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恥じよ「ブラタモリ」

6日の午後10時に放映されたNHKテレビ番組「ブラタモリ 新春編 スタジオに巨大古地図 解明! 江戸水路のナゾ」というのを偶然見た。
古地図コレクターとして登場した山下和正さんはごく親しくさせていただいている方で、紹介された山下コレクション(江戸上水図や朱引図、東近郊図、江戸名所一覧(鳥瞰図)や人之道という人生道中図)も良いものだった。
しかし、日本橋川の折れ曲がりを、筑波山や富士山、江戸城を目当てに水路設計されたため、という岡本某の「解明」には驚いた。
無残な内藤某の江戸「の」の字論や江戸風水説の亡霊のまたぞろ復活のようなもの。
証拠史料のない時代だから、せめて「仮説」とでも言えば、「セーフ」だったのだが、しかしそのセーフにしても、素人の床屋政談以下。
テレビ受けするからと言って、リアリティのないことを、大学で禄を食んでいる「先生」が言うものではありません。
歴史的、つまり政治・経済的な判断の積み重ねの結果としてある江戸城をめぐる堀や川を、後知恵にすぎない「景観論」でこじつけるとこうなってしまう。
日本橋川が、日本橋のところで「へ」の字状に曲っているのは、江戸湊の流通ターミナルであった2本の堀留川(元来は石神井川の河口)に至る水上ルート、つまり民間経済ルートと、江戸城は和田倉辺から発する(逆にいえばそこを目指す)道三堀の延長水路、つまり「御用」水路が、結果として合体されたからです。
また、道三堀がそうであるように、水路は要所を意図的に曲げることによって進入船舶の減速を促すのであって、城下町の道路が鍵の手状に設えられているのと同様、交通路の曲折は防備を優先する城下町づくりの常法であることもつけくわえておきましょう。
戦国時代の延長である江戸時代初期に行われた町づくりのなかに、まして江戸にはほとんど落ちつくことなく、老獪にして実学優先を旨とした家康の思考回路に、「景観」などというものは逆立ちしても導入される余地はなかったということは、わきまえておくべき基本です。
そもそも江戸図で「町づくり」の考証ごとをするなら、デフォルメや装飾のきつい江戸後期のいわゆる古地図ではなくて、初期の実測図、せめて寛文五枚図くらいはじっくり見ておくべきでしょう。

一方、先般放映されたらしい「本郷編」?はみていないけれど、「蛇行跡を道路に残している旧藍染川が暗渠となったために、せっかくの地形侵食がストップさせられた」といったストーリーらしかった。
これについては昨年末、自然地理学の研究者からメールで「タモリ本人が悪いのか、ディレクターが悪いのか」と言ってきました。
河川の侵食は、山間部が主で、平野部では堆積作用が卓越する。これは地形学の基本。
そもそも河川の侵食は、水流の位置エネルギーが基本にあります。
藍染川(元石神井川)が台地を刻んでいたのは、海面がもっとも下がっていた「最終氷期極相期」の2万年ほど前。
メールには「氷河性海面変動ということをまったくわかっていない」ともありました。
過般、日本建築学会の『建築雑誌』が特集した「新東京地形論」なるものもみたことがあるけれど、あれも現在を表層でしか見ておらず、学会誌が大間違いを公言した恥かし号。

俗に阿ていい気な視聴率稼ぎは、オチャラケ民放でやればいいこと。
チェック機能も含めて、安価下請丸投げの番組制作は、公共放送としての自覚に欠ける。
そういえば、当日の大「目玉」だった「江戸古地図」。
あれは戦後も昭和40年代に喜多川周之氏が「臨写」したものを、J社が複製販売している「古地図」。それをご丁寧に大金をかけて拡大した。
挙句の果てには、「これは永久保存だな」(タモリ)だと。
「NHK人気番組」の「文化程度」は、無知無神経において、コピー横行して恥じないどこかの国レベル。
修復費用もかけられない「本物」が、いくつも無残な姿をさらしているというのに。
「ブラタモリ」という番組そのものを、「鑑定」する必要があるな。

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