地球は広く、価値観はさまざま。そんなことを思わせるのが、「罪と罰」をめぐる世界の事情だ。ルーマニアでは、「魔女」がいまでも力を持ち、芸能人や政治家も巻き込んだ大スキャンダルに発展、人気魔女が逮捕された。イランでは結婚に必要とされる高額の「結納金」を払えない男性が刑務所に送られる事例が急増している。イスラム教の聖地メッカでは、出稼ぎにきたインドネシア人家政婦が多数死刑判決を受け、斬首刑になった女性もいる。ドイツの刑務所では、社会にとって危険とみなされた元犯罪者を刑期終了後も収容する「保安拘禁」という制度が、さまざまな批判にさらされている。人は何を「悪」とし、何を裁くのか。人間存在の根源を問う徹底ルポ。
◇〈ルーマニア〉魔女、呪いで騒動
◇〈イラン〉結納渡せぬ夫、刑務所送り
◇〈インドネシア〉家政婦に死刑判決次々
◇〈ペルー〉最も危険な塀の中 様変わり
◇〈インドネシア〉塀の中 改善急ピッチ
◇〈ドイツ〉出所者 行き場なし
◎夫の愛人から護身・選挙加勢…報酬は巨額
東欧ルーマニアは「魔女」が力をもつ国だ。「呪い」で大金を得ていたとして2011年12月、人気魔女が逮捕され、芸能人や政治家も巻き込んだ大スキャンダルに発展した。法律で規制する動きもあるが、「現代の魔女狩りだ」との声があがり、実現していない。
逮捕された魔女はメリッサ、バネッサと呼ばれる30〜40代の2人。いずれも、テレビ番組にも出演する売れっ子だった。
警察などによると、メリッサらは人気女優(39)から母親との遺産争いの問題で相談を受け、母親が別の魔女に依頼してかけた「呪い」を取り除く見返りに法外な報酬を要求。現金や高級車ポルシェ、ブカレスト市内のマンションなど45万ユーロ(約4700万円)相当を受け取っていた。この女優がメリッサらとの関係を絶とうとしたため、仲間の5人の男たちを使って「自殺に追い込む」などと脅迫した疑いがもたれている。
さらに、ルーマニアの有名サッカーチームのオーナー夫人は、夫の愛人から呪い殺されないための呪術の報酬として40万ユーロ(約4200万円)を支払っていたことが判明。人気サッカー選手も10万ユーロ(約1050万円)で、国外の有名チームへの移籍がかなうよう祈願していた。効果があったかどうかは分からないが、フランスのチームに移籍を果たした。
一方、ブカレストのオプレスク市長は、08年の選挙戦でメリッサらに加勢を依頼。09年の大統領選で敗れたジョアナ元社会民主党党首も、現職のバセスク大統領が「強力な魔術師を雇っている」と知り、助力を請うていたという。
だが、話はこれで終わらない。12年2月、事件の担当検察官が収賄容疑で逮捕された。裁判を魔女らの有利に終わらせる見返りに10万ユーロ(約1050万円)の賄賂を持ちかけられ、手付金を受け取った疑いだ。
◎規制の動き尻すぼみ
長く正規の職業と見なされてこなかった魔女を労働法や税制の枠に組み込もうとする動きも最近出てきた。
11年1月、魔女を正規の職業と認め、16%の所得税などを課税すべきだとの議論が国会で浮上。魔女が秘儀で利益を得ることを禁ずる法案作成の動きも出たが、反発した魔女らが「呪い」で政治家に報復すると騒ぎ出した。
結局、手続きの煩雑さなどを理由に導入は見送られたが、メディアは「政治家が魔女の呪いを恐れた」と書き立てた。
ルーマニアの人々の心深くには今も「魔女文化」が根付く。最近の世論調査では、70%が「魔女の力を信じる」と回答。「呪い」(60%)や「占い」(47%)、「魂の存在」(88%)などを信じる割合には、年齢や学歴、貧富、居住地で大差はなかった。
共産主義政権下で宗教活動が制約された中・東欧諸国の人々は、神に祈るより、占いや予言に救いを求める傾向が強いと言われる。
同国は、07年の欧州連合(EU)加盟で西欧から豊富な資金が流れ込んだが、リーマン・ショックやユーロ危機に見舞われ経済が急速に冷え込んだ。国際通貨基金(IMF)やEUの追加融資を受けるため、緊縮政策を断行したが、国民の平均月収は約1600レイ(約3万7千円)とEU最低水準にある。
調査した社会学者のミレル・パラダ氏(39)は「チャウシェスク時代の厳しい抑圧から解放された反動で、人々は心の空白を埋めるものを求めており、魔女がその心の隙間に入り込んだ。最近の経済不振による困窮がそれに拍車をかけているのでは」と見る。
◎「魔女の質落ちている」 白魔術の女王
首都ブカレストの中心部から北へ車で約30分。「白魔術の女王」と呼ばれる人気の魔女チレシカさん(46)の自宅を訪ねた。飼っている猫も犬も真っ黒。まさに「魔女の館」だ。
チャウシェスク元大統領の妻エレナ夫人のお気に入りの魔女だった母親に学び、7歳から占いや呪術を生業にしてきた。魔女修業には教科書や資格もなく、秘技は親から子へ受け継がれていくという。「最近、魔女の質が落ちている。専門のアカデミーを作って優秀な魔女を発掘したい」と言う。
占いや呪術で使う秘蔵の道具を見せてくれた。子羊の頭蓋骨(ずがいこつ)、鎌首をもたげた蛇の置物、巨大な植物の種子……。呪いをかける術では、猫のフンや犬の死体、人骨なども使うという。
お守りなどのグッズも販売しており、子宝に恵まれる「魔法の卵」を強く薦められたが、1個500ユーロ(約5万3千円)と聞いて丁重にお断りした。
人を助ける「白魔術」専門のチレシカさんは、他の魔女の呪いをはねのける術も身につけている。だが、強力な呪いは、かけた魔女本人しか解くことができない。「魔女を陥れようとした男が呪いをかけられ、心臓発作で死んだ」という。
チレシカさんは魔女規制の動きに「魔女を攻撃すれば当然の報いをうける」とすごんだ。
〈ルーマニアの魔女〉 国内に2千人以上いるといわれる呪術師や占師で、多くは少数派のロマ人とされる。1965〜89年のチャウシェスク独裁政権時代は冷遇され、投獄された魔女もいた。民主化後も法律の枠外に置かれ、一部は闇社会と結びつき巨額の富を稼いでいるともいわれる。
イランで、いわゆる結納にあたるメフリエと呼ばれる資金や財産を妻に渡せず、訴訟の末に夫が収監される事例が相次いでいる。イスラムの教えによるもので、イランでは金貨を使うのが一般的だ。ところが、核開発に対する国際社会の制裁で金貨が高騰。生活に不安を抱える妻たちが、「財産」目当てにこぞって訴訟に踏み切ったらしい。
◎核疑惑の制裁 金貨急騰、妻に影響
「人生をやり直したい。そのためには最低でも金貨100枚(約410万円)は欲しい」。被服デザイナーのサラさん(27=仮名)は切実に願っている。2009年7月、夫(33)との離婚とメフリエの支払いを求め、首都テヘランの家庭裁判所に提訴した。
恋愛の末、06年に結婚。サラさんが生まれたイラン暦1363年にちなみ、夫は金貨1363枚を払うと約束した。当時の価値で約2600万円。「無理だとは分かっていたが、2人とも舞い上がっていた」
新婚生活が始まって間もなく、夫が麻薬中毒者だったことを知った。何度も顔を殴られ、包丁を突きつけられた。妊娠を告げた時は腹を強く踏まれ、流産したという。2年後、たまりかねて実家に逃げ戻った。
判決は近く出るとみられる。金貨1363枚はいまの価値で5千万円以上。裁判官が「支払い能力なし」と判断すれば、夫に対して刑務所への収監を命じることもできる。
家族問題に詳しいマルジェ・ガセムプール弁護士によると、イラン民法はメフリエの上限を定めていないが、双方で合意した金貨の枚数は公証役場の台帳にも記される。結婚した後、妻の求めがあれば、夫は必ず渡さなければならない。
枚数は年を追うごとに増え、近年は平均350枚ともいわれる。もっとも、テヘランなど都市部では「形だけの約束に過ぎない」(30代主婦)と思っている夫婦が多い。離婚に直面しない限り、妻の方も支払いを強く求めることはなかった。
◎女性の就職難を反映
ところが、11年秋以降、メフリエに関する訴訟が急増している。件数は不明だが、政府系の「社会福祉協会」によると、半年前と比べて35%増えた。さらに、収監された夫たちは1万8千人を超えたという。
金貨の高騰が、離婚を考えていた妻たちの決心を後押ししたらしい。
国際原子力機関(IAEA)が11年11月、イランの核開発に関する報告書を公表したのを機に、米国と欧州連合(EU)は制裁強化を決定。経済の悪化を恐れた市民は、利ざやを稼ごうと金貨や外貨の購入に走った。イスラム教は利子を禁じていることもあり、こうした金もうけも違法と思われがちだが、イランでは「市場価格での売買」として認められている。
現在、テヘランの金貨ショップでの価格は1枚(約8グラム)625万リアル(約4万1千円)。1年前の約2倍に跳ね上がった。
「社会に拝金主義が広がっている」(社会学者)と嘆く声もあるが、妻たちが金貨に固執せざるを得ない事情もある。
イランでは女性の再婚は敬遠されるうえ、仕事も簡単には見つからない。食料品や家賃などの値上がりも止まらず、インフレ率は年20%以上とされる。夫と離婚したり死別したりしても生活に困らないよう、金貨を「財産」として手元に持っておこうとする心理が働くようだ。
結婚相談所「若者の希望の家」の主任ファテメ・マリキさんは「女性が結婚相手に求めるのは家、車、高収入。加えて金貨1千枚を条件とする人もいる。女性たちの将来への不安を反映している」と話す。
◎大統領巻き込み論争
夫たちが相次いで収監される「異常事態」を見かねた国会は3月、金貨の上限を原則110枚に制限する民法の改正案を可決した。ただ、イスラム法との整合性を検討する護憲評議会の判断によっては、改正は見送られる可能性もある。
一方、アフマディネジャド大統領は改正案が国会を通った直後の演説で、「一部の者が金貨や外貨の問題を取り上げて政府の邪魔をしている」と語った。メフリエが問題となっているのは、経済運営を批判する国会の反大統領派が悪いからといわんばかりだ。反大統領派は3月の国会議員選(定数290)で7割の議席を獲得した。
核問題をめぐるイランと欧米などとの協議が14日、1年3カ月ぶりに再開。一定の合意を見たことで金貨は値を下げつつあるが、5月に予定される次回の協議で米国と欧州連合(EU)の制裁解除への道筋がつくかどうかは予断を許さない。もし制裁が発動されれば、再び値上がりが予想される。
〈メフリエ〉 アラビア語ではマフルという。現金、物品、不動産で支払われる場合もあり、妻の個人財産となる。離婚時の慰謝料の意味合いも含む。イスラム法ではメフリエの支払いなしに結婚は成立しないとされる。金貨で支払われることが多いイランでは、女性の育った環境や学歴などによって枚数も異なる。高卒200枚、大卒以上400〜500枚が平均といわれる。
◎幼児衰弱死で「斬首刑」
イスラム教の聖地メッカにひかれ、サウジアラビアへ出稼ぎに行ったインドネシア人家政婦たちが多数、トラブルに巻き込まれ、死刑判決を受けている。斬首刑になった女性もおり、インドネシア政府は救出を試みつつ、5年後の「出稼ぎ家政婦ゼロ」を目指す。
「被告を殺人罪で斬首刑に処す」。2011年11月、サウジアラビアで家政婦をしていたネネン・スネンシさん(35)に死刑判決が下された。「目の前が真っ暗になった。運命だとあきらめつつ、私の遺体はどこに埋められるのか、できれば母国に埋めて欲しいと祈った」
インドネシア西ジャワ州スカブミ県の山奥にある小村。瓦屋根の立派な家々は全部、サウジへの出稼ぎ労働者が建てたものだ。12年1月に「死刑台からの生還」を果たしたネネンさんは、涙を浮かべて話し始めた。
サウジの首都リヤドから1千キロ以上離れた北部アルジョウフの家庭で家政婦を始めたのは、11年1月だった。サウジで働くのは、夫を亡くして間もない1998年と2000年に続いて3度目。娘(16)を高校に入れるために教育費を稼ぎたかった。過去2回の奉公中にメッカに巡礼できたこともあり、「イスラム教徒として、行き先はサウジ以外、考えなかった」という。
月給は800リヤル(約1万7千円)。雇い主は若夫婦で3歳の子供がおり、その後赤ちゃんが生まれた。同じ敷地にそれぞれの父母や親類も住んでいて、20人近くの世話をした。早朝から1日5回の礼拝以外に休息もなく、寝るのは午前2時。「動物のように扱われた」。礼拝中に頭をつかまれ、無理やり仕事に戻されたこともあったという。
11年10月、赤ちゃんが下痢で衰弱した様子になった。夫婦に「病院へ連れて行きたい」と伝えたが、「必要ない」と言われた。下痢は続き、翌11月のある朝、動かなくなった。外出中の家人の携帯電話に20回以上も電話したが、つながらない。
恐ろしくなって家を飛び出し、警察の車を見つけて報告したところ、警察署へ連れていかれた。雇い主の親族が署に来て「赤ん坊が死んだ。殺したのはこの女だ」と証言。刑務所の独房に入れられてまもなく、「死刑」が伝えられたという・・・
地球は広く、価値観はさまざま。そんなことを思わせるのが、「罪と罰」をめぐる世界の事情だ。ルーマニアでは、「魔女」がいまでも力を持ち、芸能人や政治家も巻き込んだ大スキャンダルに発展、人気魔女が逮捕された。イランでは結婚に必要とされる高額の「結納金」を払えない男性が刑務所に送られる事例が急増している。イスラム教の聖地メッカでは、出稼ぎにきたインドネシア人家政婦が多数死刑判決を受け、斬首刑になった女性もいる。ドイツの刑務所では、社会にとって危険とみなされた元犯罪者を刑期終了後も収容する「保安拘禁」という制度が、さまざまな批判にさらされている。人は何を「悪」とし、何を裁くのか。人間存在の根源を問う徹底ルポ。[掲載]朝日新聞(2012年1月31日〜10月4日、12600字)
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