今月5日に急性呼吸窮迫症候群のため死去した歌舞伎俳優の中村勘三郎(本名・波野哲明)さんの葬儀・告別式が27日、東京・築地本願寺で営まれ、約1万2000人が参列した。喪主を務めた長男の中村勘九郎(31)は“勘三郎イズム”を受け継ぐことを約束すると同時に「どうぞ助けてください」と偉大な父を突然失い、戸惑う気持ちを吐露。勘三郎さんの遺骨は、告別式の前、浅草・隅田公園などゆかりの地を巡った。
告別式の会場に入る前、ゆかりの場所を回る中で故人にとっても、遺族にとっても胸の熱くなることが待っていた。27日、朝9時に都内の自宅を出発した勘九郎、七之助らは、まず平成中村座の芝居小屋のあった浅草・隅田公園へ。9時34分到着。角切銀杏(すみきりいちょう)の定紋の入った骨箱を抱える勘九郎、位牌(いはい)を持った七之助が車から降りた。色とりどりの法被を着た700人の出迎えに気づいた瞬間、2人ともみるみる涙があふれ、目は真っ赤になっていた。
芝居小屋跡には「平成中村座」ののぼりが立ち、拍子木の音にお囃子(はやし)も聞こえる中、法被姿の人たちは威勢よく声を掛け合いながら、みこしを担いだ。2人は泣けて泣けて仕方がなった。それもそのはずだ。みこしは今年5月にここで数日間、舞台を飾り、この千秋楽(5月27日)には勘三郎さんの腕に抱かれ、孫の七緒八(なおや)くんの初お目見えまでした場所だ。まさか、再び浅草を訪れるとき、こんな形になろうと誰が想像しただろう。
浅草商店町会・副会長の坂入昇さん(67)は「勘九郎時代から浅草を愛してくれ、よく遊びにもきてくれた。どんな人にも気さくだった。集まった人たちも感謝の気持ちを伝えたかったんだと思う」と集まった人たちの気持ちを“代弁”した。
松竹本社、新橋演舞場を回った後、10時12分には、勘三郎さんの遺骨は完成を心待ちにしていた新しい歌舞伎座へ。松竹関係者に先導され、場内に入った。劇場前に200人、建設関係者や舞台スタッフ150人が並ぶ中、まだ建設途中のロビーを通り、舞台にこそ立てなかったが、客席後方から舞台をながめる格好だった。どちらの場所でも「中村屋!」「18代!」「東西一!」などという大きな声が飛ぶ中、慣れ親しんだ場所と別れた。
[2012/12/28-06:04 スポーツ報知]