齋藤 今回の事故で放射性のヨウ素やセシウムによる食品への汚染が問題となって、消費者は非常に不安になりました。実際、事故によって食品に含まれる放射能は、どのように変化したのですか。
唐木 まず事実を知ることが非常に大事です。
昨年の3月に、福島第一原子力発電所が水素爆発を起こして多量のキセノンとセシウム、ヨウ素の三種類の放射性物質が放出されました。
キセノンは気体ですから、空気中に放出されましたが、地上には降りてこない。このため、キセノンは心配することはありません。
セシウムとヨウ素は、揮発性で高温で気体になって空気中に吹き上げられ、その後、雨などで地上に落ちてきました。
「なぜヨウ素とセシウムしか問題にしないのか。プルトニウムやそのほか恐ろしい放射性物質がたくさんあるはずなのに政府は隠しているんだ。これはけしからん」というような話をよく聞きます。ほかの放射性物質は気体でも揮発性でもないから、原子炉の中、あるいは発電所のごく周辺に留まっていて、そこから外にはほとんど出ていない。そして、それをきちんと測定しているという事実です。
ヨウ素は半減期が8日なので、事故後2、3か月経った時点でほぼなくなっている。一方、セシウムは半減期が約30年ですから、長期間消えることはない。まずこういう事実をきちんと理解しておくことが必要です。
齋藤 はい。
今の問題は土にあるセシウムが植物に取り込まれることだ
唐木 それでは実際に食品に何が起こったのか。事故直後にはホウレンソウやキャベツ、牛乳が汚染されました。空から放射性のヨウ素とセシウムが落ちてきて、野菜を汚染した。草も汚染されて、それを乳牛が食べたことで牛乳が汚染された。これは事故直後のことで、その後、4、5、6月と食品汚染の程度はどんどん少なくなった。
なぜかというと、水素爆発後、一過性に多量の放射性物質が出ましたが、その後、放出はほぼ止まっているんですね。ところどころで高い線量が見られたのは、風向きと降雨のため空気中の放射性物質が落ちてきたからと考えられています。今はゼロではないんですが、ほとんど出ていない。
空から降ってくる放射性物質がなくなったから、直接の汚染はなくなりました。今、問題になるのは、土にあるセシウムが植物に取り込まれて汚染が起こっていることです。
除染が進めば、食品汚染の程度は、さらに改善されていくことが予測されます。
残された問題は、福島第一原発沿岸の海ですね。沿岸の魚、海藻の汚染が当分続くかもしれない。しかし、そこでは魚を獲っていけないし、売ってはいけないことになっています。
齋藤 なるほど。
唐木 では、消費者がそれをどう受け止めてきたのかということですが、そこに大きな誤解がいくつもある。
一つ目の誤解は、「福島第一原発の事故以前は放射能なんて存在しなかった。事故以降そういう怖いものが身の回りにいっぱい出てきた」という誤解です。
これまでも自然の放射線が、事故とは関係なく我々の周りにあって、我々は外部被ばくも内部被ばくもしている。その事実がいまだにあまり知られていないことです。
それから、規制値に対する誤解です。セシウムは年間5ミリシーベルトという暫定規制がある。これを食品安全委員会は「極めて安全な値である」と評価しています。年間5ミリシーベルトまでのセシウムであれば、我々は内部被ばくをしても健康にほとんど心配はないということです。
厚生労働省は、3月までは暫定規制値として、すべての食品が汚染されたと仮定して、それを365日食べ続けても5ミリシーベルトにならないように、それぞれの食品の規制値を決めていました。そうすると、例えばお米や牛肉は、500ベクレル/キログラムという値になる。実は500ベクレルを摂取しても被ばくは0.01ミリシーベルトくらいなんです。つまり、それを何百キロも食べないと、5ミリシーベルトにならない。
ですから、食品ごとの規制値は、それを超えたら危険ということではない。行政が何らかの対策をとりはじめる値が規制値なんです。しかし、規制値を超えたものは危険だという誤解ができてしまった。
三つ目は、20ミリシーベルト以下の低線量の放射線が問題になっていて、それが「非常に危険である。子供は特に危険だ」と誤解されていることです。
国立がん研究センターでは、我々の生活習慣と放射線のリスクを比較しています。それによれば、喫煙のリスクは1000から2000ミリシーベルトの放射線に匹敵する。100ミリシーベルト以下の放射線のリスクは、野菜不足や受動喫煙より小さいリスクなんです。しかし、5ミリシーベルトは危険である、20はもっと危険というようなことになっている。
実際、受動喫煙や野菜不足はリスクはありますが、それを非常に大きなリスクだと認識している人が本当にいるのか。
放射線のリスクをきちんと認識していないために「非常に恐ろしい」ということになってしまっているんですね。
齋藤 そういった誤解はありますね。
土壌汚染などの影響が続くだろうとおっしゃっていましたが、例えば野菜の品目によって、土壌汚染の影響を非常に受けやすいものと、受けにくいものがあるのですか。
唐木 セシウムは、カリウムという元素と性質が似ているんです。カリウムは植物にとっては必須の栄養素で、肥料として使われますが、野菜はカリウムとセシウムを区別できない。ですから、カリウムが少ない土地にセシウムの汚染が起こると、セシウムを取り込んでしまいます。
野菜ごとに土壌からセシウムを取り込む移行率の違いがありますが、もともと畑にカリウムが多いのか、少ないのか、その違いも大きいんですね。
ですから、今、福島でもカリウムを肥料として蒔くことをやっていると思いますが、カリウムを増やすことによって移行を少なくすることができます。
これはチェルノブイリ事故による子供の甲状腺がん発生と、似たところがあります。
チェルノブイリ事故では、当時のソ連政府が事故を発表しなかったために、放射性ヨウ素で汚染された牛乳を子供が飲み続けてしまいました。それで数千人の子供が甲状腺がんになったんです。
この地域はヨウ素の摂取量が少なかったことも悲劇を大きくした。もともと甲状腺にほとんどヨウ素がない子供たちは、そこに放射性のヨウ素が来るとそれを全部摂り込んでしまった。普段、ヨウ素をたくさん摂っている日本の子供たちは、多少の放射性ヨウ素があっても、その摂り込みは少ないのです。これは、カリウムとセシウムの関係に似ているんですね。
暫定規制値でも食品の安全は十分守られている
齋藤 5ミリシーベルトだった暫定規制値が四月からは一ミリシーベルトになりますね。
基準値が低くなることによって、「今まで食べたものは大丈夫だったのか」と思ってしまいますが。
唐木 この問題はかなり複雑で、四つの視点で考える必要があると思います。
一つは、5ミリシーベルトの基準を1ミリシーベルトに下げることによって、食品の安全性は本当に高まるのかどうか、という科学的な検証です。
調査の結果、福島在住の方の汚染は非常に少ない。つまり、今までの暫定規制値でも食品の安全は十分守られている。これをさらに強化すべき科学的根拠はありません。厚生労働省の新しい基準値の案が出たときに、文部科学省の放射線審議会はこれに反対しました。
それは、安全を守るためには今の数値を下げる必要がないからです。
二つ目は、風評被害、あるいは消費者の不安は新しい基準によって本当に小さくなるのか、という問題です。
今回、厚生労働省は、基準を下げたのは、「消費者がもっと安心するからだ」と言っています。
消費者がこの規制で安心して本当に風評被害はなくなるのか。5ミリから1ミリにすると、これまでの食品は危険だったのではないか、という逆の不安が出てくる恐れがあるんです。
三つ目は、生産や流通に関わる人たちの経済的な被害が起こらないかどうか。
この問題は、二つ目の問題と絡んで、風評被害がなくなれば経済的被害はなくなる。
農林水産省の検討では、新しい基準に変わると汚染した農産物の数が多少増えるので、「また汚染が出た」という報道が増えるかもしれませんが、規制値が前よりかなり低いので、リスクコミュニケーションを十分に行なって、皆さんが納得するようなきちんとした説明をしていく必要がある。そのような努力を行なうことで、何とか生産や流通に関わる人たちの経済的な被害も小さくしなくてはいけない。
四つ目は、1ミリシーベルトの規制を実施できるのだろうか、ということです。
水などは10ベクレル/キログラムという極めて厳しい基準になりますが、本当に測定できるのかという問題が出てくるのです。
事故後、行政はどこもかなり高価な測定器を何台か買いましたが、飲料水10ベクレルというと、2、3ベクレルを検出限界にしないといけない。そんな機械は、ほとんど持ってないので、実際に測れない、そういう事態が起こってくる。そうなると、検査の件数が今までより下がって、また逆に消費者の不満や不安を起こさないのか、という心配はあります。
しかし、4月から1ミリシーベルトで実施することがもう決定しています。
一番大事なことは、国民の健康はもう守られているので、あとは風評被害をなくすことにみんなが全力で努力しなくてはいけない。そのために使えるのであれば新しい規制値の意味があるだろうと思っています。
齋藤 暫定規制値にはなかった乳幼児の基準が50ベクレルと出たことで、「乳幼児には一般食品は与えたら良くない」という誤解が出ないとも限りません。「そういったことはない」という説明も必要になるのかなと思いますね。
唐木 そのとおりです。
ここでも誤解があるのは、これは汚染の最大値を示しているだけなんです。実際の食品の汚染は、ほとんどゼロで、自然界にあるカリウム40よりも少ない量しかありません。
少しでもセシウムがあったらいやだと言うんだったら、「カリウムはどうなるの? カリウムはセシウムよりもずっとたくさん入っているんだよ」ということを皆さんにどうやって理解してもらうのかですね。
これもあるところで質問を受けたんですが、「でも、放射性カリウムって毒性はないんでしょ? 自然のものだから大丈夫なんでしょ?」、そういう誤解もあるんですね。放射線であれば、みんな同じリスクがあるんです。
齋藤 今回の事故による放射性物質に関しては、リスクのトレードオフ(二律背反)という考え方がなかなかなじみにくい部分があるように思います。
唐木 そうですね。これは歴史の中にその答えがあります。
放射能が怖いということがわかったのが、実は、広島・長崎ではないんです。
広島・長崎はたくさんの人が原爆で急性の放射線障害、それから強い爆風と熱で亡くなりました。生き残った人たちは、それから何年か経ったら普通の人と同じような生活に戻ったんですが、15年くらい経った1960年ごろ、広島・長崎の人は、それ以外の人よりもがんが少し多いことがわかってきたんです。
それからもう一つは、ビキニ環礁の水爆実験で「第五福竜丸」が被ばくをして、久保山愛吉さんが日本に帰ってきてから亡くなった。また、その地域でマグロを獲っていた漁船が積んで帰ってきたマグロが、すべて高濃度の放射性物質で汚染されていた。そこで「放射能マグロ」という言葉ができたんです。
その頃、私は学生だったのですが、東京大学の農学部の構内に「放射能マグロ」が運び込まれてきて、実験に使われた。そのマグロはガイガーカウンターが振り切れるくらいの線量があって、すごい汚染でした。
その事件がきっかけになって、「放射能は怖い」という概念が日本人に広がり、そこで原水禁運動が起こったのです。原水禁運動は、決して「原水爆の爆発力が怖いから、だめ」という運動ではなくて、「放射能は怖い」というのがスローガンの中心だったのです。それが原発反対運動にもつながっていきました。
その中で「低線量はそんなに怖くないよ」と訂正する機会がなかったのは、非常に高い線量の放射性物質のことしか念頭になかったからです。今回は当時とはレベルが違う低線量ですが、そこが混同されているということです。
齋藤 はい。
唐木 それから、当時は米ソを中心にして大国が原水爆を保有して、核の抑止力を主張していました。核の抑止力は、もちろん非常に強い爆発力という恐怖もありましたが、それより怖いのは「何発あれば地球人類が全部死滅するくらいの放射能だ」という放射能の恐怖で核の抑止力を維持したことです。そちらのほうからも「放射能は怖い」という話が出てきた。
我々がみんな「放射能は怖い」と信じているところに今回の事故が起こり、しかも、極めて低線量なのに、高線量と混同されてしまった。これが誤解の原因となる歴史的な事実です。そういうこともほとんど知られていないことも問題です。
基本的に福島でさえ現在は農作物の汚染はほとんどない
齋藤 例えば、市場に出回らない家庭菜園でつくった野菜や、十分安全だと検査を通ったものでも、茹でたり、酢漬けにしたり、あるいは長時間水に浸すなどやっている人も多いのですが、そのようなことは実際に効果はあるのですか。
唐木 チェルノブイリの後、ヨーロッパで広範に食品汚染が起こって、そういう実験を盛んにやりました。どうやったら放射性物質を除去できて、あるいは少なくできて、その食品を食べられるか、という研究をたくさんしています。その中でいくつか放射性物質を少なくするやり方はあることはあるんです。
しかし、基本的に福島でさえ現在は農作物の汚染はほとんどないんですよ。ほとんどないものを心配して、除染をする心理的なストレスのほうがもっと体には悪いのではないか、と私は思っています。
先ほど言ったように、「年間5ミリシーベルトまでの内部被ばくは安全なレベルだ」という食品安全委員会の評価がありますが、微量の汚染があるような野菜をどれだけ食べたら年間5ミリシーベルトになるのかを計算していただきたい。その程度の汚染状況なんです。
ただ、福島の方の気持ちは本当によくわかります。私は1960年に東大に入り、大学院に入ったときに教授から放射性物質を使った実験をやれと言われて、実験を始めたときは恐怖感がありました。
放射性物質は実験でトレーサーに使っていました。トレーサーとは、いろいろな実験材料に放射性同位体を取り込ませて、それがどこにどういうふうに移行していくのかを観察する実験です。原液はかなりの高濃度の放射性物質です。それを毎朝持ってきて、それを分けて希釈して、いろいろな実験をやる間に「どれだけ浴びているんだろう」と思うと、本当にいやな気分でした。
ちょうどその頃、広島・長崎の人たちがどのくらい被ばくするとどのくらいがんが増えるのかということが徐々にわかってきた時代でした。それから放射線生物学の成果がだんだん出てきて、どのくらいの線量だったらどのくらいの障害が起こるのかがわかってきました。丹念に勉強していくうちに「自分が使っている線量はこのくらいで、そうすると、これは全く問題ないんだ」ということがわかって、やっと不安が解消してきたんです。
私が教授になって学生に同じような実験をやれと言ったとき、彼らは全く同じ反応を示すんです。
でも、事実を知って、「低線量の放射線の被害はこのくらいなんだ」ということがはっきりわかると、不安はだんだんと解消するんです。
低線量の放射線がどのくらい怖いのかという情報を繰り返して出していくことで、皆さんが「ああ、そうなんだ」と思うことがとても大事だと思っています。それがないと、いつまでも「放射能は恐ろしい」ということになるんです。
齋藤 先生がおっしゃるように、正確な情報を正しく伝えるということが非常に重要になってきますし、実際に今、生活している側としてもそういったものを求めていると思います。
疑問に思うことの一つは、専門家と言われているような先生方の間でさえ見解が違っていることです。
唐木 専門家とは何の専門家なのか、という問題です。例えば、放射能をよく知らない人が放射能について専門家のような発言をして誤解を招いていることもあります。そもそも我々は「放射能はとても怖い」という先入観をもっています。先入観は、判断に非常に大きな影響を与えるので、自分が「放射能はとても怖い」と言っているときに、「低線量ならそれほど怖くない」と言う専門家が出てくると、「これはおかしい」と思う。一方で「とても恐ろしい」と言う専門家がいると、「やっぱりそうなんだ。私の考え方は正しかったんだ」と安心して、どちらかというと、怖いと言う人のほうを信じてしまうんですね。
そのような先入観を覆すのは、とてもたくさんの情報量が必要だし、もう一つは、本当に信頼する人、あるいは組織が正確な情報を出すことがとても必要なんですが、残念ながら今、国と行政は信頼をほとんど失っている。ですから、国や行政がいくら正しい情報を出しても、「信用できない。何か隠している」、こういう不幸な事態になっています。
齋藤 そういったところを改善していくことが非常に重要になってきますね。
唐木 それは言うは易く…で、現実問題としてはなかなか難しいんです。やはり政府、行政は誠実にやっていることを繰り返し国民に見せることが、とても大事です。
(一部 抜粋)
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