第5章 憲法の施行
日本国憲法の施行と第1回国会の開会
憲法公布記念都民大会(1946年11月3日)
1947(昭和22)年5月3日、「日本国憲法」が施行された。当日は皇居前広場で記念式典が開かれ、各地で記念講演会等が催された。また、新たに憲法を施行するに際して必要な法律の制定、改正が行われた。たとえば、新しい皇室典範が法律として制定され、国会法、内閣法、裁判所法、地方自治法などが新たに制定され、刑法、民法などの規定も憲法の内容に合わせて改正された。
一方、「日本国憲法」下における初の国会を組織するため、1947年4月25日に第23回衆議院総選挙が行われた(第1回参議院通常選挙は4月20日実施)。その結果、いずれの政党も過半数の議席を得ることができず、5月20日、第1回国会(特別会)の召集日をむかえた。5月24日、吉田内閣にかわり社会党委員長片山哲を首班とする内閣が成立。6月23日に、参議院議場において第1回国会の開会式が行われた。
憲法普及会の活動
なお、「日本国憲法」が公布されて、約1か月後の1946(昭和21)年12月1日、国民に対して新憲法の精神を普及することを目的として、「憲法普及会」が組織された。会長には芦田均が就任し、衆議院、貴族院両院議員のほかに、著名な学者、ジャーナリスト、評論家等が理事として加わった。また同会には、中央組織の下に各都道府県に支部がつくられたが、大半の支部長には都道府県知事が就任し、事務所も都道府県庁内におかれるなど、半官半民の組織であった。
「憲法普及会」は、GHQの指導のもと様々なかたちで啓蒙普及活動を展開した。具体的には、法学者らを講師にした中央・地方の中堅公務員に対する研修や、全国各地の住民を対象とした講演会の開催、憲法の解説書の刊行や懸賞論文の募集、また憲法の成立過程をあつかった映画の製作や「憲法音頭」等の歌を通じた啓蒙活動などである。とりわけ全国民への憲法の普及を目的として、1947年に刊行された『新しい憲法 明るい生活』と題する小冊子は、2千万部が全国の各世帯に配布された。
日本国憲法の再検討
憲法改正をめぐってマッカーサーと対立した極東委員会は、帝国議会における「日本国憲法」審議の進展という既成事実を前にして、これを承認せざるを得なかった。しかしその承認の条件には、施行後に憲法を再検討するという了解があった。極東委員会は、1946(昭和21)年10月17日、オーストラリア、ニュージーランド各代表の提案に基づいて、「施行後1年を経て2年以内に新憲法を再検討する」政策を決定した。この決定はすぐに公表されなかったが、マッカーサーは、翌1947(昭和22)年1月になって吉田首相宛の書簡でこれを伝えた。翌年、政府や国会内で憲法再検討の動きが見られたが、これに対する国内の反応は、一部の識者を除いて総じて鈍く、結局、憲法の再検討は行われないまま、1949(昭和24)年5月、極東委員会は憲法改正の要求を断念した。
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