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2008-03-01(土)

SF史上屈指の傑作ここにあり。『虎よ、虎よ!』


虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

虎よ! 虎よ!
ぬばたまの夜の森に燦爛と燃え

そもいかなる不死の手のまたは目の作りしや
汝がゆゆしき均整を

 おお、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』が復刊されているぞ。嬉しい! 自分のためではなく、全日本人のために、ぼくは喜ぶ。

 ま、世の中には傑作といわれる小説がたくさんあるわけですが、そのほとんどは時の研磨に耐えかねて歴史の闇の奥へ消えていく運命にあります。

 昨今の出版事情を考えると、10年生きのびれば本物といっていいでしょう。20年生きのびれば傑作だ。

 しかし、なかには30年、50年と愛されつづける怪物的な作品もあって、そういう作品こそ、小説のなかの小説と呼ぶにふさわしいと思います。

 『虎よ、虎よ!』もそのひとつ。この作品が上梓されてからすでに半世紀以上経っていますが、その魅力が褪せることはありません。あと半世紀過ぎてもそうなることはないでしょう。

 いやもう、いいから読めって。絶対おもしろいから。ベスターひとりの最高傑作という次元を超えて世界SF史上の最高傑作のひとつといっていいと思う。

 全人類が「ジョウント効果」と呼ばれるテレポーテーション能力を身に着けた未来世界を舞台に、一人の男の華麗なる復讐劇を描く、というだけでは、到底この作品の魅力を説明しつくせない。

 そもそもその「ジョウント」が発見されるプロセスが狂っている。この能力の発見者であるジョウント博士が、たまたま命の危険にさらされたときに能力に目ざめたことから、科学者たちは同じ状況を再現しようとするのです。

 彼らは自殺志願者に対して事情をよく説明した。ジョウントは、自分の行動と、その行為を彼自身がどう考えるかという講義をした。それから彼らは志願者たちを実験にかけて殺しはじめた。溺死させたり、絞殺したり、焼死させたり、死をおくらせたり調節するあたらしい方法を発明した。およそ死ぬことが対象となればどんな手段をとってもいいと考えたのだった。

 志願者の八十パーセントが死亡した。殺人者たちの苦悩と良心の呵責については、なかなか興味もあるし、しかもおそろしい研究材料になるだろうが、しかし、それも歴史においては、この時代の奇怪さを強調する以外のなにものでもなかった。志願者の八十パーセントは死亡したが、二十パーセントはジョウントしたのである。(ジョウントの名前はその実験の直後に新語になった)

「ロマンチックな時代に戻ろう!」ロマンチストたちは主張した。「雄渾な冒険に自らの生涯を賭けることができたあの時代に」

 そして世界は変わる。あらゆる人間があらゆる場所に移動できるようになった結果、既存の世界秩序は完全に破壊されてしまうのです。あたらしい時代! 「奇形と、怪物と、グロテスクの時代」!

 まさに黄金時代だった。雄渾な冒険が試みられ、生きとし生けるものが生を謳歌し、死ぬことのむずかしい時代だった……しかし、誰ひとりそんなことをかんがえてはいなかった。これこそ、富と窃盗、文化と悪徳の未来の実現だった……しかし、誰ひとりそのことを認めてはいなかった。いっさいが極端にはしる時代であり、奇矯なものにとって魅惑的な時代だった……しかしそれを愛するものとてなかった時代なのである。

 そして、その時代を背景にガリヴァー・フォイルの復讐の物語が幕を開ける、と、ここまででわずか11ページ! このあと300ページ以上もこのスピードとテンションが続く。

 この世界を背景に綴られる物語は、ひと言でいえばSF版『岩窟王』。しかし、ベスターはそこにダイヤモンドのような狂気と、暗黒と、そして美を塗りこめました。

 この作品を評して「ベスターはガラクタから芸術を作り上げた」といったのは評論家のデーモン・ナイト。これくらい『虎よ、虎よ!』を的確に現わした評もないでしょう。

 冒頭からしてこの通りガラクタすれすれの芸術性に満ちているのだけれど、クライマックスの文体実験は冒頭をはるかにしのぐ迫力に満ちている。

 実験の性質上、引用したくてもできないので、自分で読んでたしかめてください。まずだれでも圧倒されるはず。

 「実験」と書くと堅苦しそうな印象になってしまいますが、堅苦しいどころか! およそ「読む」という行為に可能なかぎりの官能がここにある。

 ああ、あの迫力を伝えきれない自分の文章力が恨めしい。いや、ほんと、SF好きでなくてもこの作品だけは読んでおいたほうがいいよ。損はさせない。

 単純に大衆娯楽小説として読んでもぶっ飛ぶくらいおもしろいし、今度ばかりはぼくの言葉を信じて問題ない。この本がおもしろくないなら、もうぼくの言葉は信じなくていいよ。

 大傑作なのです。