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2012年、夏/名取・閖上(4)遺志/切実な思い、花に託す
 | 日和山から約50メートルの距離にある叔父の自宅跡に植えた花の手入れをする大貫さん |
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384票。得票数は下から2番目、当選ラインには300票以上及ばなかった。 29人が21議席を争ったことし1月の名取市議選。閖上地区出身の派遣社員大貫満貴子さん(39)=名取市相互台4丁目=の初挑戦は惨敗に終わった。 「当選は難しいと分かっていましたが、出なければいけないと思ったんです」。大貫さんは穏やかな表情で振り返る。 出馬を強く勧めたのは、閖上に住んでいた叔父の鈴木幾男さん=当時(63)=だった。鈴木さん、息子の厚さん=同(34)=は東日本大震災の津波で命を落とした。 「叔父は父親代わりのような存在でした」。中学2年の時、両親が離婚。生まれ育った閖上を母(65)、姉(42)と離れた。仙台市内に転居してからも、叔父は食事やドライブに連れて行ってくれた。いつも大貫さんを気に掛けてくれた。 昨年3月3日、誕生祝いのちらしずしを持って鈴木さんを訪ねた。帰り際、真剣な面持ちで説得された。 「選挙近いの分がってっぺ。準備しとけよ」。これが、叔父と交わした最後の言葉になった。
叔父は生前、独自色に乏しい名取市政とそれを追認する市議会への不満を口にしていた。 若い世代の力で現状に風穴をあけてほしい−。「叔父はそんな思いがあったのでしょう。それを私に託したかったのかもしれません」。4年前の市議選でも立候補を説得された。 4年前はためらったが、震災の経験が今回、立候補へと駆り立てた。 大貫さんは震災以降、避難所や仮設住宅で、閖上地区の住民に支援の手を差し伸べてきた。家族を亡くした悲しみ、将来への不安、行政への不満…。被災者の切実な声をたくさん聞いた。 名取市は甚大な被害への対応に加え、「不適切な職員選考があった」として名取市議会が昨年10月、市長の辞職勧告決議案を可決するなど混乱していた。 こんな大事な時に政治がもめている場合じゃない。本当に市民のことを考えているのか。大貫さんは、叔父の遺志を行動で示そうと決意した。
選挙では敗北したが、閖上に寄せる気持ちは折れていない。 4月から閖上地区で花を植えている。場所は、水門そばにあった母の実家のかまぼこ店「いなりや」跡と、日和山近くの叔父の自宅跡。 がれきが撤去された閖上地区は今、一面に更地が広がる。かつて7000人が暮らした生活感は消えた。 増えたのは被災地を訪れる観光客。時々、笑顔にピースサインで写真を撮る姿も目にする。 最近、更地に花を植える閖上の人が多い。ナデシコ、サルビア、マリーゴールド…。さまざまな花が道路沿いで咲き誇っている。 花を植えるのは、配慮に欠ける観光客への住民のささやかな抵抗と、大貫さんには映る。 「叔父も生きていたら、花を植えたと思う。ここで多くの人が暮らしてたんだぞって」
2012年07月16日月曜日
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