懐かしの三角パックの牛乳と牛乳パックのリサイクル
テトラ・パックの牛乳というのがあったのをご存知でしょうか。学校給食に多く利用されていた三角パックの牛乳で、ある年齢以上の方なら「あ〜、あれね。」と懐かしさに遠い目をしてしまうかもしれません。
懐かしのテトラ・パック
テトラ・パックと言えば、それとともに思い出すのが、飲み終わったあと、ストローでプゥっと息を吹き込んで膨らませ、床において足で踏んでパァーンと鳴らした思い出。いかにも小学生が面白がりそうな遊びですが、手に取ると、きれいに辺が破れて、たたみやすい状態になるので一石二鳥でもありました。
この三角パックは、スウェーデンのテトラパック社が開発したもの。第2次世界大戦中の1944年、スウェーデン政府は瓶より経済的で衛生的、しかも持ち運びに便利な牛乳容器の開発を提唱。7年後の1951年、最小の材料で牛乳を包む画期的な四面体容器、テトラ・クラシックが誕生したのだそうです。
戦争中は、ガラスやブリキ板が不足し、森林資源を豊富に有するスウェーデンにとっては、それを代替し、紙パルプの有効利用に通じる有益な発明として歓迎されたのでした。(余談ですが、現在の日本の牛乳の紙パックの多くは、主に北米や北欧の針葉樹を原料に作られています。紙の原料になるのは幹の上の枝や、製材過程で除かれる外周部分や端切れ、おがくずなどで、用材に適さない残材を無駄なく使ってできているそうです。)
その後、発表から1年もたたないうちにテトラ・クラシック容器入りクリームがスウェーデン全土に広がり、1954年には牛乳を詰める充填機が稼動を始め、テトラ・クラシックは、やがて海外にも輸出されるようになります。
日本での紙パックの登場
日本にはじめて顔見せしたのは、1956年、大阪で開かれた第3回国際見本市でした。このときの充填機は、あの「メイトー」で有名な協同乳業株式会社(非上場)の三鷹工場に納入されることになります。こうして、日本で初めての紙容器牛乳「名糖テトラ牛乳」が発売されたのです。
しかし、当初は瓶に比べて包装コストが割高、輸送中にパックが破れるなどの問題が多発、また消費者が瓶の牛乳に慣れていたからでしょうか、評判が芳しくなく、結局、昭和34年に名糖は一旦、三角パックの製造を完全に停止してしまいます。
三角パックが再び脚光を浴びるのは、昭和40年代に入ってから。大規模店舗による小売販売が発展して、瓶の回収を必要としない売りっ放しの手法が安くつくようになってからだそうです。
学校給食でも、学校単位で作っていた給食が給食センターでのセントラル・キッチン方式に移行する流れの中で、やはり回収を必要としない紙パックの利点が評価されて、三角パックの導入に繋がっていきます。でも結局、管理しにくい形状が仇となり、製造されなくなりました。
今でも三角パックを作っている会社
しかし、一部ではまだ三角パックを作っている会社があります。北海道野付郡別海町にある、株式会社べつかい乳業興社(非上場)と、江別市にある株式会社北海道酪農公社(非上場)。いずれも、現在もテトラ・パックの製造機械が壊れてしまうまで三角の牛乳の製造を続ける予定ということではありますが、どちらにしろ消えるのは時間の問題だと思うと急に寂しくなったりもしますね。
ところで、三角パックをきっかけに牛乳パックは紙パックがスタンダードとなり現代に続いていますが、秀逸なのはその構造。ふつうの紙は水につけたら破れてしまうのに、なんで牛乳パックは水に強いのでしょう。それは、ラミネート加工といって、紙の両面がポリエチレンでおおわれているからです。このポリエチレンは再生する際取り除かれ、エネルギーとして利用されるのだそうです。
牛乳パックは、トイレットペーパーやティッシュペーパー、キッチンペーパーなどに生まれ変わっています。たとえば、1ℓの牛乳パック6枚がトイレットペーパー1個に変身します。その量はトイレットペーパーで換算すると実に年間2億個分を超えるそうです。ぜひ、みなさんも牛乳パック回収に協力しましょう。そして、牛乳を購入する時は、「牛乳パック再生紙」と表示された商品を積極的に選ぶことも意識したいですね。