●北朝鮮強硬派のナンセンス
文部科学省が欧米系のインターナショナル・スクール卒業生に日本の大学受験資格を認めると発表したの。他方で、台湾系の中華学校や朝鮮総連系、民団系の学校はダメだっていうんだよね。この差別的扱いはどういうことなのよ。嘗ての南アフリカも真っ青な白豪主義。
朝鮮総連系の学校も、北朝鮮問題が今みたいに混迷する前までは、ほとんど認めることになってたわけでしょ? それなのに、明らかに北朝鮮問題とリンクして外されちゃった。当然撤廃すべき差別は粛々と撤廃すればいいのに。たしかに金日成や金正日の肖像画のかかった教室で授業してるのは問題だけど……。
いや、既に外したんだよ。長野県では僅かな額だけど、一昨年から専修学校と同じ額の補助を始めたんだ。長野県民である子供達が学んでいる。そして、保護者達は高額納税者であったりする。外交も司法も、地方自治体の範疇ではない。その意味でも、当たり前の話だよ。
なるほど。確かに、朝鮮総連の地方支部なんかでも、これまで拉致はないと言ってきたことに関して、自分たちもだまされてたけれど日本人に謝罪するとか、そういう動きが広がってきてる。さすがに金正日体制はひどすぎるから、それと心中するより、謝罪してでも日本の中でやっていこう、と。タカ派のみなさんのお好きな「国益」からいっても、この機に金正日の大きな資金源である朝鮮総連を日本側に引き寄せて金正日を孤立させたほうがいいはずなんだよ。
ところが、その「状況」も「雰囲気」も理解できないのが我らが単純不明快な小泉純一郎宰相(笑)。何れにしても安倍晋三を筆頭に、今の強硬派のやり方は、逆に日本の危機を招いているようなものなんだよ。トロリーバスの中でアリランを歌い始め、金正日万歳と唱和する平壌市民は恐ろしい、とマス・メディアちゃんは特集するけど、なもの、ほんの60年前には日本だって鬼畜米英、竹槍で勝てると教え込まれて、御真影に頭を下げていたんだ。でも、チョコレートとDDTとストレプトマイシンの「豊かさ」を知ったら、あっという間に親米になっちまった。今や「産経」「讀賣」なんて、アメリカに背くのは非国民だという論調だものね。どうして、これで国体とか主権とか語れる訳?(笑)
何れにせよ、豊かさを知らない段階の人間は、相対化も出来ない。与えるべきものも与えないで、「この野郎」とギリギリ締め付けていったら、竹槍や人間魚雷をも上回る反発があってもおかしくない。そういう強硬派こそ安全保障をわかってないんだよ。あの陰毛とか麻薬という意味の単語を苗字にしてる(笑)ブッシュだって、イラクとは違って既に核保有国の北朝鮮に関しては、部分的に韓国の太陽政策に乗ってるんだから。
横田めぐみさんのご両親、取り分け、滋さんが北朝鮮に出掛けて、めぐみさんの「娘」だと言う「孫」と会いたい、実の娘の消息を知りたい、と望んでいた話だって、「救う会」や「家族会」が訪朝を押し止めるなんて、一体、どういう権利や権限が有るというの、彼らに。
僕は、横田滋さんの気持ちはとても自然だと思うよ。拉致は許しがたい犯罪に違いない。だけど、現実的には、被害者とその家族が両国間を行き来して、最後は家族ぐるみで帰国するって形でもよかったんじゃない? そこへ安倍晋三なんかが出てきて、国家の面子にかけても二度と向こうに帰さないなんて言うから、北朝鮮の面子もつぶれて、事態が膠着しちゃった。結局は、北朝鮮と日本という二つの国家の見栄の張り合いのなかで、被害者と家族の個人個人がひどい目に遭ってるわけだよ。だから、人権は強力な国家によってはじめて保障されるなんていうのは大嘘。国家と国家がぶつかるところで常に個人の人権が犠牲にされてきたんだ。
「新しい歴史教科書を作る会」の会員だという県議の質問に議場で答えた後、一糸乱れぬ動きを「救う会」や「家族会」が横田さんに強いるのは、どこかの国のマス・ゲームのようだ、と知事会見で述べたんだ。そしたら、救う会長野の代表が怒りの会見を開いたの。自分たちの活動を批判する田中康夫は人間ではない、と大書きしたポスターを貼ってね。「会の活動に対する内政干渉」だ、と蓮池さんは怒ったそうだけど、自分たちの活動の無謬性を信じて疑わぬ姿勢こそ、どこかの国の体制と近いんじゃないの。横田さんが訪朝見送りを決定するまでには随分と「家族会」内部で話し合いが持たれている。仮に、最初から「家族会」と横田滋さんの気持ちが一糸乱れぬものであったなら、訪朝見送りの「結論」が出るまで長時間の話し合いを行なう必要はなかった。その流れで言えば、『訪朝を希望しないようにと「救う会」から手紙を貰った』との滋さんのコメントにも、断腸の想いが表れているよね。横田夫妻は終始一貫、極めて冷静で、哲学的で、僕は尊敬しているんだけど、その彼に戸惑いがなければ、そんな手紙が届くはずもない。
テレビや新聞の報道に対して、なんとなく、みんながモヤモヤとしていた感覚を僕が言ったものだから、いきり立っている。だから、会見で言ったの。いつでも硝子張りの知事室で話し合いに応じますよ、と。ところが、連中は、田中に会って謝罪や撤回を求めるのは、田中を人間として認めることになるから行なわない、だって(笑)。ギャンブルがお好きだとメディア関係者の間で評判な蓮池兄さんも、この先の運動展開が見えないんだろうね。相変わらず、腫れ物に触るが如き礼賛報道オンパレードの記者クラブの皆さんも困ったちゃんだけど。
●市町村合併の「かたち」
この対談でも何回か触れてきたけど、市町村合併についても相変わらずだね。
合併をする、ただそれだけの選択をしただけで、合併特例債と称して日本全国の自治体で、20兆円もの起債がハコモノに対して認められていくんだ。奇怪な話でしょ。鹿島を始めとするゼネコンは、ビッグ・チャンス到来とばかりに、プロジェクト・チームを結成してるよ。
一体、このお金は何なのか。実は九八年の参院選と関係がある。この選挙で自民党は以前から弱かった大阪だけでなく名古屋や東京といった都市部で惨敗するわけ。むだな公共事業をやる自民党、田舎にばかり金を使う自民党と言われてね。それを変えなきゃと相前後して亀井静香なんぞが300箇所近い公共事業の中止勧告を出した。代わりに都市基盤整備をやります、と。
だけどね、地方への支出そのものが間違っていた訳ではない。山を荒れたままにしておけば、川が荒れ、人の心も荒れる。問題は、支出のあり方だったのよ。たとえば長野県は僕の就任以来2年間で、森林整備の予算を2倍近くに増額した。が、それでもね、林務部の予算の7割は未だに、公共治山事業と称して人里離れた谷間に谷留め工なるコンクリートの塊を打ち込んでいく公共事業なの。地元負担は3割近いのに、総額の8割が中央のゼネコンへ還流していってしまうダム事業と同じで、結局は東京や大阪のセメント会社とゼネコンを潤すだけ。ならば、スイスのように中山間地に暮らす人々に年間150万円なりの所得保障を行なって、山の手入れをして貰った方が、遥かに安価な税金投入で確実な雇用へと繋がる。土木建設業に従事している県民に対して、無料で100時限の信州きこり講座を開設して、修了者が勤務する会社は間伐の入札に参加する資格を与えたのも、そうした一環。
ところが、自民党が言い出した都市基盤整備とは、早い話が高円寺と阿佐ヶ谷、西荻窪の駅前の景色が同じに見える延長線上の話でしかない。今までは田舎を埋め立ててきたコンクリートを今度は都会で使いましょ、というだけの話。満員電車で通勤している市民は相変わらず不在の公共事業。で、地方への公共事業バラまきは削減すると大言壮語する裏側では、合併特例債を20兆円。静岡市と清水市の合併なんて、既にインフラが整備された地域なのに、合併特例債だけで450億円。その他、公共事業が今後10年間に総額3000億円だよ、信じられる? 長野県内だって、温泉町で知られる戸倉町、上山田町、更埴市の合併特例債が250億円近い。こんなことをしていて、700兆円もの借金を抱える日本はどうなるんだい。7割は国が負担しますといってね。で、合併特例債を使えるのは概ね10年後までで、以降は償還になるから20年後まで考えれば合併した方が自治体破綻する恐れは高いんだよ。なのにまず合併ありきのように言う。
本来は、合併するしないじゃなく、むだな人や業務を減らすのが先なのにね。
そうなんだよ。形ばかり変えたって、新たなハコモノ発想。たとえば下伊那郡の泰阜村では助役を置くのを止めて、村議会も12人を10人にした。小さな話に思えるだろうけど、これは霞が関で言えば3万4000人の課長の首を切るのと同じ縮減率なわけ。こうした努力をして、過疎化と高齢化が進行する泰阜村は、在宅介護のサーヴィスを向上させる原資に用いる、と松島貞治村長は宣言しているんだ。ならば、長野県も不純な動機で自民党が言い出した強制合併に反旗を翻そうじゃないか、と。勿論、立派な庁舎やホールを建設した起債の償還が苦しいから合併に逃げ込もう、だけど、首長や議員の座を失いたくないなぁ、と考えていた守旧派の連中が、だったら、今度は長野県に面倒を見てもらおう、なあんて擦り寄って来ても、それはダメ(笑)。飽くまでも自律を目指す小さな町村を支援しよう、と。
自立じゃなくて自律なのがミソなんだ。自立は、隣の町が立派な総合体育館を作ったから、ウチの村も立派なコンサートホールが欲しい、こうした横並び意識ね。他方で自律は、それぞれの身の丈を知った上で、独自の歩み方をしようという心意気。泰阜村だけでなく、秋山郷を擁する北端の栄村、独自の文化活動で多くの人々を引き寄せる小布施町、モノ作り産業のメッカとして知られる坂城町、こうした意欲ある町村には、立派な首長が居る。先日、小布施町で開いた「誇り高き自治の現場から」というシンポジウムは、これら4町村との共同研究の成果を発表する場だったんだ(http://www.pref.nagano.jp/soumu/shichoson/jiritu/jiritu.htm)。
その翌週には、福島県の根本良一・矢祭町長を始め、全国から50名近い自律を目指す首長が雪深い栄村に大集合して、僕が基調講演を行なったんだ(http://www.pref.nagano.jp/hisyo/governor/governor.htm 右側のトピックス欄から「小さくても輝く自治体フォーラム」をクリック)。改めて痛感したのは、集合した町村長は、いわゆる脂ぎった利権誘導型の顔付きではなかったという厳然たる事実ね。
でね、すべての事務を基礎自治体がやるのは無理だよ。だから長野県では規模の小さい町村では対応が難しい事務は、特例事務受託制度をつくって県が引き受けようと思ってるんだ。百貨店である必要はない。特色のあるブチックであり続けることに誇りを持とうじゃないか、と。だって、フランスには3万を超える基礎自治体が存在して、その90%は人口5000人以下なんだよ。これは、あのお利口なアメリカだって(笑)、同様に8割が5000人以下。
なるほど。
それと地方をめぐる一番大きい問題は、使途を限定される補助金(国庫支出金)は手つかずで、使途の限られない地方交付税は減らすってこと。地方交付税って「ニーズ」のためのお金なんだ。たとえばある地域の貴重な自然環境というのは公的な財産でしょ。それを当該の市町村が山守りするために使うのが交付税の発想。一方、補助金というのは「ウォンツ」のためのお金で、たとえば立派な温泉施設を村が運営するとかね。でもそれじゃ民業圧迫なんだよ。だから補助金こそ減らして、交付税にしてその町がやりたいことをやらせればいいんだ。
たとえば東京の江戸川区ってかつては工場と倉庫と集団暴走行為のイメージだったけど、今や若い夫婦にアンケートを取ると都内で一番住みたい街になってるでしょ。なぜかといえば、小学校に入るまでの医療費無料とか保育園も延長保育が無料とか、充実している。更に15分で大手町まで行けて、銀座やディズニーランドも近い。賃貸や社宅に住んでいる層は、そこの自治を見て選択するようになってきている。こうした形でいい意味の自治体の競争をしないといけないんだ。その意味でも交付税にして自由裁量にしていかないとね。ところが日本は交付税を削減して、合併せざるを得ない状況に追い込もうとしている。で、補助金はそのまま。まったくバカげてるよね。まさに「かたち」だけを整えようという発想。大切なのは脱政党的、脱他律的な自治の意識なのにさ。
司馬遼太郎が「この国のかたち」と言ったけど、いまの合併の動きはむしろ彼の言う「かたち」を壊すことなんだよ。たとえば100人の集落でも昔から一つの伝統があればれっきとした「かたち」なんだ、と。そういう「かたち」を無視し、たとえば3つの市をくっつけて「さいたま市」にするなんていうのは、逆に「かたち」を壊すことなんだ。
嗤っちゃうよ。さいたま市の議員も職員も、給与体系は3つの市の中で一番、高い市に合わせてるんだよ。
そういう文脈で、最近ちょっと面白いと思ったのは、紀伊半島にある飛び地の村の話。
知ってる知ってる。和歌山県の北山村ね。全国で唯一、村全体が飛び地なんだ。
地理的な形としては明らかに三重県の熊野市に近いの。ただ、昔から材木を川にイカダで流して河口の和歌山県新宮市に送ってたんで、そっちとの交流のほうが強い。司馬遼太郎的に言うとそっちが古い「かたち」なんだよね。その村も結局合併の流れには逆らえないんだけど、でも、住民投票で和歌山県の新宮市を選ぶことになった。
だから経済圏、通勤圏だけじゃなくて、文化圏とか歴史圏とかさまざまな要因が「かたち」をつくってるんだよ。
今の合併騒ぎのなかで、そういう要因が見落とされていくとしたら、大問題だね。
●小さく輝く自治体のあり方
先に述べたように、二月に長野県の小布施町で「これからの『自治』をともに考えるシンポジウム」を開催したんだ。特例事務受託制度について説明したり、公益的な価値を有する中山間地の自治体に対して、長野県独自の交付税的な措置をしていくことを発表した。他にも国に対しては森林交付税をつくれということも言ったの。それともう一つ、以前から僕が提唱している住民税に関する構想も喋ったんだ。
ああ、いま住んでる場所以外にも住民税を払う自治体を複数選べるようにすべきだって案ね。
そうそう。例えば、6割は自分が住んでいる自治体。あとの4割は3年ごと最大3カ所に分けて払えるようにする。つまり皆が自分の好きな自治体の株主になるという発想なんだ。人口の少ない自治体は交付税なしでは自律できない。だけど、その分配を霞が関と永田町が行なっているから、一番僕が嫌いな言葉である“お上頼み”の意識がなくならない。交付税の分配を決定するのは市民なんだ。霞が関は、その為の事務センターにならなくちゃいけない。
大好きな海の町、曽祖父の墓のある村、付き合っていた相手が過去を隠して嫁いだ(笑)町。こうした場所を自分で選択する。自分で選択すると、購入したクルマやパソコンの広告をしっかり見るようになるのと同じで、財政状況を町のホームページで確認するようになる。株主の意識ね。3年たって何の魅力もなければ、納税先として今度は他の町や村を選択するようになるから、各自治体も自主的に努力せざるを得ない。ただし自主努力するための財源である交付税が、現場をまったくわかってない霞が関によって分配されていちゃダメ。繰り返すけど、霞が関は事務センターになればいいの。交付税を払う場所を決めるのも市民によってであるべきだよね。
竹中平蔵チェンチェイのように頻繁に住民票をアメリカに移して住民税を節税されてきた方もいらっしゃいますけど(笑)、まぁそれだけアメリカを愛しておられるんでしょう(笑)。それはさておき、多重帰属でいくつかの自治体にステークホールダーとして主体的に関わっていくというのは、確かに面白い考えだと思うね。
で、栄村でも「小さくても輝く自治体フォーラム」が開催された。こうした長野県発の動きに危機感を抱いた総務省や自民党は慌てて、合併しても自治区を認めてあげるとか言いだしてる。でも、国からの押しつけで合併した中に自治組織をつくるなんてのはまったく住民発意じゃない。ベクトルとして、ダメなんだよ。
そういう押しつけ発想が時代遅れだって、いまだにわからないんだな。
それとね、これから長野県が目指すまちづくりでは、ジョルジュ・オスマンがナポレオン三世の下でパリの街をつくった例に学ぼうと思う。一人のマスター・アーキテクトを市民に直接選ばれたリーダーが選んでいく形でね。オスマンは、広い道幅のブールヴァールと、そこには並み木を設けた。そして、建物の高さを統一し、さまざまな建築家にそれぞれの地域を競わせて形作った。まさに個性化を認めた上での高品質な統一感ね。で、先ずは軽井沢に関して、團紀彦氏にマスター・アーキテクトを頼もうと思っているんだ。旧軽とか離山とか一部分の地域だけでなく、軽井沢町全域に関してね。幸いに佐藤雅義町長にも了解していただいた。一つひとつの建物だけ立派でも、魅力的なランドスケープにはならない。安曇野とか軽井沢に関しては、結果としての民主主義の成果を招くような景観形成でなくてはね。これまでのように条例やまちづくり協議会を設けても、そうした場で発言するのは結局、古い体質の町会議員や県会議員なんだよ。しかも、そこで彼らが述べる叩き台の内容は、責任とは無縁の匿名性の役人が書いた文章なんだ。平場(ひらば)の話し合いだと期待して出席した普通のおじさんおばさんは発言できない。単なるアリバイ作りに利用されちゃう。だとしたら、そうした意識の高い、けれども、発言の場が与えられなかった人々と同じ思いを持つマスター・アーキテクトを直接選挙で選ばれたリーダーが指名し、彼が提言したことを議論し、同意が得られたなら実行していく。
京都だってもちろん規制もあれば協議会もあるんだけど、なんだかんだ言って結局は趣味の悪い巨大マンションが林立してしまうわけでね。
だから、いまやそういう手続きだけの民主主義ってダメなんだよ。
●ゴーンと新日銀総裁
春闘も一段落したけど、自動車業界では日産だけがベースアップも満額回答。トヨタやホンダでもベアゼロだったのにね。まぁ長野県の場合は、人事委員会勧告分の2%を合わせて、一般職で8%の大幅な給与カットで労使が合意したわけだけど、驚いたのは、それまで僕に批判的だった県内や中央の経営者からは、田中康夫はあんなに給料を下げて凄い奴だとかって妙に評価が上がってるらしい(苦笑)。社民党やトニー・ブレアとは違う真の「社民主義者」を任じる本人としては何だか複雑な思いだよ(笑)。
日産は業績も良かったし、だから給料も出そうっていうのは正しいよね。もちろん僕はカルロス・ゴーンが最高だとも思わない。彼はルノー全体の利害で動いてるわけで、リストラも強引だし、日産の新しい車がさえないとか、トヨタやホンダみたいなハイブリッド・カーができないとか、いろいろ問題も出てきてる。しかし、それは別として、儲かったら士気を高めるために給料を上げるという判断は、すごくまっとうだよ。
そうだと思う。
労組だって、儲かってる会社の労組は堂々と賃上げを要求すべきでしょ。なぜ労組が日本経済全体のことをおもんぱかって雇用の維持に専念したりしなきゃいけないの? とにかく消費が上がらなきゃ景気はよくならないんで、簡単に言ってしまえば、業績のいい部門がちゃんと給料を出すのが一番なんだよ。
そうしたなか、日銀の次期総裁に同行出身の福井俊彦が決定した。この人事はどうなんだろうね。玉虫色の印象もあるけど、斎藤精一郎なんかは自分も日銀出身のせいか期待するようなことを言ってた。何だかんだ言ってた財界も歓迎ムードだしね。
難しいところだね。いつも言うように、インフレターゲットだけでデフレから脱却できるなんていうのは幻想だし、逆に、もしインフレに誘導できたとしてハイパーインフレにならない保障もないから、そういう意味ではインフレターゲット論に慎重な福井総裁は無難な選択だと思う。日銀は通貨の番人というぐらいだから保守的であっていいわけ。そうは言うものの、まさに玉虫色というか、インフレターゲット論者の岩田一政を副総裁に入れといて、実際は財務省から次期総裁含みで送り込まれたもう一人の副総裁の武藤敏郎が仕切るなんていうのはちょっとねぇ……。
●右旋回に対する文化的批判
最近の国際情勢との関連で言えば、いくつか面白い映画があってね。一つはエリア・スレイマンっていうパレスチナの監督の作品で、タイトルは『D.I.(ディヴァイン・インターヴェンション)』。パレスチナ人たちのまったく救いのない過酷な日常をブラック・ユーモアをこめて淡々と撮ってると思ったら、途中から突然、香港の安物アクション映画みたいになっちゃうの。パレスチナの女闘士が超能力でイスラエル兵士に勝っちゃうみたいなさ(笑)。北野武が嫉妬すべき作品だと思うな。
去年のカンヌ映画祭で審査員賞を取った作品だよね。
そう。で、もう一本が『ボウリング・フォー・コロンバイン』。1999年に起きたアメリカのコロンバイン高校銃乱射事件をきっかけに、ジャーナリストのマイケル・ムーアが監督・主演してるドキュメンタリー映画で、「電波少年」風のアポなし取材を続けながら、アメリカがいかに銃パラノイア社会かってことを描いてる。何ドル以上預金したら銃をプレゼントするとかいう銀行が本当にあってさ(笑)。
日本だとティッシュとか手帳とか貰える代わりに銃が貰えるわけだ(笑)。
銀行で銃なんか渡して危なくないのか、と(笑)。
カタログを見て、行員と相談してるシーンも出てくる。いやはやブラック・ユーモアも極まれりだね。でも、それが現実だってのが恐ろしい。
スレイマンの映画にせよムーアの映画にせよ、これほどひどい状況になってくるとブラック・ユーモアで対抗するしかないって感じ。
ムーアの映画は、日本でも立ち見が出るくらい盛況らしいね。実は、この対談をウェッブ用に手を入れる段階で(今はミラノのホテルで直してるんだけど)、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した彼は、「我々はノンフィクションが大好きだ。なのに今は、イカサマ選挙で決まったイカサマの大統領をいただいて、作りものの世界に生きている」と投票総数の過半数以下で大統領に就いたブッシュを大批判スピーチ。「イカサマの理由によって戦争が始まった。イカサマの情報が流れている。我々はこの戦争に反対だ。ブッシュよ、恥を知れ。お前の持ち時間は終わった」と言い切って、拍手とブーイングの嵐だったらしいぞ。日本には、どうしてこういう文化人が皆無なの? 『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房)って本も出してて、面白いヤツだよね。
あの本も結構売れてるらしい。
ボブ・ウッドワードが書いた『ブッシュの戦争』(日本経済新聞)も売れてるみたいだけど、こちらはどうなの?
あれは、ホワイト・ハウスから独占取材権をもらったせいか、かなり政権のプロパガンダみたいになっちゃってるんだな。
なるほどね。
たしかに政権内の矛盾や亀裂も生々しく描かれてるけど、取材を許された見返りとして、ブッシュを結構ヒーローとして書いてる部分が目立つ。
それより面白いのは本誌でもチラッと触れたブッシュ失言集だよ。『George W. Bushisms』と『More George W. Bushisms』ってのが出てて、日本でも『ブッシュ妄言録』(ぺんぎん書房)って似たような本が出てる。彼の失言や珍言だらけ。
少し内容を紹介しておこうか。
たとえばブッシュが日本に来て、「一世紀半にわたって日本とアメリカは近代における偉大で持続的な同盟関係のひとつを築いてきた」と。半世紀前にあれだけ戦争しただろうっての(笑)。
何だそりゃ(爆笑)。
一番有名なやつがあって、教育が大問題だって話のときに、「我々の子供たちは学習しているのか?」というのを「Is our children learning?」って言っちゃったわけ。複数形なんだから「Are our children learning?」だろう。お前こそ学習しているのか(笑)。編者が「Perhaps not」なんて見出しをつけてて、大笑いだよ。
それでハーバード・ビジネススクールのMBAだっていうんだから、よくわからん。日本でも、水道橋の桜蔭高校から東大の建築学科を卒業しても、ほとんど何も社会的な内容が喋れないし、判らない著名人が居るけど(笑)、アメリカは、その点でも日本の先輩だ。
ブッシュはもともとエール大学出身だけど、寄付とかもあるからブッシュ家はエールはフリー・パスなんでしょ。
とにかくファミリーのなかでも一番できが悪かったらしいね。まあ、偏差値が高い大学を出ても困ったチャンは公務員にもワンサカ居るし、逆に18歳で県職員になっても、勘性が鋭い人間は大勢居る。つくづく、教育とか偏差値って、何だろうと考えちゃうよ。
ブッシュの場合、とにかくどうしようもなくて飲んだくれてたのが、本誌でも触れたようにキリスト教で生まれ変わっちゃったわけ。born againってやつね。むしろ、それが問題なんだな。「アホでマヌケ」なまま強烈な確信を持っちゃったわけだからさ(笑)。
でも、彼が信仰するキリスト教って、原理主義なだけでなく、酒を飲まねば救われる、みたいな嘘っぽい教義を真顔で語っちゃう白人市場主義、じゃなかったリンカーン以降も黒人市場を結果として是認してきた白人至上主義(笑)な新興宗教みたいなもんでしょ。恐ろしいもんだ。
映画の話に戻れば、むしろ「007」くらいまで行っちゃうと確信犯的で笑えるよ。あのシリーズ、冷戦が終わって停滞してたと思ったら、前回の「ワールド・イズ・ノット・イナフ」あたりからまたまた盛り上がってきて、今回の「ダイ・アナザー・デイ」では北朝鮮を舞台に大暴れ。金日成・正日親子よろしく、愛されずに育ってひねくれた将軍の息子が悪役なの。それで、北朝鮮に潜入したジェイムズ・ボンドに殺されたはずが、実は生きてて、DNAを入れ替えて白人になってた――っていう筋書きはさすがに荒唐無稽に過ぎるけど、そいつが巨大な軍事衛星を使って宇宙から38度線付近の地雷原をバーっと爆破していくところなんて、ちょっと凄いよ。平壌の「将軍様」も当然見ただろうけど、さてどう思ったか。
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