将棋の米長邦雄さん 死去12月18日 17時32分
プロ棋士として数多くのタイトルを獲得し、永世棋聖の称号を持ち、引退後も日本将棋連盟の会長として将棋界の発展に貢献してきた米長邦雄さんが、前立腺がんのため、18日、東京都内の病院で亡くなりました。
69歳でした。
米長さんは山梨県の出身で、昭和38年、19歳の時に将棋のプロ棋士になり、「さわやか流」と呼ばれる棋風で活躍しました。
昭和59年には、棋聖、王将、棋王、十段の4つのタイトルを持つ四冠となり、翌年に永世棋聖の称号を獲得しました。
平成5年には、7度目の挑戦で初めて名人のタイトルを獲得し、49歳の最年長の名人として話題を呼びました。
対局では、中原誠十六世名人の好敵手として名勝負を繰り広げるなど、60歳で引退するまでに通算1103勝を挙げました。
また、東京都の教育委員を務め、子どもたちへの将棋の指導にも取り組んだほか、平成17年からは、日本将棋連盟の会長を務めるなど、長年にわたって将棋界の発展に貢献しました。
こうした功績が認められ、平成15年に紫綬褒章を受章しています。
米長さんは、平成20年に前立腺がんと診断されてからも治療を受けながら活動を続け、最近では、ことし1月にコンピューター将棋との公式対局を行って話題を集めました。
その後、再び体調を崩し、先週からは東京都内の病院に入院し、治療を受けていましたが、18日午前7時18分、亡くなったということです。
通夜は今月23日の午後6時半から、葬儀・告別式は24日の午前10時半から、いずれも東京・目黒区の円融寺で営まれます。
史上3人目の永世棋聖
永世棋聖とは、将棋で7つあるタイトルの1つ、棋聖戦で、通算5期以上タイトルを保持した棋士が原則、引退したあとに名乗ることができる称号です。
米長さんは昭和60年、史上3人目の永世棋聖となりました。
米長さんのほかは、戦後の将棋界で一時代を築いた大山康晴十五世名人と中原誠十六世名人がいて、このうち中原十六世名人は、現役時代から永世棋聖を名乗っています。
現役の棋士では、羽生善治三冠や佐藤康光王将も、棋聖戦で通算5期以上タイトルを保持していたことから、永世棋聖の資格を持っています。
こんなに早く亡くなるとは
亡くなった米長邦雄さんと数々の名勝負を繰り広げ、ライバルとして将棋界を盛り上げてきた中原誠十六世名人は「容体がよくないとは聞いていましたが、こんなに早く亡くなるとは驚きました。米長さんとはライバルと言われ、ずいぶんタイトル戦で戦いました。その頃のことを思いだしながら、哀悼の意を表したいと思います」というコメントを出しました。
“もっと教わりたかった”
亡くなった米長邦雄さんの次の世代の棋士として、米長さんに挑戦し、数々のタイトル戦で名勝負を残した日本将棋連盟専務理事の谷川浩司九段は「米長永世棋聖には名人戦、棋聖戦のタイトル戦をはじめ、公式戦で60局以上教わりました。中終盤での戦い方は大いに勉強になり、名著『米長の将棋』シリーズは10代の私のバイブルでした。役員としても1年半、ご一緒させていただきましたが、その行動力と発想の柔軟さにはいつも感心させられました。もっといろいろなことを教わりたかった、と残念でなりません」というコメントを出しました。
“米長哲学は重要な礎”
米長永世棋聖について、羽生善治三冠は「突然のことで、驚いています。
対戦したときに、2日間、一度もひざを崩さずに勝負に臨まれていて、そのときの迫力がとても印象に残っています。
『どんな相手に対しても全力を尽くすことが棋士の本分だ』という米長哲学は、将棋の世界では重要な礎となっていて私も勝負の世界の厳しさを教えられました。
私にとって、非常に大きな存在でした」と話していました。
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