この回では、同じ白河院の子でしかも同世代の崇徳上皇(22)と清盛(23)が苦悩をさらし合うシーンがありますね。
清盛の力強さ、生きる力強さみたいなものを松山さん(平清盛役・松山ケンイチ)はそのまま持ってこられたので、それを受けて更に弱くなっていく崇徳院と言う様な図式が見えたらいいな…と思い演じた場面です。
最初のうちは力強い清盛に対する羨ましさや、どんな所でも自分の思いをしっかり伝えていける清盛へのちょっとした“嫉妬”みたいなものを作って演じてみたのですが、監督とお話していく中で怒りよりもっと悲しい、そこでどんどん弱って行く崇徳院が出てきた方がいいのでは、という話になりました。
(白河院という)同じDNAから生まれている2人でも、生まれおちた場所・状況や環境によって全く人間性が正反対になってしまう様を描きたいですね。松山さんとは、打ち合せがなくてもできると思います。そういう手ごたえも感じました。
崇徳上皇には待望の皇子・重仁親王が生まれます。父親として感じるものはありましたか?
僕にも家庭がありますが、子どもは自分を映す鏡ですね。そのままの自分がどんどん反映される存在になりますし、いろいろと子どもから成長させられることがあると思います。
でも崇徳院の置かれた環境で、皇子がどこまで自分を映す鏡として近くにいられたのか…ほとんど近くにいない環境で崇徳院は過ごされたのではないかと思いました。
皇子が生まれ皇位をめぐる権力争いが起きますが「子どもを天皇にして、思い通りの政をしたい」という気持は分かりますか?
分からないからこそ、そこを思いっきり演じてみたいと思います。「権力争い」は現代でも置き換える要素があると思います。
会社や学校でもあるのではないですか。派閥やグループの権力争い、自分自身の地位を確保するための権力争いや保身のための権力争いといったようなことです。
僕はそういったものに注ぐエネルギーがあれば、他のものにかけたいと思って生きているので、「権力争い」自体が想像の域を出ないのですが、実生活にない分お芝居で思いっきり楽しみたいと思っています。
でも、本当にそういう争い事が好きだったらまた違う表現方法になってくるのでしょうね。「わが子を次の天皇へ」という想いを強く出して、王家の他の様々な方たちと対立していく。それはこの「平清盛」で崇徳院のお芝居をしていく上での、ひとつの大きな楽しみです。なので、三上さん演じる鳥羽上皇との対立も、本当に楽しみながら演じさせていただいています。