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Episode.1
001 FIRST KILL
 無限の領域を有している仮想世界。『第二の現実』となって久しい仮想世界には、人々がイメージできる風景や街並みは、何もかも創造され尽くしたとも云われている。VRMMO『クロス』にある地方都市――そこでは、ヨーロッパの古い街並みが再現されていた。

 赤いレンガ屋根の家屋が立ち並び、彼方には尖塔がそびえている。
 街の中央を川が横切っており、アーチ状の石橋と大通りが直結していた。

 行き交う人々も多く、華やかに活気づいた景色の中、深呼吸を繰り返す少女がいた。

(大丈夫。噂なんて、あてにならない)

 その少女は自身に云い聞かせながら、とあるプレイヤーに関する噂話を思い出している。

 世界最悪のプレイヤーキラー〈虐殺鬼〉。

 例えば、出会い頭にすぐさま殺そうとするだとか、話に飽きて来ると手持ちぶさたに刺して来るとか、一日のプレイヤーキル数は常に三桁以上とか――。

 ありえない。さすがに、ありえないだろう。
 有名人ならば、世間に流れる噂も尾鰭の付いたものになる。

 そうに違いない――などと、少女は胸の内で繰り返す。

 だが、のプレイヤーが一年前に〈虐殺鬼〉の二つ名を獲得するきっかけとなった〈九尾の狐〉討伐――および、一連の『ジェノサイド事件』を思い起こせば、噂が何もかも嘘っぱちとは思えないのだ。むしろ、全てに信憑性があるようにすら思える。

「うう……」

 思わず、弱気が漏れる。

 どうして、こんな目に合わなければいけないのか。

 少し前に云い渡された命令を思い出し、少女は震える。

 呆然となりながらも、身体だけは動かして、この地方都市までやって来た。目的のゴールはすぐ間近だ。大通りの隅っこ、少女の目の前には薄暗く、じめじめと黴臭そうな路地裏が迫っていた。

 接触するべき相手。恐るべき〈虐殺鬼〉は、この奥にいる。

 震えは止まらない。冷や汗まで流れ出す。

 どう考えても、貧乏くじを引いた。
 仮想世界で一番の問題児を相手にする仕事なのだ。

 ベテランの先輩、全員が断ったに決まっている。
 だから、新人に役目が回ってきた。

(そうに決まっている!)

 少女は胸の内で吠えた。

 両手を振り上げる。言葉にならない怒り、虚しさ、世知辛さ――諸々の感情を、全身の震えで表現した。そうして、頭を抱えて身悶える。こんなはずではなかった。

 夢に描いていた初仕事は、例えば、『ワールド・ワールド・ワールド』の〈勇者〉であったり、『ゲルタニア』の〈大陸〉であったり――そうした、初々しい乙女心を刺激してくれるヒロイックなプレイヤーと出会うものだ。

 断じて。
 殺される恐怖に、怯えるようなものではない。

(大丈夫。きっと、大丈夫……)

 まさか、無抵抗な者まで、問答無用に殺すことはないだろう。
 そこまで、頭が斜め上に吹っ飛んだプレイヤーなどいるはずがない。

(大丈夫よ。落ち着いて……落ち着けば、大丈夫)

 琥珀色の髪を、気持ちを正すように整えた。
 琥珀色の瞳で、しっかり前を見据える。

 幼さが残る顔立ちは、二、三年も経てば、ようやく女らしくなるかと云うもの。美しさよりも、可愛らしさが勝っている。十代前半の体躯は華奢だけど、健康的ではある。すらりと伸びた手足に、ややサイズの大きい黒の制服が不釣り合い。

 まだ子供と云っても違和感はない。
 実際、彼女はまだまだ子供なのだ。

 少女の名は、 Charlotte――シャーロット。

 国際仮想統一機関、最年少のエージェントである。




 仮想世界に関する普遍的国際機関、国際仮想統一機関。

 およそ一年前――しくも、ハヤテが〈九尾の狐〉討伐を果たした数日後のことである。『Power Four』の運営者である企業が、神の座を引き摺り下ろされるという大事件が勃発した。国家にも等しいパワーを有していた企業から、彼らの世界を接収した組織こそ、国際仮想統一機関である。

 そもそも、VRMMOは『第二の現実』として、娯楽の範疇を遥かな昔に飛び越し、現実と仮想の反転という社会的革命を引き起こしていた。現実以上の規模に発達した仮想世界を、巨大企業が単独で牛耳る危険性はずいぶん前から声高に叫ばれていた。

 企業が仮想世界の全てを支配する状況に、世界中の人々が疑問を覚え始めていたことは事実である。結果として、国際仮想統一機関による接収はスムーズに行われた。それからの四つのVRMMOは、運営者が代わったことによる影響も感じさせず、一年後の今も、目立った変化は訪れていない。

 国際仮想統一機関は巨大な組織であるが、今や世界中の人々がプレイヤーとして活動する仮想世界の全て――『Power Four』の全てを管理することは、非常に困難である。そんな彼らの仕事の中で、個々のプレイヤーと接触しながら、多種多様な任務に就くエージェントと呼ばれる存在がいた。

「……面白い」

 一時いっとき前のこと――。

 漆黒の忍装束に、同じ色のブーツと小手。朱色のマフラーと腰帯は鮮やかだが、どこか血の色を思わせる不吉さ。唯一、トレードマークともなっている狐の白面だけは、神秘性すら感じさせるデザインだけど、彼が身に付ければ、途端に禍々しさの象徴となってしまう。

 プレイヤーネーム、HAYATE(ハヤテ)

 世界最強のモンスター〈九尾の狐〉を倒した、世界最悪のプレイヤー〈虐殺鬼〉。

 彼はシステムウィンドウをオープンさせていた。虚空に浮かび上がる数字や文字列――それらは、彼の思うままに展開されていく。この瞬間、ちょうど目を通しているものは、運営者、国際仮想統一機関から届いたメールだった。

 内容はシンプル。

 重要な要件があり、エージェントを一人向かわせたというものだ。

「ああ、面白い」

 同じ台詞で二度、独り言。

 ハヤテは飽いていた。
 今だけではない。

 一年前、〈九尾の狐〉を倒してから、退屈な毎日を送っていた。もちろん、無限の可能性を持つVRMMOで、するべきことが見つからない――などという馬鹿な話はない。ハヤテは当然、今も日々、戦いに明け暮れて腕を磨いているし、様々なクエストにも挑戦していた。

 だが、目標はない。

 あの頃、〈九尾の狐〉を倒すためだけに、他のことは何も考えず、無我夢中で駆け抜けていた時のような昂揚感は微塵もなかった。強くなりたいと思っている。実際に、強くなっている。だが、その先がないのだ。

 強さをぶつけさせてくれる何かが、足りない。

「運営が、僕に接触しようなんて……」

 ハヤテは、プレイヤーキラー。

 PKプレイヤーキルは、VRMMOがゲームの時代――正確に云えば、前世紀のMMOの頃から存在する要素だ。システムとして残されている以上、VRMMOにおいて、PKをすることはなんら違法な行いではなかった。ただし、度が過ぎれば、マナー違反として扱われる。

 これまでも幾度か、ハヤテは運営と揉めている。

 今回もそうだろうと思った。文書だけでなく、わざわざエージェントまで接触させると云うのだから、もしかすれば実力行使かも知れない。何にしろ、穏便に済むようなことではないだろうと、ハヤテは推測した。否、期待したのだ。

 思わず、笑みが漏れていた。

「な、なにを笑っている?」

 怒声が飛んだ。

「そ、それに、こんな時にウィンドウを見るな!」

「ん? おっと……」

 路地裏。

 VRMMO標準時では昼間であるけれど、地方都市の暗部とも云えるような場所は薄暗い。周囲を取り囲む建物が、日の光を完全に遮っている。好きこのんで、わざわざ訪れるような者はいないだろう。だが、ハヤテはそんな路地裏のどん詰まり、やや開けた空間の真ん中に立っていた。

 ハヤテだけではない。

 その周囲を取り囲むように、数十人のプレイヤー。

 彼らは全員、武器を握っていた。戦闘の意思を明確に示している。実際、殺気は十分に高まっており、銃器などの遠距離から攻撃できる者は、既にいくらか、攻撃を始めているのだ。

「一応、確認だけど……」

 ハヤテの声は、彼らの感情に満ち満ちたものと異なり、のんびりしたもの。

「僕を狙う理由はなんだ?」

「それは、てめえの胸に訊いてみろ!」

「いや、だから……心当たりが多すぎて、わからない」

 ハヤテは本心でそう云ったのだけど、彼らの方は馬鹿にされたと感じたらしい。

 肩を震わせる者、武器を振り上げる者、怒声を張り上げる者――。

「ぶち殺してやる!」

 誰かが、そんな風に叫んだ。

「オーケー、了解した」

 ハヤテは笑顔で応じた。

「次の用事ができたから、そんなに遊んでやれないけれど……」

 数十人のプレイヤー集団。

 実の所、彼らの目的は様々だった。プレイヤーキラーである〈虐殺鬼〉に恨みがある者が大半なのだけど、中には、世界的に有名な彼を倒して名を上げようとする者もいた。そうした利害が結びついて、一時的に手を結んだ集団なのだ。

 一人に対して、数十人――卑怯と云われて仕方のない数の差である。
 だが、〈虐殺鬼〉と云えば、『クロス』最強のプレイヤー。

「じゃあ……」

 ハヤテはつぶやく。

 数十人のプレイヤーは、襲い掛かろうと踏み出した足を、いきなり止めることになった。

 忍刀が抜かれる。それだけのこと――それだけで、空気は変わってしまった。〈虐殺鬼〉という世界最強を討ち取ることを夢見て、そんな奇跡を盲目的に信じながら、興奮の一色に染まっていたプレイヤー達。瞬時に青ざめていく。ただ単純に、彼らは恐怖したのだ。

 この場に集ったプレイヤーの多くは、体格も立派な大人が多い。
 それに対し、まだまだ幼さの残る少年が一人。

「死ね」

 刃を抜き、殺気に満ちて、笑顔を消した少年――〈虐殺鬼〉。

 その身に漂う雰囲気だけで異形。誰かがつぶやく、「ば、化け物」と。
 刹那の後、数人の首が飛んだ。鮮血が舞い散り、悲鳴が轟き――。

 後はもう、少年の笑い声だけが響き渡った。




 悲鳴と笑い声。

 それらが路地裏の奥から聞こえて来て、国際仮想統一機関のエージェントであるシャーロットは、びくっと身を竦ませた。だが、すぐさま静寂が戻ったため、突然の出来事は幻聴だったようにすら思えた。理解できないまま、怖々と足を進めていく。

 やがて、角を曲がる所にたどり着いた。
 そこを折れた先に、ターゲットである〈虐殺鬼〉がいるようだ。

 シャーロットはしばらく呼吸を整えた後、恐る恐る、首だけ突き出してみた。

 そして、ぎゃあ――と、大きく悲鳴を上げた。目の前には、イタリアのトマト祭りのような真っ赤な賑わいが広がっている。残念ながら、強烈な鉄っぽい臭いが、赤々とした広がりの全てが血であることを教えてくれた。

 くらりと、シャーロットは卒倒しかける。

 それでも役目を思い出し、どうにか口を開いた。

「あ、あの、シャーロットと申しますが……」

 血溜まりとおびただしい死体の中心に、忍装束の少年。
 背を向けているが、間違いなかった。

「あなたが、ハヤテ様ですね?」

「ああ。そうだ」

「……え?」

 返答の声は、シャーロットのすぐ後ろから響いた。

 どうして、と自問した時には、視界の中から〈虐殺鬼〉の姿は消えていた。

 彼は一瞬で、シャーロットの背後を取るように移動したらしい。驚くべき速さだが、トッププレイヤーであり、『クロス』最強を冠する彼ならば不思議ではないのかも知れない。だが、悪趣味だろう。文句のひとつでも云うべきだろうか。

「……え?」

 実際、シャーロットが考えを巡らせたのは一瞬であり、悲鳴を上げる暇もなかったのだ。

「さて、機関のエージェント」

「え、あ……」

 ぬるり、と。血。こぼれ落ちる。
 自分の胸元から何かが突き出している。

 シャーロットは呆然と見た。

 なんだろう、これは――と。

 鮮血に濡れた刃。貫かれた自分の心臓。

「あ、ああ……」

 琥珀色の透き通る瞳が、徐々に光を失う。
 暗く、暗く――。

「なんだ、楽しませてくれないのか?」

 がっかりだ。そんな風に云わんばかりの口調だった。
 それを耳元で聞きながら、シャーロットはあっけなく死んだ。

 記念すべき二人の出会いである。

 ファーストコンタクトであり、ファーストキルだった。


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