2ちゃんねるのごく初期にあたる時期に『作業実験場外』という板が存在した。各地の被差別部落の地名が雪崩のごとく出現していたこの板は、部落解放同盟のとある地方支部の招待で管理人・西村ひろゆきが当支部に赴き、まるで折伏を受けた直後の学会員のごとく同氏が変貌を遂げたことで、閉鎖の運命を辿ることとなった。そうして生まれたのがこの人権問題板であった。
当該の部落解放同盟支部の要求を全面的に受け入れる形で作られたこの人権問題板のガイドラインは、法的な問題を除けば全くの自由に満ち溢れていたかつてのそれと違い、地名は削除(あぼーん)対象、地名入りの題を掲げるスレッドはそれだけで削除対象、というものであった。
黎明期には、スターリン、松本、珍味、腐れ厨房、などといったコテハンが活躍し、大いなる一時代を築く。これらの歴々が屯していた2000年から2002年ほどまでを『黄金時代』とする声もある。今に至っては、いずれの人物も去って久しき人々である。
2004年ほどまでは文字を主とした情報交換、談義が大勢であったが、ちょうど2005年に差し掛かった頃、板は新たな局面を迎える。写真である。
それまでにも時折、板の主題である被差別部落ないしは同和地区の写真が、どこからか現れ、人知れず出回ることがあった。有名なものでは、岐阜県のある同和地区のもの、加えて、滋賀県のある同和地区のものが挙げられる。これらはともに同和地区を間近から―あるいはそのさなかを―撮影したもので、いわゆる改良住宅の並び立つあまりに鮮烈なその像は、この板の主題についての強烈ななにかを、同時に不詳の撮影者に対するあまりに純粋な畏敬の念を、傍観の住民達に残していったのであった。
その志を受け継いでか、あるいはそれと関係なしにか、被差別部落にその身をもって突入するものが増え、スレッド式の2ちゃんねる画像アップローダー『domo』にその成果たる写真を上げるという者が現れ始める。足を運ぶ―部落探訪―というだけならばそれまでにもあり、板の一大人気種目でもあったが、これに写真が加わったことがそれまでとは違う点であった。
この板は時に外郭的空間を生み出すこともあった。その走りといえるのが、JBBS(したらば)の『不動産・郷土研究』という掲示板であった。これは人権問題板のルールの窮屈さを嫌悪した住人達の受け皿となり、あるいは独立した空間ともなり、生みの親といえる人権問題板以上の好評を得ることもあった掲示板である。そのなかでも、某コテハン氏による実地調査をもととした同和腐敗行政の真っ向からの暴露をはじめ、県行政関係者や県政関係者らによる内部告発までもが入り乱れた『奈良県』のスレッドはもはや知る人ぞ知るところの一種の伝説と化している。
こうした流れのうちに、自らの居住地域とは遠く離れた地のスポットにも出向くといった、冒険家さながらの者達の活動も加わり、栄えのときを迎えるのである。
2007年3月に話題となった『愛知県被差別部落探訪サイト』事件*1は、この流れの延長線上にあるものであった。問題とされたウェブサイトの発信者はこの板の住人であり、多少ゆき過ぎたところがあったにせよ、その文章の端々にのぞく探検家的所感は他の探訪家の多くが共有するものであったろう。
斯様。
数多の波を乗り越え、今に至る。
被差別部落の分布がいわゆる西日本を中心とすることから、西日本の各々の地域についての話題に偏るものと捉えられがちであるが、意外にも随一の活発さを見せるのは関東地域のスレッドである(特に埼玉県)。西日本各地のスレッドは飛びぬけた勢いはあまり見せないが、東日本のそれに比して大変に"濃い"ことが多い。
特に部外者(他地域の者)の傍観を集めるほどに人気があるのが、四国や筑豊のスレッドであろう。いずれも伝説的な地区が存在する地域だからである。時折現れる英雄的な人物もこの二地域の出身者であることが多い。
ほか、東海地区のスレッドは伝統のあることで有名で、東北各地のスレッドは必ずと言えるほど西日本罵倒スレッドになり果てることで有名で、滋賀県のスレッドは馬鹿な大阪人がまるで昨日知ったかのようにT姫T姫と連呼することで有名で、岐阜県のスレッドは馬鹿な名古屋人がまるで昨日知ったかのようにY老Y老と連呼することで有名で、徳島県のスレッドはあまりの民度の低さで有名で、福岡県のスレッドは毛色の異質さで有名である。
今に存在する固定ハンドル者のうち、目立つそれには次のような者達がいる。
板の創生期から居座り続けている大御所。熊本の部落出身で、映画『橋のない川』の上映運動を部落解放同盟に妨害されたあげく拉致・監禁されたという過去を持つ。学生時代のこの一件などを要因として、夜中に飛び起きて包丁を研ぐほどの強烈な解同フォビアとなり、ある時には、突発的に放火を目論み、灯油缶とライターを抱えて部落解放同盟大阪府連の事務所にカチ込んだあげく、備品を盗んで帰ってきたことがある。いわゆる狭山事件についての激論が巻き起こったこの板の歴史に名の残るあるスレッド*2においては、論争中の二者の一方(中核派全国連信徒)に対して、オフラインでの決闘を要求するという勇ましい姿も見せた。本性的に受け身の男だが、部落解放同盟のことになるとなにがあっても譲らない。赤旗の愛読者。
自称『資料屋』で、資料の不備を指摘されると『名無しへの応対』を拒否してスレッドを掻き乱してゆく、という特徴で知られていた。名前の由来は、初恋の相手が住んでいたところの地名であるという。三重県のスレッドを根城とする。
『プッ!』という捨て台詞を特徴とする人物で、各地のスレッドに現れる。古文書の読解をもとにした幅広い見識を有するが、『死ね』『ホモ穢多』などの文句を駆使した子供のような言い争いでスレッドを掻き荒らしてゆくことが多いため、疎ましがられる傾向にある。
通称『ツバメ』。探訪家であり、東海〜近畿を主として実地上の見識を幅広く有する。もっこす氏が垂れ流してゆく希望的―あるいは机上的―観測を一刀両断に処すことで名高い。部落解放同盟の糾弾を受けた経験を持つと言われるが、詳細は定かではない。
埼玉県のスレッドを中心に各所に現れる人物。女性であり、『魔羅イヒ』という人物(新潟生まれの在日朝鮮人)との同一人物説が囁かれていたが、本人は否定している。最近(2007年以降)はROMに徹していると見られている。
『名前欄に特定の文字列を入れる』という固定ハンドルたる条件を満たしてはいないものの、京都のスレッド限りにおいてなかなかの名を持つ人物。時折現れては、いわゆる『お花畑』的反差別啓発を、苔の蒸したような吉本弁でまくし立ててゆく。まさしく壊れたレコードのごとく『部落は全面解放されるべきであり、差別は絶対に許されない。』と。
福岡のスレッドにおいて、時折現れては探訪記録を残してゆく。性別は女であるが、文面だけでは女だとはまずわからないであろう書き口調である。古文書をもとに情報を得ており、福岡はもとより各地についての相当に詳しい見識を持つが、傍若無人な振る舞いで暴れることがあるため、しばしば叩かれる。いわゆる巨乳の持ち主でもあり、博多の川向こうの有名な同和地区を散策していたときに、まとわりついてきた地元の小学生ほどの悪ガキ達からいきなりその胸を揉まれたため、ひとりをぶっ叩いたところ大声で泣き出してしまい、筥崎宮まで走って逃げたという過去を持つ(今年の話であった)。
*1:愛知県在住の青年が近郊の被差別部落を探訪、そのときに撮影した写真を交えてそれを紀行風にレポートし、ウェブサイトとして公開した。これが部落解放同盟愛知県連の知るところとなり、当局に対しての告発を受け、やがては名誉毀損の容疑で逮捕される顛末となった。
あ | あぼーん |
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か | 腐れ厨房 |