まず、どの様な経緯で憲法裁判所での審査が始まったのかを見ておこう。
前述の通り会長が詐欺で摘発された太平洋戦争犠牲者遺族会が、日本で起こした裁判が「日韓協定で完全に解決済み」という判決で敗訴しつづける中、韓国政府に対して日韓交渉の外交文書を公開するよう申し入れた。
政府が外交関係を理由に拒否すると、遺族会はソウル行政法院に情報公開拒否処分取り消し請求訴訟を起こした。同法院は2004年2月13日、外交文書の一部を公開することを命じる判決を下した。
韓国政府は一度は控訴したが、当時の盧武鉉大統領の反日政策により、翌2005年1月文書を公開した。
文書公開にあたり韓国政府は、李海瓚総理が主宰する「韓日会談文書公開の後続対策に関連する民官共同委員会」(以下、李海瓚委員会とする)を設置した。
同委員会は総理と民間人弁護士が共同委員長となり、関係部署代表の政府委員9人と、学者、言論人、運動家など民間委員七人で構成されていた。
外交上の重要問題に関して議論する委員会が「民官共同委員会」とされて、民間代表が共同委員長と委員として入り、委員会名称でも「官民」ではなく民が先に置かれる「民官共同委員会」とされたことに驚かされる。
その上、親北左派団体である「参与連帯」孫ヒョクジェ運営委員長が委員として参加していることも見逃せない。
このようなおかしな委員会の設置は、盧武鉉大統領と李海瓚総理の左翼反政府活動家として長い経歴からくる意図的反日政策のあらわれだといえよう。
同委員会は2006年3月8日、徴用者等に対する人道的次元での支援策をまとめた。それにもとづいて前述の「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者など支援に関する法律」が制定されたわけだ。
同日、李海瓚委員会は慰安婦問題について次のような韓国政府の基本的立場を明らかにした。
〈韓日請求権協定で扱われなかった日本軍慰安婦など反人道的不法行為に対しては日本政府に持続的に責任を追及し、サハリン韓国人、原爆被害者問題などは日本政府と外交的協議を通じて支援範囲を拡大していく計画である〉(下線西岡)。
ここで韓国盧武鉉政権が日韓関係を大きく悪化させる重大な決定をしたのだ。確かに慰安婦問題は日韓国交正常化の外交交渉で一度も論議されなかった。先に見た韓国政府が日本に突きつけた8項目要求にも「慰安婦」という言葉は入っていない。
わたしはこのことを20年間の論争の中で繰り返し指摘し、日本統治時代の歴史的現実を知る人々が健在であった時代には、貧困を原因とする慰安婦の被害に対して日本から賠償や補償が取れるとはだれも考えなかったのだと主張してきた。
私のこの主張について、1970年代に野党新民党の幹部だった元国会議員や日本統治時代に京城帝国大学を卒業した大学教授、朝鮮日報の元論説委員など多くの日本統治時代を生きた韓国知識人が賛成の意を伝えてくれた。
済州島出身のある在日朝鮮人は「自分の村から慰安婦になった女性達がいた。同じ村に住む者が女衒になって貧しい家の女性を連れて中国に渡り、金儲けをしていたことよく知っている」と話していた。
徴用で長崎の軍需工場で働き、腕の一部をけがで切断し日本を相手に裁判を起こしていた被害者の1人も「我々は徴用により日本国から強制されて被害受けた。しかし、慰安婦は強制ではなかった。彼女たちの運動は迷惑だ」と率直な心情を語りもした。
ところが、盧武鉉政権になり日本統治時代を知る者が少なくなり、政府が「韓日請求権協定で扱われなかった日本軍慰安婦など反人道的不法行為に対しては日本政府に持続的に責任を追及し(ていく)」という立場を堂々と公言した。
協定で扱われなかった理由は韓国政府が出さなかったからである。それなのになぜそれが「反人道的不法行為」とされるのか、全く理解できない。
徴用や徴兵については日韓請求権協定で扱われているから日本に再度補償を求めず韓国政府として支援を行うが、慰安婦問題は扱われなかったから「日本政府に持続的に責任を追及」するという。
ここで、権力による強制が実際にあった徴用や徴兵と、当初はまさか日本から補償がもらえるとだれもが考えなかった元慰安婦の法的立場が逆転する。慰安婦問題だけが未解決として正式に政府として取り上げるとされる。
本来ならソウル駐在の日本記者らがこのような韓国政府の決定がなされたことを大問題として報じるべきだし、外務省も事の深刻さを認識し対策を立てておくべきだった。
しかし、率直に告白するが、私のような専門家でもこの驚愕すべき慰安婦問題に対する韓国政府の法的立場の逆転現象を知らなかった。まさか、ここまでおかしなことが政府として決められているとは思わなかった。盧武鉉、李海瓚という親北左派が権力を取った恐ろしさを軽視していたと反省する。