2011年05月27日
40年来の盛んな脱原発運動にも関わらず、国として脱原発を選ぶことがなかったスイス。「原子力も、再生可能エネルギーも」という曖昧なエネルギー政策は、「フクシマ」により覆された。5月25日、スイス内閣は2034年頃の脱原発を決定。その実現には、原発の新設禁止を立法化した上で、再生可能電力の全量買取制度の改良と、節電税の導入が不可欠だと言われている。
■内閣が2034年頃の脱原発を決定
「内閣は脱原発を決定し、今後新設はしない」。中道のキリスト教民主党のエネルギー大臣ドリス・ロイトハルド氏は5月25日、そう発表した。設備の寿命を50年とすると、2034年には全ての原発が廃炉になる予定だ。その際にCO2排出量の削減目標は変えないことも強調した。決断の理由としては、原発事故のリスクを避けたいという国民の意思と、長期的には原子力の発電コストが再生可能エネルギーよりも割高になり競争力を失うことを挙げている。
対策の中心となるのは、省エネと再生可能エネルギー増産の大幅な促進、送電網のリニューアルなどだ。過渡期には必要に応じて、分散型コージェネを優先しながらガス発電も利用する。脱原発に必要なインフラへの投資にかかる追加コストは、国内総生産の0.4~0.7%程度と概算されている。
6月の国会では、この閣議決定についての審議が行なわれるほか、脱原発に関わる多くの政策案が決議される。各党が提案する脱原発の時期は2025から2050年と異なるものの、政策ツールは似通っている。中でも党派を越えて最も重要なツールだとされているのが、再生可能電力の増産のために現行の再生可能電力の全量買取制度を改良すること、そして省エネルギーの促進のために新たに節電税を導入することである。
■節電する家庭ほど得する税
後者の節電税とは、課税により電気代を上げることで節電へのモチベーションを促し、税収は家庭と企業に還付する制度。エネルギー庁も電気機器の規制強化と並んで、最も効果的な対策と位置づけている。電力消費量に関わらず還付額は一定なので、節電する家庭や企業ほど得をする。
エネルギー問題に詳しい環境団体スイスエネルギー財団のサビーネ・フォン・シュトッカーさんはこう語る。
「節電税を実際の節電に結び付けるには、電気代を1.5〜2.5倍にする税額が必要です。もちろん経済へのショックを和らげるための段階的な導入や大型消費者への特別措置も必要です。」
この節電税を1999年より導入しているのがバーゼル・シュタット州だ。kWhあたりの課税額は3〜6ラッペン(約2.8〜5.6円)と控えめ。住民には1人頭年75フラン(約7千円)が還付される。同州では国の平均以上の経済成長があるにも関わらず、過去9年間の電力消費量の変化は、ほぼプラマイゼロに留まる。
■新設禁止で、原発というオプションを絶つ
こうした脱原発政策への初めの一歩として、2012年から原発の新設を禁止する法案を中道派議員が発議しており、6月の国会で採択される可能性は高い。90年代のようなモラトリアムではなく、新設禁止が立法化されれば、原発更新を望み続けてきた大手電力会社たちも、迷いなく代替手段に本腰を入れられるようになる。
発電設備の更新に残された時間が少ない今、スイスの議会には、原発利用についての明確な決断と効果ある施策の選択が迫られている。
■盛んな脱原発運動は70年代から
そもそも直接民主制のスイスは脱原発運動が盛んだった。
九州ほどの大きさの国土に787万人が暮らし、その最終エネルギー消費量に占める再生可能エネルギーの割合は18.9%(2009)。電力生産については、56.5%が水力、38.1%が原子力、5.4%がその他の再生可能エネルギーや火力となっている。エネルギー・気候政策の目標は、2020年までにCO2排出量を国内で−20%減らすこと。そして、最終エネルギー消費量に占める再生可能エネルギーの割合を24%に増やすことだ。
70年代の石油ショックの頃より、スイスでは省エネと再生可能エネルギーの促進、緑の税制改革、脱原発といった持続可能なエネルギー政策を求める国民的な議論や運動が盛んになった。1975年には、一万五千人の住民がバーゼル近郊のカイザーアウグスト原発建設予定地を11週間に渡り占拠。内閣と交渉した末にプロジェクトを事実上凍結させた。この運動によりバーゼル・シュタット州では、原子力利用を禁止する法律が施行される。そして今日、人口20万人の同州は100%再生可能エネルギーによる電力供給を行っている。
スイスの国全体でのエネルギー政策の最初の転換は、1986年のチェルノブイリ原発事故によりもたらされた。この事故をきっかけとして1990年に行なわれた国民投票では、原子力発電所を10年間建設しないモラトリアムを求める国民案が賛成票54.5%で可決された経緯もある。
■90年代の原発モラトリアム
この投票結果を受けて、スイスは10年ごとにエネルギー政策における数値目標を立て、そこから立ち返った行動計画を実施するようになる。これにより、最もエネルギー消費の大きな熱分野(暖房・給湯等)からのCO2排出量は、建設面積の増加にも関わらず、90年度比で−12.7%減っている。これは建物への規制強化や灯油へのCO2税、そして魅力的な助成制度を継続してきた成果である。
しかし電力分野については、原子力ロビーの政界への影響力が大きく、効果の高い節電や再生可能電力の促進政策は芽が摘まれた。そしてチェルノブイリの教訓が薄れてきた2003年、上述したモラトリアムの延長を求める案が国民投票で否決されてしまう。隣国ドイツで大きな効果を上げている再生可能電力の全量買取制度も、2009年にようやく実施されたばかりだ。
スイスで最後に原発が建てられたのは1984年。5基ある原発のうち3基は2020年頃に、残りの2基は2040年前後に廃炉になる。だが再生可能電力の増産は上記のような理由で遅々として進んでいない。一方人口と電気機器の増加に伴い、スイスの電力消費量は過去10年で10%も増え、年60TWhに及んでいる。
■フクシマ前に再燃していた原発新設を巡る議論
こうした状況の下、スイスの大手電力3社はこのままでは2035年までに30TWhの電力不足が生じると予測。2008年に、3基の原発建替え(新設)のための許可申請を内閣に提出した。国が許可した場合、2014年頃に国民投票により原発新設の可否が決められる、というのがこれまで想定されていたスケジュールだった。
原発を新設すれば、次の50年間「水力+原子力」という電力供給構造が続く。新設しなければ、寿命に達した原発のフェードアウトと並行して、100%再生可能エネルギーによる電力供給構造へ転換していくことになる。つまり中期的に脱原発するということだ。
こうして近年、スイスでは原発新設を巡る国民的議論に再び火がついていた。10年前と異なるのは、再生可能エネルギーの実力を多くの市民が実感するようになったことだ。以前から脱原発を実現していたバーゼル・シュタット州とジュネーブ市に加えて、2008年にチューリッヒ市、2010年にサンクトガレン市とベルン市といった主要都市が、住民投票により中期的に原子力利用を止めることを法律に定めた。長年原発推進派だった多くの知人が、「もう原子力はやめて再生可能エネルギーと省エネに集中して投資すべき」と意見を変えている。
■フクシマ後に転向した政治家たち
2月13日には、ベルン州電力が運転するミューレベルグ原発の建替え(新設)について、住民の意見を問う投票が行なわれた。結果は、ベルン州民の51.2%が新設に賛成、48.8%が反対票を投じた。これが「フクシマ」前のスイスの世論と考えて良いだろう。
その1カ月後に福島第一原発事故が起こった。スイス社会はチェルノブイリ以来の深いショック状態に陥った。エネルギー大臣は3基の原発新設の許可過程を中断。ソンターグスツァイトゥング新聞が3月20日に公開したアンケート調査では、スイス住民の73.9%が原発の新設に反対している。今後10〜20年は、原発の新設に国民の過半数の同意を得ることは不可能だと言われている。
5月22日には、ベッツナウ原発周辺での脱原発デモに、昨年の4倍、2万人もの市民が参加した。24日には、1000人の中高生が首都ベルンでデモ行進し、声高に脱原発を要求した。
もともと脱原発派だった左派の社会民主党や緑の党に加え、「フクシマ」前には原発の新設を推進していた中道の党の議員の多くも、新設反対に鞍替えした。唯一、右派のスイス国民党だけが推進の立場を変えていない。こうしてスイスの議会には、脱原発型のエネルギー政策が過半数となる下地が生まれた。中道の自由民主党の経済大臣ヨハン・シュナイダー・アマン氏も、脱原発は必要かつ「経済的に可能」だ、と発言している。
電気の約40%を原子力に頼り、エネルギー政策に関しては決して大胆ではないスイスが、23年内に脱原発できると計算した。原子力による電力の割合が約30%の日本が、スイスよりも先に脱原発することは、政治的意思さえあれば不可能ではないだろう。
環境ジャーナリスト・植栽設計士。1975年千葉県生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。1999年からスイス在住。環境・エネルギー、建築をテーマとした執筆、通訳・翻訳、講演などを続ける。2006年オーシュベルグ造園学校修了。著書に「サステイナブル・スイス〜未来志向のエネルギー、建築、交通」(学芸出版社)、共著に「薪ストーブで暮らす」(河北新報出版センター)。