今月5日に急性呼吸窮迫症候群のため死去した歌舞伎俳優の中村勘三郎(本名・波野哲明)さんの葬儀・告別式が27日、東京・築地本願寺で営まれ、約1万2000人が参列した。喪主を務めた長男の中村勘九郎(31)は“勘三郎イズム”を受け継ぐことを約束すると同時に「どうぞ助けてください」と偉大な父を突然失い、戸惑う気持ちを吐露。勘三郎さんの遺骨は、告別式の前、浅草・隅田公園などゆかりの地を巡った。
勘三郎さんが亡くなった直後に京都・南座で取材陣の前に立った時には、笑顔も見せていた勘九郎。だが、舞台を無事つとめ上げ、ようやく悲しみを素直に吐き出すことができたのか。参列した先輩の歌舞伎俳優の前で、勘九郎が弟の中村七之助(29)と並び、声を絞り出した。
今にもあふれそうになる涙を目にためながら「こんなに偉大な父を亡くしてしまい、七之助と途方に暮れています。どうぞ、助けてください」。これまで以上に芸の指導などでバックアップしてもらえるよう願い出ると、深々と頭を下げた。
もちろん、助けを受ける前には、これまで以上に自ら芸道に精進していかなければならない。「これからは、父が愛した歌舞伎の道を、しっかり前を向いて歩いていくしかありません」。31歳の若さで、大きな後ろ盾を失った勘九郎だが、勘三郎さんも父(17代目勘三郎)を亡くしたのは32歳の時。勘三郎さんは、そこから持ち前の負けん気で中村屋の名前を広め、多くの歌舞伎ファンに愛された。
「その愛されている人の血が流れていると思うだけで力が出ます」と勘九郎。芸はもちろん、親子だけが受け継ぐことのできる肉体、精神を歌舞伎にささげていくことを、改めて宣言した。
一方、七之助は「『安らかに眠ってください』とは言いたくないです。向こうでも、愛した歌舞伎をずっと続けていってほしい。そして、いつでも僕たちの舞台を見てくれていると思いたいです」。兄の勘九郎と言葉は違えど、思いは同じ。天国の勘三郎さんからの大きな愛を感じながら、舞台に立ち続けることを誓った。
約1万3000本の菊で埋め尽くされた祭壇は、88年に亡くなった先代の勘三郎さんの本葬と同じしつらえ。その中央には、05年の「十八代目中村勘三郎を祝う会」の際に撮影された、両手を合わせて笑みを浮かべる遺影が置かれた。
関係者2000人、午後3時から始まった一般焼香には約1万人が参列。午後5時51分に勘九郎が骨箱を抱いて会場を後にするまで、焼香の列は途切れることはなかった。
[2012/12/28-06:05 スポーツ報知]