出会いの公園〜勝哉と愛澄〜
平成十八年初夏。
勝哉(かつや:25歳)は夏の日差しがまぶしい森林公園で、茶色の木造のベンチに座り、スケッチブックを広げて絵の練習に精を出していました。
緑に囲まれた雰囲気の良い公園で、絵の練習をするには最高の場所でしたが、つたない鉛筆を動かして朝から書き続けること五時間。それでいて納得のいく絵は一枚も書けず、勝哉の苛立ちはつのっていきました。
「怒るな。怒るな。気分を爽快にさせるために絵を書いているんじゃないか。苛立っても得られるものはない。森林浴をしながら、穏やかな気持ちで描くんだ」
そう自分に言い聞かせてみましたが、五時間描きっぱなしの疲労が祟ったのか、あっちの人を描いてはクラクラ。こっちの人を描いてはクラクラ。
鉛筆はスケッチブックの上を迷走するばかりで、描けば描くほど、線は彼の理想から離れたところをうねりました。
勝哉は「う〜ん…」とうなって今度は木を描くことにしましたが、地味だが木というのはへんてこにひん曲がったり、枝があっちへ伸びたり、こっちへ伸びたりで実は人を描くよりむずかしい。
そのため頭も絵も余計にこんがらがってしまったので、これが最後の手段と頭上に広がる青空を描いてみましたが、鉛筆で空を描いたって、スケッチブックが真っ黒になるだけでどうもおもしろくない。
「ああ…」とため息をついてうなだれていると、「何やってるの?」と女の子の声が聞こえてきました。
聞いたことのない声だし、異性から話し掛けられる当てもないので、見知らぬ女の子が、何か女友達にでも話し掛けているのだと思って聞き流していましたが、どうも声の調子から、こちらに話し掛けていることが分かりました。
うなだれていた勝哉が顔を上げて声の主を確認すると、ベンチに座る彼の前に、一人の女の子が立っていました。
髪は黒髪で後ろで丁寧に束ねられていて、体にフィットしていない、ややルーズな黒のワンピースタイプの服を着ており、腰のベルトは、金色で勾玉のような結晶がいくつもはめ込まれた目立つもので、彼女の体全体のシルエットを引き締めていました。服の中心には襟からベルトの位置まで、金色の細いラインが走っていましたが、良く見るとただの単調なものではなく、金や、蒼色の糸で作られた、花と竜の境界を曖昧にして、二つを混ぜたような長い刺繍が施されていました。
その彼女、愛澄は勝哉に目をぴったりと合わせながら、棒付の飴玉を舐めつつ、聞いてきます。
見た目は二十歳くらいの女の子に見えますが、肌の質感や、飴玉を舐める仕草から察すると、成長の早い中学生か、高校生といった具合でしょうか?
「絵を描いてるの?私も絵を描いてるんだよ」
愛澄はそう言うと、左手に抱えていたスケッチブックを見せました。かなり使い込んでるようで、汚れた表紙をしていましたが、それでいてボロボロで汚いといった感じはなく、グリム童話の絵本のような、古めかしく雰囲気のよいものでした。
勝哉は答えます。
「君も絵描きなのかい?僕もそうさ。…でも、僕は絵描きを自称できるほどじゃないな。目の前にあるものを、聞きかじりの素人技術で描いてるだけなんだ」
愛澄は目をぴったり合わせながら聞いてきます。
「あの木の高さは何メートル?」
「へ?」
どうして「あの木の高さは何メートル?」だなんて聞いてくるのか勝哉には分かりません。
「あの木が3メートルだとすると、あの女性は160センチぐらいだから、
あの木に対してあの女性はこれくらいの大きさで描かなきゃならない、とかいろいろあるんだよ」
愛澄は目をぴったり合わせながら語ります。
「そうか。僕はそこまで精密に考えたことはなかったな」
勝哉は感心しました。
「君のスケッチブックを見せてくれないかい?」
「うん!いいよ!私の絵の中ではしばしば、船が空を飛ぶんだけどね!」
二人はベンチに座り、愛澄のスケッチブックが開かれました。
愛澄は丁寧にページをめくりながら、まるで絵本の読み聞かせのように、絵の解説をしてくれました。
その絵の成り立ち。その景色を選んだ理由。その人をモデルに選んだ理由。
愛澄の最高傑作である空飛ぶ船の絵に、なぜその王子様を描いたのか?などなど。
わくわくする話をいっぱい話してくれました。
すると、愛澄はおもむろに口から棒をひっぱり出し、棒の先端に小さく残った飴玉を勝哉にすすめました。
「舐める?」
勝哉は拒みました。
「いらないよ!それは君の舐めかけじゃないか!それにそんなに小さいじゃないか!」
そう言われると、愛澄は「おいしいんだけどな」とつぶやいて飴玉を口の中に戻しました。
勝哉は愛澄の絵を見ていると、何だか憎々しくなってきました。
愛澄の絵は一秒とかからずに見る者を作品世界へ引き込んでしまい、そして奇抜で広がりがあり、ダイナミックでした。
勝哉は彼女の絵に、自分がどんなに練習しても追いつけない才能の差を感じたのです。
「僕が描けない絵を、いとも簡単に描いてくれるね!まったく天才というやつは、何の苦労もせずにこんな絵を描いてしまうわけだ!」
愛澄は笑いました。
「ホッホッホー!!」
勝哉は驚きました。
「なぜ笑うんだい!?『天才は何の苦労もしていない。』なんて言われたら、『私だって苦労してるんだよ?』『あなたは何か努力をしてるの?』だなんてしかめっ面で言い返してくるものなんだ。
なのに君ときたら、ホッホッホー!!と楽しそうに笑うなんて!」
愛澄はこれは愉快だ!とばかりに笑っています。
勝哉はまくし立てました。
「まったく女というのは信用できないな。僕はね、ずっと不快な思いばかりさせられてきたよ。こうして君が僕にやさしく話しかけてくるのも、
若くて可愛い私が、しがない男の相手をしてやってるってわけだろう!?」
「ウォッホッホー!!」
愛澄はさっきより楽しそうに笑いました。
勝哉は頭にきました。
「何だっていうんだい?とても失礼なことを僕は言ったんだ。君を個人としてとらえずに、『女』と一括りにして、八つ当たり同然のことを言ったんだ。そんなことをすると女達は、『女の子だって苦労してるんだよ?』
『あなたの性格にこそ問題があるんじゃないの?』だなんてしかめっ面で説教を始めるものなんだ。なのに君ときたら、ウォッホッホー!!と楽しそうに笑うなんて!」
勝哉の問いかけに愛澄は答えずに、ぴったりと目を合わせながら言いました。
「あなたを描きたい。モデルになってよ」
勝哉はカ〜ッと頭に血が上りました。
「僕がモデルだって?ばかばかしい!モデルってのは顔の彫りが深くて鼻の高い男がやるものなんだ。僕がモデルだって?ばかばかしい!」
愛澄は言いました。
「あなたにモデルになってほしい」
真っ直ぐに目を見つめて語る愛澄の視線の力強さに、勝哉は思わず心をほぐされてしまって、興奮がすっかり消えてしまったので、モデルをする決心をしました。
勝哉はベンチから立ち上がって適当な木のそばに立つと、両手を後ろに組んでポーズを取りました。
愛澄はスケッチブックを広げて、勝哉の目を見つめながら、鉛筆を走らせます。
全身を描くのだから、勝哉の体とか、足とか、いろいろなところに目線を移さなきゃいけないのに、
愛澄はほとんどそれをしないで、じ〜っと勝哉の目を見つめながら鉛筆を走らせていました。
愛澄に見つめられて、わずかに意識してしまって耳や頬が赤くなり、それを愛澄に気付かれているかどうか気にしながら、勝哉はじ〜っと立ち続けます。
自分を描いてくれている愛澄のことを見ていると、耳や頬の赤らみはやがて消えてしまい、勝哉も愛澄の目を見つめ始めました。
やっと絵は完成しました。
勝哉は駆け寄って見てみました。
「すばらしい!!なんて絵なんだ!!これはすばらしい!!」
初夏の日差しを浴び、緑葉舞う鮮やかな木のとなりに、愛澄が描いてくれた勝哉が立っています。
絵の出来栄えがうれしくて、勝哉は「ありがとう!」と愛澄に言いました。
愛澄は答えました。
「ねぇ、今度は私を描いてよ」
勝哉はとまどいました。
「僕は絵がへたくそなんだ。君だって僕の絵を見たろう?
僕の画力じゃ君の魅力を百分の一だって紙に乗せられない。
君みたいな子はね、有名天才画家が描くべきだよ」
「あなたに描いてほしい」
愛澄は勝哉の目を見つめながら言いました。
その目はとても真剣なので、少し悩んだ末、勝哉は愛澄を描く覚悟を決めました。
愛澄は勝哉が立ったのと同じ木のそばへ行き、両手を後ろに組んですっくと立ちました。
勝哉は鉛筆を走らせ始めました。
全身を描くのだから、愛澄のいろいろなところを見なくちゃなりません。
愛澄に見つめられながら、時に見つめ返しながら、勝哉はカリカリと描きました。
やっと絵は完成しました。
愛澄は駆けてきます。
「どうだい?僕なりに一生懸命描いたんだけどね」
勝哉の質問に、愛澄はスケッチブックをのぞき込んで答えました。
「へたくそ!でも嬉しい!!」
そうして愛澄は絵にキスをして、スケッチブックを抱きしめました。
「満足してくれたかい?描き上げることが出来て、僕も嬉しいよ。絵を描くことが、こんなに楽しいものだったなんて!」
二人はまたベンチに座りました。
「そうだ。さっきの飴玉。あれやっぱり僕にくれないか?」
「うん!いいよ!」
ポケットから棒付の飴玉を取り出した愛澄に向かって、勝哉は言いました。
「それは新品だろう?新品じゃなくて、僕はさっきと同じやつにしたいんだ。
だから、まず君が舐めて、さっきと同じ大きさにしてから、それから僕にくれないか?」
「ウォッホッホー!」
愛澄は笑って飴玉を口に突っ込みました。
「これくらいかな?」
しばらく経ってから、愛澄は飴玉を口から取り出します。
ちょうど、さっきと同じくらいの大きさになっていました。
勝哉は愛澄から飴玉を受け取ると、口にほおばりました。
するとその味のなんとおいしいこと!
ああ、こんなにおいしいのなら、最初からもらっとけばよかった!
勝哉は愛澄と見つめあいながら、一生懸命飴玉を舐めました。
愛澄は目を見つめてきます。勝哉も見つめ返します。
愛澄のキラキラ星のような目の輝きが、そのまま飴玉になって口の中に飛び込んでくるようです。
やがて飴玉は溶けてなくなりました。夢の時間は終わったのです。
「ねぇ、私と一緒に絵を売りながら世界中を旅しよう。
私達気が合うよ。一緒に世界中を冒険しよう!」
愛澄の誘いに勝哉は驚きました。
「世界中を旅するだって?そんな夢みたいなことできるわけないじゃないか!
だいたい僕の絵が売れるわけないじゃないか!
すぐにお金がなくなって、世界のどこかで野垂れ死にしてしまうよ!」
「私達気が合うよ。私達が描いた絵ならきっと売れるよ」
「君の絵は売れるだろうけど、僕のはさっぱりだろうね。君のお荷物になってしまうよ。
それにね、僕の夢は本格的な絵描きになることじゃない。
安定した収入を得られる職について、結婚して、そして家族思いの優しい父親になることが夢なんだ。
冒険なんてできなくていい。
世界中を旅する時間とお金があるのなら、それを妻子のために使ってやりたい。
僕はそういう父親になりたいんだ。それが夢なんだ」
「私達気が合うよ」
「ぜんぜん合わないよ!考え方も、世界観も、違いすぎる!」
そう言って勝哉は棒をプッと吐き出して駆け出して公園を出て行きました。
愛澄は悲しそうに勝哉のうしろ姿を見ていました。
翌朝、勝哉は愛澄の笑顔を参考にしながら、鏡の前で笑う練習をしました。
笑いながら、心の中で考えました。
あれでよかったのかな?
本当は、僕は彼女と一緒に世界中を冒険したかったんじゃないかな?
僕は慣れた生活を捨てるのが怖かったんじゃないかな?
本当は彼女と一緒に世界中を巡りたかったんじゃないかな?
ひどいことを言ってしまったな。
彼女は傷ついたかな。
それとも、あの子は僕に言われたことなんかぜんぜん気にしないで、
また誰かと友達になって、世界中を冒険してるのかな?
勝哉はスケッチブックを抱えて森林公園に行ってみました。でも、もう愛澄はいませんでした。
おわり
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