大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の社説。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。会員登録すると、過去90日分の社説のほか、朝刊で声やオピニオンも読むことができます。
|
東日本大震災から1年9カ月がすぎた。仮設住宅などで避難生活を続ける人は、いまなお32万人に及ぶ。
復興へ、課題は山積みだ。役所の縦割り、使いづらい復興予算、足りない人手、あてにならない政治家……。
しかし、怒りや不満をぶちまけるだけでは何も進まない。そう覚悟を決めた住民たちが立ち上がっている。
■将来世代への責任
人口の1割近い1250人超の死者・行方不明者が出た岩手県大槌(おおつち)町。かつての中心部は、がれきこそ撤去されたものの、何もない平地が広がる。
もともと1万6千人弱の人口が20年後には約1万人に減り、4人に1人が75歳以上になると予測されていた。そこに地震と津波が追い打ちをかけた。
碇川(いかりがわ)豊町長が打ち出したのは「住民が参加して、汗をかき、愛着をもってもらう」というボトムアップ型の復興だった。
町内10地区のうち計画作りを引っ張ったのは、赤浜地区だ。津波に流された観光船が民宿の上に乗った光景で有名になった集落である。
震災直後、孤立した中で食べ物や燃料を分かち合った住民は「このままでは集落から人がいなくなる」との危機感から「復興を考える会」を立ち上げた。
浸水地域の140世帯は高台などに集団移転。防潮堤は県が示した14.5メートルを拒否し、震災前と同じ6.4メートルにとどめる。人間がつくったものは自然の力には勝てない――7カ月後にまとめた復興案を貫く思想だ。
会合を繰り返し、意識の共有をはかった。移転先の用地の確保や先祖代々の土地に残りたい人の説得など、難しい調整にも住民が参加、協力した。
「孫子の代まで津波の心配をしないで暮らせる集落づくりは我々の責任」。妻や4歳の孫を失った「考える会」会長、川口博美さん(63)は語る。将来世代への思いが復興の原動力だ。
■自分たちで解決する
原発事故の被害地では、放射性物質の除染が復興に向けた最初の難題である。
福島市では、除染対象の11万世帯のうち2万5千世帯について作業の発注を終え、ようやく計画が軌道に乗り始めた。
住民への説明会は当初、混乱を極めた。ある地区では午後7時に始めたものの、怒号や賠償への意見などが相次ぎ、終わったのは翌日の午前1時半。市の担当者が話せたのは、たった15分だったという。
「それでも、少しずつ、自分たちで解決しなきゃと動き出す人が増えた。小さい子を抱え、切実な思いを持つお母さんたちが推進力でした」
自衛隊OBで、作業全体を指揮する福島市の草野利明防災専門官(56)はそう振り返る。
大きな集会から、一人ひとりが思いを語れる車座の会合を重ねる形に切り替えた。実験的に先行する作業現場や汚染土の保管場所の見学会を何度も企画した。そうして、仮置き場の確保が進み始めた。
用地が足りない住宅密集地では、除去した土を詰めるコンクリート製のボックスを使い、自宅で保管する方式をとった。国の対策にはなかった工夫だ。
だが、中央省庁のOKが出ない。変わったのは、今年10月初め。県内を視察した野田首相が除染の加速を指示してからだ。福島市に置かれた環境省の出先機関へ権限が大幅に移され、一気に物事が進み始めた。
「政治主導が必要な場面はある。大事なのは現場の声に耳を傾けること。政権が代わった場合でも、せっかく動き出した流れを止めないでほしい」と、草野さんは言う。
福島第一原発に近い地域は、はるかに険しい道のりを歩む。11市町村では放射線量に応じて三つの区域に分ける方法が地域社会を分断する。賠償の多寡、除染やインフラ復旧の進み具合も複雑に絡む。
当分戻れない自治体は、住民がまとまって移住する「仮のまち」を目指す。
どこにどんな「まち」をつくるのか、住民がとことん話し合って答えを出す。国は候補地の調整や財政面などで支える。この原則を貫くしかない。
■閉塞感を破るには
被災地に限らず、人口減少と高齢化は日本全体に共通する課題だ。閉塞(へいそく)感を打ち破るには、何が必要だろうか。
一つの解があるわけではない。私たちが自ら政治に参加し、行動することでしか、行き先は見いだせない。
身近な問題にも、制度や法律の壁が横たわる。自ら解決策を探り、決定権を持つ政治がそれに応えていく。そうした相互作用が求められている。
大震災後、初めての国政選挙が投票日を迎えた。代表者を選んであとはお任せでは、民主主義は完結しない。
被災地での挑戦に思いを巡らせ、「自分は何をすべきか」を考えつつ、一票を投じたい。