He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
The Truth of QWERTY
この文献表示だと、完全にこの一文に係っている表現になっているっぽい。
いや「his skill」にのみ係っているのかな。そうならそれで、完結。
jeeredについては、無いものはないんだから示せない、、皆さんも探し出せるもんなら探し出してみろってか くださいってか ってことですね。たぶん見つからないでしょうけれどもねって。それまでの間は、never無いってことで、よろしいですね、皆さん、。では。
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まてよ?、、
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安岡孝一氏自身が、さまざまなタイピスト 二本指?タイピストだかによって 優勝がさらわれたり、決着のつかない時期が相当期間あった って書いてなかったっけか、、
鍵盤を見ないで打つタイピングの優位が 必ずしも認められない状態が コンテストにおいても しばらく続いていた、
そういう状態にあっては、「鍵盤を見る必要なく打つ打鍵法やそれを主張する者」に対し いささかの懐疑が生まれたとしても そうおかしくはあるまい
1867年10月出願のU. S. Patent No.79868は、「similar to the keys of a piano or melodeon」と書かれているものの、Fig.1をどう見てもピアノやオルガンの鍵盤には見えない(Karl H. E. Kroemer『Keyboards and Keying, An Annotated Bibliography of the Literature from 1878 to 1999』(Universal Access in the Information Society, Vol.1, No.2 (October 2001), pp.99-160)参照)。
ピアノの鍵盤と初期のタイプ・ライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
以下 2012年12月14日に書き足している。
ここで何が言いたいかって言うと、pp.99-160ってところね、特に。
ピアノやオルガンの鍵盤に みえるっちゃ 見えると思うのですよ こちとらは。 いや違うって言うのなら それがどこに書いてあるのか そう思ったのか、 pp.99-160で 参考文献を ポイントしたことに なるんでしょうかっていうことが いいたかったわけ。
ふう。
こういうのは スラッシュドットに コメントとしてあげたほうか 転載引用問題が生じずいけそうだから、こちらに書かずに、直接 スラドに上げるかな。
今回は 量的に 引用レベルに達しそうだから ここまでとしとく。
以上 2012年12月14日に書き足した。
私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285680526
オリジナルの記事2006年には論拠は、存在しないものなので 特に論拠を示さずに、 neverと書いてよいっていう判断で、そのあとのcf.は、never jeeredの論拠とかとは、関係なかったってことですかね。
ですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285713912
的外れなことが示せれば、どうかな、と。「his skill」に対するcf.だったんですかね。
あるいは、より的に近い ましな例が示せれば、
あと、的のとり方、
【記述混乱整理中】http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930/1285841050厳密には「He」「Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります」そうなるか、、あれれ、、
でもすべての 鍵盤を見る必要のない打鍵法提唱者たち各人に対して、いちいち称揚やら毀誉褒貶(きよほうへん)の記録がすべてそろっているとは思えない。
データの欠損が出よう。
全員が必ず、was jeered as a fakerとされたとの記録がなくとも、
そのメソッドが jeeredされた、あるいは、数名がjeeredされたならば、
大勢として、みんなjeeredされたってな いいかたをすることはあろう、、
McGurrinに対しては、たまたま jeeredの記録がのこっていなかったってな場合もあろう。
マッガリン流ってなものが残らなかったとしたなら、教授可能なレベルにまでこなれて無かったとか、マッガリンだからこそできたとか、そういった性質が、あるいは、あったか? McGurrinは 鍵盤を見ないことを推奨するが、それを人々はどう聞いたか、読んだか、、
マッガリンは、前打鍵のどれかの指を、キーにタッチしたまま残しておけってことで、ホームポジションを提唱していないっぽい。
文字通りに厳密に読めば、McGurrinを含む鍵盤を見る必要が無い打鍵法提唱先駆者たちすべてってことになるかもしれないが
緩めには、
任意の 鍵盤を見る必要がない打鍵法提唱先駆者ってことにもなるし、
任意の 鍵盤を見る必要のない打鍵法を提唱する先駆者が jeeredされたり
鍵盤を見る必要のない打鍵法がjeeredされたりしていたなら、
てか、気分的には、厳密な言語の運用でなくて、一名でもそのようなjeeredがあったならば、
まあ、そういうのが見つかったなら、それから考えるか、、
同じ 鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中にも、そしられたりそしられなかったり、分け隔てがあったりするものかな、、
McGurrinは never jeeredだったが、他のタッチタイプ鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中には、jeeredされたものもいた?
私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100929#c1285743459
何で私が的に当てなくちゃいけないんですか。
もし私が 、貴殿の2006年のくだんのブログの文章ではcf.が前の一文に対して「的外れ」なのを示せれば、それでもいいんじゃないでしょうか、それではすみませんか。
あるいは、貴殿のものよりは、より的に近いものを示せれば、それでもいいかな
1888年7月25日以前の 賞賛記事ならば、never jeeredは示せないが、少なくとも もう片側の respectだっけかやらadmirationやらは、あったことが 示されるが、、
1889年ごろにおいて、誰でもできるタッチタイプとかを説いている人がいたなら、かなり怪しい、、
とすれば、1889年のメソッドを、1893年には、メソッドを変更しているとおぼしきトーリーは、そしりを受ける可能性のある候補かも。
トーリーのPractical1894年版とWyckoffだかのは、初めてみた気がする、、
メソッドに、ぶれはあったか なかったか
Practical 1889年版 見てない
別書 1893年版
Practical 1894年版
Caligraph No.3 universal keyboard?
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu
Roseの (McGurrinらしき?)マシン(鍵盤)を見ないで打鍵している者を見たっていう証言は、ここに一応引用があったのね。二次資料だけれども、
ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。
国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
ビンゴって、自力到達ってわけじゃなかったのかな、再発見?、あるいは独立に到達したか?
Longleyの証言として、1880年ごろに買ったType-Writerに付属のパンフレットには、両手のゆび一本づつ または 右手の指二本で操作するように書いてあった、とある。
2007 年 08 月 11 日
New York State Libraryで 19世紀の速記雑誌を漁っていたところ、1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。
国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 7
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu
Roseの (McGurrinらしき?)マシン(鍵盤)を見ないで打鍵している者を見たっていう証言は、ここに一応引用があったのね。二次資料だけれども
トーリーの教本とWyckoffら版元の偽?歴史本とで気になったことなど。 - 葉仮名raycy - KliologY
1900年(19世紀)には発表されていたネタの、107年後の世紀をまたいだ21世紀の再発見だったんでしょうかね。
2007 年 08 月 11 日
ビンゴ。
1882年8月31日~9月1日にシンシナティで開催されたInternational Congress of Shorthand Writersの議事録には、Elizabeth Margaret Vater Longleyのこんな講演があった(p.15)。
I have seen a person write with the two index fingers, using them for both printing and spacing, but such an one would not expect to get a position as type-writing clerk.
Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 13
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu
ダブルビンゴ。
国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930/1285823578
Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
The Truth of QWERTY
【記述混乱整理中】
厳密には「He」「Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります」そうなるか、、あれれ、、
でもすべての 鍵盤を見る必要のない打鍵法提唱者たち各人に対して、いちいち称揚やら毀誉褒貶(きよほうへん)の記録がすべてそろっているとは思えない。
データの欠損が出よう。
全員が必ず、was jeered as a fakerとされたとの記録がなくとも、
そのメソッドが jeeredされた、あるいは、数名がjeeredされたならば、
大勢として、みんなjeeredされたってな いいかたをすることはあろう、、
McGurrinに対しては、たまたま jeeredの記録がのこっていなかったってな場合もあろう。
マッガリン流ってなものが残らなかったとしたなら、教授可能なレベルにまでこなれて無かったとか、マッガリンだからこそできたとか、そういった性質が、あるいは、あったか? McGurrinは 鍵盤を見ないことを推奨するが、それを人々はどう聞いたか、読んだか、、
マッガリンは、前打鍵のどれかの指を、キーにタッチしたまま残しておけってことで、ホームポジションを提唱していないっぽい。
文字通りに厳密に読めば、McGurrinを含む鍵盤を見る必要が無い打鍵法提唱先駆者たちすべてってことになるかもしれないが
緩めには、
任意の 鍵盤を見る必要がない打鍵法提唱先駆者ってことにもなるし、
任意の 鍵盤を見る必要のない打鍵法を提唱する先駆者が jeeredされたり
鍵盤を見る必要のない打鍵法がjeeredされたりしていたなら、
てか、気分的には、厳密な言語の運用でなくて、一名でもそのようなjeeredがあったならば、
まあ、そういうのが見つかったなら、それから考えるか、、
同じ 鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中にも、そしられたりそしられなかったり、分け隔てがあったりするものかな、、
McGurrinは never jeeredだったが、他のタッチタイプ鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中には、jeeredされたものもいた?
あらためて、安岡孝一氏がコメントを寄せてきたと思しきmy記事
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY
をみて、おどろいた。
存在しないなんたらについて私は、どうのこうのとか、書いてないじゃないか。
マッガリン以外の言を以って、特に1888年7月25日以前の毀誉褒貶なら、それなりの説得力があろう。
確かに、1888年7月25日にこだわりすぎたのは、問題かもしれない。
それは、彼の引用部に、称揚ばかりが あるいはあるのかな と思ったからで、称揚がないのならば、いずれにしろ、いったい何のためのcf.かってな感じ かも。
「his skill」かな
かなと思わせて、 そんなのってわけでもない のかな、。
で、論拠を聞かされたのは2010年9月なわけですよね。世界中のThe Trueth of QWERTYを楽しみにしてらっしゃる皆さまがたよ。それまでは2006年8月だっけのcf.に論拠があるのかなって思わせられていた場合もあろうが、どうかな、cf.は、リスペクトとかadmireの論拠になっているかな。
無いことの証明が容易でないことは、皆さん先刻ご承知と思ってていいのでは。
だから、称揚 賛辞の論評をいくつか並べれば、手の尽くし方としては、一応の誠意として受け取られるのでは。
で、そういうのが cf.に あるんじゃないかな、と思っては、変でしょうか?
KoichiYasuoka 2010/09/28 22:28
>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり
と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
私が書いた部分を見ていただければ、
山田尚勇が述べる歴史の順序は、
- マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
- 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
- そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。
ってな流れでは。たぶん。
つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY
ということで、山田尚勇の 私による勝手に代弁部分であり、私の主張ってわけでも 必ずしもない、。また、断定のつもりはありませんでした。断定しているように読めますでしょうか?
あと山田尚勇原文には、そしりを受けた可能性のある「被そしり受信者なり論難こうむり者」は、
The Truth of QWERTYAny pioneer who suggested that typists need not look at the keys (
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologYgoogle:タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たち -raycy
タイプライタ入力法の発展)
CiNii 論文 - A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
とあり、「He」
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram - 葉仮名raycy - KliologYHe was never jeered as a faker,
The Truth of QWERTY
彼McGurrinひとりに限定されてはいない。
私としては、「そしり」流言があったとすれば その埋蔵場所時期候補としては、山田尚勇に、
1900年までの間にようやく全指を用いるタイプ法が抬頭してきたが、それでも約半数のタイピスト学校では依然として鍵盤を見ながら打鍵する方法を教えていた。やっと1920年になってエサリッジ( Etheridge 1920, p.242)が次のような論評を書いている。
タイプライタ入力法の発展
とあるので、
なので、鍵盤を見ないタッチタイプへの「そしり」なり「批判」的なものが、半数のタイピスト学校の教師やらによってもたれていたとも考えられ、
「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。
これは、1888年7月25日以前の証言とは 相反するようですが、そうではなくて、
1888年7月25日以前のほうが、「大いに ひどかった時期であり、」、漠然と根拠なくではあろうが 「そしり」には強いものがあったであろう、、
その「そしり」やら「批判」は徐々に減衰していくが、1900年あるいは1920年ごろにまで、根深く 隠然とあったであろうってな仮説をとってみています。
(でも、その「そしり」の性質は、1888年7月25日ごろ以前と以後では、その性質が、変わってくるでしょうかね、。)
>http://homepage2.nifty.com/m_iwata/honsitu.html:title>そういったコツが知れ渡るまでは、一般人には無理だとか、、そういう理解が多かったとか、、Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:
出典 : Touchart Or Practical Typewriting p21
このような仮説設定をしてから、広めの構えをもって網を張って、傍証なり反証なりの調査収集に 当たるべきでしょう、、ってな気持ちです。
FとJ | |
ベイツ・トリー(Bates Torrey)のタイピング法
ベイツ・トリー(Bates Torrery) は、1889年に「Practical Typewriting: All-Finger Method」と云う両手の8本の指と親指を使う教則本を 発表しています。このタイピング法は、「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。目的の文字(キー)への指の移動が「Guide Key」から相対的に移動すると云う「相対操作方法」の始まりと云うべき画期的な操作方法でした。
タイプライターのキーボードからパソコンキーボードへの変遷 出典 : Touchart Or Practical Typewriting p21
とある。
AとP
FとJだっけ、またAと;
(1915年8月3日成立)は、キーボードのAとセミコロンに嵌め込む「キャップ」の特許である。
キーボードのFとJの目印 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
でもなかった、、
The Atlantic: 第 193 巻
Cairns Collection of American Women Writers - 1954 - スニペット表示
Mrs. Longley might have lost the argument if another rebel, Frank E. McGurrin of Salt Lake City, had not appeared on the typewriting scene. McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City, ...
McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City - Google ????
とあり、また、同誌には
Bruce Bliven,Jr., The Wonderful Writing Machine
The Atlantic - Google Books
ブルース ブリーヴェン Jr.だかも引いてあるようだから、あるいは そっちから引いてきているのか。
「jeered as a faker」とかってのは、あるいは、どっかから引いてきたのか、、どこにあるかわからぬが、、
存在しない記事を参照する方法
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
「悪魔の証明」、そしり表現はないとして、できることといったら
「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法ってことぐらいになりますかね。
だが、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってこと自体の知名度が低かっただろうから、
評価を立てるには、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってアイディアが広まってから、、
それは、1888年7月25日以後ってことかなあ、、うむ。
でも、McGurrinによれば、勤務先オフィスが1878年のレミントンNo.1調達したころから?、タッチタイプ法が試みられテストされはじめ、
http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_OperatorHe ( D. E. Corbitt? ) bought a second-hand No. 1 (Remington) Typewriter,
Utah州成立とFrank Edward McGurrin | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパンI made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard. I discarded my former method of two or three fingers and determined to use all of my fingers. Before the end of the year 1878 I could write upwards of 90 words a minute in new matter without looking at the keyboard.
1881年には、第三者によって観察されていたようであり、、
スラッシュドット・ジャパン検索ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。
国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
1886年ごろには、速記の雑誌などに載りはじめ?
1887年には確実に載っている
「"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.
Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush」
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
1888年にいたるまでの、潜伏期間は あった、、
着色を、ピンク(疑義)からグレー(真偽不明)に、まあ格下げしとくべきでしょうかね、
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologYTuesday, August 08, 2006
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
疑義、疑念、反論、反証、真偽or適不適の判別が微妙なもの、成立していると見做しているもの
色分け凡例 - 葉仮名raycy - KliologY
真偽不明レベルへ。
論法としては、先の記事だけでは納得できませんが、。
貴殿による2010/09/28 22:28の付加コメントも加味してなら、
2010/09/28 22:28
Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
まあ、充分な反証を探し当てるのは、なかなか困難でしょうね。
google:They are called upstrike typewriters and their typebars never jam. -raycyThe Truth of QWERTY:Tuesday, August 29, 2006)
ところで、
2010/09/29 07:45
この論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
には、この文言「jeered as a faker」の訂正も 託されたうちに入っているのですか?
山田尚勇氏が「jeered as a faker」を書いた典拠あるいは経緯は、把握済みなのでしょうか。
あと、「タッチタイピスト」なんかについても、安岡孝一先生の最新研究の成果を、反映なさるおつもりでしょうか。
安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 葉仮名raycy - KliologY
鷗外全集: 著作篇 - 森鷗外 - Google ブックス
- 鷗外全集: 著作篇
- 此詞を餘り正直に閡いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解す
?h掂????h - Google ????大国聖日蓮上人 - tanaka chigaku - Google ブックス
- 大国聖日蓮上人 tanaka chigaku - 608 ページ -
- ... の信やる宗法佛神を謗られたものと誤解して起す所の怨嫉である。
ここは ぜひとも、筋だてとしては、そしりを受けていてほしいものだが、
「was jeered as a faker」
"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.
Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
そしりがあったとすれば、
「without looking at the keys」ってな打鍵法が、それだけ衝撃的であり、にわかには信じがたいものであったってことでしょう。それを真に受けて1878年ごろから試したMcGurrin?
と、散々鍵盤を見ずに打鍵する法について論じてきているが、、
そんなことは、タッチタイピングの本質とは関係なくて、ってな説も、ありうるのかな、、
「本物の科学」が提供する「今で言うところのタッチタイピスト」 - 葉仮名raycy - KliologY安岡孝一氏が著書で開陳した「タッチタイプ」の定義は、通常一般とは異なるものだった。 - 葉仮名raycy - KliologY「トローブは、今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』@amazon87ページ)
安岡孝一氏が2005年来主張してきた「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。でもそれって、McGurrinは鍵盤見る事なき打鍵とは認めてないんですけど、、 - 葉仮名raycy - KliologY
FとJ | |
キーボード ランドマークの歴史
手指の待機位置は、中空、やや開き加減、落としたときに左小指がQに右小指がPに、、
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.archive.org/details/instructioninpra00torriala
キーボードがデカかった時代、指形にキーを配置することは、切実さは少なかっただろう、、 - 霊犀社2Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith's numerals; a manual of blackboard illustrations for shorthand teachers; and suggestions for typewriter practice .. ([1893])
Author: Torrey, Bates
Hand position is best secured by dropping the fourth fingers upon P and Q and making the other fingers
fall naturally upon the next figures in order, P O I U, for right hand, and Q W E R for the left; then
place the right thumb on the space bar, and if the elbows are close to the body, a good hand position is attained. It can not be too often reiterated that good hand position is the foundation of met/tod in type-writing.
Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith’s numerals; a manual of blackboard illustrations for shorthするってえと、Torreyの場合、ホームローは上段 QWERTYUIOPの段、ホームポジションはOWER UIOPで、その要はQ と P?
Re:キーボードのAとセミコロン - 葉仮名raycy - KliologY
1893年か、、Bates Torreyじゃないか、、Q と P?
するってえと、1889年のタッチってのは、どうかな、、直接見てない伝聞なので、要チェック、、
その後、
やがて
私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologYとまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
そんな、、
こんなことで言い争うつもりもありませんが、
先に論証して見せてらっしゃるのは、貴殿の
「 私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた 」っていう部分じゃないでしょうか。貴殿御自身の知を神化なさっていらっしゃるのか。
「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2
「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら
2010-09-29 - 葉仮名raycy - KliologY
だけで判断してみていたが、
それでは弱いので、
的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、
あと、The Truth of QWERTYへの当初 August 08, 2006 記事http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.htmlとは別に、今次のコメントで追加提示された論拠、
2010/09/28 22:28
1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんです
2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY
安岡孝一氏が設定した網のcoverageの中での、ほぼ しらみつぶしってな気分ぐらいに 調べたけれども、なかったっておっしゃってるわけですよね。"never"ってぐらいだし。
その前に、的というか 網の設定の問題もあったかな。
どうも、私が狭くいえば、彼のその網も狭まり、私が広く言えば、その網には文句をつけるわけね、、
いったい貴殿(安岡孝一先生)は、存在しないとおっしゃる、その探されるべき記事なり記録;日記なりを、どのような範囲のものとお考えか。どこの何を探して 無かった と おっしゃってらっしゃるのか。
私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。
2010-09-29 - 葉仮名raycy - KliologY
「存在しない記事を参照する方法」ってのは、「悪魔の証明」に陥る話っぽいので 付き合うきになれません。ってか、それ以前に、自己矛盾的命題設定かな?
平成12年03月17日 小渕恵三「 御存じのように、ないと信じておりますから、ないものをないということを証明することは悪魔の証明であることでなかなか難しゅうございますから、あるとすればどういう点であるかということをお話しいただきたいと思います。」
「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2
疑念箇所が存在する可能性のある点を挙げさせ、それをつぶすという方法で、疑念をひとつひとつつぶす方法を ご提案なされたような、、
私は、存在可能性のある部分を まずは挙げようとしているわけだったのでしょう、。探すべきもの と 探すべき箇所、。
先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、 - 葉仮名raycy - KliologY
Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:そういったコツが知れ渡るまでは、一般人には無理だとか、、そういう理解が多かったとか、、
キーボード打鍵姿勢やらキーボード ランドマークの歴史 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:メソッドに手法にぶれがある、、
ってな具合に、網を設定したい。ご同意いただけないかも知れませんが、、
KoichiYasuoka昨日のエントリで、私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html にたいして
>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
と「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら
>「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。
とか言い出す。何なんですか、それ。しかも私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。
未検討 | |
作業中 | |
1904年ごろのアンダーウッドのタイプバスケット配列(スティックニー特許による)
安岡孝一氏が提起したことは、「ちょっとまってくださいよ、フロントストライクじゃなかったんですよ、アップストライク式だったんですよ、QWERTY-1882に至る時期は。」 - 葉仮名raycy - KliologYStickney特許のタイプバスケット並びに対応させてキーを再配置したならば、どうなるであろうか。 - QWERTYの史的とぐろ?raycy - qwerty-history-jpグループ
Q A 2 Z W S 3 X E D 4 C R F 5 V T G 6 B Y H 7 N U J 8 M I K 9 , O L - . P ;
に変えて着色しなおす。
1904年当時のアンダーウッド |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1904年Stickney特許 |
|
HN あるいは NHは、低頻度なgoogle:BIGRAMであろう。
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram出現頻度
きめ台詞としての「隣接タイプバーの連続動作機会の低減」
これに、確率的とかBiGramとかのキーワードも入ってたほうが、それっぽいかな、。
ブラインド‐タッチ‐タイピスト っていう言葉が、必要ですかね、それだと、、 - 葉仮名raycy - KliologY安岡孝一氏が2005年来主張してきた「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。でもそれって、McGurrinは鍵盤見る事なき打鍵とは認めてないんですけど、、 - 葉仮名raycy - KliologY(1886年 Traub )
キーボードを全て空白にした『カリグラフ№2』で、エキシビションをおこなったりもした。トローブは、今で言うところのタッチタイピスト――もちろん当時そんな用語はないが――だったわけである。(87ページ)
山田尚勇
# タッチ・タイプ法の出現
今日でいうタッチ・タイプ法とはタイプライタ操作の際、
(1)10本の指全部を使う(実際は9本の人が多い)
(2)打鍵する際に文字盤を見ない。その理由は;
a より速く打つためと
b 疲労度を軽減するため
ということである。
タイプライタ入力法の発展
安岡孝一氏は
Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
The Truth of QWERTY
と書いた。
山田尚勇原文の訳文らしき該当箇所をみると、
ソルト・レーク市のF・E・マッガリン( Frank E.McGurrin )は連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人であるが、この人こそロングリー夫人とは独立に、真のタッチ・タイプ法を開発した人であった。つまり彼は10指全部を使ってタイプし、しかも鍵盤に目をやらなかったのである。しかし、タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たちは、皆いかさま師だといわれ嘲笑された。
シンシナティ市出身のルイス・トーブ( Louis Taub )といわれる人物は、タイプライタは両手の合計4本の指で操作すれば必要充分であると信じていた。
そして両者はタイプライタの業界の醵出した賞金を目指して、1888年7月25日にシンシナティ市で歴史的な対決をすることになったのである(図6参照)。
山田尚勇が述べる歴史の順序は、
ってな流れでは。たぶん。
つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。
安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
原文の該当箇所は
CiNii 論文 - A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
KoichiYasuoka>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり
と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。
raycy……というようなことになるので、(名誉毀損とか 法的措置とか、?) もし、「そしり」が世間にあったとしても、
「そしり」要素は、普通はなかなか記事とはならず、 記事中には 存在しないってなことになるのではないでしょうか、
もしそのような「そしり」のうわさがあったとしても、 日記やら、(あるいは 小さな集まりでのクローズ性がある程度確保できる集団内での) 非パブリックな分野での文献でないと、存在確認は難しいのかもしれません。
ところで、
私の書いたのは、cfの文献選択が適性的に どうなのか といっているわけです。
私には、安岡孝一先生が 広く 当時の流言を当たっての 自信をもっての御主張とは思い至らずに書いた面もあった。
安岡孝一先生は 記事を当たって、 そんな記事は 見つからない。とおっしゃっている。
(私としては、記事という形態を当たるだけでは、なかなか探し当たるのは難しい性質の 主張 であろうということを このコメントで付言しました。)
KoichiYasuokaですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。あなたは私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
に対して
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。
『キーボード配列 QWERTYの謎』@amazonの読者の中には、「アーム式タイプライター」の誕生が「『Daugherty Visible』(1893年発売)」以降、といった具合に理解なさっている方が、少なくとも三名はいらっしゃる。
拝啓 オーストラリアPowerhouse Museum 学芸員殿(?) - 葉仮名raycy - KliologY
- 「アーム式タイプライター」http://quolaid.blog13.fc2.com/blog-entry-827.html#comment
- 「アーム式のタイプライター」http://baseviews.com/media/typewriter-and-19th-century-media.html
- 「タイプライターでアームがジャムらないようになんてうそ!この配列になった時は、まだアーム式じゃありませんでしたー」http://twitter.com/errie/status/15311892327
思い、
Frank Edward McGurrinがタッチタイピングを始めたのは、『The History of Touch Typewriting』(Wyckoff Seamans & Benedict, 1900)で本人が語ったところによれば、以下のようないきさつである。
Mr. Welch was dictating from his notes to a girl who was running the typewriter while looking out of the window. All this while she was writing from dictation at a very rapid rate. … I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard.
要は、1878年Grand Rapidsにいた頃、Daniel E. Corbittに騙されて、いもしない少女タイピストに打ち勝つべく、タッチタイピングに手を染めたということらしい。ただ、この『The History of Touch Typewriting』には微妙にアヤシイ記述が散見されるので、鵜呑みにするのは危険だろう。
Utah州成立とFrank Edward McGurrin | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。
He didn't look at the machine, at all, but kept his eye on the copy.
ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。しかも、翌年の1882年8月31日~9月1日にシンシナティで開催されたInternational Congress of Shorthand Writersの議事録には、Elizabeth Margaret Vater Longleyのこんな講演があった(p.15)。
; and who would expect to attain any great degree of success as a pianist or organist unless all the fingers and the thumbs were brought into use?
But by utilizing all the fingers and thumbs, there need be almost no loss of time. If the hands are held over the key-board, the fingers will reach to the extreme right and left, and each be in position to do duty, and the thumb will be in readiness to strike the space-bar.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Longleyダブルビンゴ。「全指タイピングのススメ」…。つまりElizabeth Margaret Vater Longleyは、Frank Edward McGurrinのタッチタイピングの噂を(たぶんMcGurrinという名すら知らずに)聞きつけてから、全指タイピングを編み出した、ということになる。
ただ問題は、1881年シカゴ会議の出席者の中に、Elizabeth Margaret Vater Longleyの名前がないことだ。息子のLeonel Anzuletta Longleyは、両方でずっとExecutive Committeeをやってるので、息子を経由してっていうパターンだろうか?
国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
ってか、議事録って、2007年でも閲覧可能なものなんですか。
タイプライターに関わる先行研究やら同時期研究、さらには、速記の大会でもある、、
息子を介せずとも
サーベイしていた可能性は あろうに、、
これによって、鍵盤を見ることなく打鍵するメソッドの存在が、一般にむけて、ある程度知られるきっかけとなった。
- この時期あたりをもって、山田尚勇は「タッチタイピングの発見」と呼んでいるようであり、それを発売時期から約15年後と、している。
- この「発見」の語義は、コロンブスの発見とも似ており、それより以前から存在はしていたかもしれないが、広く知られることが無かった、、
- タイピングスクールの全てが、タッチタイプを支持するようになるのは、山田尚勇によれば、発売時期から約40年後と、している。1913年から1915年ごろか、。
タッチタイプと?頭の動き、?視線の動き、?手の動き - 葉仮名raycy - KliologY山田尚勇 「しかし、タッチタイプというものが「発見」されるまでにはアメリカでもタイプライタ発売後約15年はかかっており、タイピスト学校の全てがそれを受容するのには発売後約40年もかかったのである 1)。」http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100301#bookmark-19672093
1)Yamada, H.: A Historical study of type-writers and typing methods: from the position of planning Japanese parallels: Qournal of Information Processing, Vol. 2, 175-202(1980)〔小笹和彦訳, bit, Vol.13(1981), 6回連載〕
CiNii 論文 - タイプライタの歴史と日本文入力 (<特集>日本文入力法)
初期のRemingtonタイプライター(44キー大文字のみ)には、大きく分けて3種類が知られている。
- 1874年4月発売のオリジナルモデル(マシンの向かって右側に「行送りハンドル」があるが「キャリジ戻しレバー」はない)、
- 1876年頃発売の改良版モデル(右側に「行送りハンドル」も「キャリジ戻しレバー」もない)、および
- 1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)
である。
「Type-Writer」か「Type Writer」か | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
とあったが、
1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されているのだが、見ればわかるとおり
中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
LOCKE, YOST & BATES の タイプライター(社?) 住所ブロードウェー707
Sholes & Gliddenとは、書いてない? はっきり読み取れないが、どこかに書いてあるのかな、、
レバーが本体の右横テーブル上に 外して置いてあるみたいだ。このレバーは どのレバーかな、「キャリッジ戻しレバー」かな。もしそうなら、先の安岡孝一氏の分類基準では、
1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)
「Type-Writer」か「Type Writer」か | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
ってことになるのかな、。
すると、
1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されている
中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
とで時間の順序が、年号が、、 あれ?なんかよくわからなくなってきた、、どういうことかな、、
2010 年 05 月 30 日yasuokaの日記「初期のRemingtonタイプライター(44キー大文字のみ)は、大きく分けて3種類」について、検討するかも。 - 葉仮名raycy - KliologY
当時の商標に関する考察は、このページ
Re: TYPEWRITERとPROPERTY | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパンに記しておいた
中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
を見たのをきっかけに、ちょっと当たりなおしてみている、、
”TYPE WRITER” - Google ????
Google Books で 1873年から1875年で指定して、"TYPE WRITER"の検索結果をみてみている。
"TYPE WRITER""Type Writer"もしくは"type writer"で、注意をひいたものをいくつか挙げとく、
期間を指定 1867-1875 日付順
”TYPE WRITER” - Google ????
気になる箇所をリスト
安岡孝一氏は、Chicago製造銘のThe Type Writerは、リセール品、ウエスタンの自家使用品の再販品であるとの説を唱えていた。
物証のうち、その現況が留めている様相は、当てにならない説。ジョーカーかエースか… 切り札?とどのつまり、 - 葉仮名raycy - KliologYThursday, June 10, 2010
This is an early S&G (serial number 225), designed to be used with a foot treadle for the carriage return.
The machines were used to receive and write down Morse telegraphs in the Union Telegraph stations, and then, in between 1878 and 1881, they were replaced by new machines "Remington No.2". Some of them were possibly resold by the Western Electric Manufacturing Company.
posted by Koichi Yasuoka at 10:36 AM
(About Me Name: Koichi Yasuoka Location: Kyoto, Japan # 業種: 教育 # 職業: Associate Professor)
The Truth of QWERTY
この氏の説について、すこし疑問に感じた。
ひとつには、ステイガーらに対する1872年から1873年の売込みと採用検討の様子の記事(1888年のデンスモア投稿)、によれば、電信の音声直接聞き取り受電用途には、タイプライターは結局採用されなかった、と、読めたからである。
They failed at that time, to get other telegraphers to learn to use the typewriter, and, as otherwise the typewriter enterprise was somewhat incompatible with their electric manufacturing business, they were induced to release their contract and agency, and thereby they separated themselves from the business.
Thus is was not Mr. Butler, nor the Elmira man, nor any one else but Mr. Porter, who first demonstrated the entire feasibility and unqualified success of using the typewriter for receiving telegraph dispatches. And the day will soon come when operating telegraphers will of necessity be required to use the typewriter for that purpose.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Porter
もっとも、安岡孝一氏が代替したとしているのだから、何かの裏づけがあるのだろうか。デンスモアは、しょせん電信会社の外部の人間ではあるし、、。
あっそうか、電信受信用に使ったのではなくて、清書用に使ったのかな?ならば、清書用に自家用としてたっていうのならば、清書用の使用とその置き換えってのは、それだけだけでも結構な量 あろう。
それにしても、もし、置き換えによってリセールしたというのなら、その時期は氏によれば、
In my opinion the stencil and decoration were wrote at the time of reselling around 1880 or after.
The Truth of QWERTY
次にのべる 代理店契約の開始時期の点で、どうかなってのがある。
安岡孝一らの『キーボード配列 QWERTYの謎』には、たしか、レミントンのイリオンの工場から、デンスモアらのところへと、ほぼ同時にステイガーらのところへも、発送された、とかあった。
ウェスタンかんたらは、秤の会社に権利を譲渡するまでは、西部シカゴあたりのタイプライター販売代理店であった。
ウエスタン 電器製造だかが、タイプライターの販売代理店活動を、その初期から行っていたとすれば、
販売ルートがウェスタンエレキ系のは、The Type Writerだった可能性がでてこよう。
また、販売における、銘は、代理店にて 勝手に銘づけしていた可能性も あろう。
ウエスタンエレキテレ製造がいつごろから、外販していたか、、
タイプライターのブランド名のハイフンについてまで、デンスモアらのコントロールは及んでいなかったのではないか。
Type-WriterもTYPE-WRITERもType WriterもTYPE WRITERもtype writerもあったのでは、、
広告印刷物とか、銘とか、、
ロゴ コントロール、、
当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ。
中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
果たしてそう言い切れようか。
そもそもフロントパネルに何も書いていなかったからこそ起こってしまったのだが、
「Type-Writer」か「Type Writer」か | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
もしそうならば、各販売代理店が独自に打った広告に見られるロゴなども、その販売代理店のセールスマンの実演時に顧客によって比較参照される文字列の候補となろう。
ならば、代理店ごとに、いくらか異なったブランドロゴが出現していたってなことも、考えられよう。いくつかの商標表示が並存していたってな、、
たとえば
ブランドであったかどうかは、さておき、うかつだったが、typewriterで検索していなかった。
検索語:typewriter 指定期間:1866-1875 日付順
”TYPEWRITER” - Google ????
なさそうかな、、
日記側の記録としては、"type writer"は 見たことがある。
刊行物としてではない、非メーカー販売系の 独立個人の記録では、
"type writer"は見た。一箇所だけ。
April 15 (maybe 1875)
raycy @ wiki - Reports of the President and TreasurerMr. Martin then exhibited in operation, and described a "type writer," a machine to supersede the pen in manuscript writing.
Reports of the President and Treasurer
他に有るかな、、
Hall's journal of health, 第 20 巻
【途中】"TYPE WRITER","Type Writer"もしくは"type writer" - 葉仮名raycy - KliologY
ただ使い勝手が 書いてあるのかな。毎分60ワードってどっかにあったっけかな、、
The Truth of QWERTYの、ハイフンなし"Sholes & Glidden Type Writer" - 葉仮名raycy - KliologY
私やDickersonが、この「typewriter」ネタをジョークだと思うのは、当時のタイプライターの印字機構にあるんですよ。1870~1880年代のタイプライターは、upstrike式といわれるもので、印字面がプラテンの下側にあるために、文字を打ってる最中には何を打ってるのか見えなくて、紙を取り出さないとわからないんです。で、そういう環境において、効果的にデモンストレーションするには、どうするか。私やDickersonなら、ある程度長い文を打ってみせて、そして紙を取り出してみせて「ほら一字の間違いもないでしょ」とやってみせるのが、絶対に効果的。皆んなが「何を打ったんだろう」と期待してる中で、単に「typewriter」とだけ打ってあって、しかもフロントパネルにデカデカと書いてある「Remington Type-Writer」とは綴りが違ってる(しかも当時の「Type-Writer」は固有名詞で、他社は「Writing Machine」とか呼んでたから、「typewriter」という単語そのものが全然ポピュラーじゃない)、となれば、そりゃ売れないんじゃないですか、ってのが正直なところです。
Posted by 安岡孝一 at 2005/11/02 (Wed) 02:05:53
まきこみ計画 :: ミスタイプに潜む意外と大きなリスク
通常のTYPEWRITERネタといわれるものは、デモに使えるようにQWERYT段に TYPEWRITERと打てる文字を集めたという 文字を移動して文字キー上段に集めた事由をいっている。
すると、その時期は、
までの間のどこかで、意図をもってわざとTYPEWRITERと打てるように文字を集め揃えたってことだろう。その時期は、②1872年3月と③1873年9月の間ぐらいのはずか。
そもそもQWERTY配列の最初の被験者であるLillian Sholes (Christopher Latham Sholesの末娘)は、右手だけを使って「Type-Writer」を打っていたようです。http://www.library.wisc.edu/etext/WIReader/Images/WER0773.htmlにある写真Image of Lillian Sholesがそうですが、左手はプラテンを押さえています。1872年当時の「Type-Writer」は、プラテンの下から活字を打ち上げる構造になっているので、左手でプラテンを押さえていないと、イマイチ印字が安定しないのです。最初の被験者かどうか、、ショールズ自身やポーターもいる、、ポーターならアメリカン・タイプ・ライター1868年ごろ以来の付き合いですよね。リリアンはマシン撮影時のモデルではあっただろうが、、
安岡孝一 2005/04/03 15:25「毎パソ大会:全国で子供たちの熱いたたかい」(毎日新聞) (自称)アクティブ系プログラマの日々/ウェブリブログ
ポーターなら、1872年秋ごろから、電報会社で電信をタイプライター受電してて、で、もちろん両手打ちもできるのだが、ポーターの受電能力に比して 電信の送信速度は遅いことが多いので 暇なときには 片手で深椅子だかに寝そべるようにして 打鍵してたっけかな。
左手はプラテンを起こし持ち上げて、印字状態を確認しているポーズをとっているところじゃないでしょうか?あるいは、タイプバーが印字点に持ち上がっている様子を見せているのか、、Re:安岡孝一「1872年当時の「Type-Writer」は、左手でプラテンを押さえていないと、イマイチ印字が安定しないのです。」? - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:
1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されているのだが、見ればわかるとおり「The "Type-Writer."」とデカデカと書かれている。当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ。したがって
タイプライターのセールスマンが、お客さんの前でカッコよく「typewriter」って入力して見せるための工夫
ちゅーピーくらぶというのは、1875年時点では全く事実に反している。当時の広告が「Type-Writer」である以上、セールスマンとしては、ハイフンをQWERTYUIOPと同じ「行」に並べておかなければ、話のツジツマが合わない。
中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
こういう筋書きの作戦ならあるかも。
でも、密約がなくても、この筋書きはなりたつかも。
QWERTY化してしまったあとでも、排他的グループを結成できれば、同じようなことは可能かも。
たしかYostがシフト式の特許を使えないことで デンスモアらのタイプライター・カンパニーを抜けたはずだが、その後のレミントンと CaligraphやタイプライターブランドYostとの関係は、どうなっているのかな、、
タイプタイターブランドDensmoreは シングルだかダブルだか、どんなのだっけか、
Remington Yost Densmore Caligraphは、もともと行動をともにした者の血族と関係が有るのじゃなかろうか、もう一社あったんだっけか、タイプライタートラストには。
Smith-Premierか。
Smith-Premierは、Smith-&ブラザーズだかに、分裂するんじゃなかったっけか。黒澤貞次郎の記述だと、タイプライターユニオンのやり方に不満だったから とか、独自にタイプバスケットシフト式を出したかったからからかな、
- (九)
さて過去二十五年間創作時代よりこの時まで発達したるタイプライターはことごとく Blind Machineでありました・・・タイプしたものが見えない盲機械でありました。これを代表的に言うならば「レミントン」も「カリグラフ」も「スミス」も、はた又「ヨスト」、「センチュリー」も皆しかりでありました。しかして盲機械とは言え年々精練せられたるタイプライターは使用せらるヽ範囲ようやく一般的になり、その需要漸増の傾向は各機互いに競争の激度を加え、その緩和救済のため前述の代表的の五製造会社のトラスト(合同経営)は提案され、やがてその合同は実現することヽなった時 L.C.Smith(エル、シー、スミス)氏は「善良なる競争は進歩発達の一要件なり」と主張してトラスト組織に反対しその結果自己が築き上げた「スミスプレミヤ」会社より分離して「スミス兄弟会社」を創立しました。「まさに来らんとするビジブル式を完成させなければタイプライター発明者はその天職を尽したと言い得ないjとは彼の信ずる所でありました。
この時すでに半ビジブル型は市場に現れました。前頁に掲げた「バーロック」はその代表的のものでこの型式を後に Semi-visible Type (半ピジブル型)と申しました。
一方において不完全ながらも現代の Fu11 visible Front-stroke (ピジブル前方打字型)の祖先「Pittsburg」(ピッツボルク)タイプライターは現れました。また続いて初代「Underwood」(アンダウード)もこの時代に現れました。で、盲タイプライターのトラスト組合に対抗して全visible又は半visibleの続いて現れたのがこの時代における傾向でありました。が、新規の型式に免かれることの出来ぬ欠陥が何れのビジブル型にもありました。ですから相当に精練せられた盲タイプライターは、相変らず実需要を充しておりました。タイプライターの歴史
- (十)
「遅くとも確実」はエル、シー、スミス氏の遣り方で同氏は十分に改良した第一号型を一九○三年に市場に送り出しました。このエル、シー、スミス一号型は少なからず技術上方面の注意を引きました。すなわち彼の年来の所信を「全ビジブル型」において実現せしめたからであります。彼の所信とは、曰く文字を筆記する場合において机上の紙片は安定し筆はその上を走るのである。もし反対に筆が安定し紙が走るならばその結果は如何? 同じ道理はタイプライターにも適用せらるべきでタイプライターのタイプは筆である、プラテンはテーブル(筆記台)に比すべきものである故にシフト (上段)キーを押す場合にプラテンが動揺せずしてタイプそれ白身が昇降するならば紙幅の狭き場合も叉広き場合も均一の労力でタイプ出来るからであると。果して氏の発明になった「タイプバスケットシフト」は視観をさえぎるものなき構造のビジブル式と相まってその当時より退却を余儀なくせしめつヽあったトラスト組の盲タイプライターを一九○八年には全く市場より駆逐してしまいました。
と思ったら、オヴァーハングな 後っ側からのトップストライクなFitchは独自配列だったんだ、、独自配列の登場と敗退と、、?
【仮説】ダウンストライク(orトップストライク)やら、オリヴァーの両持ちタイプバーやらは、なんでQWERTYを採用したか。これこそ Stickney(1904)的にみれば、不可解ではなかろうか。そしてそれは、タイプライタートラストの成立以前からの出来事ではなかったろうか、どう
Fitchのタイプバスケットを検討し直す必要があるな、。
以前の検討では、アップストライク式を想定してしまっていたような、、
実際には、後ろ側からのダウンストライクのようだから、「隣接タイプバーの連続動作機会」の検討の前提となるタイプバスケット上でのタイプバーの並びが違っていた。
タイプライタートラストのせいではないことは あきらかであろう。タイプライタートラスト(1893年成立)が存在していなかったのだから。
Fitchとの比較広告か何か、残ってないかな、、
おっとそういえば、ハモンドも、1890年にはユニヴァーサルキーボードをサポートし始めたんだった、。
1890年、、
Yostかな、ダブルQWERTY機も1887年か1888年ごろからだっけかな、、
QWERTY採用の流れ
より細かくは、タイプライターのブランドリストのほうを参考に、検討をすすめるべきかな、、
タイプライターのブランド発売年の手がかり。 http://typewriter.rydia.net/whenwasitmade.htm より - 葉仮名raycy - KliologY
2007 年 09 月 09 日PM 11:24
The Union Typewriter Companyの設立
「19世紀末の大不況」ってのが、いったいどの「大不況」を指しているのか、私にはさっぱりわからない。
The Union Typewriter Companyの設立 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
普通の歴史での「大不況」「19世紀末の大不況」は、
英国1873年ごろをピークとして1873年に始まり1896年ごろまでを、さすのではないかな。
世界大恐慌
年代 1825 1836 1847 1857 1866 1873 1882 1890 1900 1907 1920 1929 1937 世界恐慌 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● イギリス ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● アメリカ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ドイツ ● ● ● ● ● ● ● ● ● フランス ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 日本 ● ● ● ● (バルガ 『世界経済恐慌史』による)
yasuoka (21275) : Tuesday September 11 2007, @01:44PM
そもそも19世紀末に「大不況」があったのかどうか。
コメント#1217739 | The Union Typewriter Companyの設立 | スラッシュドット・ジャパン
それは、、あったんじゃないですかねえ、、なかったのかな、、
米国鉄道株をみても
19世紀末の「大不況」 と 恐慌 との関係。「大不況」期=(恐慌を伴う不況期&回復期)×2〜3回? - 霊犀社2
それから、原典アメリカ史4巻5巻の
1873年の恐慌後、アメリカの企業の形態は圧倒的に会社組織に改まって行ったのであるが、更に企業の合同の大勢が一世代の間、産業各界を風靡した。資源の獲得のための苛烈な競争、同業者を陵駕せんとする市価引き下げの手段、混乱的競争に伴う市価の激動は、企業の合同によって、この事態に対処する経営の統一、市場の調整を持ち来たらすべしとの要請に基いて、プールやトラストの発生を来さしめたといい得るのである。(11ページ)
原典アメリカ史〈第4巻〉現代アメリカの形成 アメリカ学会 (翻訳): 霊際
世紀転換期に入るとともに、指導層は、米西戦争を通じて国民的感情が昂揚せられ、国民の目眼が海外に転ぜられた好機と、1893年から1897年にわたった経済不況期も終わり、1898年には好景気に向かった情勢とを利用して、(11ページ)
原典アメリカ史〈第5巻〉現代アメリカの形成 アメリカ学会 (翻訳): 霊際
ってか、
アメリカの場合には、1873年からのと1882年からのと、大きく二期にわけてみる必要があるのかなどうかな、、
鉄道株以外の指標も 見てみる必要があるかな、、
企業利益のほうだと、1873年ごろのピークを1880年ごろでも、あまり抜ききったとはいえぬようだなあ、
S&P500 Q4 Earnings Collapse | The Big Picture
この企業収益の推移で見る限りは、アメリカにおいても大不況期を1873年から1896年といったスパンで論じても、そうおかしくはなさそうである。
1894から96年ごろをみると、企業利益の落ち込みが激しかったのに比較して、株価のほうはあまり落ち込まなかったのかな、、
Standard & Poor「s 500(Monthly)
http://www.dailyreckoning.com.au/images/20090428A_lge.jpg
Figure 1. Long-term Views of the All Ordinaries and S&P500 Price Indices
Page not yet ready » Australian Investors Association
アップストライク式がQWERTYを選択するのは理にかなったことであり、むしろ当然とさえいえる。問題はむしろ、ダウンストライク式やフロントストライク式やらが、なぜQWERTYを選択していったかだ。
タイプライタートラストの5社だかは、アップストライク式であった。QWERTYは、ひとつの それなりに理にかなった配置関係の解となっていた。そこそこ見やすく打ちやすく、タイプバーの干渉を起こしづらい(or絡みづらい)。
QWERTYキー配列おそびそれに対応するアップストライク式機のタイプバーの並びでできたタイプバスケットの並びは、ひとつの それなりに理にかなった構成となっていた。
ただし、それは、アップストライク式においてでならってことである。
フロントストライク式のキー配列にQWERTYを採用すると、タイプバスケットの様子は、隣接タイプバーの連続動作機会の観点からすると、 実に愚劣な配列選択と 思われてくるのである。Stickney特許(1904年申請)にあるように、アンダーウッドのタイプバスケットの並びは、タイプバーの接触リスクの高い並びとなってしまっている。
Fitchも、Daughertyも そう思ったことだろう、、
だが、
市場は それを選択しなかったってことかな、、
それは、機構の稚拙のせいなのか、
配列のせいなのか、、
BBC | |
Aug 11 2010 by BBC
Document Not Found - Silobreaker
August 11, 2010 at 10:34 am
Spaces after a period
11/08/2010
Those 6 letters
11 Aug 2010
Why do we all use Qwerty keyboards? - Business Exchange
12, 2010 7:38 pm
500 - Error: 500
Thu Aug 12, 2010 8:29 pm
404 Not Found
August 13, 2010
Why do we all use Qwerty keyboards? « Mini37's Blog
09-01-2010, 06:51 PM
no title
BBC | |
BBC Radio 4 - 安岡孝一の新聞記事・ニュース・書評
知らなかった、気付かなんだ、、。気付かなかった、知しらなんだ、、
We also meet some speedy junior qwertists' primary school pupils who learn to touch type as part of their curriculum.
Also in the programme
Koichi Yasuoka of the University of Kyoto.
This is his blog about how qwerty developed.
BBC Radio 4 - Fry’s English Delight, Series 3, The Trial of Qwerty
どんな話したんだろう。ところで、
BBCの本件放送関係者に尋ねてみるべきかな。
もっと基本的なところでは、
とかもあるかなあ。
Qwerty is "not ergonomic", agrees Professor Koichi Yasuoka of Kyoto University, a world expert on the development of the keyboard.
But he sees evidence of the practicality of Qwerty in a world of mechanical typewriters. "T and H is the most frequently used letter pair in English," he explains. "In fact in Sholes's typewriter, the typebar of T and H are located on opposite sides."
The separation of these letters was made in the interests of speed, he believes. Users could type T-H without crashing keys, whereas the proximity of E and R, he argues, is inefficient. In other words there is no evidence of deliberate slowing down.
"Ergonomics were not a characteristic of mid-19th Century design," he concludes.
BBC News - Why do we all use Qwerty keyboards?
翻訳やらインタヴュアーの解釈が絡んでいるであろうとはいえ、このプロフェッサーは、いったい何を主張したいのだろうか、、論旨の一貫性はどうなっているのだろうか、、
Professor Koichi Yasuoka of Kyoto Universityはいう。
アップストライク式では、絡むことはないはずではなかったか?
google:”They are called upstrike typewriters and their typebars never jam.”
衝突と絡むとは まったく別の事象なのか?
clash or jam or batter
QWERTYはエルゴノミックではない 19世紀中葉にはエルゴノミックってな観点はなかったっていうのは、「エルゴノミック」を現代的な意味に限局して考えれば そうかもしれないが、
手指の運動のしやすさに沿った方向での改良提案は、いくつか出されていた。
頻度データの取り入れも、ショールズをはじめ、いくつか出されていた。
作業分析的観点は示されていた。
2009 年 08 月 18 日
「英語における文字頻度とタイプライターのキー配列」(英語教育, Vol.58, No.6 (2009年9月), pp.74-75)
高校英語教科書におけるQWERTY配列 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパンhttp://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/Taishukan2009-09.pdf
「もう少し歴史学的に書くなら、C. Latham Sholesが開発したタイプライターにおけるIのキーは、1870年時点ではEの近くに配置されていた……」
データの山があったとして、どういう観点から、どういう仮説を以ってスクリーニングするか 眺め分析するか - 霊犀社2
あれっ?
2005 年 02 月 10 日
なお、QWERTY配列がどう成立したかについては、私の仮説をQWERTY直前のキー配列に記したので参照されたい。
QWERTY配列に対する誤解 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
2005 年 03 月 06 日
では、1868年のキー配列と1872年のキー配列を結ぶミッシングリンクには、どのようなキー配列が考えられるだろう。 Griffithの…助けを借りて、大胆に仮説を立ててみよう。
┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐
│ ││A││E││I││ ││ ││Y││U││O││ │
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┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐
│B││C││D││F││G││H││J││K││L││M│
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┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐
│Z││X││W││V││T││S││R││Q││P││N│
└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘
という「仮想配列」が得られる。
QWERTY直前のキー配列 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
ミッシングリンク候補として安岡孝一氏により提出されたひとつの仮説 みたいなんだが、、
投稿日 » 2005/12/26 月曜日 - 15:54:08 by かなだ
おまけ:ABC順から1872年の配列の導き方(憶測):
(*2) E I ABDFGHJKLM ZCX V T R P N (余り)YWUSQO(*3) QWE SYIUO ABDFGHJKLM ZCX V T R P N503 Service Temporarily Unavailable
今考えた別説 Y WE TSIQ O AB D FGH JKLM ZCX VU R P N
公開日: 2005/05/01
「では、図1と図2のキー配列の差をどう説明するかだが、私見では、GriffithやNoyesの研究成果を発展させて、図4のキー配列を図1と図2の間に想定するのが、スジがよいように思われる。 ただし図4の配列を、図1と図2を結ぶミッシングリンクと見なすには、さらなる研究が必要だろう。」 no title
2006 年 02 月 01 日 ビンゴ。これで、私がQWERTY直前のキー配列に書いた「アルファベットを右端で折り返して中下段に配置」に対して、裏づけがまた一つ増えたことになる。 Hughes-Phelps印刷電信機のキー配列 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン「折り返し」に関しては補強されたとして、、EとIとが隣接していたり近接していたって証拠は?
2009 年 08 月 28 日 最も初期のSholesのキー配列ならば、『キーボード配列 QWERTYの謎』にも書いたとおり、たとえば1870年頃の↓を示すべきだが、これを「ABC順」だと考える人は少ないだろう。2 3 4 5 6 7 8 9 -
A E I . ? Y U O ,
B C D F G H J K L M
Z X W V T S R Q P N
2009 年 09 月 29 日 『キーボード配列 QWERTYの謎』(NTT出版、2008年3月)に書いたキー配列2 3 4 5 6 7 8 9 -
A E I . ? Y U O ,
B C D F G H J K L M
Z X W V T S R Q P N1870年4月に、Christopher Latham SholesとMatthias Schwalbachが製作した38キーのタイプ・ライターにおいて、用いられていたと考えられるキー配列。
キーボードの歴史 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
Patent US216232 - IMPROVEMENT IN TYPE-WRITING MACHINES - Google Patentsこの1879年の特許文書にはtype-armsという言葉がハッキリ記載されていますね。本には「アームを有するフロントストライク式タイプライターが発明されたのは~」とあるので、フロントストライク式じゃないタイプライターのはアームではないと著者は考えているのかもしれません。著者の見解をうかがってみたいものですね。
Posted by kunio at 2010年06月12日 01:54
http://kunio.sblo.jp/article/38767446.html#comment
えっと、Frederick SholesとWilliam F. MillerのU. S. Patent No.216232ですけど、私の知る限り、この特許は実用化されてません。
Posted by 安岡孝一 at 2010年06月13日 12:47
http://kunio.sblo.jp/article/38767446.html#comment
2010-06-15 05:00
タイプアーム(type-arm)と呼ばれている<追記:こともある>実態があった。
えっと、Frederick SholesとWilliam F. MillerのU. S. Patent No.216232ですけど、私の知る限り、この特許は実用化されてません。
Posted by 安岡孝一 at 2010年06月13日 12:47
http://kunio.sblo.jp/article/38767446.html#commentええっ?っと、その特許物が、発売されたかどうかの問題ではない。言語実態の問題を問いたい。「タイプアーム(type-arm)と呼ばれている実態があった。」
語があるというのは、複数者間において流通・通用している実態があるということだろう。
特許が成立しているということは、最低、申請者一人と許諾者がいる。査読者やらもいるかもしれない。
アメリカでも、正式特許名称typebarあたりが、type-armと呼ばれていた。 - 葉仮名raycy - KliologY
KoichiYasuoka 2010/06/15 13:40
「言語実態」というのが、現実的に何を指しているのか理解しかねるのですが…。あくまで『キーボード配列 QWERTYの謎』に書かれた「タイプライターのアーム」を問題にしているのなら、
安岡孝一氏による概念や言葉「アーム」「jamming」の謎 - 葉仮名raycy - KliologY
KoichiYasuoka2010/09/30 21:10>的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、
ふーん、私(安岡孝一)がhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html で参照した文献の本文を読みもせずに
>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
私を「的外れ」よばわりしたわけね。バカか、オマエは。しかも私は、一昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、「的外れ」を補強しろとか撤回しろとか言ってるわけじゃありません。何いつまでもウダウダやってるんです? とっとと参照する方法を示して下さいよ。
raycy2010/10/03 08:09http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101002/1285984485
never , butのこともあるかもですが、
>バカか、オマエ(バ冠raycy)は。
どういたしまして。だから やってるんじゃないですかね。
>何いつまでもウダウダ
>とっとと
その途中で 歴史検証における Any肯定文 なんかにも引っかかっちゃったりしてて、、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/1c0f6df7894be60841301e0023445e92
raycy2010/10/03 08:14追伸: お使いの日本語は関西圏語義でらっしゃいますでしょうか。
raycy2010/10/04 20:08追々伸: これまでも うだうだしてきました。
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101003/1286087138
これからも うだうだすることでしょう。http://cliology.g.hatena.ne.jp/raycy/
raycy2010/11/06 16:09追々々伸:山田尚勇Hisao Yamadaは「jeered as a faker」と書いた同一パラグラフ内で、McGurrinとTraubの1888年7月25日26日の一件とその後の(タイプライタ専門家筋)世間の眼の変わりようを述べてもいるようです。
「Blind touch typing was no longer a joke, at least for well trained typists. 」
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101106/1289025452
raycy2010/12/06 10:25追々々々伸:「存在しない記事を参照する方法」などへのreplyへのインデックスしときました。
http://cliology.g.hatena.ne.jp/raycy/20101119/1290148829#days
raycy2011/01/27 18:13KoichiYasuoka2010/09/30 21:10 > ふーん、私(安岡孝一)がhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html で参照した文献の本文を読みもせずに
とお書きになるあなたは、その文献の本文をお読みになったことでしょう、、もちろん そのタイトルも、、
(cf. McGurrin,"Typewriting without Looking at the Keyboard", it is impossible to acquire this faculty on any other double case writing machine now in use. , December 1888.)
http://slashdot.jp/~raycy/journal/523322