アメリカから送られた貴重な資料
アメリカにお住まいで、WJFプロジェクトを応援してくださり、こちらのプログにもときどき書き込みをくださる方より、貴重な資料をいただきましたので、皆さんにもご紹介します。
伊藤博文が安重根に暗殺されたのが、1909年の10月26日。日韓併合が、1910年の8月29日のことですが、その間の1910年1月13日に発行されたアメリカの雑誌『インディペンデント』の『1909年の日本』という記事です。その中に朝鮮問題について次のような記述が読めます。
(The sad event of the latter part of the year should be mentioned first---the assassin's act of October 26, a deed that called forth the sympathy of the whole world for Japan. The assassin made a great mistake, for he killed the best friend Korea had among the Japanese; the wisest official protector of the great missionary movement in Korea; the man known throughout the world as the framer of Japan's remarkable Constitution, with its open recognition of the liberties of the people; the greatest statesman of the East; a profound lover of peace. )
ここで興味深いのは大日本帝国憲法を「国民の自由に関する開かれた認識を備えている」と評していることです。大日本帝国憲法は、国民の基本的人権や自由を制限したり抑圧する憲法であったかのように、日本の戦後教育では教えられてきました。
(The Koreans have long been inviting their political doom by their utter incapacity to deal with international problems, and have become a standing peril to the peace of the East. It was a choice between China, Russia and Japan, one of which had to protect and control that peninsula. While such an experiment of necessity brings much of profound suffering and loss and even brutality, together with the indescribable pain patriotic people feel at the loss of their country's independence, yet it is apparent that Korea never had, in education, in finance, in all that pertains to civil and criminal law, the blessings Japan has thus far given her, or rather forced her to take for the food of the world. )
貴重な資料の提供に改めて感謝申し上げます。
この他にもいろいろと興味深い資料をいただいていますので、順次、皆様にもご紹介してまいりたいと思います。
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コメント
benjaminさん
どうぞご自由にお使いください。他にもいろいろと興味深い資料をいただいていますので、少しずつ紹介させていただきます。benjaminさんのブログのリンクもご紹介いただければ幸いです。
投稿: WJF | 2012年12月 5日 (水) 03時18分
興味深い資料ありがとうございます。近代化した(中華思想を脱した)朝鮮や中国と平和な同盟関係を結び、西洋の帝国主義に拮抗しうるアジアを建設することこそ、日本の悲願でしたが、日露戦争以降、アメリカが介入してくることで、歴史はあらぬ方向へとねじ曲げられ日本は囲い込まれていったと理解しています。
投稿: WJF | 2012年12月 5日 (水) 02時57分
もうご存知かもしれませんが、ネットでこんなもの拾って来ました。
英語の原文が見当たりませんでしたが、韓国語に翻訳されたものが紹介されていました。
『Undiplomatic Memories: The Far East 1896-1904(極東回想記)』(1930)William Franklin Sands
“朝鮮人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、日本の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。”
韓国人は伊藤博文が朝鮮の民族衣装を着て写っている写真の存在を知ってるのでしょうかね。
投稿: バッド | 2012年12月 5日 (水) 01時05分
こんにちは、benjaminです。
日韓併合時前後の朝鮮王朝の国家経営は破たんして
いて、毎年2000万円余のお金を日本政府が補って
いたそうですね。韓国側の歴史にはそのことには
一切触れてないといらしいですが。
私は英文のブログをやっているのですが、いままで
あちらに都合の良い話ばかり書かれっぱなしでした
ので、こういった事実も少しずつ書いていったほう
がいいかなと考えています。
上記のインディペンデントの記事も大変貴重な資料
ですね。
先々、ブログに使わせていただいてもよろしいでしょうか?
投稿: benjamin | 2012年12月 4日 (火) 08時15分
そうですね、昭和帝陛下の玉音に従って、堪え難きを堪え忍び難きを忍びながら粘り強くGHQと対峙し、直接軍政の回避といった日本にとって有利な状況を能う限りつくり出そうとした当時の日本人の忍耐・努力・覚悟には尊敬の念を禁じ得ません。
投稿: bizen | 2012年9月23日 (日) 03時33分
マッカーサーは日本総監のような存在だったと思いますが、自分たちの置かれた状勢を理解し、「仕方のないこと」として受け入れる覚悟は、日本人は持っていたと思います。
投稿: WJF | 2012年9月23日 (日) 01時44分
おお!貴重な資料ですね!(本物かどうかは国会図書館とかでダブルチェックしないと分からないかもしれませんが)WJF様のご活動が世界中の外国の方からも支持されているのは心強い限りです。日頃のご活躍に心から感謝しております。余計なことかもしれませんが、もし伊藤博文さんを動画でとりあげる際には、いちおう韓国統監という地位にいたことはある程度当時の(国粋的な)朝鮮人から恨みを買っても仕方がないという点に言及しておいた方がよいのではないでしょうか。暗殺を肯定しているわけではありませんが、韓国人閲覧者のボルテージを上げさせないで冷静に動画を見てもらうために。もし仮に米国が日本を保護国にしてしまってペリーが日本統監になったりしたとしたら、正直自分はペリーに悪印象を持たざるを得ないでしょうし・・・
伊藤博文さんは日本の偉人の1人だと思ってはいますが。
投稿: bizen | 2012年9月23日 (日) 01時36分