危うい日本の感染症対策 多剤耐性菌との戦いは、終わることがない
第2回(2回連載)
2010年9月、帝京大学医学部附属病院において、「多剤耐性アシネトバクター」による院内感染が大きく報じられたことは記憶に新しい。この「多剤耐性アシネトバクター」は、健常者には基本的に無害だが、免疫力が低下している患者には重篤な感染症の原因になり得る。既存の抗菌薬による治療効果が望めない中で、抗菌薬の安易な乱用に警鐘を鳴らすのは、細菌学・細菌感染症学の第一人者で、群馬大学大学院客員教授の池康嘉氏である。
一方、抗菌薬の乱用から耐性菌が問題になりながらも、その都度ニーズに応じた薬剤の開発は1980年代をピークに製薬企業の新薬開発は進まず、ここ10年ではわずか10件程度まで減少。これは日本のみならず、世界的に多くの製薬企業が抗菌薬領域から撤退し、多剤耐性菌に対する有望な薬剤のパイプラインは失われている。
2回連載の第2回目は、「効かない抗菌薬を高用量で使う問題点」「耐性菌と人類との永遠の戦い」「抗菌薬の研究開発の現状とその危機的状況」などのテーマでお聞きした。
(聞き手:日経BP社日経BPnet編集プロデューサー 阪田英也 構成:21世紀医療フォーラム取材班 但本結子)
抗菌薬の使用は、感染原因菌に的確に作用する
「抑制的な適正使用」が不可欠
現在は、米国を中心に、特定の抗菌薬を“高用量を使う環境”が形成されているとおっしゃいました。高用量を多用することで、どのような問題があるのでしょうか。
池 抗菌薬は、それ以外の医薬品とは質的に異なる医薬品です。抗菌薬以外のあらゆる医薬品は、ヒトや動物の生体に作用して効果を発揮しますが、抗菌薬は生物である細菌に作用します。このことは、感染原因菌に作用すると同時に、生体に生息する多くの病原細菌以外の常在細菌にも作用する2面性を持つことを意味します。ヒトや動物の体には、いろいろな種類の、しかも多数の細菌が生息し、正常細菌叢として細菌の生態系が形成されて、ヒトや動物と共存しています。正常細菌叢の細菌はもともと抗菌薬が効く薬剤感受性で、しかも90%以上の種類の菌はヒトに病気を起こさない非病原性細菌です。病原性細菌の中にはごく少数ですが、薬剤耐性菌が存在することもあります。抗菌薬の使用は、この薬剤感受性菌を減少させ、薬剤耐性菌を増加させます。抗菌薬を多用すれば細菌の感受性菌を淘汰し、薬剤耐性菌を選択し、増加させて広げていく薬剤耐性菌増加の最も重要な原因になります。
治療のために使った抗菌薬が薬剤耐性菌を増加させ、さらには院内感染の危険性をも高めます。また、それだけでなく、抗菌薬の使用量が増えれば、生物である細菌の生態系に影響を与え、細菌の生態系である自然環境を過度に破壊し悪影響を及ぼします。
抗菌薬の使用は、いわば“諸刃の剣”ですね。しかし何もしなければ、細菌感染症が治癒しません。
池 そこが一番大事なところです。いかに彼らとうまく付き合うか。結局、上手に使うしかない。抗菌薬の使用は感染原因菌に対して的確に作用し、しかも生体の正常細菌叢を過度に破壊しない“抑制的な適正使用”が不可欠であり、この点においても他の医薬品とは異なります。“抑制的な適正使用”とは、感染原因菌に抗菌力が強く“的確に作用する、薬の必要最少量・短期使用”です。抗菌力が弱い薬を高用量でダラダラ使っても感染症は回復しませんし、正常細菌叢に生息する薬に感受性の多くの細菌は過度に減少し、耐性菌が増加する環境を作ります。正常細菌叢は抗菌薬の適正使用により一過性に破壊されても、またすぐに回復します。
耐性菌を増やした“犯人”は特定できないが、
効かない薬を大量使用した科学的根拠にはなる
抗生薬の大量投与が、新たな耐性菌を生むことはわかりました。では、なぜそれを規制したり、統一基準などが示されないのでしょうか。
池 これまで少なくとも日本では、抗菌薬の承認の条件として一定の規制と、統一基準はありました、あるいはあったはずです。一般にある抗菌剤が、例えば大腸菌100株に対してどのように効くかを検査した時、少量の薬の濃度で効く感受性のグループと、高濃度で生育が抑制される耐性のグループの2つのグループ(2峰性)に分けられます。
少量で効く感受性のグループが多いほど、この薬は優れた薬となります。抗菌薬の承認と使用方法は、薬に対する感受性(pharmacodynamics (PD):薬力学)のグループの治療薬として、血中濃度(pharmacokinetics(PK):薬物動態)と投与量を決定し、承認されてきました。これによると、これまでの抗菌薬は感受性菌を抑制するための血中濃度を得るため1回0.5g、1日1.5gが一般的です。そして、抗菌薬による耐性菌の治療は想定していませんし、認めていません。
現在、米国と日本で量的に最も多く使用されているタゾバクタム・ピペラシリン(TAZ/PIPC:β-ラクタマーゼ阻害剤(TAZ)配合抗生物質(PIPC)(ペニシリン系)製剤)は、耐性菌をも含めた血中濃度を得るための投与量(高用量)(1日18g)であり、これまでの基準とも全く異なる思惑で決められたものと考えられます。日本のデータから、この薬の耐性菌まで含めた高用量投与方法は、副作用や治療効果などの問題から、医学的に使いこなすことが非常に難しい薬ですが、実際は非常に安易に使用されるようになっており危険です。
日本での承認前の副作用発生率は60%で、そのうち30%は下痢です。他の抗菌剤の副作用は多くて10%前後、少なくて4%程度です。院内肺炎の有効率は88.9%とされていますが、そのうち1週間以内の再発率が22%ですから、重症感染症にはほとんど効いていない可能性があり危険です。このような薬が承認された例は日本ではこれまでありません。また、細菌学的に、この薬でなければ治療できないような細菌はなく、感染症に必須の抗菌薬でもありません。
また、大量投与による耐性菌増加の問題は、全く考慮されていません。耐性菌が増えた時に、どの薬が犯人かをなかなか特定できないことが、さらにこの問題を難しくしています。ただ、特定はできませんが、統計学的に、または特定の耐性菌が増えた時、過去にどのような薬が量的に使用されたかを検証することにより、推論はできます。
例えば、1980年代後半、日本においてMRSAが短期間に増加してきました。厳密にはMRSAを増やした薬が何かは分かりません。ただ、そのときに一番使っていた薬「MRSAに無効なピペラシリン(PIPC)や3世代セフェム」が犯人であろうという推測はできます。また、バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)の増加は、米国ではグリコペプチド系薬の医療現場での使用量の増加、EU各国では家畜の成長促進の目的で同系薬を使ったことが原因とされています。
はっきり言えるのは、これまである耐性菌が出現・増加し、問題になった時、その時代に耐性菌に無効な抗菌薬が大量に偏った使用がされていたということが科学的、統計的証拠となり、それがレトロスペクティブ(過去の検証によって)に原因であると言えます。しかし、その時はもう手遅れで、問題の耐性菌の対策が困難になっています。私たちは過去の経験に学ぶべきです。耐性菌の拡がりは無効な薬の使用量に比例します。
効かない抗菌薬を使い続けることで、耐性菌自体が強くなったり、変異を起こしたりといったことはあるのでしょうか。
池 感受性菌は減って耐性菌は残るため、そこで耐性菌は選択的に増えます。ご指摘のように、耐性菌は変異を起こすかもしれないし、もっと高度耐性になる可能性もあります。私が懸念しているのは、効かないものが生き残って増殖することです。菌の生きる環境である細菌叢のキャパシティが決まっているため、例えば100個の菌が生きられる環境があって、ある抗菌薬に99個が感受性菌で、1個が耐性菌とします。ある抗菌薬で99個の感受性菌が死滅したら、その抗菌薬の耐性菌だけで100個占めることができる。そして、感受性菌に代わって、新しく100個の耐性菌が生きられる状態になります。これが“耐性菌の選択的増殖”です。
腸内細菌叢を例に説明します。腸内には約1000種類の多数の細菌が存在し、その中のほとんどはヒトに病気を起こさない細菌で薬が効きますが、大腸菌や肺炎桿菌のようなヒトに病気を起こす日和見病原菌は少数派です。このような病原細菌の中に薬剤耐性菌が存在することがあります。多くの非病原常在細菌は、病原細菌や耐性菌の増殖を抑える役割をしています。大量投与すると病気を起こさない害のない菌はさっさと死んでしまい減少し、代わって薬剤耐性菌が増える原因になります。