同人誌『イルミナシオン』冬コミにて発売!

こんにちは、はるしにゃんです。

冬コミの3日目、12/31に、東パ-28aにて、「思想と文学とサブカルチャー」の同人誌『イルミナシオン』を発売します。コンセプトは「ポストモダンにおける文化と実存」です。座談会、対談、論考、小説が載っています。全部で二十一作品、総文字数は三十万字を超えています。

執筆者(座談会など含む)は、はるしにゃん、上祐史浩、松本卓也、志紀島啓(本上まもる)、佐藤雄一、有村悠、黒瀬陽平、梅沢和木、藤城嘘、仲山ひふみ、オシリス、もうふ、じょーねつ、ついたことなし、きのせい、かわがせ、ねりにゃん、竹花樒、noir_k、こもん、鈴木真吾、中島晴矢、北川拓也です。

内容はかなり面白いです。買いに来てください。

以下内容紹介

 

■表紙

表紙絵はカオスラウンジの藤城嘘(@lie_)さんが描いてくださいました。部屋に一眼レフや雑誌のユリイカ、またニーチェやラカン、エックハルトヴェイユなどの思想書が散らばる哲学系サブカル女子です。壁に額縁に入ったチェ・ゲバラの絵であるとか、ヒトラーのプリントされているTシャツであるとか、「八紘一宇」と習字で書かれた半紙などが飾ってあります。こういう恋人がほしい……

裏表紙はアルチュール・ランボーの「イリュミナシオン」の引用で埋め尽くしてあります。スタイリッシュ。

デザインはりあん(@Lian)さんがやってくださいました。

画像:http://gyazo.com/b367ad2398ec9ab1ca8bfa98fe9b14e0.png

 

■座談会・対談

◆「アスペルガー化する社会」松本卓也(@schizoophrenie)+志紀島啓(@kay_shixima)

精神科医であり名著『天使の食べものを求めて』の解説などをお書きになっている(実際には翻訳にもかなり関わっている)気鋭の精神科医である松本卓也さんと、彼と古くから親交があり、『ポストモダンとは何だったのか 1983-2007』というニューアカ以後の思想や批評をまとめた著作を本上まもる名義で執筆しておられる志紀島啓さんの対談。境界例解離性障害、そしてアスペルガーなど、精神医学的見地からポストモダニティの文化的様態を腑分けしています。「社会のアスペルガー化」は松本卓也さんの先生である精神病理学者の加藤敏さんや、精神科医の内海健さんなども指摘している論点であり、そして近年の医学界におけるアスペルガー症候群への注目度を考えるに、この対談は必読だと思います。

 

◆「アート・サブカルチャー・震災」黒瀬陽平(@kaichoo)+藤城嘘(@lie_)+梅沢和木(@umelabo)+仲山ひふみ(@sensualempire)+はるしにゃん(@hallucinyan)

カオスラウンジの中心メンバーと座談会を行わせていただきました。初対面の黒瀬陽平さんにタメ口で同人誌に誘ったら流れでOKしてもらえました。ありがたいかぎりです。現代アートや、『らき☆すた』や『おおかみこどもの雨と雪』といったアニメーション、そして震災などについて論じています

 

◆「現代社会における宗教の意義」上祐史浩(@joyu_fumihiro)+はるしにゃん(@hallucinyan)

オウム真理教幹部の上祐史浩さんが現在やっておられる「ひかりの輪」という教団にお伺いし、対談をさせていただきました。ポストモダンにおいて宗教はいかなる役割を果たすべきかを語っています。話題はスピリチュアル・ブーム、ニューエイジ、ナチス・ドイツや大日本帝国新世紀エヴァンゲリオン、精神医学など多岐に渡ります。坂口恭平さんや宮台真司さんについても会話しました。いろいろと対話させていただいた結果、「ひかりの輪」がけっして怪しげな団体ではなく、真摯に現代における「生きる知恵」を説こうとしていることが解りました。

 

◆「今こそ東浩紀を読み返す」コロンブス(@columbus20)+はるしにゃん(@hallucinyan)

同人誌『はじめてのあずまん』における『存在論的、郵便的』論の執筆や、ゲンロンサマリーズでの書評活動で知られる自他共に認める東浩紀ファンであるコロンブスさんとの対談。蓮實重彦は「小説は読まれない」と述べましたが、同じような意味で、東浩紀のテクストもまた「読まれて」いないのではないでしょうか。十年代に突入したいまこそ、東浩紀を体系的に理解しよう、というコンセプトのもと企画しました。もちろん「ソルジェニーツィン試論」から『一般意志2.0』まで、さらには東浩紀以後の批評についても論じています。東ファンや東さんに興味のあるかたはぜひご一読を。

 

◆「いま、幸福の科学の『神秘の法』がアツい!」オシリス(@seeherpee)+もうふ(@WeAreFloating)

サブカル界隈の長と言えば少し前までは『PLANETS』でも執筆していた五周さんでしたが、現在のTwitterでは、彼とも親交があったオシリスさんがずば抜けて面白いです。練りこまれたネタツイートとサブカルへの造詣、そしてチラリと見せる知性。とても魅力的です。この対談ではオシリスさんとそのご友人であるもうふさんが幸福の科学の『神秘の法』という映画について対談で批評を行なっています。軽妙な語り口でありながら極めて分析的であり、この映画の魅力を見事に剔抉しています。この原稿を読んでから、僕も『神秘の法』を見たくなりました。

 

■批評・論考

◆「「異邦人」としてライトノベルを読む」竹花樒(@tshikimi)

ラノベ批評界隈で有名なあじんさんの変名。今後は竹花樒名義で執筆を行うようです。ジグムント・バウマンの『リキッド・モダニティ』を援用しながら、「ライトノベル読者」という共同体を分析し、後半では竹宮ゆゆこの『ゴールデン・タイム』のなかに共同性を剰余する社会的交通としての「異邦人=単独者の眼差し」を読み取り、液状化した社会における「実存」と「対話」の問題を取り扱っています。

 

◆「Writing Style ー文字とアートを巡ってー」中島晴矢(@haruya02)

かつて日本文学科で埴谷雄高の弟子筋である文学者のもと文学研究を行いながら、宮台真司のゼミに通い、その後美学校で現代美術を学んだアーティストの中島晴矢さんによる言語論的芸術論。とても優秀な原稿です。時枝誠記柄谷行人を参照しながら、日本語という言語の持つ特質を扱い、その日本語的エクリチュールというものが椹木野衣の言う日本の現代アートの「悪い場所」性に繋がっていると論じたもの。プレモダン/モダン/ポストモダンにおける芸術の様相を考えるうえで参考になります。

 

◆「野望・ドブ板・山篭り」佐藤雄一(@yy_sato)

45現代詩手帖賞を受賞しておられる詩人の佐藤雄一さんによる詩論。哲学から脳科学、認知言語学ドゥルーズの『千のプラトー』などを横断しながら、「詩的なもの」を探求し、そこからいかにして現代において「詩作」が可能かを問う論考。佐藤さん曰く「けっこう電波なこと書いた」とのこと。

 

◆「失われた「大きな物語」を求めて――テン年代アイドル試論」noir_k(@noir_k)

「アイドル戦国時代」なるスラングが登場してひさしいですが、そのような現状においてアイドルと言えばまずAKB48であり、またどんどんその存在感を増しているももいろクローバーZがいます。この原稿はその両者を扱いながら、アイドルという「物語」のダイナミズムとメタボリズムを論じています。一言で言うと「ももクロはすごい」。また、「なぜ前田敦子はキリストになれなかったのか?」という疑問とそれへの回答も提出されています。

 

◆「「セクシュアリティ」、あるいは欲望の拘束具についてのメモランダム」鈴木真吾 (@junk666)

ミシェル・フーコーによれば「セクシュアリティ」なるものは近代においてその権力構造と手を組みながら「産出」されたものであり、「欲望」の分析はそのまま「権力」の分析でもある。ラディカル・フェミニズムの言葉で言えば「個人的なものは政治的である」。この論考では、ドゥルーズ=ガタリ的な「逃走線」を引く行為として、あるいはジュディス・バトラー的な「トラブル」を惹起する振る舞いとして、「ずらしの享楽」というものが語られている。近代的な権力構造における「スキエンチア・セクスアリス(性の科学)」を剰余する「アルス・エロチカ(性愛の術)」の実践を行わなければならない。フーコーが『知への意志』で述べるように、抵抗点の戦略的コード化が革命を可能にするのだ。クィアであれ!

 

◆「ポストモダンにおけるフラクタルな創作について」こもん(@commonko)

毎日Twitterで「うににぃ」「ねむいの」などのゆるふわツイートをしているこもんさん、実はマルティン・ハイデガーやフェリックス・ガタリが大好きなアイマスファンです。この論考ではニコ動のMADなどに象徴されるような情報社会の創作行為をドゥルーズ=ガタリチャールズ・サンダース・パース、ルイス・イェルムスレウ、ジャック・デリダ、ダニエル・Cデネット、ダニエル・スターンなどを参照しながら論じています。ポストモダンにおける創作とは、ポストモダンの二層構造それ自体を、二層のあいだの相互作用(=計算)を含めて、縮小再生産することであり、そこには一種のフラクタル(自己相似構造)がある。このフラクタル化(「モル的構造」と「分子状作用体」とのあいだの「通路設定」)、そのなかで生き抜くこと。我々はそれを「アディクション」と呼ぶだろう。

 

◆「一般意志2.0のテンソル場による可視化モデルの提案と基礎理論」北川拓也(@ktgwtky)

東浩紀さんと対談したこともある建築家の北川拓也さんによる論考。東浩紀は『一般意志2.0』において、一般意志はベクトルの和であり、スカラーの和である全体意志と数学的に区別している。この論考では、むしろ一般意志は「テンソル場」という概念によって理論化されるべきだとしている。アーキテクトとして建築学の知見を用いているのはもちろんのこと、政治思想や法哲学、憲法論なども包含した三万五千字の力作。

 

◆「エヴァンゲリオンにおける命がけの飛躍――ソーシャルメディア時代のコミュニケーション論」はるしにゃん(@hallucinyan)

旧エヴァにおいてえがかれていたのは、「他者」の問題だった。そして時代の進展とともに僕たちの「他者」との関わり方を規定するメディア環境や文化環境は変容した。いま我々にとって「人類補完計画」とはなにか。いま綾波とアスカはどこでなにをしているのか。あるいは使徒とは。もはやオタク批判の失効した現代において、僕たちはどう生きているのか。

 

■小説

◆「殻破りの肖像」ねりにゃん(@asteroid_1318)

かわいい男の娘、ねりにゃんの書いた小説。「宇宙蛹の殻を破るのよ。魂のイニシアチブを奪取するの」と言って死んだ少女のことを、少年は忘れることはない。「ここは宇宙蛹のセグメント。絶/希望、生/死体の一歩手前で永遠にもたつく魂の群れではぐれた痛ましき魂のミラージュ」。それはとてもリリカルでありながら、とても現実的な死だった。極めて華麗かつ瀟洒な文体でえがかれる、美しく悲しい物語。傑作です。

 

◆「東京の片隅で――A DAY IN A GIRL’S LIFE」有村悠(@y_arim)

元カリスマはてなダイアラーであり、現在はフリーライター、そしてイラストレーターでもある有村悠さんによる小説。「大学一年の春休みを帰省せずに東京で過ごすこ とに決めたのは、「もう子供じゃないんだから休みのたびに実家に帰るのは格好悪いよな」という学科の男の子の一声がきっかけだった」。彼女はチラシ配りのバイトをしながら、過去の思い出に遭遇し、当惑する。「まだ誰でもないわたしは、今日一日東京の片隅で働きました。だけど、弱くて泣き虫な子供のままです」。僕たちは彼女であり、また同時に彼女を救う者でもあらねばならない。

 

◆「幻覚の殺人者」はるしにゃん(@hallucinyan)

「殺さなくてはならない。それが私の定言命法だ」。そう語る彼女は、そのときカント的な普遍性における実践理性を批判する、一種のニーチェ主義的な単独者の様相を帯びている。彼女は殺人の探求者である。この小説はニーチェ思想とクトゥルフ神話を接合した怪奇幻想小説であり、極めてフィロソフィカルかつスタイリッシュでレトリカルな筆致で書かれています。頑張って書きました。

 

◆「MJとは異星の客である」追田琴梨(@tsuitakotonasi)

『つらぽよ本』にも寄稿してくださっている、かなり文学やサブカルに詳しいついたさんによる小説。僕と同い年で21歳。若い。含蓄のあるアイドル論のような体裁を取った小説で、叙述トリック的なかんじになっています。けーちゃん(@kei_ex)がこの小説褒めてた。

 

◆「インターネット・サンセット」かわがせ(@kwgs)

百合が大好きなかわがせさんによる小説。百合小説の同人誌をいくつも出しておられます。幼少期に従姉妹がレズだったために百合男子になってしまった非モテが、「俺はヘテロセクシュアリティから逃げてるだけなのかもしれない」と自問しながら、少しずつある女の人を好きになっていく。ネット恋愛の話であり、百合男子の実存の話であり、非モテの話であり、またかなりつらい話です。けっこうご自身の体験がもとになっているようです。

 

◆「死んだ女の子の話をする」じょーねつ(@johnetsu)

オナホールについて呟いていたらなぜかアルファになっていた」でおなじみのじょーねつさん、『ねとぽよ』という同人誌に掲載されたオナホ小説は非常に話題を呼びましたが、今回は極めて文学的なテクストで勝負です。「死んだ女の子の話をする」というタイトルとは裏腹に、女の子は一人も死んでいません。メンヘラ女子がリストカットしながら電話してきますが。とても比喩表現がうまく、また筆致も、いわば「冷ややかな暖かさ」とでも呼ぶべき人間臭さのある良い小説です。これもほぼ実話らしいです。

 

◆「太陽フレアの彼女」きのせい(@kinosei)

イジメられている少年の前に現れた、一人の美しい転校生。彼女は彼に「大きな黒い影が来るの」と語り、彼らはそれを食い止めるために「儀式」を執り行う。きのせいさん曰く「震災後の〈喪失〉について書きました」とのこと。喪失を受け入れ、喪の仕事を行うこと。僕たちの大きな課題の一つです。

 

◆「イルミナシオンは愛を求めて」はるしにゃん(@hallucinyan)

僕の自伝小説。二万字かけて自分のクズさをすべて披露しています。親子関係やひきこもり体験、セックスやドラッグ、友達の自殺などなど。つらいです。でも僕は精神科医の松本卓也さんから「症例」としてフォローされてるくらい現代精神病理的な人間なので、ポストモダンの実存を開示する意味で書きました。この自伝小説のオチのためにこの同人誌を作ったくらいなので、買ったうえで最後に読んでください。

 

執筆者の皆様、DTPをやってくださったりあんさん、応援してくださったかたがた、本当にありがとうございます。コミケでは僕が売り子します。文学フリマで何人もサインや握手を求めてきて応じましたが、今回もそういうサービスします。かなり良い本に仕上がったのでぜひ買いに来てください。にゃんにゃん。