KoichiYasuoka 2010/09/28 22:28
>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり
と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
私が書いた部分を見ていただければ、
山田尚勇が述べる歴史の順序は、
- マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
- 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
- そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。
ってな流れでは。たぶん。
つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY
ということで、山田尚勇の 私による勝手に代弁部分であり、私の主張ってわけでも 必ずしもない、。また、断定のつもりはありませんでした。断定しているように読めますでしょうか?
あと山田尚勇原文には、そしりを受けた可能性のある「被そしり受信者なり論難こうむり者」は、
The Truth of QWERTYAny pioneer who suggested that typists need not look at the keys (
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologYgoogle:タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たち -raycy
タイプライタ入力法の発展)
CiNii 論文 - A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
とあり、「He」
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram - 葉仮名raycy - KliologYHe was never jeered as a faker,
The Truth of QWERTY
彼McGurrinひとりに限定されてはいない。
私としては、「そしり」流言があったとすれば その埋蔵場所時期候補としては、山田尚勇に、
1900年までの間にようやく全指を用いるタイプ法が抬頭してきたが、それでも約半数のタイピスト学校では依然として鍵盤を見ながら打鍵する方法を教えていた。やっと1920年になってエサリッジ( Etheridge 1920, p.242)が次のような論評を書いている。
タイプライタ入力法の発展
とあるので、
なので、鍵盤を見ないタッチタイプへの「そしり」なり「批判」的なものが、半数のタイピスト学校の教師やらによってもたれていたとも考えられ、
「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。
これは、1888年7月25日以前の証言とは 相反するようですが、そうではなくて、
1888年7月25日以前のほうが、「大いに ひどかった時期であり、」、漠然と根拠なくではあろうが 「そしり」には強いものがあったであろう、、
その「そしり」やら「批判」は徐々に減衰していくが、1900年あるいは1920年ごろにまで、根深く 隠然とあったであろうってな仮説をとってみています。
(でも、その「そしり」の性質は、1888年7月25日ごろ以前と以後では、その性質が、変わってくるでしょうかね、。)
>http://homepage2.nifty.com/m_iwata/honsitu.html:title>そういったコツが知れ渡るまでは、一般人には無理だとか、、そういう理解が多かったとか、、Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:
出典 : Touchart Or Practical Typewriting p21
このような仮説設定をしてから、広めの構えをもって網を張って、傍証なり反証なりの調査収集に 当たるべきでしょう、、ってな気持ちです。
FとJ | |
ベイツ・トリー(Bates Torrey)のタイピング法
ベイツ・トリー(Bates Torrery) は、1889年に「Practical Typewriting: All-Finger Method」と云う両手の8本の指と親指を使う教則本を 発表しています。このタイピング法は、「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。目的の文字(キー)への指の移動が「Guide Key」から相対的に移動すると云う「相対操作方法」の始まりと云うべき画期的な操作方法でした。
タイプライターのキーボードからパソコンキーボードへの変遷 ![]()
出典 : Touchart Or Practical Typewriting p21
とある。
AとP
FとJだっけ、またAと;
(1915年8月3日成立)は、キーボードのAとセミコロンに嵌め込む「キャップ」の特許である。
キーボードのFとJの目印 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
でもなかった、、
The Atlantic: 第 193 巻
Cairns Collection of American Women Writers - 1954 - スニペット表示
Mrs. Longley might have lost the argument if another rebel, Frank E. McGurrin of Salt Lake City, had not appeared on the typewriting scene. McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City, ...
McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City - Google ????
とあり、また、同誌には
Bruce Bliven,Jr., The Wonderful Writing Machine
The Atlantic - Google Books
ブルース ブリーヴェン Jr.だかも引いてあるようだから、あるいは そっちから引いてきているのか。
「jeered as a faker」とかってのは、あるいは、どっかから引いてきたのか、、どこにあるかわからぬが、、
存在しない記事を参照する方法
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
「悪魔の証明」、そしり表現はないとして、できることといったら
「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法ってことぐらいになりますかね。
だが、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってこと自体の知名度が低かっただろうから、
評価を立てるには、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってアイディアが広まってから、、
それは、1888年7月25日以後ってことかなあ、、うむ。
でも、McGurrinによれば、勤務先オフィスが1878年のレミントンNo.1調達したころから?、タッチタイプ法が試みられテストされはじめ、
http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_OperatorHe ( D. E. Corbitt? ) bought a second-hand No. 1 (Remington) Typewriter,
Utah州成立とFrank Edward McGurrin | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパンI made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard. I discarded my former method of two or three fingers and determined to use all of my fingers. Before the end of the year 1878 I could write upwards of 90 words a minute in new matter without looking at the keyboard.
1881年には、第三者によって観察されていたようであり、、
スラッシュドット・ジャパン検索ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。
国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
1886年ごろには、速記の雑誌などに載りはじめ?
1887年には確実に載っている
「"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.
Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush」
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
1888年にいたるまでの、潜伏期間は あった、、
着色を、ピンク(疑義)からグレー(真偽不明)に、まあ格下げしとくべきでしょうかね、
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologYTuesday, August 08, 2006
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
疑義、疑念、反論、反証、真偽or適不適の判別が微妙なもの、成立していると見做しているもの
色分け凡例 - 葉仮名raycy - KliologY
真偽不明レベルへ。
論法としては、先の記事だけでは納得できませんが、。
貴殿による2010/09/28 22:28の付加コメントも加味してなら、
2010/09/28 22:28
Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
まあ、充分な反証を探し当てるのは、なかなか困難でしょうね。
google:They are called upstrike typewriters and their typebars never jam. -raycyThe Truth of QWERTY:Tuesday, August 29, 2006)
ところで、
2010/09/29 07:45
この論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
には、この文言「jeered as a faker」の訂正も 託されたうちに入っているのですか?
山田尚勇氏が「jeered as a faker」を書いた典拠あるいは経緯は、把握済みなのでしょうか。
あと、「タッチタイピスト」なんかについても、安岡孝一先生の最新研究の成果を、反映なさるおつもりでしょうか。
安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 葉仮名raycy - KliologY
鷗外全集: 著作篇 - 森鷗外 - Google ブックス
- 鷗外全集: 著作篇
- 此詞を餘り正直に閡いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解す
?h掂????h - Google ????大国聖日蓮上人 - tanaka chigaku - Google ブックス
- 大国聖日蓮上人 tanaka chigaku - 608 ページ -
- ... の信やる宗法佛神を謗られたものと誤解して起す所の怨嫉である。
ここは ぜひとも、筋だてとしては、そしりを受けていてほしいものだが、
「was jeered as a faker」
"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.
Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
そしりがあったとすれば、
「without looking at the keys」ってな打鍵法が、それだけ衝撃的であり、にわかには信じがたいものであったってことでしょう。それを真に受けて1878年ごろから試したMcGurrin?
と、散々鍵盤を見ずに打鍵する法について論じてきているが、、
そんなことは、タッチタイピングの本質とは関係なくて、ってな説も、ありうるのかな、、
「本物の科学」が提供する「今で言うところのタッチタイピスト」 - 葉仮名raycy - KliologY安岡孝一氏が著書で開陳した「タッチタイプ」の定義は、通常一般とは異なるものだった。 - 葉仮名raycy - KliologY「トローブは、今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』
安岡孝一氏が2005年来主張してきた「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。でもそれって、McGurrinは鍵盤見る事なき打鍵とは認めてないんですけど、、 - 葉仮名raycy - KliologY@amazon
87ページ)
FとJ | |
キーボード ランドマークの歴史
手指の待機位置は、中空、やや開き加減、落としたときに左小指がQに右小指がPに、、
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.archive.org/details/instructioninpra00torriala
キーボードがデカかった時代、指形にキーを配置することは、切実さは少なかっただろう、、 - 霊犀社2Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith's numerals; a manual of blackboard illustrations for shorthand teachers; and suggestions for typewriter practice .. ([1893])
Author: Torrey, Bates
Hand position is best secured by dropping the fourth fingers upon P and Q and making the other fingers
fall naturally upon the next figures in order, P O I U, for right hand, and Q W E R for the left; then
place the right thumb on the space bar, and if the elbows are close to the body, a good hand position is attained. It can not be too often reiterated that good hand position is the foundation of met/tod in type-writing.
Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith’s numerals; a manual of blackboard illustrations for shorthするってえと、Torreyの場合、ホームローは上段 QWERTYUIOPの段、ホームポジションはOWER UIOPで、その要はQ と P?
葉仮名raycy - KliologY
1893年か、、Bates Torreyじゃないか、、Q と P?
するってえと、1889年のタッチってのは、どうかな、、直接見てない伝聞なので、要チェック、、
その後、
やがて
私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologYとまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
そんな、、
こんなことで言い争うつもりもありませんが、
先に論証して見せてらっしゃるのは、貴殿の
「 私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた 」っていう部分じゃないでしょうか。貴殿御自身の知を神化なさっていらっしゃるのか。
「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2
「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら
2010-09-29 - 葉仮名raycy - KliologY
だけで判断してみていたが、
それでは弱いので、
的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、
あと、The Truth of QWERTYへの当初 August 08, 2006 記事http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.htmlとは別に、今次のコメントで追加提示された論拠、
2010/09/28 22:28
1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんです
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
安岡孝一氏が設定した網のcoverageの中での、ほぼ しらみつぶしってな気分ぐらいに 調べたけれども、なかったっておっしゃってるわけですよね。"never"ってぐらいだし。
その前に、的というか 網の設定の問題もあったかな。
どうも、私が狭くいえば、彼のその網も狭まり、私が広く言えば、その網には文句をつけるわけね、、
いったい貴殿(安岡孝一先生)は、存在しないとおっしゃる、その探されるべき記事なり記録;日記なりを、どのような範囲のものとお考えか。どこの何を探して 無かった と おっしゃってらっしゃるのか。
私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。
2010-09-29 - 葉仮名raycy - KliologY
「存在しない記事を参照する方法」ってのは、「悪魔の証明」に陥る話っぽいので 付き合うきになれません。ってか、それ以前に、自己矛盾的命題設定かな?
平成12年03月17日 小渕恵三「 御存じのように、ないと信じておりますから、ないものをないということを証明することは悪魔の証明であることでなかなか難しゅうございますから、あるとすればどういう点であるかということをお話しいただきたいと思います。」
「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2
疑念箇所が存在する可能性のある点を挙げさせ、それをつぶすという方法で、疑念をひとつひとつつぶす方法を ご提案なされたような、、
私は、存在可能性のある部分を まずは挙げようとしているわけだったのでしょう、。探すべきもの と 探すべき箇所、。
先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、 - 葉仮名raycy - KliologY
Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:そういったコツが知れ渡るまでは、一般人には無理だとか、、そういう理解が多かったとか、、
キーボード打鍵姿勢やらキーボード ランドマークの歴史 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:メソッドに手法にぶれがある、、
ってな具合に、網を設定したい。ご同意いただけないかも知れませんが、、
>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
と「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら
>「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。
とか言い出す。何なんですか、それ。しかも私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。