これ面白いですねー。にやにやしながら読んでしまいました。テンプレですね。
「イクメン、弁当男子」は、なぜ出世できないか 「より良く働く」ための全課題:PRESIDENT Online – プレジデント
多様化する「上昇」のあり方
最近は、元気のない若者男子の代名詞として「草食系」と言われるようだが、団塊世代の私からすると、彼らはハングリー精神のない「温室育ち」に見える。なにしろ私たちの世代は、小さい頃から進学、就職などあらゆることで競争社会だった。(中略)
ところが、社会が豊かになるにつれてハングリー精神が奪われていき、いい意味での上昇志向も低下してきた。特に約20年前から、詰め込み教育や受験競争がよくないというので始まったゆとり教育が、競争社会を生き抜こうという強い気持ちを養う機会を減らしてしまった。
伊藤忠商事の社長が書かれたエッセイなのですが、この部分、「若者の上昇志向の低下」に関しては不同意です。
彼が語る「上昇志向」は「競争社会を生き抜く」、つまり「経済的に成功する」という文脈に強く紐づいているように読めます。お金を稼ぎ、競争に勝つことが上昇、というわけですね。
しかしながら、僕は「上昇」はもっと多様な方向性を含むものだと思います。お金を稼がない上昇もありえますし、競争を避けた上での上昇もありえます。
例えばNPOに就職し社会問題を解決しようとする若者は、彼ら団塊の世代の視点から見れば「優しい草食系」に見えるのかもしれません。
が、草食系だったらそもそも社会問題の解決に関与しようとなんて思わないですし、それは優しさというよりは、「これおかしくね!?」という義憤が原動力になっていたりします。
問題解決への強い欲望という意味では、彼らはむしろ高度経済成長期の若者より、貪欲で上昇志向が強いと思います。エッセイのなかでは「競争社会」というタームが繰り返し出ていますが、NPOが取り組むのはまだ解決されていない社会問題なので、そこには資本主義的な競争・競合の色は希薄です。
僕自身も「年収150万円で僕らは自由に生きていく」とか言っちゃってるぐらいなので、彼らの目から見たらまさに草食系でしょう。さらに僕は育休モードに入っているので、イクメンです。会社員時代は弁当男子でした。フルコースですね笑
が、僕はこうして精力的に文章を書き綴っているように、上昇志向は人よりも強いと自認しています。もっと影響力が欲しいですし、もっと表現力も高めたいですし、ベストセラーも出したいです。さらに、僕は、僕が軽蔑するもろもろの社会の仕組みから逃れつづけていたいと願い、日々努力を重ねています。これはかたちは違えど、「上昇」志向といえるのではないでしょうか。伊藤忠商事に入ったら3日で逃げ出すと思いますけどね。
団塊の世代の方々と僕らでは、なにをもって「上昇」とするかが違うということなのでしょう。彼らの時代は、「会社のなかで競争社会(出世競争)に生き抜き、お金を稼ぐこと」だったかもしれませんが、僕らはそれに加えて、
・社会の問題を解決する
・人から多くの信頼を得る
・会社依存を脱却する
・社会に縛られず、個人として自由に生きていく
といったような「上昇」の方向性があるのです。ここら辺はきっと、団塊の世代の方々は肌感として感知できないのでしょう。
団塊の世代のみなさんがそうであったように、僕たちの世代も、もっと世の中をよくしたいと願っていますし、どうせやるなら高みを目指したいとも思っています。
プレーヤーの気持ちは同じでも、今と昔では前提条件が違うのです。高度経済成長期は文字通り、のぼりのエスカレーターに乗っているような感覚で成長していったのかもしれません。今は、経済的に上昇しようと思ったら、くだりエスカレーターを全力で駆け上がるような勢いで駆け上がらなければいけない時代です。ゲームルールが違うのです。
そういう不毛な資本主義的ゲームに嫌気が差して、離脱する若者は増えているように感じます。僕もその一人です。とはいえそんな離脱者たちに上昇志向がないかというと、別段そんなこともないというのが、僕の理解です。離脱したほうが、かえって上昇志向が求められるぐらいです。
と、つらつらと書いてしまいましたが、とりあえず関連本ということで自著を紹介して終わります。ここでは僕らの世代なりの「上昇」の方向性を示したつもりです。伊藤忠商事の社長さんに献本でもしようかな…笑