「好きな人を嫌いになったり、嫌いな人を好きになったり、価値があったものがどうでもよくなったり、捨ててきたものを惜しんだりする――そんなあれこれの繰り返しこそが、人生であり、生きていくことなんだよ」
失ってはいけないものがある。
手放してはいけないものがある。
例えばそれは、
プライドであったりとか、宝物であったりとか、尊厳であったりとか、名声であったりとか。
――違うね。
友情であったりとか、恋人であったりとか、親友であったりとか、夢であったりとか。
――ああ、まったく的外れだ。
それは、得てして物ではない。
それは、得てして者ではない。
わからない。
――言わなきゃわからないことなのか?
誰のために。
――他がために?
思った通りの道程ではなかった。
――しかし、よかったとなら言える道程であっただろう?
世界に本当に救いがあるのかどうかなんて誰にもわからない。何故なら誰も神様なんかじゃないからだ。
人は、破壊者には成れど、救世主には成り得ない。何故なら人は万能ではないからだ。
でも、もし、
以心伝心。教外別伝。
想いが伝わるのなら。
思いが通い合えるのなら。
《救世主》なんか必要ない。
「自分の命さえ救えないアホが、他人の命を救えるわけがねーだろ」
だから少女は――
これは救世主を否定する物語。
夜の森を、まるで稲妻のような閃光が駆け抜けた。
一閃。金切り音を纏った光の線は暗い空間を切り裂き、瞬間、強烈な炸裂音と共に数本の木々が粉砕する。
豪快なその一撃により木々は轟音を立てながら地に落ち、鬱蒼と茂った森林が一瞬にして見通しのいい広場と化した。
その開けた広場に――人影が二つ。
その内、木々を粉砕した“異形を纏った”ほうの人影が言う。
「そろそろ正体を名乗る気になったかよ? 犯罪者」
酷くくぐもった低音が木霊した。
今しがた森林を一切合切に薙ぎ倒し、吹き飛ばした人影が立ち上がる。
――なんとも理解しがたい状況である。
周囲に散らばる倒木は、どれも、直径一メートルは下らない成木である。どれだけ筋骨隆々とした巨漢が例え戦斧を持ち出したとしても、一撃で両断することなどできはしない。
それを影は、武器も何も無しに行った。それも筋骨隆々どころか、全体的に線を書いたような華奢な体格をしているにも関わらず。
剣戟――否。
どこぞのシスコン勇者の聖剣による斬撃の一閃でもない。
銃撃――否。
どこぞのHENTAIアンドロイドの破壊機銃による鉛の嵐でもない。
魔法――否。
どこぞの魔法少女による魔法の蹂躙でもない。
打撃――然り。
影が繰り出した一撃は――もっと単純な、ただの飛び蹴りである。それで森林を一掃したなど、普通ならば到底あり得ない話であるが。
しかし、それが言葉通りの『普通の人間』であった場合にのみ限られるわけで、それが《超最先端科学技術を結集した鎧》を纏った異形ならば――存外あり得ない話しではない。
その、全身を黒い光沢のあるピッシリとした鎧に身を包み《バッタの顔を象った仮面》を頭部に添え、ジャラジャラと様々な装飾の取り付けたベルトをする異形は、自身の前方の空間に腕を指して言葉を紡ぐ。
「こんな夜中に危険な森を一人で出歩くとは怪しさ極まりねーな。今の《蹴り》は挨拶代わりだと知れよ。俺の、俺たちの、『ライダー』のキックはこんなもんじゃねえ」
《仮面ライダー》は言葉を紡ぐ。
遠方、倒木の中、そこにいる、己が必殺の蹴りをわざと外してやった《人間》に向けて。
「さっさと身分証明書なり何なり出してもらおーか。じゃねーと、いつも毎度毎度の怪人必殺の技でもって、迅速に爆発爆破爆散爆死して機関から改造手術を受けて貰うことに――」
その人間は、黒い髪を持っている。
その人間は、紅い瞳を持っている。
その人間は、右手にネギを持っている。
その人間は、まるで悪魔が微笑んだような歪な笑みを浮かべている。
ゾクリと、言い知れぬ寒気が背筋を駆け巡り、それらによってライダーは途端に言葉を失った。
異形が頭部に添えるマスクの複眼レンズから無数に映る人間の顔。瞳は宝石のように鮮やかで、煌びやか、しかしその奥の奥に潜む“殺意”が刃物のように異形を斬りつける。歪に釣りあがった口元はいっそ狂気的に思えた。
――『0パーセント』
この数字は即ち、仮面ライダーのマスクに備わっている機能、戦闘力を測る機能が導き出す数値だ。この場合の0が指し示す意味とは、つまるところの戦闘力0。危険度ゼロ。無害。ノープログレム。一般人ですこの人。そういうことを指し示す。
つまり、それがその人間から導き出された数値であったのだ。だからこそ、ライダーは確信していた。自分が、一般人ごときに遅れをとるはずがない。
なのになぜ。
恐怖。畏怖。
何かがおかしかった。
全てがおかしかった。
言い知れないざわめきが、体を緊張させる。小刻みに震える膝は、一体何に怯えている。
仮面ライダーは否定する。
魔導師でも、超能力者でも、ましてや魔物や怪人でも、宇宙人でもロボットでもない、ただの民間人に自分が恐怖を駆り立てられるわけがない。
仮面ライダーは自問する。
ならば、なぜ自分は震えているのか。
仮面ライダーは自答する。
これはおそらく、ただ少し寒いだけなのだと。
人間はゆっくりとした挙動で歩き出す。
目測百七十程度の、人間ならば至極平均的な身長だ。なにもおかしくはない。しかし、その人間が醸し出すオーラは、その平均を軽く凌駕していた。
「――犯罪者だって? はっはー」
凛とした、鈴を転がしたような笑い声が響く。
その瞬間。
――『30パーセント』
《計測器》の指針が“揺れ始めた”。
――『50パーセント』
警告。
人間が不気味に嗤う。
――『70パーセント』
異常。
止まらない膝の震え。
――『90パーセント』
危険。
人間の右手のネギが黄金に輝きに包まれ、
「――テメェの勝手な解釈で私の邪魔してんじゃねーよバカァァァァァァァ」
刹那、地を割るような怒号と共にライダーの脇腹へと振り抜かれた。
そしてあろうことか、爆撃機による爆撃でも傷つかないスーツが『ヒビ割れた』。
ネギが打ち付けられた場所を中心に体全体へ衝撃が爆発する。すると、『ヒビ割れた』スーツが今度こそ『砕け散る』。ネギはスーツを突き破り、肋骨を粉砕し、臓を破裂させる。肺に残る僅かな空気さえ強制的に排出された。
ネギから生み出されたとは思えない常識の範疇を遥かに超えた一撃に、体を駆け巡る痛覚に、ライダーの意識は一瞬にして暗澹とし始めた。
妙にスローモーションに映る景色の中で、仮面ライダーは一人思う。
負けるつもりなんて無かった。世界のトップヒーローの一角を担う自分が一般人に遅れをとったつもりなど毛頭ない。ただ、いい訳が許されるのなら、これはそう、明らかにイレギュラーだったのである。こんなことになるのなら、自らの体が発する危険信号に素直に従っておけばよかった、と。
しかし、全てはもう遅い。過ぎ去った時は戻らない。
側面からの衝撃で軽々とライダーの体は鬱蒼と生える森林の中へと吹き飛び――グシャリという鈍い音共に地面へと荒々しく着地する。
急速に薄れ行く意識の中で、ライダーは確かに見た。
スーツの破損による機能障害の弊害で砂嵐のように乱れるマスク越しの視界に映る、計測器の、
――『測定不能』という文字を。
そうしてライダーは確信する。
自分が異形を纏った人間であれば。
この人間は――この“女”は、
――人の形をした《化物》だ。
「ああ、木の実諸共ぜんぶ潰しやがって。おかげで明日の朝食は無しだよ、まったく」
ライダーは最後にそれだけ聞き取り、程なくして意識を失ったのだった――。
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