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国際
【27年目のベラルーシ チェルノブイリとの戦い】(中)汚染濃度別に農作物栽培
2012.12.24 13:00
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アベリン・ビクトル所長は「除染によって農地が元の状態に回復することはあり得ない」と話す。当初、政府は除染での農地回復を目指したが、目立った効果がなく中止した経緯があるのだ。事故から数年間は風評被害もあった。「『ゴメリの食品はいらない』といわれたが、現在では、そうした声はほとんど聞かれない」と語る。
話を聞いた視察団メンバーの八巻和夫さんは、福島市で20年余りにわたって農業を営んでいる。震災後、カキの木は除染したものの、リンゴの木100本以上を泣く泣く切り倒した。八巻さんは「汚染状況に合わせた栽培は検討に値する。ベラルーシの放射線量が徐々に減少していることにも勇気づけられた」と話す。
避難に2つの基準
ベラルーシでは、汚染地域における避難や移住について、「実効被曝(ひばく)線量」と「土壌汚染濃度」の2つの基準を設け、5段階に分けている。事故発生当時、旧ソ連政府は被曝限度を年間100ミリシーベルトに設定、段階的に基準値を低くし、1991年に5ミリシーベルト以下、現在は安全基準を1ミリシーベルト以下としている。
ビクトル所長は福島第1原発事故後まもなく、年間積算被曝線量の目安を1ミリシーベルトとした日本の対応について「非常時の基準としては相当厳しい。白か黒かと明確にしたい気持ちも分かるが、グレーを受け入れることも大切だ」と述べ、安全基準を緩やかにすることも復興の加速につながるとの考えを示した。
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