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法華狼の日記

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hokke-ookami3000-01-01

アニメ・ネット・戦争が主な話題のダイアリー

エントリを訂正した場合は、単純な誤字脱字や書いた直後でない限り、基本的にコメント欄で修正箇所を示す。


日記をつけながらおいおい体裁を整えていくつもり。


主な記事リストは以下。

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2012-12-17

[][][]『さくら荘のペットな彼女』と公式サイト各話スタッフ欄問題

『さくら荘のペットな彼女』サムゲタン選択的批判という問題 - 法華狼の日記

上記のような騒動が起きた第6話では、監督も連名で絵コンテにクレジットされていた。つまり、一部のスタッフが作品全体の意図を無視して描写をねじこんだ可能性は低いと、最初から明らかだったわけだ。


しかし公式サイトの各話スタッフ欄に監督の名前がないことから、陰謀論をたくましくしている人々がいる。

Wikipediaでも、わざわざ『さくら荘のペットな彼女』の各話リストで1人だけ公式サイトとの違いを注記されている。

wikipedia:さくら荘のペットな彼女

9.^ TV放映時のスタッフロールには記載されているが、公式サイトの6話スタッフ一覧には不記載。

この陰謀論は、キャプチャ画像をふくむ下記の書き込みが2ちゃんねるの各所にコピペされ、さまざまなまとめサイトに掲載されたことが発端のようだ。

【サムゲタン】 公式サイトのエピソード紹介からいしづかあつこの名前が消える 【さくら荘】:特定しますたm9(`・ω・´)

616:名無しさん@13周年:2012/11/17(土) 18:29:24.72 ID:edXCKb2W0

6話の演出と絵コンテは鈴木といしづかあつこだったのに

なぜかいしづかの名前だけ消えてる

まとめブログが編集した他の書き込みや、コメント欄でも同意する意見がならんでいる。


しかし、これははっきりデマといえる。公式サイトで細かいスタッフが省略されることは珍しくない。

たとえば、東映アニメーション作品では1話ごとに演出1人が多くの仕事をこなすという背景があるためか、演出のみがクレジットされる体裁で公式サイトが作られている。『聖闘士星矢Ω』の各話スタッフ欄を見ると、絵コンテ担当者が表記されない。作画監督が複数いる場合も、1人しか表記されない。

聖闘士星矢Ω-セイントセイヤオメガ- 公式サイト 東映アニメーション

このような省略は、『さくら荘のペットな彼女』のアニメ公式サイトでも同じだ。第2話からして、作画監督欄で2人が省略されている。

ストーリー - Episode|『さくら荘のペットな彼女』アニメ公式サイト

脚本:岡田麿里 絵コンテ:鈴木 薫 演出:鈴木 薫

総作画監督:冨岡 寛 作画監督:冨岡 寛/戸田 麻衣

第3話では、5人いる作画監督が全て省略されている。

ストーリー - Episode|『さくら荘のペットな彼女』アニメ公式サイト

脚本:鴨志田 一 絵コンテ:神戸 守 演出:高島 大輔 総作画監督:藤井 昌宏

以降も、第4話では3人いる作画監督が1人だけ表記されたり、第7話では作画監督全員と演出が略されたりしている。多くのスタッフが参加している場合、何人かのスタッフが省略される傾向が見てとれる。

第8話にいたっては、いしづかあつこ監督とともに絵コンテを手がけているスタッフが、EDクレジットでは宮浦栗生だったのに、公式サイトでは下田正美に変わっている。これこそ正しい情報掲載が公式サイトに求められる事例だ*1

そもそも、最初に紹介した2ちゃんねるの書き込みも、「1話〜5話は放送されたスタッフロールそのまま・・・ 」といいながら、キャプチャ画像を見ると、やはり作画監督が省略されていた。

f:id:hokke-ookami:20121218081802j:image

つまり公式サイトが過去にさかのぼって改変されたわけではない。第6話の変化にしか気づかない心理の問題というべきだろう。


もっとも、全く問題がないといいたいわけでもない。公式サイトに細かいスタッフが表記されないことは、個々人の仕事が評価されていないという、普遍的な問題とはいえる。

実際、ビデオ収録や再放送においてEDクレジットの各話スタッフが省略される問題は、映像関係の労働組合から提議されている。

テレビ朝日「スティッチ」の謎 制作スタッフ・キャストのテロップが徐々に消えていったのはなぜ? : ネット版 アニメレポート -Anime Report-

アニメーションのテレビシリーズ等におけるテロップの問題は、昨年のこの「テレビ朝日・スティッチ」問題から、徐々に組合内で話題になっていきました。

参加スタッフのテロップは放送するようにと、十数年前から要望書には記載されていますが、今回は特に、各局に対し、さらなる注意と配慮(該当局には調査と改善)を申し入れました。

公式サイトの表記に対しても、同様の批判がなされてもおかしくはない。


ちなみにWikipediaは、他にも原作からの改変を「サムゲタン」しか例示していないという問題がある。よく見れば、脚注でいくつかの改変点も指摘されていることから、逆に本文でここだけ例示した編集者の意図が浮かび上がる。

原作の中で「シンプルなお粥」としか書かれていない料理が、アニメ版で同シーンにあたる6話において韓国料理のサムゲタンに入れ替わった。唐突に韓国料理が登場したことに対して、一部のファンからはこの改変はアニメ製作側に韓国文化を広めようとする意向があったのではないかと見なされ、ネット上で批判が相次いだりテレビ局への非難が殺到したりするなどの騒動に発展した[11][12]。この改変の理由について、(この作品を手掛けた制作会社とは別の)アニメ制作会社の人間は、「活字上ではお粥をおいしそうに描けても、アニメでは白いお粥はシンプルすぎておいしそうに描くのは至難の業」、かつ「映像表現としての『翻訳』は制作サイドの矜持」だからとの見解をツイッター上で示している[12][13][14]。また同人物は、ステルスマーケティングの可能性について、「実際の販促アニメはもっと上手く効果的にやります」として具体性のないあり得ない事象と一蹴している[13]。なお、さくら製作委員会の所属するメディアファクトリーの広報担当は、「制作意図についてはお応えできない」、アニマックスは「韓国推しの意図は一切ございません」としている[13]。またサムゲタンを含むオタネニンジンが入っているものは、風邪などで熱がある時に食するのは動悸を誘発するためタブーとされている[15]。

さて、ここで「アニメ制作会社の人間」とだけ表記されているが、これは制作デスクによる意見だ。騒動の初期に注目を集めたツイートながら、その立場について考慮しない評価が目立つ。

そもそも制作デスクは、アニメ制作において作品の主題や表現を考える立場ではない。位置づけや名称は会社によって少しずつ異なるが、基本的には制作進行という各話を管理する職の上に立って、全体のスケジュールやリソースを管理する役職だ。

制作デスクの仕事 | P.A.WORKS Blog

話数単位でスケジュールを管理しているのは制作進行です。

彼らは作画、仕上げ、撮影でも、どのタイミングまでにどれだけの物量を動かすかを管理しています。

制作デスクは毎朝この各話の物流を把握することから始まります。

P.A.では各話の進捗状況は規定のフォーマットに入力され、サーバー上で管理されているので、誰でも閲覧できるようになっています。

デスクは各話ごとに物流シミュレーションとズレている箇所を指摘して担当と話をします。

つまり制作リソースの方面から原作改変意図について考察したのは、いかにも制作デスクらしい発想なのだ。制作デスクは物語上の意味から改変させる立場ではないが、制作リソースを抑える改変を歓迎する*2立場ではある。他のTVアニメにおいてさまざまなお粥が描かれてきたという主張は、制作リソースを考慮した意見に対しては異なる次元の話であり、反論にはならない。


いずれにせよ、作品そのものを評価するだけなら、スタッフを注目する必要は必ずしもない。どのような巨匠が手がけた作品であれ、つまらないと思えば素直に感想をのべる自由が人間にはある。

しかし、発表した感想もまた、他者の評価にさらされるものだ。せっかくスタッフの存在に注意をはらったなら、陰謀論をたくましくするための素材として恣意的に利用してほしくはない。より広い視野をもって、虚心坦懐に情報と向きあってほしいものだ。

*1:もっとも、そもそも宮浦栗生は過去の作品履歴から見て変名の可能性が高い演出家だった。騒動の影でひっそり正体がばれた事例と解釈するべきかもしれない。つまり、スタッフの仕事を追いかけるため変名の正体を知りたがるファンには、ひそかに歓迎される事態といえる。

*2:改変するよう口出しはしないにしても、そうした節約を重視する演出家へ仕事を回せる。

2012-12-16 上げたのは1日後

[]『聖闘士星矢Ω』第 36 話 揺るぎなき守護者!乙女座黄金聖闘士

シリーズの通例にならって、乙女座が最強の敵として現れる。聖衣すらまとわず、座ったまま主人公勢5人を圧倒。主人公勢が立ち上がった姿を見て、涙を流して開眼し、激情に満ちた表情でさらなる強大な力をふるう。そこへ駆けつけるエデン……


映像面では初参加のスタッフが多い。そ〜とめこういち絵コンテ大久保政雄演出、高瀬健一作画監督。原画も中村プロ人脈が目立った。とにもかくにも物語が力技な分、力を入れたエフェクト作画を多用することで、見ごたえある映像にしあがっていた。

乙女座が動かなかったり、主人公たちも緊縛されて動けない場面が多かったり、地味に作画リソースが節約できたおかげもあるだろうか。

[]『スマイルプリキュア!』第42話 れいかの道!私、留学します!!

田中裕太演出、小島影作画監督。全体的に可愛らしい絵柄だが、プリキュアたちが泣き出すクライマックスの描線は力強く、アクションはしっかりした殺陣で動かしていた。

演出面では、イマジナリーラインを越えてでもキャラクターの視線を合わせないカット割り、青木だけを切り取った構図の多様が印象的。カーブミラーを使った演出など、かつての細田守演出を思わせる。異世界では、敵の策略もあって、舞台装置が心象を強調する。これは演出が意図的すぎて、ちょっと好みにあわなかった。


物語についていうと、プリキュア活動と衝突する青木の夢としてロンドン留学が出てきたのが、ちょっと唐突か。両親がロンドンに住んでいて、一緒に生活したいと以前から語っていたりすれば、まだ納得できたかな。

敵が欲をかきすぎて失敗するパターンも、あまり好きではない。精神的な打撃を与える目的そのものは成功していたので、他のプリキュアがやってきたのはジョーカーが意図していなかったことと描写すれば、逆に臨機応変に対応できた敵の恐ろしさが増したと思うが。

今回を高評価する視聴者が多いだろうことはわかるが、好みから外れている部分が多くて、個人的には残念な感想。これまでギャグとして使われてきた「道」というキャラクターモチーフを、さまざまな道を肯定するレトリックに結びつけ、クライマックス逆転したのは良かったのだが。

[]『マギ』第11話 新たなる来訪者

危険をおかしてでも主人公側に情報を流していた人物が、けして美男子でも勇敢でもないところは好印象。

以前にひっかかった紙幣については、中華をモデルにした黄帝国の権威あってのものと描写され、他の国では銀と交換できる証書があるという国家ごとの差異も説明された。薄っぺらな存在と感じる作中の人々の意識も描かれ、今回で物語上の意味があったとはっきりわかった。

また、台詞や独白において、その世界のものと感じられない表現が使われることについては、翻訳や意訳した結果と好意的に考えることにしている。しているが……さすがに「人権」という表現を使うのは、雰囲気が壊れるのでやめてほしかった。子供向けにわかりやすい表現を選んだことも理解できるが、せめて「市民権」ではいけなかったのか。あるいは、今エピソード前半のスラム街描写を受けて「居住権」にするとか、市民に重税をかして子供の「身売り」を奨励する描写にするとか、他の説明はできなかったのか。いずれ「人権」についても説明があるかもしれないが、現状では納得しづらい。

2012-12-15 上げたのは2日後

[]『ONE PIECE エピソードオブルフィ 〜ハンドアイランドの冒険〜』

本郷みつると森田宏之が連名で監督としてクレジット。2人ともさまざまなジャンルと会社で仕事をしてきたアニメ監督だが、ほとんどニアミスすらしたことはないし*1東映アニメーション作品にかかわったことも少ない。かなり意外な登板ではある。それぞれ実力ある演出家だけあって、演出面では全く問題なし。

TVSPながら、作画も素晴らしかった。原画には森田宏之もクレジットされ、他にも丸英男、すしお井口忠一、等々のアニメーターが参加している。作画監督は多めだが、キャラクター作画のぶれは少なく、エフェクト作画の方向性だけ変化する。ざっくりしたフォルムだったり細かく書き込んだりと、さまざまな爆煙作画を堪能できた。中盤の海で怪物に襲われる場面の動きや、終盤で破壊された建造物の破片が直方体だったりした作画も印象的。

また、作画と演出どちらの方針かは不明だが、ゴム人間の動きに弾力性が感じられたのも良かった。読みきりマンガを読んだ時に想像していた動きに近い。だからTVアニメ化された初期は、等速で伸び縮みするゴムらしからぬ動きや、手足が伸びたままな描写も多いことに、落胆したものだ。


物語は、一時期に海賊の勢力争いがあった島を舞台として、海軍基地からの砲撃に恐怖する島と、その砲撃を避けようとして島へ落下した主人公たちの活躍を描く。

歓迎して協力した警察力に牙をむかれた島民の姿は、最近のマンガやアニメでは珍しい直球の風刺。もちろん、海軍を全否定することはなく、基地を統括する准将の出世願望が暴走したものとして処理される。あくまで娯楽作品らしく、海軍と海賊それぞれの立場で信念をつらぬく若者たちの物語として終わった。しかし、こういう作品が人気を集めていることに、現代社会の状況と比べて、ちょっと感じるところはある。

ルフィ以外の主人公勢はドラマにからまないが、まんべんなくバトルで活躍。過去エピソードのキャラクターも再登場しつつ、実はただの人形だったり、主人公勢とはニアミスするだけで、今後のTVアニメ展開と矛盾しないよう注意がはらわれていた。

不満点として、特殊な蝋を利用した攻撃などの前振りはあからさまで、説明台詞の後に説明された状況が描写されたり、テロップが多用されたり、わかりやすさ優先は目についた。しかし、TVSPという媒体ではしかたないか。


なお、ルフィの初期エピソードは回想として処理。それも、視聴者へ主人公の設定を紹介するためというより、海賊になった経緯を改めてふりかえり、有名な海賊たちの列に主人公も加わったことを示すための回想だった。

その直後、海賊王宣言を否定する台詞から映画予告が始まるのも、TVSPスタッフの意図かどうかはさておき、印象的には残った。

*1シンエイ動画制作の『ドラえもん』に、それぞれ参加したことくらい。しかしこれも時期や媒体にずれがある。

2012-12-14 上げたのは1日後

[][]ホラー映画ベストテン〜アニメ限定〜

今年もアニメしばりで参加。

ホラー映画ベストテン - 男の魂に火をつけろ! 〜ホラー映画ベストテン受付中〜

最初はタイトルが思い浮かばずに悩んでいたのだが、いくつかの作品を見返すと、入れたいタイトルが連鎖的に思い出されてきて、最終的には削ることに悩むことになった。


1.『ブラック・ジャック 劇場版』(1996年、出崎統監督)アニメオリジナルストーリーで制作された、医療サスペンスの傑作。超人化した人々の活躍と、その背後でうごめく陰謀と謎の病気に、無免許医ブラック・ジャックが立ち向かう。

もともと原作の初期が「怪奇まんが」というジャンルだったことや、架空の病気をあつかったメディカルサスペンスもホラージャンルにふくまれることから、この映画もホラーとして位置づけることができるはず。

バタ臭い杉野昭夫キャラクターデザインが、特異な生々しさを生んでいて、アニメでは珍しく生理的な嫌悪感が表現されていた。

さまざまな技法を駆使して、映像の統一感を損ねがちな出崎統演出も、この作品では不安感を盛りあげることに成功していた。

2.『バンパイアハンターD』(1999年、川尻善昭監督)吸血鬼ハンターD』の、2度目のアニメ映画化作品。アニメーター出身の監督には珍しく、魅力的なアクションであっても物語に不要であればそぎおとし、ハードボイルドらしい語り口を生んでいる。

吸血鬼から少女を取り戻すため、吸血鬼ハンターたちが人知のおよばない世界へとわけいっていく。その血と死と暴力に染められた旅路で、人の道から外れた者たちの醜さや美しさが、フィルムに刻まれていく。結末にいたって、カタルシスとともに強固な人格がたちあらわれ、乾いた余韻とともに物語が閉じられた。B級アクションホラーに求められる全てが入っている。

繊細かつ耽美なキャラクターデザインが滑らかに動く映像は、一般的なアニメになじんでいる観客こそ、より生理的な恐怖を絵柄から感じられそう。

3.『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』(1988年、芝山努監督)原作者が病気で倒れたため、西遊記というモチーフを与えられたアニメスタッフがオリジナルストーリーを作成。孫悟空の実在を証明しようとした主人公が、意図せず妖怪が実在する世界を作ってしまうという、一種のSFサスペンスとして完成した。普段は日常を舞台にしているファミリーアニメだからこそ、時間改変によって日常が妖怪に侵食される中盤の恐怖が盛り上がる。

明確な原作はないが、原作者の既存作品から細かな引用もしている。たとえば玄奘三蔵は原作者の別作品『T・Pぼん』から引用しており、知力体力胆力の全てをそなえた聖人として描かれた。実在の冒険者としての三蔵法師がいるからこそ、過去世界にもリアリティが生まれ、妖怪が暗躍することへの恐怖も盛り上がる。

プログラムピクチャーの枠内で完成しながら、人間の姿をした敵が死ぬという意欲的な描写もある。『魔界大冒険』と『夢幻剣士』をつなぐミッシングリンクとして、原作にも影響を与えた傑作。

4.『パーフェクトブルー』(1998年、今 敏監督)今敏監督の初監督作品であり、アニメファン以外にも名前が知られた傑作サイコサスペンス。アイドルから女優への脱皮をめざすヒロインが、捨てたはずの自らの影から追われ、周囲で惨劇がくりひろげられる。

虚実がいりまじりながら、最終的に脚本は理に落ちる。一見すると実写でも容易に制作できそうな作品でいて、クライマックスの演出をリアリティレベルをたもったまま展開できたのは、アニメならでは。アイドルを軽薄な存在のままサイコサスペンスの世界観で描くにも、アニメという二次元の表現が効果を上げていたと思う。

しかし、きちんと教科書通りな娯楽作品として完成しているからこそ、新奇性が目立たない感もあった。好きというより、巧いと感じる作品。

5.『風の大陸』(1992年、真下耕一監督)超古代を舞台としたファンタジー小説のアニメ化。プロダクションIGの前身であるアイジータツノコが制作した。

併映作品のため55分ほど尺しかない中編映画なのだが、ダンジョン攻略を主軸とし、ホラーの枠組みを利用したことで、世界観を広げすぎずに物語がまとまった。

雰囲気優先の演出に不評も多い真下監督だが、ファンタジーホラーという雰囲気が重要視される作品では最適。

作画の良さにも助けられていた。いのまたむつみキャラクター原案から、その艶を残したまま結城信輝がアニメ用にキャラクターデザインを起こし、黄瀬和哉作画監督としてデザインに忠実な映像を作り上げている。

6.『劇場版xxxHOLiC 真夏ノ夜ノ夢』(2005年、水島努監督)CLAMP原作マンガのTVアニメ版を制作していたスタッフが、アニメオリジナルストーリーでアニメ映画化した。制作はプロダクションIG。

ビル街の底にある奇妙な店で客の悩みを解決する女主人と、その下働きをさせられている学生が、不思議な洋館に招待される。同じように招待された様々な蒐集家とともに体験した、一夏の出来事を描く。死や血はほとんど描かず、ただただ人々のエゴをむきだしにする「奇妙な味」の中編映画。

原作者が同じ世界設定で同時連載していたマンガのアニメ映画化『劇場版ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君』と同時上映され、作品が相互にクロスする描写もある。そのためか尺は1時間しかないが、迷宮のような洋館に舞台を限定することで、綺麗に話がまとまった。

CLAMPの絵柄を再現した黄瀬和哉のキャラクターデザインも面白い。あえて細長い頭身のまま描き、昆虫のようなクタクタした動きがコミカルだった。同時に、悪夢的な描写においてはアニメーターの個性が発揮され、アニメーション好きにとっても文句なし。キャラクターで遊び、背景美術で恐怖をかもしだすという、映像のバランスが良かった。

7.『Blood the last vampire』(2000年、北久保弘之監督)プロダクションIGが原作のメディアミックス『Blood』シリーズ。その先鞭をきった48分の中編映画。もちろん制作もプロダクションIG。

シリーズは古風なセーラー服をまとって日本刀をかまえる少女という、いかにもな絵面が売りだが、本作では在日米軍基地内での泥臭い惨劇を描く。意欲的でいて完成度の高い3DCGに、国内最高峰のアニメーターを参加させながら、内容はコテコテのB級アクションホラー。内容に新味は全くないが、映像技術プロモートとしては圧倒的。寺田克也のキャラクターデザインをアニメとして動かした、黄瀬和哉作画監督も印象的。

ちなみに実写映画化した『ラスト・ブラッド』という作品もあり、見比べてみると、逆説的にアニメがどれだけ画面を計算して作っていたかわかる。

8.『迷宮物語』(1987年りんたろう監督 他) 眉村卓作品を原案とし、3作品で構成された50分のオムニバス映画。

りんたろう監督『ラビリンス*ラビリントス』は、黄昏時の郷愁と恐怖を少女視点で描く。川尻善昭監督『走る男』は、実質的な初監督作品にして、サイケデリックサイバーパンクSFらしい恐怖が描かれた。大友克洋監督『工事中止命令』は、自動化された工事現場に派遣されたサラリーマンが、出口の見えない毎日を送る羽目になる。

それぞれ雰囲気たっぷりな「奇妙な味」の作品として楽しめる。大友監督作品が、乾いたブラックコメディとして高い完成度をもっているところは、後の作品群と異なっていて興味深い。

9.『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』(2008年、古賀豪監督)いわずとしれたホラーマンガ『ゲゲゲの鬼太郎』の40周年記念作品。怪奇現象に悩む少女をゲストヒロインとして、日本をゆるがす巨大な敵と鬼太郎の戦いを描く。東映アニメーション制作。

歴代の『ゲゲゲの鬼太郎』映画と比べて長尺で、観た記憶のある作品の中では最も映画らしいボリュームが楽しめる。ただし先入観なしで見ると、普通のキッズアニメ映画と思われるだけかもしれない。

日常と接したゲストヒロインのエピソードと、キャラクター総出演で展開されるアクションとで、やや乖離もある。物語において関連はしているのだが、雰囲気が違いすぎるのだ。あくまでTVアニメ5期の豪華版と見るべきだろう。

東映の良いアニメーターが別作品にとられていた時期なので、作画も弱め。アクション演出に定評のある古賀監督が初めて手がけた長編映画としては残念な出来。実のところ、TVアニメ5期が好きだったので入れた。

10.『注文の多い料理店』(1993年岡本忠成監督)パステル調の絵がそのまま動く、アートアニメーション。20分ほどの尺を5年かけて完成させた。ユーモアから徐々に恐怖を浮かび上がらせた原作を、より辛辣な味わいの恐怖譚にしあげた。



2作品が入っている川尻監督は、出崎監督の弟子筋。さらにマッドハウスという制作会社を介して、りんたろう監督や今監督とも関連がある。どの作品も、アダルティなムードのあるアニメを手がけてきたスタッフらしい、厚みのある内容。

また、意図していなかったが、中盤の3作品は共通項が多い。結果として、制作したプロダクションIGの人脈や企画の方向性が変化した過程をうかがうことができる。全て黄瀬作画監督がかかわっていることで、日本アニメの作画発展史も映像から感じられる。今回のベストテンで見返して、個人的な発見が多かった。

芝山監督と水島監督はシンエイ動画で腕をふるった演出家であり、どちらも絵が動くプリミティブなアニメの快楽を素直に作品で見せる。


以下、番外もいくつか。

ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1994年、ヘンリー=セリック監督)はホラーという印象から遠すぎたため、入れられなかった。他にも海外アニメから1作は入れたかったのだが、映画と呼ぶには悩むインディーズ作品しか思い浮かばなかった。

火の鳥 鳳凰編』(1986年、りんたろう監督)も幽玄な映像が印象深い作品。和風ホラー作品が少ないので、どこかで入れたかったが。

AKIRA』(1988年、大友克洋監督)も思い出したが、作品自体がひとつのジャンルという印象が強く、ホラーに位置づけることはためらわれた。子役が老人を演じる生理的嫌悪感や、人体がメタモルフォーゼする恐怖感は今なお突出している。

クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』(2006年、ムトウユージ監督)は『パラレル西遊記』と同じく、もとひら了が脚本をつとめた。前半は、ムトウ監督の長所であったホラー演出が充満しており、このキャラクターデザインでちゃんと怖い。オチさえ腰砕けでなければ、ぜひ入れたかったのだが。


また、ホラーアニメは深夜TVやOVAで展開されることが多く、長編映画では狭義のホラー作品が少ない。たとえば『パーフェクトブルー』も本来はOVAとして企画された作品を、箔付けのために劇場公開したものだ。

ホラージャンルで活躍した平野俊貴監督など、さまざまなOVAやTVアニメの監督を手がけながら、劇場作品を監督したことはない。もちろんOVAやTVアニメも玉石混交だが、ベストテン以上に楽しめた作品も複数ある。

鬼公子炎魔』(2006年、神戸守監督)というOVAは、実写ホラーでは多くてもアニメ作品には珍しい演出、たとえば長回しなどを多用。恐怖感においてはベストテンにあげたアニメ映画よりも印象に残っている。アクションホラーでいて、救いのない結末も両立しているところも珍しい。

『悪魔の花嫁 蘭の組曲』(1988年、りんたろう監督)も、オカルトホラーな原作を題材に、本格ミステリをスリラー調に展開していて楽しめた。

『ねこぢる草』(2001年、佐藤竜雄監督)は、ほとんど台詞を排し、デフォルメされたキャラクターの、シュールな世界の旅路を描く。映像面では『マインドゲーム』の湯浅政明監督が腕をふるっており、アニメーションとしての魅力も大きい。

『BETTERMAN』(1999年、米たにヨシトモ監督)は、全26話にわたるオリジナルTVアニメで、多くのホラージャンルを越境しつつ連続ストーリーを展開した作品。さまざまなアニメ監督が演出に参加し、表現手段もバラエティに富んでいて楽しめた。

serial experiments lain』(1998年、中村隆太郎監督)は、電脳を使って人々が日常的につながる社会の断絶を予見した、深夜TVアニメとして印象深い。ちなみに中村監督も出崎監督の薫陶を受けた演出家。