温室育ちの草食系男子よ、さらば
最近は、元気のない若者男子の代名詞として「草食系」と言われるようだが、団塊世代の私からすると、彼らはハングリー精神のない「温室育ち」に見える。なにしろ私たちの世代は、小さい頃から進学、就職などあらゆることで競争社会だった。とにかく勉強していい学校に行き、いい会社に入り必死に働いて、いい暮らしをしたい、親孝行をしたいという思いが強くあった。伊藤忠に入社したときの同期は、総合職354人、事務職が632人と約1000人もおり、ものすごく活気があり、ハングリー精神もあった。先輩たちの気持ちも高揚していたし、横のつながりも強かった。
ところが、社会が豊かになるにつれてハングリー精神が奪われていき、いい意味での上昇志向も低下してきた。特に約20年前から、詰め込み教育や受験競争がよくないというので始まったゆとり教育が、競争社会を生き抜こうという強い気持ちを養う機会を減らしてしまった。グローバル化が進展する中で、受験熱の高い韓国や教育に熱心な中国に後れをとる結果にもなってしまった。
こうした環境が草食系男子を生む1つの要因だろうが、かつて「男は仕事、女は家事育児」と言われ、古くは男は外に行って狩をし食料を採ってくる。外敵から家族を守るという役割を務めた。女性は、出産をして子育てをするという役割を担った。今は、仕事を休んで育児をする「イクメン」と呼ばれる男たちも登場してきたようだが、愛情があって育児を助けたいという気持ちはわからないではない。仕事も育児も大変な労力が必要で、役割分担としてどちらかが主に家庭を守るのは仕方がないという気がする。生活を安定させるために仕事で稼ぐには、サラリーマンであれば、会社で評価されないと子供の教育もままならず、家族も幸せにはなれないだろう。今の時代、女性も総合職としてばりばり働く時代だから、男女の立場が逆になってもかまわないと思う。お互いが、補い合えばいい。
ただ、人それぞれに適性があるように、女性と男性という性差による役割、つまりそれぞれの適応性はあるはずだ。今はその境目がなく曖昧になっているけれども、その本質的なところはよく考えないといけない。
商社においても男性、女性に適した仕事がある。かつては荒くれ仕事の男が多かったが、若い人には繊細さが出てきて、昔では気づかなかったことに今の男性社員はわかるというよい点も出てきたとはいえ、男性向きの仕事というのはある。女性社員にも、例えばマーケティングでは、お客さんの心理を読み、どういう商品が受け入れられやすいかといった分析など、向いている面もある。
さらに男性の場合は、お客さんから何か頼まれると、ちょっと危ない話でも「まあ、いいか」とえてして引き受けてしまうところもあるが、女性は「ダメです」ときちっと断り、いわゆるコンプライアンスを守る。人によって多少の幅はあるだろうが、前述したように男性、女性による向き不向きはあるのだから、とりあえず男も女も一緒に扱わなければならないと、ただ機械的に仕事をふり分けてしまうのはいかがなものかと思う。男女という性別による適性に、会社も対応していかないといけないだろう。
「弁当男子」なる言葉も生まれているようだが、私から見れば男性が弁当を自分で作って持ってくるというのは、ちょっと変わった趣味の1つという感じがする。奥さんが弁当を作ってくれるというのは羨ましいという思いもあるが、私は弁当を持っていくよりも先輩や後輩たちと一緒に昼食を食べるのが好きだった。当時の大阪本社の社員食堂は美味しくなかったこともあるが、会社では食べずに外の食堂へみんなと出かけ、その後で喫茶店へ行ったりした。そこで、会社ではできない話をし、情報交換をしたりして親睦を深めた。これはお客さんとも同じで、共に飲み食いすることでものすごく親近感が増し、いずれ仕事にもつながっていくのではないか。
岡藤正広
1949年生まれ。74年、伊藤忠商事入社。2010年、現職。