山形のニュース
衆院選山形3区、加藤氏落選 「安泰」から暗転、なぜ
 | 敗戦の弁を述べ、うつろな表情で事務所を後にする加藤氏=16日午後11時50分、鶴岡市 |
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保守分裂選挙となった衆院選山形3区で、14選を目指した自民党前議員加藤紘一氏(73)が無所属新人の阿部寿一氏(53)に敗れた。事前の下馬評で「安泰」と見られていた加藤陣営に何があったのか。選挙戦を振り返ると、陣営の状況判断ミスに想像以上の地盤の劣化、体調不良が重なり合った結果だったことがうかがえる。
加藤氏を支援した公明党系の議員は「本気でやっている人がいないという印象を最後まで拭えなかった」と打ち明ける。 加藤氏は厳しい選挙をほとんど経験しておらず、陣営スタッフで競り合いの選挙を知っているのはごく少数。約7万人分の後援会名簿をもとに動きだしたのは、選挙戦終盤になってからだった。「危機的と口では言いながら、どこか楽観して行動が伴わない。負けるべくして負けた」と議員は断言した。 加藤陣営は、岸宏一参院議員(72)=山形選挙区=の側が加藤氏に寄せていた不信感の大きさも見誤っていた。2年前の参院選で自民党が実施した公募をめぐり、加藤氏が事実上の謝罪で岸氏と和解したのは、公示のわずか2日前。加藤陣営幹部を務めた鶴岡市議の一人は「岸さんから(和解の)サインは早い段階からあった。橋渡しをしようとしたが、加藤さんの反応は鈍かった」と振り返る。 岸氏の地盤の新庄・最上地域で、加藤氏は阿部氏に約3000票差まで迫られ、新庄市と岸氏が町長を務めた金山町では阿部氏に敗れた。前酒田市長の阿部氏が同地域でここまで得票すると予想した関係者は少ない。遅すぎた和解が響き、岸氏支持者をつなぎ留めきれなかったとみられる。 最も深刻だったのは病気による衰えだ。足を引きずり、演説で舌がもつれる。集会に参加した支持者から「体調は本当に大丈夫なのか」との疑問の声が上がり、遊説担当者が「(遊説に)回るほど票が減る」と漏らす場面もあった。 1972年の初当選から支え続けてきた古参の陣営幹部は「“プリンス”への期待感で40年勝ってきた。期待に応えられないことが分かり、一気に崩れた」と嘆いた。 加藤氏は17日、党県連会長辞任の意向を明らかにした。今後については「後で考える」と述べるにとどまっている。
2012年12月19日水曜日
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