中央自動車道笹子トンネルの天井板崩落事故には、少なからぬ人たちが土建国家ニッポンの劣化を実感したのではなかろうか。
惨事の一週間ほど前に現場を車で通り抜けたばかりだった。よく使う道なのでトンネル出入り口付近の中継映像にも見覚えがある。
リアルなぶん、被害者の皆さんの無念を思う傍ら、自分も巻き込まれていたかもと戦慄(せんりつ)した。
同じマンション住民の中高年組の会合でもまさかの崩落事故への関心は高く、もっかの分かりにくい多党乱戦の総選挙よりもトンネル維持管理のありようがひとしきり話題になった。
トンネル天井を金づちでたたいて不具合部分を調べる「打音検査」という作業に、より科学的で合理的な手法をなぜ研究しないのかと、みんなが口をそろえたのはもっともだった。
笹子トンネルの場合、手間や経費の都合でその検査すら十年余なされてこなかったらしい。点検作業の不備が管理責任追及のポイントになるのも当然だ。
3・11大震災や原発の事故で私たちは安全神話の空虚さを痛いほど学んだ。なのに安全を運に任せてきたのだとすれば、管理者側の精神の劣化は甚だしい。
高度成長期に造られて繁栄する土建国家の象徴だった道路施設や橋の老朽化に潜む危険が指摘されて久しい。安全と安心へ身を砕くべき立場の人たちの心までが、物と一緒に劣化しては救いがない。 (谷政幸)
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