「やりたいこと」だけやればいい。「やりたくないこと」は自分の価値を下げる

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2012/12/16


何かホントにそう思うので書いてみます。


やりたいことだけやっていればいい

僕はマジでやりたいことしかやってません。独立したばかりだった2011年は、ぶっちゃけ「やりたくないこと仕事」もいくつかやってしまいましたが、2012年は一貫してやりたいことしかやっていません。カレンダーを見返してみても、やりたくない仕事はひとつもやっていません。そして2013年もそんな感じで生きていけそうです。

これはひとえに、僕が「やりたいことしかやらないようにしている」からだと思います。まぁ「やりたいことしかやらないようにしている」のなら、「今年はやりたいことしかやっていない」というのは当然ですよね。


不思議なもので、やりたいことしかやらないようにしていると、自然とやりたいことが仕事として集まってくるものです。自己啓発っぽいですが、経験上、これはそういうものです。

例えばみなさんの周囲に、プロを目指して、本気かつ楽しそうにバンドを続けている友人がいるとします。もしみなさんが音楽関係の仕事をすることになったとき、きっと真っ先に、彼・彼女の顔が思い浮かぶはずです。そこで彼・彼女が「その仕事を受けるに値する力」を持っていると判断できるのなら、みなさんは間違いなく彼らと仕事をすることになるでしょう。


やりたいことだけを本気で突き詰めていれば、中途半端にしか取り組んでいない連中に比べて、「その仕事を受けるに値する力」は高くなります。

そうして「やりたいこと」を仕事にしつづけることに成功すれば、ますますその人の能力・魅力は向上し、仕事を引き寄せるようになっていきます。


やりたくないことも我慢してしまうと、仕事が楽しくなくなりますし、なにより人材としてのオリジナリティがなくなっていきます

人間というものは、「誰でもできるような仕事(代替可能な仕事、自分である必要性がない仕事)」に対して、「やりたくない」という感情を抱くものです。誰でもできるような仕事を好んでやる人はいないでしょう。

やりたくない仕事ばかりを我慢してやりつづけている人は、「いつクビにしても会社は困らない人材」にしかなりえないと僕は思います。我慢すればするほど、自分の価値が落ちていくのです。


「やりたいことだけやる生き方」が許される条件

とはいえ、「やりたいことだけやる生き方」、言いかえれば「やりたくないことは徹底的にやらない生き方」にもリスクがあります。これはハイリスク・ハイリターンな生き方かもしれません。

そんなわけで、やりたいことだけやっている僕なりに、その条件を考えてみました。「やりたいことだけやる生き方」がおすすめできるのは、下記のような場合でしょう。

「やりたいこと」を突き詰めたとき、それがある程度のお金になる(例えば「クサガメの育成」なんかだと、なかなかそれ一本で食っていくのが難しいはずです)
「やりたいこと」でオリジナルな市場価値を提供できる
「お金のための仕事」をしないで済むほど、生活コストが低いor資産がある
「やりたいこと」の範囲を器用に調整できる

いいかえると、

・「やりたいこと」が金にならない
・「やりたいこと」で市場価値が出せない、出せる自信がない
・生活コストが高い、資産がない
・特定の「やりたいこと」にこだわりすぎてしまう

なんて場合は、「やりたいことだけやる生き方」の選択は、没落への一途かもしれません。市場規模の割に志望者が多いミュージシャンや小説家なんかは、なかなか難しい道だと思います。


特に「やりたいこと」の範囲を柔軟に調整するのは重要です。

例えば「音楽家になりたい」という人は、もう少し掘り込むと「表現で誰かを幸せにすること」が「やりたいこと」かもしれません。とすると、音楽ではなく、例えば接客、カウンセリング、その他のアート活動も「やりたいこと」の範疇に入る可能性があります。

こうして器用に自分を納得させることも、「やりたいことだけやる生き方」には重要だと思います。


僕がやりたいことだけやって幸せに生きていけているのは、これらの条件を満たしているからなのでしょう。今後、市場動向と僕のスキル次第では、お金のために「やりたくないこと」もやらないといけない場面が出てくると思います。代替不可能なスキルを持ち、「金になる状況」を維持しつづけていきたいところです。


関連本。最近売れてるメンタルトレーナー、久瑠あさ美さんの本。この記事とタイトルかぶってるので読んでみます。