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黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」
【パート1】【パート2】【パート3】【パート4】【パート5】【パート6】【完】






777 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:08:39.92  ID:KmqRKDbT0
    ――翌日、祖父の実家

    さーーーー

    黒髪娘「雨だなぁ、男殿」
    男「そうだな」

    黒髪娘「春の初めの雨だ」
    男「そのへんちょっと感覚ずれてるよな。
     まだまだ寒いじゃないか」

    黒髪娘「温かくならなくても、年さえ開ければ春だ。
     同じ寒くても、これから小さく堅くなって行く年末の寒さと
     どこかにほころびを感じさせる、年明けの寒さは違う」

    男「そっか? でもまぁ、そうかもな。
     雪じゃなくて、雨だしな」

    黒髪娘「これでは今日は外には出られぬな」
    男「行けない訳じゃないけれど、
     家にいるのが良さそうだ」

    黒髪娘「男殿は何をしているのだ?」

    男「調べ物と、レポート」
    黒髪娘「そうか。……私もここで本を読んでいて良いか?」

    男「もちろん」


781 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:12:57.35  ID:KmqRKDbT0
    ぺらり/カタカタカタ

    黒髪娘「……」
    男「……」

    黒髪娘「……」 もぞもぞ
    男「……どした?」

    黒髪娘「背中が温かくてくすぐったいのだ」
    男「何もこんなにくっつかなくても良いのに」

    黒髪娘「部屋の中で、ここが一番温かく思う」
    男「そうですか」
    黒髪娘「うむ」

    ぺらり/カタカタカタ

    男「……」
    黒髪娘「……」

    男「……」


784 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:25:26.91  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「――我がせこが衣はる雨降るごとに
          野辺の緑ぞ色まさりける」

    男「それ、どんな歌なんだ?」

    黒髪娘「それは、つまり……
     衣替えをして、雨が降るごとに、春の緑が濃くなる。
     そういう歌だ」 そわそわ

    男「そうか。そういえば“一雨ごとに”なんて云うものな」

    黒髪娘「そういうことだ」

    男「ん?」
    黒髪娘「なんだ?」

    男「頬っぺ赤いぞ?」
    黒髪娘「そんなことはないっ」

    男「ふむ」

    ぺらり/カタカタカタ

    黒髪娘「……」 どきどき


787 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:43:31.80  ID:KmqRKDbT0
    男「……なんかさ」
    黒髪娘「うむ?」

    男「小腹減った」

    黒髪娘「……そうかも知れぬ」
    男「ドーナツは腹持ち悪いなぁ」

    黒髪娘「蕩けるばかりに美味であるのにな。
     浮き世の栄華とは本当にむなしいものだ」しょんぼり

    男「栄華ってほどのものか?」
    黒髪娘「どおなつに勝る栄耀栄華はあるまいっ」

    男「そうかそうか。んー」のびっ
    黒髪娘「男殿は大きすぎる」

    男「何か言った?」
    黒髪娘「見上げるようだ」

    男「黒髪が小さいんだよ」
    黒髪娘「わたしは標準的な身長だ」

    男「……何か食べるとするか」
    黒髪娘「ご相伴する」

790 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:56:12.86  ID:KmqRKDbT0
    ――祖父の家、台所

    男「黒髪ー?」
    黒髪娘「ん。ここにいるぞ」

    男「お前、餅何個食べる?」
    黒髪娘「餅を食べるのか?」

    男「このサイズだぞ。ほら」
    黒髪娘「存外小さいな。私は3つだ」

    男「んじゃ、俺は4つ〜」
    黒髪娘「焼くのか? 雑煮か?」

    男「どうすっかね。チーズいれちゃおっかなぁ」
    黒髪娘「ちいず?」

    男「いや、間食で高カロリーは危険かな?」
    黒髪娘「ちいず……」どきどき

    男(まぁ、いいか。こいつそうゆうの関係なさそうだし)

    黒髪娘「ちいずとはなんだ?」

    男「美味い食べ物だよ」
    黒髪娘「それはたのしみだ!」 ぱあぁっ



793 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:00:36.70  ID:KmqRKDbT0
    ――祖父の家、居間

    黒髪娘「美味しいではないか!」
    男「落ち着け」

    黒髪娘「餅と同じように伸びるとは」
    男(可愛いヤツだな。ぷくくっ)

    黒髪娘「熱くて、とろりとしていて」

    男「ほら、慌てると、髪についちゃうぞ。
     右大臣家の娘なんだろう?」

    黒髪娘「それもそうだ」 あむ、あむっ
    男「ほら、お茶おくぞ。喉に詰まらせるなよ」

    黒髪娘「いくら何でもそこまで子供ではない」むっ
    男「くははっ。判った判った」

    黒髪娘「この、まろやかな塩味がたまらぬ。
     美味く表現できぬが、一個食べるともう一個。
     ふたつめを食べると三つめが食べたくなる味だ」

    男「ああ、チーズの溶けたヤツって
     そう言うところ有るよなー。わかるわかる」 もぐもぐ

    黒髪娘「……」 じー

798 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:08:44.01  ID:KmqRKDbT0
    男「……」 もぐもぐ
    黒髪娘「……」 ちらっ

    男「もう一個欲しい?」
    黒髪娘「……そうとも云える」

    男「……半分こだからな」
    黒髪娘「うむ」 にこっ

    男「ん。美味いなぁ」
    黒髪娘「美味しいなぁ。こちらのものは何でも美味しい」
    男「あっちのだって美味しいぞ?」

    黒髪娘「もてなしの心で用意しているのだ」
    男「こっちだってそうさ」

    黒髪娘「そうなのか?」

    男「確かにこっちは変わった物があるように
     見えるかも知れないけれど、例えば近海産の
     天然の鯛やカニなんて、一人が食うくらいで
     七千円とか八千円とかするものもあるんだぞ?」

    黒髪娘「なんとっ!?」


801 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:13:04.37  ID:KmqRKDbT0
    男「な? ものすごく値段が上がって
     高級になったものもあるんだよ。
     たとえば、生の山葵(わさび)なんて
     いまは普通のご家庭じゃ高くて
     滅多にお目にかかれるような食べ物じゃない」

    黒髪娘「そうであったのか」

    男「だから、おれがあっちで受けたもてなしは
     本当に大盤振る舞いの、大ご馳走だったんだよ」

    黒髪娘「ふむ……。興味深いな」

    男「だから、あんまり気を遣うことはないぞ?」
    黒髪娘「うむ、わかった」にこっ

    男「腹が一杯になったらごきげんか?」

    黒髪娘「わたしはいつでも機嫌は良い。
     男殿と一緒にいる時ならばなおさらだ」

    男「え。……あ」
    黒髪娘「どうしたのだ?」

    男「いや、その」
     (そう言うこと、不意打ちで云うかな。この中学生めっ)


807 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:37:29.15  ID:KmqRKDbT0
    ――夜中、祖父の家の廊下

    じゃぁぁ〜

    黒髪娘「寒い」 ぶるるっ

    黒髪娘「千年たっても厠(かわや)の寒さは変わらぬのだな。
     何でそう言うところだけは変わらないのだろうな」

    ぶるるっ。

    黒髪娘「寒い……。早く布団に……。ん」

    黒髪娘「――」

    黒髪娘「これは、満月……か。
     雨も上がり、なんと冴え冴えとした……春の、月」

    黒髪娘「変わらないのは、月の光」

    黒髪娘「……来て、良かった」


809 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:52:35.64  ID:KmqRKDbT0
    からり

    男「……すぅ。……ん」

    黒髪娘「……」

    男「……すぅ。…………くぅ」

    (あの髪に、触れたい。触れて、欲しい)

    黒髪娘「……」 おずおず

    さわっ。……なで。……なで。

    男「……んぅ」
    黒髪娘「っ」ぴくんっ

    男「……すぅ。……くぅー」

    黒髪娘 ほっ

    (月の光で……。男殿が。……なんだか)

    男「……んぅ? 黒髪……? といれか?
     ――寒いぞ。……んぅ。
     ……布団入らないと、寒く……なるぞ?」

    黒髪娘「あ……」 こくり
    男「……すぅ」


811 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:59:43.91  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘(いま……溢れた。
     ……いま、判った)

    男「……すぅ。…………くぅ」

    黒髪娘(やっとわかった。
     ……これが、そうなんだな。
     そうか……。これは、知っている。
     この気持ちは、ずっとわたしの中にあって……。
     男殿に触れられる度に育って……。
     今、溢れたんだ……。
     こんなに近くにあったのだ……)

    男「……冷えちゃうぞ? んぅ。……黒髪」

    黒髪娘「はい」

    男「……ん?」

    黒髪娘「はい。男殿」 にこり

    男「……? ……すぅ」

    黒髪娘「月の光が凍ってる。
     今晩は、特に冷える。
     暖かい布団を分けて下さい。男殿」



870 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:02:11.99  ID:KmqRKDbT0
    ――祖父の家、和室

    チチチ。チチチチッ。

    男「……すぅ。…………くぅ」
    黒髪娘「……すぅ。……んに」」

    男「……」ぽやぁ
    黒髪娘「……くぅん」

    男(何で……黒髪が同じ布団にいるんだ?
     ……夜? トイレ帰りに……)

    ――暖かい布団を分けて下さい。男殿。

    男「っ!?」

    黒髪娘「くぅ……。んむぅ……」 ぎゅっ

     小さい/桃の匂い/鼓動ぎ/
     細い指/パジャマ/
     まつげ長い/体温/衣ずれ/
     甘い声/しがみついて/体温/くすぐったい――

    がばっ!

    黒髪娘「んぅっ……」

871 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:05:00.29  ID:KmqRKDbT0
    男「……おはよ」
    黒髪娘「……はよ」ぽやっ

    男「……」 ばくばくっ
    黒髪娘「……眠ぃ」 くてっ

     体温。

    男(ううっ。自覚無いのか、こいつ……。
     何で布団に入ってるんだよっ。いくら寝ぼけてたって……)

    黒髪娘「……くぅ」
    男「そろそろ、起きない?」

     しがみつく小ささ。

    黒髪娘「……いまひととき。もうちょっと」
    男「そうですか」 びくびく

     みじろぎ。

    黒髪娘「男殿とくっついてると、温かいのだ」
    男「……そだけど」

     甘い呼吸。

    黒髪娘「んぅ」 きゅっ


873 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:07:10.40  ID:KmqRKDbT0
    ――祖父の家、朝の台所

    ジャァァァー。

    男(……)

    男(今朝のあれは……。多分……。
     そう言うこと何だよなぁ。
     ……。
     フラグ立てちまったか……?)

    男(そりゃ心当たりは色々あるけどさ……)

    パチパチ。トントントン。

    男(いざ、そうなってみると、衝撃だわ。
     ……抵抗できないとは思わなんだ。
     どんだけ弱いんだよ、俺……)

     くちびる。

    男(ううう……)

     華奢なくびすじ。

    男(ううう……。うわぁぁっ!)

874 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:10:39.84  ID:KmqRKDbT0
    男「違うんだ。俺は決してロリではないっ!!」

    かちゃっ!

    黒髪娘「男殿、顔も洗ったし、衣服も改めたぞ」にこっ

    男「〜っ!!」 びくっ

    黒髪娘「どうしたのだ?」 きょとん
    男「いや、なんでもないよ?」 あせっ

    黒髪娘「そうか。……ふふふっ。
     どうだ? ちゃんと洗えただろう?
     ハミガキもしたぞ? 桃の匂いだぞ」 つんつん

    男「お、おう。良くできた」
    黒髪娘「この程度、なんでもない」

    男「……」
    黒髪娘「……?」

    男「朝ご飯にするか?」
    黒髪娘「うむっ」


876 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:17:22.56  ID:KmqRKDbT0
    ――祖父の家、居間

    男「もう一枚食べるか?」
    黒髪娘「いただく」

    男「ほいっと。……ジャムか?」
    黒髪娘「自分で塗れる……と思う。……ほら」にこっ

    男「覚えたな」
    黒髪娘「もちろんだ」

    男(機嫌良いな……。これは、その。
     やっぱり、そう言うことなんだろうなぁ)

    黒髪娘「どうだ?」
    男「完璧だぞ」

    黒髪娘「うむ」 にこっ

    男「なんだかんだで、もう最終日か……」
    黒髪娘「そうだな」


880 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:44:51.67  ID:KmqRKDbT0
    男「今日はどうする?
     帰還は夜の19時ってとこだと思うけど」

    黒髪娘「後どれくらいあるのだ?」
    男「11時間かな。昼は食べるとして、いや。
     夜も食べた方が良いのか」

    黒髪娘「食事を決めるのか、予定を決めるのか」
    男「同じ事だろう?」

    黒髪娘「むぅ。……男殿と一緒ならば、それで良いな。
     出掛けたとしても余り見て回ると、
     体調に差し支えがありそうだ」

    男「体力ないもんなー」
    黒髪娘「淑女としてはしかたないのだ」

    男「……ノーパソで映画でも見るかぁ」
    黒髪娘「てれびんか?」

    男「似たようなものだよ」
    黒髪娘「楽しみだな」 にこっ


886 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:58:03.66  ID:KmqRKDbT0
    ――夕刻、祖父の家

    かたたん。からり。

    姉「こーんばんわー♪」
    男「おう。姉ちゃん」
    黒髪娘「こんばんは、姉御殿」

    姉「黒髪ちゃん。可愛いねっ」 ぎゅっ
    男「抱きつきはやっ!?」

    黒髪娘「くすぐったいのだ」にこり
    姉「ぶぅぶぅ。いいじゃないのよ。
     黒髪ちゃんはわたしのものなのよ?」

    男「それはないだろ」

    黒髪娘「姉御殿にはお世話になったのだ」

    姉「今日、帰るんだよね」
    男「そうだよ」



887 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:00:27.96  ID:KmqRKDbT0
    姉「いつごろ?」

    男「あと数時間で出る」
    黒髪娘 こくり

    姉「……ふむ」
    男「どした?」

    姉「ううん。えっと、お土産持ってきた」
    男「なにさ?」

    姉「んっとねー。桃シャンプーと、下着と、
     ネイルケアの道具と、あとコンビニのお菓子と」

    男「姉ちゃん。こいつ、そんなに持ってくのは……」
    黒髪娘「いいのだ。男殿。有り難く頂きたい」

    男「そか……」
    黒髪娘「何から何までお世話になった。姉御殿」ぺこり

    姉「いーのいーの。可愛い黒髪ちゃんと
     遊べて楽しかったわ」

    男「遊んだだけだもんな、ほんと」


889 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:08:34.59  ID:KmqRKDbT0
    姉(ふむふむ……。雰囲気がねー……) くいっ

      男「なんだよ」
      姉「どうしたのよ。黒髪ちゃんとの距離が近いじゃない。
       具体的に云うと、この間より20cmくらい。
       隣にいるのが当然みたいに座っちゃって」」

      男「う゛」

      姉「なんかあった?」
      男「あったような……。無かったような……」

    黒髪娘「?」

      姉「まーだ煮え切らないんだ。あんた」
      男「煮え切ると各方面に迷惑掛けるのっ」

      姉「物事の優先順位判定、間違えないようになさいよ」
      男「……」

      姉「“あんたの苦労”なんて一番優先度低いんだからね」


892 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:14:29.86  ID:KmqRKDbT0
    姉「ま、いいわ。ん。
     ……今日は帰るね」
    男「へ? お茶くらい入れるぞ?」
    黒髪娘「そうです。こんな早々に」

    姉「いーのいーの。顔みてお土産渡したかっただけ。
     それに、お迎えとか、送り届けとかさ。
     私が見ない方が、良いんでしょ?」

    男「姉ちゃん……」

    姉「いや、違うよ? 時間がもうちょいだから
     二人っきりにして上げようとか云う
     そういうらぶろまな心遣いじゃないよ?」 にやにや

    男「とっとと帰れよ」
    黒髪娘「ふふふふっ」

    姉「ま、いいわ。……がんばんなさい」

    男「ったく。わかったよ」
    黒髪娘「ありがとうございました。姉御殿」


894 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:40:08.42  ID:KmqRKDbT0
    ――夜、祖父の家の納戸

    黒髪娘「そろそろかの」 どきどき

    男「うん。もうちょい。時間がずれちゃうから、
     なるべく正確に戻らないと菜」

    黒髪娘「あちらでは30日が経過しているのだな」
    男「そのはず。吉野で静養って話になってるんだよな?」

    黒髪娘「友が万事問題なく手配してくれているとは思うが」
    男「まぁ、大丈夫だろう」

    黒髪娘「……うん」

    男(――“花鳥文螺鈿作り黒檀長櫃”。
     チャンスを捉えて何とか調べておかないとなぁ)

    黒髪娘「男殿……?」
    男「ん?」

    黒髪娘「その」
    男「うん」

    黒髪娘「……」
    男「大丈夫。ちゃんと帰れるよ」 ぽむぽむ

    黒髪娘「うむ。……友が待っていてくれるものな」


896 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:54:25.33  ID:KmqRKDbT0
    ――黒髪の四阿、深夜

    がたがたがたっ。がぽんっ!
    ……しゅとっ。

    男「っと、っと、っと。よいしょ」
    黒髪娘「す、すまぬ」

    男「二人一緒はさすがに狭かったか」
    黒髪娘「うむ。でもそれで良かった」

    友女房「姫様っ!」
    黒髪娘「友っ。どうだ? 今はいつだ?」

    友女房「きっかり30日、予定どおりでございますよ」
    男「ほっとした」
    友女房「ええ。男様、ありがとうございました!」

    黒髪娘「久しぶりの庵だなぁ。
     真夜中だが、湯浴みの準備を頼んでも良いか? 友」

    友女房「ええ、もちろんでございます……が」
    黒髪娘「ん? どうした?」


899 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 14:07:57.79  ID:KmqRKDbT0
    友女房「いえ、多少いろいろがございまして……」
    黒髪娘「何があったのだ?」

    友女房「いえ、私からは何とも……。
     まだ、確としたお話でもないと存じておりますし。
     詳しくは藤壺の上からお聞きになられた方が良いかと。
     “吉野からお戻り”の際は是非お会いしたいと
     何度か文の連絡を頂いております」

    黒髪娘「そうなのか……。何があったのだろう。
     わかった。明日にでも文を送ってみよう」

    友女房「それが宜しゅうございますよ」

    下級女房「――」
    友女房「姫、湯浴みの準備があるそうです。よろしいですか?」
    黒髪娘「うむ、わかった。
     ……男殿、しばらくお待ちを。炬燵にでも入っていて欲しい」

    男「ああ、判ったよ」

    とててててっ。

    友女房「男殿、お時間を宜しいですか? お話があるのです」
    男「判った。こっちも聞きたいことがあったんだ」


75 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 09:55:38.80  ID:KmqRKDbT0
    ――数日後、藤壺の宮

    藤壺の君「吉野から良くお戻りになられて、
     黒髪の姫。皆も心配していたのですよ?」

    黒髪娘「はい。ありがとうございます……」 ふかぶか

    藤壺の君「さる歌会はまだ雪残る春でしたが、
     はや、山裾には桜の袖がひろがっております」

    黒髪娘「はい。風に舞うは雪のよう……」
    藤壺の君「本当に……」

    黒髪娘「……」
    藤壺の君「お茶を入れさせましょう」 ぱちん

    しずしず

    藤壺の女房「……失礼いたします」

    藤壺の君「……」
    黒髪娘「……」

    藤壺の君「実は、お話ししたいことがありお呼びしたのです」
    黒髪娘「はい」

76 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 09:57:16.32  ID:KmqRKDbT0
    藤壺の君「……話は半月ほど遡るのですが
     承香殿(じょうきょうでん)※で鶯の音を愛でる宴が
     催された折のことです」

    黒髪娘「……」

    藤壺の君「宴そのものは、鶯の音こそ少ないものの
     盛会でした。管弦の楽の音は素晴らしく
     特に中将の笛は昨今にないあでやかさでした。
     それはよいのですが、その宴の折に
     黒髪の姫の話題が出たのです」

    黒髪娘「わたしの……?」

    藤壺の君「ええ。くだんの歌会からこちら
     姫の話は宮中の噂の的でした。主にその学識や
     見識の高さ、歌を詠む姿勢などですが
     臨席された帝が興味を持たれて」

    黒髪娘「帝が?」

    ※承香殿(じょうきょうでん):内裏(天皇の住む
     私的な場所)の建物の一つ。かなり格が高い。

77 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 09:59:08.83  ID:KmqRKDbT0
    友女房「ええ、どうやら噂の方はもうすでに
     ご存じのようでした。いえ、おそらくは……
     尚侍のこともお心をいためておいでだったのでしょう。
     その席でも、哀れみ深いご様子で。
     そして、ではならば、歌集の編纂でも、
     とのお言葉があったのです」

    黒髪娘「歌集……ですか!?」
    友女房「まぁ」

    藤壺の君「ええ。ご存じの通り勅撰集※の選者は
     今まで女性が選ばれたことはございません。
     ですから戯れ言だという者もいますし
     おそらくは帝のご意志とは言え、院か後宮を
     通して私的な依頼で……
     私撰と云う形になるでしょうが。
     しかし、いずれにせよ帝の口から零れた言葉。」

    黒髪娘「……」

    藤壺の君「宴の席のこととは言え、
     仇やおろそかには出来ませぬ……」

    ※勅撰集:帝もしくは上皇が命令して編集した歌集。
    国家の一大文化事業で、選者にえらばれるというのは
    「国で一番わかってるひと」認定だった。比して私人
    の資格で選定を行なった歌集は私撰和歌集。

79 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:00:39.17  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「……」
    友女房 がくがくぶるぶる

    藤壺の君「正式な勅は未だ出ておりませんが
     女性でありながら、帝の信任を受けて
     選者に選ばれるかも知れぬ姫の噂で持ちきりです。
     このままで行けば、遠からず何らかの話が
     持ち上がるでしょう。
     帝自らが動かなくてもそのように進むのが内裏。
     それは黒髪の姫も重々ご承知でしょう」

    黒髪娘「それは……」

    藤壺の君「黒髪の姫が代理への出仕を
     避けていらっしゃったのはもちろん存じております。
     もしかしたら出家を考えていらっしゃるのかとも
     思いましたが、前回の宴で、遠慮深く恥じらいを持つ
     清らかなる方と判りました」

    黒髪娘「……」

    藤壺の君「……。姫……」

    黒髪娘「はい……」

81 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:02:54.89  ID:KmqRKDbT0
    藤壺の君「歌集の編纂ともなれば、
     多くの時を必要としましょう。
     短くとも一年。長ければ、それこそ十年が
     かかってもおかしくはありません。
     それだけにその名誉は計りがたいものがあります。
     私的な依頼とは言え、帝のご意向の選者。
     それは内裏……いえこの都一番の
     歌い手、技芸の理解者と目されると云うこと」

    黒髪娘「わたしのような浅学非才のものに勤まるとは……」

    藤壺の君「……姫。あの日の姫の瞳を覚えています」

    すっ

    黒髪娘「あっ……」

    藤壺の君「たしかに、この任は重いでしょう。
     姫が嫌悪されていた、内裏の政争の駒と
     なることもあるでしょう……。
     でも、本当の姫は“羽ばたいて”みたかったのでは
     ありませぬか? 中納言の二の姫との歌合わせを
     見て私はそう感じたのです」

    黒髪娘「……それは」

82 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:06:11.37  ID:KmqRKDbT0
    藤壺の君「……十分に考える時間や選択の自由を
     差し上げられれば良いのでしょうが、
     わたし達にそれはありません」

    黒髪娘「はい……」

    藤壺の君「おそらく宣下※は正式には出ないでしょう。
     今この場を持って、引き受けて頂けるでしょうか?」

    友女房(姫を最大限立てて下さっているけれど
     おそらく藤壺の上も
     この話に巻き込まれていらっしゃる……。
     この場を断っても、宣下を断ったことにはならない。
     だから、即座に右大臣家の取りつぶしにはならないけれど
     その場合は藤壺の上が帝のご意志に反したと……)

    黒髪娘「謹んでお受けいたします。
     精一杯勤めさせてご覧に入れましょう」

    友女房(……姫)

    藤壺の君「ありがとうございます。
     黒髪の姫。……藤壺はあなたに借りが出来ました。
     必要なものがあれば何なりと協力させて下さい」

    宣下※:天皇の命令書。出ちゃうと取り消せないので、
    かなり重大なのだ。

85 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:08:52.94  ID:KmqRKDbT0
    ――右大臣家、本宅

    右大臣「ははははっ! 今宵は宴だ!
     皆のものも食ってくれるが良い!
     飲んでくれるが良い!
     我が娘がとうとう選者としての仕事を仕留めたぞっ」

    下の兄「おめでとう。黒髪」
    上の兄「かっ。この勉強娘が。やりやがったな」

    黒髪娘「いえ、父上、兄上のお陰です……」

    右大臣「いやいや。お前は物心ついた時より
     書物一筋、学問一筋。他の姫がだんだんと色気づき
     文の一つも書いてみようか、衣の色でも合わせて
     みようかという年頃になっても、毎日毎日
     毎日毎日、来る日も来る日も
     ずぅぅぅ〜っと漢詩だ律令だ歌だと勉学ばかり。
     どこをどうやってこんなに色気のない子に
     なってしまったんだろうと、
     我ら一同涙にかきくれていたのだっ!」

    下の兄「父上、言い過ぎですよ」
    継母「おとど、おとど」

88 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:13:49.76  ID:KmqRKDbT0
    右大臣「いやいや。その暗黒青春時代をも
     我は祝っておるのだ。あの蚕のような籠城も
     この選者選出への伏線だと思えば納得というものよ!」

    友女房(大殿様は悪い方ではないんだけど、
     お酒が入るとお馬鹿になってしまうのですよね……)

    下の兄「でも良かったよ。黒髪。
     学芸の道で身を立てるのは、君の望みだったものね」

    上の兄「宮中の女なんぞ、雑魚ばかりよ。
     待ち技、はめ技、あげくに泣き落とし。
     俺の妹は正々堂々立ち技勝負だ。良いじゃねぇか!」

    下の兄「兄さん、また義姉さんに?」

     友女房「上の奥様は目元に涙を溜めて良妻を
      演じる達者でございますからねぇ……」(小声)

    上の兄「べっ、べつに俺はあんなの怖くねぇぜ?
     女は色々小手先の謀でめんどうくせぇって話だっ」

    右大臣「ははははっ! 何をしけた顔をしているのだ。
     今宵はめでたい宴の席ぞ! 帝のお声掛かりともなれば
     我が右大臣家の将来も約束されたがごときもの!
     さぁ、皆のもの、下々のものも杯を掲げよ!
     今宵の酒は祝いの酒じゃ!」


92 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:16:14.88  ID:KmqRKDbT0
    ――牛車の中

    (今宵の酒は祝いの酒じゃ!!)

    黒髪娘「……」
    友女房「……」

    (おめでとう、黒髪。やっとこれで仕事を得たね)

    黒髪娘「めでたき、事なのだろうな」
    友女房「……」

    (はん! 右大臣の秘蔵の娘だぜ? あったりまえだ)。

    黒髪娘「父上も義母上も、兄上達も喜んでいた」
    友女房「……ええ、さようでございますね」

    黒髪娘「これが……」
    友女房「……」

    黒髪娘「これがわたしの立っている場所なのだ。
     ……余りにも、綺羅めかしい華胥の夢を見て
     わたしは忘れていたのかな……」

    友女房「……姫様」

95 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:19:00.60  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「どうしたのだろう。
     こんなにめでたいのに。
     こんなにも嬉しいのに。
     学識を認められて、お飾りの尚侍ではなく
     わたしは本物のわたしになりたかったのに……。
     望んできた夢が目の前にあるというのに
     心の一部が引きちぎれそうになる」

    友女房「姫様……」

    黒髪娘「……私は意気地がない」
    友女房「……」

    黒髪娘「心弱い、駄目な人間だ……」
    友女房「……」

    黒髪娘「最初から判っていたはずではないかっ
     こちらとあちら。
     ――こちらとあちらなのだ。
     触れあえたとしても、交わらぬ。
     そんな事は、少し考えれば判りそうなものを……っ」

    友女房「姫様っ」

    黒髪娘「……すまぬ」
    友女房「……」

96 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:21:23.32  ID:KmqRKDbT0
    ふわり、なで。

    黒髪娘「友……」

    友女房「……姫の、為さりたいように。
     男様にお話しなさいませ……。正直に」

    黒髪娘「――友?」

    友女房「男様に、以前、お話ししました。
     “尚侍は、帝と東宮のモノ”だと。
     いまは縁遠くあれど、結局は、そうなのだと」

    黒髪娘「……」ぎゅっ

    友女房「でも、同時にこうも言ったのです。
     “このまま庭の片隅で咲いて、
     誰見ることなくひっそり朽ちる姿は見たくない”と」

    黒髪娘「え……」

    友女房「ええ。そうですとも。
     そもそも男殿の後押しがなければ藤壺の上の
     歌会に姫が出ることも無かったでしょう?
     そうすれば選者へという話もなかったのです。
     ですから全てを捨てて男殿へと身を託すというのも
     悪くはありません」

98 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:22:49.78  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「そんなっ! そんな事になればっ」
    友女房「はい」

    黒髪娘「私はともかく、父上も、兄上もっ」
    友女房「ええ」

    黒髪娘「宣下ではないとはいえ、帝のご意向に逆らえば
     父上も兄上も恥ずかしくて出仕など出来ない。
     お怒りが解けるまで何日でも何年でも謹慎せざるを得ない。
     藤壺の君だってご対面を潰されてしまう」

    友女房「ええ」

    黒髪娘「友だって」

    友女房「ええ」

    黒髪娘「判っているのか。そんなことはっ」

    友女房「ひめ、ひめ」きゅぅ
    黒髪娘「――っ」

    友女房「それが恋の淵です。私は姫が大人になられて
     嬉しくもあるのですよ……」

    黒髪娘「それでも、私は右大臣家のっ。
     くぅっ。
     ううっ……。ううっ……」

105 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 10:59:42.23  ID:KmqRKDbT0
    ――黒髪の四阿

    黒髪娘「男殿っ。来ていたのか?」

    男「お邪魔してるよ〜」

    カタカタカタカタ

    黒髪娘「……」

    友女房「では、わたくしは
     茶の準備などしてきましょう」 ぱたぱたっ

    男「……」
    黒髪娘「……」

    カタカタカタカタ

    男「……どした?」
    黒髪娘「う、うむ……」

    男「座らないのか?」
    黒髪娘「……男殿。そこへ、行っても良いか?」

106 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 11:02:33.31  ID:KmqRKDbT0
    男「ん? ああ」
    黒髪娘「……」ん、するり

    男「どうしたんだー? こんな所」
    黒髪娘「男殿の膝に抱えられたかったのだ」

    男「……そっか」
    黒髪娘「……」

    男「……」

    黒髪娘「男殿の世界でも、恋する二人は膝に抱えあい
     睦言をかわしたりするのか……?」

    男「ああ、するな」

    黒髪娘「……」

    男「どうした? 泣きそうな顔で。黒髪」

    黒髪娘「だって男殿の膝が余りにも……優しい。
     卑怯だ。こんなもの」

107 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 11:07:11.93  ID:KmqRKDbT0
    男「なにいってんだ」
    黒髪娘「卑怯だぞ」 ぐすっ

    男「……ったく」 くしゃくしゃ
    黒髪娘「男殿……?」

    男「どした?」

    黒髪娘「男殿は、すこしは……。
     わたしに好意を抱いてくれていると、自惚れていたのだ。
     子供だといわれても、私がこのように不器量でも。
     それでも、男殿は……。
     私に少しくらいは、好意を持っていてくれると……」

    男「……」

    黒髪娘「私は、間違っていたか?」
    男「……」

    黒髪娘「……」じぃっ

    男「間違って、無いよ」

109 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 11:08:26.00  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「私は、男殿が好きだ。
     ……生まれて初めて好きになった殿御だ。
     羽衣のように浮き立ち胸躍るような思いも
     哀れなくらい狼狽えてみっとうもない思いもした」

    男「……」

    黒髪娘「初めて……恋の歌の意味が、判りもした」

    男「……」

    黒髪娘「――あふまでとせめて命のをしければ
         恋こそ人の命なりけれ」

    男「……」

    黒髪娘「私を……男殿のものにしてくれぬか?」

    男「やだ」

    黒髪娘「……っ」

112 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 11:16:07.75  ID:KmqRKDbT0
    男「まぁ、おおよその事情は、判ってる」
    黒髪娘「え?」

    男「伊達に饅頭ばらまいてたわけじゃないし。
     宮中の噂は、女房や雑色の方が詳しいよ。
     貴族がクライアントやサーバだとしても
     情報伝達には使用人を使わざるを得ないのが
     この世界のネットなんだしさ」

    黒髪娘「ならば、なんでっ」

    男「でもやだ」

    黒髪娘「何故っ」

    男「そういう自棄っぽいのには付き合えません」

    黒髪娘「……」 きっ

    男「そんなところに追いつけるために
     爺ちゃんは黒髪を生徒にした訳じゃない。
     俺だって黒髪と一緒に過ごした訳じゃない」

    黒髪娘「でも、それでもわたしは……」

    男「そもそも黒髪の望みだったろ?」

115 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 11:18:31.61  ID:KmqRKDbT0
    男「違うのか?」
    黒髪娘「……それは……そうだ」

    男「だったら何で立ち止まる」

    黒髪娘「立ち止まりたい訳じゃない。
     でも私は意気地が無くて、幼くて。
     あまりにも……愚かだったから。
     だから、気が付かなくて。
     気が付かないで好きになって。
     どうしようもないほど好きになって。
     だから、だから……。
     一度くらいは」

    男(やっぱなぁ……。“一度”くらい、ね。
     そういう魂胆かぁ……。まったくさっ)

    黒髪娘「お願いだ」 ふかぶか

    男「土下座されたってやだね」

    黒髪娘「――っ」

    男「選者になるんだろう?
     歌会の時にも云ったけれどもっかい云う。
     ……やっつけちまえ。
     爺さんに見せつけろ。あと宮中にも。
     いつまでも他人の影に隠れた
     負け犬顔の黒髪は見たくない」

146 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 14:10:25.89  ID:KmqRKDbT0
    ――祖父の実家、納戸

    がたがたがたっ。がぽんっ!

    男「っと……」

    かたん

    男「はぁ……」

    男(なんだろうな。上手くは行かないや……。
     他人のことは、云えねぇし。
     黒髪のことを馬鹿にするほど、俺大人じゃねぇじゃんな)

    (だから、だから……。一度くらいは)

    男「一度で満足できるくらいなら童貞やってねぇっての」

    (私に少しくらいは、好意を持っていてくれると……)

    男「いまさら、何言ってるんだよ。あの馬鹿」

    ガラガラッ

    姉「あっ」
    男「いたのか!? 姉ちゃんっ」

147 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 14:21:57.58  ID:KmqRKDbT0
    ――黒髪の四阿

    黒髪娘「……」 ずぅん

    かたり。しずしず……

    友女房「あら、姫。……男殿は?」

    黒髪娘「帰ってしまった」
    友女房「……え?」

    黒髪娘「どうやら、わたしはふられてしまったらしい」

    友女房「え?」

    黒髪娘「……あは。何度も言わせるな」

    友女房「……」

    黒髪娘「……」 ずぅん
    友女房「姫……」

150 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 14:40:21.83  ID:KmqRKDbT0
    ――藤壺、編纂のための借り部屋

    藤壺の君「どうですか? 編纂は」
    友女房「はぁ」

    藤壺の君「姫は?」
    友女房「あちらで死んでおります」

    藤壺の君「……あら」
    友女房「申し訳ありません」 ぺこぺこ

    藤壺の君「いえ。……やはり、何かお加減が
     優れなくなるようなことがあったのですね」

    友女房「はい……」
    藤壺の君「何があったのですか?」

    友女房「それは私の口からは」 きっぱり
    藤壺の君「そうですか。そうですよね……」

    友女房「どうしましょう。時間がないわけではないけれど」

    藤壺の君「はぁ……事が事ですので……。
     時間をかければ癒えるかと申しますと
     癒えるとも思えるのですが、
     癒えて良いかと云えば姫付きの女房としても……。
     本当に申し訳ありません……」

152 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 14:44:03.24  ID:KmqRKDbT0
    ――藤壺、初夏

    黒髪娘「これは……後撰和歌集。分類を……
     こちらの束は……」 のろのろ

    黒髪娘「……東歌、か。これはどうしよう。
     ……まずは、作者ごとに分けて……あっ」

    ばさばさばさっ

    黒髪娘「……くっ」

    黒髪娘「……ダメだな。……わたしは」

    ばさり。ばさばさっ……。

    黒髪娘「春歌、夏歌……
     秋歌……冬歌……。この書き付けは……」 のろのろ

    黒髪娘「――思ひやる心ばかりはさはらじを
         なにへだつらむ峰の白雲  ……か」

    からり。

    二の姫「真実ではないからですわ」

155 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 14:55:42.02  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「これは、二の姫っ」

    二の姫「ご無沙汰しています。黒髪の姫。
     吉野からお戻りと聞きお会いしたかったのですが」

    黒髪娘「いえ。こちらこそ……申し訳ない。
     私撰歌集とはいえ、このような仕儀となり
     すっかり多忙に紛れ、文を差し上げることもしなかった
     わたしをゆるしてくれ」

    二の姫「いえ。そのようなこと」すっ
    黒髪娘「……?」

    二の姫「すっかりおやつれになって」
    黒髪娘「……そのような」

    二の姫「“たとえ身を隔てられていても、
     恋い慕う心は妨げられずに通い合えばよいものを。
     なぜ峰の白雲はそれさえ遮るのか――”」

    黒髪娘「ええ。後撰和歌集です」

    二の姫「真実ではないからですわ」
    黒髪娘「え?」

    二の姫「真実であれば、雲や霞ごときに
     阻まれるはずはありません。
     貫き、たどり着くものが真実であるはずですもの」

157 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 14:59:52.77  ID:KmqRKDbT0
    二の姫「お加減がよろしくないと聞きました」
    黒髪娘「恥ずかしく思う」

    二の姫「撰者が重荷ですか?」
    黒髪娘「……」 ふるふる

    二の姫「恋――ですか?」
    黒髪娘「……」

    二の姫「撰者ともなれば宮中でも扱いも
     今までとは格段に違いましょうね」

    黒髪娘「この一月で、歌会の誘いが七件もあった」
    二の姫「ええ。そうもなりましょう」

    黒髪娘「……」

    二の姫「帝の寵あつく、歌集の編纂を上首尾に
     終えれば尚侍所へ末永く君臨も出来ましょうが」

    黒髪娘「それを望んだことは、無かったのだ」

    二の姫「そうなのですか?」

    黒髪娘「そう望んでいたと、勘違いをしていた。
     わたしは、ただ見て欲しかっただけだ。
     だれかに、必要だと。そう言われたかっただけなのだろう」

159 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 15:01:03.37  ID:KmqRKDbT0
    二の姫「撰者がおいやなのですか?」

    黒髪娘「それは違う。……勉学は好きだ。
     和歌、漢詩、明法、明経、本草、天文、算法。
     それらは暗闇の灯火のようにわたしを照らしてくれる。
     心細き孤独を暖めてくれた、またとない導き手だった。
     たとえ、何がどのようにわたしから失われようと
     わたしから彼らを嫌うなんて無いだろう」

    二の姫「……」

    黒髪娘「だから、それらを愛するわたしを
     そのままに受け入れて欲しかった。
     女子の身ではどのように勉学に打ち込んでも
     報われることのないこの世を恨んだ。
     四阿に引きこもり孤独に浸ったこともあった。
     全てが憎くて、羨ましかった。
     わたしはこんなにも学んでいるのに、と思うと
     男として官位を持つ兄さえもが妬ましかった」

    二の姫「……」

    黒髪娘「振り向いて欲しかった。
     世界に振り向いて欲しかった。
     それを希い、春の陽を、秋の月を学び過ごした」

162 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 15:04:20.68  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「誰よりも筆写をした。
     苦にはならなかったな……。
     わたしには他に何もなかったから。
     他の娘が恋をして、涙に暮れていることを
     笑って欲しい。
     わたしは馬鹿にさえしていたのだ。
     愚かなことだと。
     誰よりも知を蓄えた。重ねた書は百を超えた。
     百巻の律令を覚え、天文算術を治めたわたしは
     自分を賢いと思っていた。俗世を降らぬと侮っていた。
     でも、誰よりも愚かだったのは、わたしだったのだ」

    二の姫「……」

    黒髪娘「世界に振り向いて欲しい、
     誰かに振り向いて欲しいと云うことと
     “あの方”に振り向いて欲しいということは
     まったく別のこと。
     ……そのようなことさえも判らなかったの」

    二の姫「……恋しい方がいるのですね」
    黒髪娘 こくん

    二の姫「童女のように頷かれる」
    黒髪娘「わたしは子供なのだそうだ。15にもなって」

    二の姫「仕方有りません。恋、ですから」
    黒髪娘「……」

163 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 15:07:15.34  ID:KmqRKDbT0
    二の姫「思いを告げ為さりませ」
    黒髪娘「ふられてしまった」

    二の姫「そう、なのですか?」

    黒髪娘「わたしが愚かだったから。
     見透かされてしまったのだ。
     わたしを哀れに思ってくれるその優しき心にすがって
     ねだり、せがんだことを」

    二の姫「……」

    黒髪娘「なんと浅ましい娘だと軽蔑されただろう。
     以来、あの方はこちらを向いてはくれない」

    二の姫「いいえ」 ふるふる
    黒髪娘「え?」

    二の姫「真実ではないからです」
    黒髪娘「……そんなこと」

    二の姫「そうなのです。
     真実ではないから、通じないのです。
     それは恋ですから、上手く行かないこともあるでしょう。
     でも、ねだる? 浅ましい? 見透かされる?
     伝わらなかったのは、黒髪の姫が
     黒髪の姫の真実を貫けなかったからではありませんか?」

165 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 15:09:42.82  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「真実を……」

    二の姫「時に。――これらは?」

    黒髪娘「ああ。歌集編纂の下準備だ。
     手に入る限りの歌集と歌をあつめ、よりわけ
     春夏秋冬の四季と、離別、旅歌、東歌などのに
     分類している。長く、根気の要る作業だ」

    二の姫「お一人で?」

    黒髪娘「うむ。幸いわたしが今まで筆写した
     歌集は多い。藤壺の君も協力して下さる。
     うちは右大臣家だから、所蔵してある書物の数も
     相当なものになる。とは言え、集めなければならぬ
     資料もまだまだあるのだが……」

    二の姫「ではどのような歌集にするおつもりですか?」

    黒髪娘「それはやはり、格式を備え、
     今の御代に編纂する意義を満たしつつも、
     後世に残す価値のある歌を撰ばねば」

    二の姫「やめませんか?」

    黒髪娘「やめ……る?」

169 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 15:17:11.98  ID:KmqRKDbT0
    二の姫「歌を、贈りましょう」
    黒髪娘「歌を……」

    二の姫「帝が直接宣下を発する勅撰和歌集の撰者に
     女性が撰ばれたことはありません。
     しかし今回の歌集が、宣下ではなく私的なお声がけで、
     藤壺様の名の下に編纂されるとしても、
     わたしはやはり勅撰であると思うのです。
     ――余人の誰がそう思おうと、
     わたしは一人の歌を愛する女として
     女性が編纂する歌集を誇りに思います。
     我が友がらの。
     そう呼ぶことを許して頂ければ、黒髪の姫。
     あなたの編む歌集を誇りに思うのです」

    黒髪娘「……友人、と」

    二の姫「ですから」にこり
    黒髪娘「……」

    二の姫「恋の歌を詠みましょう。
     百の、いいえ。――千の歌を。
     四季の歌など、他の誰かに任せれば良いではありませんか。
     姫は、歌を贈ったのですか?
     ――その殿方に。
     ふられたなど嘆くのは、
     殿方のお気持ちに、姫の真実が届いくまで、
     千の歌を歌集にしてからでも遅くはありますまい」

196 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 17:41:44.85  ID:KmqRKDbT0
    ――左京、野寺小路、右大臣下屋敷

    男「こんばんわー」
    下の兄「おや」

    男「や、こんばんはっす」
    下の兄「こんな時間に珍しい」

    男「やはり、色々気になりますからね」
    下の兄「あがりませんか? 今日は鮎が届いていますよ」

    男「鮎ですか?」
    下の兄「ええ。鮎です。召上がったことはありますか?
     香りの良い川魚です」

    男「食べたことはありますが、ご馳走ですね」
    下の兄「一緒に食べましょう。酒もありますし」

    男「ではご馳走になります」
    下の兄「誰か! 誰かある。酒肴の準備をいたせ」

    下級女房「はい、ただいま」

197 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 17:42:45.75  ID:KmqRKDbT0
    男「世話になりますね」

    下の兄「いやいや。道士さまのご機嫌伺いをするのも
     我が右大臣家のこれからのため。
     お気になさることはありませんよ」

    男「下兄さんは、顔に似合わず黒いですよね」

    下の兄「そんな事はありません。
     そもそもこの都とて唐から渡った四神相応で選ばれた場所。
     焼き物も、紙も、詩も先達の技を受け継ぎ
     作ったものですよ。
     道士と云えば、それら技術の優れたる後継者。
     客人として招き遇するは、名家の処世術です」

    男「じゃ歓待ついでにもう一つ。
     俺のことは男と呼んで下さいよ」

    下の兄「では、男さん」
    男「その方が有り難いですね」

    かたかた、しずしず。

    下の兄「鮎が来ましたね」
    男「ああ、上手そうな匂いだ」

    下の兄「初夏の月を見ながらと行きましょう」
    男「それはいいや」

198 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 17:46:55.90  ID:KmqRKDbT0
    男「ああ、これは美味い」
    下の兄「いかがです?」

    男「最高ですね」
    下の兄「それは良かった」

    男「……頼んでおいた銅鍋、どうです?」
    下の兄「あがっておりますよ。ずいぶん大きいですね」

    男「有り難いです」
    下の兄「あの鍋をどう使うのです?」

    男「米ではなく、麦から飴を作ろうかと思います」
    下の兄「麦から? 米でなくとも水飴を作れるのですか?」

    男「ええ、出来ますよ。麦の方が甘みの強い上質なものが
     作れると思います。反応精度の問題なんですけどね。
     ――いま程度の水飴だと甘味としてはちょっと
     不便ですからね」

    下の兄「水飴ですか。面白いですね」

    男「この館の皆さんにも手伝ってもらう予定ですから。
     作り方が確立したらその方法は右大臣家の財産と
     すると良いかと思いますよ」

    下の兄「良いんですか?」

200 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 17:48:30.34  ID:KmqRKDbT0
    男「良いも悪いも。モノの作り方なんて
     秘していたところでいずれ漏れてゆくモノでしょう」

    下の兄「しかしそれは……。秘法、秘術に類するモノです」

    男「前にも云いましたが、故あって右大臣家に
     肩入れをするって決めてますからね」

    下の兄「それは有り難いです。
     吉野の山で修験されていた男さんを
     引き合わせてくれたのは、やはり妹ですか?」

    男「……」

    下の兄「あれはわたし達の中ではもっとも聡明ですから。
     そういう意味で男さんの見立てに叶ったのですね」

    男「どうでしょう。……そもそも俺は
     道士を語って這いますけれど、違うかもしれませんよ?」

    下の兄「え?」

    男「狐狸や妖怪の類かも知れない」

    下の兄「ふむ……」

202 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 17:50:55.87  ID:KmqRKDbT0
    男「あはははっ」

    下の兄「しかし、時にそのように思えることもあります。
     唐渡りの道士というよりも、ふだらく、須弥山のような
     なにか人界を越えた何かを感じます」

    男「ないっすよ、そんなの」
    下の兄「そうですか?」

    男「狐狸かも知れないけれど、やっぱり人間ですよ」
    下の兄「……」

    男「依怙贔屓しますしね」
    下の兄「……」

    男「右大臣家ならば、桐壺のちょっかいからも
     一人娘を守りきれるでしょう?
     これは、そのための道具貸しだと思って貰えれば」

    下の兄「肩入れだと考えておきます」

    男「はい。……我ながら面倒くさいヤツだとは
     思うんですけど」

    下の兄「道士でもままなりませんか?」

    男「全然ですね。面倒くさいばかりですよ。
     というか、諦めないって云うのは
     どうあれ茨の道って気がしてます」

203 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 17:54:37.44  ID:KmqRKDbT0
    ――藤壺、編纂のための借り部屋

    二の姫「――道の辺の草深百合の花
         咲みに咲まししからに妻といふべしや」

    黒髪娘「万葉七、作者未詳っ」
    二の姫「はいっ」

    友女房「墨すりあがりましたっ」

    ばたばたっ

    黒髪娘「――竹の葉に霰ふる夜はさらさらに
         独りはぬべき心地こそせぬ」

    二の姫「ちょっと良いですね。霰(あられ)が
     竹の葉に当たるサラサラという音と
     “更(さら)に”がかけてあるんですね。
     一人では寝られない、なんてちょっと艶めかしい」

    黒髪娘「そうであるな。和泉式部だが……。
     一人では寝られない、というのは感慨深い」

    二の姫「ふふっ。一人では寝られないなんて気持ち
     一人“以外”で寝琉気持ちを識らなければ
     詠めない詩ですからね」

    黒髪娘「むぅ」

    二の姫「姫はどこでお知りになったのですか?」くすくすっ

208 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 18:16:29.25  ID:KmqRKDbT0
    黒髪娘「二の姫は最近わたしを虐める」 どーん

    二の姫「そんな事はありません。黒髪の姫のことは
     親友だと思っていますから」

    黒髪娘「大人っぽいからと云ってひどいな」
    二の姫「あら。まだ13ですから。わたしの方が年下です」

    黒髪娘「え?」
    二の姫「年下ですよ?」

    黒髪娘「と、友よ……。
     わたしはやはり愚かだった……。
     書物の産みに溺れて人として重要なことを
     何一つ学んではいなかった……」

    友女房「姫、お気を確かにっ」 おろおろっ

    しずしず。

    藤壺の君「いかがですか? 黒髪の姫。二の姫。
     あら……これは……」

    黒髪娘「ああ。藤壺の君」

    二の姫「これは藤壺さま。
     このようなはしたない姿で、申し訳ありません」

212 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 18:21:00.05  ID:KmqRKDbT0
    藤壺の君「ふふふっ。もう、姫達。
     墨がついて、お転婆娘のようですよ」

    友女房「済みません。わたしがついていながら」しゅん

    藤壺の君「良いのですよ。姫が元気を出して下さって
     わたしもほっとしました」

    黒髪娘「藤壺の君……」
    二の姫「……」

    藤壺の君「元はと云えば、わたしが歌会に
     無理にお招きしたがために持ち上がった撰者の仕事。
     姫には……想いを寄せる殿方もいたとの話。
     尚侍として本格的に出仕をしなければならぬとなれば
     縁も遠くなってしまいましょう……。
     わたしを恨めしく思われるのも仕方ないと
     諦めていたのです……」

    黒髪娘「そんな。藤壺の君は、四阿に引きこもり
     俗世をたっていたわたしにも何くれと無く
     気遣って下さった恩人だ。
     感謝こそすれ、恨みに思うなどと」

    二の姫「そこは恨んでも良いところです」
    黒髪娘「二の姫っ!?」

    藤壺の君「くすくすっ」

214 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 18:25:23.24  ID:KmqRKDbT0
    二の娘「そもそも恋の歌の恨み言など
     八割方は八つ当たりではないですか。
     境遇や相手の心変わりを恨むだけならまだしも
     神仏や天気や風や雪まで逆恨みする始末。
     挙げ句の果てには“月が綺麗で恨めしい”とか。
     そこまで取り乱すのが恋の歌です。
     撰者として、歌集に取り上げる
     恋の歌を撰ぶに当たって、
     それくらいの恋心は理解すべきでしょう。
     ね? 藤壺様」

    藤壺の君「そうですねぇ……。
     つらい恋をしていれば神仏にすがり、
     恨みを抱いてしまうこともあるやも知れませんね」

    黒髪娘「そうはいうが……」

    二の姫「もう、秋の声が聞こえます。
     時もずいぶんおきましたが……黒髪の姫?」

    黒髪娘「ん?」

    二の姫「あちらの方はどうなっているのですか?」

    黒髪娘「……相変わらずだ。
     同じ庵にいるし話しかければ雑談は出来るのだが。
     どこかぎくしゃくしてしまって……。
     やはり、嫌われてしまったのかも知れない」

222 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 18:32:26.21  ID:KmqRKDbT0
    藤壺の君「……どのような方なのですか?
     官位はいかがなのでしょう?
     忍んでいらっしゃるのですか?※」

    黒髪娘「いや。官位はない」

    二の姫「まさか!? 無冠なのですか!」

    友女房「いえ、そのぅ……。男殿は何と言いますか」

    黒髪娘「無冠と云えば、無冠なのだろうな。
     でも、それは云っても仕方ない。
     そもそも宮中に治まるような人ではないのだ」

    藤壺の君「どういう事なのです?」

    黒髪娘「うぅん。説明が難しいが……。
     ――狐狸か、神仙の類だな」

    二の姫「それは……」

    黒髪娘「冗談や韜晦ではないぞ」

    ※当時の恋愛は基本は家デートだった。男性は女性の
    家へやってきて、女性の部屋で逢い引きした。
    希に牛車デートやお出かけもあった模様。

224 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2010/01/24(日) 18:39:12.59  ID:KmqRKDbT0
    藤壺の君「……」

    黒髪娘「いや信じられぬのも仕方がないし
     信じて頂けなくとも、無理もない」

    二の姫「わたしは信じます」
    黒髪娘「信じて、くれるのか?」 ぱぁっ

    二の姫「ええ。あれだけ表に出なかった黒髪の姫の
     頑なだった性格を花咲かせるように
     綻びさせてくださったのですから。
     それは神仙のような殿方だと思います」

    友女房「それは二の姫と云え、余りに失礼なっ」

    黒髪娘「は、は……花開く、というか……。
     その……触れたら、花開いてしまった。と云うか……」かぁっ

    二の姫「黒髪の姫自身は照れ照れですわ」
    友女房「あぅ。姫ぇ」

    藤壺の君「そのような深い思いを抱いていらっしゃるなんて」

    二の姫「心を決めたのならば
     向き合ってみればいいのです。
     真実の想いが伝わらないなんてあり得ません。
     伝わった後のことは、
     それこそ神仏しかご存じありませんけれど……」



黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」【パート6】へつづく




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