12μSV超(上)。管理事務所裏

に放置されたごみ袋は36μSVを超した(下)。施設全

体の深刻な汚染を如実に表している


【どうせ子ども産めないんでしょ?と女子高生】

郡山市の〝超ホットスポット〟開成山公園は今月末までの予定で、大規模な除染作業が進められている。土を入れ替え、取り除いた表土はフレコンバッグに入れて園内の一角に埋め立てている。

園内にいくつか設置されているモニタリングポストは0.3-0.4μSVを示しているが、手元の線量計は公園の遊具周辺で0.6-0.8μSVと高線量。野球場の外野芝生は依然として1.0μSVを超した。何回も訪れている開成山弓道場の雨どい直下は、いまだに10μSVを軽く超す。「除染神話」の下、開成山公園は閉鎖されることもなく、誰もが自由に出入りできる。

午後3時すぎ、幼い息子と散歩をしていた母親に被曝の心配はないか尋ねた。母親は怪訝そうな表情を浮かべると、毅然とした口調で答えた。

「放射線量は意識しないようにしています。強いてそうしているのではなく、この程度の線量なら子どもの健康に影響ないと考えていますから」

2人の近くに設置されたモニタリングポストが示した放射線量は0.358μSVだった。

女子高生(17)は、女友達と自転車を止め、ベンチで談笑していた。公園内は放射線量が高いから危険だと話しかけると、友人と顔を見合わせて弱り顔をした。

「放射線量は気になるけれど、昨年春の一番ひどい時に屋外で散々被曝しちゃったから…。どうせ将来ガンになるのなら今を楽しんだ方が良いかなって。子どもも産めない身体だって聞いたし。だって、奇形児が生まれちゃうんでしょ?」

県外に避難した友人もいる、被曝を意識していないわけではない、でも…。少ない言葉に凝縮された女子高生の哀しみ。大人には子どもの被曝回避に努める義務がある。
民の声新聞-開成山①
民の声新聞-開成山②
除染作業が行われている郡山市の開成山公園。

横を走る車道は0.5μSV超。駅伝のコースにも

なっている

(了)

2012年11月11日(日) 11時24分04秒

【20カ月目の福島はいま】復興と伝統の陰で置き去りにされた被曝回避~須賀川・松明あかし

テーマ:被曝

400年の伝統を誇る須賀川市の奇祭「松明あかし」が10日、開催された。伊達正宗との合戦で討ち死にした須賀川城の兵を弔う「鎮魂の祭り」。重さ3㌧もの大松明をはじめ20本以上の松明が燃える火祭りに今年も多くの観光客が訪れたが、依然として放射線量が低くないうえに市内産のカヤを使っての開催。大人たちは子ともたちの被曝回避よりも復興や伝統を優先した格好だ。


【神経質になったらキリが無い】

天気予報が外れ冷たい雨が降り出した須賀川市の中心部に、女子高生たちの「ワッショイ、ワッショイ」という勇壮な掛け声が響いた。「姫松明」。須賀川産のカヤが市内を練り歩く。

担ぎ手として参加した女子高生は首を傾げた。「被曝ですか?全く心配ではないと言ったら嘘になるけど…。家でも学校でも話題になることはないですね」

「中止?そんなものハナからあるわけないじゃなですか?もういいですか?」。約1カ月かけて大松明を作ったボランティアグループ「松明をもりたてる会」のメンバーは、「被曝」という言葉を耳にすると、みるみる表情が変わった。別の関係者が改めて取材に応じた。

「この祭りは400年の伝統があります。地元では絶やさないのが当たり前なんです。いくら原発事故があったからと言っても、『なぜ中止にしないのか』という問いかけは愚問ですよ。昨年だって中止という言葉は一切出ませんでしたから」

松明に使われるカヤは昨年は県外から調達したが、今年は須賀川市内で採れたものを使った。東北本線沿線で空間線量が0.3μSV前後、西側の地区では1.0μSVを超すことも珍しくない中で、市内のカヤを使っても大丈夫なのか、子どもたちに被曝の危険性は無いのか。この男性は「うまく付き合っていくしかないんですよ」と答えた。

「我々ではどうすることもできないんですから。現に放射性物質は存在するわけですしね。だから、100ベクレル以下のカヤしか使わないという基準をもうけたんです。神経質になったらキリが無いですよ。じゃあね、自然放射線量ってどのくらい存在するのか答えられますか?原発事故が起きたから100とか500とか言うんでしょ?もともと存在しているものなんでしょ?」
民の声新聞-姫松明
女子高生らに担がれて須賀川市内を練り歩いた

「姫松明」。担ぎ手の女子高生は「被曝?ほとん

ど気になりません」と話した


【「復興」の掛け声に消される被曝への不安】

須賀川市滑川に自然食レストラン「銀河のほとり」を開く有馬克子さん(53)=郡山市出身=は「あまり大きな声では言えないんだけど」と前置きしながら、松明あかしの開催に否定的な考えを示した。市内でも開催には賛否両論あるが、「復興」の掛け声に押されて、反対意見を言いにくくなっているという。「開催したいという自由は奪えないし、あれも駄目、これも駄目ではねぇ…。でも、子どもたちのことを考えると、賛成はできないのよね。主催者側の人たちも、心の中では心配しているんじゃないかしら」

14歳から26歳までの5人の子どもの母親。自然食レストランを始めて15年になる。河川工事などで現在の場所に移転をし、再オープンの準備を進めていたのが昨年の3月11日だった。「3.11は運命の日ね」と有馬さん。以後半年間は開店もままならず、支援物資の拠点として情報発信にも努めてきた。県外避難をした人、須賀川に残った人、様々な選択を見守ってきた。

「私の中にもいろんなものが共存していますよ。なるべく早く地消地産にもどしたいという自分もいるし、福島県民がくたびれているところに『もう大丈夫だ』と唱える人を送り込んでくる政府にも腹が立つ。いろんな考えの人を否定し合ったって仕方ないし、愛をもって許し合わないとね。どちらが正しいかなんて論争したって平行線のままでしょ?皆、早く立ち直りたいという想いでは一致しているはずですから」

店内にはカタログハウスから寄贈された放射線測定器がある。敷地内で収穫された米や野菜を測定し、検出されたかったものだけを提供する。これまで自ら収穫した野菜から放射性物質が検出されたことはないという。「もちろん、ゼロではないでしょう。でも、食べてしまっても自然療法で体外に排出させることができます。それも、みけんにしわを寄せながらではなく、明るく楽しくね」。

中学生の娘の甲状腺に、小さいのう胞が見つかった。「検査技術の進歩で、昔なら見つからなかったものまで見つかってしまうということもるんでしょうけどね…。娘が病気にならないように、明るく楽しく取り組んでいきたい」。明るい口調の裏側にある不安。福島県立医大は増床を進め、小児科の体制を拡充させている。来るべき甲状腺疾患の増加を予見しているのではないか、と胸は痛む。新しい薬の実験台になるのではないか、親は子のためにふさわしい医療を選べるのか…。

「もしかしたら将来、ほとんど病気が出ないかもしれないし、その方が良いに決まっています。でもね、今の段階で『絶対に安全安心』を口にするなんておかしいですよ。論理的に無理がありますよね」

頭がおかしいと揶揄されたり、強く非難されることも少なくないという。

「病気にならないと自分のこととして考えられないのね。でも対立ばかりしても…。それは〝あちらの方々〟の思う壺ですから」

民の声新聞-銀河のほとり
自然食レストラン「銀河のほとり」の黒板には「じゃー

どうすれば良いんだ!」という有馬さんの言葉が綴ら

れている=須賀川市滑川


【「被曝は気にならない」と言い切る中学生】

須賀川商工会議所青年部の男性が明かした。「当初は、昨年同様に県外のカヤを使って開催する話で進んでいました。『燃やしても大丈夫なのか』という市民の声が少なくなかったようです。でも、最終的には市内産のカヤでやることになった。いろんな力が働いたのでしょう」。

伝統、復興の陰で置き去りにされる子どもたちの被曝回避。

祭りが中止されればタクシー、旅館、飲食店など、観光客相手の商売への打撃は計り知れない。

高校生との応援合戦に向けて気勢をあげていた須賀川第一中学校の男子生徒は、私の顔を睨み返すようにきっぱりと言った。

「被曝っスか?全然気にならないっス。初めは少し気にしていたんスけど、途中から全然気にならなくなったっス。家でも学校でも話題にならないっス。祭りに参加できてうれしいっス」

午後7時前、太鼓の音とともに大松明に御神火が点された。折からの雨で時間がかかったが、ようやく火柱のように燃え始めた。歓声があがる。須賀川のカヤが灰になった夜。

〝愚問〟を口にし続けた1日が終わった。会場で私の〝愚問〟に賛意を示した須賀川市民は、1人もいなかった。

民の声新聞-ろうそくあかし
キャンドル・ジュンさんプロデュースの「ろうそくあ

かし」。多くの人が「きれいな福島よ再び」と祈りを

込めて書き込んだ。中には「原発の無い社会を」

と書かれたキャンドルも


(了)

2012年11月02日(金) 08時01分40秒

白河市からの自主避難は「放射脳」か~妻子逃がす男性の怒りと落胆

テーマ:被曝

妻や3人の娘を被曝から守るため、周囲の冷笑と闘っている男性が福島県白河市にいる。妻子を新潟市内に母子避難させているが、周囲からは「大げさだ」と嘲笑されている。依然として、放射線量が低くなったとは言えない白河市。むしろ、場所によっては高い値が計測されるのにもかかわらず、むしろ同じ福島県人から非難の言葉を浴びる現状に、男性の怒りは募る。男性は問う。「どこまでの惨事なら、白河市からの自主避難が許されるのか」─。


【西郷村で目の当たりにした〝黒い雨〟】

短い動画がある。1年7カ月前のあの日の午後。経験したこともない揺れに、白河市内の店舗前のアスファルトには、一瞬にして亀裂が入った。道路は波打っていた。電線がビュンビュンと音をたてて揺れていた。店舗内はあらゆるものが倒れ、大きなダッシュボードがいとも簡単に位置を変えていた。とっさにカメラを回したAさん(40)が近所の人を前に叫んでいる。「これはやばいっすよ」。だがしかし、この揺れが長い被曝との闘いの幕開けになろうとは、知る由も無かった。

「あれだけの揺れですから、学校も倒壊していると思っていました。だから覚悟はしました。きっと死んでるだろうと」

妻は、卒業間近の長女のクラス会のため、小学校に出かけていた。携帯電話は不通。ようやくツイッターで妻や娘の無事を知ったのは、しばらく後のことだった。2人の妹は下校途中で、急な下り坂で揺れに遭遇していた。今年で10周年を迎えた店舗の倒壊も、家族の死も免れたのは不幸中の幸いだった。しかし、安心したのもつかの間、徐々に被曝への関心が強くなっていく。

避難への思いが一気に高まったのが、一通のメールだった。店の顧客に宛てられた、福島原発の労働者からの言葉は衝撃だった。

「全県避難になるかもしれない。事態はそれだけ深刻だ」

逃げよう─。慌てて妻に荷物をまとめさせた。妻と2台の自家用車に分乗し、3人の娘とともに幼馴染の親戚のいる南会津を目指した。途中、西郷村で〝黒い雨〟が降った。「何だ?この真っ黒い雨は?」。危機感はさらに高まった。南会津に着いた時、ワイパーは黒くなっていた。

結局、知人の親戚宅には一泊もせず、さらに西へ向かうことになった。

「南会津でも近いんじゃないかと思って、新潟に向かいました」

Aさんは、妻と娘を被曝させるわけにはいかないという想いで一杯だった。3月15日。死を覚悟した未曽有の揺れから4日が経っていた。
民の声新聞-白河市①
民の声新聞-白河市②

激しい揺れであらゆる物が倒れ、散乱したAさん

の店舗。幸い建物自体は倒壊しなかったため、

現在は営業を再開している

=白河市内(Aさん提供)


【「中越沖地震で世話になった」と支援申し出た男性】

北陸自動車道・黒崎パーキングエリアにようやくのことで着いた時、日付は変わり午前1時になっていた。辺りは雪。途中、磐越自動車道は利用できず、大渋滞の一般道で新潟を目指した。津川インターチェンジから高速道路に入った。ほっと一息をつけたPAは、深夜にもかかわらず福島ナンバーの車が目立った。知り合いなどいなかったが、誰彼かまわず情報交換をした。誰もが危機感を抱いていた。何がどうなっているのか、どこまで逃げれば被曝を免れるのか。ガソリンスタンドでは、2-3時間は並ばないと給油できないという話もあった。仕事柄、燃料だけは潤沢だったことは幸いした。
夜が明け、Aさんは再び車を走らせた。娘たちは身を寄せ合って寒さをしのいだ。着いたのは、激しい風雨が吹き荒れる新潟市巻町。かつて、原発新設の是非をめぐって日本初の住民投票が実施された町。通年営業の民宿を探し、一泊した。翌日、地元の不動産業者をまわり、アパートの賃貸契約を結んだ。福島からの避難だと話すと、厚意で敷金や礼金は免除された。一緒に巻町まで逃げた友人は、数日して白河市に戻った。
ここで、思いもかけない出会いがあった。

コインランドリーで洗濯をしていたときのこと。1人の男性が入ってきた。辺りを見渡し、Aさん夫妻に話しかけた。「外に停まっている福島ナンバーの車、おたくの?」。Aさんが原発避難者だと告げると、男性は「中越沖地震のとき、福島の人々には本当に助けてもらった」と、ポケットから小銭を出し、洗濯機の代金を支払った。副業としてこのコインランドリーを管理しているオーナーだった。同い年ということも手伝い、意気投合するのに時間はかからなかった。男性は、Aさんが恐縮する言葉に耳も貸さず、契約したばかりのアパートの住所を聞くと、翌日、ワンボックスカーに一杯の家財道具や食料を積んで現れた。クーラーボックスの肉はあふれ出しそうになっていた。使いきれないほどの布団も毛布もありがたかった。この男性とは今も、交流を続けている。

都市ガス業者は、Aさんがガスコンロを持っていないことを知ると、無料で貸与してくれた。新潟の避難生活は、比較的温かい雰囲気で始まった。だが今、Aさんは激しい怒りと悔しさを抱えている。福島原発から80kmも離れた白河市からの自主避難がどれだけ白眼視されるか、思い知らされることになったからだ。
民の声新聞-白河市⑤
民の声新聞-白河市④
白河駅周辺では、依然として0.4-0.5μSVの放射

線量が計測される。原発から80kmも離れているが、

被曝の危険性は低くない


【「金に余裕があるから逃げるのではない」】

改めてアパートを借り、妻子を残してAさんは白河市に戻った。娘たちには「いのちを守るためだ」と話した。アパートは民間借り上げ住宅となり、光熱費だけの負担で済むようになった。転入した学校の給食費も負担しなくて済んでいる。
だが、厳しい視線が〝身内〟から浴びせられる。

白河市で耳までふさぐことのできるマスクをして生活しているAさんに、近所の人は「放射脳」だと冷笑する。「俺はここに住んでいるんだ。放射能と口にするな」と怒られたこともある。娘ばかり3人の父親だけに、被曝回避には全力を尽くしてきた。「この危機感は他人にはわからないでしょうね」とAさん。「金銭的に余裕があるから逃げられるんだよね」という言葉は聞き飽きた。
地区の会合では、嘲笑のタネにされることが多い。

「奥さん、まだ帰って来ないの?大変だねぇ」

「新潟って、そんなに居心地が良いの?」

「家賃を払ってもらっているんだろ?結構なご身分だな」

避難先には福島県人が少なくないが、大半が福島市や郡山市からの避難者。白河市からの避難に「妻は少なからず負い目を感じている」とAさんは話す。白河市内は原発事故の影響をあまり受けていないように思われがちだが、Aさんの店舗外の地表に線量計を置くと、今でも0.4-0.5μSVを計測するという。私の線量計でも、小峰城で同様の放射線量を計測しており、被曝の危険性は決して低くない。避難先で定期的に開かれる自主避難者の集いでも「福島の現状、自主避難者の想いがあまりにも伝わっていない」という声が多いという。

「どこまで酷い事故なら逃げることが正しいと言ってもらえるのか?もし4号機が倒壊したら、みんな逃げるのだろうか?」

9月、小学校3年生の末っ子の尿検査を依頼したら、放射性物質は不検出。避難させて本当に良かったと実感した。

妻子を守る闘いは、始まったばかり。

原発事故後、佐藤雄平福島県知事には失望させられることが多かったというAさん。

「仮に放射性物質がゼロになったとしても、妻や子を、あんなリーダーがいる県には戻したくない」


(了)

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