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正誤表 - 葉仮名raycy |とりあえず正誤表(for my記述) - 霊犀社2
安岡孝一大先生のご研究ぶりには,つい目を剥かせられちゃった?(バ冠拝領)似たふるまいがマルクスにあったし私にもあろう.事例「Koichi Yasuoka大先生APKY*1研究者生態」を典型とし合理的経済人ならぬ研究人モデルへ抽象化、汎学問化して名を冠し「一般“安岡孝一”学」とする。省略形は"一般KY論,KliologY".空気云々KY由来ではないことに注意。(一つのドーダ理論発現型?)

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さよなら?記念 特設コーナーでした。 - 葉仮名raycy - KliologY:
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2010-09-30

Koichi Yasuoka 「He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).」

10:03 | はてなブックマーク - Koichi Yasuoka 「He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).」 - 葉仮名raycy

He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

The Truth of QWERTY

この文献表示だと、完全にこの一文に係っている表現になっているっぽい。

  • (最大広めに取れば、安岡孝一氏の論評部全体かな、
    • (その場合には、どんな言及が、cf.文献に 追加的に求められようか、
      • Third District Court
      • has never been at the Federal Court there
      • could operate his Remington No.2 blindfolded, using all the fingers.
  • (事前予想として、読前の心構えとして、
    • (この一文に限れば、jeeredか respect,admiration に関わる言及があるかないか、、
      • (マッガリン自身が書くとすれば、人に歴史あり 回想として やら 答辞としてか。
      • (だが、記事タイトルは「キーボードを見ることなくするタイプライティング」の解説のようである。そんななかに 回想やら 気持ちやらの表現がでてこようか。
  • (あるいは、「リスペクトされたからこそ、同誌に投稿なり寄稿なりが掲載されたのである」ってことかな。
  • (そうではなく、「論議の的になっていたので、主張なり反論なりの機会が与えられた?
  • (魔法や神業ではなくて、手順を踏んで訓練すれば、誰でも到達できるとか、
  • (こういう仕組みで、できているんですとか、内実の 種明かしになっている?

いや「his skill」にのみ係っているのかな。そうならそれで、完結。

jeeredについては、無いものはないんだから示せない、、皆さんも探し出せるもんなら探し出してみろってか くださいってか ってことですね。たぶん見つからないでしょうけれどもねって。それまでの間は、never無いってことで、よろしいですね、皆さん、。では。

----

まてよ?、、

----

安岡孝一氏自身が、さまざまなタイピスト 二本指?タイピストだかによって 優勝がさらわれたり、決着のつかない時期が相当期間あった って書いてなかったっけか、、

鍵盤を見ないで打つタイピングの優位が 必ずしも認められない状態が コンテストにおいても しばらく続いていた、

そういう状態にあっては、「鍵盤を見る必要なく打つ打鍵法やそれを主張する者」に対し いささかの懐疑が生まれたとしても そうおかしくはあるまい


ダブルキーボード派も、タッチタイピングを、そうそう勧める立場は、採らなかったのではないか?

ダブルキーボードタッチタイプって、そうやすやすと、できますかね、JISかなよりもキー数多いはずですよね、、

参照文献の示し方例 pp.99-160??

12:14 | はてなブックマーク - 参照文献の示し方例 pp.99-160?? - 葉仮名raycy

1867年10月出願のU. S. Patent No.79868は、「similar to the keys of a piano or melodeon」と書かれているものの、Fig.1をどう見てもピアノオルガンの鍵盤には見えない(Karl H. E. Kroemer『Keyboards and Keying, An Annotated Bibliography of the Literature from 1878 to 1999』(Universal Access in the Information Society, Vol.1, No.2 (October 2001), pp.99-160)参照)。

ピアノの鍵盤と初期のタイプ・ライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

以下 2012年12月14日に書き足している。

ここで何が言いたいかって言うと、pp.99-160ってところね、特に。

ピアノオルガンの鍵盤に みえるっちゃ 見えると思うのですよ こちとらは。 いや違うって言うのなら それがどこに書いてあるのか そう思ったのか、 pp.99-160で 参考文献を ポイントしたことに なるんでしょうかっていうことが いいたかったわけ。

ふう。

こういうのは スラッシュドットに コメントとしてあげたほうか 転載引用問題が生じずいけそうだから、こちらに書かずに、直接 スラドに上げるかな。

今回は 量的に 引用レベルに達しそうだから ここまでとしとく。

以上 2012年12月14日に書き足した。

じゃあ引き下がれない可能性が高いでしょうね。あるいは、振り上げたこぶしを おろせない可能性が高そうですね、死ぬまでフラグ立てたまま、もしnever jeeredならば。(中国は尖閣列島どうなったかな、

14:12 | はてなブックマーク - じゃあ引き下がれない可能性が高いでしょうね。あるいは、振り上げたこぶしを おろせない可能性が高そうですね、死ぬまでフラグ立てたまま、もしnever jeeredならば。(中国は尖閣列島どうなったかな、 - 葉仮名raycy

私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど


>文献の選択として、的外れではなかろうか。


存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285680526

オリジナルの記事2006年には論拠は、存在しないものなので 特に論拠を示さずに、 neverと書いてよいっていう判断で、そのあとのcf.は、never jeeredの論拠とかとは、関係なかったってことですかね。

ですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。


>文献の選択として、的外れではなかろうか。


とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285713912

的外れなことが示せれば、どうかな、と。「his skill」に対するcf.だったんですかね。

あるいは、より的に近い ましな例が示せれば、

あと、的のとり方、


【記述混乱整理中】http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930/1285841050

厳密には「He」「Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります」そうなるか、、あれれ、、


でもすべての 鍵盤を見る必要のない打鍵法提唱者たち各人に対して、いちいち称揚やら毀誉褒貶(きよほうへん)の記録がすべてそろっているとは思えない。

データの欠損が出よう。


全員が必ず、was jeered as a fakerとされたとの記録がなくとも、

そのメソッドが jeeredされた、あるいは、数名がjeeredされたならば、

大勢として、みんなjeeredされたってな いいかたをすることはあろう、、

McGurrinに対しては、たまたま jeeredの記録がのこっていなかったってな場合もあろう。

マッガリン流ってなものが残らなかったとしたなら、教授可能なレベルにまでこなれて無かったとか、マッガリンだからこそできたとか、そういった性質が、あるいは、あったか? McGurrinは 鍵盤を見ないことを推奨するが、それを人々はどう聞いたか、読んだか、、

マッガリンは、前打鍵のどれかの指を、キーにタッチしたまま残しておけってことで、ホームポジションを提唱していないっぽい。


文字通りに厳密に読めば、McGurrinを含む鍵盤を見る必要が無い打鍵法提唱先駆者たちすべてってことになるかもしれないが 

緩めには、

任意の 鍵盤を見る必要がない打鍵法提唱先駆者ってことにもなるし、

任意の 鍵盤を見る必要のない打鍵法を提唱する先駆者が jeeredされたり

鍵盤を見る必要のない打鍵法がjeeredされたりしていたなら、

てか、気分的には、厳密な言語の運用でなくて、一名でもそのようなjeeredがあったならば、

まあ、そういうのが見つかったなら、それから考えるか、、

同じ 鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中にも、そしられたりそしられなかったり、分け隔てがあったりするものかな、、

McGurrinは never jeeredだったが、他のタッチタイプ鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中には、jeeredされたものもいた?

私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100929#c1285743459

何で私が的に当てなくちゃいけないんですか。

もし私が 、貴殿の2006年のくだんのブログの文章ではcf.が前の一文に対して「的外れ」なのを示せれば、それでもいいんじゃないでしょうか、それではすみませんか。

あるいは、貴殿のものよりは、より的に近いものを示せれば、それでもいいかな


1888年7月25日以前の 賞賛記事ならば、never jeeredは示せないが、少なくとも もう片側の respectだっけかやらadmirationやらは、あったことが 示されるが、、


1889年ごろにおいて、誰でもできるタッチタイプとかを説いている人がいたなら、かなり怪しい、、

とすれば、1889年メソッドを、1893年には、メソッドを変更しているとおぼしきトーリーは、そしりを受ける可能性のある候補かも。

neverとあれば それは 「私が知る限り存在しない」ってな意味です

15:40 | はてなブックマーク - neverとあれば それは 「私が知る限り存在しない」ってな意味です - 葉仮名raycy

それは、「私」が全知の場合に、正しい。

トーリーの教本とWyckoffら版元の偽?歴史本とで気になったことなど。

16:40 | はてなブックマーク - トーリーの教本とWyckoffら版元の偽?歴史本とで気になったことなど。 - 葉仮名raycy

トーリーのPractical1894年版とWyckoffだかのは、初めてみた気がする、、

トーリーので、

メソッドに、ぶれはあったか なかったか

待機位置はQPだが、ランドマークAP

Practical 1889年版 見てない

別書   1893年版 

Practical 1894年


Caligraph No.3 universal keyboard?


Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 6–10

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

Roseの (McGurrinらしき?)マシン(鍵盤)を見ないで打鍵している者を見たっていう証言は、ここに一応引用があったのね。二次資料だけれども、

ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。

国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

ビンゴって、自力到達ってわけじゃなかったのかな、再発見?、あるいは独立に到達したか?


Longleyの証言として、1880年ごろに買ったType-Writerに付属のパンフレットには、両手のゆび一本づつ または 右手の指二本で操作するように書いてあった、とある。

見つけてから読んだか、読んでから見つけたか、、ビンゴ、、ダブルビンゴ、、(再発見)、、(再々発見)、、

17:28 | はてなブックマーク - 見つけてから読んだか、読んでから見つけたか、、ビンゴ、、ダブルビンゴ、、(再発見)、、(再々発見)、、 - 葉仮名raycy

2007 年 08 月 11 日

New York State Libraryで 19世紀の速記雑誌を漁っていたところ、1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。

国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 7

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

Roseの (McGurrinらしき?)マシン(鍵盤)を見ないで打鍵している者を見たっていう証言は、ここに一応引用があったのね。二次資料だけれども

トーリーの教本とWyckoffら版元の偽?歴史本とで気になったことなど。 - 葉仮名raycy - KliologY

1900年(19世紀)には発表されていたネタの、107年後の世紀をまたいだ21世紀の再発見だったんでしょうかね。

2007 年 08 月 11 日

ビンゴ。

1882年8月31日~9月1日にシンシナティで開催されたInternational Congress of Shorthand Writersの議事録には、Elizabeth Margaret Vater Longleyのこんな講演があった(p.15)。

I have seen a person write with the two index fingers, using them for both printing and spacing, but such an one would not expect to get a position as type-writing clerk.

Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 13

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

ダブルビンゴ。

国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

【記述混乱整理中】

19:04 | はてなブックマーク - 【記述混乱整理中】 - 葉仮名raycy

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930/1285823578

Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.

He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

The Truth of QWERTY

【記述混乱整理中】

厳密には「He」「Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります」そうなるか、、あれれ、、


でもすべての 鍵盤を見る必要のない打鍵法提唱者たち各人に対して、いちいち称揚やら毀誉褒貶(きよほうへん)の記録がすべてそろっているとは思えない。

データの欠損が出よう。


全員が必ず、was jeered as a fakerとされたとの記録がなくとも、

そのメソッドが jeeredされた、あるいは、数名がjeeredされたならば、

大勢として、みんなjeeredされたってな いいかたをすることはあろう、、

McGurrinに対しては、たまたま jeeredの記録がのこっていなかったってな場合もあろう。

マッガリン流ってなものが残らなかったとしたなら、教授可能なレベルにまでこなれて無かったとか、マッガリンだからこそできたとか、そういった性質が、あるいは、あったか? McGurrinは 鍵盤を見ないことを推奨するが、それを人々はどう聞いたか、読んだか、、

マッガリンは、前打鍵のどれかの指を、キーにタッチしたまま残しておけってことで、ホームポジションを提唱していないっぽい。


文字通りに厳密に読めば、McGurrinを含む鍵盤を見る必要が無い打鍵法提唱先駆者たちすべてってことになるかもしれないが 

緩めには、

任意の 鍵盤を見る必要がない打鍵法提唱先駆者ってことにもなるし、

任意の 鍵盤を見る必要のない打鍵法を提唱する先駆者が jeeredされたり

鍵盤を見る必要のない打鍵法がjeeredされたりしていたなら、

てか、気分的には、厳密な言語の運用でなくて、一名でもそのようなjeeredがあったならば、

まあ、そういうのが見つかったなら、それから考えるか、、

同じ 鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中にも、そしられたりそしられなかったり、分け隔てがあったりするものかな、、

McGurrinは never jeeredだったが、他のタッチタイプ鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中には、jeeredされたものもいた?

存在しないかんたらの話に持ち込もうとしたのは、どなたか。

19:20 | はてなブックマーク - 存在しないかんたらの話に持ち込もうとしたのは、どなたか。 - 葉仮名raycy

あらためて、安岡孝一氏がコメントを寄せてきたと思しきmy記事

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY

をみて、おどろいた。

存在しないなんたらについて私は、どうのこうのとか、書いてないじゃないか。

マッガリン以外の言を以って、特に1888年7月25日以前の毀誉褒貶なら、それなりの説得力があろう。

確かに、1888年7月25日にこだわりすぎたのは、問題かもしれない。

それは、彼の引用部に、称揚ばかりが あるいはあるのかな と思ったからで、称揚がないのならば、いずれにしろ、いったい何のためのcf.かってな感じ かも。

「his skill」かな

  • never jeeredの論拠
    • たとえば奇跡的にマッガリン自身の証言として「わたしは タッチタイプでjeeredされたことは 一度たりとて無かった」とか、
      • もっとも 本人に聞こえないだけで 周りではjeered されているかもしれないってのもあるが、 
    • あるいは 他者からの、マッガリンへの称揚のことばやら賛辞が並んでるとか (悪魔の証明に対する次善の策として。)

かなと思わせて、 そんなのってわけでもない のかな、。

で、論拠を聞かされたのは2010年9月なわけですよね。世界中のThe Trueth of QWERTYを楽しみにしてらっしゃる皆さまがたよ。それまでは2006年8月だっけのcf.に論拠があるのかなって思わせられていた場合もあろうが、どうかな、cf.は、リスペクトとかadmireの論拠になっているかな。


無いことの証明が容易でないことは、皆さん先刻ご承知と思ってていいのでは。

だから、称揚 賛辞の論評をいくつか並べれば、手の尽くし方としては、一応の誠意として受け取られるのでは。

で、そういうのが cf.に あるんじゃないかな、と思っては、変でしょうか?

 

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/30 21:10>的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、

ふーん、私(安岡孝一)がhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html で参照した文献の本文を読みもせずに

>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。

私を「的外れ」よばわりしたわけね。バカか、オマエは。しかも私は、一昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、「的外れ」を補強しろとか撤回しろとか言ってるわけじゃありません。何いつまでもウダウダやってるんです? とっとと参照する方法を示して下さいよ。

raycyraycy2010/10/03 08:09http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101002/1285984485
never , butのこともあるかもですが、

>バカか、オマエ(バ冠raycy)は。

どういたしまして。だから やってるんじゃないですかね。

>何いつまでもウダウダ
>とっとと
その途中で 歴史検証における Any肯定文 なんかにも引っかかっちゃったりしてて、、
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/1c0f6df7894be60841301e0023445e92

raycyraycy2010/10/03 08:14追伸: お使いの日本語は関西圏語義でらっしゃいますでしょうか。

raycyraycy2010/10/04 20:08追々伸: これまでも うだうだしてきました。
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101003/1286087138
これからも うだうだすることでしょう。http://cliology.g.hatena.ne.jp/raycy/

raycyraycy2010/11/06 16:09追々々伸:山田尚勇Hisao Yamadaは「jeered as a faker」と書いた同一パラグラフ内で、McGurrinとTraubの1888年7月25日26日の一件とその後の(タイプライタ専門家筋)世間の眼の変わりようを述べてもいるようです。
「Blind touch typing was no longer a joke, at least for well trained typists. 」
http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101106/1289025452

raycyraycy2010/12/06 10:25追々々々伸:「存在しない記事を参照する方法」などへのreplyへのインデックスしときました。
http://cliology.g.hatena.ne.jp/raycy/20101119/1290148829#days

raycyraycy2011/01/27 18:13KoichiYasuoka2010/09/30 21:10 > ふーん、私(安岡孝一)がhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html で参照した文献の本文を読みもせずに

とお書きになるあなたは、その文献の本文をお読みになったことでしょう、、もちろん そのタイトルも、、
(cf. McGurrin,"Typewriting without Looking at the Keyboard", it is impossible to acquire this faculty on any other double case writing machine now in use. , December 1888.)
http://slashdot.jp/~raycy/journal/523322

2010-09-29

先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、

05:57 | はてなブックマーク - 先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、 - 葉仮名raycy

KoichiYasuoka  2010/09/28 22:28

>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり


と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。

2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY

私が書いた部分を見ていただければ、

山田尚勇が述べる歴史の順序は、

  1. マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
  2. 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
  3. そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。

ってな流れでは。たぶん。

つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY

ということで、山田尚勇の 私による勝手に代弁部分であり、私の主張ってわけでも 必ずしもない、。また、断定のつもりはありませんでした。断定しているように読めますでしょうか?


あと山田尚勇原文には、そしりを受けた可能性のある「被そしり受信者なり論難こうむり者」は、

Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys (

google:タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たち -raycy

タイプライタ入力法の発展
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY

CiNii 論文 -  A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
The Truth of QWERTY

とあり、「He

He was never jeered as a faker,

The Truth of QWERTY
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram - 葉仮名raycy - KliologY

彼McGurrinひとりに限定されてはいない。


私としては、「そしり」流言があったとすれば その埋蔵場所時期候補としては、山田尚勇に、

 1900年までの間にようやく全指を用いるタイプ法が抬頭してきたが、それでも約半数のタイピスト学校では依然として鍵盤を見ながら打鍵する方法を教えていた。やっと1920年になってエサリッジ( Etheridge 1920, p.242)が次のような論評を書いている。

タイプライタ入力法の発展

とあるので、

  • 鍵盤を見ることなく打鍵する方法を あえて教えなかったタイピスト学校は、鍵盤を見ない打鍵法に対して批判的であっただろう。

なので、鍵盤を見ないタッチタイプへの「そしり」なり「批判」的なものが、半数のタイピスト学校の教師やらによってもたれていたとも考えられ、

「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。


これは、1888年7月25日以前の証言とは 相反するようですが、そうではなくて、

1888年7月25日以前のほうが、「大いに ひどかった時期であり、」、漠然と根拠なくではあろうが 「そしり」には強いものがあったであろう、、

  • だから探しやすいかも と思ったってのもある、、でも実際には探し当てるのは かえって困難なのかも、、

その「そしり」やら「批判」は徐々に減衰していくが、1900年あるいは1920年ごろにまで、根深く 隠然とあったであろうってな仮説をとってみています。


(でも、その「そしり」の性質は、1888年7月25日ごろ以前と以後では、その性質が、変わってくるでしょうかね、。)


このような仮説設定をしてから、広めの構えをもって網を張って、傍証なり反証なりの調査収集に 当たるべきでしょう、、ってな気持ちです。

Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」

| 06:44 | はてなブックマーク - Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」 - 葉仮名raycy

ベイツ・トリー(Bates Torrey)のタイピング

ベイツ・トリー(Bates Torrery) は、1889年に「Practical Typewriting: All-Finger Method」と云う両手の8本の指と親指を使う教則本を 発表しています。このタイピング法は、「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。目的の文字(キー)への指の移動が「Guide Key」から相対的に移動すると云う「相対操作方法」の始まりと云うべき画期的な操作方法でした。

Touch Art 指運

出典 : Touchart Or Practical Typewriting p21

タイプライターのキーボードからパソコンキーボードへの変遷

とある。

AとP

FとJだっけ、またAと;

(1915年8月3日成立)は、キーボードのAとセミコロンに嵌め込む「キャップ」の特許である。

キーボードのFとJの目印 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

でもなかった、、

山田尚勇の「jeered as a faker」の引用元は、あるのかないのか。

06:59 | はてなブックマーク - 山田尚勇の「jeered as a faker」の引用元は、あるのかないのか。 - 葉仮名raycy

The Atlantic: 第 193 巻

Cairns Collection of American Women Writers - 1954 - スニペット表示

Mrs. Longley might have lost the argument if another rebel, Frank E. McGurrin of Salt Lake City, had not appeared on the typewriting scene. McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City, ...

McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City - Google ????

とあり、また、同誌には

Bruce Bliven,Jr., The Wonderful Writing Machine

The Atlantic - Google Books

ブルース ブリーヴェン Jr.だかも引いてあるようだから、あるいは そっちから引いてきているのか。

「jeered as a faker」とかってのは、あるいは、どっかから引いてきたのか、、どこにあるかわからぬが、、

「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法

07:34 | はてなブックマーク - 「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法 - 葉仮名raycy

存在しない記事を参照する方法

2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY

悪魔の証明」、そしり表現はないとして、できることといったら

「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法ってことぐらいになりますかね。

だが、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってこと自体の知名度が低かっただろうから、

評価を立てるには、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってアイディアが広まってから、、

それは、1888年7月25日以後ってことかなあ、、うむ。


でも、McGurrinによれば、勤務先オフィスが1878年のレミントンNo.1調達したころから?、タッチタイプ法が試みられテストされはじめ、

He ( D. E. Corbitt? ) bought a second-hand No. 1 (Remington) Typewriter,

http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_Operator

I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard. I discarded my former method of two or three fingers and determined to use all of my fingers. Before the end of the year 1878 I could write upwards of 90 words a minute in new matter without looking at the keyboard.

Utah州成立とFrank Edward McGurrin | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

1881年には、第三者によって観察されていたようであり、、

ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。

国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
スラッシュドット・ジャパン検索

1886年ごろには、速記の雑誌などに載りはじめ?

1887年には確実に載っている

「"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.

  Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush」

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin

1888年にいたるまでの、潜伏期間は あった、、

Re:http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285680526 http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285713912

09:07 | はてなブックマーク - Re:http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285680526 http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285713912  - 葉仮名raycy

着色を、ピンク(疑義)からグレー(真偽不明)に、まあ格下げしとくべきでしょうかね、

Tuesday, August 08, 2006


He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY

疑義、疑念、反論、反証真偽or適不適の判別が微妙なもの成立していると見做しているもの

色分け凡例 - 葉仮名raycy - KliologY

真偽不明レベルへ。

論法としては、先の記事だけでは納得できませんが、。

貴殿による2010/09/28 22:28の付加コメントも加味してなら、

2010/09/28 22:28

Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた

2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY

まあ、充分な反証を探し当てるのは、なかなか困難でしょうね。

    (それでも、
      「“私が知る限り存在しない”⇒ならば、“never”」
    ってな論法には、まだ ちょっと疑問の余地が、、)


ところで、

2010/09/29 07:45

この論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生

2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY

には、この文言「jeered as a faker」の訂正も 託されたうちに入っているのですか?

山田尚勇氏が「jeered as a faker」を書いた典拠あるいは経緯は、把握済みなのでしょうか。

あと、「タッチタイピスト」なんかについても、安岡孝一先生の最新研究の成果を、反映なさるおつもりでしょうか。

安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 葉仮名raycy - KliologY

「謗られた」

09:29 | はてなブックマーク - 「謗られた」 - 葉仮名raycy

  • 鷗外全集: 著作篇
    • 此詞を餘り正直に閡いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解す
鷗外全集: 著作篇 - 森鷗外 - Google ブックス
  • 大国聖日蓮上人 tanaka chigaku - 608 ページ -
    • ... の信やる宗法佛神を謗られたものと誤解して起す所の怨嫉である。
大国聖日蓮上人 - tanaka chigaku - Google ブックス
?h掂????h - Google ????

「without looking at the keys」 と Traub:「今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』87ページ)

10:17 | はてなブックマーク - 「without looking at the keys」 と Traub:「今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』87ページ) - 葉仮名raycy

ここは ぜひとも、筋だてとしては、そしりを受けていてほしいものだが、

「was jeered as a faker」

"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.

Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush.

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin

しりがあったとすれば、

「without looking at the keys」ってな打鍵法が、それだけ衝撃的であり、にわかには信じがたいものであったってことでしょう。それを真に受けて1878年ごろから試したMcGurrin?


と、散々鍵盤を見ずに打鍵する法について論じてきているが、、

そんなことは、タッチタイピングの本質とは関係なくて、ってな説も、ありうるのかな、、

「トローブは、今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』商品の詳細@amazon87ページ)

安岡孝一氏が2005年来主張してきた「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。でもそれって、McGurrinは鍵盤見る事なき打鍵とは認めてないんですけど、、 - 葉仮名raycy - KliologY
安岡孝一氏が著書で開陳した「タッチタイプ」の定義は、通常一般とは異なるものだった。 - 葉仮名raycy - KliologY
「本物の科学」が提供する「今で言うところのタッチタイピスト」 - 葉仮名raycy - KliologY

キーボード打鍵姿勢やらキーボード ランドマークの歴史

| 10:54 | はてなブックマーク - キーボード打鍵姿勢やらキーボード ランドマークの歴史 - 葉仮名raycy

キーボード ランドマークの歴史

  • 1882年のLongleyの講演では、スペースキーをすぐに打てるとあるから、(右手?)親指をスペースキーに載せとくようなことはあったのかな、、
  • トーリーの教本1889年には、左手小指はAに 右手小指はPにタッチってなふうに、書いてあるとか、、
  • 打ち下ろしたときに右手小指がA 左手小指が;だかPだかってのは、1891年ごろの教本で見たかな

手指の待機位置は、中空、やや開き加減、落としたときに左小指がQに右小指がPに、、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.archive.org/details/instructioninpra00torriala

Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith's numerals; a manual of blackboard illustrations for shorthand teachers; and suggestions for typewriter practice .. ([1893])

Author: Torrey, Bates


Hand position is best secured by dropping the fourth fingers upon P and Q and making the other fingers

fall naturally upon the next figures in order, P O I U, for right hand, and Q W E R for the left; then

place the right thumb on the space bar, and if the elbows are close to the body, a good hand position is attained. It can not be too often reiterated that good hand position is the foundation of met/tod in type-writing.

Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith’s numerals; a manual of blackboard illustrations for shorth
キーボードがデカかった時代、指形にキーを配置することは、切実さは少なかっただろう、、 - 霊犀社2

するってえと、Torreyの場合、ホームローは上段 QWERTYUIOPの段、ホームポジションはOWER UIOPで、その要はQ と P?

Re:キーボードのAとセミコロン - 葉仮名raycy - KliologY

1893年か、、Bates Torreyじゃないか、、Q と P?

するってえと、1889年のタッチってのは、どうかな、、直接見てない伝聞なので、要チェック、、


その後、

  • 全キーマーカーやら
  • 親指マーカーやら、
  • 小指マーカーやら
  • 人差し指マーカーやら
  • 中指マーカーやら

やがて

  • パーム手のひら なり リスト手首 なりを着いたままってな絶対位置ランドマーク確保法が、台頭?

「悪魔の証明」ってなシチュエイションは、賄賂収賄事件とかの言い逃れ的に政治家も使っていたし、論証しようっていう人なら、だれでも、気のつく程度のことだろう。あくまで証明、?

12:07 | はてなブックマーク - 「悪魔の証明」ってなシチュエイションは、賄賂収賄事件とかの言い逃れ的に政治家も使っていたし、論証しようっていう人なら、だれでも、気のつく程度のことだろう。あくまで証明、? - 葉仮名raycy

私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど

>文献の選択として、的外れではなかろうか。

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy - KliologY

とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。

2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY

そんな、、

こんなことで言い争うつもりもありませんが、

先に論証して見せてらっしゃるのは、貴殿の

「 私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた 」っていう部分じゃないでしょうか。貴殿御自身の知を神化なさっていらっしゃるのか。

悪魔の証明http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=6533悪魔の証明http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=6533

「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2

安岡孝一氏が当てた的、あるいは射た矢? 張った網、獲た漁? (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

17:36 | はてなブックマーク - 安岡孝一氏が当てた的、あるいは射た矢? 張った網、獲た漁? (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250). - 葉仮名raycy

「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら

2010-09-29 - 葉仮名raycy - KliologY
    • (揶揄にあたるのかどうか、、 まあ、そうお感じになっられたってことですね、、)

「的外れ」としたのは、google:F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250) -raycy

  • 記事の著者表示 F. E. McGurrin:であり、評判を立てる側の人の言ではないことと
  • 年号 (December 1888)

だけで判断してみていたが、

それでは弱いので、

的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、


あと、The Truth of QWERTYへの当初 August 08, 2006 記事http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.htmlとは別に、今次のコメントで追加提示された論拠、

2010/09/28 22:28

1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんです

2010-09-28 - 葉仮名raycy - KliologY

安岡孝一氏が設定した網のcoverageの中での、ほぼ しらみつぶしってな気分ぐらいに 調べたけれども、なかったっておっしゃってるわけですよね。"never"ってぐらいだし。


その前に、的というか 網の設定の問題もあったかな。

どうも、私が狭くいえば、彼のその網も狭まり、私が広く言えば、その網には文句をつけるわけね、、

いったい貴殿(安岡孝一先生)は、存在しないとおっしゃる、その探されるべき記事なり記録;日記なりを、どのような範囲のものとお考えか。どこの何を探して 無かった と おっしゃってらっしゃるのか。

私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。

2010-09-29 - 葉仮名raycy - KliologY

「存在しない記事を参照する方法」ってのは、「悪魔の証明」に陥る話っぽいので 付き合うきになれません。ってか、それ以前に、自己矛盾的命題設定かな?

小渕恵三首相時 似た場面で、こうおっしゃった、

平成12年03月17日 小渕恵三「 御存じのように、ないと信じておりますから、ないものをないということを証明することは悪魔の証明であることでなかなか難しゅうございますから、あるとすればどういう点であるかということをお話しいただきたいと思います。」

「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2

疑念箇所が存在する可能性のある点を挙げさせ、それをつぶすという方法で、疑念をひとつひとつつぶす方法を ご提案なされたような、、


私は、存在可能性のある部分を まずは挙げようとしているわけだったのでしょう、。探すべきもの と 探すべき箇所、。

  • これ、その範囲にご同意いただけないってこともあるでしょう、でも、それはそれ、
先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、 - 葉仮名raycy - KliologY
  1. しりを受けた対象google:"Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys" -raycy
    1. 「鍵盤を見る必要のない打鍵法を説く先駆者たち」あるいは
    2. 「鍵盤を見る必要のない打鍵法」そのもの。
  2. その時期は、
    1. 1920年ごろまで、そしりが存在した可能性がある。

ってな具合に、網を設定したい。ご同意いただけないかも知れませんが、、

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/29 15:57昨日のエントリで、私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html にたいして

>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。

と「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら

>「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。

とか言い出す。何なんですか、それ。しかも私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。

2010-09-28

Stickney特許(1904年申請)のタイプバスケットに頻度順着色

| 17:51 | はてなブックマーク - Stickney特許(1904年申請)のタイプバスケットに頻度順着色 - 葉仮名raycy

1904年ごろのアンダーウッドのタイプバスケット配列(スティックニー特許による)

Q A 2 Z W S 3 X E D 4 C R F 5 V T G 6 B Y H 7 N U J 8 M I K 9 , O L - . P ;

Stickney特許のタイプバスケット並びに対応させてキーを再配置したならば、どうなるであろうか。 - QWERTYの史的とぐろ?raycy - qwerty-history-jpグループ
安岡孝一氏が提起したことは、「ちょっとまってくださいよ、フロントストライクじゃなかったんですよ、アップストライク式だったんですよ、QWERTY-1882に至る時期は。」 - 葉仮名raycy - KliologY

これを、スティックニー特許のタイプバスケット配列

に変えて着色しなおす。

1904年当時のアンダーウッド

Q A 2 Z W S 3 X E D 4 C R F 5 V T G 6 B Y H 7 N U J 8 M I K 9 , O L - . P ;

1904年Stickney特許

Q A 2 W Z S 3 E X D C 4 R 5 F V T G B 6 Y 7 H N J U 8 M K I 9 , O - L . P ;

HN あるいは NHは、低頻度なgoogle:BIGRAMであろう。

タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram

18:22 | はてなブックマーク - タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram - 葉仮名raycy

タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram出現頻度

きめ台詞としての「隣接タイプバーの連続動作機会の低減」

これに、確率的とかBiGramとかのキーワードも入ってたほうが、それっぽいかな、。

安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」

18:36 | はてなブックマーク - 安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 葉仮名raycy

安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト

『キーボード配列 QWERTYの謎』商品の詳細@amazon

1886年 Traub )

キーボードを全て空白にした『カリグラフ№2』で、エキシビションをおこなったりもした。トローブは、今で言うところのタッチタイピスト――もちろん当時そんな用語はないが――だったわけである。(87ページ)

安岡孝一氏が2005年来主張してきた「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。でもそれって、McGurrinは鍵盤見る事なき打鍵とは認めてないんですけど、、 - 葉仮名raycy - KliologY
ブラインド‐タッチ‐タイピスト っていう言葉が、必要ですかね、それだと、、 - 葉仮名raycy - KliologY

山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」

山田尚勇

# タッチ・タイプ法の出現

 今日でいうタッチ・タイプ法とはタイプライタ操作の際、

(1)10本の指全部を使う(実際は9本の人が多い)

(2)打鍵する際に文字盤を見ない。その理由は;

    a より速く打つためと

    b 疲労度を軽減するため

ということである。

タイプライタ入力法の発展

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。

19:44 | はてなブックマーク - 安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 葉仮名raycy

安岡孝一氏は

Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.

He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

The Truth of QWERTY

と書いた。

山田尚勇原文の訳文らしき該当箇所をみると、

 ソルト・レーク市のF・E・マッガリン( Frank E.McGurrin )は連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人であるが、この人こそロングリー夫人とは独立に、真のタッチ・タイプ法を開発した人であった。つまり彼は10指全部を使ってタイプし、しかも鍵盤に目をやらなかったのである。しかし、タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たちは、皆いかさま師だといわれ嘲笑された。

 シンシナティ市出身のルイス・トーブ( Louis Taub )といわれる人物は、タイプライタ両手の合計4本の指で操作すれば必要充分であると信じていた。

 そして両者はタイプライタの業界の醵出した賞金を目指して、1888年7月25日にシンシナティ市で歴史的な対決をすることになったのである(図6参照)。

  • 連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人
    • 安岡孝一氏によれば、McGurrinはUtahのThird direct courtだかで働いたことがあるとのこと。
  • 10指全部を使ってタイプ
    • McGurrinは、左手の親指はnever use 決して使わないといっている。「I never use the thumb of the left hand, for the simple reason that there is no use to which it can be put.」九指タイピングであった。
  • 両手の合計4本の指で操作
    • 安岡孝一氏によれば、八指タイピングとのことである、。(大文字小文字、、小文字に対しては、、
  • タイプライタの業界の醵出した賞金
    • McGurrinとTraubの自腹を出し合っての賭け試合だった。

山田尚勇が述べる歴史の順序は、

  1. マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
  2. 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
  3. そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。

ってな流れでは。たぶん。

つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。


安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。

  1. McGurrinの言ではなく、他者―McGurrinら鍵盤を見ない打鍵法を主張するものを批評する―による証言によるべきである。
  2. 1888年7月25日以前の、鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言をもって 立証すべきである。

原文の該当箇所は


CiNii 論文 -  A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/28 22:28>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり

と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど

>文献の選択として、的外れではなかろうか。

とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。

raycyraycy2010/09/29 05:15……というようなことになるので、(名誉毀損とか 法的措置とか、?) もし、「そしり」が世間にあったとしても、
「そしり」要素は、普通はなかなか記事とはならず、 記事中には 存在しないってなことになるのではないでしょうか、
もしそのような「そしり」のうわさがあったとしても、 日記やら、(あるいは 小さな集まりでのクローズ性がある程度確保できる集団内での) 非パブリックな分野での文献でないと、存在確認は難しいのかもしれません。

ところで、
私の書いたのは、cfの文献選択が適性的に どうなのか といっているわけです。
私には、安岡孝一先生が 広く 当時の流言を当たっての 自信をもっての御主張とは思い至らずに書いた面もあった。
安岡孝一先生は 記事を当たって、 そんな記事は 見つからない。とおっしゃっている。

(私としては、記事という形態を当たるだけでは、なかなか探し当たるのは難しい性質の 主張 であろうということを このコメントで付言しました。)

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/29 07:45ですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。あなたは私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
に対して

>文献の選択として、的外れではなかろうか。

とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。

トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928

2010-09-27前史:タッチタイピングの発見;アーム式タイプライター概念の誕生

「カテゴリー、範疇アーム式タイプライターの誕生」の受容、、

00:57 | はてなブックマーク - 「カテゴリー、範疇アーム式タイプライターの誕生」の受容、、 - 葉仮名raycy

目次

『キーボード配列 QWERTYの謎』商品の詳細@amazonの読者の中には、「アーム式タイプライター」の誕生が「『Daugherty Visible』(1893年発売)」以降、といった具合に理解なさっている方が、少なくとも三名はいらっしゃる。

拝啓 オーストラリアPowerhouse Museum 学芸員殿(?) - 葉仮名raycy - KliologY

鍵盤を見ることなく打鍵している者がいる、。 マッガリンは伝え聞いた、、Longley夫人は息子経由で知ってていたかも、、

02:49 | はてなブックマーク - 鍵盤を見ることなく打鍵している者がいる、。 マッガリンは伝え聞いた、、Longley夫人は息子経由で知ってていたかも、、 - 葉仮名raycy

鍵盤を見ることなくタイピングしている者がいる、、そんなことができるのか。できる。現に報告があった。

思い、

  1. 鍵盤を見る必要なく打てるか、
  2. それができれば、打鍵は速まろう。現に、速いとの報告もある、、
  3. どうやっているのかな あるいは どうすれば実現できるのか
    • 多くの指、8本の普通の指と2本の両の手の親指を、打鍵活動に参加させる、(英語では親指は別格のため、くどいが日本語でも こう表現)。全員全指参加、、(ピアノオルガンを見よ、)
    • 打鍵する文字により使う指の担当を決める。
    • 打鍵中に 手指を鍵盤上に残せる、
      • これにより、多くの指が わずかな移動動作距離で打鍵できる、、
      • スペースキーは いつでもすぐに押せる

マッガリンの証言によれば、鍵盤を見ることなく打鍵している者がいると 伝え聞いたのがきっかけ とのことらしい。ちょっとアヤシイ眉唾ものだが。

Frank Edward McGurrinがタッチタイピングを始めたのは、『The History of Touch Typewriting』(Wyckoff Seamans & Benedict, 1900)で本人が語ったところによれば、以下のようないきさつである。

Mr. Welch was dictating from his notes to a girl who was running the typewriter while looking out of the window. All this while she was writing from dictation at a very rapid rate. … I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard.

要は、1878年Grand Rapidsにいた頃、Daniel E. Corbittに騙されて、いもしない少女タイピストに打ち勝つべく、タッチタイピングに手を染めたということらしい。ただ、この『The History of Touch Typewriting』には微妙にアヤシイ記述が散見されるので、鵜呑みにするのは危険だろう。

Utah州成立とFrank Edward McGurrin | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

「何かの催しで、鍵盤を見ないで打つ人のいることの報告があった。Longley夫人の息子は世話人であり、彼は情報を得られる立場にあった。それを息子を経由してLongley夫人が伝え知った可能性は、あろう。(勝手に印象記)」

1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。

He didn't look at the machine, at all, but kept his eye on the copy.

ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。しかも、翌年の1882年8月31日~9月1日にシンシナティで開催されたInternational Congress of Shorthand Writersの議事録には、Elizabeth Margaret Vater Longleyのこんな講演があった(p.15)。

; and who would expect to attain any great degree of success as a pianist or organist unless all the fingers and the thumbs were brought into use?


But by utilizing all the fingers and thumbs, there need be almost no loss of time. If the hands are held over the key-board, the fingers will reach to the extreme right and left, and each be in position to do duty, and the thumb will be in readiness to strike the space-bar.

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Longley

ダブルビンゴ。「全指タイピングのススメ」…。つまりElizabeth Margaret Vater Longleyは、Frank Edward McGurrinのタッチタイピングの噂を(たぶんMcGurrinという名すら知らずに)聞きつけてから、全指タイピングを編み出した、ということになる。

ただ問題は、1881年シカゴ会議の出席者の中に、Elizabeth Margaret Vater Longleyの名前がないことだ。息子のLeonel Anzuletta Longleyは、両方でずっとExecutive Committeeをやってるので、息子を経由してっていうパターンだろうか?

国際速記者会議とタッチタイピング | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
  • Longleyのthumbs thumb どっちだ?
  • 鍵盤上に手指が常に残っていることによる、打鍵動作速度への有利さ、、
    • Longley夫人には、動作分析的発言が多いな、。
      • 1882年の教本でも、スペースバー操作がらみでキー打鍵操作に関して、カリグラフ2と比較してみせていた、、)

ってか、議事録って、2007年でも閲覧可能なものなんですか。

タイプライターに関わる先行研究やら同時期研究、さらには、速記の大会でもある、、

息子を介せずとも

サーベイしていた可能性は あろうに、、

山田尚勇「タッチタイプというものが「発見」される」

これによって、鍵盤を見ることなく打鍵するメソッドの存在が、一般にむけて、ある程度知られるきっかけとなった。

  • この時期あたりをもって、山田尚勇は「タッチタイピングの発見」と呼んでいるようであり、それを発売時期から約15年後と、している。
    • この「発見」の語義は、コロンブスの発見とも似ており、それより以前から存在はしていたかもしれないが、広く知られることが無かった、、
  • タイピングスクールの全てが、タッチタイプを支持するようになるのは、山田尚勇によれば、発売時期から約40年後と、している。1913年から1915年ごろか、。

山田尚勇 「しかし、タッチタイプというものが「発見」されるまでにはアメリカでもタイプライタ発売後約15年はかかっており、タイピスト学校の全てがそれを受容するのには発売後約40年もかかったのである 1)。」http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100301#bookmark-19672093


1)Yamada, H.: A Historical study of type-writers and typing methods: from the position of planning Japanese parallels: Qournal of Information Processing, Vol. 2, 175-202(1980)〔小笹和彦訳, bit, Vol.13(1981), 6回連載〕

CiNii 論文 -  タイプライタの歴史と日本文入力 (<特集>日本文入力法)
タッチタイプと?頭の動き、?視線の動き、?手の動き - 葉仮名raycy - KliologY

| 07:30 |

タッチタイピングの発見」前史、、「アーム式タイプライター概念の誕生」前史、、

タッチタイピングの発見」前史、、「アーム式タイプライター概念の

前史:タッチタイピングの発見;アーム式タイプライター概念の誕生

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2010-09-26

yasuokaの日記「1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)」 って…?

06:52 | はてなブックマーク - yasuokaの日記「1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)」 って…? - 葉仮名raycy

初期のRemingtonタイプライター(44キー大文字のみ)には、大きく分けて3種類が知られている。

  • 1874年4月発売のオリジナルモデル(マシンの向かって右側に「行送りハンドル」があるが「キャリジ戻しレバー」はない)、
  • 1876年頃発売の改良版モデル(右側に「行送りハンドル」も「キャリジ戻しレバー」もない)、および
  • 1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)

である。

「Type-Writer」か「Type Writer」か | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

とあったが、

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1875-12-16.jpg1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されているのだが、見ればわかるとおり

中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

LOCKE, YOST & BATES の タイプライター(社?) 住所ブロードウェー707

Sholes & Gliddenとは、書いてない? はっきり読み取れないが、どこかに書いてあるのかな、、

レバーが本体の右横テーブル上に 外して置いてあるみたいだ。このレバーは どのレバーかな、「キャリッジ戻しレバー」かな。もしそうなら、先の安岡孝一氏の分類基準では、

1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)

「Type-Writer」か「Type Writer」か | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

ってことになるのかな、。

すると、

1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されている

中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

とで時間の順序が、年号が、、 あれ?なんかよくわからなくなってきた、、どういうことかな、、

2010 年 05 月 30 日yasuokaの日記「初期のRemingtonタイプライター(44キー大文字のみ)は、大きく分けて3種類」について、検討するかも。 - 葉仮名raycy - KliologY
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2010-09-25タイプライター販売代理店のブランド戦略

【途中】"TYPE WRITER","Type Writer"もしくは"type writer"

03:34 | はてなブックマーク - 【途中】"TYPE WRITER","Type Writer"もしくは"type writer" - 葉仮名raycy

当時の商標に関する考察は、このページ

Re: TYPEWRITERとPROPERTY | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

に記しておいた

中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

を見たのをきっかけに、ちょっと当たりなおしてみている、、

”TYPE WRITER” - Google ????

Google Books で 1873年から1875年で指定して、"TYPE WRITER"の検索結果をみてみている。

    (独白) (今後のまとめの進めかたにおける分類としては、、
    1. 実際の表示状況
      1. ハイフンの入っているもの:"TYPE-WRITER","type-writer"等
      2. ハイフンの入ってないスペースでの分かち書きもの:"TYPE WRITER","Type Writer"もしくは"type writer"
      3. 表示の確認できなかったもの:スニッペリ表示なし もしくは プレビュー利用できず。
    2. 実際の出版年
      1. 1880年? 
      2. だいたい何年
      3. 確認できず、、
    などで、分類表示してみるか。) (調査検索年も、前後に少し広げてみるかな1872年から1876年とか、、)


"TYPE WRITER""Type Writer"もしくは"type writer"で、注意をひいたものをいくつか挙げとく、

  • Modern practice of the electric telegraph: A handbook for electricians and ... 著者: Franklin Leonard Pope
    ウェスタン電器製造の品目リストには 五番目に Ⅴ The Type Writer とある。 これが何年なのか。
  • The Hudson River by daylight: New York to Albany and Troy, Catskill ... 著者: Wallace Bruce,Thursty McQuill
    レミントン系の製品を扱う代理店の広告らしきものに、ライフル、ミシン、TYPE WRITERを扱う代理店の広告がある。(製造元はニューヨーク、イリオンのへルキマーカンパニー?)
  • Hall's journal of health, 第 20 巻
  • Journal of the Franklin Institute of the State of Pennsylvania, 第 69 巻102 ページ
    http://books.google.com/books?id=4_w_AAAAYAAJ&q=%22TYPE+WRITER%22&dq=%22TYPE+WRITER%22&hl=ja&ei=

検索語"TYPE WRITER";検索期間指定を1866年からとかにしてみるかな、、

05:15 | はてなブックマーク - 検索語"TYPE WRITER";検索期間指定を1866年からとかにしてみるかな、、 - 葉仮名raycy

期間を指定 1867-1875 日付順

”TYPE WRITER” - Google ????

気になる箇所をリスト

  • Transactions of the Department of agriculture of the state of ..., 第 8 巻 著者: Illinois. Dept. of Agriculture,Illinois State Agricultural Society
  • Journal of the telegraph, 第 5~6 巻 Western Union Telegraph Company Western Union Telegraph Co., 1871
    http://books.google.com/books?id=szFOAAAAYAAJ&q=%22TYPE+WRITER%22&dq=%22TYPE+WRITER%22&hl=ja&ei=
  • The Telegrapher, 第 8 巻 National Telegraphic Union 1872

http://books.google.com/books?id=0hVOAAAAYAAJ&q=%22TYPE+WRITER%22&dq=%22TYPE+WRITER%22&hl=ja&ei=

  • The monumental city, its past history and present resources George Washington Howard 1873
    http://books.google.com/books?id=NBkIAAAAQAAJ&q=%22TYPE+WRITER%22&dq=%22TYPE+WRITER%22&hl=ja&ei=
  • The Inter-state exposition souvenir: containing a historical sketch of ... 著者: Van Arsdale & Massie (Chicago), pub
  • The Monumental city:its past history and present resources George Washington Howard J. D. Ehlers, 1873
    http://books.google.com/books?id=8JUZTP4azZUC&q=%22TYPE+WRITER%22&dq=%22TYPE+WRITER%22&hl=ja&ei=
  • The Telegrapher, 第 9 巻 National Telegraphic Union 1873
    type writerだかtype-writerだか、はっきりしない、
  • Journal of the telegraph, 第 7 巻 Western Union Telegraph Company Western Union Telegraph Co., 1874
    Western Electric Telegraph Manufacturing Companyの Type Writerがメダルとってるみたいだ。

これまで見てきたところと、安岡孝一らの『キーボード配列 QWERTYの謎』における ウエスタンエレキの販売代理店関係を鑑みれば、、

06:16 | はてなブックマーク - これまで見てきたところと、安岡孝一らの『キーボード配列 QWERTYの謎』における ウエスタンエレキの販売代理店関係を鑑みれば、、 - 葉仮名raycy

安岡孝一氏は、Chicago製造銘のThe Type Writerは、リセール品、ウエスタンの自家使用品の再販品であるとの説を唱えていた。

Thursday, June 10, 2010

This is an early S&G (serial number 225), designed to be used with a foot treadle for the carriage return.

http://yasuoka.blogspot.com/2010/06/yes-there-is-sholes-and-glidden-in.html

The machines were used to receive and write down Morse telegraphs in the Union Telegraph stations, and then, in between 1878 and 1881, they were replaced by new machines "Remington No.2". Some of them were possibly resold by the Western Electric Manufacturing Company.

posted by Koichi Yasuoka at 10:36 AM

(About Me Name: Koichi Yasuoka Location: Kyoto, Japan # 業種: 教育 # 職業: Associate Professor)

The Truth of QWERTY
物証のうち、その現況が留めている様相は、当てにならない説。ジョーカーかエースか… 切り札?とどのつまり、 - 葉仮名raycy - KliologY

この氏の説について、すこし疑問に感じた。


ひとつには、ステイガーらに対する1872年から1873年の売込みと採用検討の様子の記事(1888年のデンスモア投稿)、によれば、電信の音声直接聞き取り受電用途には、タイプライターは結局採用されなかった、と、読めたからである。

They failed at that time, to get other telegraphers to learn to use the typewriter, and, as otherwise the typewriter enterprise was somewhat incompatible with their electric manufacturing business, they were induced to release their contract and agency, and thereby they separated themselves from the business.

Thus is was not Mr. Butler, nor the Elmira man, nor any one else but Mr. Porter, who first demonstrated the entire feasibility and unqualified success of using the typewriter for receiving telegraph dispatches. And the day will soon come when operating telegraphers will of necessity be required to use the typewriter for that purpose.

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Porter

もっとも、安岡孝一氏が代替したとしているのだから、何かの裏づけがあるのだろうか。デンスモアは、しょせん電信会社の外部の人間ではあるし、、。

あっそうか、電信受信用に使ったのではなくて、清書用に使ったのかな?ならば、清書用に自家用としてたっていうのならば、清書用の使用とその置き換えってのは、それだけだけでも結構な量 あろう。

それにしても、もし、置き換えによってリセールしたというのなら、その時期は氏によれば、

In my opinion the stencil and decoration were wrote at the time of reselling around 1880 or after.

The Truth of QWERTY

次にのべる 代理店契約の開始時期の点で、どうかなってのがある。


安岡孝一らの『キーボード配列 QWERTYの謎』には、たしか、レミントンのイリオンの工場から、デンスモアらのところへと、ほぼ同時にステイガーらのところへも、発送された、とかあった。

ウェスタンかんたらは、秤の会社に権利を譲渡するまでは、西部シカゴあたりのタイプライター販売代理店であった。


ウエスタン 電器製造だかが、タイプライターの販売代理店活動を、その初期から行っていたとすれば、

販売ルートがウェスタンエレキ系のは、The Type Writerだった可能性がでてこよう。

また、販売における、銘は、代理店にて 勝手に銘づけしていた可能性も あろう。


ウエスタンエレキテレ製造がいつごろから、外販していたか、、


タイプライターのブランド名のハイフンについてまで、デンスモアらのコントロールは及んでいなかったのではないか。

Type-WriterもTYPE-WRITERもType WriterもTYPE WRITERもtype writerもあったのでは、、

広告印刷物とか、銘とか、、

ロゴ コントロール、、

実際のセールスマンのなかには、代理店の者も 多かろう。

07:23 | はてなブックマーク - 実際のセールスマンのなかには、代理店の者も 多かろう。 - 葉仮名raycy

当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ。

中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

果たしてそう言い切れようか。

そもそもフロントパネルに何も書いていなかったからこそ起こってしまったのだが、

「Type-Writer」か「Type Writer」か | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

もしそうならば、各販売代理店が独自に打った広告に見られるロゴなども、その販売代理店のセールスマンの実演時に顧客によって比較参照される文字列の候補となろう。

ならば、代理店ごとに、いくらか異なったブランドロゴが出現していたってなことも、考えられよう。いくつかの商標表示が並存していたってな、、

たとえば 

  1. 代理店 ウエスタン電器製造かんたらは 商標 The Type Writer としていた。



  2. 代理店 ライフルとミシンも扱っているらしき Herkimer companyは 商標 THE TYPE WRITER としていた。
  3. 代理店でもある ポーター氏はは 商標 Sholes & Glidden's Type Writer だか、としていた。
  4. 代理店 Jno. T, Graham & Co., Philadelphiaは 商標 Sholes & Glidden "Type Writer" としていた。
    http://books.google.com/books?id=4_w_AAAAYAAJ&q=%22TYPE+WRITER%22&dq=%22TYPE+WRITER%22&hl=ja&ei=
  5. 代理店なにがしは 商標 The Type Writer としていた。
  6. 代理店なにがしは 商標 The Type Writer としていた。
  7. 代理店なにがしは 商標 The Type Writer としていた。

はたして typewriter は、本当になかったんだろうか?

10:18 | はてなブックマーク - はたして typewriter は、本当になかったんだろうか? - 葉仮名raycy

ブランドであったかどうかは、さておき、うかつだったが、typewriterで検索していなかった。

検索語:typewriter 指定期間:1866-1875 日付順

”TYPEWRITER” - Google ????

なさそうかな、、

日記側の記録としては、"type writer"は 見たことがある。

11:16 | はてなブックマーク - 日記側の記録としては、"type writer"は 見たことがある。 - 葉仮名raycy

日記側の記録としては、"type writer"は 見たことがある。

刊行物としてではない、非メーカー販売系の 独立個人の記録では、

"type writer"は見た。一箇所だけ。

April 15 (maybe 1875)

Mr. Martin then exhibited in operation, and described a "type writer," a machine to supersede the pen in manuscript writing.

Reports of the President and Treasurer
raycy @ wiki - Reports of the President and Treasurer

他に有るかな、、

これ、何が書いてあるのかな、、打鍵と健康毀損のこと?

11:44 | はてなブックマーク - これ、何が書いてあるのかな、、打鍵と健康毀損のこと? - 葉仮名raycy

Hall's journal of health, 第 20 巻

【途中】"TYPE WRITER","Type Writer"もしくは"type writer" - 葉仮名raycy - KliologY

ただ使い勝手が 書いてあるのかな。毎分60ワードってどっかにあったっけかな、、

新しくなったデカデカ

18:19 | はてなブックマーク - 新しくなったデカデカ - 葉仮名raycy

旧いデカデカ

私やDickersonが、この「typewriter」ネタをジョークだと思うのは、当時のタイプライターの印字機構にあるんですよ。1870~1880年代のタイプライターは、upstrike式といわれるもので、印字面がプラテンの下側にあるために、文字を打ってる最中には何を打ってるのか見えなくて、紙を取り出さないとわからないんです。で、そういう環境において、効果的にデモンストレーションするには、どうするか。私やDickersonなら、ある程度長い文を打ってみせて、そして紙を取り出してみせて「ほら一字の間違いもないでしょ」とやってみせるのが、絶対に効果的。皆んなが「何を打ったんだろう」と期待してる中で、単に「typewriter」とだけ打ってあって、しかもフロントパネルにデカデカと書いてある「Remington Type-Writer」とは綴りが違ってる(しかも当時の「Type-Writer」は固有名詞で、他社は「Writing Machine」とか呼んでたから、「typewriter」という単語そのものが全然ポピュラーじゃない)、となれば、そりゃ売れないんじゃないですか、ってのが正直なところです。

Posted by 安岡孝一 at 2005/11/02 (Wed) 02:05:53

まきこみ計画 :: ミスタイプに潜む意外と大きなリスク
対象とする時期は、
  • TYPE WRITERというフレーズをセールスのデモに使ったかどうかというのも争点とはなろうが、

通常のTYPEWRITERネタといわれるものは、デモに使えるようにQWERYT段に TYPEWRITERと打てる文字を集めたという 文字を移動して文字キー上段に集めた事由をいっている。
すると、その時期は、

    • a.Porterは、ショールズらの TYPE WRITERのアイディアが生まれたころ以来 そしてThe American Type Writerを導入した1868年ごろ以来の、ショールズやデンスモア系のタイプライターとの付き合いである。
    • ①"サイエイティフィック アメリカン"取材の1872年7月だっけかのQWE.TYIUO-(Griffith説)だっけか、
    • b.1872年晩秋から半年ちょっとほど(初夏ごろまで?) ポーターが、ステイガーらの前で実地テストした最新鋭機(配列は不明)
    • ②1873年3月デンスモアらがレミントンに持ち込んだ、プロトタイプ
    • c.1873年のどこかで、ポーターが展示会に Sholes & Glidden's Type Writerの名で、出展していたはず、、
    • ③Jenneらの特許図の配列 1873年9月?QWERTUIOPYだっけか
    • ④Remington製造機発売1874年納入QWERTYUIOP

までの間のどこかで、意図をもってわざとTYPEWRITERと打てるように文字を集め揃えたってことだろう。その時期は、②1872年3月と③1873年9月の間ぐらいのはずか。


疑義部分

あらたなデカデカ

1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されているのだが、見ればわかるとおり「The "Type-Writer."」とデカデカと書かれている。当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ。したがって

タイプライターのセールスマンが、お客さんの前でカッコよく「typewriter」って入力して見せるための工夫

ちゅーピーくらぶ

というのは、1875年時点では全く事実に反している。当時の広告が「Type-Writer」である以上、セールスマンとしては、ハイフンをQWERTYUIOPと同じ「行」に並べておかなければ、話のツジツマが合わない。

中国新聞の考えるタイプライター | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
  • 1875年12月16日付けの『The Nation』。当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ
    • QWERTY段に、PRを移動して集めてきた目的がセールストークやセールスデモ用だとするなら、1873年9月やら1874年初やら、ともかく、QWERT段にTYPEWRITERの文字がそろった時期のデモの様子やらそのときの商標やらが問題であろう。1875年12月のロゴでは、遅すぎる。QWERT段にTYPEWRITERと打てるキーがそろったセールスデモの もっとも早そうなのは 1873年の展示会?Porterが あるいは実演して見せていたかもしれない。1873年の展示会はひとつだけだったろうか。その時期はいつだったろうか。1873年の展示会でPorterは、そのwriting machineの名称を Sholes & Glidden's Type Writerとしていたはずである。
    • 自己評価
      • うだうだ、、ごにょごにょ、、
      • 、、決定力に欠ける、、
      • 、、まとまりがない、、
  • というのは、1875年時点では全く事実に反している。
    • 前述のように、1875年時点のロゴやら広告上での機器名称では、時期が遅すぎる。
  • 当時の広告が「Type-Writer」である以上、セールスマンとしては、ハイフンをQWERTYUIOPと同じ「行」に並べておかなければ
    • 当時の広告やら印刷物を見ると、販売代理店によって、若干異なった名称が使われており、「Type Writer」「TYPE WRITER」といった、ハイフンなしでの分かち書きも見られる。
    • ハイフンを含まない表現も見られるので、それを選択した販売代理店のセールスマンならば、QWERTYUIOP段にハイフンがなくとも、話の辻褄が合わなくもない。残念ながらQWERYUIOP段にスペースキーはないが、その移動はご容赦願いたい。

2010-09-24

こういう筋書きの作戦だったとしたなら まだ存在しない未来のトラストからの影響が あったといえるかも。

04:44 | はてなブックマーク - こういう筋書きの作戦だったとしたなら まだ存在しない未来のトラストからの影響が あったといえるかも。 - 葉仮名raycy

こういう筋書きの作戦ならあるかも。

  • 罠を仕掛ける。
    • タイプライタートラスト結成の密約を結んでおく。
    • 甘いこといって、ほぼただで、QWERTY配列の利用を開放する。
      • よりすぐれた配列の誕生を阻止するのが目的。
        • ただし前提として、QWERTY配列がそこそこ優れている必要がある。
          • 我慢できる程度に なんとか使える程度に、、
    • 十分にQWERTY配列が浸透して、他配列の立ち上げが困難になったころあいをみはからって、
  • タイプライタートラストを結成。
    • 同じQWERTY配列間での戦いに持ち込み、規模とブランドと価格と政治力とかで、トラスト外他メーカーを追い落とす。

でも、密約がなくても、この筋書きはなりたつかも。

QWERTY化してしまったあとでも、排他的グループを結成できれば、同じようなことは可能かも。


たしかYostがシフト式の特許を使えないことで デンスモアらのタイプライター・カンパニーを抜けたはずだが、その後のレミントンと CaligraphやタイプライターブランドYostとの関係は、どうなっているのかな、、

タイプタイターブランドDensmoreは シングルだかダブルだか、どんなのだっけか、


Remington Yost Densmore Caligraphは、もともと行動をともにした者の血族と関係が有るのじゃなかろうか、もう一社あったんだっけか、タイプライタートラストには。

Smith-Premierか。

Smith-Premierは、Smith-&ブラザーズだかに、分裂するんじゃなかったっけか。黒澤貞次郎の記述だと、タイプライタユニオンのやり方に不満だったから とか、独自にタイプバスケットシフト式を出したかったからからかな、

  • (九)
     さて過去二十五年間創作時代よりこの時まで発達したるタイプライターはことごとく Blind Machineでありました・・・タイプしたものが見えない盲機械でありました。これを代表的に言うならば「レミントン」も「カリグラフ」も「スミス」も、はた又「ヨスト」、「センチュリー」も皆しかりでありました。しかして盲機械とは言え年々精練せられたるタイプライターは使用せらるヽ範囲ようやく一般的になり、その需要漸増の傾向は各機互いに競争の激度を加え、その緩和救済のため前述の代表的の五製造会社のトラスト(合同経営)は提案され、やがてその合同は実現することヽなったL.C.Smith(エル、シー、スミス)氏は「善良なる競争は進歩発達の一要件なり」と主張してトラスト組織に反対しその結果自己が築き上げた「スミスプレミヤ」会社より分離して「スミス兄弟会社」を創立しました。「まさに来らんとするビジブル式を完成させなければタイプライター発明者はその天職を尽したと言い得ないjとは彼の信ずる所でありました。
     この時すでに半ビジブル型は市場に現れました。前頁に掲げた「バーロック」はその代表的のものでこの型式を後に Semi-visible Type (半ピジブル型)と申しました。
     一方において不完全ながらも現代の Fu11 visible Front-stroke (ピジブル前方打字型)の祖先「Pittsburg」(ピッツボルク)タイプライターは現れました。また続いて初代「Underwood」(アンダウード)もこの時代に現れました。で、盲タイプライターのトラスト組合に対抗して全visible又は半visibleの続いて現れたのがこの時代における傾向でありました。が、新規の型式に免かれることの出来ぬ欠陥が何れのビジブル型にもありました。ですから相当に精練せられた盲タイプライターは、相変らず実需要を充しておりました。

二十世紀の初頭における精練せられたる盲タイプライターの両大関

レミントン」Remington 「スミスプレミヤ」Smith-Premier

  • (十)
    「遅くとも確実」はエル、シー、スミス氏の遣り方で同氏は十分に改良した第一号型を一九○三年に市場に送り出しました。このエル、シー、スミス一号型は少なからず技術上方面の注意を引きました。すなわち彼の年来の所信を「全ビジブル型」において実現せしめたからであります。彼の所信とは、曰く文字を筆記する場合において机上の紙片は安定し筆はその上を走るのである。もし反対に筆が安定し紙が走るならばその結果は如何?  同じ道理はタイプライターにも適用せらるべきでタイプライターのタイプは筆である、プラテンはテーブル(筆記台)に比すべきものである故にシフト (上段)キーを押す場合にプラテンが動揺せずしてタイプそれ白身が昇降するならば紙幅の狭き場合も叉広き場合も均一の労力でタイプ出来るからであると。果して氏の発明になった「タイプバスケットシフト」は視観をさえぎるものなき構造のビジブル式と相まってその当時より退却を余儀なくせしめつヽあったトラスト組の盲タイプライターを一九○八年には全く市場より駆逐してしまいました。
タイプライターの歴史
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2010-09-23まだ存在すらしていないはずのタイプライタートラストの影を見る男

typewriter trust 成立(1893年) 以前に、 他メーカーが 非アップストライク機に対してすら、続々QWERTY配列を選択採用し始めたのはなぜか?

12:46 | はてなブックマーク - typewriter trust 成立(1893年) 以前に、 他メーカーが 非アップストライク機に対してすら、続々QWERTY配列を選択採用し始めたのはなぜか? - 葉仮名raycy

と思ったら、オヴァーハングな 後っ側からのトップストライクなFitchは独自配列だったんだ、、独自配列の登場と敗退と、、?

【仮説】ダウンストライク(orトップストライク)やら、オリヴァーの両持ちタイプバーやらは、なんでQWERTYを採用したか。これこそ Stickney(1904)的にみれば、不可解ではなかろうか。そしてそれは、タイプライタートラストの成立以前からの出来事ではなかったろうか、どう

Fitchの敗退?

Fitchのタイプバスケットを検討し直す必要があるな、。

以前の検討では、アップストライク式を想定してしまっていたような、、

実際には、後ろ側からのダウンストライクのようだから、「隣接タイプバーの連続動作機会」の検討の前提となるタイプバスケット上でのタイプバーの並びが違っていた。

トップストライク式のフランクリンやSalterは1892年時点で、なぜQWERTYを採用していたのか、、

タイプライタートラストのせいではないことは あきらかであろう。タイプライタートラスト(1893年成立)が存在していなかったのだから。

Fitchとの比較広告か何か、残ってないかな、、

おっとそういえば、ハモンドも、1890年にはユニヴァーサルキーボードをサポートし始めたんだった、。

1890年、、

Yostかな、ダブルQWERTY機も1887年か1888年ごろからだっけかな、、

QWERTY採用の流れ

  • アップストライク式(タイプバーclass)
    • シフト式QWERTY 追随メーカー(?)
    • ダブルQWERTY機(1887年1888年ごろから)
  • タイプホイールclass
  • ダウン(orトップ)ストライク式(タイプバーclass)

より細かくは、タイプライターのブランドリストのほうを参考に、検討をすすめるべきかな、、

タイプライターのブランド発売年の手がかり。 http://typewriter.rydia.net/whenwasitmade.htm より - 葉仮名raycy - KliologY

普通の「大不況」「19世紀末の大不況」と 安岡孝一氏の歴史学における大不況。

13:16 | はてなブックマーク - 普通の「大不況」「19世紀末の大不況」と 安岡孝一氏の歴史学における大不況。 - 葉仮名raycy

2007 年 09 月 09 日PM 11:24

The Union Typewriter Companyの設立


「19世紀末の大不況」ってのが、いったいどの「大不況」を指しているのか、私にはさっぱりわからない。

The Union Typewriter Companyの設立 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

普通の歴史での「大不況」「19世紀末の大不況」は、

英国1873年ごろをピークとして1873年に始まり1896年ごろまでを、さすのではないかな。

  • 「19世紀末の大不況」って言った場合には、アメリカ一国ってな単位ではなくて、世界大不況ってな含意もあるのではないかな、、「19世紀末の世界大不況」。
    • (そんななか、日本は例外的だったのかな、どうかな、、まだ世界経済には、組み込まれきれていなかっただろうか、、)

年代 1825 1836 1847 1857 1866 1873 1882 1890 1900 1907 1920 1929 1937
世界恐慌      
イギリス
アメリカ  
ドイツ        
フランス      
日本                  
(バルガ 『世界経済恐慌史』による)

(バルガ 『世界経済恐慌史』による)

世界大恐慌

Re:元ネタは唐沢俊一さん? (スコア:1)

yasuoka (21275) : Tuesday September 11 2007, @01:44PM


そもそも19世紀末に「大不況」があったのかどうか。

コメント#1217739 | The Union Typewriter Companyの設立 | スラッシュドット・ジャパン

それは、、あったんじゃないですかねえ、、なかったのかな、、


米国鉄道株をみても

19世紀末の「大不況」 と 恐慌 との関係。「大不況」期=(恐慌を伴う不況期&回復期)×2〜3回? - 霊犀社2

それから、原典アメリカ史4巻5巻の

1873年の恐慌後、アメリカの企業の形態は圧倒的に会社組織に改まって行ったのであるが、更に企業の合同の大勢が一世代の間、産業各界を風靡した。資源の獲得のための苛烈な競争、同業者を陵駕せんとする市価引き下げの手段、混乱的競争に伴う市価の激動は、企業の合同によって、この事態に対処する経営の統一、市場の調整を持ち来たらすべしとの要請に基いて、プールやトラストの発生を来さしめたといい得るのである。(11ページ)

原典アメリカ史〈第4巻〉現代アメリカの形成  アメリカ学会 (翻訳): 霊際

世紀転換期に入るとともに、指導層は、米西戦争を通じて国民的感情が昂揚せられ、国民の目眼が海外に転ぜられた好機と、1893年から1897年にわたった経済不況期も終わり、1898年には好景気に向かった情勢とを利用して、(11ページ)

原典アメリカ史〈第5巻〉現代アメリカの形成  アメリカ学会 (翻訳): 霊際

ってか、

アメリカの場合には、1873年からのと1882年からのと、大きく二期にわけてみる必要があるのかなどうかな、、


鉄道株以外の指標も 見てみる必要があるかな、、

企業利益のほうだと、1873年ごろのピークを1880年ごろでも、あまり抜ききったとはいえぬようだなあ、

S&P500 Q4 Earnings Collapse | The Big Picture

この企業収益の推移で見る限りは、アメリカにおいても大不況期を1873年から1896年といったスパンで論じても、そうおかしくはなさそうである。

1894から96年ごろをみると、企業利益の落ち込みが激しかったのに比較して、株価のほうはあまり落ち込まなかったのかな、、

Standard & Poor「s 500(Monthly)

http://www.dailyreckoning.com.au/images/20090428A_lge.jpg

Figure 1. Long-term Views of the All Ordinaries and S&P500 Price Indices

Page not yet ready » Australian Investors Association

【こんなふうに思った】後続アップストライク式が それなりに理にかなった 枯れた技術であるQWERTYを選択するのは、当然起こりうることだ。問題はむしろ、ダウンストライク式やフロントストライク式やらが、なぜQWERTYを選択していったかだ。

20:52 | はてなブックマーク - 【こんなふうに思った】後続アップストライク式が それなりに理にかなった 枯れた技術であるQWERTYを選択するのは、当然起こりうることだ。問題はむしろ、ダウンストライク式やフロントストライク式やらが、なぜQWERTYを選択していったかだ。 - 葉仮名raycy

アップストライク式がQWERTYを選択するのは理にかなったことであり、むしろ当然とさえいえる。問題はむしろ、ダウンストライク式やフロントストライク式やらが、なぜQWERTYを選択していったかだ。

タイプライタートラストの5社だかは、アップストライク式であった。QWERTYは、ひとつの それなりに理にかなった配置関係の解となっていた。そこそこ見やすく打ちやすく、タイプバーの干渉を起こしづらい(or絡みづらい)。

QWERTYキー配列おそびそれに対応するアップストライク式機のタイプバーの並びでできたタイプバスケットの並びは、ひとつの それなりに理にかなった構成となっていた。

ただし、それは、アップストライク式においてでならってことである。


フロントストライク式のキー配列QWERTYを採用すると、タイプバスケットの様子は、隣接タイプバーの連続動作機会の観点からすると、 実に愚劣な配列選択と 思われてくるのである。Stickney特許(1904年申請)にあるように、アンダーウッドのタイプバスケットの並びは、タイプバーの接触リスクの高い並びとなってしまっている。


Fitchも、Daughertyも そう思ったことだろう、、

だが、

市場は それを選択しなかったってことかな、、

それは、機構の稚拙のせいなのか、

配列のせいなのか、、

トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100923

2010-09-20

もはや国際問題となってしまったか。あらすalas

| 10:14 | はてなブックマーク - もはや国際問題となってしまったか。あらすalas - 葉仮名raycy

BBC Radio 4 - 安岡孝一の新聞記事・ニュース・書評

知らなかった、気付かなんだ、、。気付かなかった、知しらなんだ、、

We also meet some speedy junior qwertists' primary school pupils who learn to touch type as part of their curriculum.


Also in the programme

Koichi Yasuoka of the University of Kyoto.

http://yasuoka.blogspot.com/

This is his blog about how qwerty developed.

BBC Radio 4 - Fry’s English Delight, Series 3, The Trial of Qwerty

どんな話したんだろう。ところで、

    • Stephen Fry,
    • Doron Swade,
    • Nick Baker
    • ……
  • BBCでの本件放送関係者らは
  • 1886年やら1888年7月25日のTraubが タッチタイピストだと承認するだろうか。
  • アメリカではアームはあったとしたら、日本人の想定するアップストライク式タイプライターには、アームはなかったってことには、同意していただけるだろうか?
    • あるいは、1893年以前のタイプバーclassタイプライターにはアームは なかったから絡むはずがないってな論法を 理解できようか。
  • 絡む or 衝突、tangle entangle jam clash の範疇弁別規定について、、

BBCの本件放送関係者に尋ねてみるべきかな。

もっと基本的なところでは、

    • 異なる四分円ならば90度以上離れていなければならないか?

とかもあるかなあ。


Qwerty is "not ergonomic", agrees Professor Koichi Yasuoka of Kyoto University, a world expert on the development of the keyboard.

But he sees evidence of the practicality of Qwerty in a world of mechanical typewriters. "T and H is the most frequently used letter pair in English," he explains. "In fact in Sholes's typewriter, the typebar of T and H are located on opposite sides."

The separation of these letters was made in the interests of speed, he believes. Users could type T-H without crashing keys, whereas the proximity of E and R, he argues, is inefficient. In other words there is no evidence of deliberate slowing down.

"Ergonomics were not a characteristic of mid-19th Century design," he concludes.

BBC News - Why do we all use Qwerty keyboards?

翻訳やらインタヴュアーの解釈が絡んでいるであろうとはいえ、このプロフェッサーは、いったい何を主張したいのだろうか、、論旨の一貫性はどうなっているのだろうか、、

Professor Koichi Yasuoka of Kyoto Universityはいう。

  1. エルゴノミックにはできていない。
  2. スピード、クラッシュ、非効率 で、一貫した説明ができない。
    1. THは 速い クラッシュしにくい(絡みにくい) (相対的に効率的であり)
    2. ERは近接しており 非効率である。 (近接しているから 速そうなんだけれども、、衝突し(絡み)やすさは 隣接の次の衝突し(絡み)やすさ)
      • 衝突し(絡み)やすさをもって 非効率であるとしているのか。

アップストライク式では、絡むことはないはずではなかったか?

google:”They are called upstrike typewriters and their typebars never jam.”

衝突と絡むとは まったく別の事象なのか?

clash or jam or batter


QWERTYはエルゴノミックではない 19世紀中葉にはエルゴノミックってな観点はなかったっていうのは、「エルゴノミック」を現代的な意味に限局して考えれば そうかもしれないが、

  • ヒトの手指が 基本的には左右対称 そうであるように、
    • 左右対称なキーボードを目指した配列が19世紀にもいくつか出ていたし
    • ロングレーの運指も、理想は、左右対称な 外方運指を志向していたようである。(1882年。id: maple_magicianさんの分析による。)

手指の運動のしやすさに沿った方向での改良提案は、いくつか出されていた。

頻度データの取り入れも、ショールズをはじめ、いくつか出されていた。

作業分析的観点は示されていた。

  • ロングレーにしても、スペースバーに関わる作業分析的言及をしてみせていた。(1882年)
  • McGurrinも、鍵盤を見ないことの重要性を説いていた。(1889年ごろだっけか、)
    • (視線移動と原稿のいったん見失い、指先の見失いと)
      • (原稿読み取りの断続の発生、、 )
    • (見失うことなき探り打ち、and 触りフィードバックしつつ アクティヴタッチing)
トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100920

2010-09-17

「もう少し歴史学的に書くなら、」「さらなる研究が必要だろう」

03:15 | はてなブックマーク - 「もう少し歴史学的に書くなら、」「さらなる研究が必要だろう」 - 葉仮名raycy

2009 年 08 月 18 日

「英語における文字頻度とタイプライターのキー配列」(英語教育, Vol.58, No.6 (2009年9月), pp.74-75)

高校英語教科書におけるQWERTY配列 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/Taishukan2009-09.pdf

「もう少し歴史学的に書くなら、C. Latham Sholesが開発したタイプライターにおけるIのキーは、1870年時点ではEの近くに配置されていた……」

データの山があったとして、どういう観点から、どういう仮説を以ってスクリーニングするか 眺め分析するか - 霊犀社2

あれっ?

仮説の提示

2005 年 02 月 10 日

なお、QWERTY配列がどう成立したかについては、私の仮説をQWERTY直前のキー配列に記したので参照されたい。

QWERTY配列に対する誤解 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

2005 年 03 月 06 日

では、1868年のキー配列1872年のキー配列を結ぶミッシングリンクには、どのようなキー配列が考えられるだろう。 Griffithの…助けを借りて、大胆に仮説を立ててみよう。


┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐
│ ││A││E││I││ ││ ││Y││U││O││ │
└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘
 ┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐
 │B││C││D││F││G││H││J││K││L││M│
 └─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘
  ┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐┌─┐
  │Z││X││W││V││T││S││R││Q││P││N│
  └─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘└─┘

という「仮想配列」が得られる。

QWERTY直前のキー配列 | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン

ミッシングリンク候補として安岡孝一氏により提出されたひとつの仮説 みたいなんだが、、

トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100917

2010-09-16米国内ではtype-armsとも。日本国内では腕 アーム とも。 

特許の実用化状況のことではなくて、言語の通用実態、言語実態、、

07:08 | はてなブックマーク - 特許の実用化状況のことではなくて、言語の通用実態、言語実態、、 - 葉仮名raycy

2010年06月12日 01:54

Patent US216232 - IMPROVEMENT IN TYPE-WRITING MACHINES - Google Patents

この1879年の特許文書にはtype-armsという言葉がハッキリ記載されていますね。本には「アームを有するフロントストライク式タイプライターが発明されたのは~」とあるので、フロントストライク式じゃないタイプライターのはアームではないと著者は考えているのかもしれません。著者の見解をうかがってみたいものですね。

Posted by kunio at 2010年06月12日 01:54

http://kunio.sblo.jp/article/38767446.html#comment

2010年06月13日 12:47

えっと、Frederick SholesとWilliam F. MillerのU. S. Patent No.216232ですけど、私の知る限り、この特許は実用化されてません。

Posted by 安岡孝一 at 2010年06月13日 12:47

http://kunio.sblo.jp/article/38767446.html#comment

2010-06-15 05:00

2010-06-15 05:00

タイプアーム(type-arm)と呼ばれている<追記:こともある>実態があった。

えっと、Frederick SholesとWilliam F. MillerのU. S. Patent No.216232ですけど、私の知る限り、この特許は実用化されてません。

Posted by 安岡孝一 at 2010年06月13日 12:47

http://kunio.sblo.jp/article/38767446.html#comment

ええっ?っと、その特許物が、発売されたかどうかの問題ではない。言語実態の問題を問いたい。「タイプアーム(type-arm)と呼ばれている実態があった。」


語があるというのは、複数者間において流通・通用している実態があるということだろう。

特許が成立しているということは、最低、申請者一人と許諾者がいる。査読者やらもいるかもしれない。

アメリカでも、正式特許名称typebarあたりが、type-armと呼ばれていた。 - 葉仮名raycy - KliologY

2010/06/15 13:40

KoichiYasuoka 2010/06/15 13:40

「言語実態」というのが、現実的に何を指しているのか理解しかねるのですが…。あくまで『キーボード配列 QWERTYの謎』に書かれた「タイプライターのアーム」を問題にしているのなら、

安岡孝一氏による概念や言葉「アーム」「jamming」の謎 - 葉仮名raycy - KliologY
トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100916
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