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私の日記にも書いたのですが、黒沢貞次郎がニューヨークに渡ったのは、1898年になってからのことだと思われます。ただ、これを私が書くと、どう考えても独自研究なので、「ページ」の変更は、どなたかの判断におまかせいたします。--安岡孝一(会話) 2012年9月1日 (土) 06:15 (UTC)
ノート:黒澤貞次郎 - Wikipedia
大先生が 判断材料としているものは
Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » 黒沢貞次郎(1)
『The Seattle Times』1897年12月18日p.3の記事「Japanese Tried for Insanity」による限り、黒沢がこの頃までシアトルにいたのは間違いない。それは、シアトルの日本人YMCAの記録とも一致する。 黒沢貞次郎の伝記 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
だれが この説の当否を判断するにせよ、
これらも必要になろう。
が私は まだ、これらに たどりつけていない。
伝記のたぐいでは、『タイプライターの沿革』にある 1896年からの かな等タイプライターの研究への着手、、
1896年ニューヨルク在留中に「エリオット、ハッチ」の工場で段々と研究をつづけ、1898 年の末には機械らしきものが出来上りました。
タイプライターの歴史
これを採れば、1896年にニューヨーク在留していたことになる。
他方 1898年のSeattle City DirectoryだかにKurosawa, Teijiroが載っているらしい。
Twitter / raycy: I just found an interesting ...
これを採れば 1897年後半ごろのある時期には Seattleにいたということになろうか。
これら両方が採れて つなげてよいのならば、かつ、Seattleの新聞記事にKurosawaが登場する時期を考慮すれば、