井浦新さんインタビュー

今回は辛い思いをする役柄ですね。井浦さん自身がストレスを感じたり苦しくなったりしませんか?

いや、そのストレスをフルに感じた方がいいな、と思って演じているんです。
セリフの掛け合いからしても、「平清盛」という物語での中の崇徳院の位置づけにしても、ストレスを感じていけるようにちゃんと描いて頂いています。
自然の流れに身を任せていれば祟り神※にもなっていけるんじゃないかと思っています。

それぐらい辛いシーンがこれからのドラマにあるんでしょうね?

間違いなく感じて頂けるのではないでしょうか。保元の乱が自分を解放していくタイミングになるのではないかと思っています。
でも、大切なのはその保元の乱に至る過程というのがそれなりにないと爆発していかない、ということです。それにはストレスの積み重ねがないといけないと思っています。

実在の人物を演じるときはその人について調べますか?

もちろん、調べます。実在する人物を演じる機会はそうよくあることではありませんが。まず一番大切にしたいのは、なるべくその人物を演じるにあたって『その人物を美化しないように』ということです。それは演じるからこそ想いが強く役柄に入る分、たとえば崇徳院だったとしたら悲しみですが、それを変に強調し過ぎると自分の中では美化につながってしまうんです。

崇徳院を演じるにあたって勿論坂出を訪ねて、いろいろなお寺や史蹟が残る町のお年寄りとお話をさせていただいて、どのような言い伝えが残っているのか?という事を聞いて回りました。あまり本や資料で緻密に掘り下げていくとイメージがしっかりと作られ過ぎてしまうので、そこは気をつけています。

演じるにあたって、しっかり勉強してその演じる役柄に対する敬意の念を持つという所は当たり前として、それより詰め込み過ぎると、お芝居をしていて面白くなくなってしまうのではないかなと思うんです。

それと、たとえば王家だからこういう動きをしてはいけないとか、このような言葉や感情をもってはいけないという風にガチガチになっていくのが、僕は一番あってはいけないことだと思っています。なるべく、共演の方たちと現場の瞬間で生まれる「余白の部分」というのを大切にしたいんです。
共演者との掛け合いからも生まれてきますので、あまりガチガチに作りすぎると、聞いているようで聞いていなかったり、感じているようで感じていなかったりしてしまわないようにも。そこは余白の部分として、現場で生まれていく感覚というものを大切にするために、80%くらいのものを勉強して持っていくという感じにしています。

…やっぱりいくら想いがあっても、僕は崇徳上皇にはなれないので。僕が演じる崇徳上皇だと、どういうものなのかという所を一番大事にしたいなと思いながら参加しています。

でも見ている方は井浦さん=崇徳上皇というふうに思って見てしまうと思いますが…。

それは大河の魔法で(笑)…でも、嬉しいですね。
これも余白の部分だと思うのですが、衣装に袖を通し、メイクもしてセットの中に入って行くと、そこで一気に空気が変わっていきます。その部分で生まれていく「生身の崇徳上皇」を演じていきたいと思います。

こうした役作りの下で崇徳上皇が演じられているんですね。井浦さんは役者としての「秘密」を、真摯に真っ直ぐ話して下さいました。
井浦さんの「崇徳上皇」が登場するのは再来週2/5(日)、第5回「海賊討伐」からです。
来週は、クリエーターとしても知られる井浦さんが体験された平安のファッションについて伺います。お楽しみに!!

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