最近では郵政選挙に政権選択、古いところではマドンナブーム、今回は第三極など、それぞれの衆院選で注目を集めたキーワードがあった。平成以降、愛媛政界にとってエポックとなった三つの衆院選をキーワードで振り返った。(敬称略、山根健一)
選挙目的との批判を一部で受けながら新党が相次いで生まれ、離合集散も激しかった今回の衆院選公示前。現在の政界再編の源流をたどると、元熊本県知事細川護煕による1992年の日本新党結成に行き着く。
日本新は同年参院選で4議席を獲得。その勢いをかって93年衆院選に臨んだ。選挙直前には自民党が分裂して新党さきがけ、新生党が誕生。新党ブームだった。
愛媛では元県議の中村時広(現知事)が自民に決別して日本新から1区(当時、定数3)に出馬。県議を辞職して無所属で立って落選した90年に続く2回目の挑戦だった。
中村は日本新に移った当時の思いを「(自民政治が続き)流れない水は濁るという言葉は正しいと思った。政治は経済成長の果実を分配するだけになり、現実に適応できなくなっていた」と明かす。県庁での出馬会見では「政界再編を視野に政治改革の捨て石になりたい」と決意を語っていた。
中村は3位当選し、日本新も全国で35議席を獲得。選挙後、非自民非共産の8党派連立の細川内閣が誕生し、自民を38年ぶりに下野させた。しかしその後、連立は瓦解(がかい)。94年、自民、社会、さきがけ3党による村山富市内閣が発足した。
小選挙区制が導入された96年衆院選で、中村は日本新、新生、公明党の一部などが合流した新進党から出馬したが、自民関谷勝嗣との前職対決に敗戦。県内の新進は中村ら議員や立候補者ごとの個人商店的な色彩が強く、組織としての体をなしているとは言い難かった。中村が「自民王国の中で(他党から)立候補するのは勇気がいった」と話す通り、愛媛は新党組織が根付きにくい環境でもあった。また、他県で新党の柱となった自民からの離党国会議員が愛媛では出なかった。
当時の新党はいったん民主党にほぼ集約。同党が愛媛で初の国会議員を出すのは2009年で、既に既成政党に位置付けられていた。
政界再編の掛け声がやまないこの20年を中村はこう振り返る。「日本新党は結党が10年早かった。(結党当時は)政治の危機的状況が国民に浸透していなかった」
| 公示 | 12月4日(火) |
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| 投開票 | 12月16日(日) |