「嫌われる」ことは人間関係の最適化である

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2012/12/22


もっとみんな嫌われようよ、というメッセージを発信していきたいと考えています。


嫌われることで居心地がよくなる

「嫌われたくない」と願っている人は世の中の大勢だと思いますが、僕はむしろここ最近、嫌われることを恐れないばかりか、意図的に嫌われようとすら考えています。


僕は大きなビジネスをやろうと考えていません。毎年300〜400万円も稼げれば、ひとまず生きていけます(共働きなので)。

このくらいのビジネス規模なら、お金のために自分を偽り、付き合いたくもない相手と飲みにいったり、嫌いな人と仕事をしたり、お追従を並べ立てたてたりする必要性はないんですよね。会社員時代は売上のために不本意な人間関係を強制されていたことを思い出します(もちろんすばらしい出会いもたくさんありましたが…)。


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photo credit: daynoir via photopin cc


嫌われるということは、「素の自分」と合わない人が自然と自分の周りから立ち去っていくということでもあります。イメージ的には2つの磁石の同極を近づけると、はね返っていくような感じです。

全人類と付き合うことは不可能ですから、少しぐらいそういうバリアを張っていてもいいと思うんですよね。「相手が勝手に嫌ってくれている」という状態は、ある意味幸せだと思います。


ただ、いくら嫌われるといっても、相手から実害を与えられるほどの嫌われ方はされないほうがいいでしょう。「あいつ、なんか発言とか雰囲気とかが苦手なんだよね」という、ほのかな嫌われ方にとどめておくべきです。この程度なら、実害を与えられることは滅多にないでしょう。せいぜい僕のように、ツイッター上で名誉毀損されるぐらいです。


積極的に嫌われるといっても、やることはシンプルで、「嫌われることを恐れず、素直な自分を表現する」ことに尽きます。もっとわかりやすくいえば、空気を読むのをやめましょう、ということです。

例えば世の中についておかしいと思うことがあれば、「イタい奴」「意識高い系」「無知なやつ」だと思われようが、「これはおかしい」と発言すべきです。嫌われることを恐れて自分を曲げるのをやめたとき、はじめて自分の周りの人間関係は最適化されていきます。

ただ、素直に自分を出すといっても、個人攻撃はやめましょう。復讐するのは特定の個人ではなく、社会一般であるべきです。部長に文句があるのなら、部長当人ではなく、そんな部長の存在を許容する会社の仕組み、または自分自身に怒りをぶつけましょう。個人攻撃を繰り返していくと、かえって劣悪な人間関係が形成されていってしまいます。それはナイフを常にちらつかせるような生き方だからです。


「嫌われ者の作法」については新書でまとめたいぐらい色々書けそうですが、とりあえずブログなのでこんなところで。また思い付いたときに続きを書きます。

嫌われることを恐れるあまり、自分を偽るような生き方をしてしまう人が、減っていけばいいと思うんですよね。会社に勤めていたりすると難しいのは百も承知なんですが(僕もそんな生き方をしていましたし)。「嫌われたくない病」は日本の社会的な課題だとすら思います。


関連本。目から鱗をぼろぼろと落としてくれるすばらしい一冊です。この境地にまでたどり着きたい。