QWERTY俗説史研究に見られる、安岡孝一氏の「”学問”する自由」http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100330#c1269915372
安岡孝一氏の”学問”、安岡孝一式歴史学は、独特の構造をもっているとおもっている。
その手法、論理・論法、など、いわば"学問の基本ツールの運用・ハサミやらなんやら学問の道具の使い方・使いよう"にいろいろ、私には納得できないところがある。たとえば、
対偶 (論理学) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
通常の数学では、命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する。
命題「AならばB」に対し、
* 対偶:「BでないならAでない」
* 逆:「BならばA」
* 裏:「AでないならBでない」
がある。
対偶の場合とは異なり、元の命題「AならばB」が正しくとも逆・裏は必ずしも正しいとは限らない(逆は必ずしも真ならず)。 しかし逆命題「BならばA」の対偶は、「AならばB」の裏「AでないならBでない」と一致するので、逆「BならばA」と裏「AでないならBでない」の真偽は必ず一致する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E5%81%B6_%28%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6%29
安岡孝一氏の提示”学説”、たとえばhttp://slashdot.jp/~raycy/journal/497628
QWERTYの英字部配列成立期1867年~1882年において、http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/f084ffe371536e1c2f7780bd92dae0c8 http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/489447
などの議論展開は、出発点ともいうべき部分を充分に検討つめないままに進められてる。ブログの素人書評などに散見される”模範的な文献実証主義的歴史研究”といった評価・賛辞にふさわしいとは、とても思えない。まさに素人を惑わす、
藤岡真 2010/03/30 12:41 >KoichiYasuokaさん
うーん。学問の自由は理解できます。しかし、素人は肩書きに弱いものです。国立大学の先生がやっていることだからということで妄信してしまうことだってあると思うのです。そうした例は沢山あるのでご存知だと思うのですが。「波動」とか「右回りのコマ」とか。
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100330#c1269920513
むしろ、"と"文献http://en.wikipedia.org/wiki/Tondemo-bon的な性質の強いものだと思っている。それが堂々と出版され、称揚すらされている…。そういった面からも資料的価値が今後ますます高まるであろう、奇跡の書『キーボード配列QWERTYの謎』http://raycy.seesaa.net/article/96327199.htmlである。
私は安岡孝一式歴史学の現況を、”学問”しているといっていいのか、疑っている立場である。
ちゃんと学問しているっていえるのには、研究手法がそれなりにルール手続きをもって進められていれば、それは学問的な展開といえるであろうが、
はたして氏の安岡孝一式歴史学は、通常いわれる”学問”の手続き手法論理にかなっているのであろうか。
まずは、標準的学問のツールとしての論理学にのっとっているか。証拠根拠を無視した論理の飛躍はないか。
あと、その手続き・運用の中には、氏も述べておられるように、ちゃんと叩かれるあるいは支持傍証を得るとっかかり・反証可能性のある仮説の提示および運用状態であってこそ学問である、ってなことも含めての学問なのだろうかなあ。
反証
http://slashdot.jp/search.pl?op=journals&uid=21275&q=%E5%8F%8D%E8%A8%BC
「アーム」という機構、なるものの定義が、貴殿以外の人と共有されるようにしなければ、まともな議論になりえないと感じます。
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=480559&cid=1697873
KoichiYasuoka 2010/03/30 13:23
でも、逆に言えば、そういう肩書を持つ人が公刊したものに対しては、遠慮会釈なく叩けばいいんですよ。私は自分の日記では、むしろそういう方々を優先して叩くことにしてますし。
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100330#c1269923028
つまり、ご自身の安岡孝一学説に対しても、「遠慮会釈なく叩きに来い」っていうわけですよね。
で、反証をしりぞけられればあるいは追試傍証を得られれば、学問ならばそのようして、
上下かみしものない、自由な討議
日本の指導者を悩ます「従順」「妄信」
日本代表、磐田などを率いたオランダ人のハンス・オフトは日本で指導を始めて数か月たったころ「自分が話すことを選手がまったく疑っていない」ことに気づいてがく然としたという。話したことに疑問がぶつけられ、それをよりよい理解につなげていくのがコミュニケーションの意味だとしたら、疑いを持たない選手は永遠に理解から遠いことになる。あるいは、そういう妄信的なコミュニケーションが人と人の間に成立することに戦慄(せんりつ)したのかもしれない。神サマと人間の関係じゃないのだから……。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100402#bookmark-20352370
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/8498232eb053733b7ae5da77758a3d5c
を通して、確立ないし修正あるいは棄却されていくことでしょう。
最低限、ツッコミがはいりそれに答える運用状態にあれば、検証に耐えたり学問の仲間入りした状態にはあるといえよう、が…。でなければ、たんなるいいたいほうだい言いっ放しである可能性がある。
ところで、Daugherty特許に出てくるカーブした曲がったアームは、
タイプバーもしくはタイプアームを駆動する、カムKや爪Mとかあたりのことみたいかな?
curved arms projection K projection M
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/dc7a0ae96b4a244765eab45a08bea3cd
安岡孝一氏の「学問の自由」観
KoichiYasuoka2010/03/30 09:55
>どちらであれ重要な問題なので、北大薬学部に問い合わせるつもりです。
藤岡さん、だったら「臨床教授でもないのにそう書くこと」が事実かどうかを、ちゃんと問い合わせた後に書くべきですよ。実際、再任されてますし、前期の『医療概論』の講義の一部を担当しています。また、臨床教授の授与は、もちろん学部の専権事項ですから、それに文句を付けるのなら、ちゃんと授業に潜り込んで内容をチェックした上でやるべきだ、と私は考えます。どちらにしろウラを取らずに書くのなら、藤岡さんといえど容赦しませんので、そのおつもりで。
KoichiYasuoka2010/03/30 10:24
じゃあ、藤岡さん、この3月29日のエントリは、どう見ても「臨床教授」を問題にしているように読めます。「糸練功」を問題にしているようには読めません。「糸練功」を問題にしているのなら、最初からそう書くべきですし、そういう議論を進めるべきです。でも、エントリ上は明らかに「臨床教授」を問題にしているのですから、だったら授与権者に対してそれを問題にせざるを得ない以上、講義内容そのものを問題にするか、百歩譲っても「臨床教授」として公刊した研究成果を問題にするしかない、と私は考えます。いかがですか?
KoichiYasuoka 2010/03/30 11:16 じゃあ、まあ、一応この点だけ。
>わたしがお尋ねしたのは、「講義内容そのもの」「公刊した研究成果」しか問題点はないのかということなんですが。
というか、「学問の自由」っていうのは、そういうものなんだと、私は考えます。たとえ社会的に問題のある内容であっても、それを学問する自由はあるので、それによって「臨床教授」を名乗っても、それをもって大学当局を非難するのは無理だ、ということです。大学当局に対して問題点を指摘するのなら、講義内容や研究成果によって指摘しなければ、そもそも門前払いするしかないですよ、ってのが私個人の意見です。
藤岡真 2010/03/30 12:41 >KoichiYasuokaさん
うーん。学問の自由は理解できます。しかし、素人は肩書きに弱いものです。国立大学の先生がやっていることだからということで妄信してしまうことだってあると思うのです。そうした例は沢山あるのでご存知だと思うのですが。「波動」とか「右回りのコマ」とか。
KoichiYasuoka 2010/03/30 13:23 でも、逆に言えば、そういう肩書を持つ人が公刊したものに対しては、遠慮会釈なく叩けばいいんですよ。私は自分の日記では、むしろそういう方々を優先して叩くことにしてますし。唐沢俊一のガセネタにしても、あるいは「名誉教授」(誰に授与されたのか知りませんが)などと名乗らなければ、あそこまで徹底して連載全部を叩いたりしなかったんですけどね。
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100330/1268875935
独立日項目としたほうがふさわしいと思うので、こちらへひっこしてきます。http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100326/1269620771
スラッシュドット・ジャパン日記検索:
があった|コメントしながら思ったのだが|読ん|あげつら|にも書いた|じゃない|知る限り|なので|調査|調べ|などと|それとも|なのだろうか?
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/
http://blog.goo.ne.jp/raycy/s/stagger
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/3a2f0332fb9cb5bb69d3a99d606bea6d
キーボードの標準フォーマット:スタガーは、機械式タイプライター黎明期ビクトリアンのハードウェア制約の、生きている化石である。
その物理フォーマットに手をつけないのだとしたなら、いくら飛びはなれたつもりでいても所詮お釈迦様の手の中でのこと。ショールズら文字用入力鍵盤の母をお釈迦様化する行為・(修)行・信仰・日常の入力行為が宗教的儀式である。
文字入力鍵盤フォーマットのお釈迦様、ショールズら。
左にかしげた平行四辺形でもないんだよなあ、ずれピッチがハーフ・クオーター・ハーフ、だからスタガーと書かれている、指使い・使い方のお釈迦様、ロングレーら?。
これはだれだっけか、http://www.archive.org/stream/howtobecomeexpe00barngoog#page/n30/mode/2up
現用指使いの始祖?、マッガリンら。は、外方運指?
次善の策としては、運用でなんとか、、ホームポジションをなんとか、、
日付に添えられる表題の検討。文字数制限がある模様。32文字ぐらい。英字なら96文字か。
資源制約か、エコか、物理化学制約か、人的人間的制約か、小笠原流か
資源制約エコか物理電気化学制約か生物制約か人市場制約か小笠原流か
制約:マテリアル、エコ、物理電気化学、生物界、人界社会市場、小笠原流むりむだむらなく
limits&balance:material,eco,mechanical-electrical-cemical,eco-biological,human-socio-market.Ogasawara-MuriMudaMuraNaku,M3M
limits&balance:material,mecha-cemi-tronics,eco-biological,human-socio-market.Ogasawara-MuriMudaMuraNaku,M3M
limits&balance:material,mecha-cemi-tronics,eco-bio,human-socio-market.Ogasawara-MuriMudaMuraNaku,M3M
まず前提としておきたいことは、
Koichi Yasuoka, The Truth of QWERTY
http://yasuoka.blogspot.com/2009/05/with-older-manual-typewriters-each.html"They are called upstrike typewriters and their typebars never jam."
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100402#bookmark-20489489
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/249.html
yasuoka (21275) : Tuesday August 18 2009, @08:52PM (#1625149
そもそも「Daugherty Visible」(1893年発売)が登場する以前のタイプライターは、基本的にupstrike式なので、活字棒が絡んだりしないんですよ。
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=463522&cid=1625149
1870年ごろだか、ハンガーのディスクやリングに直接溝切って軸受けにしていたころには、タイプバーの接触が直接に、軸受けのがたつきに強く効いてしまっていた。ってのには、私の見立ても含む。
タイプバーの支点の軸受け部はどうなっていたか。
タイプバーは、ある時期にはトラニオン砲耳が両側に飛び出るように出っ張っていた。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/ea805b399e160b9db8651b0015ec50b3
またある時期には、穴になっていたのかもしれない。かぎ束に束ねられた、鍵みたいに。
最初は、中央に穴をうがった、ガイド溝を放射状にタイプバーの軌道に沿って切ったディスクだった。
http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100327#bookmark-20327516
でも、ガイドとの摩擦で、タイプバーの動きが、特に戻りがわるい。
そこで、沿うようなガイドは やめちゃって、ディスクの中央部の開口を大きく広くして、幅1インチ厚さ半インチのリング状にした。リングに溝を切って、軸受けとしていた。
でもそれでは、アラインメントは悪いし、その劣化も早かったりした。
ことに、近接したタイプバーの競合いでは、軸受け部をこじる効果が強かった。
そこで、軸受けを独立のハンガー状にして材質はスプリング材にした。
ところで、ガイドとのあいだで、滑りにくかったのは、ワイヤーの駆動引っ張り方向が、軌道面上でひっぱってなかったからじゃないか。ってことは…
ってなことがうろ覚えだが、Current1954 Typewriter and the men who made it.に書いてあった。
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/242.html
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/35d635bd93b9045d635dee267f8500b5
このあたりは、ウェラーの本の手紙紹介あたりにも、何か書いてあるかもしれない。
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/246.html
http://www26.atwiki.jp/raycy/?cmd=search&keyword=weller
http://www.archive.org/stream/earlyhistorytyp00wellgoog#page/n36/mode/2up/search/sticking
安岡孝一氏は、何を捉えて絡んだりしない、と、いっているのか。
20世紀的な、タイプバーがしなって、で、軸受けへの影響を軽減するような材料構成・設計になってはいなかったってことかな。http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/0fdd664139ab26a92eb644b9f1c334da
なるほどそうかもしれない。
山田尚勇の記述のような、タイプバーが絡みついたのを、いちいちはずさなくてはならなかった、「前後2本の印字棒が交差し、からみ合ってしまい、いちいち手で離してやらなければならない面倒が生じた」http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100327#bookmark-20328011ってな箇所は、ちょっとへんかもしれない。でも、ジャミングっていう表現もあるしなあ、どうかな。
だが、絡みつきがなかったとしても、だからといって、タイプバーの位置関係の並べ替えがなかったとは、だんげんできまい。
衝突の影響を軽減しようとしたり、衝突を回避しようとした記録はあるのだから。http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100326/1269616173
衝突の回避策の一環として、タイプバーの位置関係の並べ替えがなかったってことにはならない。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/4a6be2e08ca737215b10683db192129b
安岡孝一氏式論法では、
「絡んだりしない」⇒なので⇒ならば⇒「タイプバーを並べ替える必要はない。どんな並びでもかまわないはず。」
っていうことになっちゃっているみたいだ。
それって、変では?
何らかの対策をすべきタイプバー間の相互干渉があったことは、当時の特許書類などからあきらかであろう。http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100326
たとえ「絡む」までにはいたらなかったとしても、衝突や接触が、対策を要請していた。
それに、アップストライク式においてもjammingはあったようである。
誰さんかJOHN M. FAIRFIELDはジャミングを防ごうとした。
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100326/1270176814
▼解説書きかけ。
ある命題と白黒包摂関係の区分けが重ならないのは対偶。
だから、背理法がある。ってなことでいいんだっけか。http://blog.goo.ne.jp/raycy/s/%C2%D0%B6%F6
逆だか裏だかは、必ずしも、白黒の区分が、同様ではない。
何いってんだかわかるかな、ってか、あってるんだっけか。
(ところで「己の欲せざるところを人に施すなかれ」と「己の欲するところを人にも施せ」だと、包摂関係は如何?)
このことが、安岡孝一論理学では、へんてこである。
また、範疇のとり方、包摂関係もへんてこである。
「絡む」の定義や、タイプバーの動きの阻害要素・劣化促進要素・相互干渉の範疇と対策の必要性とも絡むが、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/790d0b402f535e70a58541b1706c8481
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/156.html
タイプバーが相互干渉に悩まされていた
その対策が、いくつかの特許書類にみられる。
これらの対策の範疇に、タイプバーの相互干渉の頻度の高いケースに対して、相互位置関係の並べ替えをもって対処しようとした可能性はある。
「絡んだ」:
タイプバーが絡んだ ⇒ならば(⇔なので)⇒ タイプバーを並べ替える対策が提案・一部実施された
「タイプバーが絡んだ」⇒「タイプバーの配置関係の工夫・並べ替えが提案・実施された」
意図と実態。
意図はともかくとして、実態をみてみると、(ただしディッカーソンの規則性を評価関数にとる。)
隣接するタイプバーの、連続動作頻度がが低下する方向へ、配列は変化している。
隣接2タイプバー組の連続動作機会頻度(「ディッカーソンの規律」を適用したBCDP評価)
▲解説書きかけ
論敵の言説があって、その言説のキズを見つけてたたき、で、論敵の言説全体を否定できた。ってなやりかたっていうか、おかしな論理。
言説内のパーシャルな正しさとかを、うまく掬い取れてないような、。ってか、むしろ論敵の言説の全否定が目的なような…。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/e3e6ba78aeddc3762487142a576f2e8b
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/4d1c61154c5e516b9e35fa6f2ffb5a29
「安岡 孝一:QWERTY配列再考」まずはゲラ版からコピーしてもってきた、タイプバーのジャムと自由度の部分、
Christopher Latham Sholesが1868 年7 月に取得したタイプライター特許2) では、キー配列はABC順だった(図1)。1872 年の試作モデル3) では、キー配列はQWERTYに近づき(図2)、1873 年にE. Remington & Sons 社が発売した市販モデルでは、キー配列はほぼ現在のQWERTYとなった(図3)。ただしこの時点でも、CとX とMは現在のキー配列とは異なっており、現在の配列になるのは1882 年発売の『Remington Standard Type-Writer No.2』においてである4−6)。
図1 と図2 のキー配列の間には大きな差異があるが、この理由を「タイプ・バーがもつれてジャムるのを避けるため」とする9) のは、正しくないように思われる。Sholes のタイプライターにおいては、タイプ・バーとキー配列との間に自由度があり、たとえタイプ・バーがもつれたとしても、それがキー配列を変える理由にはならないからである。実際、Sholes の1872 年の試作モデル(図2) と1873 年の市販モデル(図3) では、キー配列はそう大きくは違わないが、タイプ・バーの配置は全く異なっている3,8)。
http://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/48/2/48_115/_cit/-char/ja/
3) Sholes, C. L.; Schwalbach, M. Improvement in Type-Writing Machines. United States Patent. No.182511, 1876.
4) The Remington Standard Type-Writer. Bengough's Cosmopolitan Shorthand Writer. Vol.3, No.8, 1882, back-endpaper.
5) Longley, M. V. Type-Writer Lessons for the Use of Teachers and Learners Adapted to Remington's Perfected Type-Writers. Cincinnati, 1882, 16p.
6) Petrie, J. G. Manual for the Type-Writer. London, Jas. Wade, 1883, 16p.
7) Richards, G. T. Handbook of the Collection Illustrating Typewriters. London, His Majesty's Stationery Office, 1938, 57p.
8) Sholes, C. L. Improvement in Type-Writing Machines. United States Patent. No.207559, 1878.
9) Uhl, W. L.; Dvorak, A. Cost of Teaching Typewriting Can Be Greatly Reduced. The Nation's Schools. Vol.11, No.5, 1933, p.39-42.
http://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/48/2/48_115/_article/-char/ja
についていくらか指摘できるかもしれない。
と思ったが、
9) Uhl ; Dvorak(1933)「タイプ・バーがもつれてジャムるのを避けるため」の原文が見つからない。なので、論評以前の段階でとどめざるを得ない。批評しようにも、。他の翻訳・抄訳箇所をみても、安岡孝一氏が提示した訳文や命題定式化提示部をそのまま鵜呑みにすることは私としてはとてもできないし、そのような二次文献の鵜呑み行為は安岡孝一氏も著作の前書きのいくつかなどで戒めていたはずである。このようなスタンスのとりかたは、他の研究者;批評家にしても同様だろう。
掲載誌は、米国ならば、図書館にありふれた雑誌のようだが、日本国内にはなさそう、。http://www.worldcat.org/title/nations-schools/oclc/1681267 それとも何か別の書籍にでも収録されているのかな。
もし、原文を目にした日本人研究者が、他に山田尚勇http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100325#bookmark-20283491以外いなかったとしたなら、批評を受けるチャンスは少なかろう、山田尚勇亡き今。って誰かれが目配りしてるはずだよなとは思いたいけれども、でもどうかな、、http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100325#bookmark-20283537
この「タイプ・バーがもつれてジャムるのを避けるため」は名和小太郎氏だかのコラムから引いたものだったようで、それに安岡孝一氏がDvorakらにこの文言の起源があるとみて、Dvorakらの文献を引用元として当てたのだろう。
同論文のからの引用が、『キーボード配列QWERTYの謎』157ページ~158ページにも引いてあった。同じ箇所かどうかはわからないが、そちらでは、
ネーションズ・スクール誌一九三三年五月号に掲載した『タイプライティング教育のコストは劇的に減らしうる』359では、特許出眼中のドボラック配列を論文に掲載し、既存のQWERTY配列に対しては、以下のようなアヤシゲな説を披露している。
この奇妙でつぎはぎだらけのキー配列は、クリストファー・レイサム・ショールズが断腸の思いで繰返した実験の末、印字点における衝突や引っかかりが起こらないように、キーの配置を決めたものだ。(P.157-156)
『キーボード配列QWERTYの謎』157ページ~158ページ
http://raycy.seesaa.net/article/96327199.html
となっている。「衝突や引っかかり」が、「もつれてジャムる」なのかな。するってえと、原文はどうなっているのかな。collision OR stuckかな、あるいはjammingぐらいか。
自由度のほうなら、図的比較を以前試みて、そのままになっているのがある。
特許書類の、図面の見た目の差(この点を、後年のショールズ特許の図と比べることで、説得性の乏しさをあぶりだそうとした試みが、とちゅうになっている。クイズ形式http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/732f32778b10e73dbc65ab4a84501080 どういうことをしようとしているのかというと、安岡孝一氏がキーとバーとの関係性がない図と示している以降の、関係性があったであろう時代の図においても、特許図としては、キーとバーとの関係性が、特許図上では明瞭な差が見られないってなこと。ショールズ関連特許一覧http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/400631)
そして何より、私(安岡孝一氏)は見た、http://slashdot.jp/comments.pl?sid=402119&cid=1351679
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/aa8f46122a3c59403d5fae3dc78fd743
ところで、当時のタイプライターのワイヤーってのは、保存状態は如何? さびてぼろぼろになったりしないんだろうか、タイプバーの活字は文字が判別できる状態にあるだろうか。
1878年のレミントン№2から1882年のレミントン・スタンダード2だっけかへのCXMの移動http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/489447に伴うタイプバーの移動ならば、少なくとも、Mの、キー移動に伴う、Mのタイプバーの移動は、言えるかもしれない、検証可能そうな気がする、、
とりあえず、菊武学園のと あとどこだかの、、
あちゃ、あれは1874年式のだっけか、、
するってえと、1878年のレミントン№2と1882年の『レミントン・スタンダード・タイプ‐ライターNo.2』だっけか、の配列をしらべにゃなるまいな、、ディッカーソン論文のは、何年式だっけか、1874年式だっけか、
こうなるとタイプバスケットのタイプバー配置変遷図がほしいなあ
1874年式
1878年式
一応ディッカーソンの規則性を仮定しているのだけれども。
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/222.html
このディッカーソンの規則性が
実現できていればペナルティ・ゼロ、
実現できていなければ、ペナルティかあるいはドイツ語系などに見られるhttp://www26.atwiki.jp/raycy/pages/186.html特殊事情による部分交換、、