世の中、何が起こるかわからないものだ。
確かに書きたいから書いているわけで、そこには私の意思があり、決定がある。
にしても、まったく予定外だったし、何かはっきりした計画があるわけではない。
いや、ウチの掲示板、EGOists' BBSの+板で続けられているリレー小説の話だ。
最初、「なみのおと、うみのあお」に関するG.W氏とPanyan氏の会話に割り込んだ時点では、これがリレー小説になるとは、想像もしていなかった。(恐るべし、みゃふ氏のリレー力!w)
にもかかわらず、――いや、だからこそかもしれない――これが面白い。読む方々にとってどうかは定かでないけれど、限られた時間で可能な限りのサービスもしているつもりだ。(努力不足,才能不足はご容赦くださいw)
これまでも、突発的にリレーが始まるのはEGOの名物みたいなもの。現在も+じゃない方で「なみおと アザーッス!!!」が大好評(?)連載中。(Panyanさん、アザーッス!)
ただ、+板の「ぜらやなたり。」に関しては、これまでとちょっと違うテイスト、これまでと違ったやり方が試みられている。
わざわざ設定について話し合いがなされ、大きなミスに関しては修正も行われている。
参加する書き手とは別に、設定のみに参加されている方もいて、物語は多層的に形作られていく。
しかし何より違うのは、コミカルな要素はあるもののギャグではなく、基本的にエロMCものとして書かれているという点だろう。
はっきりした構想もなく、結末も浮かんでいない物語を、勢いだけで書く。作者としてはかなり無責任な書き方だと思うが、それでも書き進むうちにわかってくることがあり、決まってくることがある。
逆にいえば、すでに書かれたことが、未来を決定していく。
しかも、それは自分一人でコントロールできるわけですらない。
事実関係やすでに書かれていることの見落としや、重大なミスについてはこれまでも修正していきているが、物語の進行それ自体は、前に書かれたものを踏まえた上で進んでいく。
だから、自分が想像していた通りの物語になるとは限らない。
他の参加者の方々(現在は、みゃふ氏とアッガイ氏/2007.05.31現在)がどうかはわからないけれど、そこで私にはちょっとした焦りが生じる。
書き進むうちに見えてくる次のシーン、さらにその次のシーン。
もしかしたら、状況が変わってしまうかもしれないが、予想可能な範囲で想像している未来のシーン。
――書きたい。
そう思う気持ちが、焦りに繋がる。
みゃふ氏が、+じゃない方で「姉貴のエロが書きたいと激しく思ってしまった」と書いていたが、私もまた、他の人たちの書かれた部分を読んで、「ああ、このシーンは俺に書かせてくれ!」と強く思わされるのだ。
もちろん自分が書かなかったら、他の方が書くだろう。
それは、自分の想像とは微妙に違う書き方かもしれないが、まるっきり予想できない展開になるわけでもない。
だが、どうしても書きたいシーンというのがある。
最初からそう思っているわけではなくて、自分以外の人が書いたものを読んで、そう思わされる。
もしこれが、自分ひとりの創作だったら、時間軸をいじって順番を入れ換えたり、どのような展開が望ましいか、何パターンか試してみる、ということも可能だ。
だが、リレー小説では、それができない。
もしかすると、今ここで書いておかなければ二度と書けないかもしれないのだ。
たとえば、まだ書かれていないシーンでいえば、加賀美が初めて絶頂に達するシーン、姉貴が自分から求めてくるシーンは、一度書かれたら二度目はないのだ。
そのシーンの全てを自分で書きたいと思っているわけではない。
自分以外の書き手が、それをどう料理するのかという愉しみもある。
しかし、そこに至る過程、どのような会話がなされるかなど、想像するのは楽しい。
そして、そのうちの一部は、どうしても自分で書いてみたいと思ったりするのだ。
「ぜらやなたり」のもうひとつの特徴は、設定スレだったか、+じゃない方の掲示板でだったか話したが、定石通りのストーリー展開を目指していることではないだろうか。
ここでいう定石は創作全般における定石ではなく、「エロMCもの」というジャンルにおける“お約束”だ。
もちろん、みゃふ氏とアッガイ氏、そして私という書き手の個性は色濃く反映されているだろうし、長文書きの私が参加しているせいで、無駄に長くなってしまうという弱点はたっぷり持った上で、しかしオンラインMCエロ小説で起こるべきいくつかのポイントは押さえていきたいと思っている。
これまで私は、そのジャンルの中でまだやられていないことに関心が強かった。ヒミハコなどはまさにそのようにして書かれている。
――ある意味、邪道。ある意味、土俵外し。
しかし、多くの人が次を想像しやすいストーリー展開の中で、何を物語るか。それを面白くするにはどうしたらいいか。あるいは自分にしか書けないものをどう盛り込むか。そこに「ぜらやなたり。」の愉しみがある。
また、複数の書き手でリレーするからには、できるだけ次の展開が想像しやすい形で引き継いでいく必要があるし、勢いで書いていくためにはテーマそれ自体がシンプルであることが望ましいようにも思う。
にもかかわらず、「ぜらやなたり。」はそれぞれの書き手の意図を超えて、熱い物語になっているように思う。
ひとまとまりのストーリーとして、きちんと完結するものにしていきたい。
そして、自分自身の物語でもあるにもかかわらず、同時に一人では決して書き得ない物語になることを願っている。
――別の感性、異なる才能を持ったみなさんの参加をお待ちしております。

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