井浦さんはこれまで、崇徳上皇とは真逆のエキセントリックな役が多かったのではないですか?
実はエキセントリックな役柄の方がやりやすいんです。ふり幅がこう(手でジェスチャーを交え)ポンと振り切った方が演じ易いというか…お芝居って振り切れるものなら振り切った方が、勢いと感情とでできることもあるかと思います。
むしろ、その真ん中でずっといるほうが凄く難しいな…と思います。今の崇徳院はそういう役です。常に心のバロメーターみたいなものが、小刻みに真ん中で揺れているような状態なので、そういうお芝居は最近少なかったので新鮮な感覚で向き合っています。
以前ドラマをご一緒された方から、井浦さんは「とても器用な役者さん」だと伺ったことがあるのですが…。
(笑)そんなこと初めて言われました。器用だなんて。凄くうれしいですね。
でも、全くもってそんな器用さなんて1ミリも持ち合わせていないです。好きだから演じられるのだと思います。
好きじゃない事とか、興味がもてなかったりすると何もできないですから。
「好き」という感情を「演技」につなげているのが凄いですね。
そこが面白い所なのかもしれないですね、役者の。
先日歌を詠むシーンがあったのですが、その時も先生から教わったことだけではなく、一人の人間が崇徳院の想いをのせて歌ったらどういう歌い方になるのか?と考えながら演じました。
第7回「光らない君」(2月19日放送)番組冒頭から18分過ぎ
1136年1月、ところは内裏のある一角。崇徳(18)の前に佐藤義清(19)が平伏している。
近臣 「佐藤義清。おもてを上げよ。帝はそなたの歌の才を聞き及び直々にお召しになった。」
義清 「身に余る誉にござりまする。」
崇徳 突然、自ら歌を詠いあげる
崇徳 「・・・瀬をはやみ 岩にせかるる・・・」
目を閉じて聞き入る義清
崇徳 「・・・滝川の 割れても末に 逢はむとぞ思ふ・・・」
義清 目を開いて語り始める
義清 「流れ速き川が岩にぶつかり、ふたつに分かれるように、別れ別れになったふたりであるが、いつかまた、きっとめぐり逢おう。そんな激しい恋の歌のように聞こえまするが。なにゆえでござりましょう。その向こうに、何か別の思いが見えるような。もっともっと狂おしい。何かを求める思いが。」
表情を緩める崇徳
崇徳 「義清、次はいつ参る。」
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満足できる演技は、本番の“その瞬間”に抱いた気持ちで生まれるものだったりします。どんなに練習していても、本番で気持ちが乗っていないと駄目で、見た目に上手く演じても、自分の気持ちとしては許されないっていうものなんです。この歌のシーンはとても楽しかったです。