発信箱:開戦の日、真珠湾で=滝野隆浩(社会部)
毎日新聞 2012年12月19日 00時14分
9日に行われた米ハワイのホノルル・マラソンの2日前、鳥越俊太郎さん(72)とオアフ島の真珠湾に行った。初マラソンを走る前でゆっくりしたいはずなのに、ジャーナリストの血が騒いだのか。日本より1日早い「日米開戦」の日の同湾メモリアルゾーンを、鳥越さんは静かに見て回った。
沖合に、沈んだままの戦艦アリゾナをまたぐ形で建てられた白いアリゾナ記念館が見えた。着いたのが遅く、ボートで渡る同館の開館時間内には間に合わなかった。そのすぐ横に見える艦影は戦艦ミズーリ記念館。99年になって開設されたという。41年の日本の攻撃で水没した艦と、45年に日本の降伏文書調印式が行われた艦。太平洋戦争の開戦と終結の象徴がここにあった。
入ってすぐの足元にハワイを中心とした大きな世界地図があったことを思い出す。地図の中の日本の都市名は、首都「東京」のほか、「広島」「長崎」「沖縄」「硫黄島」しかなかった。鳥越さんに言われて初めて気づく。ここは<軍の視点>でつくられていたのだ。もっといえば<戦勝国の視点>。当たり前の話ではある。71年前、太平洋の向こうの小国から奇襲を受けて大損害をこうむったが、国民の不屈の精神でたたきのめしたという米国の歴史観。だから、ここには戦艦ミズーリが必要だったのだ。広島や長崎の、ひたすら平和を祈る自省的な原爆資料館とは、根本的に雰囲気が違う。
湾を左手にみて芝生の公園を進むと、大戦中の古い魚雷や冷戦期の弾道ミサイルが展示されていた。威風堂々と。「こんな鉄のかたまりと……」。鳥越さんが隣でつぶやく。「無縁な時代に生まれて本当によかったと思うよ」