特集ワイド:「分断」という被害 「原発いらない! 3・11福島県民大集会」一緒に歩き聞いた
毎日新聞 2012年03月14日 東京夕刊
午後3時過ぎ。デモ行進に移ると、あちこちから「原発なくせ」とのシュプレヒコールが上がる。警察官が多い。集会パンフレットには「これだけの規模のデモは福島では前例がありません」とあるから、警備する側も緊張しているのだろう。
「放射能汚染を避け、近所でも県外に引っ越す人が数家族いました」と大沢さんは続けた。「ただ、出ていく人に私たちが出ていくなとは言えない。出ていく人も、私たちに一緒に出ていこうとも言わない。そこで気持ちが分断されるより、一緒に考えていければいい」。穏やかな表情でそう語った。
だが、現実の「分断」はいや応なく起きている。小4の長女と一緒に会場に来ていた郡山市の看護師(42)は「娘のクラス28人のうち4人が転校しました」。小3の長女といた同市の主婦(47)は「学期が終わるごとに1人、2人と転校していくのです」と力なく語った。
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「分断」という言葉、実は集会宣言にもある。<耐え難いのは、住民同士の間で生まれているさまざまな分断と対立です……>と。
どういう意味なのか。この文案づくりに関わった清水さんに聞いた。
京都大で経済を学んだ清水さんは1980年、福島大助教授に就任。80年代から福島第2原発設置許可の取り消しを求める訴訟に関わった。専門の地方財政論を中心に、脱原発の立場から、いわゆる電源3法の背景や仕組みを論じてきた。「原発をどこに造るか、本来は、必要ならばきちんと議論して決めるべきことを、お金で受け入れてもらうという発想でやってきた。その仕組みが、今回の事故で破綻したのです」
これまで旧ソ連のチェルノブイリ原発事故などの現場を視察し、原発に関する著書もあるが、自ら経験する放射能被害は、健康影響にとどまらないと確信したという。